間違いなく傑作!!! ヒライさんと中西さんの対談は回を追うごとに面白くなっていますね。特に今回は、更にその先を知りたいという想いを喚起する放送でした。 中西さんが後で公開したvan Bladel"Arabic Hermes"についてのブログはまだ全部読めていないのですが、文字数も凄いだけでなく、非常に丁寧に書かれているので、こちらもそれに合わせて時間をかけて丁寧に読むべきだと思っています。そのため、そのブログと矛盾するかもしれませんが、この対談に触発されて私が調べたことを交えてコメントします。私は主に一般読者に向けた本を読んだのだと思います。 私としては、イスラーム圏のヘルメスについては何も考えたことがなかったので今回の対談は新鮮でした。また調べていく過程で、ローマの大橋さんのブログに多くhitするのも、さすがと言うか、当然というか。 Jacob Slavenburg"Hermetic Link"のエノクの章によると、中西さんも言及しているように、イスラーム圏では技術的ヘルメス関連文書の方が好まれたようで、幸運の護符に関する魔術本、星辰界と天候、植物、色彩等との関係を扱う本も含む占星術文書、そして非常に多くの錬金術本があるらしい。現在知られている錬金術本だけに限っても、ヘルメスに帰せられている著作は2000冊以上とのこと。それらも含むヘルメス文書からの引用やヘルメスへの言及がある本は、さらに膨大らしい。 しかしながら、Francis E.Petersの'Hermes and Harran'("MAGIC AND DIVINATION IN EARLY ISLAM")によると、アブー・マーシャルやイブン・ワーシーヤのような若干のヘルメス信奉者は、ヒライさんが西洋の例で挙げていたように、自分達は再発見された古代の伝統の翻訳者や解釈者にすぎないと主張したり、また他には錬金術師ジャービル・イブン・ハイヤーンのような伝説の雲の中に隠れているのもの達がいたり、さらには純潔同胞団のように匿名で活動するものがいたりで、そのような煙幕のおかげで、イスラーム圏におけるヘルメス主義の歴史を書ける可能性は少ないとか。ヘルメスに関わる文書の数は多くても、何か口実をもうけないと必ずしも大っぴらにヘルメスへの信仰は公言出来なかったということなのだろう。 Petersは、イドリス-エノク複合体へのヘルメスの組み入れに際してサビアン教徒が何か役割を担ったとするならば、ジャーヒズやマーシャルがイドリス、エノクとヘルメスを同定する記述をした時代、アッバース朝カリフ・マームーンの治世の末期だったのではないかとも推測してようだけど、もしそうなら、ということだし(高橋英海氏は、ギリシア語からシリア語への翻訳センターとしてケンネシュレー修道院を強調するのだけど、ハッラーンでのそのような活動は否定しているのだろうか)。 petersによると、8世紀後半のイスラーム圏の学者達は、プラトンやアリストテレス(要約でなく)が翻訳される前、ペルシア、インド、ギリシアの天文学、占星術、医学、錬金術に既に精通していたらしい(ペルシア系の学者の関与を匂わせているような)。その後僅かの期間でプラトンやアリストテレスが、マームーンの庇護のもとに翻訳されたとも。マームーンと言えば、自らエジプトのピラミッドへ入ったカリフとしても名高いはず(伝説?)。Corpus Hermeticum はヘルメス・トリスメギストス(マーシャルの挙げる3人のヘルメスのうち第3のヘルメス)に帰せられていし、何かエジプトと縁の深そうなカリフのような(預言者イドリス-エノクと結びつけられたのは、第1のヘルメス)。 もう1つのサビアン教徒、湿地のそれの研究の重要性にも言及していたな。 異なる文化が交流し変容していく様は本当に興味深いですね。 prisca theologia(古代神学)は、イスラーム圏でそれに対応しているのはhanif(ハニーフ)と言うらしい。 Holy People of the Worldという百科事典のIdrisの項に、ヘルメス主義の影響を受けた人物としてスフラワルディのhanif(ヘルメス主義の系譜 = hakim al-’atiqa〈古代の叡知〉)が言及されていました。そこに含まれるのは、ヘルメス、ピタゴラス、プラトン、エンペドクレス、そしてスーフィーでは、 Dhu’l Nun al-Misri (796-859)、 Sahl al-Tustari (818-896)、Husayn b. Mansur al-Hallaj (858-922)(他の本では、アガトダイモーンを加えているものも)。 スフラワルディの弟子シャフラズリShahrazuriが、イドリスはイスラーム以前のハニーフの一神教を樹立したと言ったとも。さらに、スフラワルディのこの範例を、フィチーノがprisca theologiaとして踏襲したとも(reiterateなので、因果関係なしに、ただ同じようなことをしたという意味なのだろうけど)。 スフラワルディは、prisca theologiaというよりprisca philosophiaを持っていたという本もあったような。それは Perennial Philosophyと同じものなのだろうか。もしそうなら、ヒライさんがこの放送の後でステウコに言及していたと思うけど、そちらとも繋がるものなのだろうか。 今回の放送はまだまだ面白いトピックに繋がる放送でした。感謝。
動画では収録されない同時チャットの最後の部分をサルベージしておきます: Yuki NAKANISHI:イブン=アラビーも、とある著作を別の擬アリストテレス・アラビア語ヘルメス文書群にぞくする論考にもとづいて執筆しています。 Koji Yamashiro:その辺り yoohashi2011:たいへん触発されました。キリスト教護教論者ヒッポリュトス著とされる異端論駁Philosophumena がどのようにアラビア圏で読まれたか、その脱線の仕方を論じているようなものはありますか? Koji Yamashiro:体系的な研究が必要ですね Yuki NAKANISHI:必要です Yuki NAKANISHI:う、そのへんはぼくはわからないです>大橋さん Koji Yamashiro:偽ammoniusみたいなのがあります Koji Yamashiro:アラビア語の縮約みたいな Koji Yamashiro:今日はありがとうございました Yuki NAKANISHI:こちらこそ、ありがとうございました。勉強になりました! Hana T:ヘルメス=メルクリウス Koji Yamashiro:チャットばっかしてたけど Koji Yamashiro:対談も聞いてたので Hana T:黄金の夜明け=明けの明星=メルクリウス、水星。→キリスト
なんと!あの鏡リュウジさんにも、同時チャットに参加していただいて、「神回」となりました!ありがとうございました!
間違いなく傑作!!!
ヒライさんと中西さんの対談は回を追うごとに面白くなっていますね。特に今回は、更にその先を知りたいという想いを喚起する放送でした。
中西さんが後で公開したvan Bladel"Arabic Hermes"についてのブログはまだ全部読めていないのですが、文字数も凄いだけでなく、非常に丁寧に書かれているので、こちらもそれに合わせて時間をかけて丁寧に読むべきだと思っています。そのため、そのブログと矛盾するかもしれませんが、この対談に触発されて私が調べたことを交えてコメントします。私は主に一般読者に向けた本を読んだのだと思います。
私としては、イスラーム圏のヘルメスについては何も考えたことがなかったので今回の対談は新鮮でした。また調べていく過程で、ローマの大橋さんのブログに多くhitするのも、さすがと言うか、当然というか。
Jacob Slavenburg"Hermetic Link"のエノクの章によると、中西さんも言及しているように、イスラーム圏では技術的ヘルメス関連文書の方が好まれたようで、幸運の護符に関する魔術本、星辰界と天候、植物、色彩等との関係を扱う本も含む占星術文書、そして非常に多くの錬金術本があるらしい。現在知られている錬金術本だけに限っても、ヘルメスに帰せられている著作は2000冊以上とのこと。それらも含むヘルメス文書からの引用やヘルメスへの言及がある本は、さらに膨大らしい。
しかしながら、Francis E.Petersの'Hermes and Harran'("MAGIC AND DIVINATION IN EARLY ISLAM")によると、アブー・マーシャルやイブン・ワーシーヤのような若干のヘルメス信奉者は、ヒライさんが西洋の例で挙げていたように、自分達は再発見された古代の伝統の翻訳者や解釈者にすぎないと主張したり、また他には錬金術師ジャービル・イブン・ハイヤーンのような伝説の雲の中に隠れているのもの達がいたり、さらには純潔同胞団のように匿名で活動するものがいたりで、そのような煙幕のおかげで、イスラーム圏におけるヘルメス主義の歴史を書ける可能性は少ないとか。ヘルメスに関わる文書の数は多くても、何か口実をもうけないと必ずしも大っぴらにヘルメスへの信仰は公言出来なかったということなのだろう。
Petersは、イドリス-エノク複合体へのヘルメスの組み入れに際してサビアン教徒が何か役割を担ったとするならば、ジャーヒズやマーシャルがイドリス、エノクとヘルメスを同定する記述をした時代、アッバース朝カリフ・マームーンの治世の末期だったのではないかとも推測してようだけど、もしそうなら、ということだし(高橋英海氏は、ギリシア語からシリア語への翻訳センターとしてケンネシュレー修道院を強調するのだけど、ハッラーンでのそのような活動は否定しているのだろうか)。
petersによると、8世紀後半のイスラーム圏の学者達は、プラトンやアリストテレス(要約でなく)が翻訳される前、ペルシア、インド、ギリシアの天文学、占星術、医学、錬金術に既に精通していたらしい(ペルシア系の学者の関与を匂わせているような)。その後僅かの期間でプラトンやアリストテレスが、マームーンの庇護のもとに翻訳されたとも。マームーンと言えば、自らエジプトのピラミッドへ入ったカリフとしても名高いはず(伝説?)。Corpus Hermeticum はヘルメス・トリスメギストス(マーシャルの挙げる3人のヘルメスのうち第3のヘルメス)に帰せられていし、何かエジプトと縁の深そうなカリフのような(預言者イドリス-エノクと結びつけられたのは、第1のヘルメス)。
もう1つのサビアン教徒、湿地のそれの研究の重要性にも言及していたな。
異なる文化が交流し変容していく様は本当に興味深いですね。
prisca theologia(古代神学)は、イスラーム圏でそれに対応しているのはhanif(ハニーフ)と言うらしい。
Holy People of the Worldという百科事典のIdrisの項に、ヘルメス主義の影響を受けた人物としてスフラワルディのhanif(ヘルメス主義の系譜 = hakim al-’atiqa〈古代の叡知〉)が言及されていました。そこに含まれるのは、ヘルメス、ピタゴラス、プラトン、エンペドクレス、そしてスーフィーでは、 Dhu’l Nun al-Misri (796-859)、 Sahl al-Tustari (818-896)、Husayn b. Mansur al-Hallaj (858-922)(他の本では、アガトダイモーンを加えているものも)。
スフラワルディの弟子シャフラズリShahrazuriが、イドリスはイスラーム以前のハニーフの一神教を樹立したと言ったとも。さらに、スフラワルディのこの範例を、フィチーノがprisca theologiaとして踏襲したとも(reiterateなので、因果関係なしに、ただ同じようなことをしたという意味なのだろうけど)。
スフラワルディは、prisca theologiaというよりprisca philosophiaを持っていたという本もあったような。それは Perennial Philosophyと同じものなのだろうか。もしそうなら、ヒライさんがこの放送の後でステウコに言及していたと思うけど、そちらとも繋がるものなのだろうか。
今回の放送はまだまだ面白いトピックに繋がる放送でした。感謝。
ありがとうございます!テーマが多岐にわたるので、すぐに反応できるかぎりでお答えします。
まずアッバース朝下の翻訳運動についてですが、ペルシア系の学者の関与はあったということだったと思います。実際の翻訳活動に従事していたかどうかは、私も正確には覚えていないんですが、そもそもの前提として、初期のアッバース朝はササン朝の後継国家として自らを内外に示したいという動機がありました。ご存知かもしれませんが、彼らはササン朝由来の王朝占星術(っていうんでしたっけ?普遍史とも係るやつです)を取り入れました(その一方で大きな数字の計算を行うインド占星術も受容します)。実際、アッバース朝宮廷で活動した占星術師のなかには中期ペルシア語ができたと考えられる人も何人かいますし、有名な「知恵の館」はササン朝の歴史・文化全般を対象とした中期ペルシア語文献を保存し、部分的にアラビア語に翻訳するための国家機関として設立された、というのが現在では定説なんじゃないかな。このへんについては van Bladel 以外にも、三村さんや Gutas も書いています。天体の運行モデルを記述しようとするギリシアの天文学・占星術(特に『アルマゲスト』)が注目されだすのはそれより後で、この段階を経由して、ギリシア諸科学のもつ高度な「論証性」に注目が集まり、論証に係るかぎりで哲学への需要も高まって、アリストテレスの諸著作が翻訳されるという流れです。
次に古代神学についてでですが、たしかにハニーフ(ハーニフではありません)はそういった文脈で用いられることの多い単語ではありますが、対談でも話しましたとおり、イスラム教自体が一種の古代神学的なパースペクティヴを持っているんです。ハニーフは「真正な一神教徒」が原義ですが、逆に「イスラム教徒」(muslim)が「真正な一神教徒」の意味で用いられる事例もあります。例えばムスリム・イブン=ハッジャージという 9 世紀のハディース学者が編んだ権威的な真正ハディース集には、アブラハムとサラがイスラム教徒として描かれる場面があります(「また私はこの地上で私とあなた以外にムスリムを知りません」www.muslim.or.jp/hadith/vol3-361.html )。スフラワルディー(スフ「ワ」ワルディーではありません)は、たしかにこの種の議論を残したイスラム教徒の学者のなかでは早い時期に属すのかもしれません。
いつもながら丁寧な返信、ありがとうございます。勉強になります。
スフラワルディ、確かに変換時にスフワワルディになっていたんですね。スマホだと画面が見にくくて、変換間違いを見逃していました。訂正しました。ありがとうございます。
ハニーフは、私の見間違いでした。すみません。いろんなことが集中していた時期だったので、ばたばたしていてポカをやってしまいました。これも訂正しました。私の馬鹿さ加減をさらしておくのもいいかと思ったのですが、でもやはり、より正確なものを提供した方が一般視聴者が読む場合より正確な方がいいだろうと考えました。
Mushaf as-suwarに載ってる図でみました。この図はKitab al-Aqalim as-saba’a という別書のものだそうですが、さて質問。前者Mushafは日本語表題としてどう訳出したらよいでしょう?ご教授ください。
情報ありがとうございます!確認がとれました。写本挿絵の出典は、13 世紀半ばに活躍した錬金術師イラーキーによる Kitāb al-aqālīm as-sabʿa(『7 つの気候帯の書』)ですね。ザッと調べたかぎりでは、キング・サウード大学写本 3167 に同一の挿絵が見られますが(フォリオ番号は数え方がわからないけど、12v くらい?)、先行研究で挙げられていない写本なので、素性はよくわかりません。Muṣḥaf aṣ-ṣuwar はゾシモスですね?英語では Book of Pictures と訳されるようですが、この「ムスハフ」という語自体は「冊子」のような意味です。単体で使われると、コーラン(天にある原型のほうではなく、人間が手にしている個々の写し)のことを指したりもします。
Th. AbtのMushaf刊本によると、この図はご指摘のイラーキーの著作の十八世紀写本のfol.17bになってます。それにしても、この図じゃない方のMushaf as-suwarは英訳に準じて「ゾシモス図解の書」みたいに訳していいものですか。それとも「スーラ小冊」みたいに字義通り(?)に置いておくべきものでしょうか?
@@yoohashi2011 おお、18 世紀の写本ですか。新しいものなんですね。直感的には図解の書で問題ないと思いますが、ゾシモスの本が図解に主眼をおいたものでなかったりするならば、suwar の訳出の仕方を少し変える余地はあるかもしれません。いずれにしても、スーラ小冊よりは良いように思います。
動画では収録されない同時チャットの最後の部分をサルベージしておきます:
Yuki NAKANISHI:イブン=アラビーも、とある著作を別の擬アリストテレス・アラビア語ヘルメス文書群にぞくする論考にもとづいて執筆しています。
Koji Yamashiro:その辺り
yoohashi2011:たいへん触発されました。キリスト教護教論者ヒッポリュトス著とされる異端論駁Philosophumena がどのようにアラビア圏で読まれたか、その脱線の仕方を論じているようなものはありますか?
Koji Yamashiro:体系的な研究が必要ですね
Yuki NAKANISHI:必要です
Yuki NAKANISHI:う、そのへんはぼくはわからないです>大橋さん
Koji Yamashiro:偽ammoniusみたいなのがあります
Koji Yamashiro:アラビア語の縮約みたいな
Koji Yamashiro:今日はありがとうございました
Yuki NAKANISHI:こちらこそ、ありがとうございました。勉強になりました!
Hana T:ヘルメス=メルクリウス
Koji Yamashiro:チャットばっかしてたけど
Koji Yamashiro:対談も聞いてたので
Hana T:黄金の夜明け=明けの明星=メルクリウス、水星。→キリスト
個人的に重要な点なんですが、特に 40:10 以降の「ヘルメスに帰される教義」についての議論では次のようなことを念頭に置いていました。ヒライさんにとっては「雑多」なものなんでしょうけど、ぼく個人の研究にとっては技術的ヘルメス関連文書のほうが大切なんです。特に擬アリストテレス・ヘルメス関連文書(Ps.-Aristotelian Hermetica)という一群のテクストがあります。9 世紀頃にハッラーンのサービア教徒周辺で編まれたとか、いや、そうじゃないとか言われている星辰魔術の文書群で、アリストテレスが教え子のアレクサンドロス大王にヘルメスの叡智を参照して、君主としてのあるべき姿を説くというスタイルになっているんですが、これらの一部は純潔同胞団の『書簡集』やクルトゥビーの『賢者の目標』(『ピカトリクス』のアラビア語オリジナル)でも利用され、照明哲学者スフラワルディーにまで引用されていきます。イブン=アラビーも、とある著作を擬アリストテレス・ヘルメス関連文書群にぞくする論考にもとづいて執筆しています。こういう星辰魔術の系譜(そこには教義的統一性は必ずしもないのかもしれませんが)がイスラム教周辺で、とりわけ自分の専門とする 13 世紀以降にどう影響を与えていったのかは、調べてみたいところです。
それから、これも非常に大切な点なので断っておきますが:対談中では Arabic Hermetica(アラビア語ヘルメス関連文書)のことを「アラビア語ヘルメス文書」と呼んでしまっています。ヒライさんも即座に指摘しているとおり、これは学術レベルでは不適切な言い回しになります(少なくとも慣行には反する)。「ヘルメス文書」と「ヘルメス関連文書」の関係は、上の動画説明欄にある私の補足記事の §0(イントロ)で説明されています。あわせてご覧ください!