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▼チャプター00:00 イントロ00:24 戦争02:42 インテリのじゃれあいが今の言論05:55 4つの思想を使い分けると賢そうに見える▼チャンネル登録お願いしますbit.ly/3gEC5Ukご視聴ありがとうございます。チャンネル登録・高評価よろしくお願いします!
ひろゆきさんはアベマに出てる時はあんま面白くないです。ひろゆきでもよそゆきになってしまうのか。あの人は一般人の特にネジのぶっ飛んだ人の質問に答えてる時が本領発揮するというか、そっちが好みなんでしょう
ポジショントークしたがるのでめちゃくちゃ分かります。結局ポジション決めると、そのポジションの急所が明確化するので急所突きしてる奴が賢そうに見えるという作法ですね。
自由主義は勝った者がずっと総取りですな
実は国家体制に選択の余地がない。国家は公平に全員を包み込む必要があるが、資本主義は有るものが勝つ。常に不公平な勝負を強いる体制だ。国家や国民に必要なのは資本システムであって資本主義ではない。国家や国民に必要なのは民意と保護であり国民主権の民主主義ではない。つまり国家体制のベースとなるのは社会主義であり、国家体制を腐敗をさせないための絶対権力としての王制だ。つまり王制社会主義体制が行き着く先となる。
すまん。考えていることは面白いと思ったんだけど、王政社会主義って北朝鮮と何が違うんや?権力を集中することが腐敗に繋がることは明らかやろ。社会主義も王政も権力が集中するシステムで行き着く先は個人崇拝にしかならんと思う。それは民意と保護からは程遠いものやん。とはいえ現在の民主主義と資本主義が正解とは思わんが…
大事なことをいい忘れたが、全ての根幹に「正しく楽しく稼ぎ、使う。という事を意識している。現在の相手を陥れたり出し抜いたりして、イカサマにまみれて稼いだ金をコソコソと非難を恐れて使う。」現在からの切り替えを掲げている。
じゃんけんすごくわかる。私が思ってることを言語化してる。ハリウッド映画、海外ドラマのように、登場人物が異常なほど早い会話をするシーンを想像するとわかります。日本人は会話が異常なほど遅いんです。映画、ドラマの会話は自然な速度よりもかなり早いです。日本人もこれやると頭の回転が速くなります。 外国人が会話する時に議論を吹っ掛けるような、速い会話をしますが、あれが普通だと思った方がいいです。普通とは、あの速度に自然となってしまうのが本来の思考速度であるということ、議論で言い負かすように言い合うのが、じゃんけんのようにこう言われたからこう言い返すと確実に相手を黙らせられるから言います。で、学者などの議論というものは、思想があってこの思想に完全につじつまが合った発言しかしないように努力しているのです。イマニュエル・カントは理神論と聞いたことがあります。だったら理神論に完璧につじつまが合ったことを言わなければならないのがアカデミックなほうでしょう。 そういうつじつま合わせはできないので、こういわれたらこう言い返すと相手は黙るだろう、ってことで自由に言い返すのが、普通の人の会話です。日本人はこれをしないようにがんばっていて、そうやってがんばればがんばるほど会話自体ができないのです。残念ながら行動で示すのはたいして理解させられない。本当にそうか知りたかったら、自分は思ったことを言葉にせずに行動で示していますが、他人がそうしたらあなたは確実に見抜けるかということです。わからないから相手が何がしたいのかってかならずツッコむはずです。エンタメのノリで。つまり議論できない。 映画を見て居ると当たり前に、こういわれたからこういい返して相手を黙らせます。相手が思いつかなくなるまで言った方が勝ちなのです。これがない日本が非常識と思った方がいいです。なぜなら、日本人のように理屈を破壊する人でも、ちゃんと説明できるはずだけど、日本人はしないだけだからです。今私は音楽関係の本を読んでいますが、完璧な理屈なんて書いていない。芸術に親しむ人に、哲学者のような整合性はない。でも、感覚を理解する人の範囲内ですごく細かく言語化しています。著者があまり気づかない事とか、知らないことは対して書いておらず、知っていることはすごく細かく書いて、ギャップが激しいのです。日本人もこうならなければおかしいので、日本人の方が非常識なのです。 議論フレーバーになるのは当然で、日本人は議論の方法を学んだわけではない。外国人は学んでいます。しかし、その心はどちらも完璧な理屈ができる機械ではない。人間が完璧な客観性と心を排除した合理性はできません。合理的なら拷問レベルの苦痛を与えていても「これが正解ですから、このくらいの力であなたの骨を締め付けています」というだけです。人間がかなり客観的に考えても、他人であろうと拷問を放置はしないでしょう。どんなに無感情、冷酷非情に感がている人でも、普通は毎日拷問を見て居れば涙が出始めるでしょう。 完璧な理屈を言える人なんていなくて結局AIに負けていますので、フレーバーになるのは当たり前です。人間同士が議論するとはそういうものだということです。人間はすべてを知ることはできないとわかっていて研究などをします。日本みたいに完璧を目指して団結して根性で肉体労働などという無駄な事はしないのです。 岡田さんは分類が上手です。この分類で人は議論をしてフレーバーをかもしだし、だいたいの理解で、なんとなく忠一歩善いことを言っています。言葉をどんなに客観的にしたところで、冷酷非情にしかならず、それしかできないはずです。だからすべての言葉に愛情をふくめることを一瞬でも忘れてはならない。愛情を含めるのを忘れた部分だけ合理的で冷酷非情になります。不完全な事を言うのが普通です。 そして、そんな状態で人が議論フレーバーをトッピングする理由は、おそらく学校で得た知識を今も使っているかどうかでしょう。最近数学などを学び始めて気づきました。急に大人の嘘っぱちが見えてくるのです。 大人は悪気があってウソをつくのではありません。悪気があるのはマスメディアの連中です(笑)ほとんどの大人は学校で習ったことをいつまでも正確に覚えていられないから、だいたいでしか言わない。それだけのことです。世界中が完全に客観的で正確な事が言えるときがくると誤解しているのです。しかし、論理が勝手に愛情を示してくれるというのは思い込みだと数学者が気づくのは何たる皮肉でしょうか。
▼チャプター
00:00 イントロ
00:24 戦争
02:42 インテリのじゃれあいが今の言論
05:55 4つの思想を使い分けると賢そうに見える
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ご視聴ありがとうございます。
チャンネル登録・高評価よろしくお願いします!
ひろゆきさんはアベマに出てる時はあんま面白くないです。ひろゆきでもよそゆきになってしまうのか。
あの人は一般人の特にネジのぶっ飛んだ人の質問に答えてる時が本領発揮するというか、そっちが好みなんでしょう
ポジショントークしたがるのでめちゃくちゃ分かります。
結局ポジション決めると、そのポジションの急所が明確化するので急所突きしてる奴が賢そうに見えるという作法ですね。
自由主義は勝った者がずっと総取りですな
実は国家体制に選択の余地がない。国家は公平に全員を包み込む必要があるが、
資本主義は有るものが勝つ。常に不公平な勝負を強いる体制だ。
国家や国民に必要なのは資本システムであって資本主義ではない。
国家や国民に必要なのは民意と保護であり国民主権の民主主義ではない。
つまり国家体制のベースとなるのは社会主義であり、
国家体制を腐敗をさせないための絶対権力としての王制だ。つまり王制社会主義体制が行き着く先となる。
すまん。
考えていることは面白いと思ったんだけど、王政社会主義って北朝鮮と何が違うんや?
権力を集中することが腐敗に繋がることは明らかやろ。
社会主義も王政も権力が集中するシステムで行き着く先は個人崇拝にしかならんと思う。それは民意と保護からは程遠いものやん。
とはいえ現在の民主主義と資本主義が正解とは思わんが…
大事なことをいい忘れたが、全ての根幹に「正しく楽しく稼ぎ、使う。という事を意識している。現在の相手を陥れたり出し抜いたりして、イカサマにまみれて稼いだ金をコソコソと非難を恐れて使う。」現在からの切り替えを掲げている。
じゃんけんすごくわかる。私が思ってることを言語化してる。
ハリウッド映画、海外ドラマのように、登場人物が異常なほど早い会話をするシーンを想像するとわかります。日本人は会話が異常なほど遅いんです。映画、ドラマの会話は自然な速度よりもかなり早いです。日本人もこれやると頭の回転が速くなります。
外国人が会話する時に議論を吹っ掛けるような、速い会話をしますが、あれが普通だと思った方がいいです。普通とは、あの速度に自然となってしまうのが本来の思考速度であるということ、議論で言い負かすように言い合うのが、じゃんけんのようにこう言われたからこう言い返すと確実に相手を黙らせられるから言います。で、学者などの議論というものは、思想があってこの思想に完全につじつまが合った発言しかしないように努力しているのです。イマニュエル・カントは理神論と聞いたことがあります。だったら理神論に完璧につじつまが合ったことを言わなければならないのがアカデミックなほうでしょう。
そういうつじつま合わせはできないので、こういわれたらこう言い返すと相手は黙るだろう、ってことで自由に言い返すのが、普通の人の会話です。日本人はこれをしないようにがんばっていて、そうやってがんばればがんばるほど会話自体ができないのです。残念ながら行動で示すのはたいして理解させられない。本当にそうか知りたかったら、自分は思ったことを言葉にせずに行動で示していますが、他人がそうしたらあなたは確実に見抜けるかということです。わからないから相手が何がしたいのかってかならずツッコむはずです。エンタメのノリで。つまり議論できない。
映画を見て居ると当たり前に、こういわれたからこういい返して相手を黙らせます。相手が思いつかなくなるまで言った方が勝ちなのです。これがない日本が非常識と思った方がいいです。なぜなら、日本人のように理屈を破壊する人でも、ちゃんと説明できるはずだけど、日本人はしないだけだからです。今私は音楽関係の本を読んでいますが、完璧な理屈なんて書いていない。芸術に親しむ人に、哲学者のような整合性はない。でも、感覚を理解する人の範囲内ですごく細かく言語化しています。著者があまり気づかない事とか、知らないことは対して書いておらず、知っていることはすごく細かく書いて、ギャップが激しいのです。日本人もこうならなければおかしいので、日本人の方が非常識なのです。
議論フレーバーになるのは当然で、日本人は議論の方法を学んだわけではない。外国人は学んでいます。しかし、その心はどちらも完璧な理屈ができる機械ではない。人間が完璧な客観性と心を排除した合理性はできません。合理的なら拷問レベルの苦痛を与えていても「これが正解ですから、このくらいの力であなたの骨を締め付けています」というだけです。人間がかなり客観的に考えても、他人であろうと拷問を放置はしないでしょう。どんなに無感情、冷酷非情に感がている人でも、普通は毎日拷問を見て居れば涙が出始めるでしょう。
完璧な理屈を言える人なんていなくて結局AIに負けていますので、フレーバーになるのは当たり前です。人間同士が議論するとはそういうものだということです。人間はすべてを知ることはできないとわかっていて研究などをします。日本みたいに完璧を目指して団結して根性で肉体労働などという無駄な事はしないのです。
岡田さんは分類が上手です。この分類で人は議論をしてフレーバーをかもしだし、だいたいの理解で、なんとなく忠一歩善いことを言っています。言葉をどんなに客観的にしたところで、冷酷非情にしかならず、それしかできないはずです。だからすべての言葉に愛情をふくめることを一瞬でも忘れてはならない。愛情を含めるのを忘れた部分だけ合理的で冷酷非情になります。不完全な事を言うのが普通です。
そして、そんな状態で人が議論フレーバーをトッピングする理由は、おそらく学校で得た知識を今も使っているかどうかでしょう。最近数学などを学び始めて気づきました。急に大人の嘘っぱちが見えてくるのです。
大人は悪気があってウソをつくのではありません。悪気があるのはマスメディアの連中です(笑)ほとんどの大人は学校で習ったことをいつまでも正確に覚えていられないから、だいたいでしか言わない。それだけのことです。世界中が完全に客観的で正確な事が言えるときがくると誤解しているのです。しかし、論理が勝手に愛情を示してくれるというのは思い込みだと数学者が気づくのは何たる皮肉でしょうか。