『古事記』と『日本書紀』の違い・小名木善行│ねずさんと学ぶ「今こそ!日本書紀」第2回

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  • Опубліковано 13 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 27

  • @acdc6682
    @acdc6682 2 роки тому +5

    和を以って貴しと為すって正に日本人のアイデンティティだなと思いました。今こそ日本が一致団結しないといけない時に大事なお言葉と思いました。
    また、日本古来に神代文字と言うものがあるなんて知りませんでした。このチャンネルでもっと勉強したいと思います。

  • @萩原耕介-g3s
    @萩原耕介-g3s 3 роки тому +3

    「愛」についての訓読みの由来を伺って思わぬ勉強をさせていただきました、感動です有り難う御座いました89歳です。

  • @ラリルミッツ
    @ラリルミッツ 3 роки тому +3

    3/12のことのはむすび
    参加できて光栄です
    大変嬉しく思っています🌸
    源平は宮古島にも住んでいた
    そうですね。宮古島の狩俣は
    平家村があり神行事もあった
    小名木善行先生の著書の
    「昔もいまもすごいぞ日本」と
    「日本のすごい秘密」を
    さっそく購入して、
    いま読んでいます
    とても素晴らしいです。
    昨年の6月にUA-camの
    小名木善行先生の
    CGSを偶然目にして
    とても感動し、それから
    日本の歴史を学んでいます
    ありがとうございます🌸

  • @大平清郎
    @大平清郎 4 роки тому +12

    この話は私も誤解してました。こんなに詳しく説明してくださると、本当に嬉しいですね😊学校でも詳しい話は無かったですね。何故日本人の歴史を正しく説明し無いのだろうと不思議に思えてなりません。何処かおかしいでしょう。先生には敬意を表します。

  • @bintanglaut1467
    @bintanglaut1467 3 роки тому +1

    愛のお話、素晴らしいですね
    感動しました

  • @user-zk4jt1dc8g
    @user-zk4jt1dc8g 3 роки тому +3

    素晴らしいですね

  • @mimiko331
    @mimiko331 4 роки тому +17

    今回も素晴らしい話をありがとうございました。次回も楽しみです。

    • @musubi_univ
      @musubi_univ  4 роки тому +4

      ねず先生のお話は、まだまだ続きます。どうぞ楽しんでくださいね!

  • @小林朋子-r2x
    @小林朋子-r2x Рік тому

    訓読みがある。
     漢字をこんなふうに読んだ大和言葉いいですね~
     入ってきたものに独自の解釈や言い方を加える。
     ここから漢字が馴染んでいったのではないでしょうか?

  • @mtn6060
    @mtn6060 3 роки тому +3

    ショキショキ!が何とも無理むりしくて、、、。小名木先生の講説だけで充分面白く、有意義。

  • @meninaweidethea
    @meninaweidethea Рік тому +1

    「以和為貴」は論語に出てきます。論語では「用和為貴」となってますが、「以」と「用」は同じ意味です。

  • @青山登-x1h
    @青山登-x1h 3 роки тому +1

    和諧→調和、和平→平和 いずれも中国語で使われています。

  • @nekocat3999
    @nekocat3999 3 роки тому +2

    ホツマ文字、知りませんでした。

  • @cham1445
    @cham1445 3 роки тому

    面白かったとは思いますが題名である『日本書紀と古事記の違い』はどうなったのでしょう?
    動画では主に漢字について触れられていますがそれ以外には何も触れられていないという事は二つの違いは文字だけしか違わないという事でしょうか?

  • @ytaro5150
    @ytaro5150 3 роки тому +2

    やまと言葉がどんどん好きになっていく。
    輸入語を噛み砕いて日本語の体型に組み込んでしまう力もすごい。
    今のわたしたちにはコンプライアンスをコンプラにするのがせいぜい?精進せねば。

  • @weirdohsrodd
    @weirdohsrodd 4 роки тому +4

    日本人のほとんどの方が勘違いしている事ですが、漢字はそもそも中国語として採り入れていませんね。
    逆に熟語は中国人が取り入れたものは多い様です。

  • @bjken1967
    @bjken1967 3 роки тому +1

    以和為貴 は日本語英語みたいなガラパゴス漢文だってことですね。

  • @鳳雛飛翔-y1g
    @鳳雛飛翔-y1g 4 роки тому +3

    徳川二代将軍、秀忠の長女、和子です。埃が目に入り、盲目になりました。中野区の新井薬師で、目を洗い、見えるようになり、めの仏様として、栄えました。

  • @鳳雛飛翔-y1g
    @鳳雛飛翔-y1g 4 роки тому +2

    伏見天皇陛下が、始めた。酒造、伊丹から江戸に下がり酒です。500年以上前からの歴史があります。江戸は、どぶろくが主流でした。

  • @地縁麻衣-w3e
    @地縁麻衣-w3e 2 роки тому

    太占は、東アジア。

  • @yangwang6952
    @yangwang6952 3 роки тому +1

    中華民国成立以前は王朝名か地方名のシナと表記すべきだな。中国なんて無かったんだから。
    「支那」を使わず「シナ」なら文句ないだろ、チャイナ、シノワと世界中が呼んでるし、自分たちだって、People's Republic of China って名乗ってんだから。

  • @昇天ドラゴン
    @昇天ドラゴン 3 роки тому +1

    出雲神話論;三浦佑之著に拠れば、古事記は出雲王朝についての記述、日本書紀は大和朝廷についての
    記述らしい。
    出雲王朝は縄文人(狩猟採集民)の国、大和朝廷は渡来人(稲作)の国。
    秦の徐福伝説では、BC3に稲作文化を持った人たちが和歌山県の新宮付近に上陸した。
    徐福神社本宮が新宮にある。渡来人が上陸した日本のあちこちに徐福神社と地名(秦、秦野、大秦野、羽田。。。)
    が残っている。 秦氏は大和朝廷の有力豪族となった。子孫が新宮から十津川付近を経て(熊野古道?)、奈良付近に
    進出したと思われる。 東出雲にも熊野大社があり、和歌山の熊野大社と人の交流があったらしい。
    縄文人は狩猟採集生活だったので、生活圏は丘陵地や山岳部。渡来人は稲作の為に平野部に住み着いた。
    よって、異なる生活圏の為、争う必要がなかった(”和を以て貴しとなす”)。
    その後、縄文人にも稲作技術が徐々に浸透していった。
    長野県の諏訪地方に住む縄文人は、狩猟採集で食料を確保できたので、頑なに稲作を拒否していたが、
    出雲の大国主命の子(名前を忘れたが)が、諏訪にやってきて稲作技術を教えたそうです。
    因みに、信州人の顔つきは縄文人ぽい(毛深い、げじげじ眉毛、二重瞼、色白など)ですね。

  • @yasu9874
    @yasu9874 4 роки тому +1

    5年前は、日本書紀は海外向けと言われていたような。。

  • @某国国家主席
    @某国国家主席 2 роки тому

    あんちゃと愛っぽいことしたい

  • @HH-jo1ye
    @HH-jo1ye 3 роки тому +2

    中国語の和はいくつ意味があります、例えば和睦、仲良くする。よく勉強してください。