「無宗教のあなたへ」〜YouTube常例法座#39〜
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- Опубліковано 31 тра 2022
- 本願寺鹿児島別院では毎月1日・16日に「UA-cam常例法座」を配信!
浄土真宗本願寺派布教使によるご法話(仏さまのお話)をお聴聞ください。
おうちでおてらじかん過ごしませんか?
#浄土真宗 #法話 #心に響く話 #常例法座
UA-cam常例法座#39(6月1日配信)
出演:那須 弘紹氏(なす こうしょう)
HP:sp.hongwanji-kagoshima.or.jp/
Instagram: / hongwanji.kagoshima.be...
本願寺鹿児島別院・出張所では法話会である「常例法座」定期的に行っております。ぜひ実際のご法座にもお参りください。
詳しくは別院のホームページをご覧ください。
那須先生。ご法話有難うございます。例えば、仏教は、江戸期に寺請制度中で、村に一軒のお寺に組み込まれて今日に至っています。私もそうした中で引き継がれた門徒です。現在は信教の自由が言われ、実家の宗派は先祖からのもの。自分は別の宗派を信仰する状況が生じていますね。お話の中で、「何もかも願わなくてよい」と仰られていますが、浄土真宗で本願力に逢うには、諸仏諸神を拝まず、雑善雑業を修せず、が必要条件だと感じられるのですが。先生のお話はその点には触れておられないのは何故でしょうか。
北畑さま。お聴聞ありがとうございます。かさねて貴重なコメントありがとうございます。おっしゃる通り江戸時代の寺請制度の延長線上に今の門徒制度があり、それに胡坐をかいてきたのが現代のお寺であり、それが壊れつつある、いやすでに壊れてしまっているのが現状だと思います。
ただ、私は本願力にあうための必要条件が「諸仏諸神を拝まず、雑善雑業を修せず」というのであれば、それはしんどいなあと思ってしまいます。
本願力にであえて、お念仏の教えに触れていく中で、すこしづつ「諸仏諸神を拝む必要はなかったんやなぁ。お念仏ひとつでよかったんやなぁ」とお育てにあっていくものであったらいいなと味わっております。
必要条件があったら、他力では無いでしょう。
願うと念じるはどう違うのですか?