【日本一の銅山⁉︎】足尾銅山の歴史と今

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  • Опубліковано 14 гру 2024

КОМЕНТАРІ • 16

  • @かめたろう77
    @かめたろう77 Місяць тому

    1960年~1980年、高度成長期に、ゴミ問題、大気汚染、河川汚染とかあったが、私の感覚では、1990年頃には大分良くなった。
    足尾銅山の公害対策の経験が、高度成長期の公害対策に生きている感じがしました。ひとつひとつ逃げずに対応して行くしかない。
    「足尾は、銅山の光と影を発信し続けています。」 とてもピッタリな言葉です。大変有意義な動画でした。

    • @akihiroba
      @akihiroba  Місяць тому

      ありがとうございます!

  • @榊原龍源
    @榊原龍源 Місяць тому +1

    日本の歴史を深く知る良い勉強になりました。資料を集め現地の取材そして編集ご苦労様です。

    • @akihiroba
      @akihiroba  Місяць тому

      ご覧いただきありがとうございます!

  • @東金魚
    @東金魚 Місяць тому

    的確な調査で落ち着いたBGMとわかりやすい解説をありがとうございました。
    足尾銅山を近代化するために古河市兵衛は、明治初期に近代化した兵庫県・生野銀山から技師と坑夫を招いて従来の狸掘りを改め、蒸気機関による採掘、トロッコ・レールによる搬出が始まります。生野銀山の場合はフランス人技師コワニエの指導で、横須賀造船所から蒸気機関と採掘器具を買い入れ、横須賀で造れない高度な器具は横須賀経由でフランスに発注し近代化して日本のモデル鉱山となりました。亡くなった作家立松和平は生野から足尾へ指導に来た技師の子孫で、先祖の責任を感じてか積極的に植林活動に取り組んでいます。ただし、先祖が生野から指導に来た意味を理解していなかったらしく、小説では単なる転職場と捉えていて惜しかった。

    • @akihiroba
      @akihiroba  Місяць тому

      ありがとうございます!生野銀山ともつながりがあるんですね!

  • @キルシュタインちえこ
    @キルシュタインちえこ Місяць тому

    動画、待ってました。実際に現地を歩いて来られた上での解説、わかりやすくて、ほんとためになります。これからも期待してます。またバス旅の動画もお願いいたします☺️

    • @akihiroba
      @akihiroba  Місяць тому

      ありがとうございます!

  • @fox1968furukawa
    @fox1968furukawa Місяць тому

    とても簡潔に、それでいて詳細に足尾の歴史を解りやすく解説した動画でした。以前、足尾に行って駅前で一服しつつ地元の人と会話した際、その方が「古河さんが~」と閉山してかなりの年月を経ているのに、いまだに古河鉱業に対して「さん」づけで話されているのに驚きでした。

    • @akihiroba
      @akihiroba  Місяць тому

      ありがとうございます。
      それぞれの立場もあると思いますが、足尾が発展したのは古河鉱業の技術があったからこそ、ということだと思います。

  • @office_8oz
    @office_8oz Місяць тому +1

    そうそう、昭和に始まった公害じゃないのよねぇ。公害といえば高度経済成長期のものと記憶の中ではまとめて一括りなってしまっていますが。(個人の記憶です)
    この脱硫装置によって、硫黄鉱山の閉山に繋がっていくんでしたっけ。

    • @akihiroba
      @akihiroba  Місяць тому

      高度経済成長期の四大公害の印象が強いですよね。
      硫黄鉱山についてはそうみたいですね。

    • @ソニー株主
      @ソニー株主 Місяць тому

      明治やで

  • @masao750
    @masao750 Місяць тому

    別子銅山も公害がありました。その為に四阪島に精錬所を移しました。また銅山跡地も保全活動で住友林業という会社を作りました。

    • @akihiroba
      @akihiroba  Місяць тому

      補足していただきありがとうございます。