【岡田斗司夫】「僕に友達はいらない」自分がい●められてる事を冷静に分析していたとしおの幼少期。神に誓った中学二年の決意。【漫画家】【対談】【山田玲司/切り抜き】
Вставка
- Опубліковано 2 сер 2024
- ※この動画は2014年11月に収録されたものです。
■元動画はこちら↓
• 岡田斗司夫にキラークエスチョン・山田玲司のヤ...
【前回の動画はこちら】↓
• 【岡田斗司夫】彼をサイコパスに目覚めさせた幼...
0:00 小学校時代
1:18 メジャーの場に出ようと思った理由
2:27 仲間ができた
5:02 ●●と呼ばれていた
6:30 中二の決意
※当チャンネルは「山田玲司ヤングサンデー」様の動画管理元であるガジェット通信様と正式な契約の元でMCNに加入して収益は折半し、「山田玲司のヤングサンデー」様、黙認の元運営されております。動画内容については当チャンネル運営者の自己責任のもとアップロードしております。
■■出演■■
■山田玲司(漫画家・本質翻訳家)
Facebook: / reiji.yamada. .
Twitter: / yamadareiji
note:note.com/marutisu
HP:yamada-reiji.com/
奥野晴信(湘南のゴーストライター)
Twitter: / nozomuhighkick
岡田斗司夫UA-cam
/ toshiookada0701
『山田玲司のヤングサンデー』は、漫画家・山田玲司が立ち上げた、どんな時代でもとりあえず“ゴキゲン”であることをモットーに、漫画、アニメ、映画、芸術、恋愛、スポーツ、歴史など、現代社会のあらゆる事象を斬新かつ普遍的なまなざしで斬りまくる、生放送のトークライヴプログラムです。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
UA-camメンバーシップ
各チャンネルの案内はこちらから
yamada-reiji.com/archives/3032
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
#山田玲司 #岡田斗司夫 #対談 #漫画家 #切り抜き #サイコパスおじさん #山田玲司切り抜き
#考察 #アニメ #人生相談 #解説 #山田玲司のヤングサンデー #生い立ち #家庭環境 #幼少期 - Навчання та стиль
幼少期からそこまで分析できるのが凄い…
学生時代じゃ2人組作って攻撃くるから辛い
冷静過ぎて草。
確かに学生時代は全てが狭すぎたので、オトナの世界の無限大の知性と自由を知ってしまうと、あの時代に戻るのは無しだわ。
私もいじめられてたけど、『こんな人間、俺でもいじめるよな』と客観視できるようになったのは、進学していじめっ子と違う学校に通うようになってから。
当事者の状態で、ここまで客観視はできないです。
さすが化け物。
直感を言語化するの分かるな〜。
分析しようとすると何か的外れな感じになるけど、直感は最後まで大体合ってること多い。
絡まった紐の塊が降りてきて、それを落ち着いて解いていきながら先端から順番に人に見せていく感じ。
2:35 ここの話すっごく共感する。だから私は趣味がないと生きていけない。趣味を介さない友達ってほぼいないかな。学校もすごく苦手だった。
なんの漫画?か忘れたけど、こことは真逆で「仲間じゃなくて、欲しいのは友達なんだ」みたいなセリフがあってその話の中では、それがキャラクターの心情だったんだろうけど、全く理解出来んかった。読んでてそこは逆だろ!と思ったけど、周りのキャラクターもそれに納得!的な感じだったから、あれ?俺が間違ってる?てお話なのに困惑してたわ。笑
如何にして文脈を読込むか。正にオタクっすなぁ。
何か一緒にする人間関係と、友達って違うのか。
私の感触でいうと、何もしなくても構わない関係には全然慣れない。何かやっていないと人と会話できない。
でも、何かすると嫌がられる。
思考って誰でもするのに、思考していると人が気づくと「そんなに悩まなくていいんだよ」って励まされた。
「思考する、イコール不幸だから」という、わけのわからん解釈をする人がいるんだ。
そんな、わざと違う解釈する人と会話が成り立つわけがない。
「不幸だから考えて生きている」と解釈されているとわかったら「この人は普段考えずに生きてるんだ」と思ったな。
いじめられっ子って、意外と物事考えて生きてるよ。
私も、物事の本質につながりそうな質問しかしなかった。
人のいうこと、やることが合わないので「なんで?」と聞いたら、周りはカチーンときたようだ。
たぶん、私は答えられない質問ばかりしていた。
人は言うことやることが違うのはなんでか、人生とは、人間とは、なんで幽霊騒ぎがあるのか、超常現象ってなんや?神とは、運命とは、どう生きたらいいのか。
駄弁ったりする仲間が多くいて遊んでいるだけで思う事なんざたかが知れている。
人生の本質、人間とは、なんてことに中二の私は興味を持った。
本当にわからなくなって人に聞くときは本質を突いたような質問ばかりだった。
これを嫌がる人しかいなかった。
たまたま、一人、二人友人はいたんだ。何もしなくても駄弁って遊んでいるだけでいい関係の人間はいた。
このばあいは岡田さんのいう友達なんだろう。
そういう友達は、たいてい一人、二人だけいた。
その友達とは、四六時中知識を喋って過ごしていた。
超常現象の話題が好きだったが、31アイスクリームとか、アイドルとか、つるむとかどうでもよかった。
その中で、たまたま駄弁っているだけの友人が二、三人。
私とこのように仲良くできる人間のタイプで、必ず当てはまる特徴があった。
雑学知識が豊富で、知識についていつも疑問を持っており、仕組みとか、理由についての疑問を一日中、年中しゃべっても苦じゃなかった。
中身のある話を一日中していられる人が、私と長く付き合える友人に慣れることが多かった。
常に、二、三人しかいなかった。
このように、よく物を考えられる人の割合は、昭和、平成、令和と進むにつれて激減した。
私もいじめられていたが、人生の本質とかに直結する、中身のある疑問しか考えられなかった。
そんな私が、世界一無知であるかのように、人はバカにしていたよ。
中身のないことしか考えていない、今のパリピみたいな人たちが、中身のあることにしか興味がない私を無知だとののしった。
人はもっとものを考えて生きた方がいいと思う。
まず学校教育で思考力奪われる。私は学校の横暴に抵抗した覚えはない。
「なぜ?」と思うこと自体を敵視されただけなんだ。
考えることを悪とするのは、閉鎖的な空間で支配するための抑圧であろう。シャドーハウスのように。
「余計なことを考えちゃいけない」「おじいさまのために生きることが、私たち人形の幸せです!」といって黒い目をして学校にいる。
みなさん、学校生活で「余計なことを考えちゃいけない」と言われた、似たようなことを示された経験があるはずだ。
日本のありとあらゆる組織に入ったら、余計なことを考えちゃいけないのだ。
日本政府からあなたの親まで、一方的な事をされている時は、ススに支配され、真っ黒な目をしている。
いじめがどこまでも悪化する学校では、いじめられっ子以外が黒い目をしている。
こまったことに、シャドーハウスと違って、こいつらは正気を失っていない奴も多い。
子どもたちの幸せを喜ばない日本の教育が悪いということになる。
この学校、大阪市、日本の為に文化祭の看板を作ると、自分のちっぽけな望みがなくなって、楽って!
エゴがなくなるから、楽という事なんですかね。
他のクラスとは明らかに違う看板、見てみたい!
この人でも厨二病になるならみんな厨二病。