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MZ80K、MZ80BやMZ2000のデザインは超絶かっこいいと思う。今見ても未来を感じる素晴らしいデザイン。
MZ-2000は初めて手にしたパソコンです。中学生の時に、友達の親が会社でもらったけ使わないからと横流しで2000円で買いました。気が付けば、現在はシステム開発の職に就いています。いまだからこそ、当時のプログラマーたちの凄さが分かります。当時ハマったのはプラズマラインですが、8bit/4MHzのZ80でどうやったらあんな事ができるのやら。ベーマガ買ってソース打ち込んで改造して・・・MZ-2000と出会って、立派なIT土方になってしまった(笑
初めてローンして買ったPCがMZ-2000でした。BASICマガジンのゲームを機械語の16進プログラムを手打ちして徹夜したことを覚えています。グリーンディスプレイを長く見たので、その後の世界がピンク色になったことが印象に残っています。大学時代のいい思い出です。
昔はどうしてこんなに時間があったのだろうと思うくらいずっと打ち込んでましたね。やりたいゲームほどRUNしても動かず、また最初から全て見直しても間違いがなく、翌月号で印刷間違いの訂正が出るまでゲームができずっと我慢していた思い出。8とBを間違えたりwww
文珍師匠の愛機として有名でしたね、MZ-2000は。そもそも、MZ-5500を早期に諦めてしまったのが大間違いだったと思いますね。MZはメインを16bitに移しつつ、MZ-2000と後継機を固定ファン相手に売るくらいでちょうどよかったと思います。
ソフト制御でボーレートが倍速位にはスピードアップができましたね。モニタまでIPLで読ませて、その後ボーレートを挙げてBASICを読み込ませるテクニックがありました。当時、キャリーラボからJELDAが出たときは衝撃を受けたなあ。テープをロード中に疑似三重和音で音を鳴らしながらテキスト(ローマ字だったけど)を出力をしてた。(ような気がする)
当時二十万円っていうことは今の感覚で言うと40~50万円くらいですかね。親からパソコンを買ってもらったという御仁もいたそうですがうらやましい限り…MZ-2000はワイヤーフレームでブラックホールを描画した絵が心に残っています。
ドットじゃなかったっけ?確か線で繋がっていなかった気がします。私は当時親からmz-2000を買ってもらいましたが、本当はX1が欲しかった(笑)いつも使っているものにしろと言われたのでしぶしぶ従いましたが、新しい物好きの親なのでスーパーインポーズやビデオ編集ができると言いくるめられる能力が、当時中一の私にはなかった...そう言えば、だいぶ年が離れ別居していた兄もmz-2000を買っていて笑いました。
実のところ数年前までMZ-2000はモノクロでもグラフィックRAMが1枚標準装備だと思ってた時期がありまして、全部オプションだったことに驚きました。あと拡張ボードのサイズも変わりましたよね。SHARPはもう少しPSG等の音源ボードを出していればとも思ってます。(当時ハイエンドホビー機を謳うのであれば)
私も80B、2000、x1turbo、X68000ユーザーのシャープユーザーでしたが、大学生になると98ユーザーでしたね。勉強上98を使うのは必須だったのですが、個人的には68はよかったのですが、MZ2500の6Mhzモードは魅力的だったです。16ビットへの移行の取り残された機種であると思うのですが、MZ-5500やMZ6500など16ビットビジネスへの移動も遅れてしまった原因のような気がします。今でも2500の6Mhzで作ったらいいソフトできるのかなあ。
当時若手だった桂文珍さんが、本当は2000が欲しかったけど高くて1200を買ったと言われてましたね。私が中1の頃、親の理解なんてない時代なので貯金をはたいて都内に友人に運ぶのを手伝ってもらいつつ1200を買って来ました(本当はcかk2/eが欲しかった。cはなぜか値下げが余りされてなくて、秋葉で26万いくらの定価の値札が付いて売られてたのを見ました)。ナイコン族の頃に2000はもっぱらデパートのパソコン売り場で(基本MZは空いてる)いじってましたね。パッケージゲームもいくつか買いました。本体持ってないのに。。今もカセットだけあります。。
キャリーラボの波形合成三重和音懐かしい。時分割とは訳が違う
多分MAPPYで屋敷に置いてあるPCが、mz-2000ですよね。
自分史上最高の筐体デザイン。
キャリーラボが頑張ってましたね。ハドソンも。サウンドが単音だったのとパレットが無かったのが残念でした。動画のファルコンアドベンチャーやアンダーグラウンドシティってソフトバンクのシルバーボールソフトウェアってブランドのゲームでしたよね。孫さんが米国大学留学時代に大学最寄りの買収した有名ゲーセンの名前がシルバーボールガーデンだったのと関係あるのかな。いやシルバーボールってピンボール関連でよく使われるワードなんだけど。MZ-5500はもったいなかったですね。せっかくPSGが載った安価な8086機。8MHz機も出せばよかったのに。
パレットはありましたよ。全ての文字が変わってしまうけど(笑)mz系はどちらかというと700の方が頑張っていた気もしますね。1500でQD使えるようになりましたし。2000はちょっと中途半端な気がします。2500は良かったんですが出すのが遅すぎたかな。最初からテレビ事業部がパソコンをやっていたらどうなっていたのかな。
同じ社内でMZとX1を出す愚かさよ最後は全滅
MZ80K、MZ80BやMZ2000のデザインは超絶かっこいいと思う。
今見ても未来を感じる素晴らしいデザイン。
MZ-2000は初めて手にしたパソコンです。
中学生の時に、友達の親が会社でもらったけ使わないからと横流しで2000円で買いました。
気が付けば、現在はシステム開発の職に就いています。
いまだからこそ、当時のプログラマーたちの凄さが分かります。
当時ハマったのはプラズマラインですが、8bit/4MHzのZ80でどうやったらあんな事ができるのやら。
ベーマガ買ってソース打ち込んで改造して・・・MZ-2000と出会って、立派なIT土方になってしまった(笑
初めてローンして買ったPCがMZ-2000でした。BASICマガジンのゲームを機械語の16進プログラムを手打ちして徹夜したことを覚えています。グリーンディスプレイを長く見たので、その後の世界がピンク色になったことが印象に残っています。大学時代のいい思い出です。
昔はどうしてこんなに時間があったのだろうと思うくらいずっと打ち込んでましたね。
やりたいゲームほどRUNしても動かず、また最初から全て見直しても間違いがなく、
翌月号で印刷間違いの訂正が出るまでゲームができずっと我慢していた思い出。
8とBを間違えたりwww
文珍師匠の愛機として有名でしたね、MZ-2000は。そもそも、MZ-5500を早期に諦めてしまったのが大間違いだったと思いますね。MZはメインを16bitに移しつつ、MZ-2000と後継機を固定ファン相手に売るくらいでちょうどよかったと思います。
ソフト制御でボーレートが倍速位にはスピードアップができましたね。
モニタまでIPLで読ませて、その後ボーレートを挙げてBASICを読み込ませるテクニックがありました。
当時、キャリーラボからJELDAが出たときは衝撃を受けたなあ。
テープをロード中に疑似三重和音で音を鳴らしながらテキスト(ローマ字だったけど)を出力をしてた。(ような気がする)
当時二十万円っていうことは今の感覚で言うと40~50万円くらいですかね。
親からパソコンを買ってもらったという御仁もいたそうですがうらやましい限り…
MZ-2000はワイヤーフレームでブラックホールを描画した絵が心に残っています。
ドットじゃなかったっけ?確か線で繋がっていなかった気がします。
私は当時親からmz-2000を買ってもらいましたが、本当はX1が欲しかった(笑)
いつも使っているものにしろと言われたのでしぶしぶ従いましたが、新しい物好きの親なのでスーパーインポーズやビデオ編集ができると言いくるめられる能力が、当時中一の私にはなかった...
そう言えば、だいぶ年が離れ別居していた兄もmz-2000を買っていて笑いました。
実のところ数年前までMZ-2000はモノクロでもグラフィックRAMが1枚標準装備だと思ってた時期がありまして、全部オプションだったことに驚きました。あと拡張ボードのサイズも変わりましたよね。SHARPはもう少しPSG等の音源ボードを出していればとも思ってます。(当時ハイエンドホビー機を謳うのであれば)
私も80B、2000、x1turbo、X68000ユーザーのシャープユーザーでしたが、大学生になると98ユーザーでしたね。
勉強上98を使うのは必須だったのですが、個人的には68はよかったのですが、MZ2500の6Mhzモードは魅力的だったです。
16ビットへの移行の取り残された機種であると思うのですが、MZ-5500やMZ6500など16ビットビジネスへの移動も遅れてしまった原因のような気がします。
今でも2500の6Mhzで作ったらいいソフトできるのかなあ。
当時若手だった桂文珍さんが、本当は2000が欲しかったけど高くて1200を買ったと言われてましたね。
私が中1の頃、親の理解なんてない時代なので貯金をはたいて都内に友人に運ぶのを手伝ってもらいつつ1200を買って来ました(本当はcかk2/eが欲しかった。cはなぜか値下げが余りされてなくて、秋葉で26万いくらの定価の値札が付いて売られてたのを見ました)。
ナイコン族の頃に2000はもっぱらデパートのパソコン売り場で(基本MZは空いてる)いじってましたね。パッケージゲームもいくつか買いました。本体持ってないのに。。今もカセットだけあります。。
キャリーラボの波形合成三重和音懐かしい。時分割とは訳が違う
多分MAPPYで屋敷に置いてあるPCが、mz-2000ですよね。
自分史上最高の筐体デザイン。
キャリーラボが頑張ってましたね。ハドソンも。
サウンドが単音だったのとパレットが無かったのが残念でした。
動画のファルコンアドベンチャーやアンダーグラウンドシティってソフトバンクのシルバーボールソフトウェアってブランドのゲームでしたよね。孫さんが米国大学留学時代に大学最寄りの買収した有名ゲーセンの名前がシルバーボールガーデンだったのと関係あるのかな。いやシルバーボールってピンボール関連でよく使われるワードなんだけど。
MZ-5500はもったいなかったですね。せっかくPSGが載った安価な8086機。8MHz機も出せばよかったのに。
パレットはありましたよ。
全ての文字が変わってしまうけど(笑)
mz系はどちらかというと700の方が頑張っていた気もしますね。1500でQD使えるようになりましたし。
2000はちょっと中途半端な気がします。2500は良かったんですが出すのが遅すぎたかな。
最初からテレビ事業部がパソコンをやっていたらどうなっていたのかな。
同じ社内でMZとX1を出す愚かさよ
最後は全滅