カラー化された、明治時代の大相撲。梅ヶ谷ー常陸山時代

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  • Опубліковано 12 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 29

  • @lethe5124
    @lethe5124 2 роки тому +21

    貴重すぎる映像ですね!
    こんな昔の映像、よく残ってるなぁ〜

  • @非理法権天-t4o
    @非理法権天-t4o 7 місяців тому +5

    行司さんの装束が現在の直垂で無く江戸時代からの裃姿ですね。

  • @まさきよしかず
    @まさきよしかず Рік тому +16

    観客の中には 江戸時代生まれもいますね

  • @タケタケ-t7p
    @タケタケ-t7p 7 місяців тому +4

    常陸山と国見山の取り組みは勝敗が決まるところまで映像が続いていたのですね。24年ほど前にNHKで放送された「大相撲20世紀」でも紹介されていましたが、途中で映像が切れてしまったのです。最後まで観られて良かったです。ありがとうございました。

    • @SeiyuHosono
      @SeiyuHosono  6 місяців тому

      この一連の動画が大相撲最古の動画らしいのですが、どうなのでしょうね?!

    • @タケタケ-t7p
      @タケタケ-t7p 6 місяців тому

      横綱二代目梅ヶ谷の土俵入りの時に太刀持ちをつとめているのが、まだ若かりし頃の太刀山ですね。太刀山の動画ではもっと番付が下の時代に駒ヶ嶽と対戦しているのがありました。その動画では横綱小錦の土俵入や、大砲と対戦するのもありましたのでそちらの動画の方が最古のものだと思っていました。横綱二代目梅ヶ谷をモチーフにした凧上げの凧を見たことがあったのですが、その凧に描かれていた横綱二代目梅ヶ谷の隣には太刀持ちに太刀山が描かれていたのです。実際に太刀山が横綱二代目梅ヶ谷の太刀持ちをしていたのは正確にはいつ頃だったのでしょうね?太刀山の番付的には明治後期であるとは思います。

  • @soushi7729
    @soushi7729 2 роки тому +30

    ここにいる人全員今この世にいないと考えると悲しいな。

    • @びっくりおじさん-h5h
      @びっくりおじさん-h5h Рік тому +2

      まだ生きてるだろ

    • @greeenbluebabys
      @greeenbluebabys Рік тому +12

      明治40年生まれの巽フサさん(国内最高齢、現在115歳)がこの場にいらっしゃればワンチャン。

    • @coca-cola1748
      @coca-cola1748 Рік тому +3

      戦国無双やっててもふと悲しくなるねぇ

    • @シュトラーセ-o9s
      @シュトラーセ-o9s 4 місяці тому +2

      梅ケ谷と常陸山が横綱で行司がまだ裃姿だから1904年(明治37年)1月〜1910年(明治43年)1月ですね。
      国内最高齢の人がまだ3歳以下で連れられて来ているとは考えにくいのでこの映像の人達はもう全員この世にはいませんね。

    • @soushi7729
      @soushi7729 4 місяці тому

      @@シュトラーセ-o9s そうですね。

  • @雷蔵-s8m
    @雷蔵-s8m Рік тому +3

    画像も貴重ですが、横綱が相撲の基本通り立ち合い前の仕切りで両手をついているのは綺麗にですね。

    • @乙女座の男-r6r
      @乙女座の男-r6r Місяць тому

      昔(ラジオ放送が始まる前)は制限時間が無くて、息の合ったときに立ちましたから、自ずと仕切りが綺麗になったんですね。

  • @ACiruka
    @ACiruka 9 місяців тому +2

    明治時代の相撲の行司は裃姿だったのか。面白いな

  • @信州の飼い主
    @信州の飼い主 Рік тому +6

    常陸山の土俵入りは独特ですね。
    そういうのを引き継ぐ横綱が出て来ても良いと思う。

    • @るるむ-r6d
      @るるむ-r6d Місяць тому +1

      出羽海一門は常陸山の土俵入りを引き継いだつもりが間違って二代目梅ヶ谷の型を継承。これが今で言う雲龍型

  • @シェルティ大学
    @シェルティ大学 Місяць тому

    再生速度を0.5倍にするとちょうどいいですね。

  • @manbo4933
    @manbo4933 8 місяців тому +1

    最初の幕内土俵入りは今だと御前掛のかたちですね。この当時は常に本式で行ってたんでしょうかね。

  • @edrinkalema1114
    @edrinkalema1114 8 місяців тому

    Amazing work ❤❤

  • @のぼこ-x6p
    @のぼこ-x6p 10 днів тому

    これはいつの映像でしょう。本場所と思われますが、行司の装束が裃ですから、烏帽子・直垂に替わった明治43年(1910年)夏場所より前ということになります。また、取組の映像は○常陸山対国見山●とのことですが、常陸山が国見山に最後に勝ったのが明治40年夏場所ですから、おそらくそれくらいの時代なのでしょう。幕内土俵入りが御前がかりであることから台覧相撲と思われるのですが、その時代の台覧相撲の記録がわかりません。後の昭和天皇が皇孫殿下として初めて台覧されたのは明治43年夏場所4日目とのことなので上記と合いません。ただしこれは国技館開設後の(貴賓席を使用した)記録?であるとすれば、回向院時代にも(お忍びで?)台覧があったのかもしれません。さて、梅常陸両横綱の土俵入りは流石にどちらも堂々たるものですが、梅ヶ谷(2代目)の所作が現在の雲竜型とほぼ同じなのに対し、同じ雲竜型である常陸山は土俵中央での柏手2回のあと三段構えの「上の構え」になるべきところ両腕を広げる所作を見せています。ちなみに不知火型でもやはり上の構えになるべきところです。元々そういう所作なのか?それともあの常陸山が台覧相撲の緊張で「やっちまった」のか?興味深いところです。いずれにせよ、明治の大相撲を知る上での超貴重映像です。

  • @kinwahlee7575
    @kinwahlee7575 6 місяців тому +1

    我希望明治相撲時期考慮重新做人。❤❤😂😂🎉🎉🎉🎉😢😢😢😮😅😅😅😅😢😢🎉❤❤❤❤😂🎉😢😮😮😅😅

  • @BVW996
    @BVW996 7 місяців тому +2

    0.5倍速で見ました(笑)。この時代、技術的にはほぼ完成しているのでしょうね。今よりも足腰の強そうな力士の取り組みは、見ごたえがありました。取り組み前の四股の強さにも気づきました。

    • @SeiyuHosono
      @SeiyuHosono  6 місяців тому +1

      素晴らしいですよね〜!

    • @BVW996
      @BVW996 6 місяців тому +1

      @@SeiyuHosono
      力士の体が大きくなったのに土俵は昭和初期の15尺のままでは、おかしいのかもしれませんね。17尺にすると、もっと足腰の強い、スタミナとスピードのある力士が出てきて、この時代のスリルに近づくのかなと思いました。

  • @絢爛ましろ
    @絢爛ましろ 8 місяців тому

    こういう昔の映像によく映る白い煙?みたいなのは何なのかな? 煙草の煙ではないですよね

  • @ぷくぷく-o8q
    @ぷくぷく-o8q 8 місяців тому +1

    サムライがおる!😳

  • @barcajp8674
    @barcajp8674 7 місяців тому

    御前掛の力士の中でしこ名が分かる方いますか?

  • @stmn7792
    @stmn7792 Рік тому +1

    巡業かな?