「刑務所から出た後の人生は?」元受刑者が人生やり直しへ【更生保護施設#1】【シリタカ!】(2024年5月14日)
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- Опубліковано 21 лис 2024
- 日々、事件や事故が取材されニュースとして報じられます。
しかし、逮捕され刑が確定した受刑者たちが、どのように社会へと戻っていくのかを知っている方は多くないのではないでしょうか。
今回、服役を終えた3人の出所者が、カメラの前で未来に向けた話を聞かせてくれました。
ニュースのその後。
「刑務所から出た後の人生とは?」
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3月。この日、1人の男性が仮出所を迎えました。
64歳、隆(たかし)さん。
過去の交通事故の影響で
左半身は上手く動かせません。
犯した罪は窃盗。
生活する金に困りマッサージ機を2台盗んで、換金しました。
施設長「本当にこれからは自分の自立で。うちの先生たちと話をしたら、ちゃんと生活できるし、ね。やり直しはできるけん」。
隆さんを迎えにきていたのは星加薫(ほしかかおる)さん。
更生保護施設の施設長です。
出所したものの、隆さんには身寄りがなく帰れる家もありません。
更生保護施設では、そんな人たちを引き受け社会復帰に向けた援助をしていきます。
施設長「刑務所にいることイコール怖い人たち世間はそうだと思うんですけど、
中にはそうじゃない人たちもいるんだよって、その人たちを導いて犯罪をしない人たちに
変わってくれるように努力してる所なんだよっていうのがちょっとでも分かってほしいかな」
更生保護施設は、全国に102カ所ある民間の非営利団体です。
福岡市内にあるこの「福岡弥生寮」では、20代から70代のおよそ20人を6人の保護司でサポートしています。
施設長「お布団はどうしとると?」
寮生「なおしています」
施設長「じゃあ起きたらたたんでなおしてる?」
こちらは入所して2カ月の男性。
施設長「あーちゃんと整理整頓しとる、えらいえらい、みんな敷きっぱなしなのに」
寮生「施設長の息子ですから」
施設長「しっかりしとる」
まさに親代わり。
このような生活指導に加え、社会復帰するための就労支援も行います。
国からの委託費で運営されている更生保護施設。
寮生がこの施設にいられる期間は6カ月と定められています。
出所してわずか半年後には、自立して生活しなければいけません。
施設長「ごめんね、入ってもよか?」
窃盗の罪で3年間、福岡刑務所に服役した隆さん。この施設に入って2週間が経ちました。
1週間早く入所した58歳の和彦さんと相部屋で過ごしています。
和彦さんが犯した罪は、隆さんと同じく窃盗。金に困った挙句、1000円ほどの弁当を盗みました。
和彦さん「3~4日ちょっと食べていなかったですね。はっきり言って空腹に耐えきれなかったです」
和彦さん「自分は、気が小さいですから、強盗とかそんなんはできないし、話をするのは苦手な方で、いつもひとりだったもんですから」
職場での人間関係も上手くいかずに仕事を転々としました。
両親や兄弟とも30年近く会っておらず相談できるような友人もいなかったといいます。
星加さん「今までの寮生たちを見てきてもやっぱり孤独。ここにきた人って1人で考えたり
同じ考えの人たちと行動したからおかしなことをした人たちだから
話を聞くというのが一番かな。それが保護司の仕事でもある」
いまは保護司から紹介された工場の仕事を続けています。
和彦さん「リンゴのカットをして誰とも話さないでずっとやっていけるし
それでも分からないことは(職場の)女性に聞いて教えてもらって。
これまでやってきた仕事と全然違いますから仕事に行ってても面白いですね、楽しいし」
隆さん「いま話聞いとったら、職場で女の人と話しよっと?」
和彦さん「あーうん」
隆さん「聞いてねえぞ」
和彦さん「いや、話って言っても向こうは片言ですよ。ベトナムの女性ですからね」
隆さん「俺もいこうかな」
記者「弥生寮でてからどんなふうになりたい?」
和彦さん「普通の生活ですね。仕事に出て、お金をもらって。
ぜいたくなんかできなくていいですから。そういう生活がしたいですね。
これまでそういうのなかったですから。」
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午前5時。
夜が明けるよりも早く、弥生寮の1日は始まります。
寮生たちが食堂に集まってきました。
仕事に向かう前に、急いで朝食を済ませます。
覚せい剤取締法違反などの罪で3年間服役していた、直樹(なおき)さん。
去年12月に仮釈放となりました。
薬物に手を染めたのは、まだ、高校生のとき。17歳でした。
きっかけは学校の先輩からの誘い。ケンカに向かう際、
気持ちを高めるために覚せい剤を使ってしまいました。
Cさん「強い気になれるというか自分は何でもできるという。
ただどんどんクスリが切れてきたら狙われてる、
やられるという(幻覚)の繰り返し。今でもやりたいですし、目の前にあったら絶対にやります」
4年間、毎月、薬物検査を受け、欲求を押し殺してきたのは、ある目標があったからです。
Cさん「子どもと一緒に住みたいんですよ、そのために仮釈放もらったんで」
以前は解体業をしながら男手ひとつで小学生の子ども2人を育てていました。
しかし、なおきさんが逮捕されたことで子どもたちは児童養護施設に預けられることに。
寮を出るのは来月末。再び家族で暮らせるよう、
貯金など、少しずつ準備を続けています。
Cさん「さみしい思いをさせてますし、やけど自分がいま子どもたちに
何ができるかなと考えたときに、シャバにいないといけないですし。
そこで薬やってしまったらね救いようがないというか
ここが踏ん張りどきかなって思ってるんですけど
それでもシャブはしたいんです、その葛藤です」
「覚せい剤」で再び刑務所に戻る人の割合は4割を越えます。一度手を染めたら、
その高い中毒性と闘い続けることになります。
記者「やらずに済んでるっていうのはどうして」
Cさん「僕はここ(弥生寮)があるからです。それしかないです。
「覚せい剤をしてしまって友人知人ぜんぶ失ったんで、何も相談する相手もいない」
「でも前と違うのはまともな答えを出してくれる相談相手ができたっていうのが救い」
社会復帰するための準備期間は、6カ月。
その後どう生きるかは、保護司との信頼関係が大きく影響するといいます。
Cさん「やっぱり僕は覚せい剤でつかまったので今でもしたいと思いますし。
したいと思ったときには言ってねっていう先生なんでそういったことまでも先生には言える仲」
施設長「分かち合えたらいいですよね。私たちの思いも分かってくれる
向こうも自分がこうだって言ってきてくれるというのが一番いい関係。人間はどこかでいつか変われますよ。
それを信じたいかな」
2回目の放送はこちら→ • 身寄りなき元受刑者の「オヤジ」 寮生の社会復...