廃墟探訪 足尾銅山社宅跡 芝の沢地区 「閉山後48年、無人化した鉱夫の社宅」

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  • Опубліковано 14 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 82

  • @AhnkoCheeOutdoors
    @AhnkoCheeOutdoors 2 роки тому +4

    この動画はとても懐かしいです。 私の母方は代々足尾の出身でした。 しかし戦時中、母が 15 歳で学校を中退し、看護師になるための訓練を受けて東京に引っ越しました。 私は 1965 年に子供の頃に足尾を訪れましたが、その後すぐにハワイに移り、戻ることができませんでした。 いつか母の故郷に戻れる日が来るかもしれません。 このビデオを共有していただき、誠にありがとうございます。

  • @TakuroIwazaki
    @TakuroIwazaki 2 роки тому +2

    47年前この地に生まれ育ちました。我が家もトイレもお風呂も久しぶりに拝見しました。懐かしいです。

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  2 роки тому

      コメントありがとうございます。大変おじゃましました。撮影をさせていただきました。

  • @由加里石井
    @由加里石井 2 роки тому +2

    閉山から、40年経ってるのに、社宅跡は、以外に、綺麗なのも、何棟も有るのは、びっくりです!いつもありがとうございます!

  • @ゆうちゃんパッパ
    @ゆうちゃんパッパ 3 роки тому +10

    閉山から40年も経っているのに人工的に荒らされた形跡がほぼないのは、本当にすごいですね。
    訪問先の選択が非常に良いです。
    良いものを見せてくださって、ありがとうございます。

  • @com.maki-1105
    @com.maki-1105 3 роки тому +10

    私の両親が足尾出身で、両親の実家に帰省する際この長屋も小さい頃、通っていました。20年近く前まで、数軒ですが、まだ人が住んでいた気がします。
    地区は違いますが、母方の実家も長屋だったので、共同浴場や、トイレ等とても懐かしいです。

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  3 роки тому +1

      閉山後も20年以上住まわれた方がいらしたのですね。貴重なコメントありがとうございます。😀!

  • @ぽこぽん-j9d
    @ぽこぽん-j9d 8 місяців тому +3

    私の親父の実家は鉱毒の被害地ですので複雑な気持ちです。ただ足尾はバイクで走り回った思い出の地であり若い頃は駅前とか結構賑わってました。その頃あこがれだったホンダのMBやヤマハのRDがくちはててるのはさみしいですね。(タンクがえぐれててテールランプがとびでてるのでRDだと思います)MBはレストアできそうですね。

  • @ツノダyouコ
    @ツノダyouコ 4 місяці тому +1

    山村さん、こんにちはですね、
    この映像動画を拝見するのは、なんと3年振りです、我が県の足尾銅山付近の訪問廃墟散策探索お疲れ様ですね、今回はふと思い立って拝見しております笑み、
    ちなみに、以前の私の名前は、ツノダユウコと名乗っていました、アイコンも変えました、アイコンの景色は最近、私がソロツーで行ったスポットです✢
    山村さん、梅雨明けして暑さが厳しくなってきて熱中症等々に、お気を付けてご自愛くださいね

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  4 місяці тому +1

      ゆうこさんこんばんは!
      お久しぶりです…
      コメントありがとうございます😊
      先日梅雨が明けて季節は夏本番!毎日あついですよね…熱中症にはお互い気おつけましょう…
      動画投稿もう半年出していません…ごめんなさいm(_ _;)m
      現在長野県に行った宿場町の動画編集中です…
      もう少々待ってて下さい…
      ではまた👍

  • @masayosiWatanabe
    @masayosiWatanabe 8 місяців тому +2

    僕の父親がこの地で鉱夫として働いていました。足尾銅山に行って僅か数ヶ月で坑内の落盤事故で亡くなりました。僕が僅か7歳くらいでした。それから60年経ち僕も父親の歳を越してしまいました。足尾銅山には1度だけ訪れた事があり、此処で父親が亡くなったのか?と、思ったら胸にこみ上げてくる物がありましたね!懐かしい気持ちになれました。動画のUP有難うございます。

  • @夏子-y6n
    @夏子-y6n 2 роки тому +2

    恐らく、平成10年代くらいまで曽祖母が住んでいた社宅です。
    何度も遊びに行った懐かしい場所を久しぶりに見られて嬉しいです。
    当時は3〜4歳の頃でしたから、今思い出せる非常に薄い記憶ではトイレとお風呂は共同で、夜に屋外のトイレに行くのが怖かった思い出があります。曽祖母が作る小芋の煮っ転がしが美味しかったことも記憶にあります。
    懐かしい田舎であるこの社宅に、荒らされた形跡もなく驚きました。
    無人になった後に訪れた方々が大切に扱ってくれたことがとてもありがたいです。
    投稿主様、現在の様子をアップしてくださりありがとうございました。

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  2 роки тому

      こちらこそ撮影時、お邪魔しまして大変失礼いたしました。よい動画が撮れましたことを感謝いたします。ありがとうございます。

    • @抹茶-k4k5x
      @抹茶-k4k5x Рік тому

      何十年も前に閉山したのに社宅だけは平成10年代まで使えたとはどういう事なんでしょうか?

  • @user-ir6oy7hc9c.wakaba.pochi.
    @user-ir6oy7hc9c.wakaba.pochi. 3 роки тому +3

    山村さん、こんにちはです。今回は、なんと、我が県の探索・・足尾銅山に、ようこそですね。しかし、染み染み観れば何とも言えないくらいの、悲しさに心になりますね。茶色の木々や山々に、青い空が、寂しい。なんだか、人間の一生を観ている様な感じですね。一軒一軒中を探索していると、今にも誰かが出て来るかの様です。足元が、枯れ葉で見えない中それに藪こぎの探索、お疲れ様です。

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  3 роки тому +2

      ツノダさんこんにちは、栃木県にまたまた訪問させていただきました。足尾銅山関連の動画はこれで4本目になります。足尾町はとても魅力を感じるところで例えば、変電所の建物とてもノスタルジックさを感じ私は好きです。なので建物は壊さず残してもらいたいと思います。コメントありがとうございました😀!

  • @lonewolf-o3p
    @lonewolf-o3p 3 роки тому +2

    足尾銅山。以前から気になっていた所です。今回も楽しく拝見させていただきました。

  • @青木雅夫-r9y
    @青木雅夫-r9y 3 роки тому +9

    高校生の頃、足尾出身の子がいました。当然、寮に入ってましたが。
    48年前だと、丁度16歳で高校生一年生だったので、年数的にはあってます。二年生になってクラス替えで別のクラスになってそれっきりですが、今頃何してるんだろう。
    そう言えば、小学生の頃、常磐炭鉱から転校してきた子がいました。炭鉱が閉山になったとかって話でしたが、丁度、エネルギーが石炭から石油に移っていく時代だったんですね。
    北海道とかで、落盤事故があったとか、ニュースで見た記憶があります。当時の子は皆還暦を過ぎ、元気でやっているのだろうか。

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  3 роки тому

      懐かしいお話をありがとうございます。昔のエネルギー事情で起こる生活の変化が頭に浮かんできます。😀!

  • @MIRUMIRU-q3p
    @MIRUMIRU-q3p 3 роки тому +2

    歴史上、貴重な記録です。いつも 興味深く拝見してます!

  • @いとうもりぞう
    @いとうもりぞう 3 роки тому +4

    建物の奥にあった緑のフェンスが一番新しそう。。

  • @tooba7296
    @tooba7296 3 роки тому +10

    倒壊さえしなければ木造の長屋でも年月に耐えるものですね。造りはともかく割と新しく見えちゃいました。
    6:06の赤いバイクは1979年発売のホンダMB50ですね!
    「MB-5って書いてるじゃん!」と思われるでしょうが、MB50はタンクにMB-5って書かれてて、
    1980年発売のMB5はシートカウルにMB5って書いてるんですよね…ホントにホンダは(カワイイ)

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  3 роки тому +1

      コメントありがとうございます。バイクに関して色々と詳しい様ですね!

  • @user-lr1lo2kn4t
    @user-lr1lo2kn4t 7 місяців тому

    6:40こんな風景はたまらない。淋しくなって

  • @takamy105
    @takamy105 3 роки тому +3

    足尾銅山の歴史と鉱夫社宅跡…行ってみるべき所ですね。

  • @BU10D
    @BU10D 2 роки тому +4

    両親の祖父母が足尾町出身で両祖父が坑夫でした。内部外部が子供の頃親族が住んでいた社宅と同じ構造です。古くなった社宅購買店舗共にほとんど取り壊されたと聞いてましたが、まだ残っている地区があったことに驚きました。ありがとうございます。

  • @winwin5609
    @winwin5609 3 роки тому +1

    アップありがとうございます。ここは他の廃墟と違い寂しさ侘しさが無いような。

  • @snowpapua
    @snowpapua 3 роки тому +3

    放棄されたバイクは2台とも原付です。シートがなくなってる方はおそらくCB-50。1970年〜80年代の名車で、4スト原付なのに100km出ちゃう個体が多いバイクでした。赤い方は1979年4月に発売されたMB50。CB-50の後継でホンダとして初めて2スト50ccエンジンを搭載した原付ロードスポーツモデルでした。つまり両車とも80年代初頭の車です。閉山後48年の時代考証とも一致しますね。

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  3 роки тому

      バイクに詳しいですね!メッセージありがとうございます。😊!

  • @kenji649
    @kenji649 3 роки тому +2

    今、あの素敵で懐かしい場所にいたいです。🦊✨✨✨🇯🇵❤️

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  3 роки тому +1

      コメントありがとうございます。😊!

    • @kenji649
      @kenji649 3 роки тому

      @@Yamamura.RetoroTanbouki どういたしまして !🇯🇵🦊✨✨✨
      SALUDOS DESDE CHILE ! 🇨🇱

  • @みそりょう
    @みそりょう 2 роки тому +1

    私の親父も小学校低学年くらいまでは足尾の長家住まいだったのかな?近所で有名な悪ガキだったらしいです。
    祖母や親父にこの動画見せたら懐かしむかもしれません。

  • @01w2
    @01w2 3 роки тому

    20年程前は人が住んでました。
    友達の家も映ってますね!

  • @ルカ-j8t
    @ルカ-j8t 2 роки тому

    ちょいちょい神様うつてますね。ここ通洞ですか?綺麗にしてあげたいです。

  • @kaj6327
    @kaj6327 3 роки тому +2

    枝が刺さって来そうでしたねー。
    サラリーマン山村さん、
    お疲れ様でした😅

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  3 роки тому +1

      そうなんですよーカメラに絡まって来ました。で、手でほどきました!ありがとうございます!😀

  • @六-i1w
    @六-i1w 3 роки тому +1

    44年位前そのへんの社宅を アルバイトで基礎を作った記憶が 水道からミミズが出てきた記憶が!

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  3 роки тому

      コメントありがとうございます。44年前ですか、昭和52年頃ですね。懐かしいなぁ~。☺️!

  • @のび太-k6t
    @のび太-k6t 3 роки тому +4

    時代の流れを感じます。
    この社宅の所有、またこの先はどうなるのでしょうか?

  • @sugizou2185
    @sugizou2185 3 роки тому +2

    胸が締め付けられますね、貴重な動画m(__)mいつもありがとうございます。

  • @kashiwahion9762
    @kashiwahion9762 3 роки тому +2

    冒頭にピングーのぬいぐるみが落ちてますね。流行った時期を考えると20数年前までは人がいたのでしょうか。

  • @skywalker9536
    @skywalker9536 3 роки тому +9

    専門学校の同級生が、この辺に幼い頃住まわれていました。1度だけ案内してもらいました。家って人が居なくなるとこんなにも早く崩壊するんですね。

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  3 роки тому +2

      コメントありがとうございます。そうですね人がいなくなると早く崩壊していきますね。家自体が元気がなくなっていくのかもしれません。

  • @ユニコーン-x2d
    @ユニコーン-x2d 3 роки тому +1

    僕もここ行きました!この道沿いの崖っぷちのとこの家行きましたか?残留物がほとんど残ってるところ。家自体がすごく天井が低くて、まるで小人が住んでいたかのような家でした!
    外に小さい自転車があって、おばぁちゃんが住んでいたみたいです。なんか切なくなりました。

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  3 роки тому

      コメントありがとうございます。いいえ行きませんでした。道を挟んで山側を撮影してたので。

  • @norihoshiemon
    @norihoshiemon 3 роки тому +1

    9歳まで住んでいた郵政宿舎を思い出しますね。
    こんなに大きな間取りではなく6畳続き間と3畳間、風呂なしでボットン便所でした。
    窓は木枠で開け閉めするたびに少しずつ木屑が発生していました。
    それにしても「荒涼」「凄惨」って言葉が脳裏をかすめる風景。。。。
    でもそれは人の目で見ているからで、自然界から見ればただれた傷を治している途中なのかも知れません。

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  3 роки тому +1

      コメントありがとうございます。😋!

    • @tpgadm7237
      @tpgadm7237 3 роки тому +2

      自然界が傷を治す。。
      素敵な表現ですね。
      今は瘡蓋の状態かな。

    • @norihoshiemon
      @norihoshiemon 3 роки тому

      @@tpgadm7237 ありがとうございます。
      そのうち何もなかったかのような美しい山林になるのでしょう。

  • @ajadrew
    @ajadrew 3 роки тому +1

    What was this place? I imagine that the Japanese people who live here didn't want to but maybe I'm wrong? Good camera skills 🌞👍

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  3 роки тому +1

      コメントありがとうございます。😊!👍

    • @ajadrew
      @ajadrew 3 роки тому

      @@Yamamura.RetoroTanbouki 🌞👍

    • @takakowilliams6207
      @takakowilliams6207 3 роки тому +1

      It says this place used to be a company dorm. Sad to see buildings like this.

    • @ajadrew
      @ajadrew 3 роки тому

      @@takakowilliams6207 Thanks!

  • @f.michiko
    @f.michiko 3 роки тому +9

    ガスレンジやオートバイがあるけど、当時としてはいい生活をしていたのかな?
    ただのどこからかの無断廃棄かな?

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  3 роки тому +1

      コメントありがとうございます。😀!

    • @マックポテト依存症
      @マックポテト依存症 3 роки тому

      坑夫は重労働だがいい生活ができたらしい。
      しかしオートバイはコメ欄のバイクの発売年数を見るに無断廃棄な気もする。

  • @megane-tetugaku
    @megane-tetugaku 3 роки тому

    なんか昔のマンガの巨人の星の長屋みたいな感じですね。
    子供とか走りまわって賑やかな場所だったのかな?
    近くにはスーパーとか商業施設とか有ったのかな?
    引っ越しなどは少しずつ居なくなって、気づいたら一家族とかなったかもね?

  • @moon-b7
    @moon-b7 3 роки тому

    古河の社宅跡ですね
    戸建の社宅や共同浴場など 昔は
    福利厚生面が最高の時代があったんですよね…

  • @ukokkeitori
    @ukokkeitori 3 роки тому +4

    サラリーマンさんは背高いの様ですね、気のせいかしら。

    • @Yamamura.RetoroTanbouki
      @Yamamura.RetoroTanbouki  3 роки тому +1

      コメントありがとうございます。そうですね平均的な身長です😀!

  • @みぃ-i8i8i
    @みぃ-i8i8i 3 роки тому +1

    年月を感じますね〜昼間とは家、ひとりで見て回るのはちょっと怖い気がした、何か不気味で、しらない人が潜んでて、突然飛び出して来そうな感じがした、1つだけ中がきれいな所がありましたよね、誰かが居てもおかしくないような感じにも見えたかなぁ?やっぱ廃墟は古くても新しくても廃墟は廃墟、不気味で怖い😱🥶

  • @jasminagain4328
    @jasminagain4328 3 роки тому

    団地群は今でもあるんですか?日光に行く途中で異様な光景を子供心に覚えてます

  • @user-lr1lo2kn4t
    @user-lr1lo2kn4t 7 місяців тому

    建物裏は雑草でボウボウなのに
    人がよく使ってた動線は雑草があんまりない
    有害なもんがあるんかなぁ?
    日陰になりやすところだったなのか?

  • @MrDogpapa
    @MrDogpapa 3 роки тому +1

    チャンネル切り替えにロータリースイッチを使わないテレビとか、当時としてはお高い買い物だった筈。

  • @はる-j9l
    @はる-j9l 3 роки тому +2

    何回も足尾には、仕事でいってますが、たしかに長屋などは廃墟でしょうが、でも足尾に住んで生活をしている方達もいます…ですからすべて廃墟とは、いってほしくないですね~

  • @ym4389
    @ym4389 3 роки тому

    CMがもう少し少なければ…

  • @うめちゃん-g7q
    @うめちゃん-g7q 3 роки тому

    先進国の日本で…こう言った場所が まだまだ多く残っている なんとかなんないの?そうゆう時代を?経て…今の日本があるのに。

    • @マックポテト依存症
      @マックポテト依存症 3 роки тому

      一気に人が減ったから撤去する費用もないし、人がそもそも少ないからそこに廃墟があっても誰も困らないってのが実情。
      足尾は合併で日光市になったけど日光市自体が人口減っていって余裕がないし。