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日本海軍はネーミングのセンスあると思う。月光、銀河、天山、彗星などみな優雅。艦艇では雪風、磯風、浜風、などとても戦闘艦とは思えない艦名。
月光を頼りにB29を探してたりする感じがしますね。
@@室井修-k1r 満月の夜に出没ですか?
特に晴嵐が好き。予期せぬ嵐。M6Aのミッションプロフィールにピッタリ
終戦間際は航空機に花をつける命名規則になっていた。これは特攻機の特徴である。
九五式戦闘機、九六陸攻、九七艦攻、九九艦爆、九九襲撃機、零艦戦別にいいですよ、でも年号よりも名前があれば格好いい解ります😃
こち亀のアニメで月光刑事が乗る月光にはちゃんと斜め銃がついてたのはさすがだと思った
作者がマニアだからね
J1N3ではレーダーを装備していたけど低性能であまり有効でなかっそうですよ。
下向き斜銃で千葉県を掃射?
B-29がいくら高性能でも爆撃時に速度と高度を落とさざるを得ないので十分活躍できるんだよな。敵戦闘機がいない限り。
高高度では性能は落ちる上素人には困難な任務である。すべては排気タービン過給器があるかないかだよ
情報をありがとうございます。祖父が月光の操縦士でした。終戦まで残りましたが、帰国途中にエンジンドラブルで墜落してしまい、操縦士だった祖父は機体と共にして帰国できなかったと聞きました。
祖父は偉大な大日本人です。本当にありがとうございました。
私のご先祖様も海で散りました。命を懸けて日本を守ってくれた人達のお陰で、今の我々が平和に生活できると言うことを忘れてはいけませんね。心から感謝します。
@@あいあ-q9u ご先祖様の、ご冥福お祈りいたします。🙇
@@あいあ-q9u 俺の叔父は、海軍陸戦隊に居た。そしてレイテ島近くの小さな島でゲリラと交戦中に戦死した。若干17歳の戦死だった。白木の箱には歯ブラシ一本すら入っていなかった。
横須賀航空隊ですか?多分本土防空任務されていたと思うよそんな方には感謝しているよ
夜間戦闘機という響きがカッコいい
月光か、こち亀の特殊刑事課の二人組が乗って現れたのが印象強すぎる…両津の「げっ!変態!!」が(笑)
私の叔父も月光の乗りでした。話をする機会が無かったのが残念ですが初代サイボーグ009のTVアニメで蘇った月光が現代機を射撃するシーンはなかなかコワかった!
プラモデルから離れて久しい。以前は見向きしなかった日本大戦機、こういう優れた動画を見るとプラモデルが作りたくなる。
双発機はまだ魅力があっていいですよ。97艦攻、天山艦攻、彩雲とか似たような感じだし。一番作る気がしない機種ですね。零戦と5式戦乙型とか。彗星艦爆の空冷型とか。固定脚の航空機とかも、古風で好みが分かれると思いますね。
小学校の時に父から買って貰った初めてのプラモデルが「銀河」後になってから「月光」など作った。機体に接着剤指紋があちこちに・・外に出て「キーン」って声を上げ遊んだ。夜間戦闘機「月光」小2の時に知った。
モデラー視点で言わせて貰えば、月光はカウリングを黒で塗装する以外は上下面の塗り分けが必用無く、暗綠色一色で済むのでとても塗装が楽だ。
むう、モデラー恐るべし!
海軍三菱だったけど月光は中島なんだね 川西の紫電改なども強力な発動機さえあれば 疾風も実戦に早く投入できていれば
糸川博士が設計した鍾 馗がB29キラーになるって増産して欲しいって言ったけど却下されたとか言ってたな。雷電好き。
この飛行機は次の発展形が難しかった気はする。なんで、多分双発夜戦の計画として極光や白光や電光に行ったんだろうと思う。
夜間戦闘機という特殊性と、十三試双戦から夜間戦闘機に生まれ変わるきっかけを知ってから、第二次世界大戦の日本軍機(陸軍・海軍)の中で一番好きな飛行機です。余談ですが5:25辺りで最初は3機の二式陸偵を改造したと仰っていましたが、渡辺洋二氏の著書「夜間戦闘機月光:朝日ソノラマ社発行」では制式機材だった二式陸偵では許可が出ず飛べる状態で残っていた十三試双戦を改造したと書かれていました。
好きな爆撃機だけに紹介されて嬉しいデス。
ありがとうございます☺
屠龍を忘れてはいけない。あと斜銃用照準器は別に設置されている。下向きは当初標準装備だったが使用頻度が低くオプション扱いとなったはず。
山口県の宇部市の我が家から、対岸の大分県中津の「八面山」が見えます。漢字の「八」のように右辺がひじょうになだらかな山です。山口県小月基地から飛び立った、陸軍飛行第四戦隊所属の村田 勉曹長操縦の「双発屠龍」が、B29に体当たり攻撃し双方とも八面山の中腹に墜落しました。村田勉曹長は戦死。B29の搭乗員11名中・8名戦死。3名は落下傘で降り捕虜となったようです。屠龍は二人乗りなのに、残念ながら後部座席の37ミリ砲を操作する隊員の名前が不明です。以上、長くなりました。
ドイツでこの機体に相当するのはMe110では?戦闘機失格で夜戦として復活した先輩機。
Me262は違うよね
Ju88の方が評価されたようですね😆
月光、名前も美しいし、その優美なデザインは好きな航空機の一つだなあ。薬缶戦闘機はどこの国も美しい。
素晴らしい😀
小学生の時に読んだ戦記もので、夜間戦闘だから撃墜できるんだ、という僻みを気にして昼間の戦闘に出たら撃墜されてしまったというイヤな話を思い出しました。その月光譚のおかげで、くだらない感情で足を引っ張るようなことは止めようという人生の教訓を得ました。
他の双発機の戦闘機化が失敗したのは、大型火器を搭載するとヘロヘロでB29に追いつけないから、極光はそもそも「誉」が高高度対応できない「火星」に乗せ換えても大砲のせたので、追いつけない。
実際はエンジンパワーもなく遅くて防御力なくてB29対空機銃に簡単に落とされてたようです。斜め銃が発射速度が遅くて当て難くて、機種に12.7x4(マ弾)にした方がよっぽど火力もあって楽に落とせたでしょう。
同航戦する形になるし真下に来ないと当たらないってわかるから狙いやすい標的にされてるなってなれば高度上げて他が高度を下げれば集中砲火も可能一方同じ双発の屠龍与圧の関係で機首に機銃がないと知った後は真正面から37mm砲を叩き込んだ模様北九州にて衆人環視の中大量撃破を実現し、民間から屠龍の愛称を貰う
大型の余裕のある機体によってレーダーを積むことが出来た事のが成功の秘訣という事を書かないと、、。RAFのモスキートやドイツのBF110とその後継機、JU88などと同様です。日本だけでなくどこでもやっていました。大半が時代遅れの双発戦闘機からの夜戦へのコンバートです。アメリカだと最初から夜戦として開発されたp610があります。
月光、大好きだったなあ。望月三起也氏の戦記シリーズに「月光」があったんだ。
忍者部隊月光ってのもありましたね。望月氏はケネディ騎士団やJJ、もちろんワイルド7。
こち亀の特殊刑事が乗ってたな
月光刑事 “聖羅無々”(せいらむん)と “美茄子刑事”(びーなす)のコンビ。ご存じセーラームーンとセーラーヴィーナスに由来。
興味深い内容の解説ありがとうございました。3年前の動画で申し訳ないけど、高齢者には声がBGMに混じって聞き取りにくかったのが残念です。
各国で長距離戦闘機に大量の燃料を乗せるのに双発複座戦闘機が開発されたが大半運動性能不足で後に夜間戦闘機に改造されている。複座なので後部席の偵察員が夜間の航法に専念出来て、大柄の機体には対爆撃機用の重武装をする余裕があった
プラモデルで製作したが双発戦闘機では大型機ですよ爆撃機双龍とほぼ同じくらいですよライトニングより遥かに大型ですよ機首の八木アンテナがカッコイイですよ零戦52型と同じカラーリングすると親子に見えるよ
作ってみなきゃわからんって感じですよね。雷電と隼だと確かに違うって感じだし。一式陸攻は河口湖で胴体を見たけど、新幹線とか特急とかあんな感じで、立って乗れそうだった。双発機でも、三座型とかは小さく、単発戦闘機よりも多少大きいだけなんだろうなと思う。わからないのは、連山と二式大艇と一式陸攻とかの差かな。富嶽とかだとどうなんだろって思ってしまう。これは模型でも難しいから、図面を描くしかないかな。
こち亀の…。😭
すばらしいです
ブルーハーツの月の爆撃機を思い出した
B-29は下部に潜り込んで斜銃で酸素ビンと爆弾曹へ20mm3発撃ち込んだら落とせる、と豪語したパイロットが居たとか本で読んだことありますが月光だったか二式複戦だったか失念しました。
一晩に5機B29を撃墜した方の本にありました。海軍機でしたので月光だったと記憶しています。このペアはその数日前の夜にもB29を1機、合計6機撃墜。護衛戦闘機の随伴のない比較的低空での大型機はたとえB29でも、、、ただ使った機銃は斜銃ではなく操縦手が操作の機首装備の機銃だったと思いますが。
魁 男塾! に登場する 三面拳の 雷電・飛燕・月光は当時の戦闘機名が由来だっとは 知らなかった。
私の生家は先の大戦で、築城基地の兵舎として使われていました。そのため、1945.8.7に艦載機による空襲で全焼しました。北、西の隣家は空襲されませんでした。基地には月光があったが、戦果はは無かったと聞いています。大分の宇佐は陸軍基地、築城は海軍だったのでね。
ドイツの斜め銃はシュレーゲ.ムジークと言うが日本の物とは角度が違い日本は30度で有りドイツは60ー75度で自動照準器付きと技術の差がありまくり?
me410は機能スゴすぎぃー
あの角度がベストだったらしいB17、B29の攻撃力から交わしてから速射攻撃有効だったらしいですよ下腹に火が吹いて撃墜出来たそうですよ夜間攻撃専門だった
単座機で、斜銃積んだのがあったような、搭載検討時、wikiによれば「照準器もない斜銃を遠藤はカン頼りで発射して、実射時間約20秒で13発を吹き流しに命中させるという良好な成績をおさめた」とのことです。特別なベテランなら当たるかもしれないが、この遠藤さんも、45年1月に、B29 に落とされたようです。
興味深い
月光といえば乗組員がB-29?を襲う大鳥の怪物を見たという逸話がありますよね。
B29キラーは屠龍だと思ってる
エース屠龍1機>朝鮮戦争のミグ(ジェット機)全機の戦果は笑うしかなかったまぁミグがだらしなさすぎる面はあるけれど凄いなぁと
山口県小月の第四戦隊のことをおっしゃっておられると思いますが、戦果の大半は一部隊員の偽報告に基づく戦意高揚の発表に尾鰭がついたものです。20年3月時点での倉幡(小倉八幡)地区でのB29撃墜数は、樫出中尉と木村准尉が各18機、西尾准尉が11機、以下4機以上が10名以上とされていますが、戦後、西尾准尉は、自己の終戦までのB29総撃墜数が4機であったこと、ある1機を墜としたときは墜落寸前となる反撃を受け半死半生で漸く基地にたどり着いたら西尾准尉は帰着しないだろうと考えた同僚が戦果の横取り報告をしており殺したいほどの怒りを覚えたこと、あまりの撃墜戦果から公演を頼まれた木村准尉が撃墜の体験談を聞きに来たこと(一機でも撃墜経験があれば聞きに来る必要はない。)を英霊、存命中の隊員に迷惑がかかるからと、他言をしない事を条件に、作家の渡辺洋二氏に明かしています。渡辺氏は、戦記を書くにあたり、西尾氏在命中はこれら事象を丸めて書く事で西尾氏の意向を尊重、氏の死後、初めてこれらを明かしています。皆様には渡辺洋二氏の文春文庫の各著作の御一読をお勧めいたします。決して、二式複戦で勇敢な戦いをされた英霊を辱める意図はない事を付記させていただきます。
@@有隣 とりあえず「八幡空襲慰霊碑」撤去だな。偽報告に基づく戦意高揚の発表による野辺重夫軍曹、高木伝蔵兵長は国辱として裁かれるべきだ!・・・死んでるけれどw
@@user-gs5zh5uq8v さんいえ、野辺重夫軍曹 高木伝蔵兵長の体当たりによるB29 二機同時撃墜は、昼間で目撃者多数、撃墜機体も確認されております。英霊には頭が下がります。野辺軍曹は一撃をかけた後、再攻撃が難しいと判断し決別電と共に体当たりをかけています。このあたりは「屠龍は520km/hがやっと。B29には一撃しか無理。」との西尾准尉の回想と整合します。機体性能差のあった大戦初期と異なり、この時期にB29を撃墜する事がいかに大変なものであったか、繰り返される夜間一撃をかけたが玄界灘に消えたB29が基地にたどり着けたはずがないとの判断が正しいものだったかは200名を越える飛行士に綿密な聞き取りを繰り返した渡辺氏の著作に目を通すとよくわかります。
@@有隣 さんお書きになられているように、渡辺洋二氏の書籍からは綿密な取材に基づく重厚な記述から真実が浮かび上がりますね。樫出中尉はB29 を29機撃墜したと主張されておられますが、手記の版を重ねるたびに機数が増えていますし、小倉八幡上空での撃墜ですから撃墜機体が何機か確認されてしかるべきですが、全て海上というのは不自然ですね。木村准尉とは異なり、数機は落とされたのかとは思いますが。
毎度毎度要求が高すぎる日本軍
要求が高すぎるのは海軍の方。陸軍は要求自体はそれほどではなくとも、戦訓対策や戦局の変化等で途中からアレコレ横やりが入る印象(まあ海軍もやるけど)。
@@sakatosu6817 吉本興業と同じで荒唐無稽な要求をいくつも出しておいて「一個でもでけたらもうけモン」と思ってたのでしょうか?
@@sakatosu6817 休むべきだよ。俳優は働きすぎだ。
名前からしてカッコイイ
華麗な転職を繰り返す私の源氏名は月光
この飛行機はこち亀で知りました。
月光の搭乗員は夜でもよく目が見えるように昼間は目をいたわってサングラスをかけてたんよ。それが恰好良くてなぁ・・・。
月光って名前だから最初から夜間戦闘機として開発されたのかと思ってた
声が良いですね。(^_^)
「月光」は数少ないレーダー搭載機なんですよね。
470kmしか出なかったそうだけどカッコよかった。もう少し活躍してくれたら日本は勝てなくても東京大空襲は防げたかもしれない。米軍は月光をどう思っていたのか知りたい。
しゃじゅうではなく、ななめじゅうです。
当時はそう読みましたが、銃が音読みだけに、国語的には音読みが正しいかも。
日本の技術はすごかったのですねーー!!
バランスが悪く、アメリカのようにはいかない感じ。戦車は貧弱だし、自動車も軍用で、それも信頼性がなかったり。やたら種類があって統一規格がなかったりで、少量多品種になったりしてて、混乱してる感じだしね。飛行機も作っても乗りたがらないとか、無駄ばっかだし。陸軍と海軍で似たような別機種を作るしね。
ドイツのように、機上レーダーが装備されていないにもかかわらず、よく夜戦として戦いました。
追浜航空隊で主計士官だった親戚のお爺さんに聞きましたが、月光のパイロットには「暗視ホルモン」を注射していたそうです。
そんなんあったんですか?!
@@japanese9765 たしかヒロポンか覚醒剤の一種だったと思いますけど、視神経に影響する薬物です。
牛の脳下垂体から抽出したと聞きました。
朝鮮朝顔やベラドンナには、瞳孔拡張効果が有ります。でも、ヒロポンだった気がします。
斜め銃の照準は、無いので腰だめで。斜め銃を教えたドイツ人が腰だめを理解したかどうかは不明。
斜銃は専用の照準器がコックピット上にあるはずですよ
彗星夜戦からの進化とも聞いているのであるですがどうなのでしょうか?
月光センパイ、渋いっす ( ̄▽ ̄;)
実際 夜間に月光がB29を撃墜しているのだから、決してアメリカ軍もそう簡単に攻撃していたわけではないだろう。向こうも命懸けだったと思う。
まだミリオタじゃなかった時の俺が零戦と共に知ってた戦闘機が月光。
月光と雷電、そして陸軍の飛燕
双発月光液冷飛燕局戦雷電2人乗り月光用途変更月光名称変更月光うーむ、ボッチ度は圧倒的に月光!
星の王子さま の作者にもそれぽい題名の作品がありましたよね。
サン=テグジュペリ はフリーフランス空軍のP-38(F-5B)に搭乗し、偵察任務中、地中海上空にて独軍機により撃墜され還らぬ人となりました。 近年になってそのメッサーBf109 のパイロットが名乗りを挙げたのですが、戦前よりサンテックス読者の彼はずっと、自責の念を抱いていて、堕としたのが彼の乗機でないことを祈りつづけていたそうです。 誰が悪いでもなく、戦争がそうさせた、としか言えません。
B29を低空爆撃に切り替えた理由。B29は高性能を実現するためにマグネシウム合金を使うなどかなり高価でありエンジン設計も無理をしていた。そのため別に撃墜されなくても長距離爆撃作戦中に墜落する事故が相次いだ。特に前線に向かう訓練飛行中の損失率が一番高かった。そこで「少しくらい落とされてもいいから爆撃精度をあげて早く終わらせろ!」ということで低高度爆撃に切り替えたのである。
唯一では無いでありんすよ、「銀河」やその改修型の「極光」「零夜戦」等の夜間戦闘機がありんす。
雷電に斜め銃を装備したのもあった。
彗星や彩雲夜戦なんてのもあったよ(偵察機の彩雲に30mm機銃なんか積んだから全然使えなかったみたいだけど……)
@@corporal-aria 陸軍でも百式司令部偵察機に30㎜斜銃をつけた防空戦闘機があった。
@@straker1701 一〇〇司偵の上向き砲って37mmじゃなかったっけ?何れにしても、機体強度が弱いから乗ってる人は怖いよねw
@@corporal-aria ああそうでした37㎜ですね間違えました。偵察機だから機体強度が弱いんですよね。
国産の長距離飛行・・当初は戦争目的ではなかった、ニッポン号やキ77もありましたね!!
迎撃時に高度が低くても斜銃で攻撃できるから効果的だし、アメリカ側もそんな兵器想定してないから、反撃も喰らいにくいんだよな。ただ命中させるのは少し難しいけど、長く並走できるから有効だったんだよな。元々はアメリカとかが双発戦闘機良くね?プロパガンダでF5F失敗してたの隠してたせいで産まれた戦闘機だったような。それが優秀な夜間戦闘機になったのは運がいい。
アメリカ側もそんな兵器想定してない…?ドイツでも使ってたのに?
ライトニングはともかく、Me262 が同発想の機体の例として挙げられるのはどうかな~。Me110 とかでしょ普通。
死蔵してる★☆の模型を作りたくなったね。
親戚の爺様は今97歳だがこれに乗って東京で夜間にB29と戦ったそうです。機銃が斜め上向きに搭載されておりB29の下にもぐって撃ったと言っていました。終戦後、手榴弾を沢山持ち帰って川で随分と沢山の魚を獲ったと笑いながら言っていました。
ナレーションの発音だと「激昂」になってしまいます。
P-61と比べてどうなんだろ?やっぱりあっちの方が性能いいのかな。
機動力以外100%あっちが上ですね
@@色々保存サブ やっぱりそうなのか…知れば知るほど当時の日本の技術力のなさを思い知らされるなぁ。
@@momihog いや開発時期の違いもあるから…(震え声)あの機体は重武装で性能も良かったですがB-25なみにでかかったみたいです(それを馬力で無理矢理持ち上げるアメリカさん)それと銃座がB-29と同じ奴なんでそっちに銃座取られて生産が滞ったりしてるみたい
やっぱ中島、エンジンフードが隼に似てる
厚木基地でもエース遠藤さんが撃墜王だったよお隣のおじさんが1回だけ遠藤機の整備して感動したそうですよ1回の飛行で1機のB29撃墜して後は旋回して離脱して隠れてしばらくして帰還する戦法だったよそんなお話しを聞けて良かったですよ夜間攻撃専門だったから数ヶ月攻撃せずに終戦だったらしいでも本土陸上阻止する作戦の為に終戦の日早朝から胴体部に爆弾搭載して特殊攻撃する予定だったらしいですよほぼ雷電以外には出撃命令が出ていたよ土浦沖を目標にしてお昼以降武装解除して爆弾を外して弾薬を抜き、ほぼ全機処分したよマッカーサーが来ると噂があり司令官の小園さんがマラリア熱で気が狂って指揮官がバラバラで大変だったらしい燃料をかけて燃やして処分したらしいですよ、厚木事件だったから
名前が中弐病っぽくて好き
厨二病であってます?
祖父が搭乗してたのはコレか?偵察機で南方で写真を撮っていたと聞いた。
海軍だったらこれかもね。陸軍だったら新司偵かもね。
二式陸偵かな?海軍だと九八陸偵とかもあったけど。
子供の時に聞いた話なのでよく分からないけど双発の偵察機としか分かりません海軍でした。勲章が結構あったのですが親戚に渡してしまったんです。惜しかった。
@@kitaroo999 双発ならおそらく二式陸偵でしょう。98式陸偵察は97式司令部偵察機の改悪版です。彩雲やなんかは単発ですし他機を偵察目的で使用もありますが。
せめて圧倒的な速度と上昇力があれば良かったが、発動機(エンジン)が非力過ぎた。2千馬力のエンジンを開発し、四式戦闘機 疾風が完成したのは敗戦間際。零戦完成後、直ちに後継機を開発すべきだった。
後継機に使用できるエンジンが無かったんですよ。実は12試陸上攻撃機(1式陸攻)も最初は96式と同じ金星双発で計画スタートです。ということは既に「新しい試作機に適するエンジンが無い!」という事態を昭和12年に海軍は経験しています。この時は13試で火星エンジンが間に合いましたが、失敗していたらどうなったことか。12試艦戦の後継機となると15年か16年に試作開始となるだろうということは簡単に予測できる(9試-12試->)にも関わらず、また、陸攻でエンジンが無い状態になりかけたにも関わらず、15-6年に実用化見込みの戦闘機エンジン開発を海軍は命令しませんでした。このため、誉での無理な馬力目標や2000馬力エンジンの多種並行試作を行うことになり、碌に成果が出ませんでした。
@@1967FILLER さんへ 日本は陸海軍とも機体よりもヱンヂンの不安が常に付きまとったようですね。当時の工業力、中でも機械製造は特に未熟だったのだと思います。 況してや戦争後半ともなると、人員・資材ともジリ貧状態なので優秀な新鋭機を開発できたとしても、前線で活用しようなどとは無理難題としか言い様がありません。 今の時代の我々が批判することではないですが…。
普通に考えて、民間人のいる都市に爆撃毎回命令したやつってマジ地獄行き待ったなしやろ…
Al Al 一応事前ビラ配りして爆撃する場所知らせたけどね 勿論そのビラは回収されました
その指揮官は、自衛隊発足の功績で勲一等貰ったよ。
@@けだまもふもふ 勲章授与には、当時国会議員だった源田実の根回しもあったとか・・・。ちなみに昭和天皇は受勲式への出席を拒否してる。
月光はなぜ夜間に戦う事ができたのですか?レーダーや音波探知機を積んでいたとか?
八木アンテナが採用されているよそんなに性能は良く無いが
基本は地上部隊の探照灯との連繋です。
そもそも、零戦と同じ運動性能を要求するのが間違いだろ。
今の役人と同じだな・
魁男塾の3面拳、雷電、飛燕、月光って戦闘機からきてたんですね
何故か一人仲間外れが。
江田島平八だっけか。塾長からして海軍っぽいな。
Me262にも影響を受けて月光の開発がスタートしたのは初耳だわ。 (。´・ω・)?Wikiより:1939年6月7日、メッサーシュミット社は双発機仕様のP1065の設計案を航空省に提出した。(後のMe262)1938年11月、中島飛行機に対し、「十三試双発陸上戦闘機」計画要求書を提示した。(後に、制式採用に伴い丙戦(夜間戦闘機)「月光」(J1N1-S)と名付けられた。)次は旧日本軍保有のタイムマシンの解説をお願いします。
月光ベートーヴェン戦闘機映画が出来そうだ
どっかで見たことある編集してますね…
姉妹チャンネルなのかな?
縁戚で321航空隊にいた人がいます。残念ながら昭和19年に公務死しましたが~高度が気になります
月光刑事
こち亀
B29昼間爆撃は高高度でも夜間爆撃は中高度だったため。
Me262は違うのでは?
月光と言えば鹿児島の芙蓉部隊。液冷エンジンに苦労しながら攻撃を繰り返しました。詳しくは鹿屋の自衛隊基地で。
月光は空冷発動機ですよ。芙蓉部隊ならば彗星では?
@@佐々木俊明-t8z あ、それかもです。失礼しました。
特殊刑事課がちらつく、、、。
こち亀に月光でてる
30年代でMe262の開発?
用途が二転三転として、お世辞にも名機とは言えないと思う。 ただ、その頃適当な機体がなかったから充てられた、そんな感じがします。 レーダーも宛てにはならなかったと訊きます。
もりもり八目鰻食べて夜目を鍛えてポンコツ機体で挑む。敵のpー61やヘルキャット夜戦型をみるとなんか悲しくなってくる。
月光の名は子どもの頃から知っていましたが、殆ど話を聞いたことがありませんでした。この動画で、月光が何故、夜間戦闘機と呼ばれていたかよくわかりました。
なぜ欧州戦線では緻密な昼間爆撃、対日本では無差別な夜間爆撃だったのかな?
欧州は石造りの建物が多く、爆弾直撃しないと壊せない。日本は木と紙のたてものだから、燃やせば周りも燃える。困ったもんだ!
@@佐々木俊明-t8z そうだったのかぁ。欧州では民間人の被害を抑え、日本では関係なかったのかと思ってました。
警視庁に配備されてます
ラバウルでB17は、ゼロ戦の20ミリ機関砲でも落としずらいと判明しました。この時、木製の飛行機に1500馬力のエンジンでも積めば、時速、650キロは確実、これに、25ミリないし、30ミリ機関砲を積み爆撃機を落とせばよかったと思います。後々、東京大空襲や本土爆撃、場合によっては、原爆の投下も防げたと思います。 イギリスはモスキートという木製機で大成功しています。日本こそそのアイディアが必要でした。パイロットも巴戦などできる熟練など送れない状況でした。しかし、速度を生かした一撃離脱なら、予科練をでて、動体視力を鍛えた若者にも十分できます。その発想もなかったですね。 航空担当の源田少佐は旋回性能、柴田少佐は、速度を主張、柴田少佐は口下手で源田に押し切られましたが、この時、両案で行こうなんてなれば、面白かったです。 木製飛行機は意外にすごいのです。巴戦、格闘戦以外の偵察、爆撃、輸送などオールラウンドです。一式陸攻など、7名も一回で失い、夜間爆撃にしか使用できない状況を考えても、有効です。
僭越ながら、ご意見を。。英軍のモスキートャのように、それが万能機と評されたように、木製機体に有望な可能性があり、歴史のIFとしては、仰る内容は理解出来ます。当時の日本でも 資源の逼迫に伴い、木製機体の開発が進められていたのは、ご存知の事だとおもいますが、当時の日本は やはり 基礎的技術に未だ遅れがあり、素材としての合板製造技術に難があり(接着剤の技術でもあります)、モスキートのような機体は作れなかったんだろうと思います。長文 失礼でした‼️(^^)
日本で木製機はあまりにもナンセンスです。高温多湿な気候のせいで様々なものがダメージを受ける中、特に木製の場合は湿気で腐る可能性が高く東・東南アジアでの使用には適しません。実際モスキートはそのせいで機体に使用された接着剤は、あらゆる種類のものが劣化してしまう事態に陥った。実際に外板が剥がれ落ちて墜落したこともあります。更に木製であるがために、湿気で膨張しますので性能が落ちたり、中にはキノコが生えたものまであったそうな
たとえ木製戦闘機にしたところで強度が足りないため降下速度などに制限がかかってしまうと思います。そうすると本来の目的である一撃離脱が難しくなるのではないでしょうか?
左様であります。後世の我々が、色々後付けで口出し、出来るのは、結果を知っているからです。当時の状況情報力で戦っているわけではありません。ただ、架空戦記ではないですが、過去に教訓を得て、未来の新機軸とすべきです。結構勝てる作戦ありましたよ。更に最後に5式戦闘機、活躍しましたが、これは紫電改と同じく「残り物にはふくがある」でしたね。1世代前の頑丈な97式戦や99艦爆に大きめのエンジンをつけても、面白かったのではと、思います。
@@笹竹林ささちくりん そうですね、モスキートも南の前線では、湿気に悩まされました。あれほど大きくなくても、1世代前の99艦爆や96戦の大きさなら、角材の組み合わせで何とか、、、、とも思いました。
日本の技術力では、双発にすると、かえって、燃費やペイロウドの減少になったから、双発戦闘機の至高はP38、次点はモスキート。
それはないんじゃない?単発機よりは爆弾搭載量はあるはず。零戦や99艦爆だと250キロ。97は800キロでこれは多いけど、双発機もそんなもんじゃないかな。飛龍はでかいわりに、800キロだけど、航続距離の関係かもしれないしね。
@@室井修-k1r そもそも、双発機で敵戦闘機を振りきれません。ラバウルで爆戦つかったのは、まがりなりにも500キロ/h出て帰ってこれたからです。
@@海馬二分の一 というか、米軍機を振り切れる戦闘機なんてほとんど存在しない。オクタン価を米軍機並みにしないと。まして爆装すれば尚更だから。爆撃機にあまり速度を求めても無意味だけれど、確かに被害が増えて、旧式化した専用機種が使われなくなったのも事実なんだけど。戦闘機が制空権を確保できなかったのが問題だったわけで。
カラーの写真を見るとアメリカあたりの航空博物館に展示されているようですが、場所はわかりますか?
ワシントンDC郊外の航空宇宙博物館です!
@@マスタージェダイ-o7y ありがとうございます!
レーダーもなしに、よく戦えましたね?
あったよ、夜間戦闘機だったから性能は悪いけどね
照空灯との連携プレイ前提ですね。地上から敵機を照らしてもらって、自分は暗がりから斜め銃で狙うというのが戦術でした。
ドイツの双発戦闘機はBf110でしょう?Me 262は長距離援護戦闘機には使えません。
こういうのはちゃんと計算しないといけない。B29の損失は450機程度と言われるがそのうち150機は太平洋を横断して前線に向かう訓練飛行中に失われた。日本空襲作戦の損失は300機程度になるが総出撃機数は3万機以上になる。つまり損失は100機につき1機。その約半分はエンジン故障と言われる。往復5千キロの爆撃作戦自体が危険だった。結論を言えば日本軍の戦果は200機飛んできたうちの1機撃墜であり、これはほぼ無抵抗と言っていい。
十二試双発、、、烈風空戦録。
ソーメンだったかな?
日本海軍はネーミングのセンスあると思う。月光、銀河、天山、彗星などみな優雅。艦艇では雪風、磯風、浜風、などとても戦闘艦とは思えない艦名。
月光を頼りにB29を探してたりする感じがしますね。
@@室井修-k1r 満月の夜に出没ですか?
特に晴嵐が好き。予期せぬ嵐。M6Aのミッションプロフィールにピッタリ
終戦間際は航空機に花をつける命名規則になっていた。これは特攻機の特徴である。
九五式戦闘機、九六陸攻、九七艦攻、九九艦爆、九九襲撃機、零艦戦
別にいいですよ、でも年号よりも名前があれば格好いい
解ります😃
こち亀のアニメで月光刑事が乗る月光にはちゃんと斜め銃がついてたのはさすがだと思った
作者がマニアだからね
J1N3ではレーダーを装備していたけど低性能であまり有効でなかっそうですよ。
下向き斜銃で千葉県を掃射?
B-29がいくら高性能でも爆撃時に速度と高度を落とさざるを得ないので十分活躍できるんだよな。敵戦闘機がいない限り。
高高度では性能は落ちる上素人には困難な任務である。すべては排気タービン過給器があるかないかだよ
情報をありがとうございます。
祖父が月光の操縦士でした。
終戦まで残りましたが、帰国途中にエンジンドラブルで墜落してしまい、操縦士だった祖父は機体と共にして帰国できなかったと聞きました。
祖父は偉大な大日本人です。
本当にありがとうございました。
私のご先祖様も海で散りました。
命を懸けて日本を守ってくれた人達のお陰で、今の我々が平和に生活できると言うことを忘れてはいけませんね。
心から感謝します。
@@あいあ-q9u ご先祖様の、ご冥福お祈りいたします。🙇
@@あいあ-q9u
俺の叔父は、海軍陸戦隊に居た。
そしてレイテ島近くの小さな島でゲリラと交戦中に戦死した。
若干17歳の戦死だった。
白木の箱には歯ブラシ一本すら入っていなかった。
横須賀航空隊ですか?
多分本土防空任務されていたと思うよ
そんな方には感謝しているよ
夜間戦闘機という響きがカッコいい
月光か、こち亀の特殊刑事課の二人組が乗って現れたのが印象強すぎる…両津の「げっ!変態!!」が(笑)
私の叔父も月光の乗りでした。話をする機会が無かったのが残念ですが初代サイボーグ009のTVアニメで蘇った月光が現代機を射撃するシーンはなかなかコワかった!
プラモデルから離れて久しい。以前は見向きしなかった日本大戦機、こういう優れた動画を見るとプラモデルが作りたくなる。
双発機はまだ魅力があっていいですよ。97艦攻、天山艦攻、彩雲とか似たような感じだし。一番作る気がしない機種ですね。零戦と5式戦乙型とか。彗星艦爆の空冷型とか。固定脚の航空機とかも、古風で好みが分かれると思いますね。
小学校の時に父から買って貰った初めてのプラモデルが「銀河」
後になってから「月光」など作った。機体に接着剤指紋があちこちに・・
外に出て「キーン」って声を上げ遊んだ。夜間戦闘機「月光」小2の時に知った。
モデラー視点で言わせて貰えば、月光はカウリングを黒で塗装する以外は上下面の塗り分けが必用無く、暗綠色一色で済むのでとても塗装が楽だ。
むう、モデラー恐るべし!
海軍三菱だったけど月光は中島なんだね 川西の紫電改なども強力な発動機さえあれば 疾風も実戦に早く投入できていれば
糸川博士が設計した鍾 馗がB29キラーになるって増産して欲しいって言ったけど却下されたとか言ってたな。雷電好き。
この飛行機は次の発展形が難しかった気はする。
なんで、多分双発夜戦の計画として極光や白光や電光に行ったんだろうと思う。
夜間戦闘機という特殊性と、十三試双戦から夜間戦闘機に生まれ変わるきっかけを知ってから、第二次世界大戦の日本軍機(陸軍・海軍)の中で一番好きな飛行機です。
余談ですが5:25辺りで最初は3機の二式陸偵を改造したと仰っていましたが、渡辺洋二氏の著書「夜間戦闘機月光:朝日ソノラマ社発行」では制式機材だった二式陸偵では許可が出ず飛べる状態で残っていた十三試双戦を改造したと書かれていました。
好きな爆撃機だけに紹介されて嬉しいデス。
ありがとうございます☺
屠龍を忘れてはいけない。あと斜銃用照準器は別に設置されている。下向きは当初標準装備だったが使用頻度が低くオプション扱いとなったはず。
山口県の宇部市の我が家から、対岸の大分県中津の「八面山」が見えます。漢字の「八」のように右辺がひじょうになだらかな山です。
山口県小月基地から飛び立った、陸軍飛行第四戦隊所属の村田 勉曹長操縦の「双発屠龍」が、B29に体当たり攻撃し双方とも八面山の中腹に墜落しました。村田勉曹長は戦死。B29の搭乗員11名中・8名戦死。3名は落下傘で降り捕虜となったようです。
屠龍は二人乗りなのに、残念ながら後部座席の37ミリ砲を操作する隊員の名前が不明です。
以上、長くなりました。
ドイツでこの機体に相当するのはMe110では?
戦闘機失格で夜戦として復活した先輩機。
Me262は違うよね
Ju88の方が評価されたようですね😆
月光、名前も美しいし、その優美なデザインは好きな航空機の一つだなあ。
薬缶戦闘機はどこの国も美しい。
素晴らしい😀
小学生の時に読んだ戦記もので、夜間戦闘だから撃墜できるんだ、という僻みを気にして昼間の戦闘に出たら撃墜されてしまったというイヤな話を思い出しました。その月光譚のおかげで、くだらない感情で足を引っ張るようなことは止めようという人生の教訓を得ました。
他の双発機の戦闘機化が失敗したのは、大型火器を搭載するとヘロヘロでB29に追いつけないから、極光はそもそも「誉」が高高度対応できない
「火星」に乗せ換えても大砲のせたので、追いつけない。
実際はエンジンパワーもなく遅くて防御力なくてB29対空機銃に簡単に落とされてたようです。
斜め銃が発射速度が遅くて当て難くて、機種に12.7x4(マ弾)にした方がよっぽど火力もあって楽に落とせたでしょう。
同航戦する形になるし真下に来ないと当たらないってわかるから狙いやすい
標的にされてるなってなれば高度上げて他が高度を下げれば集中砲火も可能
一方同じ双発の屠龍
与圧の関係で機首に機銃がないと知った後は真正面から37mm砲を叩き込んだ模様
北九州にて衆人環視の中大量撃破を実現し、民間から屠龍の愛称を貰う
大型の余裕のある機体によってレーダーを積むことが出来た事のが成功の秘訣という事を書かないと、、。
RAFのモスキートやドイツのBF110とその後継機、JU88などと同様です。
日本だけでなくどこでもやっていました。
大半が時代遅れの双発戦闘機からの夜戦へのコンバートです。
アメリカだと最初から夜戦として開発されたp610があります。
月光、大好きだったなあ。
望月三起也氏の戦記シリーズに「月光」があったんだ。
忍者部隊月光ってのもありましたね。
望月氏はケネディ騎士団やJJ、もちろんワイルド7。
こち亀の特殊刑事が乗ってたな
月光刑事 “聖羅無々”(せいらむん)と “美茄子刑事”(びーなす)のコンビ。
ご存じセーラームーンとセーラーヴィーナスに由来。
興味深い内容の解説ありがとうございました。
3年前の動画で申し訳ないけど、高齢者には声がBGMに混じって聞き取りにくかったのが残念です。
各国で長距離戦闘機に大量の燃料を乗せるのに双発複座戦闘機が開発されたが大半運動性能不足で後に夜間戦闘機に改造されている。
複座なので後部席の偵察員が夜間の航法に専念出来て、大柄の機体には対爆撃機用の重武装をする余裕があった
プラモデルで製作したが
双発戦闘機では大型機ですよ
爆撃機双龍とほぼ同じくらいですよ
ライトニングより遥かに大型ですよ
機首の八木アンテナがカッコイイですよ
零戦52型と同じカラーリングすると
親子に見えるよ
作ってみなきゃわからんって感じですよね。雷電と隼だと確かに違うって感じだし。一式陸攻は河口湖で胴体を見たけど、新幹線とか特急とかあんな感じで、立って乗れそうだった。双発機でも、三座型とかは小さく、単発戦闘機よりも多少大きいだけなんだろうなと思う。わからないのは、連山と二式大艇と一式陸攻とかの差かな。富嶽とかだとどうなんだろって思ってしまう。これは模型でも難しいから、図面を描くしかないかな。
こち亀の…。😭
すばらしいです
ブルーハーツの月の爆撃機を思い出した
B-29は下部に潜り込んで斜銃で酸素ビンと爆弾曹へ20mm3発撃ち込んだら落とせる、と豪語したパイロットが居たとか本で読んだことありますが月光だったか二式複戦だったか失念しました。
一晩に5機B29を撃墜した方の本にありました。海軍機でしたので月光だったと記憶しています。このペアはその数日前の夜にもB29を1機、合計6機撃墜。護衛戦闘機の随伴のない比較的低空での大型機はたとえB29でも、、、ただ使った機銃は斜銃ではなく操縦手が操作の機首装備の機銃だったと思いますが。
魁 男塾! に登場する 三面拳の 雷電・飛燕・月光は当時の戦闘機名が由来だっとは 知らなかった。
私の生家は先の大戦で、築城基地の兵舎として使われていました。そのため、1945.8.7に艦載機による空襲で全焼しました。北、西の隣家は空襲されませんでした。基地には月光があったが、戦果はは無かったと聞いています。大分の宇佐は陸軍基地、築城は海軍だったのでね。
ドイツの斜め銃はシュレーゲ.ムジークと言うが日本の物とは角度が違い日本は30度で有りドイツは60ー75度で自動照準器付きと技術の差がありまくり?
me410は機能スゴすぎぃー
あの角度がベストだったらしい
B17、B29の攻撃力から交わしてから
速射攻撃有効だったらしいですよ
下腹に火が吹いて撃墜出来た
そうですよ
夜間攻撃専門だった
単座機で、斜銃積んだのがあったような、
搭載検討時、wikiによれば「照準器もない斜銃を遠藤はカン頼りで発射して、実射時間約20秒で13発を吹き流しに命中させるという良好な成績をおさめた」とのことです。特別なベテランなら当たるかもしれないが、この遠藤さんも、45年1月に、B29 に落とされたようです。
興味深い
月光といえば乗組員がB-29?を襲う大鳥の怪物を見たという逸話がありますよね。
B29キラーは屠龍だと思ってる
エース屠龍1機>朝鮮戦争のミグ(ジェット機)全機の戦果は笑うしかなかった
まぁミグがだらしなさすぎる面はあるけれど凄いなぁと
山口県小月の第四戦隊のことをおっしゃっておられると思いますが、戦果の大半は一部隊員の偽報告に基づく戦意高揚の発表に尾鰭がついたものです。
20年3月時点での倉幡(小倉八幡)地区でのB29撃墜数は、樫出中尉と木村准尉が各18機、西尾准尉が11機、以下4機以上が10名以上とされていますが、戦後、西尾准尉は、自己の終戦までのB29総撃墜数が4機であったこと、ある1機を墜としたときは墜落寸前となる反撃を受け半死半生で漸く基地にたどり着いたら西尾准尉は帰着しないだろうと考えた同僚が戦果の横取り報告をしており殺したいほどの怒りを覚えたこと、あまりの撃墜戦果から公演を頼まれた木村准尉が撃墜の体験談を聞きに来たこと(一機でも撃墜経験があれば聞きに来る必要はない。)を英霊、存命中の隊員に迷惑がかかるからと、他言をしない事を条件に、作家の渡辺洋二氏に明かしています。
渡辺氏は、戦記を書くにあたり、西尾氏在命中はこれら事象を丸めて書く事で西尾氏の意向を尊重、氏の死後、初めてこれらを明かしています。
皆様には渡辺洋二氏の文春文庫の各著作の御一読をお勧めいたします。
決して、二式複戦で勇敢な戦いをされた英霊を辱める意図はない事を付記させていただきます。
@@有隣 とりあえず「八幡空襲慰霊碑」撤去だな。偽報告に基づく戦意高揚の発表による
野辺重夫軍曹、高木伝蔵兵長は国辱として裁かれるべきだ!・・・死んでるけれどw
@@user-gs5zh5uq8v さん
いえ、野辺重夫軍曹 高木伝蔵兵長の体当たりによるB29 二機同時撃墜は、昼間で目撃者多数、撃墜機体も確認されております。英霊には頭が下がります。
野辺軍曹は一撃をかけた後、再攻撃が難しいと判断し決別電と共に体当たりをかけています。
このあたりは「屠龍は520km/hがやっと。B29には一撃しか無理。」との西尾准尉の回想と整合します。
機体性能差のあった大戦初期と異なり、この時期にB29を撃墜する事がいかに大変なものであったか、繰り返される夜間一撃をかけたが玄界灘に消えたB29が基地にたどり着けたはずがないとの判断が正しいものだったかは200名を越える飛行士に綿密な聞き取りを繰り返した渡辺氏の著作に目を通すとよくわかります。
@@有隣 さん
お書きになられているように、渡辺洋二氏の書籍からは綿密な取材に基づく重厚な記述から真実が浮かび上がりますね。
樫出中尉はB29 を29機撃墜したと主張されておられますが、手記の版を重ねるたびに
機数が増えていますし、小倉八幡上空での撃墜ですから撃墜機体が何機か確認されてしかるべきですが、全て海上というのは不自然ですね。木村准尉とは異なり、数機は落とされたのかとは思いますが。
毎度毎度要求が高すぎる日本軍
要求が高すぎるのは海軍の方。
陸軍は要求自体はそれほどではなくとも、戦訓対策や戦局の変化等で途中からアレコレ横やりが入る印象(まあ海軍もやるけど)。
@@sakatosu6817 吉本興業と同じで荒唐無稽な要求をいくつも出しておいて「一個でもでけたらもうけモン」と思ってたのでしょうか?
@@sakatosu6817 休むべきだよ。俳優は働きすぎだ。
名前からしてカッコイイ
華麗な転職を繰り返す私の源氏名は月光
この飛行機はこち亀で知りました。
月光の搭乗員は夜でもよく目が見えるように昼間は目をいたわってサングラスをかけてたんよ。
それが恰好良くてなぁ・・・。
月光って名前だから最初から夜間戦闘機として開発されたのかと思ってた
声が良いですね。(^_^)
「月光」は数少ないレーダー搭載機なんですよね。
470kmしか出なかったそうだけどカッコよかった。もう少し活躍してくれたら日本は勝てなくても東京大空襲は防げたかもしれない。米軍は月光をどう思っていたのか知りたい。
しゃじゅうではなく、ななめじゅうです。
当時はそう読みましたが、銃が音読みだけに、国語的には音読みが正しいかも。
日本の技術はすごかったのですねーー!!
バランスが悪く、アメリカのようにはいかない感じ。戦車は貧弱だし、自動車も軍用で、それも信頼性がなかったり。やたら種類があって統一規格がなかったりで、少量多品種になったりしてて、混乱してる感じだしね。飛行機も作っても乗りたがらないとか、無駄ばっかだし。陸軍と海軍で似たような別機種を作るしね。
ドイツのように、機上レーダーが装備されていないにもかかわらず、よく夜戦として戦いました。
追浜航空隊で主計士官だった親戚のお爺さんに聞きましたが、月光のパイロットには
「暗視ホルモン」を注射していたそうです。
そんなんあったんですか?!
@@japanese9765 たしかヒロポンか覚醒剤の一種だったと思いますけど、視神経に影響する薬物です。
牛の脳下垂体から抽出したと聞きました。
朝鮮朝顔やベラドンナには、瞳孔拡張効果が有ります。
でも、ヒロポンだった気がします。
斜め銃の照準は、無いので腰だめで。斜め銃を教えたドイツ人が腰だめを理解したかどうかは不明。
斜銃は専用の照準器がコックピット上にあるはずですよ
彗星夜戦からの進化とも聞いているのであるですがどうなのでしょうか?
月光センパイ、渋いっす ( ̄▽ ̄;)
実際 夜間に月光がB29を撃墜しているのだから、決してアメリカ軍もそう簡単に攻撃していたわけではないだろう。向こうも命懸けだったと思う。
まだミリオタじゃなかった時の俺が零戦と共に知ってた戦闘機が月光。
月光と雷電、そして陸軍の飛燕
双発月光
液冷飛燕
局戦雷電
2人乗り月光
用途変更月光
名称変更月光
うーむ、ボッチ度は圧倒的に月光!
星の王子さま の作者にも
それぽい題名の作品がありましたよね。
サン=テグジュペリ はフリーフランス空軍のP-38(F-5B)に搭乗し、偵察任務中、地中海上空にて独軍機により撃墜され還らぬ人となりました。
近年になってそのメッサーBf109 のパイロットが名乗りを挙げたのですが、
戦前よりサンテックス読者の彼はずっと、自責の念を抱いていて、堕としたのが彼の乗機でないことを祈りつづけていたそうです。
誰が悪いでもなく、戦争がそうさせた、としか言えません。
B29を低空爆撃に切り替えた理由。
B29は高性能を実現するためにマグネシウム合金を使うなどかなり高価でありエンジン設計も無理をしていた。
そのため別に撃墜されなくても長距離爆撃作戦中に墜落する事故が相次いだ。特に前線に向かう訓練飛行中の損失率が一番高かった。
そこで「少しくらい落とされてもいいから爆撃精度をあげて早く終わらせろ!」ということで低高度爆撃に切り替えたのである。
唯一では無いでありんすよ、「銀河」やその改修型の「極光」「零夜戦」等の夜間戦闘機がありんす。
雷電に斜め銃を装備したのもあった。
彗星や彩雲夜戦なんてのもあったよ(偵察機の彩雲に30mm機銃なんか積んだから全然使えなかったみたいだけど……)
@@corporal-aria 陸軍でも百式司令部偵察機に30㎜斜銃をつけた防空戦闘機があった。
@@straker1701 一〇〇司偵の上向き砲って37mmじゃなかったっけ?
何れにしても、機体強度が弱いから乗ってる人は怖いよねw
@@corporal-aria ああそうでした37㎜ですね間違えました。
偵察機だから機体強度が弱いんですよね。
国産の長距離飛行・・当初は戦争目的ではなかった、ニッポン号やキ77もありましたね!!
迎撃時に高度が低くても斜銃で攻撃できるから効果的だし、アメリカ側もそんな兵器想定してないから、反撃も喰らいにくいんだよな。ただ命中させるのは少し難しいけど、長く並走できるから有効だったんだよな。元々はアメリカとかが双発戦闘機良くね?プロパガンダでF5F失敗してたの隠してたせいで産まれた戦闘機だったような。それが優秀な夜間戦闘機になったのは運がいい。
アメリカ側もそんな兵器想定してない…?ドイツでも使ってたのに?
ライトニングはともかく、Me262 が同発想の機体の例として挙げられるのはどうかな~。Me110 とかでしょ普通。
死蔵してる★☆の模型を作りたくなったね。
親戚の爺様は今97歳だがこれに乗って東京で夜間にB29と戦ったそうです。
機銃が斜め上向きに搭載されておりB29の下にもぐって撃ったと言っていました。
終戦後、手榴弾を沢山持ち帰って川で随分と沢山の魚を獲ったと笑いながら
言っていました。
ナレーションの発音だと「激昂」になってしまいます。
P-61と比べてどうなんだろ?やっぱりあっちの方が性能いいのかな。
機動力以外100%あっちが上ですね
@@色々保存サブ
やっぱりそうなのか…
知れば知るほど当時の日本の技術力のなさを思い知らされるなぁ。
@@momihog いや開発時期の違いもあるから…(震え声)あの機体は重武装で性能も良かったですがB-25なみにでかかったみたいです(それを馬力で無理矢理持ち上げるアメリカさん)それと銃座がB-29と同じ奴なんでそっちに銃座取られて生産が滞ったりしてるみたい
やっぱ中島、エンジンフードが隼に似てる
厚木基地でもエース遠藤さんが
撃墜王だったよ
お隣のおじさんが
1回だけ遠藤機の整備して
感動したそうですよ
1回の飛行で1機のB29撃墜して
後は旋回して離脱して
隠れてしばらくして帰還する戦法
だったよ
そんなお話しを聞けて良かったですよ
夜間攻撃専門だったから
数ヶ月攻撃せずに終戦だったらしい
でも本土陸上阻止する作戦の為に
終戦の日早朝から
胴体部に爆弾搭載して
特殊攻撃する予定だったらしいですよ
ほぼ雷電以外には
出撃命令が出ていたよ
土浦沖を目標にして
お昼以降武装解除して
爆弾を外して
弾薬を抜き、ほぼ全機処分したよ
マッカーサーが来ると噂があり
司令官の小園さんがマラリア熱
で気が狂って
指揮官がバラバラで大変だったらしい
燃料をかけて燃やして処分したらしいですよ、厚木事件だったから
名前が中弐病っぽくて好き
厨二病であってます?
祖父が搭乗してたのはコレか?偵察機で南方で写真を撮っていたと聞いた。
海軍だったらこれかもね。
陸軍だったら新司偵かもね。
二式陸偵かな?海軍だと九八陸偵とかもあったけど。
子供の時に聞いた話なのでよく分からないけど双発の偵察機としか
分かりません海軍でした。勲章が結構あったのですが親戚に渡して
しまったんです。惜しかった。
@@kitaroo999 双発ならおそらく二式陸偵でしょう。98式陸偵察は97式司令部偵察機の改悪版です。彩雲やなんかは単発ですし他機を偵察目的で使用もありますが。
せめて圧倒的な速度と上昇力があれば良かったが、発動機(エンジン)が非力過ぎた。
2千馬力のエンジンを開発し、四式戦闘機 疾風が完成したのは敗戦間際。零戦完成後、直ちに後継機を開発すべきだった。
後継機に使用できるエンジンが無かったんですよ。
実は12試陸上攻撃機(1式陸攻)も最初は96式と同じ金星双発で計画スタートです。
ということは既に「新しい試作機に適するエンジンが無い!」という事態を昭和12年に海軍は経験しています。
この時は13試で火星エンジンが間に合いましたが、失敗していたらどうなったことか。
12試艦戦の後継機となると15年か16年に試作開始となるだろうということは簡単に予測できる(9試-12試->)にも関わらず、
また、陸攻でエンジンが無い状態になりかけたにも関わらず、15-6年に実用化見込みの戦闘機エンジン開発を海軍は命令しませんでした。
このため、誉での無理な馬力目標や2000馬力エンジンの多種並行試作を行うことになり、碌に成果が出ませんでした。
@@1967FILLER さんへ
日本は陸海軍とも機体よりもヱンヂンの不安が常に付きまとったようですね。当時の工業力、中でも機械製造は特に未熟だったのだと思います。
況してや戦争後半ともなると、人員・資材ともジリ貧状態なので優秀な新鋭機を開発できたとしても、前線で活用しようなどとは無理難題としか言い様がありません。
今の時代の我々が批判することではないですが…。
普通に考えて、民間人のいる都市に爆撃毎回命令したやつってマジ地獄行き待ったなしやろ…
Al Al 一応事前ビラ配りして爆撃する場所知らせたけどね 勿論そのビラは回収されました
その指揮官は、自衛隊発足の功績で勲一等貰ったよ。
@@けだまもふもふ
勲章授与には、当時国会議員だった源田実の根回しもあったとか・・・。
ちなみに昭和天皇は受勲式への出席を拒否してる。
月光はなぜ夜間に戦う事ができたのですか?レーダーや音波探知機を積んでいたとか?
八木アンテナが採用されているよ
そんなに性能は良く無いが
基本は地上部隊の探照灯との連繋です。
そもそも、零戦と同じ運動性能を要求するのが間違いだろ。
今の役人と同じだな・
魁男塾の3面拳、雷電、飛燕、月光って戦闘機からきてたんですね
何故か一人仲間外れが。
江田島平八だっけか。塾長からして海軍っぽいな。
Me262にも影響を受けて月光の開発がスタートしたのは初耳だわ。 (。´・ω・)?
Wikiより:
1939年6月7日、メッサーシュミット社は双発機仕様のP1065の設計案を航空省に提出した。(後のMe262)
1938年11月、中島飛行機に対し、「十三試双発陸上戦闘機」計画要求書を提示した。(後に、制式採用に伴い丙戦(夜間戦闘機)「月光」(J1N1-S)と名付けられた。)
次は旧日本軍保有のタイムマシンの解説をお願いします。
月光
ベートーヴェン
戦闘機
映画が出来そうだ
どっかで見たことある編集してますね…
姉妹チャンネルなのかな?
縁戚で321航空隊にいた人がいます。残念ながら昭和19年に公務死しましたが~高度が気になります
月光刑事
こち亀
B29昼間爆撃は高高度でも夜間爆撃は中高度だったため。
Me262は違うのでは?
月光と言えば鹿児島の芙蓉部隊。
液冷エンジンに苦労しながら攻撃を繰り返しました。
詳しくは鹿屋の自衛隊基地で。
月光は空冷発動機ですよ。
芙蓉部隊ならば彗星では?
@@佐々木俊明-t8z あ、それかもです。失礼しました。
特殊刑事課がちらつく、、、。
こち亀に月光でてる
30年代でMe262の開発?
用途が二転三転として、お世辞にも名機とは言えないと思う。
ただ、その頃適当な機体がなかったから充てられた、そんな感じがします。
レーダーも宛てにはならなかったと訊きます。
もりもり八目鰻食べて夜目を鍛えてポンコツ機体で挑む。敵のpー61やヘルキャット夜戦型をみるとなんか悲しくなってくる。
月光の名は子どもの頃から知っていましたが、殆ど話を聞いたことがありませんでした。この動画で、月光が何故、夜間戦闘機と呼ばれていたかよくわかりました。
なぜ欧州戦線では緻密な昼間爆撃、対日本では無差別な夜間爆撃だったのかな?
欧州は石造りの建物が多く、爆弾直撃しないと壊せない。
日本は木と紙のたてものだから、燃やせば周りも燃える。
困ったもんだ!
@@佐々木俊明-t8z そうだったのかぁ。欧州では民間人の被害を抑え、日本では関係なかったのかと思ってました。
警視庁に配備されてます
ラバウルでB17は、ゼロ戦の20ミリ機関砲でも落としずらいと判明しました。この時、木製の飛行機に1500馬力のエンジンでも積めば、時速、650キロは確実、これに、25ミリないし、30ミリ機関砲を積み爆撃機を落とせばよかったと思います。後々、東京大空襲や本土爆撃、場合によっては、原爆の投下も防げたと思います。
イギリスはモスキートという木製機で大成功しています。日本こそそのアイディアが必要でした。パイロットも巴戦などできる熟練など送れない状況でした。しかし、速度を生かした一撃離脱なら、予科練をでて、動体視力を鍛えた若者にも十分できます。その発想もなかったですね。
航空担当の源田少佐は旋回性能、柴田少佐は、速度を主張、柴田少佐は口下手で源田に押し切られましたが、この時、両案で行こうなんてなれば、面白かったです。
木製飛行機は意外にすごいのです。巴戦、格闘戦以外の偵察、爆撃、輸送などオールラウンドです。一式陸攻など、7名も一回で失い、夜間爆撃にしか使用できない状況を考えても、有効です。
僭越ながら、ご意見を。。
英軍のモスキートャのように、
それが万能機と評されたように、
木製機体に有望な可能性があり、歴史のIFとしては、仰る内容は理解出来ます。
当時の日本でも 資源の逼迫に伴い、木製機体の開発が進められていたのは、ご存知の事だとおもいますが、
当時の日本は やはり 基礎的技術に未だ遅れがあり、素材としての合板製造技術に難があり(接着剤の技術でもあります)、モスキートのような機体は作れなかったんだろうと思います。
長文 失礼でした‼️(^^)
日本で木製機はあまりにもナンセンスです。
高温多湿な気候のせいで様々なものがダメージを受ける中、特に木製の場合は湿気で腐る可能性が高く東・東南アジアでの使用には適しません。
実際モスキートはそのせいで機体に使用された接着剤は、あらゆる種類のものが劣化してしまう事態に陥った。
実際に外板が剥がれ落ちて墜落したこともあります。
更に木製であるがために、湿気で膨張しますので性能が落ちたり、中にはキノコが生えたものまであったそうな
たとえ木製戦闘機にしたところで強度が足りないため降下速度などに制限がかかってしまうと思います。そうすると本来の目的である一撃離脱が難しくなるのではないでしょうか?
左様であります。後世の我々が、色々後付けで口出し、出来るのは、結果を知っているからです。当時の状況情報力で戦っているわけではありません。ただ、架空戦記ではないですが、過去に教訓を得て、未来の新機軸とすべきです。結構勝てる作戦ありましたよ。
更に最後に5式戦闘機、活躍しましたが、これは紫電改と同じく「残り物にはふくがある」でしたね。1世代前の頑丈な97式戦や99艦爆に大きめのエンジンをつけても、面白かったのではと、思います。
@@笹竹林ささちくりん そうですね、モスキートも南の前線では、湿気に悩まされました。あれほど大きくなくても、1世代前の99艦爆や96戦の大きさなら、角材の組み合わせで何とか、、、、とも思いました。
日本の技術力では、双発にすると、かえって、燃費やペイロウドの減少になったから、双発戦闘機の至高はP38、次点はモスキート。
それはないんじゃない?単発機よりは爆弾搭載量はあるはず。零戦や99艦爆だと250キロ。97は800キロでこれは多いけど、双発機もそんなもんじゃないかな。飛龍はでかいわりに、800キロだけど、航続距離の関係かもしれないしね。
@@室井修-k1r そもそも、双発機で敵戦闘機を振りきれません。ラバウルで爆戦つかったのは、まがりなりにも500キロ/h出て帰ってこれたからです。
@@海馬二分の一 というか、米軍機を振り切れる戦闘機なんてほとんど存在しない。オクタン価を米軍機並みにしないと。まして爆装すれば尚更だから。爆撃機にあまり速度を求めても無意味だけれど、確かに被害が増えて、旧式化した専用機種が使われなくなったのも事実なんだけど。戦闘機が制空権を確保できなかったのが問題だったわけで。
カラーの写真を見るとアメリカあたりの航空博物館に展示されているようですが、場所はわかりますか?
ワシントンDC郊外の航空宇宙博物館です!
@@マスタージェダイ-o7y ありがとうございます!
レーダーもなしに、よく戦えましたね?
あったよ、夜間戦闘機だったから
性能は悪いけどね
照空灯との連携プレイ前提ですね。地上から敵機を照らしてもらって、自分は暗がりから斜め銃で狙うというのが戦術でした。
ドイツの双発戦闘機はBf110でしょう?Me 262は長距離援護戦闘機には使えません。
こういうのはちゃんと計算しないといけない。
B29の損失は450機程度と言われるがそのうち150機は太平洋を横断して前線に向かう訓練飛行中に失われた。
日本空襲作戦の損失は300機程度になるが総出撃機数は3万機以上になる。つまり損失は100機につき1機。その約半分はエンジン故障と言われる。
往復5千キロの爆撃作戦自体が危険だった。結論を言えば日本軍の戦果は200機飛んできたうちの1機撃墜であり、これはほぼ無抵抗と言っていい。
十二試双発、、、烈風空戦録。
ソーメンだったかな?