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こんなに鮮明な映像が残っていたとは
二人目の対戦相手の力士、すごい筋肉ですね。
表情が辛そうでなんとも切ない。。
素晴らしいAI動画…
悲しくなる
このような動画残ってるんですね。画像も鮮明ですね。哀愁さえ感じます。優しさが溢れてます。辛かったと思いますよ。
腹筋の割れた力士って言うのも戦士って感じがしてカッコいい!!
表情を見てるだけで泣けてくる。
なんで😮
悲しきモンスター
@@Aiai-ts5gtモンスターとか言うなよ
なんだか、物語に出てくる優しい巨人みたいですね。2人目の対戦相手、小さいけど筋肉あるし、動きも素早くてすごい
筋肉ありすぎてびっくりした
信濃川。調べたら十両まで上がっていますね。応召やシベリア抑留で8年以上も拘束されてしまい、せっかくの取り盛りを活かすことが出来ず、気の毒でした。
34年前職場でご一緒した、大正12年生まれの方からお聞きしましたが、この映像の頃の出羽関を、街中で何度か見かけたそうです。もう、関取では、ないので、汚れた浴衣を着て足を引きずって歩いていたとの事でした。
二人目の力士すごいカッコいい身体してるよな。腹筋も割れてるし。
貴重な映像。ここまで鮮明なのは初めて見た。感動
手形を見たことがあるが桁違いに大きかったのを覚えている。本人の映像は初めて見ました。貴重な映像をありがとうございます。
最晩年、幕下24枚目で4勝3敗、次の場所は幕下10枚目で1勝5敗2休で引退でしたか。非常に鮮明で貴重な映像、ありがとうございました。
こんな貴重な映像ありがたいです。
晩年のアンドレが馬場と知り合い仲良くなったというのは分かる気がする。孤独を分かち合える友がいたということなんだろうか。
歯の数もお互い多かったんですかね
出身地の山形県上山市に等身大の銅像がありますよ。並ぶと大きさがよく分かります。今でも愛されているお相撲さんです。
この当時は見せ物みたいな感じだろうな。なんか胸が痛い。
なんだか素人のような相撲をやっているように思った。
映像が1939年との事で、現役引退した年ですねそりゃヨボヨボです
ジャイアント馬場よりも、アンドレザジャイアントみたいな雰囲気ですかね🎵2本目の取組はプロレスみたいな始まり方してるし、ズッコケかたは曙が負けた時みたいな感じです。
優しい性格の持ち主だったそうですね…
昔の力士は筋骨隆々で逞しいな。
こういうキャラだいたい優しい
一人称は大体「オデ」
ブランカかな
対戦相手が稀に観るスリム筋肉マンで、こっちも興味ある
足取りで勝ったお相撲さん小兵だけど腕っぷしは凄いな。
二の腕に浮き上がっている筋肉がすごい、全体的に脂肪を着けていない感じだけど昔はこういう力士も居たんやね
平成以降でしかも関取になった力士では維新力が近いですね。
大きい力士には足取り有効なんですね、あまり見かける事が無い決め技なので貴重です。
真面目にやっているはずなのに、初っ切りに見えてしまう。これが人気の理由だったのか。それにしても2人目の対戦相手の信濃川は、その後の苦労がすごい。十両昇進直前に召集されて、3年間従軍。復帰したらまた召集されてシベリア抑留。昭和25年にやっと復帰、十両昇進。玉乃海に匹敵する凄まじさ。
引退後も不幸だった出羽ヶ嶽とは対照的に、廃業後は起業してそれなりの成功を収めた様で、力士としては長生きと言える76歳まで生きたのが救いかもしれませんね。当人はたぶん知らずに逝ったと思いますが、現役時代の雄姿を滑稽な形とは言え映像に残せていたのもこの時代の力士としては大きい。出羽ヶ嶽は逆にこの映像が残ったことが良いことだったかどうか…。
絶対に心優しい人だろうなぁ
気は優しくて力持ち?
天龍率いる新興力士団が春秋園事件を起こした際に、一同揃って髷を切ろうとしたときに、出羽ヶ嶽だけはオイオイ泣いて髷を切らず、協会に復帰しました。心優しき巨人です。
この時代にプロレスがあったらジャイアント馬場より先に人気になってそう
生まれるのが30年早すぎたと言う事ですか❔。😮そうしたら、ジャイアント馬場さんのライバルに成って居たのかも知れませんねぇ。😮
馬場は大きいだけじゃなく体も頑丈でプロレス脳もあったからなあ。
現在の大谷選手のように長身でも、普通の人が現在は、いくらも居られますが、力士で普通のひとであり2mを超えた最初の人は、昭和50年代に活躍した、佐渡ヶ嶽部屋の琴若関でしょう。馬場さんは、巨人症(癌の一種)でありながら俊敏な運動神経を持っていました。韓国のパクソンナンもアメリカで成功した巨人プロレスラーで、馬場さんに次ぐ成功をおさめたアスリートです。出羽関の場合やはり力士としての佇まいが魅力であり、それが故に、迫力・美しさ・愛らしさが醸し出されるのではないでしょうか。歴史上の人物しての存在感があります。
@@軍鶏しゃも プロ野球においても二軍では、ありますが、成績も良く優秀選手として表彰を受けております。61歳で亡くなる直前までリングに上がっていたのですから、屈強な身体を持ちつづけていたのですね。プロモーターとしても、超一流でしたし。
@@野中和久-w4iさま戦中から戦後にかけて203センチの新高山一郎(プロレスに転じて羅生門綱五郎)がいます。黒澤明監督、三船敏郎主演の「用心棒」にヤクザの子分で出演していますから、その異様な大きさを確認できます。
最初の一番を見れば、体格に伴って単純なパワーはあったんだろう。それでも圧倒できない、どこかたどたどしい相撲というのは、身体的な問題があったことが窺える。
1:18足を取られ、膝からの崩れ落ち方がマジで危ない!
二人目の方、筋肉のつき方が綺麗すぎだわ。クソかっけえ。
顔も男前でしたね
信濃川藤四郎という方らしい1919年生まれで、173cm 84kg。カッコいい体型だけど、力士の体ではないような・・・
昔はバキバキのマッチョ力士多いよ。
@@さく-h6u9b 今で言うとね、昔は小兵ばっか
@@どこかの3代目 あの時代なら小兵ではなく恵まれた体格だろう平均身長160とかの時代だろう
こういう時代の映像は、独特の雰囲気があって大好きです。やはり大きな人を小兵が倒すというのは痛快なところありますので、当時の角界ではきっと重宝された方なんだろうなと思います。
Wikiに載せられているエピソード読んで、思わず涙してしまいました。犬や猫、小鳥は自分のことを嘲笑しないからと、心から可愛がったそうです。死の床にあっての最後の言葉は「犬と猫、頼むな」だったそうです。巨人病の研究のために遺体は献体され、一部は現在でも東大病院に標本として保存されているそうです。
まんま漫画に出てくる心優しい化物やな😁
16号じゃん
人間は醜い。
オテ"、ニンケ"ン、キライ
1:03 この相手力士の身体の引き締まりかためっちゃカッコいいわ。
貴重な映像ですね。
因みにこの出羽ヶ嶽より前の時代の横綱である大砲万右エ門も身長が194㎝もありました。その横綱の身長記録は約100年後に双羽黒(201㎝)が現れるまで抜かれませんでした
お身体が悪そうですね…(。・_・`。)孤独の辛さが伝わって来ます。
悲しそうな顔してるなぁ。。
ほんとは身長が大きくなりたくてなかったらしいよそして小学一年生の時は160センチそして15歳で192センチでもとても小さい頃は心が弱かったんだってよ
優しそうな人やなあ
出羽が嶽 聞いたことはありますが映像が残ってたんですね。なんか物悲しい顔してるのが可愛そうです。この時代の大相撲のフイルムは他にはないんでしょうか。非常に興味があります。
戦火で焼失してしまったそうです。現存する映像は映画館用のプリントフィルムで、マスターでない為、荒れているのでしょう。
@@kazuhisanonaka172 戦争がなければ戦前のもっといろいろな力士の映像が見れたかもしれませんね
2人目の対戦相手凄い体が絞れてる
もはや相撲取りの体じゃねぇ
まるで「プロレスラーみたい」ですねぇ。😀
力士としてアリなのかな?この体型は
哀しい💧ただひたすら哀しい💧
ジャイアント馬場さんに似てますね。まさに心優しき巨人だったのでしょうね。
後「アンドレ・ザ・ジャイアントさん」も忘れずに。😀
最初の試合の、軽い張り手1発で吹っ飛ばしちゃうのカッコいいなあアンドレっぽくてカッコいい
こんな映像が残っていたとは正直びっくり
とても相撲に向いて無さそうな優しい性格が垣間見える医者になってたら、、、
2人目の相手の信濃川藤四郎もシベリア抑留に遭ったりしてなかなか波乱に富んだ人生だったそうで
Niceタックルですね❗ありがとうございます‼️誠に感謝しております‼️
なんだかこれだけの映像だけで、悲しそうとかかわいそうって言われて可哀想。幸せだったかもしれないじゃないですか。
観客に勇気を与える存在になれて幸せだったんだよ彼は
この映像だけじゃなくて、本人も力士になるのは嫌だったみたいですね。巨体に生まれたのが不幸だったと言っていたらしいです。
出羽ヶ嶽。産まれ持った巨体に運命を翻弄された人生だった。医者志望だったが力士になることを勧められる。関取へ昇進するも腰を痛めて、やがて成績が低迷。引退後は様々な職を転々。探偵にもなったが尾行がバレやすく廃業。逝去後は遺体が標本として引き取られる。なにかと巨体が仇となる人生であった。もしも巨人症で無ければ穏やかな人生を送っていたのかもと思ってしまう。
そのエピソードは横綱男女ノ川のものです。
@@majesty164 「様々な職業を転々とした」のは男女ノ川ですね。ご指摘ありがとうございます。出羽ヶ嶽の方は親方には成れたものの、終戦直後という混乱期と重なって副業でしのいでいたとか‥。やはりしんどすぎる。
@@yasumi0928 こちらこそご返信ありがとうございます。男女ノ川、出羽ヶ嶽、共に産まれ持った身体、そして時代に翻弄されてしまったと言えるのかもしれません。出羽ヶ嶽がやっておられたのは確か、焼き鳥屋でしたね。当時を生きていたら是非、食べに行ってみたかったです。
探偵になろうと思ったのはミステリー
確かにあの身長であの時代やったら目立つもんなあ
ジャイアント馬場が生前「野球選手の頃、練習中に『蔵前に行ってこい』と罵声を浴びせられるのが辛かった。相撲取りも嫌いだった」と語っていたことがあります。体の大きい者が就ける職が力士ぐらいしかないと思われた時代。プロレスで輝けた馬場はまだ救いがありましたが、出羽ヶ嶽は本当に力士以外の選択肢がなくて、「力士にさせられた」感が漂っています。本人に罪のない肉体的な事情でこんな人生を強いられるのは理不尽極まりないです。
あの東洋の巨人もそんな辛い経験があった何て…………。
「巨人の星」に、野球選手時代の馬場さんを、モデルにした大内山投手という登場人物が居りました。
@@kazuhisanonaka172 様 馬場本人は複雑な心境だったでしょうね。「大内山」は皇居を指す言葉とはいえ、実在の、しかも出羽ヶ嶽と同じ長身の力士の四股名でもある訳ですから。
@@重松知憲 様 その「東洋の巨人」をプロレスに導き、「ババ・ザ・ジャイアント」に仕立てたのが元力士の力道山だったというのも皮肉と言うか因縁めいてますね。
本人はたしか医者になりたかったんですよね😢
wikiによると205cm、この時代でそれってどんな感じだったのかな…想像を絶するな…
同じ2メートル級でも最近の北尾、曙、琴欧洲あたりとは明らかに異形
北尾や曙より10cm以上高いからね。(214cm) 当日の平気身長を考慮すれば、今だと220cmくらいになるのでは?
この時代の平均身長は男の人で160くらいだったと思う
出羽ヶ嶽は205cm214cmは不動岩
巨人力士の定義は、「手のひら、足のサイズがでかい」「顎が長い」「顔がでかい」「倒れる際のアクションが、スローモーションに見える」。
自分は出羽ケ嶽の妹さんから可愛がられ子供の頃よく卵かけご飯をご馳走になりました!
一体何歳なんですか?
@@世界放送 さん自分は今、61歳です。自分が4,5歳の頃妹さんの年は60は越えています。ちなみに名前はきくさんと記憶しています。
@@金子雅春-w1d なぜ可愛がられたのかな?
@@sho-munoo さん真向かいの家だったので
@@金子雅春-w1d 妹さんは背高かったですか?
かなりきつそうだけど、この状態で相撲取らせるん?あと、小兵力士の筋肉がすごい。
逸話に事欠かない名力士です。決して強いわけではないですが、見た目が何より怖い。しかも出羽海部屋の稽古で横綱栃木山ですら持てあますという噂を流したり、実際土俵上で大関太刀光を鯖折りで大けがさせたりで、対戦する力士に恐怖心を感じさせることで勝ち星につながった要素もあったようです。晩年は脊髄カリエスを患ったり、実力のメッキが剥がれたりで三段目まで落ちてしまいました。小鳥やカメラが趣味の心優しき巨人です。昭和14年5月引退ですから、引退直前の貴重な映像ですね。
巨漢がゆえに、大横綱栃木山だけまともに稽古相手になってくれて、父の様に慕ってたそうです(昭和53年刊、昭和の名力士100人より)
春秋園事件の首謀者・天竜曰く出羽ヶ嶽は「一門の宣伝によって造られた力士」と評していたそうな三役だった頃でさえ幕下の自分より弱かったと
根本的にあまり運動神経がよくなかったのかな…と推測される相撲ぶりでしたね。動きが緩慢で、出足もそれほどない。「受身」で相撲を取っている感じがしました。周りは自分よりはるかに小さい人しかいませんから大きな身体に少し圧力を加えるだけで若い頃はある程度星も残せたのでしょうけど、引退目前のこの頃になると完全に自分の巨体を持て余してますね。いずれにしてもたいへん貴重な出羽ヶ嶽の映像、感謝です。
素晴らしい👏
本当はこんなことしたくないのにぃ〜ってゆう悲壮感が…
晩年ボロボロになって周囲から引退勧められても頑なに続けたらしいよ最後は幕下まで落ちてとある場所で1勝しか出来なくてやっと引退したらしい
調べてみると現役時代はすでに骨粗しょう症という病気だったそうですね
ジャイアント馬場と同体格としても、体の各部位の可動域が全然違いそうですね。馬場はピッチャーもやってたくらいで相当体は動かせていた。出羽ケ嶽関は立ってるのもしんどそうで、こういう症状の人本来の姿なのでしょう。馬場やアンドレは規格外すぎたのですね。大相撲協会も成績だけじゃなく、映像が残ってるならこういう力士の皆さんも紹介してほしいですね。インターバル作って会場、テレビ同時に流したりとか。
この映像は晩年の引退する直前らしいから全盛期はもっと動けてたんだと思う
81年前凄い
このフイルムよく、残って、いましたね~有難う御座います。
2人目の相手力士体良すぎる
最後、怪獣映画の声みたいの聞こえる🤭モスラの鳴き声か??
こうしてみると相撲の技術も明らかに進歩してるよなあとこの頃の映像ってこま送りみたいな動きが殆どだけどこれはちゃんと動きの速度が現実と同じになってるかなり珍しい
まあ幕下の相撲だし、それに何しろ出羽ヶ嶽との相撲ですから、昔と今のレベルがどうかという議論はともかく、少なくともこの映像だけで当時の技術レベルを判断することはできませんけどね(と、他のコメントにも変身した)。
0:20~服装からして相当に裕福な家庭のお子さんですね。
圓楽(楽太郎じゃないよ!)が噺の枕で「出羽ケ嶽の文ちゃん」のことを言ったことがあるけど、この力士か!!
とにかくでかい力士というので名前だけは知ってましたが、動画があったんですね。しかし二つとも長い取り組みです。
受けますね‼️大きいしツオーイこんな相撲場面見たことなかったしアラレちゃんの世界だね 楽しいね😃
出羽ヶ嶽関を初めて知って驚きを覚えました!あまりにも立派な体格に圧倒されて最初、合成映像なのかと想うほどでした!初めての映像に、大変嬉しく思います!
完全に見せ物という感じだ‼試合よりもこの力士を好奇の目で観賞していると思う❗
確かにそれはありますね。あの当時は、番付が幕内や十両に上がりそうにもない力士に「猪鍋吉」「電気灯光之助」「自動車早太郎」といったふざけた四股名をつけて、見せもの気分で楽しんでいた者もいたとのことです。 今考えたら、酷い話ですね。
いわゆる客寄せパンダだなこの頃はもう現役最晩年で中々勝てなくなってたけど、出羽ヶ嶽目的でお客さんはたくさん来たんだろう今ならjリーグの三浦知良がそれに当てはまるな
@@神代洋一-u8w お前がな
@@コムロ系 何を言うか、冷やし中華!
@@神代洋一-u8w 江戸時代の、有力藩のお抱え巨人力士の様に、土俵入りだけさせて相撲は取らせなければ良かった。 見世物には違いないが、空いた時間で好きな事も出来たのに、と現代人の自分は思ってしまいます。
気持ちが優しすぎる。戦闘モードとはかけ離れてる。これだけみても 巨人になるにしたがって 平和で優しい人々ということが 伝わる‼️動画ありがとうございましたm(__)m
昭和2年、浅草産まれの母親から、「とても気の優しい人で、文(ぶん)ちゃんの愛称で親しまれ、みんなから愛されていた」と聞いています。 動画を見ることができて、とても嬉しかったです😃‼️😄
そんな古い時代の力士だったんですね、日清戦争とか日露戦争とかそれくらい昔の力士ですよね?もっと前の時代ですかね?今が令和だからイメージがわかないです。
@@花の子ルンルン-p8e 様 いいえ、昭和2年生まれの私の母親が少女時代に見てるお相撲さんやから昭和10年代ですよ。
大正生まれの力士なんですね。凄い貴重な映像ですよね、力道山とかより全然古いじだいでテレビがあまり普及してない時代ですよね。
@@花の子ルンルン-p8eさま普及もなにもテレビはまだありません。
0:20の子供も今では推定90歳くらい(T^T)
可愛い
斎藤茂吉が文ちゃんで歌を詠んでた頃だな
1:18膝が悲鳴を上げる瞬間
貴重な映像
突き飛ばした瞬間「土俵から落ちないよね…大丈夫かな…」と思ってそう。
巨人症辛すぎる…
I just think it's cool to see an Ashitori from 1939....
体格こそ大きいから簡単に倒せないけど、全然アクティブに動かないで受動的な相撲になってるのが見てて痛々しいこの時点で相当身体を痛めてたんじゃないかという気がする
すごい。最初出てきた時、ジャイアント馬場かなー?と思った😅
2人目の人力士とは思えないほどバキバキ
字幕の旧字体に時代を感じる。
何だかアンドレ・ザ・ジャイアント思い出したわ
後、馬場さんと闘った「ラジャライオン」もお忘れなく。🤨
It's so lovely to be able to see this short film in HD. I love how I can see their faces and reactions so clearly ❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️
巨人症だから、あまり動けなかったんだろうな。馬場やアンドレやシュルトやホンマンは、動きが速かった。
0:30 ほとんど動けてないなあ。相手が来たとこをカウンター突き飛ばすくらい。
此れは貴重な映像ぢゃぁ〜😃‼️
しなのがわとかいう力士身長はわからないけど相当な筋肉マッチョ
推定173〜177 辺りでしょうかね?
173cmで84kgらしい(この当時21歳)スピード出世で十両目前まで来た所で応召→抑留で全盛期を棒に振ったんですって…
@@ちくわ大明神-c5q めっちゃ詳しい情報有り難うございます
今みたくマシンもない時代にここまで作れるんですね筋肉
@@HAYASHITOURU2020 きっと米俵3つぐらい担いでたんですかね!
相撲は身長高い方が有利だけど体重の兼ね合いもあるからバスケと違って高ければ高いほど有利ってわけでもないんだよな2m超えて成功したの曙と琴欧洲だけだ190前後くらいがベストな気がするっていうかそもそも2m超えの絶対数が少ねぇ長身のやつってすらっとして太れない体質の人が多いから2m超えは居てもそこから更に太れる奴って外人含めてもレア中のレア
勝敗が決した時のヘンな機械音のような動物の鳴き声のようなナゾの音は何だ⁉️
本人は力士でなく、医者になりたかったみたい。中等学校でも成績抜群で、生徒会長なんかやっていたらしい。
えぇ……
悲しいなぁ
ぜったいに嘘だね。
@@Aiai-ts5gt ちっぽけな自分に嫌気がさしちゃったよね……
@@乙骨-g9d 悲しいですね。医師であり作家、歌人でもあった義兄弟の斎藤茂吉は、かつて横綱、大関候補だったのに、三段目まで落ちて相撲をとっている出羽ヶ嶽の姿を観て、「番付も下りくだりてよわくなりし出羽ヶ嶽見に来て黙しけり」と詠んでいる。
朝潮と名乗っていた頃の男女ノ川と対戦した動画が残っていたら是非とも見てみたいですね。
呼出さんがまだ幼い!時代を感じます。
中学生くらいでしょうかね。尋常小学校だけ卒業して直ぐに働いている感じ。
wikiみたら頭脳明晰で成績優良、級長を務めて将来は小児科医になるつもりだったみたいだねそれ考えるとまた哀愁を感じるなぁ最後は巨人症研究による解剖され、今でも東大に一部標本として残ってるのかぁ 泣
Wikipediaみる限り、この時点で全盛期から身体も壊し10年も立っている。そして周囲から虐待まがいの扱いを受けていたらしい。この物悲しい表情はそういう経緯なのからなのか、、、脳出血で倒れ最期の言葉は「犬と猫たのむな」この人は小児科医になるつもりだったらしいし優しい人だったんだろうね
What was the name of the second opponent? He was very strong
今の力士を基準にすると230センチくらいあるように見えるな。この方も大きかったけど、相手の力士も今の平均よりかなり小さかったと。
2人目の対戦相手が173cm
それにしても信濃川と言う力士は体が閉まって腹筋も割れてカッコイイ体してるなぁ~!
大きいですね~貴重な映像
出羽ヶ嶽関は大相撲史上初の2m越え200kgの力士
現在の小兵力士には参考になりそう。
こんなに鮮明な映像が残っていたとは
二人目の対戦相手の力士、すごい筋肉ですね。
表情が辛そうでなんとも切ない。。
素晴らしいAI動画…
悲しくなる
このような動画残ってるんですね。画像も鮮明ですね。哀愁さえ感じます。優しさが溢れてます。辛かったと思いますよ。
腹筋の割れた力士って言うのも戦士って感じがしてカッコいい!!
表情を見てるだけで泣けてくる。
なんで😮
悲しきモンスター
@@Aiai-ts5gtモンスターとか言うなよ
なんだか、物語に出てくる優しい巨人みたいですね。
2人目の対戦相手、小さいけど筋肉あるし、動きも素早くてすごい
筋肉ありすぎてびっくりした
信濃川。調べたら十両まで上がっていますね。応召やシベリア抑留で8年以上も拘束されてしまい、せっかくの取り盛りを活かすことが出来ず、気の毒でした。
34年前職場でご一緒した、大正12年生まれの方からお聞きしましたが、この映像の頃の出羽関を、街中で何度か見かけたそうです。もう、関取では、ないので、汚れた浴衣を着て足を引きずって歩いていたとの事でした。
二人目の力士すごいカッコいい身体してるよな。腹筋も割れてるし。
貴重な映像。ここまで鮮明なのは初めて見た。感動
手形を見たことがあるが桁違いに大きかったのを覚えている。本人の映像は初めて見ました。貴重な映像をありがとうございます。
最晩年、幕下24枚目で4勝3敗、次の場所は幕下10枚目で1勝5敗2休で引退でしたか。非常に鮮明で貴重な映像、ありがとうございました。
こんな貴重な映像ありがたいです。
晩年のアンドレが馬場と知り合い仲良くなったというのは分かる気がする。
孤独を分かち合える友がいたということなんだろうか。
歯の数もお互い多かったんですかね
出身地の山形県上山市に等身大の銅像がありますよ。並ぶと大きさがよく分かります。今でも愛されているお相撲さんです。
この当時は見せ物みたいな感じだろうな。なんか胸が痛い。
なんだか素人のような相撲をやっているように思った。
映像が1939年との事で、現役引退した年ですね
そりゃヨボヨボです
ジャイアント馬場よりも、アンドレザジャイアントみたいな雰囲気ですかね🎵2本目の取組はプロレスみたいな始まり方してるし、ズッコケかたは曙が負けた時みたいな感じです。
優しい性格の持ち主だったそうですね…
昔の力士は筋骨隆々で逞しいな。
こういうキャラだいたい優しい
一人称は大体「オデ」
ブランカかな
対戦相手が稀に観るスリム筋肉マンで、こっちも興味ある
足取りで勝ったお相撲さん小兵だけど腕っぷしは凄いな。
二の腕に浮き上がっている筋肉がすごい、全体的に脂肪を着けていない感じだけど昔はこういう力士も居たんやね
平成以降でしかも関取になった力士では維新力が近いですね。
大きい力士には足取り有効なんですね、あまり見かける事が無い決め技なので貴重です。
真面目にやっているはずなのに、初っ切りに見えてしまう。これが人気の理由だったのか。
それにしても2人目の対戦相手の信濃川は、その後の苦労がすごい。十両昇進直前に召集されて、3年間従軍。復帰したらまた召集されてシベリア抑留。昭和25年にやっと復帰、十両昇進。玉乃海に匹敵する凄まじさ。
引退後も不幸だった出羽ヶ嶽とは対照的に、廃業後は起業してそれなりの成功を収めた様で、力士としては長生きと言える76歳まで生きたのが救いかもしれませんね。当人はたぶん知らずに逝ったと思いますが、現役時代の雄姿を滑稽な形とは言え映像に残せていたのもこの時代の力士としては大きい。出羽ヶ嶽は逆にこの映像が残ったことが良いことだったかどうか…。
絶対に心優しい人だろうなぁ
気は優しくて力持ち?
天龍率いる新興力士団が春秋園事件を起こした際に、一同揃って髷を切ろうとしたときに、出羽ヶ嶽だけはオイオイ泣いて髷を切らず、協会に復帰しました。心優しき巨人です。
この時代にプロレスがあったらジャイアント馬場より先に人気になってそう
生まれるのが30年早すぎたと言う事ですか❔。😮
そうしたら、ジャイアント馬場さんのライバルに成って居たのかも知れませんねぇ。😮
馬場は大きいだけじゃなく体も頑丈でプロレス脳もあったからなあ。
現在の大谷選手のように長身でも、普通の人が現在は、いくらも居られますが、力士で普通のひとであり2mを超えた最初の人は、昭和50年代に活躍した、佐渡ヶ嶽部屋の琴若関でしょう。馬場さんは、巨人症(癌の一種)でありながら俊敏な運動神経を持っていました。韓国のパクソンナンもアメリカで成功した巨人プロレスラーで、馬場さんに次ぐ成功をおさめたアスリートです。出羽関の場合やはり力士としての佇まいが魅力であり、それが故に、迫力・美しさ・愛らしさが醸し出されるのではないでしょうか。歴史上の人物しての存在感があります。
@@軍鶏しゃも プロ野球においても二軍では、ありますが、成績も良く優秀選手として表彰を受けております。61歳で亡くなる直前までリングに上がっていたのですから、屈強な身体を持ちつづけていたのですね。プロモーターとしても、超一流でしたし。
@@野中和久-w4iさま
戦中から戦後にかけて203センチの新高山一郎(プロレスに転じて羅生門綱五郎)がいます。
黒澤明監督、三船敏郎主演の「用心棒」にヤクザの子分で出演していますから、その異様な大きさを確認できます。
最初の一番を見れば、体格に伴って単純なパワーはあったんだろう。それでも圧倒できない、どこかたどたどしい相撲というのは、身体的な問題があったことが窺える。
1:18
足を取られ、膝からの崩れ落ち方がマジで危ない!
二人目の方、筋肉のつき方が綺麗すぎだわ。クソかっけえ。
顔も男前でしたね
信濃川藤四郎という方らしい
1919年生まれで、173cm 84kg。
カッコいい体型だけど、力士の体ではないような・・・
昔はバキバキのマッチョ力士多いよ。
@@さく-h6u9b 今で言うとね、昔は小兵ばっか
@@どこかの3代目 あの時代なら小兵ではなく恵まれた体格だろう
平均身長160とかの時代だろう
こういう時代の映像は、独特の雰囲気があって大好きです。
やはり大きな人を小兵が倒すというのは痛快なところありますので、当時の角界ではきっと重宝された方なんだろうなと思います。
Wikiに載せられているエピソード読んで、思わず涙してしまいました。犬や猫、小鳥は自分のことを嘲笑しないからと、心から可愛がったそうです。死の床にあっての最後の言葉は「犬と猫、頼むな」だったそうです。巨人病の研究のために遺体は献体され、一部は現在でも東大病院に標本として保存されているそうです。
まんま漫画に出てくる心優しい化物やな😁
16号じゃん
人間は醜い。
オテ"、ニンケ"ン、キライ
1:03 この相手力士の身体の引き締まりかためっちゃカッコいいわ。
貴重な映像ですね。
因みにこの出羽ヶ嶽より前の時代の横綱である大砲万右エ門も身長が194㎝もありました。その横綱の身長記録は約100年後に双羽黒(201㎝)が現れるまで抜かれませんでした
お身体が悪そうですね…(。・_・`。)
孤独の辛さが伝わって来ます。
悲しそうな顔してるなぁ。。
ほんとは身長が大きくなりたくてなかったらしいよそして小学一年生の時は160センチそして15歳で192センチでもとても小さい頃は心が弱かったんだってよ
優しそうな人やなあ
出羽が嶽 聞いたことはありますが映像が残ってたんですね。なんか物悲しい顔してるのが可愛そうです。この時代の大相撲のフイルムは他にはないんでしょうか。非常に興味があります。
戦火で焼失してしまったそうです。現存する映像は映画館用のプリントフィルムで、マスターでない為、荒れているのでしょう。
@@kazuhisanonaka172 戦争がなければ戦前のもっといろいろな力士の映像が見れたかもしれませんね
2人目の対戦相手凄い体が絞れてる
もはや相撲取りの体じゃねぇ
まるで「プロレスラーみたい」ですねぇ。😀
力士としてアリなのかな?この体型は
哀しい💧ただひたすら哀しい💧
ジャイアント馬場さんに似てますね。
まさに心優しき巨人だったのでしょうね。
後「アンドレ・ザ・ジャイアントさん」も忘れずに。😀
最初の試合の、軽い張り手1発で吹っ飛ばしちゃうのカッコいいなあ
アンドレっぽくてカッコいい
こんな映像が残っていたとは正直びっくり
とても相撲に向いて無さそうな優しい性格が垣間見える
医者になってたら、、、
2人目の相手の信濃川藤四郎もシベリア抑留に遭ったりしてなかなか波乱に富んだ人生だったそうで
Niceタックルですね❗ありがとうございます‼️誠に感謝しております‼️
なんだかこれだけの映像だけで、悲しそうとかかわいそうって言われて可哀想。
幸せだったかもしれないじゃないですか。
観客に勇気を与える存在になれて幸せだったんだよ彼は
この映像だけじゃなくて、本人も力士になるのは嫌だったみたいですね。巨体に生まれたのが不幸だったと言っていたらしいです。
出羽ヶ嶽。産まれ持った巨体に運命を翻弄された人生だった。
医者志望だったが力士になることを勧められる。関取へ昇進するも腰を痛めて、やがて成績が低迷。引退後は様々な職を転々。探偵にもなったが尾行がバレやすく廃業。逝去後は遺体が標本として引き取られる。
なにかと巨体が仇となる人生であった。もしも巨人症で無ければ穏やかな人生を送っていたのかもと思ってしまう。
そのエピソードは横綱男女ノ川のものです。
@@majesty164 「様々な職業を転々とした」のは男女ノ川ですね。ご指摘ありがとうございます。
出羽ヶ嶽の方は親方には成れたものの、終戦直後という混乱期と重なって副業でしのいでいたとか‥。やはりしんどすぎる。
@@yasumi0928 こちらこそご返信ありがとうございます。
男女ノ川、出羽ヶ嶽、共に産まれ持った身体、そして時代に翻弄されてしまったと言えるのかもしれません。
出羽ヶ嶽がやっておられたのは確か、焼き鳥屋でしたね。
当時を生きていたら是非、食べに行ってみたかったです。
探偵になろうと思ったのはミステリー
確かにあの身長であの時代やったら目立つもんなあ
ジャイアント馬場が生前「野球選手の頃、練習中に『蔵前に行ってこい』と罵声を浴びせられるのが辛かった。相撲取りも嫌いだった」と語っていたことがあります。
体の大きい者が就ける職が力士ぐらいしかないと思われた時代。プロレスで輝けた馬場はまだ救いがありましたが、出羽ヶ嶽は本当に力士以外の選択肢がなくて、「力士にさせられた」感が漂っています。
本人に罪のない肉体的な事情でこんな人生を強いられるのは理不尽極まりないです。
あの東洋の巨人もそんな辛い経験があった何て…………。
「巨人の星」に、野球選手時代の馬場さんを、モデルにした大内山投手という登場人物が居りました。
@@kazuhisanonaka172 様 馬場本人は複雑な心境だったでしょうね。「大内山」は皇居を指す言葉とはいえ、実在の、しかも出羽ヶ嶽と同じ長身の力士の四股名でもある訳ですから。
@@重松知憲 様 その「東洋の巨人」をプロレスに導き、「ババ・ザ・ジャイアント」に仕立てたのが元力士の力道山だったというのも皮肉と言うか因縁めいてますね。
本人はたしか医者になりたかったんですよね😢
wikiによると205cm、この時代でそれってどんな感じだったのかな…想像を絶するな…
同じ2メートル級でも最近の北尾、曙、琴欧洲あたりとは明らかに異形
北尾や曙より10cm以上高いからね。(214cm) 当日の平気身長を考慮すれば、今だと220cmくらいになるのでは?
この時代の平均身長は男の人で160くらいだったと思う
出羽ヶ嶽は205cm
214cmは不動岩
巨人力士の定義は、「手のひら、足のサイズがでかい」「顎が長い」「顔がでかい」「倒れる際のアクションが、スローモーションに見える」。
自分は出羽ケ嶽の妹さんから可愛がられ子供の頃よく卵かけご飯をご馳走になりました!
一体何歳なんですか?
@@世界放送 さん自分は今、61歳です。自分が4,5歳の頃妹さんの年は60は越えています。ちなみに名前はきくさんと記憶しています。
@@金子雅春-w1d なぜ可愛がられたのかな?
@@sho-munoo さん真向かいの家だったので
@@金子雅春-w1d
妹さんは背高かったですか?
かなりきつそうだけど、この状態で相撲取らせるん?
あと、小兵力士の筋肉がすごい。
逸話に事欠かない名力士です。決して強いわけではないですが、見た目が何より怖い。しかも出羽海部屋の稽古で横綱栃木山ですら持てあますという噂を流したり、実際土俵上で大関太刀光を鯖折りで大けがさせたりで、対戦する力士に恐怖心を感じさせることで勝ち星につながった要素もあったようです。晩年は脊髄カリエスを患ったり、実力のメッキが剥がれたりで三段目まで落ちてしまいました。小鳥やカメラが趣味の心優しき巨人です。昭和14年5月引退ですから、引退直前の貴重な映像ですね。
巨漢がゆえに、大横綱栃木山だけまともに稽古相手になってくれて、父の様に慕ってたそうです(昭和53年刊、昭和の名力士100人より)
春秋園事件の首謀者・天竜曰く出羽ヶ嶽は「一門の宣伝によって造られた力士」と評していたそうな
三役だった頃でさえ幕下の自分より弱かったと
根本的にあまり運動神経がよくなかったのかな…と推測される相撲ぶりでしたね。
動きが緩慢で、出足もそれほどない。「受身」で相撲を取っている感じがしました。周りは自分よりはるかに小さい人しかいませんから大きな身体に少し圧力を加えるだけで若い頃はある程度星も残せたのでしょうけど、引退目前のこの頃になると完全に自分の巨体を持て余してますね。
いずれにしてもたいへん貴重な出羽ヶ嶽の映像、感謝です。
素晴らしい👏
本当はこんなことしたくないのにぃ〜ってゆう悲壮感が…
晩年ボロボロになって周囲から引退勧められても頑なに続けたらしいよ
最後は幕下まで落ちてとある場所で1勝しか出来なくてやっと引退したらしい
調べてみると現役時代はすでに骨粗しょう症という病気だったそうですね
ジャイアント馬場と同体格としても、体の各部位の可動域が全然違いそうですね。馬場はピッチャーもやってたくらいで相当体は動かせていた。出羽ケ嶽関は立ってるのもしんどそうで、こういう症状の人本来の姿なのでしょう。馬場やアンドレは規格外すぎたのですね。大相撲協会も成績だけじゃなく、映像が残ってるならこういう力士の皆さんも紹介してほしいですね。インターバル作って会場、テレビ同時に流したりとか。
この映像は晩年の引退する直前
らしいから全盛期はもっと動けてた
んだと思う
81年前
凄い
このフイルムよく、残って、いましたね~有難う御座います。
2人目の相手力士体良すぎる
最後、怪獣映画の声みたいの聞こえる🤭
モスラの鳴き声か??
こうしてみると相撲の技術も明らかに進歩してるよな
あとこの頃の映像ってこま送りみたいな動きが殆どだけどこれはちゃんと動きの速度が現実と同じになってる
かなり珍しい
まあ幕下の相撲だし、それに何しろ出羽ヶ嶽との相撲ですから、昔と今のレベルがどうかという議論はともかく、少なくともこの映像だけで当時の技術レベルを判断することはできませんけどね(と、他のコメントにも変身した)。
0:20~
服装からして
相当に裕福な家庭のお子さんですね。
圓楽(楽太郎じゃないよ!)が噺の枕で「出羽ケ嶽の文ちゃん」のことを言ったことがあるけど、この力士か!!
とにかくでかい力士というので名前だけは知ってましたが、動画があったんですね。
しかし二つとも長い取り組みです。
受けますね‼️大きいしツオーイこんな相撲場面見たことなかったしアラレちゃんの世界だね 楽しいね😃
出羽ヶ嶽関を初めて知って驚きを覚えました!
あまりにも立派な体格に圧倒されて最初、合成映像なのかと想うほどでした!
初めての映像に、大変嬉しく思います!
完全に見せ物という感じだ‼
試合よりもこの力士を好奇の目で観賞していると思う❗
確かにそれはありますね。あの当時は、番付が幕内や十両に上がりそうにもない力士に「猪鍋吉」「電気灯光之助」「自動車早太郎」といったふざけた四股名をつけて、見せもの気分で楽しんでいた者もいたとのことです。
今考えたら、酷い話ですね。
いわゆる客寄せパンダだな
この頃はもう現役最晩年で中々勝てなくなってたけど、出羽ヶ嶽目的でお客さんはたくさん来たんだろう
今ならjリーグの三浦知良がそれに当てはまるな
@@神代洋一-u8w お前がな
@@コムロ系
何を言うか、冷やし中華!
@@神代洋一-u8w
江戸時代の、有力藩のお抱え巨人力士の様に、土俵入りだけさせて相撲は取らせなければ良かった。
見世物には違いないが、空いた時間で好きな事も出来たのに、と現代人の自分は思ってしまいます。
気持ちが優しすぎる。戦闘モードとは
かけ離れてる。これだけみても 巨人になるにしたがって 平和で優しい人々ということが 伝わる‼️動画ありがとうございましたm(__)m
昭和2年、浅草産まれの母親から、「とても気の優しい人で、文(ぶん)ちゃんの愛称で親しまれ、みんなから愛されていた」と聞いています。
動画を見ることができて、とても嬉しかったです😃‼️😄
そんな古い時代の力士だったんですね、日清戦争とか日露戦争とかそれくらい昔の力士ですよね?
もっと前の時代ですかね?
今が令和だからイメージがわかないです。
@@花の子ルンルン-p8e 様
いいえ、昭和2年生まれの私の母親が少女時代に見てるお相撲さんやから昭和10年代ですよ。
大正生まれの力士なんですね。
凄い貴重な映像ですよね、力道山とかより全然古いじだいでテレビがあまり普及してない時代ですよね。
@@花の子ルンルン-p8eさま
普及もなにもテレビはまだありません。
0:20の子供も今では推定90歳くらい(T^T)
可愛い
斎藤茂吉が文ちゃんで歌を詠んでた頃だな
1:18膝が悲鳴を上げる瞬間
貴重な映像
突き飛ばした瞬間「土俵から落ちないよね…大丈夫かな…」と思ってそう。
巨人症辛すぎる…
I just think it's cool to see an Ashitori from 1939....
体格こそ大きいから簡単に倒せないけど、全然アクティブに動かないで受動的な相撲になってるのが見てて痛々しい
この時点で相当身体を痛めてたんじゃないかという気がする
すごい。最初出てきた時、ジャイアント馬場かなー?と思った😅
2人目の人力士とは思えないほどバキバキ
字幕の旧字体に時代を感じる。
何だかアンドレ・ザ・ジャイアント思い出したわ
後、馬場さんと闘った「ラジャライオン」もお忘れなく。🤨
It's so lovely to be able to see this short film in HD. I love how I can see their faces and reactions so clearly ❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️❤️
巨人症だから、あまり動けなかったんだろうな。
馬場やアンドレやシュルトやホンマンは、動きが速かった。
0:30 ほとんど動けてないなあ。
相手が来たとこをカウンター突き飛ばすくらい。
此れは貴重な映像ぢゃぁ〜😃‼️
しなのがわとかいう力士身長はわからないけど相当な筋肉マッチョ
推定173〜177 辺りでしょうかね?
173cmで84kgらしい(この当時21歳)
スピード出世で十両目前まで来た所で
応召→抑留で全盛期を棒に振ったんですって…
@@ちくわ大明神-c5q めっちゃ詳しい情報有り難うございます
今みたくマシンもない時代にここまで作れるんですね筋肉
@@HAYASHITOURU2020 きっと米俵3つぐらい担いでたんですかね!
相撲は身長高い方が有利だけど体重の兼ね合いもあるからバスケと違って高ければ高いほど有利ってわけでもないんだよな
2m超えて成功したの曙と琴欧洲だけだ
190前後くらいがベストな気がする
っていうかそもそも2m超えの絶対数が少ねぇ
長身のやつってすらっとして太れない体質の人が多いから2m超えは居てもそこから更に太れる奴って外人含めてもレア中のレア
勝敗が決した時のヘンな機械音のような動物の鳴き声のようなナゾの音は何だ⁉️
本人は力士でなく、医者になりたかったみたい。中等学校でも成績抜群で、生徒会長なんかやっていたらしい。
えぇ……
悲しいなぁ
ぜったいに嘘だね。
@@Aiai-ts5gt ちっぽけな自分に嫌気がさしちゃったよね……
@@乙骨-g9d 悲しいですね。医師であり作家、歌人でもあった義兄弟の斎藤茂吉は、かつて横綱、大関候補だったのに、三段目まで落ちて相撲をとっている出羽ヶ嶽の姿を観て、「番付も下りくだりてよわくなりし出羽ヶ嶽見に来て黙しけり」と詠んでいる。
朝潮と名乗っていた頃の男女ノ川と対戦した動画が残っていたら是非とも見てみたいですね。
呼出さんがまだ幼い!時代を感じます。
中学生くらいでしょうかね。
尋常小学校だけ卒業して直ぐに働いている感じ。
wikiみたら
頭脳明晰で成績優良、級長を務めて将来は小児科医になるつもりだったみたいだね
それ考えるとまた哀愁を感じるなぁ
最後は巨人症研究による解剖され、今でも東大に一部標本として残ってるのかぁ 泣
Wikipediaみる限り、この時点で全盛期から身体も壊し10年も立っている。そして周囲から虐待まがいの扱いを受けていたらしい。この物悲しい表情はそういう経緯なのからなのか、、、脳出血で倒れ最期の言葉は「犬と猫たのむな」
この人は小児科医になるつもりだったらしいし優しい人だったんだろうね
What was the name of the second opponent? He was very strong
今の力士を基準にすると230センチくらいあるように見えるな。この方も大きかったけど、相手の力士も今の平均よりかなり小さかったと。
2人目の対戦相手が173cm
それにしても信濃川と言う力士は体が閉まって腹筋も割れてカッコイイ体してるなぁ~!
大きいですね~
貴重な映像
出羽ヶ嶽関は大相撲史上初の2m越え200kgの力士
現在の小兵力士には参考になりそう。