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編集コリコリですね💗エフェクトの使い方も上手。 うーーーん、田舎の都市伝説とは、これ如何に。ガードレール低くないですか? もう、この道路脇の傾斜地は渓谷側にずり落ちつつあるのでは?2:34この歩道の敷石は作業員の方達が全部、手積みしてますよね。バカラしい行為と思います。無駄な費用…。携帯の繋がりは怪しい時、私たち親子は小型無線機で連絡を取っていました。大きくなると娘は、煩いなあぁぁと言ってました。10:29■ 湖底の泥の中の埋もれた橋郷土史家 =その地域の教育委員会はそこそこ詳しく資料を持っています。13:43橋と桜、きれいでしょうねねねねっ良くもまあ、城の石垣の石、あつめましたね〜。これらの石、当時はそこいらに露頭してたのかなぁ??
取材お疲れ様でした。第二・第三弾をお待ちしております。
はい^_^
昔、旧道の先にあった集落でキャンプしたことがありますよ。旧トンネルの手前から右に行ったところにありました。
キャンプが出来るんですか?
みえちゃんねるさん今はできないと思います。ダム湖の一番奥は、昔、司書橋というJR九州バス(当時は国鉄バス)のバス停があって集落もあったような気がします。
バス停もあったんですね、
@@miechannel0207 さん今の犬鳴トンネルができる前は博多駅発直方行きの国鉄バスが旧トンネルを普通に通ってましたから~。
乗る人がいたんですね〜
犬鳴ダムの管理事務所は仕事で行きました。夏でしたので、涼しくて良かったですよ。干上がって、出てくる橋は観たいですね。後、Googleの地図で発見した、犬鳴分校がちょっと気になりますね。学校があったんですね、
はい、その後、吉川小学校と統合しましたが、その小学校も廃校になりました。
@@miechannel0207 調査力すごっ!
@@miechannel0207 吉川小学校の分校ですね。
犬鳴峠の話ですが、昔(約30年)の夜中、2時から3時頃に通ると男性が毎回、居ました!懐中電灯も持たずに暗闇を歩いてたから、驚いた事が有ります。数回見ました。
まだ、集落はあるみたいです。でも、真っ暗でしょうね、
配信お疲れ様です😆🎵🎵以前は、下に降りれてましたが降りれないのですね。犬鳴の主生産は木炭で白炭 黒炭があり黒田藩に納めていました。でも、自己責任の看板は怖いですね
降りる場所が、見つかりませんでした。どこかにあるはずなんだけど。
@@miechannel0207 降りる場所は簡単に見つかりますよ。親水公園の対岸にある石段から降りることができます。
はい、そこわかりました^_^
@@miechannel0207 親水公園一帯は藩有林の管理と御譜代組足軽たちの人事および給与支払いをしていた福岡藩の犬鳴谷御勘定所跡地で、犬鳴に住んでいた人たちは勘場(かんば)と称していました。
犬鳴村は昔から存在していませんし、犬鳴谷村も明治二十二年(1889)に公布された市町村制により周辺の4村と合併し鞍手郡吉川村を発足。犬鳴谷村は吉川村内の集落となり鞍手郡吉川村大字犬鳴になり、その後、合併を繰り返し現在は宮若市大字犬鳴になっています。犬鳴谷村は元禄四年(1691)に福岡藩庁が藩有林の保全管理のために城下、地行町(現・福岡市中央区地行)の組屋敷に住んでいた御譜代組足軽に移住を命じ成立させた村で、犬鳴谷の御譜代組足軽たちは苗字の公称・両刀の帯刀・羽織と袴の公的着用を許されていた士分扱いの上級足軽で年に数回ほど福岡城に出向き鉄砲と槍さばきの練習を義務付けられていたそうです。なぜこのようなことがわかるのかというと、犬鳴ダムの奥に犬鳴谷庄屋兼足軽組頭を世襲で務めていた篠崎家代々の墓地があり、その中の大きな墓石に刻まれていた銘文から判明したのです。8:17あたりから10:02あたりは犬鳴谷鎮守の日原神社跡地です。福岡県営犬鳴ダムの建設に伴い遠方に転居した家を除き、ほとんどの家が近隣の脇田地区に転居しています。日原神社も脇田地区に移転しました。犬鳴出身者で衆議院議員に選出された名士がいたことをご存知ですか?幕末〜明治維新時にかけて犬鳴谷庄屋兼足軽組頭を務めていた篠崎新吾の4男篠崎豊彦は日露戦争で大連に渡り、戦後も満州に留まって実業家として成功。大正八年(1919)に帰国して大分県別府市に住居を定め、大いに声望を高めて昭和六年(1931)には衆議院議員にも当選しました。87歳で没し、遺言により父祖代々の地である犬鳴に遺骨は埋葬されました。篠崎家代々の墓地の一角に篠崎豊彦夫妻の立派な墓碑が建っています。余談ですが明治十年に勃発した西南戦争の時には犬鳴谷の壮年男性のほとんどは小倉歩兵14連隊の下士官として徴兵されたそうです。ウチには御先祖様が福岡藩庁から与えられた陣笠・足軽具足・鉄砲・槍・大刀と脇差・羽織と袴、西南戦争の時の軍帽と軍服などが遺されています。御別館跡地近辺には2軒の住家があったということなので番地はあります。何か犬鳴について質問があればコメントください。犬鳴村という村は昔から存在していませんし、犬鳴谷村も明治二十二年に合併に伴い消滅しました。
江戸時代から犬鳴各戸の菩提所である浄久寺(宮若市乙野・浄土宗鎮西派)と東禅寺(宮若市湯原・曹洞宗)の過去帳や記録に犬鳴谷の地名が初めて記載されているのは御譜代組足軽移住後の元禄六年および翌年の元禄七年です。江戸時代の地誌、筑前国続風土記にも犬鳴谷を称するようになったのは元禄六年以降からで、以前は大河内または火平(ひのひら)と称していたと記載されています。
数年前から伝説の犬鳴村に興味があり、ネットやスマホや写メやデジカメがなかった時代だったせいか本当の犬鳴村に辿り着いた時の動画や画像が一つもなくて残念です。証言としていろんな犬鳴村関係の動画のコメントやヤフーの知恵袋の回答を読んで調べて簡略的にまとめてみると、本当の犬鳴村への行き方は2つ。1つ目は、犬鳴トンネルの久山町側か若宮市側の出入り口から出て左のトンネル脇の森林のどこかに獣道の入口があり、そこから入って200、300m進むと本当の犬鳴村の入口があるらしい。入口から入ると村の広場に動物の骨やボロボロの白いセダンが置いてあり車の周辺には朽ちた小屋や家らしき建物、人骨のある小屋がてあるそうで、村の周囲のあちこちに警報器として空き缶や木が吊るされいるそうです。2つ目は、犬鳴ダム近くの(犬鳴トンネルがある方向)獣道の入口から入って奥へ行くほど普通の小道に変わり、奥へ進むと昔のトロッコの線路跡がありさらに森林に入ると少しした所で線路が途切れ、森林の奥に犬鳴村があるそうです。一つ目か二つ目の通りに行動するともしかしたら本物の伝説の犬鳴村が見つかるかも。「この先日本国憲法通用せず」の看板は1996年に役所に撤去されたそうです。もし本当の犬鳴村をもう一度探しに行き直すなら、犬鳴村は杉沢村のように悪霊が襲って来るのではなく生身の人間が斧と鎌を持って襲って来るそうなので気を付けて下さい。その時の護身具は電動ガン(18歳以上)と催涙スプレーと小型透明盾、超強烈に眩しいマグライトの持参をお薦めする。
映画になった場所ですね🕯🐒💦汗
1970年代は単純に旧犬鳴トンネルに女の幽霊が出て、車に乗っかってくるって話しかなかったんだよね。それがダムやらなんやらで尾ひれがついて、旧トンネルに向かうところに立入禁止のゲートが出来て、それがまたなんとも恐怖感煽って。。。。
やはりいろんな事があり成仏してない霊もいると思います。
地元出身者ですが、福岡に遊びに行く際は普通にトンネル使っていましたね💦後、コメントに在りましたが、宮田町と若宮町が合併して宮若市に成ったので現在は若宮町は存在してませんよ。
宮若、若宮、いまだよく間違えます〜
昭和初期以前生まれの方々は若宮町とか宮若市と言わないです。吉川とか吉川村と言われています。吉川村役場跡は脇田の県道21号線沿い100円無人精米機の横にあり、村役場を示していた石柱と役場建物が残っています。昭和三年生まれの祖父の兄は静岡県に住んでいましたが、亡くなる前に望郷の念にかられていたのか吉川に帰りたい、吉川に帰りたいと毎日のように言っていたそうです。
いつも興味深い投稿楽しみにしています。私は、30数年前庄内町で暮らし学生を営んでおりました。先輩に連れられ犬鳴トンネルにて肝試しをしておりました。トンネル手前の壁には、子供を抱いた女性の姿がありましたね。筑豊の投稿楽しみにしています。飯塚バスセンター,ジャスコ、伽羅、レディーバード、ミスターマックス、懐かしいです。突然すみませんでした。有難うございます。
コメントありがとうございます。筑豊動画、結構アップしています^_^見てくださいね〜^_^
福岡最大の心霊スポット犬鳴隧道過去に殺人事件が起きた場所
これ旧道と?旧道にも城の石垣があるっちゃない?
これは全く別物
youtubeで昔の番組で犬鳴ドキュメンタリーのモノ見ましたが、その番組で取材に答えてるお爺さんが、犬鳴谷村も犬鳴村も そんなモノは昔から無い!って言ってました。そりゃポツンポツンと家はあったでしょうが、犬鳴村は完全作り話ですね。
犬鳴谷村は明治二十二年までありましたが、犬鳴村は昔から存在していません。江戸時代の各地誌や福岡藩検地帳などに犬鳴谷村または犬鳴山の地名は記載されていますが、犬鳴村の地名は記載されていません。
こんにちはー☔️ 旧犬鳴村散策おつかれさまでした✨ 歴史ある集落がダムの下に埋もれ沈むのはせつないですね💧 大雨が降るとダム内の橋もかくれちゃいますね☆☆☆
橋は水量が増えると隠れてリアル感ないです。ダム建設で、沈んだ村がいくつもありますからね。
@@miechannel0207 小さい祠3つと 橋(石造りまたは古いコンクリート)… せつない感じがしました 動画配信ありがとうございます🎥♫ 追伸 オープニングの音楽が怖かったです💦
オープニング、頑張ってgif作りました。笑
@@miechannel0207 (≧∀≦)💯ですね↗︎↗︎↗︎✨
今回、前半はアフレコです。
口裂け女も、東署に連れて行かれて、調べたら、犬鳴村から、トンネル通って通勤しょった人やったらしいし😅久山町の役場の偉い人も犬鳴村の人やったらしいし😅
犬鳴村はただの都市伝説で存在しません。
犬鳴村は完全な都市伝説ですね!わたし、20年前くらいですね!犬鳴ダムでよくバス釣りをしてました!夏は夜9時過ぎまで毎日のように釣りをしてました。ここ車で来るわけですが、水面近くに降りると、車から結構離れるし、見えないので、よく車上荒らしに合うという話は聞いたことありますね!それも、鳥かご持ったオッサンが怪しいとの話までありました!わたし、個人的に思いますが、確かに凶悪な事件もありましたが、犬鳴村とか都市伝説を風潮するような行為は嫌いですね!そういうところに変な輩が集まりますので!!しかし、ダムは建設したての時は、公園ぽくとてもきれいですが、年月が経つとどんどん荒れていきます!力丸もそう、わたしは個人的にはダム建設反対ですね!行く末が見えてますし、死体捨てる場所に必ずなりますね!
都市伝説が全国に広がりましたね、ゴミを捨てたり、荒らされたりは嫌ですね。
最初のナレーションがぶち恐いです。
今回は、真面目に語ってみました〜
編集コリコリですね💗
エフェクトの使い方も上手。 うーーーん、田舎の都市伝説とは、これ如何に。
ガードレール低くないですか? もう、この道路脇の傾斜地は渓谷側にずり落ちつつあるのでは?
2:34
この歩道の敷石は作業員の方達が全部、手積みしてますよね。バカラしい行為と思います。無駄な費用…。
携帯の繋がりは怪しい時、私たち親子は小型無線機で連絡を取っていました。大きくなると娘は、煩いなあぁぁと言ってました。
10:29
■ 湖底の泥の中の埋もれた橋
郷土史家 =その地域の教育委員会はそこそこ詳しく資料を持っています。
13:43
橋と桜、きれいでしょうねねねねっ
良くもまあ、城の石垣の石、あつめましたね〜。これらの石、当時はそこいらに露頭してたのかなぁ??
取材お疲れ様でした。
第二・第三弾をお待ちしております。
はい^_^
昔、旧道の先にあった集落でキャンプしたことがありますよ。旧トンネルの手前から右に行ったところにありました。
キャンプが出来るんですか?
みえちゃんねるさん
今はできないと思います。
ダム湖の一番奥は、昔、司書橋というJR九州バス(当時は国鉄バス)のバス停があって集落もあったような気がします。
バス停もあったんですね、
@@miechannel0207 さん
今の犬鳴トンネルができる前は博多駅発直方行きの国鉄バスが旧トンネルを普通に通ってましたから~。
乗る人がいたんですね〜
犬鳴ダムの管理事務所は仕事で行きました。夏でしたので、涼しくて良かったですよ。干上がって、出てくる橋は観たいですね。後、Googleの地図で発見した、犬鳴分校がちょっと気になりますね。学校があったんですね、
はい、その後、吉川小学校と統合しましたが、その小学校も廃校になりました。
@@miechannel0207 調査力すごっ!
@@miechannel0207 吉川小学校の分校ですね。
犬鳴峠の話ですが、昔(約30年)の夜中、2時から3時頃に通ると男性が毎回、居ました!
懐中電灯も持たずに暗闇を歩いてたから、驚いた事が有ります。
数回見ました。
まだ、集落はあるみたいです。
でも、真っ暗でしょうね、
配信お疲れ様です😆🎵🎵
以前は、下に降りれてましたが降りれないのですね。
犬鳴の主生産は木炭で白炭 黒炭があり黒田藩に納めていました。
でも、自己責任の看板は怖いですね
降りる場所が、見つかりませんでした。
どこかにあるはずなんだけど。
@@miechannel0207 降りる場所は簡単に見つかりますよ。
親水公園の対岸にある石段から降りることができます。
はい、そこわかりました^_^
@@miechannel0207 親水公園一帯は藩有林の管理と御譜代組足軽たちの人事および給与支払いをしていた福岡藩の犬鳴谷御勘定所跡地で、犬鳴に住んでいた人たちは勘場(かんば)と称していました。
犬鳴村は昔から存在していませんし、犬鳴谷村も明治二十二年(1889)に公布された市町村制により周辺の4村と合併し鞍手郡吉川村を発足。犬鳴谷村は吉川村内の集落となり鞍手郡吉川村大字犬鳴になり、その後、合併を繰り返し現在は宮若市大字犬鳴になっています。犬鳴谷村は元禄四年(1691)に福岡藩庁が藩有林の保全管理のために城下、地行町(現・福岡市中央区地行)の組屋敷に住んでいた御譜代組足軽に移住を命じ成立させた村で、犬鳴谷の御譜代組足軽たちは苗字の公称・両刀の帯刀・羽織と袴の公的着用を許されていた士分扱いの上級足軽で年に数回ほど福岡城に出向き鉄砲と槍さばきの練習を義務付けられていたそうです。なぜこのようなことがわかるのかというと、犬鳴ダムの奥に犬鳴谷庄屋兼足軽組頭を世襲で務めていた篠崎家代々の墓地があり、その中の大きな墓石に刻まれていた銘文から判明したのです。8:17あたりから10:02あたりは犬鳴谷鎮守の日原神社跡地です。福岡県営犬鳴ダムの建設に伴い遠方に転居した家を除き、ほとんどの家が近隣の脇田地区に転居しています。日原神社も脇田地区に移転しました。犬鳴出身者で衆議院議員に選出された名士がいたことをご存知ですか?幕末〜明治維新時にかけて犬鳴谷庄屋兼足軽組頭を務めていた篠崎新吾の4男篠崎豊彦は日露戦争で大連に渡り、戦後も満州に留まって実業家として成功。大正八年(1919)に帰国して大分県別府市に住居を定め、大いに声望を高めて昭和六年(1931)には衆議院議員にも当選しました。87歳で没し、遺言により父祖代々の地である犬鳴に遺骨は埋葬されました。篠崎家代々の墓地の一角に篠崎豊彦夫妻の立派な墓碑が建っています。余談ですが明治十年に勃発した西南戦争の時には犬鳴谷の壮年男性のほとんどは小倉歩兵14連隊の下士官として徴兵されたそうです。ウチには御先祖様が福岡藩庁から与えられた陣笠・足軽具足・鉄砲・槍・大刀と脇差・羽織と袴、西南戦争の時の軍帽と軍服などが遺されています。御別館跡地近辺には2軒の住家があったということなので番地はあります。何か犬鳴について質問があればコメントください。
犬鳴村という村は昔から存在していませんし、犬鳴谷村も明治二十二年に合併に伴い消滅しました。
江戸時代から犬鳴各戸の菩提所である浄久寺(宮若市乙野・浄土宗鎮西派)と東禅寺(宮若市湯原・曹洞宗)の過去帳や記録に犬鳴谷の地名が初めて記載されているのは御譜代組足軽移住後の元禄六年および翌年の元禄七年です。江戸時代の地誌、筑前国続風土記にも犬鳴谷を称するようになったのは元禄六年以降からで、以前は大河内または火平(ひのひら)と称していたと記載されています。
数年前から伝説の犬鳴村に興味があり、
ネットやスマホや写メやデジカメがなかった時代だったせいか本当の犬鳴村に辿り着いた時の動画や画像が一つもなくて残念です。
証言としていろんな犬鳴村関係の動画のコメントやヤフーの知恵袋の回答を読んで調べて簡略的にまとめてみると、
本当の犬鳴村への行き方は2つ。
1つ目は、犬鳴トンネルの久山町側か若宮市側の出入り口から出て左のトンネル脇の森林のどこかに獣道の入口があり、そこから入って200、300m進むと本当の犬鳴村の入口があるらしい。入口から入ると村の広場に動物の骨やボロボロの白いセダンが置いてあり車の周辺には朽ちた小屋や家らしき建物、人骨のある小屋がてあるそうで、村の周囲のあちこちに警報器として空き缶や木が吊るされいるそうです。
2つ目は、犬鳴ダム近くの(犬鳴トンネルがある方向)獣道の入口から入って奥へ行くほど普通の小道に変わり、奥へ進むと昔のトロッコの線路跡がありさらに森林に入ると少しした所で線路が途切れ、森林の奥に犬鳴村があるそうです。
一つ目か二つ目の通りに行動するともしかしたら本物の伝説の犬鳴村が見つかるかも。
「この先日本国憲法通用せず」の看板は1996年に役所に撤去されたそうです。
もし本当の犬鳴村をもう一度探しに行き直すなら、
犬鳴村は杉沢村のように悪霊が襲って来るのではなく生身の人間が斧と鎌を持って襲って来るそうなので気を付けて下さい。
その時の護身具は電動ガン(18歳以上)と催涙スプレーと小型透明盾、超強烈に眩しいマグライトの持参をお薦めする。
映画になった場所ですね🕯🐒💦汗
はい^_^
1970年代は単純に旧犬鳴トンネルに女の幽霊が出て、車に乗っかってくるって話しかなかったんだよね。
それがダムやらなんやらで尾ひれがついて、旧トンネルに向かうところに立入禁止のゲートが出来て、それがまたなんとも恐怖感煽って。。。。
やはりいろんな事があり成仏してない霊もいると思います。
地元出身者ですが、福岡に遊びに行く際は普通にトンネル使っていましたね💦
後、コメントに在りましたが、宮田町と若宮町が合併して宮若市に成ったので現在は若宮町は存在してませんよ。
宮若、若宮、いまだよく間違えます〜
昭和初期以前生まれの方々は若宮町とか宮若市と言わないです。
吉川とか吉川村と言われています。
吉川村役場跡は脇田の県道21号線沿い100円無人精米機の横にあり、村役場を示していた石柱と役場建物が残っています。
昭和三年生まれの祖父の兄は静岡県に住んでいましたが、亡くなる前に望郷の念にかられていたのか吉川に帰りたい、吉川に帰りたいと毎日のように言っていたそうです。
いつも興味深い投稿楽しみにしています。私は、30数年前庄内町で暮らし学生を営んでおりました。
先輩に連れられ犬鳴トンネルにて肝試しをしておりました。
トンネル手前の壁には、子供を抱いた女性の姿がありましたね。
筑豊の投稿楽しみにしています。
飯塚バスセンター,ジャスコ、伽羅、レディーバード、ミスターマックス、懐かしいです。
突然すみませんでした。有難うございます。
コメントありがとうございます。
筑豊動画、結構アップしています^_^
見てくださいね〜^_^
福岡最大の心霊スポット犬鳴隧道過去に殺人事件が起きた場所
これ旧道と?旧道にも城の石垣があるっちゃない?
これは全く別物
youtubeで昔の番組で犬鳴ドキュメンタリーのモノ見ましたが、その番組で取材に答えてるお爺さんが、犬鳴谷村も犬鳴村も そんなモノは昔から無い!って言ってました。
そりゃポツンポツンと家はあったでしょうが、犬鳴村は完全作り話ですね。
犬鳴谷村は明治二十二年までありましたが、犬鳴村は昔から存在していません。
江戸時代の各地誌や福岡藩検地帳などに犬鳴谷村または犬鳴山の地名は記載されていますが、犬鳴村の地名は記載されていません。
こんにちはー☔️ 旧犬鳴村散策おつかれさまでした✨ 歴史ある集落がダムの下に埋もれ沈むのはせつないですね💧 大雨が降るとダム内の橋もかくれちゃいますね☆☆☆
橋は水量が増えると隠れてリアル感ないです。
ダム建設で、沈んだ村がいくつもありますからね。
@@miechannel0207 小さい祠3つと 橋(石造りまたは古いコンクリート)… せつない感じがしました 動画配信ありがとうございます🎥♫ 追伸 オープニングの音楽が怖かったです💦
オープニング、頑張ってgif作りました。笑
@@miechannel0207 (≧∀≦)💯ですね↗︎↗︎↗︎✨
今回、前半はアフレコです。
口裂け女も、東署に連れて行かれて、調べたら、犬鳴村から、トンネル通って通勤しょった人やったらしいし😅久山町の役場の偉い人も犬鳴村の人やったらしいし😅
犬鳴村はただの都市伝説で存在しません。
犬鳴村は完全な都市伝説ですね!
わたし、20年前くらいですね!犬鳴ダムでよくバス釣りをしてました!夏は夜9時過ぎまで毎日のように釣りをしてました。ここ車で来るわけですが、水面近くに降りると、車から結構離れるし、見えないので、よく車上荒らしに合うという話は聞いたことありますね!それも、鳥かご持ったオッサンが怪しいとの話までありました!わたし、個人的に思いますが、確かに凶悪な事件もありましたが、犬鳴村とか都市伝説を風潮するような行為は嫌いですね!そういうところに変な輩が集まりますので!!
しかし、ダムは建設したての時は、公園ぽくとてもきれいですが、年月が経つとどんどん荒れていきます!力丸もそう、わたしは個人的にはダム建設反対ですね!行く末が見えてますし、死体捨てる場所に必ずなりますね!
都市伝説が全国に広がりましたね、ゴミを捨てたり、荒らされたりは嫌ですね。
最初のナレーションがぶち恐いです。
今回は、真面目に語ってみました〜