【信長の野望紀行】センゴク権兵衛ゆかりの引田城を空撮
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- Опубліковано 15 гру 2024
- ナレーション さら
撮影・編集 ユーリ umdry
今回は、香川県東かがわ市にある引田城を紹介します。
この城は2017年、続日本100名城に選ばれ、県内外の城郭ファンが訪れるようになりました。2020年には、東かがわ市初の国史跡に指定されました。また、漫画「センゴク」の読者には、主人公の仙石権兵衛ゆかりの城として知られています
登山道は2つありますが、この動画では、南の登山口から登っています。南の登山口には駐車場と仮設トイレがあります。パンフレットも置いてあります。
引田城の近くに、東かがわ市歴史民俗資料館があります。ここに、引田城の遺物や模型が展示されていますので、立ち寄ってみてはいかがでしょう。
本丸に到着しました。
引田城は総石垣の山城で、石垣の総延長は約600mに及び、香川県最大規模を誇っています。
分岐点を右へと進みます。
発掘調査の結果、礎石と大量の瓦が見つかりました。なかでも、鯱瓦が出土し、鯱瓦を飾る礎石建物があったことがあきらかになりました。
また、瓦と同じ時期の備前焼の摺鉢、志野焼や唐津焼など、城での生活を物語る遺物も見つかっています。
もうすぐ山頂です。ここに天守があったと考えられています。登山口からここまで、約10分かかりました。
讃岐と阿波の境目にあるこの地は、古くから戦いが繰り広げられました。
天正11年(1583)羽柴秀吉の家臣・仙石権兵衛と、長宗我部軍が、この地で戦いました。権兵衛は敗れましたが、長宗我部元親が秀吉に降伏し、権兵衛は引田城の城主となりました。
天正15年(1587)島津軍との戦いに大敗した権兵衛が高野山に追放されると、代わって、生駒親正が城主となりました。親正は、引田城を総石垣の山城へと大改修しました。
ところが、引田城の位置が讃岐の東に偏っていると考えた親正は、本拠地を引田から高松へと移し、高松城を築きました。
引田城は、取り壊されることなく、東の拠点として機能し続けたのです。
【参考】
『東かがわ市歴史民俗資料館だより第15号』東かがわ市歴史民俗資料館発行 2010
『引田城跡ー播磨灘を望む城ー』東かがわ市教育委員会発行 2020
引田城跡散策マップはパンフレットをスキャン、遺物と模型は東かがわ市歴史民俗資料館で撮影。
#城めぐり #長宗我部 #空撮
引田城🏯登られたんですね😉引田不整合や女郎島の空撮は海側から撮ったんですが引田城は未踏でした😑参考になりました🥰解説、バッチリです👍🔔ポチッとさせて頂きました(๑˃̵ᴗ˂̵) 空撮のshin007でした🤗
ポチッとありがとうございます。海側からのほうがいい画が撮れそうですね。