【朗読】亀井勝一郎「太宰治の思い出」 朗読・あべよしみ
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- Опубліковано 4 жов 2024
- 『太宰よ!45人の追悼文集・さよならの言葉にかえて』より朗読させていただきました。
初出・・・『新潮』1948年6月号
亀井 勝一郎
(かめい かついちろう、1907年〈明治40年〉2月6日 - 1966年〈昭和41年〉11月14日)は、昭和期の文芸評論家、日本芸術院会員。
当初は左翼的政治運動に参加したが転向し、仏教思想に関心を深め、文芸評論や文明批評で活躍した。「日本浪曼派」を創刊。著書に『大和古寺風物誌』(1943年)、『現代史の課題』(1957年)など。
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#随筆
太宰が亀井の住む三鷹に居を移した1939年頃から付き合いがはじまり、作品のみならず太宰の人柄にも深い理解を示した。(河出文庫『太宰よ!45人の追悼文集・さよならの言葉にかえて』より)
あべよしみさん、素晴らしい朗読ありがとうございます。
10代のころ、「人間失格」など読み、暗くてじめじめしてやだなあ、太宰治って苦手だなあ、30数年間そう思い続けていました。
定年前に勤務していた職場には毎年20人以上の学生が実習などで来所しており、深い人間性を感じる学生はみな読書を、そして例外なく太宰治を読み込んでいて、改めて太宰治を読もうと決めて読みまくり、太宰治にすっかり魅了されてしまいました。10代のころには分からなかった太宰治の面白さを知るきっかけを与えてくれた学生のみなさんに今も感謝しています。
ほとんど本を持たなかった太宰治にとって亀井勝一郎宅は貴重な「図書館」だったようですね。
評論家らしく冷静な視点で太宰治をみつめている亀井勝一郎のこの「思い出」は大変貴重な一文だと思います。
もうすぐ6月19日が今年もやってきます…。
あべよしみさん、ほんとうに素晴らしい朗読をありがとうございました。
抑揚の効いた素晴らしい朗読でした👂 太宰作品をまた読んでみたくなりました。あべ様の朗読も聴かせていただきます🙇 今日が入水の日だとは迂闊にも知りませんでした。教えていただきありがとうございました🍒
太宰さんが好きで、東北に憧れました❤
6月19日の朝に聞いてます😭🙏
ありがとうございました😭🙏
残念で可哀想です。
太宰治はたぶん病気だったと思います。
現代でしたらメンタルクリニックがあるので幸いです。
あべ様の素晴らしい朗読劇が聴けて嬉しいです。有り難うございました。
私は硬くストイックであり酒など一滴も飲まなかった、とあるが、昭和14年三鷹に太宰が引っ越してきて、突然太宰が酒を持って訪問したそうです。檀一雄が書いているが、亀井が酒を飲み始めたのは太宰のせいだろう、と言うことだが、太宰の死の翌年、弟子の田中英光が太宰の墓前で自殺をする。亀井勝一郎はこの時この二人は刑務所に3年くらいいれておいたほうが良かったと、かなり厳しいことを書いている。太宰治他殺説、つまり山崎冨栄に殺されたと最初に言ったのは亀井勝一郎である。函館のハリストス正教会の手前に亀井勝一郎生誕地碑が建っている。函館大火で焼失、そこから右手に旧亀井家がいまでもある。吉祥寺駅から左へ行くと右手に今でも亀井家がある。
朗読ありがとうございます。
ここ数日やけに太宰の朗読が多いなと思ったらそう言う事ですか・・・
生誕を祝ってるのか自〇を忌んでいるのか?⇒桜桃忌(6/19)