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ずっと憧れて来た。追いかけてきた。共に楽しみ、共に苦しみ…自分が野球選手になっていたかの様に。そこまで夢中だった。そこまで夢中にさせてくれた選手。永遠の若大将、原辰徳。
溢れる魅力が、どうしようもなく湧いてくる原辰徳…最高
藤田監督がクジを引き当てた時の興奮は忘れられない。原辰徳が新人で開幕を迎えた81年4月、私は中学の野球部に入部、それからずっと原辰徳一筋!彼は私達世代のヒーローです。
原監督は、爽やか笑顔で良いねえ!!
川上、王、長嶋、落合、清原、松井ではなく原辰徳が巨人史上最高の4番打者です。
ホームランも、ひと伸び足りないレフトフライも、ポップフライも、ボテボテのゴロも、全て芸術性があって好きだった
晩期の復活打撃は原点フォロースルーだから迫力あるこれが本来、左手有鉤骨骨折やアキレス腱不具合が無ければもっと打てた
いつも素晴らしい編集していただき、感謝しています。 この文字を左上から並べる編集かっこいいですね。
褒めて下さり嬉しいです😆いつもフォローしていただき、こちらこそ有難うございます✨
これほどドラマある選手なんていない
後楽園球場の原辰徳って最高
バッティングフォーム好きだ
岡田派
巨人軍の永遠の4番打者原選手です!
藤田監督・王監督という素晴らしい監督にめぐり会えたと思う!
落合がFAで巨人に来て試合数が減ってしまったよね…それでも12年連続20本塁打はとてつもない記録!!
後楽園というポール際の狭さとカラクリdomeの貢献のでかさを知る
現役最後のホームラン今でも覚えていますね🙋打った瞬間わかりました❗
それ、僕も生で見てましたよ。忘れられません。
原さんが現役のころ、まったくプロ野球の事を知らない彼女に、プロ野球選手で知ってる人いる?と聞いたら「原選手」と答えた。
王や長嶋の後で打てない、チャンスに弱いとか色々言われてきましたが、【読売の4番】と言う重圧を背負いながらよくやっていたと思います。成績にしても胸を張っていい通算だと思います。津田の速球に骨折してなければもっと成績も伸びていたはずです。
ONは二人ですよね。それを一人で背負った、背負っていたどんなに叩かれようとたった一人で。原辰徳に惹かれた自分に間違いはなかった(^^)心から感動をありがとうございました。そしてお疲れ様でした(^^)
長嶋さんが監督をやめて、王さんが引退して。大変な年のドラフトに、鳴り物入りで大当たりだったビッグルーキーだったから仕方がないのかもしれないけど、やっぱり長嶋二世のレッテルは可哀想だった気がするなー。充分凄い選手なのに、常にONと比べられて可哀想だった。
現役時代叩かれまくってたけど、単年ごとの成績見ると清原と大差ないんだよな。原の扱われ方はホント理不尽だった。
勝負強さでは長嶋を期待されホームランでは王貞治を期待され...
@@giboo7250 大体、その二人と比較するのが間違いなんだよ!
@@北城義隆 スイング途中バット止めて内野ゴロチャンスに空を見上げて凡フライその場ダイビングファインプレー優勝決まったあとに急に調子が良くなる帳尻合わせバッターのイメージが強いかな、原辰徳氏は
現役後半は長嶋にやられました。400本は余裕で超えてたのに😢
僕が巨人軍の選手の中で、最も多くホームランを打つのを、生で見た選手。その次が、阿部現二軍監督。
長打力が衰えてきたタイミングでの、球界がFA制度導入。他球団の主力が多数入団してきて居場所がなくなっちゃったね。けっこう急がされて辞めさせられた感じ。でも、ヘッドコーチ→監督と順調に出世して、今や大監督。幸せな野球人生では?
チャンスに弱いって言われてたけどランナー3塁のときは3割超えだったんだよね。
巨人OBのプレッシャーやアドバイスがなければもっと打てていたんじゃないのかと動画を見てて思いました。ウエイトトレの禁忌や過度なダウンスイング推奨とか。でもこれらは当時の大常識だったから、仕方ないのかも。そんな中でのあの通算成績はやっぱりお見事です。普通だったら潰れてますよ。原さんの不器用で一途なプルスイング、当時は頼りなく感じたけれど、今は大好きです。
打球音ヤバかったなー
full junさん、こんにちは👋😃。お久しぶりです。1989年の近鉄バファローズとの日本シリーズでの原 辰徳選手の満塁ホームランは、僕が高卒一年目の社会人の時にテレビ📺️で見てました。
当時ワイは原さんのことを野球界のアイドルと見てました。
当初はセカンドだったが中畑の負傷離脱もありサードに移り復帰した中畑はファーストに落ち着いたが後年藤田さんは「打撃面を考えたら原をファーストにしたほうが良かった」と述べている
東海大相模、東海大で岡田等に出ていた国際大会とか!巨人の現役時代、ここぞという場面で何故か裏切られた記憶が多すぎる。
原さん原選手原コーチ原監督は全てエリートコースだな。
原に代打一茂が送られた時、私は外野スタンドで唖然としてました。ついに巨人の中心選手であった原が代打を送られるような選手になってしまったのかと思うと悲しくて仕方ありませんでした。しかもその代打が監督の息子の一茂って…
スタンドまでの最短距離を狙うのが得意だな。
原辰徳選手は、確か、広島カープの炎のストッパー津田投手との対戦で、空振りした時に手首を骨折してしまい、ホームラン30本以上、打てなくなりました。又、一番の不運は、僕の個人的印象なんですけど、長嶋さんの時は王貞治選手が、前に居た。松井秀喜選手の時は高橋由伸選手が居たと、大砲が二人並んで居ました。原辰徳選手が4番として輝いて居た時は、3番に吉村選手が居た時、大砲が並んで居る時だと感じていました。篠塚選手は一流のバッターでしたけど、アベレージヒッターでしたし。古い時代まで遡ると川上哲治選手の時も、やはり青田昇選手が居て、3番4番と並んでおりました。そう考えると原辰徳選手は、凄い選手だと思います。
子どもの時から原さん視ててずっと思ってたのは、あの当時ほとんどの右バッターが打ち終わった後にバットを3塁側に放って走り出すのに、原さんは1塁側の方へ置くのが気になってました。
独特ですよね何となく違和感を感じていましたが、コメントを見て初めて気が付きました😄
原氏は、結構放り投げてましたよ。
本来なら、ホームに突入してくるランナーの安全のために一塁側に置くのがセオリー。三塁側に置く(放る)打者はボールボーイが片付けるのをアテにしてる。
そういえば第二次藤田政権になった時に外野にコンバートされたけど、守備の軽減になったとかいう話も無かったしそれがバッティングに影響したとかいう話も無かったですね。フェードアウト気味に内野に復帰してましたし、結構オールドファンでも案外忘れてるかも?
僕が野球を見るきっかけ、東海大相模の原さん。いつも縦縞の5番のユニホームを着ていたのでなんで?5番?と村のジャイアンみたいに人に問われた記憶がある、5歳の時。
0:17 このデーゲームで小林から打ったタイムリーは10連勝を決めた一打。翌日も後楽園で新浦が先発したが11連勝はならず。
体の開きが早かったから大ファールは多かったな。
岡本よりは打ったと思うよ、いろいろ言われたけど結構チャンスにも打ったし、打率もよかった充分だよ
ONのあとの4番候補として入団してきた訳だから、当然のことながらプレッシャーに感じていたと思う「史上最低な4番」とか言われてきたけど、他の球団で味わえないことができるんだから、分からん奴が史上最低とかという言葉を使わん方がいい
728はりー 巨人では、松井が出てくるまでは、原さんは王や長島に次ぐ成績残してる。
川上哲治、長嶋、王、松井秀喜巨人で4番打ってたこの辺に比べたらやはり選手としては小物ではあるよね。
지금 자이언츠엔 하라 빠따 던지기 같은 저런 파이팅이 필요하다….
誰を孕ましたって?
流し打ちが出来ない打者でした
出来ないはずない。資料みてみ。
ミスター2世と言われた割には、表現力が今一暗かった気がします。
しかも、チャンスでの肩の開きの早さ故のポップフライ。キングの取れないホームランバッター。極めつけは守りがザルでありながら、DH制のないセ・リーグに入団したばっかりに、拙守を露呈してしまったA級戦犯。
@@ミート-t2s守備は下手ではなかったDHが必要みたいな守備下手って言われてたことも特に無かったはずだけど中畑が下手だった話しは今でもよく出るけど原ならテキトーなこと書いても問題ないだろ的な書き込みは見てて不快だからやめて欲しいセカンドの名手で同僚の篠塚はセカンドでなら守備力の差があるから負ける気はしなかったサードとしてなら守り慣れてることもあってルーキーの時から動きが良かったってコメントしてる
原が叩かれてた時期はちょうどバブル経済でイケイケ気分の世相。「長嶋はチャンスでボール球でも打ちに行ったから凡打でもファンはその心意気に満足した。原は喜んで四球で歩いてファンをガッカリさせるから4番打者と言えない。」なんて理不尽な叩きもまかり通っていた。それだけ、当時の野球ファンが野球無知だったこともある。長嶋狂信者による、王貞治への当て付けの意味も込められていた。セイバー的な指標による選手評価が定着した現代なら、そこまで原を悪く言う人はいないだろう。生まれた時代も悪かった。
チャンスにセカンドポップフライばっか打ちやがって💢とか野次ってすいません💦
打てない四番と言われてましたね。でも原ファンでした。
チャンスでポップフライのイメージしかないんだけどな…
決してチャンスに弱い訳ではない
それほど褒められた4番でもないでしょ。散々期待を裏切り続けて来た4番モドキ。今の監督業も同様でファンを裏切り続けてる。
ずっと憧れて来た。追いかけてきた。共に楽しみ、共に苦しみ…自分が野球選手になっていたかの様に。そこまで夢中だった。そこまで夢中にさせてくれた選手。永遠の若大将、原辰徳。
溢れる魅力が、
どうしようもなく湧いてくる
原辰徳…最高
藤田監督がクジを引き当てた時の興奮
は忘れられない。原辰徳が新人で開幕
を迎えた81年4月、私は中学の野球部
に入部、それからずっと原辰徳一筋!
彼は私達世代のヒーローです。
原監督は、爽やか笑顔で良いねえ!!
川上、王、長嶋、落合、清原、松井ではなく原辰徳が巨人史上最高の4番打者です。
ホームランも、ひと伸び足りないレフトフライも、ポップフライも、ボテボテのゴロも、全て芸術性があって好きだった
晩期の復活打撃は原点フォロースルーだから迫力ある
これが本来、左手有鉤骨骨折やアキレス腱不具合が無ければもっと打てた
いつも素晴らしい編集していただき、感謝しています。
この文字を左上から並べる編集かっこいいですね。
褒めて下さり嬉しいです😆いつもフォローしていただき、こちらこそ有難うございます✨
これほどドラマある選手なんていない
後楽園球場の原辰徳って最高
バッティングフォーム好きだ
岡田派
巨人軍の永遠の4番打者原選手です!
藤田監督・王監督という素晴らしい監督にめぐり会えたと思う!
落合がFAで巨人に来て試合数が減ってしまったよね…
それでも12年連続20本塁打はとてつもない記録!!
後楽園というポール際の狭さとカラクリdomeの貢献のでかさを知る
現役最後のホームラン今でも覚えていますね🙋打った瞬間わかりました❗
それ、僕も生で見てましたよ。
忘れられません。
原さんが現役のころ、まったくプロ野球の事を知らない彼女に、プロ野球選手で知ってる人いる?と聞いたら「原選手」と答えた。
王や長嶋の後で打てない、チャンスに弱いとか色々言われてきましたが、【読売の4番】と言う重圧を背負いながらよくやっていたと思います。成績にしても胸を張っていい通算だと思います。津田の速球に骨折してなければもっと成績も伸びていたはずです。
ONは二人ですよね。それを一人で背負った、背負っていたどんなに叩かれようとたった一人で。原辰徳に惹かれた自分に間違いはなかった(^^)心から感動をありがとうございました。そしてお疲れ様でした(^^)
長嶋さんが監督をやめて、王さんが引退して。
大変な年のドラフトに、鳴り物入りで大当たりだったビッグルーキーだったから
仕方がないのかもしれないけど、やっぱり長嶋二世のレッテルは可哀想だった
気がするなー。充分凄い選手なのに、常にONと比べられて可哀想だった。
現役時代叩かれまくってたけど、単年ごとの成績見ると清原と大差ないんだよな。
原の扱われ方はホント理不尽だった。
勝負強さでは長嶋を期待され
ホームランでは王貞治を期待され...
@@giboo7250
大体、その二人と比較するのが間違いなんだよ!
@@北城義隆
スイング途中バット止めて内野ゴロ
チャンスに空を見上げて凡フライ
その場ダイビングファインプレー
優勝決まったあとに急に調子が良くなる帳尻合わせバッター
のイメージが強いかな、原辰徳氏は
現役後半は長嶋にやられました。
400本は余裕で超えてたのに😢
僕が巨人軍の選手の中で、最も多くホームランを打つのを、生で見た選手。
その次が、阿部現二軍監督。
長打力が衰えてきたタイミングでの、球界がFA制度導入。他球団の主力が多数入団してきて居場所がなくなっちゃったね。けっこう急がされて辞めさせられた感じ。でも、ヘッドコーチ→監督と順調に出世して、今や大監督。幸せな野球人生では?
チャンスに弱いって言われてたけどランナー3塁のときは3割超えだったんだよね。
巨人OBのプレッシャーやアドバイスがなければもっと打てていたんじゃないのかと動画を見てて思いました。
ウエイトトレの禁忌や過度なダウンスイング推奨とか。でもこれらは当時の大常識だったから、仕方ないのかも。
そんな中でのあの通算成績はやっぱりお見事です。普通だったら潰れてますよ。
原さんの不器用で一途なプルスイング、当時は頼りなく感じたけれど、今は大好きです。
打球音ヤバかったなー
full junさん、こんにちは👋😃。お久しぶりです。1989年の近鉄バファローズとの日本シリーズでの原 辰徳選手の満塁ホームランは、僕が高卒一年目の社会人の時にテレビ📺️で見てました。
当時ワイは原さんのことを野球界のアイドルと見てました。
当初はセカンドだったが中畑の負傷離脱もありサードに移り復帰した中畑はファーストに落ち着いたが後年藤田さんは「打撃面を考えたら原をファーストにしたほうが良かった」と述べている
東海大相模、東海大で岡田等に出ていた国際大会とか!
巨人の現役時代、ここぞという場面で何故か裏切られた記憶が多すぎる。
原さん原選手原コーチ原監督は全てエリートコースだな。
原に代打一茂が送られた時、私は外野スタンドで唖然としてました。
ついに巨人の中心選手であった原が代打を送られるような選手になってしまったのかと思うと悲しくて仕方ありませんでした。
しかもその代打が監督の息子の一茂って…
スタンドまでの最短距離を狙うのが得意だな。
原辰徳選手は、確か、広島カープの炎のストッパー津田投手との対戦で、空振りした時に手首を骨折してしまい、ホームラン30本以上、打てなくなりました。又、一番の不運は、僕の個人的印象なんですけど、長嶋さんの時は王貞治選手が、前に居た。松井秀喜選手の時は高橋由伸選手が居たと、大砲が二人並んで居ました。原辰徳選手が4番として輝いて居た時は、3番に吉村選手が居た時、大砲が並んで居る時だと感じていました。篠塚選手は一流のバッターでしたけど、アベレージヒッターでしたし。古い時代まで遡ると川上哲治選手の時も、やはり青田昇選手が居て、3番4番と並んでおりました。そう考えると原辰徳選手は、凄い選手だと思います。
子どもの時から原さん視ててずっと思ってたのは、あの当時ほとんどの右バッターが打ち終わった後に
バットを3塁側に放って走り出すのに、原さんは1塁側の方へ置くのが気になってました。
独特ですよね
何となく違和感を感じていましたが、コメントを見て初めて気が付きました😄
原氏は、結構放り投げてましたよ。
本来なら、ホームに突入してくるランナーの安全のために一塁側に置くのがセオリー。三塁側に置く(放る)打者はボールボーイが片付けるのをアテにしてる。
そういえば第二次藤田政権になった時に外野にコンバートされたけど、守備の軽減になったとかいう話も無かったしそれがバッティングに影響したとかいう話も無かったですね。フェードアウト気味に内野に復帰してましたし、結構オールドファンでも案外忘れてるかも?
僕が野球を見るきっかけ、東海大相模の原さん。いつも縦縞の5番のユニホームを着ていたのでなんで?5番?と村のジャイアンみたいに人に問われた記憶がある、5歳の時。
0:17 このデーゲームで小林から打ったタイムリーは10連勝を決めた一打。翌日も後楽園で新浦が先発したが11連勝はならず。
体の開きが早かったから大ファールは多かったな。
岡本よりは打ったと思うよ、いろいろ言われたけど結構チャンスにも打ったし、打率もよかった充分だよ
ONのあとの4番候補として入団してきた訳だから、当然のことながらプレッシャーに感じていたと思う
「史上最低な4番」とか言われてきたけど、他の球団で味わえないことができるんだから、分からん奴が史上最低とかという言葉を使わん方がいい
728はりー 巨人では、松井が出てくるまでは、原さんは王や長島に次ぐ成績残してる。
川上哲治、長嶋、王、松井秀喜
巨人で4番打ってたこの辺に比べたらやはり選手としては小物ではあるよね。
지금 자이언츠엔 하라 빠따 던지기 같은 저런 파이팅이 필요하다….
誰を孕ましたって?
流し打ちが出来ない打者でした
出来ないはずない。資料みてみ。
ミスター2世と言われた割には、表現力が今一暗かった気がします。
しかも、チャンスでの肩の開きの早さ故のポップフライ。
キングの取れないホームランバッター。
極めつけは守りがザルでありながら、DH制のないセ・リーグに入団したばっかりに、拙守を露呈してしまったA級戦犯。
@@ミート-t2s
守備は下手ではなかった
DHが必要みたいな守備下手って言われてたことも特に無かったはずだけど
中畑が下手だった話しは今でもよく出るけど
原ならテキトーなこと書いても問題ないだろ的な書き込みは見てて不快だからやめて欲しい
セカンドの名手で同僚の篠塚はセカンドでなら守備力の差があるから負ける気はしなかった
サードとしてなら守り慣れてることもあってルーキーの時から動きが良かったってコメントしてる
原が叩かれてた時期はちょうどバブル経済でイケイケ気分の世相。「長嶋はチャンスでボール球でも打ちに行ったから凡打でもファンはその心意気に満足した。原は喜んで四球で歩いてファンをガッカリさせるから4番打者と言えない。」なんて理不尽な叩きもまかり通っていた。それだけ、当時の野球ファンが野球無知だったこともある。長嶋狂信者による、王貞治への当て付けの意味も込められていた。
セイバー的な指標による選手評価が定着した現代なら、そこまで原を悪く言う人はいないだろう。生まれた時代も悪かった。
チャンスにセカンドポップフライばっか打ちやがって💢
とか野次ってすいません💦
打てない四番と言われてましたね。でも原ファンでした。
チャンスでポップフライのイメージしかないんだけどな…
決してチャンスに弱い訳ではない
それほど褒められた4番でもないでしょ。散々期待を裏切り続けて来た4番モドキ。今の監督業も同様でファンを裏切り続けてる。