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7年前の8月に十日町市の友だちのお墓参りをした帰りに栃木県へ行きたくなりこの国道を通りました神奈川と比べて車は少ないだろうし山道で真っ暗になるのは覚悟して17:00頃には大湯温泉を越えて入山しましたバイクはリード125暗くなってきたのと同時に雨が降り始め霧が出始めました道幅はバイクと車がやっとすれ違えるくらいの狭さで登るほど雨が強くなり霧が濃くなってきます途中でスノーシェッドがあったので着替えながら地図アプリを見たら電波が受信できない!😮しかもすでに光すら来ていない所まで来ていたので経験したことのない暗さでした一時間ほど走った頃には暗くて周りがわからない霧で視界は近くしかわからない左は藪、右は奈落で身も心もガチガチになって徐行で進んでました走りながら「なんでこんなことに」「自殺しに来たわけじゃないのにもしかしたら死ぬかも」「もし熊や猪がでてきたら光と音で追い払えるか」と考えてました二時間ほど走ってきたら雨も霧も弱くなりこれは雨雲がかかっていたものと判断する坂道あたりで停車してる車が数台いて中に人を確認周りが暗すぎるのでもしかしたら枝折峠かもしれないその後温泉の看板を見つけ温泉に入って温めて引き返すことを決める現地に着いて温泉を目指すと20:00で閉店してることを知り呆然とするここは銀山平の温泉でロッジが10ほどあった少しすると赤い車がやって来て同じ目的のおじさんがやってきたので引き返す最短のルートがないかを訪ねた案内してもらい奥只見シルバーラインの前でおじさんに深々と礼をして降りた30分ほどで下山して前橋方面へ帰るも体力の限界がきて湯沢の旅館になだれ込む神奈川からなんだかんだ15時間は活動してました翌朝地元の美味しいお米を食べながらあそこは銀山平であの辺はクマが出ると教えてもらいましたその後国道352号を検索すると酷道であることを知るこの道はとても狭いですが時々待避所があったのでまだ救いはあるなと思いましたでも銀山平までのおよそ三時間ですれ違ったのは3台、追い上げて来たのは1台もいませんでしたよ今日まで天生峠・安房峠・分杭峠の酷道区間を走破して今年は酷道418号か425号を目指します
檜枝岐は温泉が良くて20年以上キャンプに通っています。御池あたりからぶなの原生林が良い雰囲気です。何度か新潟に抜けたことがありますが夕方の奥只見の雰囲気とか沢の水が流れる溝の振動で運転していて気持ち悪くなりました。最後のトンネルも以前はもっと不気味でしたね。大雨被害が復旧したあと通った時は普通でしたが、家族からはもういいと言われています。😅
コメントありがとうございます。本当にここまで命の危険を感じる道は中々無いですよね。
むかーし枝折峠は時間で区切られた片側通行だったかな。午前が新潟から福島、午後が福島から新潟みたいな感じでどっちが正解かは忘れましたが。二輪車通行禁止?でもあったような凄まじいところに道を作ったもんです。。。
本当にそうですね。道を通すもの命懸けだったでしょうし。
すごく綺麗な良い道になったのですね。1984年に自転車で桧枝岐から小出へと走りましたが、尾瀬口から大湯温泉まではほとんどダートでした。
その時代に走りたかったです。羨ましいです。
素晴らしい動画を有難うございました🙏田子倉は52年位前仕事帰りに好奇心から五十里越え経由で栃木を抜けて横浜迄、一晩掛けて帰り、道中の村のよろず屋でパンを買った店がランプだったのにビックリ😮23歳の頃の事でした。その後奥只見へは40年位の間に,キャンプ,ドライブ,紅葉等にいきました。母の従兄弟が奥只見の発電所で働いて居たこともあり両親を連れて行ったのも懐かしい思い出に成りました。あのシルバーラインにこんなにも関係者の計り知れないご苦労があったことを教えて戴き有り難く思います🙏久しぶりにいこうかと思っています‼️
五十里越えは小説[峠]で(映画では役所広司)長岡藩家老河井継之助が戊辰戦争の時に通った道であることを知り,その後取引先の課長さんが継之助の曾孫である事を知り,歴史と縁を感じたことを思いました‼️
尾瀬沼の帰路で暗くなってからここを走ると真っ暗で相当怖いですよ、道は慣れれば気にならないけれど怖くてルームミラーが見れません😱
お盆に檜枝岐の宿になんとなく泊まりで初のロングツーリングいこうと思ってたんですが、御池の手前だったのでホッとしました😂尾瀬抜けて新潟にも栃尾又温泉とかあるし、実は温泉ロードと言えるくらい良質な温泉があったりしますね〜
磨けば光る原石の様な場所なんですよね。良い所だと思うので行ってらっしゃいませ。
同じ頃逆方向を走りました。ほぼ40年ぶりで舗装された事に感動しましたが、銀山平以降檜枝岐迄が余りに長く、同行した父親共々「昔はもっと近かった気がする」と不思議な気分になりました。まぁ父親は昭和30年頃?工事に来ていて「昔はもっと下に道があった気がする」等とも言ってましたが。
コメントありがとうございます。本当に気軽に通り抜けようとは言えない区間なんですよね。色々と覚悟が必要になりますね。
かなり昔ですか道路に雪が積もっていました。夜、檜枝岐から新潟方面走行中前方から歩いてくる人がいました。新潟福島県境は雪が降る予報が出ていたにもかかわらず。車から何時間かかったのかわかりませんが。
ヤツは雨の日も風の日もココを走っているんだ。モンスターなのはバスではなく、ドライバー!
ワロタ(笑)
果てしなく続く木々や森🌳の間を曲がりくねって完全一車線のR352は運転がくたびれそうですね。路上河川、洗い越しと呼ばれるものが沢山あるのにはびっくりしました。
コメントありがとうございます。これが雨の多い時季になると、ほぼラリーレース状態になります。
抜いたけどその後羽の生えた悪魔が後ろから迫ってきそうで怖いですw
悪魔じゃなくてバスかw
勝てる気がしません。
これでここ路線バスが通ってたりするんですよね~(~_~;)
コメントありがとうございます。そうなんですよね。本当にリスペクトします。
ええええ、バスはすごすぎる・・・
私乗りましたよ。御池から尾瀬口まで予約制バス。船で奥只見ダム。さらに1日1本の枝折峠経由のミニバスで小出までというルートでした。銀山平を出るといきなりダートに突っ込んでいってびっくりしました。1990年頃かなあ?今も通っているんですね!
7年前の8月に十日町市の友だちのお墓参りをした帰りに栃木県へ行きたくなりこの国道を通りました
神奈川と比べて車は少ないだろうし山道で真っ暗になるのは覚悟して17:00頃には大湯温泉を越えて入山しました
バイクはリード125
暗くなってきたのと同時に雨が降り始め霧が出始めました
道幅はバイクと車がやっとすれ違えるくらいの狭さで登るほど雨が強くなり霧が濃くなってきます
途中でスノーシェッドがあったので着替えながら地図アプリを見たら電波が受信できない!😮
しかもすでに光すら来ていない所まで来ていたので経験したことのない暗さでした
一時間ほど走った頃には暗くて周りがわからない霧で視界は近くしかわからない左は藪、右は奈落で身も心もガチガチになって徐行で進んでました
走りながら「なんでこんなことに」「自殺しに来たわけじゃないのにもしかしたら死ぬかも」「もし熊や猪がでてきたら光と音で追い払えるか」と考えてました
二時間ほど走ってきたら雨も霧も弱くなりこれは雨雲がかかっていたものと判断する
坂道あたりで停車してる車が数台いて中に人を確認
周りが暗すぎるのでもしかしたら枝折峠かもしれない
その後温泉の看板を見つけ温泉に入って温めて引き返すことを決める
現地に着いて温泉を目指すと20:00で閉店してることを知り呆然とする
ここは銀山平の温泉でロッジが10ほどあった
少しすると赤い車がやって来て同じ目的のおじさんがやってきたので引き返す最短のルートがないかを訪ねた
案内してもらい奥只見シルバーラインの前でおじさんに深々と礼をして降りた
30分ほどで下山して前橋方面へ帰るも体力の限界がきて湯沢の旅館になだれ込む
神奈川からなんだかんだ15時間は活動してました
翌朝地元の美味しいお米を食べながらあそこは銀山平であの辺はクマが出ると教えてもらいました
その後国道352号を検索すると酷道であることを知る
この道はとても狭いですが時々待避所があったのでまだ救いはあるなと思いました
でも銀山平までのおよそ三時間ですれ違ったのは3台、追い上げて来たのは1台もいませんでしたよ
今日まで天生峠・安房峠・分杭峠の酷道区間を走破して今年は酷道418号か425号を目指します
檜枝岐は温泉が良くて20年以上キャンプに通っています。
御池あたりからぶなの原生林が良い雰囲気です。
何度か新潟に抜けたことがありますが夕方の奥只見の雰囲気とか沢の水が流れる溝の振動で運転していて気持ち悪くなりました。
最後のトンネルも以前はもっと不気味でしたね。
大雨被害が復旧したあと通った時は普通でしたが、家族からはもういいと言われています。😅
コメントありがとうございます。本当にここまで命の危険を感じる道は中々無いですよね。
むかーし枝折峠は時間で区切られた片側通行だったかな。
午前が新潟から福島、午後が福島から新潟みたいな感じでどっちが
正解かは忘れましたが。二輪車通行禁止?でもあったような
凄まじいところに道を作ったもんです。。。
本当にそうですね。道を通すもの命懸けだったでしょうし。
すごく綺麗な良い道になったのですね。1984年に自転車で桧枝岐から小出へと走りましたが、尾瀬口から大湯温泉まではほとんどダートでした。
その時代に走りたかったです。羨ましいです。
素晴らしい動画を有難うございました🙏田子倉は52年位前仕事帰りに好奇心から五十里越え経由で栃木を抜けて横浜迄、一晩掛けて帰り、道中の村のよろず屋でパンを買った店がランプだったのにビックリ😮23歳の頃の事でした。その後奥只見へは40年位の間に,キャンプ,ドライブ,紅葉等にいきました。母の従兄弟が奥只見の発電所で働いて居たこともあり両親を連れて行ったのも懐かしい思い出に成りました。あのシルバーラインにこんなにも関係者の計り知れないご苦労があったことを教えて戴き有り難く思います🙏久しぶりにいこうかと思っています‼️
五十里越えは小説[峠]で(映画では役所広司)長岡藩家老河井継之助が戊辰戦争の時に通った道であることを知
り,その後取引先の課長さんが継之助の曾孫である事を知り,歴史と縁を感じたことを思いました‼️
尾瀬沼の帰路で暗くなってからここを走ると真っ暗で相当怖いですよ、道は慣れれば気にならないけれど怖くてルームミラーが見れません😱
お盆に檜枝岐の宿になんとなく泊まりで初のロングツーリングいこうと思ってたんですが、御池の手前だったのでホッとしました😂尾瀬抜けて新潟にも栃尾又温泉とかあるし、実は温泉ロードと言えるくらい良質な温泉があったりしますね〜
磨けば光る原石の様な場所なんですよね。良い所だと思うので行ってらっしゃいませ。
同じ頃逆方向を走りました。ほぼ40年ぶりで舗装された事に感動しましたが、銀山平以降檜枝岐迄が余りに長く、同行した父親共々「昔はもっと近かった気がする」と不思議な気分になりました。まぁ父親は昭和30年頃?工事に来ていて「昔はもっと下に道があった気がする」等とも言ってましたが。
コメントありがとうございます。本当に気軽に通り抜けようとは言えない区間なんですよね。色々と覚悟が必要になりますね。
かなり昔ですか道路に雪が積もっていました。夜、檜枝岐から新潟方面走行中前方から歩いてくる人がいました。新潟福島県境は雪が降る予報が出ていたにもかかわらず。車から何時間かかったのかわかりませんが。
ヤツは雨の日も風の日もココを走っているんだ。
モンスターなのはバスではなく、ドライバー!
ワロタ(笑)
果てしなく続く木々や森🌳の間を曲がりくねって完全一車線のR352は運転がくたびれそうですね。路上河川、洗い越しと呼ばれるものが沢山あるのにはびっくりしました。
コメントありがとうございます。これが雨の多い時季になると、ほぼラリーレース状態になります。
抜いたけどその後羽の生えた悪魔が後ろから迫ってきそうで怖いですw
悪魔じゃなくてバスかw
勝てる気がしません。
これでここ路線バスが通ってたりするんですよね~(~_~;)
コメントありがとうございます。そうなんですよね。本当にリスペクトします。
ええええ、バスはすごすぎる・・・
私乗りましたよ。御池から尾瀬口まで予約制バス。船で奥只見ダム。
さらに1日1本の枝折峠経由のミニバスで小出までというルートでした。
銀山平を出るといきなりダートに突っ込んでいってびっくりしました。
1990年頃かなあ?
今も通っているんですね!