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旧日本国有鉄道の高砂線は1984年に全線廃止。1913年に高砂線が開業し翌年に高砂線は全線開業しました。また戦後には高砂工場が設立されて検査入出場時には重要路線でした。しかし、利用客の減少や列車本数も少なくなり1980年には国鉄再建法が設立され第一次特定地方交通路線に抜擢されています。また高砂工場も1983年より、閉鎖することが決定。1984年2月に高砂駅~高砂港駅間が廃止され、高砂線の貨物営業も廃止10ヶ月後に高砂線も廃止されました
猫さんの耳が桜猫カットでしょうか。59・2は貨物及び郵便輸送に大変革をもたらし、地方の中小私鉄を追い詰めていきましたね。ひろりんさんの映像は今はなきものたちへの優しさにあふれています。
👍️
ひろりんさんへ7月7日の21時台に、全編を拝見しました。高砂線を起点の加古川から貨物列車が発着していた終着まで回られたと知り、私も興味津々で。この高砂線の跡も道路や歩道更に公園に転用された事から、私は九州の佐賀線のケースを思い出しました。北海道等は炭鉱と共に町や鉄道が出来ては消えた様に、高砂線も当時は国鉄の高砂工場を擁され専用線も高砂北口から分岐していた位栄えた事からどの交通機関も産業といったニーズが全てを左右するのか(いわば栄枯盛衰)と考えさせられましたね。野口駅から分かれていた別府鉄道も使われた気動車等が屋根付きで保存され私も安堵を覚えました。くたきちさんが当時の国鉄は高砂線にしても採算性を重視された感が否めず沿線の開発もして欲しかったと惜しまれたのも一理有るなと私も肯いた次第です。BA.5というコロナの変異株が流行りそうですが、ひろりんさんも元気で過ごされますようお祈りします。
別府鉄道、昭和59年の廃止のお知らせのカンバンが残っている。それだけでも、何か懐かしいです。 あっ、ネコさん。 表情が 警戒信号。
猫さんの表情が…
@@hiroring0323_2 さん ネコさん、お友達かな ??? 🚦
このBGM=廃線=ひろりんさん✨見事です😆🎵🎵
ありがとうございます🐱
加古川を出て少しの間は加古川線と供用で北東へ進み、分岐して南へカーブしつつ築堤を駆け上がり、地上だった山陽本線をオーバークロスして南西方向へ進んでいました。廃止後は道路に転用され、築堤もオーバークロスしていた橋も道路として活用され山陽本線の車窓から確認できましたが、山陽本線の高架化で道路は地上に降り、築堤も橋も撤去されてしまいました。尾上駅では、上をまたぐ山陽電鉄にもクロス部に駅(尾上の松駅)があり、乗換ができたそうです。尾上の松駅は高砂線廃止後に300mほど姫路方に移転し、現在の位置になったそうです。山陽電鉄の旧尾上の松~高砂では車窓から高砂線跡が確認でき、特に現尾上の松付近から加古川橋梁までの間は、道路から外れた線路跡が遊歩道になり、途中の小さなガーダー橋もはっきりわかります(上に板を敷いて歩道化)。ただ、この遊歩道は今は立入禁止になっています。加古川にも、廃止後しばらくは鉄橋が残り、山陽電鉄と並んでいましたが、老朽化で崩落の恐れが出たために撤去されました。別府鉄道の客車は、デッキつきの古風なものもあり、これはもと神中鉄道(現在の相模鉄道の一部)のハ24号で、廃止後に相模鉄道に返還されました。当時の姿に復元され、相模鉄道のかしわ台車両センターで神中の3号SLとともに保存展示されています。
この寂しさをもたらすBGMがなんとも
廃線跡にはこのBGMがしっくりきます…
ありがとうございます!
とうとう地元の播磨地区に来てくれたんですね。鍛冶屋線と同じ位楽しみに待ってました。
昔、明石に住んでいましたが、久々の播磨地区訪問でした。
近くに住んでいます。当時を偲びながらの散歩はとても良いです。しかし、神戸線の運転見合わせ時の振替輸送の連絡が入る度に「高砂線が存続していたらなぁ〜」と悔やんでおります。
この立地で、あっさり廃線は勿体無かったと思います…
まだ国鉄があった頃、鉄道部品即売会で「昭和40年高砂工場改造」の銘板を購入しました。高砂というと京成のイメージが強いですが当時は兵庫にあるのは知りませんでしたねw未だに何の車両に付いていたか不明ですが色は交流電機と同じなのでED74の1000番台化の時の物と推測しています。
銘板いいですね…
仲人を立てての結婚だと、披露宴で仲人が「高砂や~」と能楽の一節を披露するのが定番ですが、この曲の「高砂」は、まさにこの高砂に由来しています。播磨国・高砂の浦の松は、摂津国・大阪の住吉の松と相生(夫婦)の松ということだそうで、それにまつわる物語が能楽の内容。たいへんにめでたく、人生の新たなスタートを切る新婚夫婦に末永く幸あれ、との願いを込めて歌われるそうです。
直通特急に揺られながら姫路まで行くと別府、尾上の松で現在では意味も無いアップダウンを繰り返します。飾磨を過ぎると左柄にアチコチ空白地帯が目立ちます、確かに飾磨港線、別府鉄道、高砂線は無くなってしまいましたがその後10年以上過ったあとに登場した直通特急を応援してあげましょう、新快速では味わえない直通特急、阪神8000系が加古川橋梁を渡る姿を高砂線、別府鉄道、飾磨港線にも見せてあげたかった、ギリギリ山陽5000系も知らないのかな?飾磨港線だけは山陽5000系だけは知ってるのかな?
やはり道路に転用されると、跡形も面影も無くなるんですね…青函トンネル開通以前の連絡船が行き交う時代に廃線ですから、代替バスも廃止されて久しいのでしょうね。寂寥感溢れる高砂駅前商店街、歩いて見てみたいです…
主を失った駅前商店街…こういうの好きです…
伊藤達哉さんへ7月8日の朝8時台に、あなたのコメントを拝読しました。全くその通りで、佐賀線も高砂線と同じく跡は道路等に転用されるなりしたんですよね。兵庫県の高砂市の名は、河口に高く砂が積もる意味の「たかいさご」の訛りからだそうで、同じ名前のおめでたい能楽の高砂の歌詞(波の淡路の島影や)を見ると、虚しさや現実の厳しさを実感します。伊藤さんも元気で過ごされますように。
高砂線転換バスは、マイカーや山陽電鉄線に押されて廃止とは……。別府鉄道線も。
近くの池によく釣りに行ったので、別府鉄道共々懐かしいですね。ちなみに旧駅舎の入口の部分は移築されてますよ。
そうなんですね。次回訪問の際は見に行きたいですね。
結構前に自転車で高砂線の廃線跡行ったとき鶴林寺の汽車塗装を修復してるらしいですがまだ元の色ではないんですね
訪問が1年ちょっと前なので、今は元の色になっているかも知れません。
@@hiroring0323_2 なるほど
そう言えば、兵庫県南部で山陽本線より南側において海に向かってほんの少しだけ伸びていた路線(東から順に尼崎港線、和田岬線、高砂線、飾磨港線)の中で、通称ではなくて正式な路線名称だったのは高砂線だけでしたね。和田岬線だけは辛うじて存続していますが、あとは全部廃線になっちゃいましたね。
尼崎港線、飾磨港線…懐かしいですね…
和田岬線は神戸市の廃止圧力にも関わらず、継続運行していますねぇ。まぁ、川崎車両の出荷線、三菱重工等の通勤線で黒字線ですから、廃止にする理由が無いでしょう。尼崎港線、飾磨港線、高砂線は、運送モデルの変化で仕方が無いですなぁ。
@@tita6818 神戸市は和田岬線が廃止になれば海岸線に客が流れると思っているようですが、運賃が高い上に乗り換えも不便な海岸線にすんなり移ってくれるわけがない。仮に和田岬線が強引に廃止されたら三菱重工・電機とその周辺企業は兵庫駅への送迎バス出すんじゃないかな?しかしバス輸送もそれなりの台数が必要なので費用がかかる、かといって海岸線は不便で高い。やはり一番安くて便利なのは和田岬線なので廃止は有り得ない。
ここもジョギングでまわりました。加古川を渡る手前に枝線がありました、神戸製鋼の子会社に向かっていたようです。加古川を渡るのに大回りをして疲れました。
ここもジョギングで走破されましたか~
こんなに人口密集地域でも盲腸線は廃止になるんだと驚いた記憶があります。…メインチャンネルでも上げてましたよね?サブに再アップですかね?
再アップです。メインチャンネルの審査が通らないので、サブチャンネルに移動させています。
兵庫なのに別府鉄道てw播磨鉄道ぢゃダメやったんかな?大分かぃ!と突っ込みたくなるwww高砂北口駅も南口、或いは東口ぢゃね?となwwwどっちが先に出来たか知らんけど、北品川駅の更に北にある品川駅的な?久々の😺さん(ちょっと不機嫌そうやったけど)登場と、最後の景色がデラ綺麗でした☆(一応突っ込まれる前に)品川駅は品川区にはなく、港区にあるのは知ってます♪厚木市にはない、厚木駅的な?そこ、海老名市ですけどー!ってゆーwww
私鉄ではありそうですが、国鉄で◯◯北口と言う駅名は珍しかったかも…別府鉄道はミニ私鉄だったので、その地区の名前を取ったんでしょうね。別府駅は無かったようですが…
別府鉄道は「べっぷ」ではなく「べふ」ですね。まぎらわしいですね。別府港「べふこう」まで結んでいたから、「べふてつどう」だったのでしょうね。
@@pin5861 さんべふ、なんですね♪ありがとーございます☆つい、あの温泉の街のべっぷかとw
@@黒いPoohさん 温泉の別府があまりにも有名ですからね。鉄道模型の雑誌で仮名が振ってあるもので私も知りました。
高砂線も鍛冶屋線と同じタイミングで乗車しています。乗車した時の印象は「こんな街中を走っているのに乗客が少ない」でしたね。高砂線は本数の少ないし、線形が悪い。神戸に向かう場合は、どうしても山陽電鉄を利用しますからね。野口駅では隣ホームに別府鉄道の列車が接続していてあの車両が停車していたのが印象的でした。
別府鉄道も含め、マンション群と新興住宅街の真ん中にある廃線跡。当時は全く違う田畑の光景だったのでしょうが、ちょっと珍しい例ですよね。貨物に頼っていたことも廃線の理由となりましたが、うまく活用できていれば山陽電車とJRをつなぐ貴重な足になっていたかも
別府鉄道や高砂線は珍しい例ですよね。どちらも貨物主体だったので、貨物廃止で…
自分の中では国鉄高砂工場への連絡線みたいなもんでしたし(独断と偏見)、高砂工場の閉鎖と共に消えたという印象です。もちろんそれなりに貨物もあったと思いますが、旅客輸送はおまけというか国鉄お得意の「誰も乗らないから本数減らす」の負のスパイラルだったんだろうなと。国鉄には大手私鉄のような「路線の沿線も一体で開発する」という発想は無かったですから。
そうなんですよね…旅客はオマケみたいな感じでやる気がありませんでしたね…
高砂線と運命を共にした別府鉄道の存在も大きいですね。バブル前夜の80年代に、まるで60年代のローカル私鉄の風情を残していた訳ですから。
別府鉄道は個性的な鉄道でしたね~
野口駅は日本一わびしい国鉄-私鉄乗り換えターミナル駅として有名でした。
末期は駅舎すら無い無人駅でしたからね…
わずかに残る展示物たちのお客さんは猫さんたちになったけど、それでも現役時代と変わることなく、一生懸命仕事してるんですね、、、
きっと猫さんも跡地から出る現役の頃の雰囲気を感じ取っているのだろう。
国鉄の整理区間は都市部も例外ではなかったですね和田岬線は生きてるのにもったいない印象です。名古屋臨海鉄道のようにならなかったのが残念です
勿体ない路線でしたね…
今も残っていたら、鶴見線みたいな風情を醸し出していたのかな…と空想します😗本題とずれますが、鶴林寺というと四国八十八ヶ所のお寺を思い出します。結構難所だったもので…😅
今も残っていたら、どうなっていたんでしょうね…四国にも鶴林寺があるんですね。
将来を見据えて我慢するか或いは三セクにして残して置けば通勤需要が拾えそうな路線なんですよね。代替となるバスは渋滞に巻き込まれて速達性皆無ですし。LRTとして廃線跡の道路を活用して復活という話もあるみたいですが、当時の国鉄の赤字兎に角廃止の犠牲になった感じが強いですねえ。
これだけの市街地で廃線は勿体なかったですよね…
廃止当時は路面電車も斜陽期だったのでLRT化の選択肢は有り得ませんでしたが、もしも廃止が2000年代までずれ込んでいたらワンチャンあったかも。問題は老朽化した加古川橋梁の架替え or新設費用と山陽電鉄線の存在で、尾上と高砂に既存の鉄道駅がある以上東西方向への旅客の利用は見込めない完全な加古川市内交通にならざるを得ないのがかつての高砂線存廃問題とLRT新設のネックになってます。
廃線後も当時と比較するとまちは発展しているように思います。個人的には、仮に残っていた場合、山陽本線や山陽電鉄、阪神電鉄の沿線を走っているのであれば、今の野球シーズンに乗り換えの乗客がいたのではと思います。
残っていれば活用できた路線だったのではないかと思います。
@@hiroring0323_2 仙台在住ながら、阪神タイガースファンなので、そう考えが浮かびました。と言いつつ地元の楽天も応援しています。
跡形もなく道路とかになってしまいましたね
都市部だけあって、跡形も無くなっちゃいました…
もともと山陽電鉄沿線と山陽本線沿線てあまり人の行き来がないんですみんな姫路か神戸にしか移動しません
私も昔、山陽電鉄沿線に住んでいましたが、神戸と明石にしか移動しませんでした…
支援忘れていました。次こそ収益化復活して欲しいです。
いつもありがとうございます!来週に再度審査です…
ココで〇〇するな! はストリートビューでも見られますw
8:00尾上駅手前から分岐している廃線跡らしき痕跡が気になり調べてみたら加古川飛行場へ延伸する予定だった未成線の跡だったのですね。別府鉄道も含めてなかなか濃厚な廃線スポットですね。
結論から言えば、結果オーライでした。安全面でもだめ!
この路線も廃止したのは鍛冶屋線同様に勿体無い気がします…
ですね…
旧日本国有鉄道の高砂線は1984年に
全線廃止。1913年に高砂線が開業し
翌年に高砂線は全線開業しました。
また戦後には高砂工場が設立されて
検査入出場時には重要路線でした。
しかし、利用客の減少や列車本数も
少なくなり1980年には国鉄再建法が
設立され第一次特定地方交通路線に
抜擢されています。また高砂工場も
1983年より、閉鎖することが決定。
1984年2月に高砂駅~高砂港駅間が
廃止され、高砂線の貨物営業も廃止
10ヶ月後に高砂線も廃止されました
猫さんの耳が桜猫カットでしょうか。59・2は貨物及び郵便輸送に大変革をもたらし、地方の中小私鉄を追い詰めていきましたね。ひろりんさんの映像は今はなきものたちへの優しさにあふれています。
👍️
ひろりんさんへ
7月7日の21時台に、全編を拝見しました。高砂線を起点の加古川から貨物列車が発着していた終着まで回られたと知り、私も興味津々で。この高砂線の跡も道路や歩道更に公園に転用された事から、私は九州の佐賀線のケースを思い出しました。北海道等は炭鉱と共に町や鉄道が出来ては消えた様に、高砂線も当時は国鉄の高砂工場を擁され専用線も高砂北口から分岐していた位栄えた事からどの交通機関も産業といったニーズが全てを左右するのか(いわば栄枯盛衰)と考えさせられましたね。野口駅から分かれていた別府鉄道も使われた気動車等が屋根付きで保存され私も安堵を覚えました。くたきちさんが当時の国鉄は高砂線にしても採算性を重視された感が否めず沿線の開発もして欲しかったと惜しまれたのも一理有るなと私も肯いた次第です。BA.5というコロナの変異株が流行りそうですが、ひろりんさんも元気で過ごされますようお祈りします。
別府鉄道、昭和59年の廃止のお知らせのカンバンが残っている。
それだけでも、何か懐かしいです。
あっ、ネコさん。 表情が 警戒信号。
猫さんの表情が…
@@hiroring0323_2 さん
ネコさん、お友達かな ??? 🚦
このBGM=廃線=ひろりんさん✨
見事です😆🎵🎵
ありがとうございます🐱
加古川を出て少しの間は加古川線と供用で北東へ進み、分岐して南へカーブしつつ築堤を駆け上がり、地上だった山陽本線をオーバークロスして南西方向へ進んでいました。
廃止後は道路に転用され、築堤もオーバークロスしていた橋も道路として活用され山陽本線の車窓から確認できましたが、山陽本線の高架化で道路は地上に降り、築堤も橋も撤去されてしまいました。
尾上駅では、上をまたぐ山陽電鉄にもクロス部に駅(尾上の松駅)があり、乗換ができたそうです。尾上の松駅は高砂線廃止後に300mほど姫路方に移転し、現在の位置になったそうです。
山陽電鉄の旧尾上の松~高砂では車窓から高砂線跡が確認でき、特に現尾上の松付近から加古川橋梁までの間は、道路から外れた線路跡が遊歩道になり、途中の小さなガーダー橋もはっきりわかります(上に板を敷いて歩道化)。ただ、この遊歩道は今は立入禁止になっています。
加古川にも、廃止後しばらくは鉄橋が残り、山陽電鉄と並んでいましたが、老朽化で崩落の恐れが出たために撤去されました。
別府鉄道の客車は、デッキつきの古風なものもあり、これはもと神中鉄道(現在の相模鉄道の一部)のハ24号で、廃止後に相模鉄道に返還されました。当時の姿に復元され、相模鉄道のかしわ台車両センターで神中の3号SLとともに保存展示されています。
この寂しさをもたらすBGMがなんとも
廃線跡にはこのBGMがしっくりきます…
ありがとうございます!
ありがとうございます🐱
とうとう地元の播磨地区に来てくれたんですね。鍛冶屋線と同じ位楽しみに待ってました。
昔、明石に住んでいましたが、久々の播磨地区訪問でした。
近くに住んでいます。
当時を偲びながらの散歩はとても良いです。
しかし、神戸線の運転見合わせ時の振替輸送の連絡が入る度に「高砂線が存続していたらなぁ〜」と悔やんでおります。
この立地で、あっさり廃線は勿体無かったと思います…
まだ国鉄があった頃、鉄道部品即売会で「昭和40年高砂工場改造」の銘板を購入しました。
高砂というと京成のイメージが強いですが当時は兵庫にあるのは知りませんでしたねw
未だに何の車両に付いていたか不明ですが色は交流電機と同じなのでED74の1000番台化の時の物と推測しています。
銘板いいですね…
仲人を立てての結婚だと、披露宴で仲人が「高砂や~」と能楽の一節を披露するのが定番ですが、この曲の「高砂」は、まさにこの高砂に由来しています。播磨国・高砂の浦の松は、摂津国・大阪の住吉の松と相生(夫婦)の松ということだそうで、それにまつわる物語が能楽の内容。たいへんにめでたく、人生の新たなスタートを切る新婚夫婦に末永く幸あれ、との願いを込めて歌われるそうです。
直通特急に揺られながら姫路まで行くと別府、尾上の松で現在では意味も無いアップダウンを繰り返します。飾磨を過ぎると左柄にアチコチ空白地帯が目立ちます、確かに飾磨港線、別府鉄道、高砂線は無くなってしまいましたがその後10年以上過ったあとに登場した直通特急を応援してあげましょう、新快速では味わえない直通特急、阪神8000系が加古川橋梁を渡る姿を高砂線、別府鉄道、飾磨港線にも見せてあげたかった、ギリギリ山陽5000系も知らないのかな?飾磨港線だけは山陽5000系だけは知ってるのかな?
やはり道路に転用されると、跡形も面影も無くなるんですね…
青函トンネル開通以前の連絡船が行き交う時代に廃線ですから、代替バスも廃止されて久しいのでしょうね。寂寥感溢れる高砂駅前商店街、歩いて見てみたいです…
主を失った駅前商店街…
こういうの好きです…
伊藤達哉さんへ
7月8日の朝8時台に、あなたのコメントを拝読しました。全くその通りで、佐賀線も高砂線と同じく跡は道路等に転用されるなりしたんですよね。兵庫県の高砂市の名は、河口に高く砂が積もる意味の「たかいさご」の訛りからだそうで、同じ名前のおめでたい能楽の高砂の歌詞(波の淡路の島影や)を見ると、虚しさや現実の厳しさを実感します。伊藤さんも元気で過ごされますように。
高砂線転換バスは、マイカーや山陽電鉄線に押されて廃止とは……。別府鉄道線も。
近くの池によく釣りに行ったので、別府鉄道共々懐かしいですね。ちなみに旧駅舎の入口の部分は移築されてますよ。
そうなんですね。
次回訪問の際は見に行きたいですね。
結構前に自転車で高砂線の廃線跡行ったとき鶴林寺の汽車塗装を修復してるらしいですがまだ元の色ではないんですね
訪問が1年ちょっと前なので、今は元の色になっているかも知れません。
@@hiroring0323_2 なるほど
そう言えば、兵庫県南部で山陽本線より南側において海に向かってほんの少しだけ伸びていた路線(東から順に尼崎港線、和田岬線、高砂線、飾磨港線)の中で、通称ではなくて正式な路線名称だったのは高砂線だけでしたね。和田岬線だけは辛うじて存続していますが、あとは全部廃線になっちゃいましたね。
尼崎港線、飾磨港線…
懐かしいですね…
和田岬線は神戸市の廃止圧力にも関わらず、継続運行していますねぇ。
まぁ、川崎車両の出荷線、三菱重工等の通勤線で黒字線ですから、廃止にする理由が無いでしょう。
尼崎港線、飾磨港線、高砂線は、運送モデルの変化で仕方が無いですなぁ。
@@tita6818
神戸市は和田岬線が廃止になれば海岸線に客が流れると思っているようですが、運賃が高い上に乗り換えも不便な海岸線にすんなり移ってくれるわけがない。
仮に和田岬線が強引に廃止されたら三菱重工・電機とその周辺企業は兵庫駅への送迎バス出すんじゃないかな?
しかしバス輸送もそれなりの台数が必要なので費用がかかる、かといって海岸線は不便で高い。やはり一番安くて便利なのは和田岬線なので廃止は有り得ない。
ここもジョギングでまわりました。加古川を渡る手前に枝線がありました、神戸製鋼の子会社に向かって
いたようです。加古川を渡るのに大回りをして疲れました。
ここもジョギングで走破されましたか~
こんなに人口密集地域でも盲腸線は廃止になるんだと驚いた記憶があります。
…メインチャンネルでも上げてましたよね?サブに再アップですかね?
再アップです。
メインチャンネルの審査が通らないので、サブチャンネルに移動させています。
兵庫なのに別府鉄道てw
播磨鉄道ぢゃダメやったんかな?
大分かぃ!と突っ込みたくなるwww
高砂北口駅も南口、或いは東口ぢゃね?となwww
どっちが先に出来たか知らんけど、北品川駅の更に北にある品川駅的な?
久々の😺さん(ちょっと不機嫌そうやったけど)登場と、最後の景色がデラ綺麗でした☆
(一応突っ込まれる前に)
品川駅は品川区にはなく、港区にあるのは知ってます♪
厚木市にはない、厚木駅的な?
そこ、海老名市ですけどー!ってゆーwww
私鉄ではありそうですが、国鉄で◯◯北口と言う駅名は珍しかったかも…
別府鉄道はミニ私鉄だったので、その地区の名前を取ったんでしょうね。別府駅は無かったようですが…
別府鉄道は「べっぷ」ではなく「べふ」ですね。
まぎらわしいですね。
別府港「べふこう」まで結んでいたから、「べふてつどう」だったのでしょうね。
@@pin5861 さん
べふ、なんですね♪
ありがとーございます☆
つい、あの温泉の街のべっぷかとw
@@黒いPoohさん
温泉の別府があまりにも有名ですからね。
鉄道模型の雑誌で仮名が振ってあるもので私も知りました。
高砂線も鍛冶屋線と同じタイミングで乗車しています。
乗車した時の印象は「こんな街中を走っているのに乗客が少ない」でしたね。高砂線は本数の少ないし、線形が悪い。
神戸に向かう場合は、どうしても山陽電鉄を利用しますからね。野口駅では隣ホームに別府鉄道の列車が接続していて
あの車両が停車していたのが印象的でした。
別府鉄道も含め、マンション群と新興住宅街の真ん中にある廃線跡。当時は全く違う田畑の光景だったのでしょうが、ちょっと珍しい例ですよね。貨物に頼っていたことも廃線の理由となりましたが、うまく活用できていれば山陽電車とJRをつなぐ貴重な足になっていたかも
別府鉄道や高砂線は珍しい例ですよね。どちらも貨物主体だったので、貨物廃止で…
自分の中では国鉄高砂工場への連絡線みたいなもんでしたし(独断と偏見)、高砂工場の閉鎖と共に消えたという印象です。もちろんそれなりに貨物もあったと思いますが、旅客輸送はおまけというか国鉄お得意の「誰も乗らないから本数減らす」の負のスパイラルだったんだろうなと。国鉄には大手私鉄のような「路線の沿線も一体で開発する」という発想は無かったですから。
そうなんですよね…
旅客はオマケみたいな感じでやる気がありませんでしたね…
高砂線と運命を共にした別府鉄道の存在も大きいですね。
バブル前夜の80年代に、まるで60年代のローカル私鉄の風情を残していた訳ですから。
別府鉄道は個性的な鉄道でしたね~
野口駅は日本一わびしい国鉄-私鉄乗り換えターミナル駅として有名でした。
末期は駅舎すら無い無人駅でしたからね…
わずかに残る展示物たちのお客さんは猫さんたちになったけど、それでも現役時代と変わることなく、一生懸命仕事してるんですね、、、
きっと猫さんも跡地から出る現役の頃の雰囲気を感じ取っているのだろう。
国鉄の整理区間は都市部も例外ではなかったですね
和田岬線は生きてるのにもったいない印象です。
名古屋臨海鉄道のようにならなかったのが残念です
勿体ない路線でしたね…
今も残っていたら、鶴見線みたいな風情を醸し出していたのかな…と空想します😗
本題とずれますが、鶴林寺というと四国八十八ヶ所のお寺を思い出します。結構難所だったもので…😅
今も残っていたら、どうなっていたんでしょうね…
四国にも鶴林寺があるんですね。
将来を見据えて我慢するか或いは三セクにして残して置けば通勤需要が拾えそうな路線なん
ですよね。代替となるバスは渋滞に巻き込まれて速達性皆無ですし。LRTとして廃線跡の道路
を活用して復活という話もあるみたいですが、当時の国鉄の赤字兎に角廃止の犠牲になった
感じが強いですねえ。
これだけの市街地で廃線は勿体なかったですよね…
廃止当時は路面電車も斜陽期だったのでLRT化の選択肢は有り得ませんでしたが、もしも廃止が2000年代までずれ込んでいたらワンチャンあったかも。
問題は老朽化した加古川橋梁の架替え or新設費用と山陽電鉄線の存在で、尾上と高砂に既存の鉄道駅がある以上東西方向への旅客の利用は見込めない
完全な加古川市内交通にならざるを得ないのがかつての高砂線存廃問題とLRT新設のネックになってます。
廃線後も当時と比較するとまちは発展しているように思います。
個人的には、仮に残っていた場合、山陽本線や山陽電鉄、阪神電鉄の沿線を走っているのであれば、今の野球シーズンに乗り換えの乗客がいたのではと思います。
残っていれば活用できた路線だったのではないかと思います。
@@hiroring0323_2 仙台在住ながら、阪神タイガースファンなので、そう考えが浮かびました。
と言いつつ地元の楽天も応援しています。
跡形もなく道路とかになってしまいましたね
都市部だけあって、跡形も無くなっちゃいました…
もともと山陽電鉄沿線と山陽本線沿線てあまり人の行き来がないんです
みんな姫路か神戸にしか移動しません
私も昔、山陽電鉄沿線に住んでいましたが、神戸と明石にしか移動しませんでした…
支援忘れていました。次こそ収益化復活して欲しいです。
いつもありがとうございます!
来週に再度審査です…
ココで〇〇するな! はストリートビューでも見られますw
8:00
尾上駅手前から分岐している廃線跡らしき痕跡が気になり調べてみたら
加古川飛行場へ延伸する予定だった未成線の跡だったのですね。
別府鉄道も含めてなかなか濃厚な廃線スポットですね。
結論から言えば、結果オーライでした。安全面でもだめ!
この路線も廃止したのは鍛冶屋線同様に勿体無い気がします…
ですね…