【大阪駅】寝台特急「日本海モトとレール」「スーパー雷鳥」(95年7月)
Вставка
- Опубліковано 21 жов 2024
- 95年7月、寝台特急「日本海1.4号」にマニ50を連結し、バイクと共に旅が出来た時代。大阪駅到着後は、国鉄仕様のブルートレイン方向幕が回転します。日本海は真ん中の為、半分しか見られませんが、「みずほ」「出羽」など懐かしの全国ブルトレ幕が入っていました。
「北近畿5号」の後部には「エーデル丹後」がぶら下がっています。
「スーパー雷鳥」も方向幕、ヘッドマークの回転が見られます。
車内放送は「鉄道サウンド広場」(本館)で多数公開中!
homepage3.nifty...
90年代初めはまだ、国鉄とJR双方の良さが混在し、汽車旅も楽しかったです。今思うと、ブルトレ(20系もまだ臨時で活躍していました)にもう少し乗っておきたかったですね。
1995年…。ちょうど自分が7歳ぐらいの頃…。福井の祖父母の家に行くのにここから雷鳥に乗って行ってたのが懐かしいです😃 当時は雷鳥でもボンネットタイプに当たることが多かったので何気に今回もボンネットが来るのかな?みたいな気持ちで居たのも懐かしいです😃
幕回しも含め、貴重な映像UPを有難うございます。
懐かしく拝見致しました(^-^)
青函トンネルが開通した年に、八甲田で青森に行き、夏だけ運航したリバイバル青函連絡船に乗りました。その際、八甲田の機関車の次の車両がたしか14系の寝台車両、最後尾に荷物者がついてたと記憶してます。モトトレインで、私は2号車に乗車してて、14系の簡易リクライニングシートに悪戦苦闘して、眠れないまま、気分転換に寝台車両に行きましたが、あっちの快適さと言ったら…
懐かしいですね。
いいなぁ
Moto & Rail🏍️🚋
この頃の鉄道旅行が懐かしいです。
俺ももう少し早く単車の免許を取得していれば、臨時の八甲田で青森を目指していました。
バイク免許の取得可能条件を満たしていましたが、見送りました。
今は雷鳥ではなくサンダーバードですよね?
スーパー雷鳥は1往復を除いて途中停車駅を富山-高岡-金沢-福井-京都-新大阪-大阪と非常に絞った速達でした。当時の平均(表定)速度102Kmは在来トップクラスでした。新幹線連絡の金沢-長岡間の「かがやき」も金沢-高岡-富山-直江津-長岡という速達で2台巨頭でした。
スーパー雷鳥は1往復神戸まで運転されていましたし、多客時には長野や宇奈月温泉などへも延長運転されていましたね。「かがやき」ではありませんが、「きらめき」編成は城崎までの臨時急行「城崎カニスキ号」で運行されたこともあります。
特急の後ろに、白い車両が(# ゜Д゜)
寝台特急「日本海モトとレール」を連結したのですか?
何故、寝台特急「日本海1.4号」にマニ50を連結したのですか?
国鉄時代、フェリーのように列車に乗用車も一緒に載せる「カートレイン」やオートバイを乗せる「MOTOトレイン」なるものがいくつか存在していました。前者は単独運転で、旧汐留貨物駅や名古屋から東小倉へ。後者は、「日本海」「八甲田」に連結される形で大阪、上野~函館へ運行されていました。
でもさ!良く考えたら自転車🚲️やバイク🏍️や車🚙!って貨車荷物扱いで更に夜行寝台との連結運転だったよね。貨物列車は丑三つ時でも走るんだから時期を見直してもう一度利用を兼ねて連結して走らせても良いと思うのは気のせいかな?特に北海道の春🌸から秋🍁のシーズン辺りは。
「……長らくのご乗車、お疲れさまでした……」
というアナウンスが放送されるから、疲れてしまうよ。