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面白いですねぇ。歴史に思いを馳せると、普段、何気なく暮らしているその土地にも、愛着や趣が感じられます。
1:42 今の阪急梅田本店の一階真横のあの広い歩道に駅があったんですよね、多分。
10年前に85歳で亡くなった母が10歳の時の長屋の実家付近が確認できました。この付近の小学校や中学校にこの二十年後に私が通いました。ところで民家はほとんどが長屋(数軒が長い平屋に壁を隔てて居住)であることが確認できました。莫大な軒数です。そして富裕層は高台に一軒家を建てて住んでいたことが如実に分かります。後年、学校ではこれらの事をあえて説明していなかったと思います。今日初めて知った情報です。ありがとうございました。
4:22 アサヒビールは近くに湧水があったから、だったと聞きました。
ラウンドアバウトが今里に昭和初期にあったとは😮
素晴らしい動画ですね。こんなに田畑があっても、戦時中は食料難だったんですね。
新旧の生駒トンネルの話がほしかった。
参考に教えていただきたいのですが、左の昭和10年代の航空写真をGoogle Earthに落とし込むにはどうのような設定が必要ですか?
ご視聴ありがとうございます。地理院が公開する航空写真のKMLファイルをDLしてGoogle Earthで開けば、ご覧いただけます。
10年近く前に聞いた話なので、詳しくは覚えていませんが、枚方市〜寝屋川市(御殿山駅〜萱島駅)は火薬工場が点在していたと聞きました。特に枚方市駅周辺は爆弾の製造だったはずです。光善寺駅周辺には火薬庫と飛行機関連の工場があったはずです。高架化前後の京阪線が見られますね。私は詳しくありませんが、高架化前の京橋駅が見れますね
京阪本線、萱島駅のホームから屋根を貫く、地元の萱島神社⛩️の御神木であるクスノキ(樹齢700年)。画面上では、駅の屋根に黒っぽい点のように写りこんでいます…。
昭和10年だと阪急京都線は存在せず新京阪電鉄です。淡路ー十三間に線路が無いのですが全く説明がなくて残念です。
木造建築物が整然と並べてあるなあ、昔
京阪京橋〜守口市の間は昭和7,8年ごろに新路線に移設・高架化されたんですが、旧路線跡がはっきり確認できます。
このときに、もっと計画的な鉄道網を構築しとけば良かったのに。
今ってそんな粗末ですか?
お粗末というものではありませんが、戦前までであれば比較的速やかに敷設されたであろうものが戦後では許認可が降りづらくなり計画段階のまま遅々として敷設されぬものが余りにも多いものと感じます。そういう意味では戦前の内に敷き詰めておけば良かったのにとは思います。そうすれば新幹線の大阪側も、もしかしたら大阪駅附近に作っていたでしょうしね。(淀川を二回通るという面倒がありますが、それでも尚やっていたとは思います)
黒塗りは基本的に火薬庫と燃料、少量の武器と糧食が保管してありました、
面白いですねぇ。歴史に思いを馳せると、普段、何気なく暮らしているその土地にも、愛着や趣が感じられます。
1:42 今の阪急梅田本店の一階真横のあの広い歩道に駅があったんですよね、多分。
10年前に85歳で亡くなった母が10歳の時の長屋の実家付近が確認できました。この付近の小学校や中学校にこの二十年後に私が通いました。
ところで民家はほとんどが長屋(数軒が長い平屋に壁を隔てて居住)であることが確認できました。莫大な軒数です。そして富裕層は高台に一軒家を建てて住んでいたことが如実に分かります。後年、学校ではこれらの事をあえて説明していなかったと思います。
今日初めて知った情報です。ありがとうございました。
4:22 アサヒビールは近くに湧水があったから、だったと聞きました。
ラウンドアバウトが今里に昭和初期にあったとは😮
素晴らしい動画ですね。こんなに田畑があっても、戦時中は食料難だったんですね。
新旧の生駒トンネルの話がほしかった。
参考に教えていただきたいのですが、左の昭和10年代の航空写真をGoogle Earthに落とし込むにはどうのような設定が必要ですか?
ご視聴ありがとうございます。地理院が公開する航空写真のKMLファイルをDLしてGoogle Earthで開けば、ご覧いただけます。
10年近く前に聞いた話なので、詳しくは覚えていませんが、枚方市〜寝屋川市(御殿山駅〜萱島駅)は火薬工場が点在していたと聞きました。
特に枚方市駅周辺は爆弾の製造だったはずです。光善寺駅周辺には火薬庫と飛行機関連の工場があったはずです。
高架化前後の京阪線が見られますね。私は詳しくありませんが、高架化前の京橋駅が見れますね
京阪本線、萱島駅のホームから屋根を貫く、地元の萱島神社⛩️の御神木であるクスノキ(樹齢700年)。
画面上では、駅の屋根に黒っぽい点のように写りこんでいます…。
昭和10年だと阪急京都線は存在せず新京阪電鉄です。
淡路ー十三間に線路が無いのですが全く説明がなくて残念です。
木造建築物が整然と並べてあるなあ、昔
京阪京橋〜守口市の間は昭和7,8年ごろに新路線に移設・高架化されたんですが、旧路線跡がはっきり確認できます。
このときに、もっと計画的な鉄道網を構築しとけば良かったのに。
今ってそんな粗末ですか?
お粗末というものではありませんが、戦前までであれば比較的速やかに敷設されたであろうものが戦後では許認可が降りづらくなり計画段階のまま遅々として敷設されぬものが余りにも多いものと感じます。そういう意味では戦前の内に敷き詰めておけば良かったのにとは思います。そうすれば新幹線の大阪側も、もしかしたら大阪駅附近に作っていたでしょうしね。(淀川を二回通るという面倒がありますが、それでも尚やっていたとは思います)
黒塗りは基本的に火薬庫と燃料、少量の武器と糧食が保管してありました、