【ゆっくり解説】島津四兄弟九州統一戦その2ー肝付・伊東との激戦を制して宿願の薩摩・大隅・日向三か国平定へ!
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- Опубліковано 8 вер 2024
- 今回は当主になった島津義久が弟の義弘・歳久・家久たちの活躍を得ながら日向の伊東義祐を中核とした反島津包囲網を崩して、島津の根本領国薩摩・大隅・日向の三州を統一する過程を解説していきます。
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日新斎は義久には総大将としての心構え、義弘には先鋒大将としての心構えを教えているから、義弘の真っ先に自分から突っ込む姿はちゃんと心構えを実行しているんだと思う。二人の役割が元々は全く違うのに現代色々言われてるのはやはり秀吉に降伏した後、義久の跡目争いによるんだよね。詳しくは桐野作人さんの島津義久て小説に詳しいけど、中々にドロドロしていたね。
コメントありがとうございます!この時期は義久と義弘の仲は普通に良かった感じですね。末弟の家久のほうは色々問題行動起こしてましたけど😫😫
元々島津家と肝付家は日新斎忠良の娘が肝付兼続の正室だったりとそれなりに良好な関係だったのに、両家での宴席で伊集院忠朗がやらかした為に一気に関係が悪化してしまったんですよねぇ。食い物の恨みは恐ろしい・・・
義久「ここからが本当の地獄だ・・。」
笑 その地獄っぷりがこのシリーズの見どころではあるんですが😅😅
島津シリーズ有り難うございます🎵
ありがとうございます!今後も期待していただければと思います😄😄
修験者まで使ってたって話(17:15)聞いて、10年ぐらい前にNHKでやってたタイムスクープハンターで山伏が法螺貝吹きをさせられてた話を思い出したなー
コメントありがとうございます!山伏は税金徴収にも関わってますしマルチな活躍ですね。
解説ありがとうございます‼️
ただ、何となく「濃厚な神の君感」
ま、敗走する側が記録を大量に残すとは思えないので、どうしても「島津万歳‼️」な話になりがちですよね💦
その点、武田や後北条とは違う検証が必要なお話になるんでしょうね。
コメントありがとうございます!実際にはこの時期の島津は相当追い詰められた状況でしたしね。
島津も始めからバーサーカーではなかったという事ですね。ここでの辛酸をなめた経験が後に生きてくる
失敗から学んで次に生かすことが出来れば、それは失敗ではない。
※もっとも死につながる失敗はしてはいけないけど
コメントありがとうございます!成功は失敗を重ねないと生まれないですからね。
島津がこれだけのゴタゴタ生き抜いて鉄砲も装備してたら、おぼっちゃまの大友は負けるわなぁ
コメントありがとうございます!そういった苦境を乗り越えてきた逞しさが島津軍の強さの根幹だったんでしょうね。
家久、歳久はどういうルートで上洛したのでしょうか・・・・やっぱ海ですかなぁ・・・瀬戸内海かなぁ・・・
コメントありがとうございます!家久は瀬戸内海ルートで上洛してますね。
200年くらい続いた島津、伊東の抗争が終結😗
餌をくれない、助けてくれない、ボスにはついてこないわな
コメントありがとうございます!なんの利益も提供してくれない政治家なんて存在価値ゼロですからね😣😣
遅れて来たルーキーSHIMAZU!
コメントありがとうございます!本格的に勢力を拡大するのは結構遅いですよね。
1577年で自称島津三州を統一できたんやな