野坂昭如の自己弁護小説 『火垂るの墓』 「昭如」と「清太」の違い

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  • Опубліковано 9 вер 2024
  • 妹の食べるものを僕自身が奪って食べて生き延びたということのほうのね、負い目のほうが、戦争とか何とかよりも、はるかに僕個人にとって大きな・・・まあ、負い目と言うと大げさですしね。
    普段、僕なんか大変調子よく生きているわけだから、自分だってほとんど忘れてはいるわけですけども、まあ、年に何度か思い出すわけね。
    それが小説っていう形で嘘をついたためにね、逆に非常に深い傷になって僕の中に残っちゃいましたね。
    本来なら、僕はもっと残酷な兄貴だったんですね。
    で、残酷な兄であることを逃げて、小説を書いて、その小説によって僕は今、稼いでいるわけで。
    で、またアニメーションになれば、またお金が入るかもわかりませんね。
    それで僕は贅沢をするかもわからないですね。
    で、もう、なんか二重三重にね、鬼畜米って言われてた相手から家畜の餌をいただいて僕は生き延びているわけだし。
    一方においては、自分自身が食べるべきものをかっぱらって生き延びながら、そのかっぱらった相手を小説というようなものに仕立てて、また金を稼いでるわけです。
    しかも、その時に、あたかも自分がそうであったかのごとき主人公を設定して自分を甘やかしているっていうか、そういった、すべての、なんか、自分の営みの負い目を今ここで直面しなきゃならないっていう感じで言うと、僕にとっては非常に苦痛は苦痛なんです。
    朗読テープのおまけの 『野坂昭如 自作を語る』 から
    「ぼくが口に含み、咀嚼して柔らかくし、与えようとする。気持ちの上ではそうでも、フッと飲み込んでしまうのだ。二度三度繰り返すと、後は開き直って、妹の分まで平らげ、罪の意識はない。」(15ページ)
    「現実のぼくは架空の 『清太』 ほど妹にやさしくなかった。夜泣けば頭を小突き、するとおとなしくなる。こんなに小さくても泣けば痛い目に会うとわかるのか。かわいそうで涙が滲むが、二、三日後、またなぐる。ずっと後になり、乳児の首は弱く、頭に対するちょっとした打撃でも軽い脳震盪を起こし、五、六秒失神することがあると医者に聞いて、愕然としたのだ。妹は気を失っていたのか。」(58ページ)
    「六月五日から八月二十一日までの、ぼくと妹の過ごした日々に、ほぼ基づいている。妹の歳、場所は違う。なにより作中でぼくらしき同年の兄は餓死してしまう。痩せ衰えるばかりの妹を、兄は懸命に 『自分の指を切って、油で炒めて食べさせたろ』 とさえ思う。自分の食いぶちを与え、妹のために盗む。現実は逆。まだ肉のついていたころ、赤ん坊特有のプクプクしたふとももに、ぼくは食欲を覚えた。罪深くその時に感じたことだが、妹のために咀嚼してやるつもりの炒り大豆カスを、ふと喉へすべらしてしまう。野荒しの収穫は、おおかた響子への貢物となった。なにより、ぼくの気持ちは響子に傾倒していた。妹は邪魔っけなだけ。」(94ページ)
    「泣けばなぐる。向いの旋盤屑積めた南京袋の上に置く。伶子の尻に点々と赤いものがあり、虫刺されではなく、袋から突き出た鉄屑の鋭い切っ先による跡。伶子は首がすわらなくなり、もとより言葉を失い、一日寝たきり。」(116ページ)
    「伶子の異常な痩せ方に驚いたのは八月二十一日夜。(中略)十八日、配給があった。亡くなるまでの五日間、なんとか妹の口にし得るものを手にした。伶子は少し食べたように思う。木製のスプーンに残った粥、唾で柔らかくした乾パン。ぼくの胃袋に収まってしまったが。」(119ページ)
    「母、祖母のかたわらに身を置きたくなくて、さかしらげな言葉を弄し、ぼくは逃げたのだ。伶子の死は自分の責任じゃない。だが、骨と皮の素っ裸を豆殻にくるまれた伶子の遺体眼にして、痛そうだと、いやたしかに痛みが伝わった。同時にぼくはホッとしていた。罪の意識じゃない。自分だけ生き残ったことのやましさなどてんからない。」(126ページ)
    『わが桎梏の碑』(野坂昭如著)から
    数本、お借りしました。
    付け加えた動画に意味はないです。
    映画 海外 外国人 実写 主題歌 予告 ラスト 節子 サウンドトラック 主題歌 エンディング Setsuko

КОМЕНТАРІ • 5

  • @maikeruda
    @maikeruda  9 років тому +18

    『わが桎梏の碑』(野坂昭如著)から
    「家の経済状態がきわめて危なっかしくなっていたのだ。借金が約五千万円、利子が年にほぼ四百万、妻はあると信じている定期預金、保険はとっくに下し、また解約。特別な浪費をしたわけじゃない。
    (中略)八十八年、『火垂るの墓』がアニメーション映画化され、多くの観客を集めた。つれて文庫が売れた。収入が増えたのはありがたいが、ぼくはなんとも居心地が悪い。
    (中略)昭和四十二年初夏の頃、当時、練馬に住んでいたのだが六本木の喫茶店で待つ編集者のもとへタクシーで届け、これがデッドラインギリギリ、文字通り書き飛ばして、読み直しもしていない。
    (中略)アニメなればこそ克明に再現。パイロットフィルムは眼にしたが、完成作品を観ていない。やみくもに書いたことは事実。細部は直後に忘れてしまったが、大筋は憶えているし、書いた時の自分の気持ちになると、日を追うごとに鮮明となって、つまり、自己弁護小説とわかる。」(9、10、11ページ)
    「待合室に大勢の老人女子供がいて、死体をかかえながら、ぼくはいたたまれない恥ずかしさを感じた。妹のあわれな死を悲しむ、かわいそうに思うより、ただ一刻でも早く、人目のないところへ行きたい。」(14ページ)
    「ぼくが口に含み、咀嚼して柔らかくし、与えようとする。気持ちの上ではそうでも、フッと飲み込んでしまうのだ。二度三度繰り返すと、後は開き直って、妹の分まで平らげ、罪の意識はない。」(15ページ)
    「ここでぼくは両親、妹の死を確信した。悲しみはない。開放感があった。母の表情口調物腰考え方、すべてを嫌い、ひたすら父を慕っていた。その前で優等生ぶり、父が素直にぼくの嘘出まかせを信じると、罪深く思い、また重荷でもある。」(38ページ)
    「現実のぼくは架空の『清太』ほど妹にやさしくなかった。夜泣けば頭を小突き、するとおとなしくなる。こんなに小さくても泣けば痛い目に会うとわかるのか。かわいそうで涙が滲むが、二、三日後、またなぐる。ずっと後になり、乳児の首は弱く、頭に対するちょっとした打撃でも軽い脳震盪を起こし、五、六秒失神することがあると医者に聞いて、愕然としたのだ。妹は気を失っていたのか。」(58ページ)
    「この短編は好評だった。もちろん嬉しいのだが、誉められるほどに、気持ちに滓の如く、鬱々たるものが増殖。六月五日から八月二十一日までの、ぼくと妹の過ごした日々に、ほぼ基づいている。妹の歳、場所は違う。なにより作中でぼくらしき同年の兄は餓死してしまう。痩せ衰えるばかりの妹を、兄は懸命に『自分の指を切って、油で炒めて食べさせたろ』とさえ思う。自分の食いぶちを与え、妹のために盗む。現実は逆。まだ肉のついていたころ、赤ん坊特有のプクプクしたふとももに、ぼくは食欲を覚えた。罪深くその時に感じたことだが、妹のために咀嚼してやるつもりの炒り大豆カスを、ふと喉へすべらしてしまう。野荒しの収穫は、おおかた響子への貢物となった。田螺、野草を貝の小鍋で煮た。しかし一歳三、四ヶ月では食べられない。なにより、ぼくの気持ちは響子に傾倒していた。妹は邪魔っけなだけ。」(94、95ページ)
    「ぼく一人が怯えていた。どうせお終いだと、どこまで身に沁みて思ったか。伶子に対する態度もぞんざいになった。泣けばなぐる。向いの旋盤屑積めた南京袋の上に置く。伶子の尻に点々と赤いものがあり、虫刺されではなく、袋から突き出た鉄屑の鋭い切っ先による跡。伶子は首がすわらなくなり、もとより言葉を失い、一日寝たきり。」(116ページ)
    「伶子の異常な痩せ方に驚いたのは八月二十一日夜。(中略)十八日、配給があった。亡くなるまでの五日間、なんとか妹の口にし得るものを手にした。伶子は少し食べたように思う。木製のスプーンに残った粥、唾で柔らかくした乾パン。ぼくの胃袋に収まってしまったが。」(119ページ)
    「伶子の死を母と祖母にどう告げればいいのか。四人一緒にいたとしても、あの衰えぶり。八月の大阪近郊の主食配給がどんな具合だったか知らないが、春江より良かったとは思えない。
    いちばん弱い存在だった伶子は生きのびれなかったろう。しかし、母、祖母のかたわらに身を置きたくなくて、さかしらげな言葉を弄し、ぼくは逃げたのだ。伶子の死は自分の責任じゃない。だが、骨と皮の素っ裸を豆殻にくるまれた伶子の遺体眼にして、痛そうだと、いやたしかに痛みが伝わった。同時にぼくはホッとしていた。罪の意識じゃない。自分だけ生き残ったことのやましさなどてんからない。」(126、127ページ)
    「合掌という行為が伶子の亡骸と結びつかないのだ。自分に対する弁解かもしれない。焼けるまで彼岸に墓参り、盆にお迎え火を焚き、なにより、四年前、妹が亡くなって、仏教のしきたりあらまし心得ている。だが、伶子を焼いて以来、気持ちにしろ形にしろ、その冥福を祈ったことがない。」(141ページ)
    「栄養失調気味の多い中で、盗みにより飽食していたぼくの体つきはマシにみえたのか、すっかり気落ちしたぼくに、三高陸上部の二人が合格したら入部しろと勧めた。」(187ページ)
     
    「ぼくが両側の房の並ぶ通路で身体検査をされた時に見たそうだが、『お前、魔羅で食える。いいもの持ってるじゃないか。』と言った。その意味するところはまったくわからなかったが、奇妙な自信がついた。事情が事情のせいだが、ぼくを力づけた一言といえば、まずこれだろう。きみの文体はおもしろいとか、『醜悪無惨な世界をえがいていて、だが作者は常にやさしい』などの誉め言葉より、ずっと印象に残っている。」(201ページ)

  • @barbfrmsf
    @barbfrmsf 8 років тому +3

    may he rest in peace thanks for sharing your talent

  • @SageMagnus
    @SageMagnus 8 років тому +2

    Akiyuki Nosaka has passed away. he was 85.

  • @arufa87
    @arufa87 7 років тому +7

    ジブリ宮崎駿の作品も平和活動も自己弁護
    逃げるトラックに乗せてほしいと懇願して来た母子を置き去りにした
    後悔 負い目