【令和6年フィリピン慰霊巡拝】#5 第一師団激戦の地 レイテ島・リモン峠

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  • Опубліковано 10 жов 2024

КОМЕНТАРІ • 8

  • @poginobu
    @poginobu 28 днів тому +1

    私の祖父は当時、満鉄の鉱山開発技師としてかの地で終戦を迎えました。
    本土撤収時にはソ連軍との死線を何度も潜り抜けて、
    疲弊しながらも私の父含む、家族全員で帰国したと聞いています。
    当時、アジア各地で散花した御英霊の皆様の尽力で今の日本国が繋がりました。
    その意思を慮ると、私も慰霊巡礼をしたいのですが、
    現在の低収入と病の身では叶いません。
    よって、この慰霊巡礼の動画には深い感謝の念と共に、ありがとうございます、の言葉を送りたいです。感謝

    • @jpwarmemorial
      @jpwarmemorial  28 днів тому +1

      ご声援をありがとうございます。
      以前、満州から引き揚げてこられた方のお話を伺う機会がありましたが、酷い混乱と危険、難行の末に、ご家族は無事に帰国されたのですね。
      私も可能な限り巡拝を続け、報告させていただきます。
      ご病気とのこと、日中との寒暖差もありどうぞご自愛ください。

  • @Samic-sam
    @Samic-sam 25 днів тому +1

    #1より拝見しています。
    私の知らない多くの慰霊碑が有るのを今までの動画を拝見して知ることができました。
    最後のブレイクネックリッチの入り口に鳥居が建っていたのには私も驚きました。
    2年ほど前に私が訪れたときにはありませんでした。
    これら山々の何処かに多くの遺骨が残されているのではないかと想像すると心が痛みます。

    • @jpwarmemorial
      @jpwarmemorial  21 день тому

      いつもご覧いただきありがとうございます。
      以前にお知らせ頂いていたのですが、鳥居には私も驚きました。昨年頃に建てられたと思われます。
      この広い範囲で大勢が亡くなり、この地域がある種墓標のようだと感じています。

  • @mctrading1431
    @mctrading1431 26 днів тому +2

    タクロバンに親戚があるが山には行くなと言われています。

    • @jpwarmemorial
      @jpwarmemorial  21 день тому

      タクロバンの友人にも山間部には近づくなとよく言われます。NPAの様な組織がまだいるとの事で。