【朗読】壺井栄 「ナツミカン」「耳からごほうび」 朗読・あべよしみ
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- Опубліковано 13 жов 2024
- 以前メインチャンネル「あべよしみ朗読の部屋」にてアップした作品ですが、最近新しく収録しなおしました。
『定本 壺井栄児童文学全集』(講談社)1979年 より朗読させていただきました。
この「ナツミカン」「耳からごほうび」は、壺井栄の第九童話集『柿の木のある家』(山の木書店)に収録されました。
★以前アップした際にいただいたコメント★
「耳からごほうび」にいただいたコメント
●ぺ・・・・様より
あら、嬉しい、右文くんの登場ですね。
●あべの返信
喜んでいただき嬉しいです。右文が出てくるお話でまだ読んでいないのもありますので、また追々アップします😊
●こ・様より
壷井栄先生、なんかどこかで聞き覚えのある方だなぁ-と親しみを感じておりましたが。私が入学した小学校には立派な図書室があり、そこで読んだような気してなりません。幼年の頃、父方の叔母が本屋をしておりテレビもゲ-ムも無い時代でしたから叔母の頃にいりびたっておりました。本といっても漫画本でしたが、活字には慣れ親しんでました、書きとりはダメでしたが、読みは高校生位まで苦にしませんでした。題名は忘れましたが子供ながら、面白い内容で子供が主人公だったように思います。今思えば恵まれていたのですね、叔母の隣にちょこんと座り足をブラブラさせながら立ち読みをしており、それが許されていたのですから、それで読書の習慣がついたのでしょうね、感謝です。あべさんの朗読に感謝です!有難うございます❗これからも壷井先生の朗読を聴かせもらいます。
●あべの返信
壺井栄さんの作品は、私にとっては母たちの世代のお話なのですが、古臭くなく懐かしい感じで、特に児童文学は心が温まるようです。
こ・様は幼い頃から本に親しむ環境で育たれてよかったですね😊 私も、漫画から背伸びした小説から、とにかく読むことが好きでした。
今朗読をしているのも、幼い頃からの延長みたいな気がします。
【壺井 栄】
(つぼい さかえ、旧姓:岩井、女性、1899年(明治32年)8月5日 - 1967年(昭和42年)6月23日)は日本の小説家・詩人。主に一般向小説および児童文学(童話)を主領域に活躍した作家で、戦後反戦文学の名作として後に映画化された『二十四の瞳』の作者として知られる。香川県小豆郡坂手村(現在の小豆島町)出身。夫は詩人の壺井繁治。
代表作の「二十四の瞳」再生リストはこちらです。
• 壺井栄「二十四の瞳」
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ほのぼのする作品です
ご指示ありがとうございます❣️❣️
あべさん、今夜も楽しく拝聴いたしました。あべさんの朗読劇は本当に素敵です。
あべさんの朗読劇に逢えた事を心から感謝いたします。どうもありがとうございます。
昔は色々な童歌がありました
「〇〇さん、遊びましょ🎶」や「〇〇さん、学校に行きましょ🎵」等々
私の頃は一円札と五百円札があったと思います😊
駄菓子屋さんは母に行ってはいけません‼️と言われていましたが子供には魅力的なお店でした
紙芝居も定期的に児童公園にやって来て型抜き飴を買えたのか何かのクイズに正解するともらえたのか忘れましたが兄は上手に型抜きをしてくれました🍀
私は幼稚園に入園したものの体を壊し小学校に上がったのは2年からでした💧
朝、夕に医師と看護婦さんが来て肩に注射2本と、その頃は湿布薬が無かったのか油紙にセメントのようなゼノールを塗り胸に貼られてのです↘️
これが熱を吸って乾いてくるとチクチクと皮膚を刺し注射💉は嫌でしたがゼノールを外しお湯で拭いてもらうとトイレに行かせてもらえるのでした
何時もは跳び跳ねてはいけないときつく言われていましたがトイレの中で嬉しくて跳び跳ねていたらあいにく父が帰宅🏠👣叱られたものです😭
病気になり私の偏食が母にバレてしまい「噛むだけで良いからね、後は口から出しても良いからね」と母に泣かれた時は困りました😰
薬もやっと飲んでるのに苦手な物を口にはどうしても入れられなかったのです
母は自分の料理した物ではダメなのかと考えてデパチカで色々と購入してきては泣いていました
上手くすれば兄が学校から帰って来ていたら母が席を外した隙に食べてくれ母は大喜びする日もありましたが・・・
親不孝でワガママな末っ子は、その儘成長し母を悩まし続けたものでした😱
伊藤三枝子様
幼いころの思い出の数々をシェアしてくださりありがとうございます😊
私も縄跳びやまりつきの数え歌など、懐かしい遊びや歌を思い出しました。
それにしても三枝子様の記憶力素晴らしいですね!
国語か道徳で習ったような。
マサノさん、何でそんなことしたんだろう?
ご視聴ありがとうございます😊
「なつみかん」は国語の教科書に載っていたとおっしゃっていた方が他にもいらっしゃいました💕