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ホンダのF1初挑戦のマシンのレストアしたなんて!凄い!ホンダミュージックと言われた伝説のマシンですね。
1986年中学校3年生のとき、兄に連れられ筑波サーキットにF1デモランを見に行きました。(鈴木利夫ドライブ)この世にこんな凄いものがあるのかと、田舎者の私が世界に触れた瞬間でした。人生を変えた体験であることは確かです!
誰かが糸に絡まる。まさにそう思います。私もホンダ一筋、F-1第二期から観ています。乗り継いだ車はホンダ車のみ。ホンダファンの端くれとして津川さんを応援しております。
4:24 私からしてみれば津川氏も立派な神様ですよ(´∀`)
スピリットホンダ、懐かしい!あの頃はモータースポーツなんてマイナーで、高校生の私には月2回発刊の別冊モータファン・オートスポーツを読むくらいしか情報入手源が無かった。津川さんも時々紙面に出られていた事を覚えてます。これからも頑張ってください。
スーバーカーブーム真っ只中にF1を知り、76年F1in japanをTVにかじりついて見ていた世代としては、津川さんのこの番組はメッチャささりますね〜。第一期ホンダも当時のオーテク等で知って、津川さんや中矢さんの記事もオースポ等で、読ませてもらってました。そんな世代にはほんとに感動モノのお話ばかりで毎回楽しみでなりません。貴重な体験談いつも有難うです。
貴重な話ありがとうございます!
F1ブームが来る前に地元のホンダの販売店に、スピリット・ホンダのマシンが展示してありました。コックピット内もシンプルで、安全性も現代とは比較にならない時代で、成績もパッとしない頃の情熱の塊でしたね。懐かしー❣️
デューイさん懐かしい。
まだまだ聞きたい‼️😄
ミニトヨタ、ミニメルセデスにだけは、絶対なるなよ。市販車もね。
もう10年ほど前の話ですがデューイさんは僕の講師でした。ヘルメット越しのコミュニケーションがうまくいかなかったときに思い切り張り手くらったのが良い思い出です(笑)それも愛の鞭だと感じられるような素晴らしい指導者でした。津川さんにも一度講義で貴重なお話をして頂きましたが、またこうしてネットで拝見できてとても嬉しいです。ありがとうございます😆✨
今のF1を語れる人は多くいるかも知れないけど、昔のF1の事それも内側で経験した事を語れるのは津川さん達限られた人しかいないのでお話聞けるのありがたいです。
出たり入ったり、ヨーロッパ勢から信用されない!って思ってましたが、そういう考えからもあるんですね。 自分にとってホンダはヒーローであり、映画の主人公のような存在なんですが、最近の船頭さんを批判してました。やっぱりF-1に関わっているホンダであり続けて欲しいです。
そもそもスピリットってマクラーレンをデニスに明け渡したバーターで作られたチームだったはず、元をたどればルーツはロンデル→旧プロジェクト4
スピリットはマーチワークスの買収ですね‼️_(^^;)ゞ
@@大嶋明弘-g8k あれっ、マーチBMWワークスは?
後ろのヘルメットはヒルのと少し違うようですけど、ロンドンボートクラブのですか?
多くのメーカーが本業の市販車を売るのが目的の中で莫大な資金を要するF1に何度も挑戦し続けたホンダ。脱炭酸が進む世の中で、もう無理なのか分からないが『レース屋のホンダ』を継承してほしいところだ
ホンダには、懲りて小さくて収まって欲しくないです。
貴重なお話し、ありがとうございます。当時のことは雑誌GPXを貪るように読んで空想をふくらませていました。懐かしいし、第二期の初優勝の嬉しさを思い出しました。ありがとうございます😊
昔F-1の情報を知る手立ては「カーグラフイック」しか無かったですよね「オートスポーツ」が出たのはかなり後と記憶しています。ですからMGMの「グランプリ」が封切られときは何度も見に行き「ヤムラ」を応援したものです。あの頃のF-1の憧れをメカニックという形でF-1の世界に飛び込んだ津川さんは凄いと思います。今もホンダを愛する爺ちゃんです。
HONDA F1 GP MEXICO: PEDRO RODRIGUES - FIRST HONDA F1 CAR WINNER
第一期からホンダに関わって今でもF1に顔を突っ込んでいる津川さん天晴れ❗👏👏👏
本当にそれ!
津川さんもっともっとF1の昔の話を聞かせて下さい。そんな話しを聞きながらお気に入りのリカーを愉しむのが最高
津川さん凄いわ❗😄
Sヨハンソン もっといいチームで走ってほしかったな スピリットホンダのデビューカラーリング目茶苦茶カッコよかった
87年マクラーレンでプロストのNo.2で乗ってますよ。表彰台にも何度か乗ってます
ヨハンソン…、ついてなかったよねー。1985年はおじいちゃん(津川さん)のチーム(トールマン)で走る事になってたけど、トールマンが前年のピレリを蹴ってミシュランに乗り換えたら そのミシュランがF1から撤退しちゃって、タイヤが無くなっちゃった。(汗)折角、トールマンのシートを得たのに 走れなくなっちゃったヨハンソンは、その年 フェラーリで走る羽目になりましたとさ。(笑)
@@takeratta6116 そんな事もありましたね。日本のF2でヨハンソンが乗ってたADVAN、ヨコハマタイヤに、タイヤ供給のお願いをヨハンソンがしたとか言うのは本当だったのか、津川さんにお聞きしたいものですねw。
@@takeratta6116 タイヤ=トールマンは前年の早い段階でミシュランに変更してましたよ、セナ唯一の予選落ちはそれ絡みで走れなかったから。何の因果かサンマリノでした。
大変貴重なお話ありがとうございました。本田宗一郎がいなかったら、HONDA F1 も鈴鹿サーキットも存在しなかったはずです。ホンダのF1は、第一期のころから見続けていますが、この歳になって、第一期の挑戦が如何に大変だったか想像できる様になりました。中村良夫氏の著作は、何十年経っても読むたびに新しい発見があり大好きです。
スピリット・ホンダ覚えてます!!今になってこんな話が聞けるなんて、感激です!!
津川さんの話を聞いて、第1期ホンダF1の挑戦の結果速報を朝日イブニングニュースを見てワクワクしたり、メキシコGPで優勝したF1マシンを池袋にあったショウルームに何回も見に行ったリして、熱中していたころを懐かしく思いだいました
最高の話でした!
メキシコGPで優勝した時の東京新聞の切り抜き記事が未だに家に在ります。小学生だった自分には何の事か解らなかったのですが、親父にホレって見させられたのを思い出します!!
ホントいい時代ですよねともすれば隣のライバル企業をスキャンダルで出し抜こうとする現代車好きレース好きがサラリーなどお構いなしに情熱で生きていた方達が沢山いたであろう時代第一期ホンダF1のレジェンドたちのお話神様に憧れた津川さんは神様を前にしたら そりゃ固まりますよねお聞きしているだけで自分も鳥肌が立つ思いです。黄金期の第二期まだ夜明け前のデビューイヤー活字で歴史は知っていても現場の雰囲気や、後のホンダ上層部を究明した話まではさすがに津川さんのお話をお聞きするまで知りませんでした。いま、こうして津川さんの知る、貴重なF1の知られざる側面をお聞きできるこのチャンネルのありがたさを今日また気づかされました。
ホンダが市販車でもエンジンやめちゃうの悲しいな
私は中学生ですが、小さいころセナでF1を知りました!90年代のF1も大好きです!これからも古いお話聞かせてください!☺️
素敵なエピソード、ありがとうございます。中矢龍二さんは当時、AUTO-SPORT誌でコラムを連載しており、欠かさず読んでいました。ヨハンソン&ブーツェンのスピリットF2から注目していましたが、F1に復帰したときは感慨深いものがありました。F1デビューのシャーシは確かラルトではなく、ゴードン・コパックが一から図面を書いたF2のスピリット201の改造版ではなかったかと記憶しています。ダラスでホンダエンジンが優勝したときは、自分も感激しましたが、一方でなぜスピリットはたった1年でホンダとの関係が終わってしまったのかと少々複雑な気持ちになりました。
デューイ中谷さんのお名前、何十年ぶりかに聞きました!どっかで記事かいててむさぼり読んだことを思い出しました(^_-)-☆’77の富士で印象的だったのは、グリッドスタートのエンジン音は耳で聞くんじゃなくて「腹の皮」で聞くんだと思ったこと。1コーナーで待ってるとブラバムだけは空気抵抗の塊りで、エンジン音より風切音が先に到達していたことww同じ12気筒でもフェラーリよりマトラの方が暴力的な金属音だったこと。
トヨタとホンダまたいつかF1に戻って来て欲しい
じいちゃんの話最高に楽しいです!貴重な内容だけでなく、話っぷりも上手い!納屋のガレージのF1、ピットで燃え盛る炎、神の手!全てが目の前に浮かび上がりました!もっと色んな話聴きたいです!
ホンダの最初のF1挑戦については、中村良夫さんがイラスト入りの著書で(何冊も)書いてますよね自分は、たぶん昭和53年ごろに書店で、たまたま、昔ホンダがF1で走ったことがあるみたいな本を見かけて興味を持ちその数年後ぐらいにホンダが、欧州のF2でティエリー・ブーツェンが勝ったって記事を読み、もしかしたらって期待してたらそのF2での相棒であるスピリットと組んでF1に挑むらしいと聞き、凄くわくわくしました(その辺の経緯は桜井淑敏さんが自著で書いてますね)中村さん、桜井さん、津川さんのF1関連の著書はバイブルです
2輪と4輪両方で世界GPチャンピオンになったのもホンダだけにゃ!
メーカーはそうですね、選手だとジョン・サーティース
昔の3リッターのエンジンのトーションバーのバルブスプリングはどうでした? 中村さんは一時、本田宗一郎さんと折り合いが悪かった時にイギリスにいて、その時、のちの副社長になった入交さんの弟さんが一緒にいたみたいな事を聞いてます。それと、今でも中矢さんは筑波サーキットの近くでレース関係の仕事をしてるんですかね?
まだF1が面白かったころのお話ありがとうございます。僕は老いぼれなのでスピリットがF2でブーツェンやヨハンソンを走らせていたころから雑誌で観ていました。デューイさんはウイリアムズのメカだった方ですね。
出たり入ったりは、ホンダだけではなく、フェラーリ以外のすべてのメーカーに言えることですよね。現時点では、ルノーとメルセデスが比較的長いですが、それでも大メーカーは10年続けばいいところですよね。ポルシェにしてもBMWにしても、結局は長続きしていませんから。
今回はどうなんでしょうか❓本当に最後なのかな❓そんなの悲しすぎますよね、宗一郎さんもセナもきっと悲しんでるはず🥺待ってる人は沢山います。又戻って来てくれる事を切に願っています。
まさに生き証人
自分は2輪畑だったので4輪はそんなに詳しくは無かったけれど大体の話は聞いてましたあの頃は手弁当でみんな頑張ってましたよね。今から思えば良い時代と言えるんじゃないかと思います自分にとっては入交さんや福井さん神谷さんがそういう対象でした 畑違いで済みません
私も六十過ぎで第一期ホンダF1の事や、津川さんが言う本田宗一郎がF1マシンと共に写った写真のことなど知っているので、今回のお話はしみじみと聞き入りました。神様と握手できて良かったですね。
津川さんの動画が私には映画に見えていますよ!🏎中学1年の夏、貯金を叩いて買ったタミヤのラジコン「F2 RALT RT2 HART 420R」を思い出しました☺️
スピリット201ホンダとステファン・ヨハンソンて名前久しぶりに聞きました。初期のホンダF1エンジンはV12で1.5ℓでしたから、さぞや甲高く蚊の飛ぶような音だったろうと思います。ホンダミュージックって名付けられた所以ですよね。しかもそのエンジンが横置きでしたから(・・;)津川さんのお話しはやはりとても興味深くて聞いてて楽しいです。今度は、カナダ🇨🇦GP前夜の、メカニック対抗セントローレンス川横断筏レースのことを聞かせてください。宜しくお願いします。
来た!見た!勝った!
82年12月のカー雑誌スピリットホンダのシャークダウンの記事とFF車世界初ダブルウィッシュボーン搭載プレリュードの記事が巻頭飾っていたな84年のダラスGP優勝記念でホンダは全国紙1面広告したよないい思い出だけど今にして思えばラルトのスッタフそそのかしスピリットチームで参戦させスピリットを切ってウィリアムズに乗り換えかえた黒歴史でもある
日本のF-1創成期からのお話しこれは、確り遺産としてアーカイブしておくべきとても有意義なお話です。しかし、サーティースさんちでレストアされてたとは・・・驚きですと同時に羨ましい・・・私も若くて身軽だったら・・・タイムマシンが欲しいです(笑)
最初は小さいチームでやらないとダメだよね、実力ないうちにいきなり巨大チームでワールドチャンピオン乗せてじゃどうにもならないよ
スピリット時代に燃えた“後のホンダの偉い人”って久米さん(三代目社長)か川本さん(四代目社長)なんじゃ…第二期はウィリアムズ、ロータス、マクラーレンとの活躍ばかりが取り上げられがちですが、最初は苦難の船出だったんですね。
スピリット自体F2から上がってきたチームだったので戦闘力が無かったんですよ。でもF2チームが自作シャシにDFVのようなカスタマーエンジン載っけて「ヨシ!F1に行くか!」っていう時代がおおらかで良かったですね~
@@はわーどらいと 1台だけ日本で生沢さんのチームで走りましたが本来BSラジアルに合わせて作られたシャシーにDLバイアス(中嶋さんの離脱を巡るゴタゴタで変更)を無理やり付けたのもあってほどなくマーチに変更されてました。
@@はわーどらいと スピリットは川本さんがマーチワークス買収してでっち上げたチームでしたね
ラルトじゃなくてスピリットF2で1年一緒にやった後にそのままステップアップしたんじゃなかったかなぁ……いずれにしてもこの時代の話は懐かしいなぁ、もっとたくさん聞きたいです!
ラルトでF2始めたけど、中々勝てないので、マーチワークス買収してスピリット作らせて2チーム体制で総合優勝狙いました‼️(^o^)/
今の第四期が始まった時にホンダにウチのGP2チーム(ステイタスGP)を買わないか?スピリットみたくして育成に使わないか?と持ちかけたんですが、要らない、と。川本さんは分かっていましたよねぇ。
第二期ウィリアムズホンダのとロータスホンダのときのF1の話が聞きたいです。とくに86年の鈴鹿での日本グランプリ開催のときのエピソードが聞きたいです。
中さんの本はおもしろいんだよな〜
すご〜い良い話、うれしい!宗一郎さんは、『オリンピックじゃあるめぇし出る以上勝たねば。。』と言ったとか。宗一郎さんの尋常でない度胸と勝利への執念があったからこそHONDAはF1に挑戦するんじゃないかと思うんですよね。そりゃあ僕もずっと永遠にF1にいてほしい。津川さんがおっしゃるように、普通はそんな会社ないですよね。湯水のようにお金をつかい、準備もままならず、やるぞ〜って本当にやっちゃうんだから。HONDAはおもしろくてユニークな会社です。僕はきっとまたF1に戻ってくると思います。
いつか 津川さんと握手する!
自分も西落合で宗一郎さんに遭遇した時は動けませんでした(笑)
おいらにもホンダしかないわ。理屈なし。
ビジネス色の強い今のホンダが悲しいです!もうF1やらないとか言わないでほしい
2015〜2017年のマクラーレン時代の悪夢の話も、お願いします。人に寄って、見方が違うので…その後のレッドブル、アルファタウリと上手く行った訳もUPお願いします。
べネトンでタッペンパパも火だるまになりましたよねー😭無事で良かったですね❗️
若い頃中村さんの著書で宗一郎氏の閃きと意地に対して大揉めしながら結果を出した過程を読んで感動しましたホンダの功績は勿論ですがあの方が居なかったらその後は無いと思ってます
いちいち話すごすぎ リスペクト!
ステファン・ヨハンソン
ロスブラウンを迎えても迷走から抜け出せなかった2008年のホンダF1チームの解説をお願いします。出たり入ったりは節操が無いからでは?
二期って最初ザクスピードと組んだんじゃなかったっけ?
ザクスピードと組んだのはヤマハですね。あまりの戦闘力の無さで鈴木亜久里が16戦全て予備予選落ちしました(メカニックがギアを組み間違えるといった事もあったようです)そんなチームとマシンだから亜久里も「捨てちゃえよ、そんな車!」と怒ったことで有名ですねw
@@はわーどらいと カラーリングが洒落になってませんでした、赤い彗星には程遠く・・・。
ホンダのF1初挑戦のマシンのレストアしたなんて!凄い!ホンダミュージックと言われた伝説のマシンですね。
1986年中学校3年生のとき、兄に連れられ筑波サーキットにF1デモランを見に行きました。(鈴木利夫ドライブ)この世にこんな凄いものがあるのかと、田舎者の私が世界に触れた瞬間でした。人生を変えた体験であることは確かです!
誰かが糸に絡まる。
まさにそう思います。
私もホンダ一筋、F-1第二期から観ています。
乗り継いだ車はホンダ車のみ。
ホンダファンの端くれとして津川さんを応援しております。
4:24 私からしてみれば津川氏も立派な神様ですよ(´∀`)
スピリットホンダ、懐かしい!あの頃はモータースポーツなんてマイナーで、高校生の私には月2回発刊の別冊モータファン・オートスポーツを読むくらいしか情報入手源が無かった。津川さんも時々紙面に出られていた事を覚えてます。これからも頑張ってください。
スーバーカーブーム真っ只中にF1を知り、76年F1in japanをTVにかじりついて見ていた世代としては、津川さんのこの番組はメッチャささりますね〜。
第一期ホンダも当時のオーテク等で知って、津川さんや中矢さんの記事もオースポ等で、読ませてもらってました。
そんな世代にはほんとに感動モノのお話ばかりで毎回楽しみでなりません。
貴重な体験談いつも有難うです。
貴重な話ありがとうございます!
F1ブームが来る前に地元のホンダの販売店に、スピリット・ホンダのマシンが展示してありました。
コックピット内もシンプルで、安全性も現代とは比較にならない時代で、成績もパッとしない頃の情熱の塊でしたね。懐かしー❣️
デューイさん懐かしい。
まだまだ聞きたい‼️😄
ミニトヨタ、ミニメルセデスにだけは、絶対なるなよ。市販車もね。
もう10年ほど前の話ですがデューイさんは僕の講師でした。ヘルメット越しのコミュニケーションがうまくいかなかったときに思い切り張り手くらったのが良い思い出です(笑)それも愛の鞭だと感じられるような素晴らしい指導者でした。津川さんにも一度講義で貴重なお話をして頂きましたが、またこうしてネットで拝見できてとても嬉しいです。ありがとうございます😆✨
今のF1を語れる人は多くいるかも知れないけど、昔のF1の事それも内側で経験した事を語れるのは津川さん達限られた人しかいないのでお話聞けるのありがたいです。
出たり入ったり、ヨーロッパ勢から信用されない!って思ってましたが、そういう考えからもあるんですね。
自分にとってホンダはヒーローであり、映画の主人公のような存在なんですが、最近の船頭さんを批判してました。
やっぱりF-1に関わっているホンダであり続けて欲しいです。
そもそもスピリットってマクラーレンをデニスに明け渡したバーターで作られたチームだったはず、元をたどればルーツはロンデル→旧プロジェクト4
スピリットはマーチワークスの買収ですね‼️_(^^;)ゞ
@@大嶋明弘-g8k
あれっ、マーチBMWワークスは?
後ろのヘルメットはヒルのと少し違うようですけど、ロンドンボートクラブのですか?
多くのメーカーが本業の市販車を売るのが目的の中で莫大な資金を要するF1に何度も挑戦し続けたホンダ。
脱炭酸が進む世の中で、もう無理なのか分からないが『レース屋のホンダ』を継承してほしいところだ
ホンダには、懲りて小さくて収まって欲しくないです。
貴重なお話し、ありがとうございます。
当時のことは雑誌GPXを貪るように読んで空想をふくらませていました。懐かしいし、第二期の初優勝の嬉しさを思い出しました。
ありがとうございます😊
昔F-1の情報を知る手立ては「カーグラフイック」しか無かったですよね「オートスポーツ」が出たのはかなり後と記憶しています。ですからMGMの「グランプリ」が封切られときは何度も見に行き「ヤムラ」を応援したものです。あの頃のF-1の憧れをメカニックという形でF-1の世界に飛び込んだ津川さんは凄いと思います。今もホンダを愛する爺ちゃんです。
HONDA F1 GP MEXICO: PEDRO RODRIGUES - FIRST HONDA F1 CAR WINNER
第一期からホンダに関わって今でもF1に顔を突っ込んでいる津川さん天晴れ❗👏👏👏
本当にそれ!
津川さん
もっともっとF1の昔の話を聞かせて下さい。
そんな話しを聞きながらお気に入りのリカーを愉しむのが最高
津川さん凄いわ❗😄
Sヨハンソン もっといいチームで走ってほしかったな スピリットホンダのデビューカラーリング目茶苦茶カッコよかった
87年マクラーレンでプロストのNo.2で乗ってますよ。
表彰台にも何度か乗ってます
ヨハンソン…、ついてなかったよねー。
1985年はおじいちゃん(津川さん)のチーム(トールマン)で走る事になってたけど、トールマンが前年のピレリを蹴ってミシュランに乗り換えたら そのミシュランがF1から撤退しちゃって、タイヤが無くなっちゃった。(汗)
折角、トールマンのシートを得たのに 走れなくなっちゃったヨハンソンは、その年 フェラーリで走る羽目になりましたとさ。(笑)
@@takeratta6116
そんな事もありましたね。日本のF2でヨハンソンが乗ってたADVAN、ヨコハマタイヤに、タイヤ供給のお願いをヨハンソンがしたとか言うのは本当だったのか、津川さんにお聞きしたいものですねw。
@@takeratta6116
タイヤ=トールマンは前年の早い段階でミシュランに変更してましたよ、セナ唯一の予選落ちはそれ絡みで走れなかったから。何の因果かサンマリノでした。
大変貴重なお話ありがとうございました。本田宗一郎がいなかったら、HONDA F1 も鈴鹿サーキットも存在しなかったはずです。ホンダのF1は、第一期のころから見続けて
いますが、この歳になって、第一期の挑戦が如何に大変だったか想像できる様になりました。中村良夫氏の著作は、何十年経っても読むたびに新しい発見があり大好きです。
スピリット・ホンダ覚えてます!!
今になってこんな話が聞けるなんて、感激です!!
津川さんの話を聞いて、第1期ホンダF1の挑戦の結果速報を朝日イブニングニュースを見てワクワクしたり、メキシコGPで優勝したF1マシンを池袋にあったショウルームに何回も見に行ったリして、熱中していたころを懐かしく思いだいました
最高の話でした!
メキシコGPで優勝した時の東京新聞の切り抜き記事が未だに家に在ります。
小学生だった自分には何の事か解らなかったのですが、親父にホレって見させられたのを思い出します!!
ホントいい時代ですよね
ともすれば隣のライバル企業をスキャンダルで出し抜こうとする現代
車好きレース好きがサラリーなどお構いなしに情熱で生きていた方達が沢山いたであろう時代
第一期ホンダF1のレジェンドたちのお話
神様に憧れた津川さんは神様を前にしたら そりゃ固まりますよね
お聞きしているだけで自分も鳥肌が立つ思いです。
黄金期の第二期まだ夜明け前のデビューイヤー
活字で歴史は知っていても現場の雰囲気や、後のホンダ上層部を究明した話までは
さすがに津川さんのお話をお聞きするまで知りませんでした。
いま、こうして津川さんの知る、貴重なF1の知られざる側面をお聞きできる
このチャンネルのありがたさを今日また気づかされました。
ホンダが市販車でもエンジンやめちゃうの悲しいな
私は中学生ですが、小さいころセナでF1を知りました!
90年代のF1も大好きです!これからも古いお話聞かせてください!☺️
素敵なエピソード、ありがとうございます。
中矢龍二さんは当時、AUTO-SPORT誌でコラムを連載しており、欠かさず読んでいました。
ヨハンソン&ブーツェンのスピリットF2から注目していましたが、F1に復帰したときは感慨深いものがありました。
F1デビューのシャーシは確かラルトではなく、ゴードン・コパックが一から図面を書いたF2のスピリット201の改造版ではなかったかと記憶しています。
ダラスでホンダエンジンが優勝したときは、自分も感激しましたが、
一方でなぜスピリットはたった1年でホンダとの関係が終わってしまったのかと
少々複雑な気持ちになりました。
デューイ中谷さんのお名前、何十年ぶりかに聞きました!どっかで記事かいててむさぼり読んだことを思い出しました(^_-)-☆
’77の富士で印象的だったのは、グリッドスタートのエンジン音は耳で聞くんじゃなくて「腹の皮」で聞くんだと思ったこと。
1コーナーで待ってるとブラバムだけは空気抵抗の塊りで、エンジン音より風切音が先に到達していたことww
同じ12気筒でもフェラーリよりマトラの方が暴力的な金属音だったこと。
トヨタとホンダまたいつかF1に戻って来て欲しい
じいちゃんの話最高に楽しいです!
貴重な内容だけでなく、話っぷりも上手い!納屋のガレージのF1、ピットで燃え盛る炎、神の手!全てが目の前に浮かび上がりました!
もっと色んな話聴きたいです!
ホンダの最初のF1挑戦については、中村良夫さんがイラスト入りの著書で(何冊も)書いてますよね
自分は、たぶん昭和53年ごろに書店で、たまたま、昔ホンダがF1で走ったことがあるみたいな本を見かけて興味を持ち
その数年後ぐらいにホンダが、欧州のF2でティエリー・ブーツェンが勝ったって記事を読み、もしかしたらって期待してたら
そのF2での相棒であるスピリットと組んでF1に挑むらしいと聞き、凄くわくわくしました(その辺の経緯は桜井淑敏さんが自著で書いてますね)
中村さん、桜井さん、津川さんのF1関連の著書はバイブルです
2輪と4輪両方で世界GPチャンピオンになったのもホンダだけにゃ!
メーカーはそうですね、選手だとジョン・サーティース
昔の3リッターのエンジンのトーションバーのバルブスプリングはどうでした? 中村さんは一時、本田宗一郎さんと折り合いが悪かった時にイギリスにいて、その時、のちの副社長になった入交さんの弟さんが一緒にいたみたいな事を聞いてます。それと、今でも中矢さんは筑波サーキットの近くでレース関係の仕事をしてるんですかね?
まだF1が面白かったころのお話ありがとうございます。僕は老いぼれなのでスピリットがF2でブーツェンやヨハンソンを走らせていたころから雑誌で観ていました。デューイさんはウイリアムズのメカだった方ですね。
出たり入ったりは、ホンダだけではなく、フェラーリ以外のすべてのメーカーに言えることですよね。現時点では、ルノーとメルセデスが比較的長いですが、それでも大メーカーは10年続けばいいところですよね。ポルシェにしてもBMWにしても、結局は長続きしていませんから。
今回はどうなんでしょうか❓本当に最後なのかな❓そんなの悲しすぎますよね、宗一郎さんもセナもきっと悲しんでるはず🥺待ってる人は沢山います。又戻って来てくれる事を切に願っています。
まさに
生き証人
自分は2輪畑だったので4輪はそんなに詳しくは無かったけれど大体の話は聞いてました
あの頃は手弁当でみんな頑張ってましたよね。今から思えば良い時代と言えるんじゃないかと思います
自分にとっては入交さんや福井さん神谷さんがそういう対象でした 畑違いで済みません
私も六十過ぎで第一期ホンダF1の事や、津川さんが言う本田宗一郎がF1マシンと共に写った写真のことなど知っているので、今回のお話はしみじみと聞き入りました。神様と握手できて良かったですね。
津川さんの動画が私には映画に見えていますよ!🏎
中学1年の夏、貯金を叩いて買ったタミヤのラジコン「F2 RALT RT2 HART 420R」を思い出しました☺️
スピリット201ホンダとステファン・ヨハンソンて名前久しぶりに聞きました。
初期のホンダF1エンジンはV12で1.5ℓ
でしたから、さぞや甲高く蚊の飛ぶような音だったろうと思います。ホンダミュージックって名付けられた所以ですよね。しかもそのエンジンが横置きでしたから(・・;)津川さんのお話しはやはりとても興味深くて聞いてて楽しいです。今度は、カナダ🇨🇦GP前夜の、メカニック対抗セントローレンス川横断筏レースのことを聞かせてください。宜しくお願いします。
来た!見た!勝った!
82年12月のカー雑誌
スピリットホンダのシャークダウンの記事と
FF車世界初ダブルウィッシュボーン搭載
プレリュードの記事が巻頭飾っていたな
84年のダラスGP優勝記念で
ホンダは全国紙1面広告したよな
いい思い出だけど
今にして思えば
ラルトのスッタフそそのかしスピリットチームで参戦させ
スピリットを切ってウィリアムズに乗り換えかえた黒歴史でもある
日本のF-1創成期からのお話し
これは、確り遺産としてアーカイブしておくべき
とても有意義なお話です。
しかし、サーティースさんちで
レストアされてたとは・・・
驚きですと同時に羨ましい・・・
私も若くて身軽だったら・・・
タイムマシンが欲しいです(笑)
最初は小さいチームでやらないとダメだよね、実力ないうちにいきなり巨大チームでワールドチャンピオン乗せてじゃどうにもならないよ
スピリット時代に燃えた“後のホンダの偉い人”って久米さん(三代目社長)か川本さん(四代目社長)なんじゃ…
第二期はウィリアムズ、ロータス、マクラーレンとの活躍ばかりが取り上げられがちですが、最初は苦難の船出だったんですね。
スピリット自体F2から上がってきたチームだったので戦闘力が無かったんですよ。
でもF2チームが自作シャシにDFVのようなカスタマーエンジン載っけて「ヨシ!F1に行くか!」っていう時代がおおらかで良かったですね~
@@はわーどらいと
1台だけ日本で生沢さんのチームで走りましたが本来BSラジアルに合わせて作られたシャシーにDLバイアス(中嶋さんの離脱を巡るゴタゴタで変更)を無理やり付けたのもあってほどなくマーチに変更されてました。
@@はわーどらいと スピリットは川本さんがマーチワークス買収してでっち上げたチームでしたね
ラルトじゃなくてスピリットF2で1年一緒にやった後にそのままステップアップしたんじゃなかったかなぁ……
いずれにしてもこの時代の話は懐かしいなぁ、もっとたくさん聞きたいです!
ラルトでF2始めたけど、中々勝てないので、マーチワークス買収してスピリット作らせて2チーム体制で総合優勝狙いました‼️(^o^)/
今の第四期が始まった時にホンダにウチのGP2チーム(ステイタスGP)を買わないか?スピリットみたくして育成に使わないか?と持ちかけたんですが、要らない、と。
川本さんは分かっていましたよねぇ。
第二期ウィリアムズホンダのと
ロータスホンダのときのF1の話が聞きたいです。
とくに86年の鈴鹿での日本グランプリ開催のときのエピソードが聞きたいです。
中さんの本はおもしろいんだよな〜
すご〜い良い話、うれしい!
宗一郎さんは、『オリンピックじゃあるめぇし出る以上勝たねば。。』と言ったとか。
宗一郎さんの尋常でない度胸と勝利への執念があったからこそHONDAはF1に挑戦するんじゃないかと思うんですよね。
そりゃあ僕もずっと永遠にF1にいてほしい。
津川さんがおっしゃるように、普通はそんな会社ないですよね。
湯水のようにお金をつかい、準備もままならず、やるぞ〜って本当にやっちゃうんだから。
HONDAはおもしろくてユニークな会社です。
僕はきっとまたF1に戻ってくると思います。
いつか 津川さんと握手する!
自分も西落合で宗一郎さんに遭遇した時は動けませんでした(笑)
おいらにもホンダしかないわ。理屈なし。
ビジネス色の強い今のホンダが悲しいです!もうF1やらないとか言わないでほしい
2015〜2017年のマクラーレン時代の悪夢の話も、お願いします。
人に寄って、見方が違うので…
その後のレッドブル、アルファタウリと上手く行った訳もUPお願いします。
べネトンでタッペンパパも火だるまになりましたよねー😭無事で良かったですね❗️
若い頃中村さんの著書で宗一郎氏の閃きと意地に対して大揉めしながら結果を出した過程を読んで感動しました
ホンダの功績は勿論ですがあの方が居なかったらその後は無いと思ってます
いちいち話すごすぎ リスペクト!
ステファン・ヨハンソン
ロスブラウンを迎えても迷走から抜け出せなかった2008年のホンダF1チームの解説をお願いします。出たり入ったりは節操が無いからでは?
二期って最初ザクスピードと組んだんじゃなかったっけ?
ザクスピードと組んだのはヤマハですね。
あまりの戦闘力の無さで鈴木亜久里が16戦全て予備予選落ちしました
(メカニックがギアを組み間違えるといった事もあったようです)
そんなチームとマシンだから亜久里も「捨てちゃえよ、そんな車!」と怒ったことで有名ですねw
@@はわーどらいと
カラーリングが洒落になってませんでした、赤い彗星には程遠く・・・。