Japan has long been doing expansion of young people and the base, but because there was no professional league, there was no place for many talents to demonstrate their strength. Finally the J League was made and they became able to have a place to shine in football, long efforts came to bear fruit. It is not a simple story that it became stronger because it was a professional league. If the country really wants to strengthen football, it is important to practice children and expand the players' layers before strengthening the national team.
ofhax183 jun それもありますが、短期間に日本代表が力を付けたのは、オフトの功績もありますが、Jリーグの功績も大きい。ドーハの悲劇の頃の日本サッカー界は、何もかもが時代遅れでした。あれは仮にJリーグが過密日程ではなくとも起こっただろう。起こるべくして起こった悲劇。そして仮にワールドカップに行けたとしても、3戦ともボコボコにやられて帰って来たでしょうね。むしろ、ドーハの悲劇で止まって良かった。あれでワールドカップになんか出場されたら、日本は勘違いをしてしまう。ドーハの悲劇によってもたらされた罪(?)は、2002年ワールドカップが韓国と共催になってしまったことだけ。
レッズの開幕戦、負けはしたけど善戦していたからまさかあんなになるとは思わなかった🤣
僕が小学5年生最後の3月22日にサッカーと出会い、6年生に進級後にJリーグが開幕しあれから31年になりました。たくさんの思い出を作ってくれてありがとう!!サッカーに出会ってよかったです♥️
日本リーグを見ていた者として、Jリーグ開幕は衝撃、盛り上がりを見て泣けてました。韓国や中国に全く勝てずワールドカップなんて夢のまた夢の時代でした。
タイとか香港にも負けてましたからねえ。
ダイヤモンドサッカーは見てたけど、日本のサッカーはW杯に出る出ないとか想像する以前に、W杯でやってるのはそもそも日本とは違う競技なんだってな感じでした。
日本のサッカー協会も、五輪予選は一生懸命だったけどもW杯はハナから諦めてたみたいなこと言ってましたね。
1990イタリアワールドカップアジア1次予選でもインドネシア、マレーシア、香港相手にも勝ち切れない位でしたね
「こんなグランドで試合ができるか」とかマレーシアだかに言われてたような時代だもんな。
久保田光彦さん当時も今も大好き
清雲さん若ぇ〜✨
Jリーグが開幕したのは僕が中学3年生の頃で、プロサッカー選手になるのを夢みてました!
すぐにそういう効果あったのね。
川淵三郎の一番の狙いはそこだったからね。
この映像を見ると、日本人選手のテクニックは
Jリーグ開幕後20年間で、ずいぶん向上したと
感じられる。
90年代の進歩は素人でもわかるような感じでした。しかしここ10年はどうなんだろ?停滞とまでは言いたくないが、確実に鈍化している。
ディフェンスや組織的な動きはだいぶ変わりましたねー。よく思うのは、日本は釜本を超えるストライカーがいないってことなんですが、その釜本が今の時代にいたとしても同じように活躍できたかどうかってこと。まあ釜本の現役時代って知らないから、想像のしようもないんですけどね。
ハイジクララ 攻守の切り替えが速くて良いね?
体感だとW杯でいう1994→1998のあたりが一番進化を感じた気がします。
ここ3年毎年スプリント回数の平均が上がってる。これは大きな成長
モネールが懐かしすぎる
モネールがベストだな。
アルシンドみたいに全国区の人気者にならなかったのがいい。
選手・指導者・クラブといった「やる側」だけじゃなく見る側・伝える側のレベルも格段に上がってると実感するわ。
5月15日国立と、5月16日三ツ沢の、2つの開幕戦をスタジアムで生観戦しました。当時、大学生で、ついでに言うと、その前のラツィオ対グランパス戦(国立)と、ラツィオ対フリューゲルス戦(三ツ沢)の2戦を観戦してからのJリーグ開幕戦でした。一生の思い出ですね。
この頃は今と違って戦術が進歩してないから良くも悪くも個で行くしか無かった。逆に単純に上手い選手を多く抱えてる所がもろに強かった
あと守備力の高さと攻守の切り替えの連動性が高いと、個の力の低さをチームプレーで補える。Jリーグのチームはみんな5人の外人枠で攻撃の選手を補強し、広州恒大みたいにすればいいと思う。全世界で外国人枠を統一すればいい。
1990年のサッカーを見てからだと3年間で日本サッカーは一気に盛り上がった。鹿島アントラーズはジーコ・アルシンド・サントス・レオナルド・ジョルジーニョの頃が好きだった。早くサッカーが見たい
今と比べて恐ろしくレベルアップしたのは多分GKだと思う…
歴史を感じるなあ。当時19歳。
ジーコ当時40歳。
興奮も良いけど……
1節で2チームだけが左記に試合やって、2節迄のインターバルが1日長くなる。
この2チームだけが優先されていた。
おめでとう🎉Jリーグ開幕😂
キーパーのユニフォームがやけに派手だった。
inilah yang membezakan J-League dengan Liga Malaysia. J League berjaya menaikkan mutu bolasepak Jepun dan menaikkan tahap pasukan bolasepak Jepun.
Japan has long been doing expansion of young people and the base, but because there was no professional league, there was no place for many talents to demonstrate their strength.
Finally the J League was made and they became able to have a place to shine in football, long efforts came to bear fruit.
It is not a simple story that it became stronger because it was a professional league.
If the country really wants to strengthen football, it is important to practice children and expand the players' layers before strengthening the national team.
tamatamanakaji sebaliknya Liga Semi-Pro Malaysia tidak berjaya menaikkan mutu bolasepak Malaysia kerana ia ditubuhkan atas sebab2 komersial semata.
ジーコの3つのゴールは現在の日本人選手でも何人が決めれるか?という位レベルが高い。
特に3点目の左足のダイレクトボレーは凄い。
至近距離からの高速低空クロスを空中でとらえるのは難しい。
キーパーが何もできなかったよなー。
リアルタイムで見てましたが、開幕戦のマイヤーとエバートンのゴール。
いわゆるデルピエロゾーン(その言葉ができるのは後ですが)からファーに巻いて入るシュートって、今の基準でもかなりファインゴール扱いされますよね。
いきなりとんでもなくハードル上がってしまったものですw
マイヤーはシュートに行く前にもサラッとおしゃれなトラップしてましたね。
Jリーグ第1号ゴールとして記録はされても、もうみんな覚えてるのはその名前だけで、どこの誰だかどんな選手だったかって全く知られることがないというなんだか奇妙なことになっちゃいました。
tamatamanakaji ヴェルディ(読売クラブ)は昔からブラジルスタイルが完全に確立してるチームなのに何故かそれを変えようとする時があって、読売ク時代にもグーテンドルフ監督とかいうドイツ人(?)を呼んだり、この時代もいきなりマイヤーとロッサムのオランダ人を入れてみたり。
流石にグーテンドルフの話は当時は私も子供だったので後で聞いた話ですが、このJ開幕の時は松木さんを苦労させただけにしか見えませんでした。
で、結局はビスマルクを補強したりペレイラがMVPになったりするのですからw
80年代のファンタスティックなブラジルでもW杯では優勝できなかった。
そんな影響もあるんですかね。個人技よりも組織力重視、そういうことが気にされてる時代でもありました。
当時は週に2試合ということで大変過酷な日程だったんですよね。
今は週2試合は大型連休の時、およびACLに参加するクラブはほぼ隔週で4-6月に2試合をこなすクラブはありますが、野球とは違いサッカーの場合は常に走りまわならないといけないので、タフな日程だったのは否めませんでしたしね。
当時の懸念の一つでしたね、過密日程。ほとんどのチームは選手層薄かったですしね。
延長戦にPKもありましたし。こういう酷使的な扱いが、ドーハの悲劇を招いたと言っても過言ではない。(都並の怪我、福田の不調など)
ofhax183 jun
それもありますが、短期間に日本代表が力を付けたのは、オフトの功績もありますが、Jリーグの功績も大きい。ドーハの悲劇の頃の日本サッカー界は、何もかもが時代遅れでした。あれは仮にJリーグが過密日程ではなくとも起こっただろう。起こるべくして起こった悲劇。そして仮にワールドカップに行けたとしても、3戦ともボコボコにやられて帰って来たでしょうね。むしろ、ドーハの悲劇で止まって良かった。あれでワールドカップになんか出場されたら、日本は勘違いをしてしまう。ドーハの悲劇によってもたらされた罪(?)は、2002年ワールドカップが韓国と共催になってしまったことだけ。
@@ofhax183jun3 日本リーグ時代にも、完全決着を念頭に同点の場合PK戦とかのルールがあったな。120分+PKというのは確かに過酷ではあったが
3:11 〜
なんで真田がキレてんの?
取られたから?
この頃は今みたいにユニがごちゃごちゃしてなくていいな。
胸、背中、腕の三つ。
スポンサーも豪華な企業が多いね。
その代わりユニの彩色自体はかなり特徴的ですね
10チームしか無かったからねぇ
スポンサーが集中したお陰で豪華だったね
イニエスタ効果で、ますますJリーグを盛り上げていってほしいですね。
イニエスタはあまり好きじゃなく世間も騒ぐんで個人的には醒めてたけど、セスクが来るって噂が出てて俄然興奮してきてしまった。
都並氏、のちに「凶器の左サイドバック」って言われた時だな
両足タックルとか自慢だったみたいだけど、アルゼンチンとやっていきなりイエロー貰ってて笑った。
まあしょうがないよね。プロ化とか世界で戦うって想像すらしてなくて長くやってきてたんだからね。
引退後の都並さんの解説は結構好きね。
Jリーグキャップ当時の小学生はみんな被ってましたね。初代最下位だった浦和レッズの帽子を被ってるだけでバカにされてる子がいました(笑)
開幕当時から今もなお現役で走り続けてる三浦知良ってやっぱり凄いって感じます。
カズは死ぬまで「選手」でいるだろうね。本当にサッカーをプレイするのが好きなんだ。
それに加えて体鍛える快感にも目覚めたからなあ。
ビデオに録画したけど、、、当時DVDやブルーレイが有れば残していたろうに😅😅😅
第二節のヴェルディのユニフォームがシャツが2rdで、パンツが1rdと言う珍しい組み合わせですね。
ユニフォームが派手でいいな
92年天皇杯でベスト4だったんで期待してたんだけどね
ラモン・ディアスが日本にいて、しかも日本のプロサッカーリーグの初代得点王だと知ったときは衝撃だった。
リーベルの伝説だぞ
キャリアの最後においしい場を見つけたぜってな感じの往年の名プレーヤーたちでしたが、ディアスとかやっぱ違いがありましたなあ。
シュート打つタイミングの速いこと。日本人じゃ本田や香川が出てくるまでは、ああいうタイミング(2テンポ違うって感じ)で打つのって見ることがなかったからなあ。
ディアスは、ワールドユース日本大会の得点王でもありますね。MVPはマラドーナでした。
tamatamanakaji
そういった選手達から学び、今の日本サッカー界の基盤が作られた。そして、スポンサーに汚染されてしまった。利害関係の少なかったこの時代の方が、選手達だけでなく関係者達もイキイキとしていたな。当時小学生だった私は、サッカーに関わる仕事がしたいと本気で思っていた。今ではお金に汚された日本サッカー界なんて、関わりたくもないが。
まあ世界のサッカー、だけじゃなくほとんどのスポーツ、いや人間社会全部そんなもんですから。
こういうメジャーな世界でお金に毒されてないとこなんか存在する?
しかし日本人選手たちは、ゼニ金に関係なく海外へ繰り出すのは多いと思うけど、そこは期待してもいいんじゃない?
ヴェルディほど波の激しいチームはない、開幕2連敗から年間優勝だからな
ホーンとフラッグで応援する時代
この頃のユニフォームはキラキラのラメが入っていたね。
ナイトゲームに映える使用
芸能界の一部だったJリーグ元年のヴェルディは今年のJ3上位チームに勝てるかな?
10回戦って1回勝てるかどうか
懐かしい
2003年生まれだけど。
前の方がいいらしいね
?
横浜フリューゲルスのフアンだったよ😏
エドゥーの左足な😁😁😁
モネールモネール
サムネ=モネールダンス前?
当時はホーム&アウェーの概念が希薄だったのかな?
非常に希薄でした。
そんな中、まず第一に地域密着、これを川渕チェアマンは推し進めました。
今はだいぶ根付いたんでしょうか?
できることなら、選手も地元出身者が過半数くらいいる、メインで活躍してるってな感じになっていってほしいですね。
読売ド内紛してるんだよねこの頃
この当時のJリーグのレベルがどうのこうのいう奴がいるけど、仮にその理屈が合ってたら、世界も今よりレベルが下なわけで。つかそのときの各国と相対的に比較しないとダメでしょ。
リティーの走り方中田と被るんだよなー
たしかに。背筋立ててるとこね。
タイプは全然違うのに、おもしろいね。
ボールにみんな集まりすぎで小学生の休み時間のサッカーみたいだ。
ワーワーサッカーは実は強力な戦術になりえるんだけどなw
この後はJリーグも、90分できるのはユーベだけと言われたプレッシングに移行するが、大体10分くらいしかできなかったようですね。
今でも、終盤になると前線と守備が開いちゃって打ち合いになるのは問題だなって、トーレスに言われてましたね。
浦和レッドダイヤモンズ
スポンサーが大企業ばっかり@_@;
それは必ずしも良いことではなかった。川渕チェアマンの望むところではなかった。
地域密着が第一の理念だったからね。
まあ日本リーグでチーム持ってた企業がそのままスポンサーになるのは自然ではありますけど。
当時奇異だったのは、フリューゲルスの佐藤工業。流行に飛びついただけのような軽薄さを感じました。案の定というかチーム消滅の後、自身も破綻してしまうとはね(2002年)。
今見るともの凄いレベルの低さ…
Zico The Best!!
今見るとDFとGKのレベルが低いよなぁ。ちょっと前までアマチュアだったから仕方ないけど。。。
みんな高校の部活出身だし、どの学校にもGKコーチなんて居なかったから、専門的な指導受けた事無い言わば素人だからねぇ。
ダイヤモンドサッカーじゃないのね」。
80年代末にいったん終了して、Jリーグ始まる前に復活。
そこで名前も変わったんだっけか。いつまでも三菱の番組ってわけにはいかんだろうしね。
しかし休止の理由の一つは、海外サッカーばかり見せてたら、日本のサッカーを見なくなるってのだったからなあ。実際自分もこの番組は見ても日本リーグなんか見たことなかった。まあTVでやっちゃいなかったんだろうけど、やってても見る気は起きなかったな。
ホーンうるせえw
ブブゼラじゃなくね?
バルセロナ FC 知ったか恥ずかしい笑
ブブゼラ:筒身が長く野太く低い音
チアーホーン:小型で金属特有の甲高い音
だいぶ恥ずかしいな…。
この頃は「サポーター」という言葉がまだ浸透しておらず、当然のように今ではサッカーの応援ではおなじみのチャントや応援歌もなかったですからね。
当然ゲーフラ(ゲートフラッグ)やタオマフ(タオルマフラー)もなかったわけで、応援グッズと言えばユニフォームとチアホーンとミニフラッグしかなかったんです。
名古屋のディフェンス草サッカーレベルやん笑笑
今あんな崩されかたしたらサポーターぶちギレやわなあ
名古屋と浦和はお荷物って言われかたしてたんですよ、この頃。
ガンバもひどかったっけ。
それでも名古屋はずっと2部落ちはしてなかったのにね。
来季また出戻りや。
@@tamatamanakaji その名古屋と浦和が、それぞれベンゲルとオジェックという名将によって
一年間で劇的に強くなったのをリアルタイムで見れたのは鳥肌物の衝撃でした。
ほんと、監督でずいぶん変わりますよね。
ネルシーニョとかソラリが印象深いなあ。
ベンゲルはどうも怪しくて信用できんのだ。
トルシエなんか押し付けやがって。それはそれで面白かったんだけどさ。
@@tamatamanakaji >ベンゲルはどうも怪しくて信用できんのだ。
>トルシエなんか押し付けやがって。それはそれで面白かったんだけどさ。
そうですか?ww。ビリ必須・劇弱な名古屋を一年で優勝できるチームにしたベンゲルの戦術転換、
「ここがダメ→こうすれば王者にも勝てる」の理論転換は、素晴らしい・その通り!な集合体でしたよ。
またトルシエの(当時は選手の技術や知識が薄弱すぎて機能しきれなかったですが)戦術は、
あの当時でも(あの未熟な選手たちでも)あれだけ勝たせましたし、
それこそザックも「トルシエの戦術をお手本」にしましたから。
僕は、今こそトルシエの戦術の凄さを実践し直したら世界トップ級に日本は成れるって思ってますし。
個人的な好みの問題ですからそんな気に留めてもらわんでも。
ベンゲルの名古屋は、補強が良かった印象のほうが強いね。ストイコはもちろんですが、デュリックスが効いてた。トーレスと大岩のコンビとか、ストイコと相性抜群だった岡山とか良かったな。
まあそれを活用するのが監督ですけど。
トルシエは歴代日本代表監督では最高ですよ。画期的で斬新。それを日本人の特性に合わせて編み出したってのが立派。弱っちいFWには点とることより守備を第一にさせるというDFWシステム。ベタ守りができない、下手糞だから別のやり方→どえらくライン上げるフラット3とか。
まあ下からビルドアップしていって点とれるほどまだ日本は強くないからとか、FWに守備させるという考えはそんな新しいわけじゃないけど、できないことを鍛えてできるようにしようとするんじゃなく、代わりに違うやり方を編み出した点はとにかく素晴らしい。
しかしトルシエは最後で裏切った。日本なんかはW杯ではベスト16で十分、それ以上は行かせないという差別主義者だったからなー。日本オタクのくせにそこは譲らなかったことはどうしてなのよってね。グループリーグ突破でノルマは果たした、後はオマケとばかりに適当采配。
いや、試合中の采配がボロボロだったのはずっとそうだったんだ。多くは「選手選考や戦術のテスト」という名目があったから目に入ることはなかったんだが、実はくそ下手糞だった選手の起用法。トルシエ自身の経験も少ない勝負の時の采配ってのを鍛える「テスト」の場はなかったんだな。
ザックはトルシエの「戦術」をお手本にしたんですか?
その気持ちはわからんでもないが、天才のやったことを真似したって出来やしないよね。
そもそも人の戦術を手本にするような才の人が代表監督ってのもなんだか心細い話だな。
戦術そのものじゃなく、どんな戦術だろうがそれをどうやってやらせる、選手の自主性よりは監督の理論、ベンチの命令、決まりごとのほうを優先、そういうことのほうを手本にして欲しかったもんです。
初期のユニフォーム派手派手でダサい。何であんなのにしたんだろう。当時もダサいと思ってた
当時は、あれでも斬新なデザインだったんですよ。スポーツ店でのレプリカユニフォームの売り上げも好調でしたし。むしろ、今の方が派手すぎるくらいです。あの頃の方がシンプルだけど、かっこよかったです!!だからって、今のユニがダメと言うわけではないです。今のデザインでも、何着か欲しいチームのユニフォームがありますから。
今のユニフォーム派手かな?地味に感じる
私はJ発足時の派手でテカテカなラメ入りなユニフォーム好きだ