【漫画】石田三成の生涯~日本一嫌われた男~【日本史マンガ動画】
Вставка
- Опубліковано 18 вер 2023
- ↓「マンガ版 教養として学んでおきたい5大宗教」のご予約はこちらから
───────────────
amzn.to/45tSov9
───────────────
※Amazonのアソシエイトとして、連載終了漫画家・徳永サトシは適格販売により収入を得ています。
■次回の動画
───────────────
【漫画】前田利家の生涯~利家の死が歴史を動かした~【日本史マンガ動画】
• 【漫画】前田利家の生涯~利家の死が歴史を動か...
───────────────
■関連動画
───────────────
【漫画】豊臣秀吉の生涯~農民→天下人→暴君~【日本史マンガ動画】
• 【漫画】豊臣秀吉の生涯~農民→天下人→暴君~...
【漫画】徳川家康の生涯~誕生から最期までの75年間~【日本史マンガ動画】
• 【漫画】徳川家康の生涯~誕生から最期までの7...
【漫画】加藤清正の生涯~苦悩し続けた49年間~【日本史マンガ動画】
• 【漫画】加藤清正の生涯~苦悩し続けた49年間...
【漫画】福島正則の生涯~雨漏りで49万石失った男~【日本史マンガ動画】
• 【漫画】福島正則の生涯~雨漏りで49万石失っ...
【漫画】真田昌幸の生涯~徳川を2度倒した名将~【日本史マンガ動画】
• 【漫画】真田昌幸の生涯~徳川を2度倒した名将...
【漫画】島左近の生涯~関ヶ原で散った名将~【日本史マンガ動画】
• 【漫画】島左近の生涯~関ヶ原で消えた伝説の名...
【漫画】織田信長の生涯(前編)~うつけ者の逆転劇~【日本史マンガ動画】
• 【漫画】織田信長の生涯~うつけ者の逆転劇~【...
【漫画】織田信長の生涯(後編)~ピンチだらけの天下統一~【日本史マンガ動画】
• 【漫画】織田信長の生涯~ピンチだらけの天下統...
【漫画】朝日姫の生涯~秀吉妹の激動すぎる生涯~【日本史マンガ動画】
• 【漫画】朝日姫の生涯~秀吉妹の激動すぎる生涯...
【漫画】柴田勝家の生涯~絶望の最期~【日本史マンガ動画】
• 【漫画】柴田勝家の生涯~絶望の最期~【日本史...
───────────────
■書籍『戦国武将のさいご図鑑』発売中!
───────────────
www.amazon.co.jp/dp/B09Q8WN14L
───────────────
■Twitter(徳永サトシ)
───────────────
/ tokunaga0621
───────────────
■漫画、イラストなどお仕事のご相談はコチラ
───────────────
tokunaga000job@gmail.com
───────────────
■声優(金井ゆかり)
───────────────
/ regulus727
───────────────
■動画編集(岡 宏和)
───────────────
coc.oka0424@gmail.com
───────────────
※諸説ある中のいくつかを採用して物語にしています。ひとつの説として楽しんでいただけると嬉しいです。
※大筋は外さないようにしていますが、間違っている場合はご指摘いただけると助かります。
#連載終了漫画家 #徳永サトシ #漫画 #歴史漫画 #日本史 #マンガ #漫画動画 #教育 #どうする家康 #大河ドラマ - Розваги
石田三成、大谷吉継、福島正則、加藤清正て、よく考えたら伝説の世代だな
競走馬で言うところのスペシャルウィークら黄金世代的存在ですね
日本一嫌われていても最後まで秀吉の為に戦い、慕っていたのは本当に忠義者でいいわ
日本一嫌われてるのって岸田じゃないの?
朝鮮出兵考えたら秀吉より秀吉が作った豊臣政権に忠誠をみせていた感じがする。
韻踏んでて草
侍ですね
三成は逃げることはしなかったのですね
まさしく、豊臣秀頼を守る為に戦った男。三成後の秀頼家臣団は格落ち。大野治長等も石田三成よりは遥かに格下。後は大阪方は浪人達ばかり。兵力の差、兵士の質の差があったように思う。真田幸村の家康急襲も、いっときに過ぎなかった。最後は兵士の差で負けた。真田昌幸、幸村が関ヶ原にいたら、家康を倒せたかも。
忠義者としての一面ばかり取り上げられるけど島左近や渡辺勘兵衛など有能な者には俸禄を惜しまなかったり奉公構の者を数多く召し抱えたり秀次の家臣を弁護したりと部下思いでかなり情に厚いから好き
細かい所ツッコんですいません。
渡辺甚兵衛ではなく渡辺勘兵衛ですね。
@@kurita1201
ご指摘ありがとうございます
@@user-iw4gi7og6d
いえいえ、とんでもないです。
人間関係を紐解くと島左近、大谷吉継、佐竹義宣など親友と呼べる人物はいたけど、心を開いた相手とそうでない相手との差が極端だったんじゃないかなと思ったり。
関ケ原で毛利輝元を総大将に立てたのも、吉継から「三成、オメー人望無ぇから大将は別の人を立てろ」って言われて立てたとも聞くし
三成を罵った奴、同情した奴色々いたが、真面目に「ウチの軍の欠点を教えてくれ」と言った藤堂さんは独特だな。
罵った奴→福島正則
同情した奴→黒田長政
怒られた奴→小早川秀秋
無言で頭を下げた奴→細川忠興
@@kurita1201
なお、高虎は三成の孫を家臣にしたとか。
三成って武術は全くできないイメージ強いけど、実は賤ヶ岳の戦いでは大谷吉継と共に一番槍の武功を上げてるんですよね。七本槍に隠れがちですが。
三成は政治しか出来ない加藤清正・福島正則は戦しか出来ないみたいに描かれますけど仮にも武将・大名なのだから政治・武術のどちらかは完全に苦手なんて事はまずないですもんね
@@user-iw4gi7og6d
福島正則は知りませんが加藤清正は、荒れていた肥後の国をうまく統治したり、西郷隆盛も落とせなかった熊本城などを建設したりなどかなり頭のきれる武将だと思っています😊
@@zagumuchi1471
加藤清正は戦働きではなく官僚として出世した人で立場的には福島正則よりも石田三成や大谷吉継に近かった
三成が、一歩引く性格だったら家康との外交官になりえたかもしれない。
拙者は三成が好きぞよ
真田丸の時の秀吉に切腹覚悟で進言したシーンはかっこよかったなあ
不器用なところも拙者と似ていて好感
大谷吉継殿との出会いも最高
再評価が進んで良かった
葵徳川で江守徹さんが演じた1人の父親としての一面も描かれた三成は貴重で個人的に1番好き
要所要所で垣間見える小者感が妙に説得力あって好きでした。
石田三成の息子達が、助かっていました。長男、出家。ニ男、青森あたり逃れました。
戦後に坊主になったけど嫡男は家康から実子よりも可愛がられてて烏帽子親になってる程高待遇
最近ちょこちょこ聞く「家康と三成は(少なくとも最初の方は)仲が良かった」って説結構好きです。
最近の説だと一般に言われてる話と逆で家康に家族まで託していたのに大谷吉継に無理矢理西軍に入れられたって話が出てたりしてます
@@nomoney8296
大谷に無理矢理参加させられたらしいことが後でわかったのと、そうにも関わらず毛利が「とにかく治部が全部悪いんです!毛利は騙されただけなんです!!」と言い張って譲らないから政権運営の観点から斬首にせざるを得なかった。
つまり、三成個人への恨みや憎しみはなかったから彼の子供達が各地へ落ち延びているとわかってもたいして気にせず存続を許していた…と考えれば説明は付きますよね。
三成は家康を嫌ってたけど頼りにしてて、家康は頼りにはできないけど人間的には好んでたみたい
だから三成の嫡男の烏帽子親になったり戦後二男三男長女次女が津軽藩に逃れても黙認してた
主君への忠誠心は非常に強く能力もあるんだろうが、視野が狭い気がする
徳川家康を敵視してずっとそれが解けなかった感じ 関ヶ原の戦略も「家康を倒せれば全てうまく収まる」っていうのが近いと思う
家康と敵視してないですよ。むしろ仲良いです。西軍についたのは、東軍についたら鳥居元忠みたいに確実にやられていたので、西軍についたみたいです。
家康が蜂須賀らと婚姻する前に毛利輝元と「例え秀頼と敵対する気が無くても奉行衆に歯向かう奴がいたら合力して倒そうぜ!」という結託の書状交わしてたとも
明との和睦案の時生きてた頃の秀次よりも自分ら派閥が格上の待遇案提示したともいわれるし(『小西飛稟帖』)本当ならなら加藤ら激怒してもしょうがないし野心家過ぎる
日本国王豊臣秀吉 大都督小西行長、石田三成、増田長盛、大谷吉継、宇喜多秀家 都督、豊臣秀次 亜都督、徳川家康、毛利輝元、前田利家、小早川隆景等
秀吉が生きていた頃は大名同士の婚姻話は秀吉の裁可が必要、という決まりは
【勝手に同盟結ぶな!】
的な意味合いから普通の事でした
ところが秀吉が生きている間にそういった【法度】をきちんと整備しないまま、秀吉自身が死んでしまいます💦
そうすると……大名は自分の息子や娘を結婚させるのに誰の裁可が必要なのでしょう?
子供の秀頼は論外……
まさか石田三成ら【奉行】に求めるはずがありません
奉行は奉行に過ぎないのです
すると【大老】しかいなくなる
大老の筆頭は徳川家康です
こうなると秀吉の死後、大名同士の婚姻を仕切るのは内大臣の徳川家康になるのは当たり前で……三成が文句を言う筋合いではありません
また、三成は前田利家ら他の大老に諮らないまんま家康に五奉行連名で詰問するというトンチンカンな事をしています
という事は………
三成は自分こそが豊臣家の【執事】だと勘違いしているフシがあるのです
奉行……なのだから大老たちの決定を『奉じて行う』だけの人なのですが…………💦
奉行と家老の区別が付かなくなっているのです
秀吉の体制……政治機構が【幕府】のようにしっかりしておらず、曖昧でおおざっぱだからです
@@user-fj3di6pj3sだれが言ってたんですか?その西軍に付かなかったら鳥居みたいにやられていたっていうの。
このお茶のエピソード……三成を紹介するのには鉄板の話です😃
ただ……当時はお湯(熱い茶)ってどこの屋敷でも常にあるわけではありません
魔法瓶なんてありませんからね
火を焼べて水の温度を上げる……
客人は待っている
あまり待たせては気の毒だ……
喉が渇いた、と言っているわけだから多少温いお茶でもいいだろう……
たくさん飲みたいだろうから大きな器に持っていった……
おかわりを要求された……
お湯が沸いてくる……
やや大きめな器にそれなりのお茶を出せた…………
さらにおかわりを要求される
すっかり湯が熱くなったので小さな器に少量の【美味しいお茶】を接待として出した………
ってだけなんじゃ?と……想像して楽しんでいます💦
賛否分かれる武将石田三成。有能な官吏なのは間違いないようですが、人間関係の調整はあまり上手でなかったイメージがあります。豊臣秀吉というカリスマ直属で活躍したため、秀吉に怒りを向けれられない人々の憎悪を代わって受けていた印象も強いです。最近の研究では途中まで家康と仲が良かった等の資料も出てきているので、ドラマやゲーム等でのイメージも変わっていくのかもしれません。
4:45癖が強くないといきてけない時代だったんだろーな、この時代。。。
「三献茶」は良いエピソードだけど、お茶の歴史から見てみると、未来のお茶と技術(江戸時代中期)が戦国時代に持ち込まれたというオーパーツスキルだったりする。
(田舎番茶というお茶ならば、煮出してるお茶を使うので、水で薄めてこれができるけど、逸話で使われるモチーフが緑茶なのでオーパーツ)
ある意味三成も秀吉の犠牲者だよなぁ…
性格は確かにそんなによろしくなかったらしいけど
秀吉が暴走したりしなければそこまで嫌われることもなかったろうに
朝鮮出兵で得意のロジスティクスに撤していれば……諸大名に恨まれるどころか感謝百倍だったはずなのです💦
非常に残念ながらこの時に石田三成は無用な出世をしてしまっていました
(;゚д゚)
【軍監】を任されてしまっていたのです💦
これは『憎まれ役』であり、必要ではあるのですが……三成のような辛口過ぎる人間にさせるのは、秀吉にとってはアリでしょうが三成にとっては酷い不幸になりました
ま、三成自身は屁でも無かったとは思いますが……
武断派と呼ばれる大名から憎まれる決定的な理由はこの戦争での出来事です💦
ある面、秀吉の負の遺産を引き継いで、秀頼を守ろうとしたが、嫌われたんですね。それだけ、徳川家康が狡猾だったのでしょう。
どうする家康では
三成と家康は仲が良さそうに描かれていますが、史実でも本当は2人は仲が良かったんでしょうかね?だとしたら何がきっかけで2人は仲違いして関ヶ原で衝突したんでしょうかね?
秀吉が死んだ後、五大老筆頭の家康は三成を中央から外して佐和山の城に送ってしまいます
小説なんかでは武断派の諸将が三成を襲い、家康が庇って佐和山城に送り届けて政治の場から外した……という話が必ず出てくるエピソードなんですが、コレ、本当かどうかよく分からないのです
また、秀吉の死後に家康が息子や娘たちの婚姻話を各大名と取り交わし始めますが……三成はなぜかこれに噛み付いてしまいます
家康の子女の結婚相手といったら大名に決まっています
町人と結婚するはずが無いし、公家相手では身分が違ってマズいです
秀吉が死んだのだから結婚について秀吉の裁可は要らなくなったはずですが
「豊臣家から裁可を受けるべき」
という三成の話は難癖以外の何物でもありません
幼い秀頼に裁可を求めるのは話にならないし……淀殿は【官位】すら無い女性です
とにかくこの二人、秀吉が死んだ後……何かあったのだけは間違い無いですね
それで政治的に敗れた三成が佐和山に隠遁させられた💦
この段階でハッキリと【敵】となったのです
どっちも敵が多いからお互い助け合ってたのは確実
ただ三成は家康をよく思ってなかったのも事実、でも家康は三成を嫌ってなかった
三成と清正らの違いは忠誠の対象が豊臣という家にあったか秀吉という個人にあったかというところにあるかもしれませんね。
悪く言えば融通の効かない偏屈、よく言えば賢くてクールなツンデレというイメージがあるけれど、本当の三成は豊臣家への忠義に厚い熱血漢だったのかもしれない。
頭がよくても空気が読めないと、出世できない人間の筆頭って感じ。
最後まで諦めなかった心は
見事の一言に尽きる。
軍師官兵衛では完全な悪役だったが、真田丸では違う側面から描かれてたのは救い。
そりゃ、黒田から見たら、自分を蹴落とした悪役にしかならないからな。大河あるあるだ。
筆なのに「カリカリ」なのねw
秀吉のおかげで出世出来たけど秀吉のせいで寿命が縮んだ男
あの明智光秀も大河の主役になった
どうか自分が生きている間に石田三成も....お願いします
関ヶ原っていう映画で主人公してますよ
中間管理録石田三成 😂😂😂
@@bpblacksmith595それ明智にも言える事で草
朝鮮出兵において時には秀吉の意向に逆らうのも止む無しとしていた三成だけど、
加藤清正や小早川秀秋といった諸将の行動に問題があった際はそのまま報告してしまうというのは、少し短慮な判断だったと思う。
秀吉の茶会で大谷吉継の病気の膿が入ったお茶を誰も飲まなかった所、
石田三成が飲み干したエピソードがカッコ良すぎて惚れる。
茶碗に膿が入った時の義継の心情は同情する....
デマやで。😢
@@user-jy4bm5vz4o さん
そう、そういう時は……一刀両断せずに
「何でこんなデマが信じられて広まるんだろう?」
と考えると面白いものです(・∀・)
石田三成に普段からそのような振る舞いや考え方がなければ何百年もこんなデマが伝わりようも無いでしょう
『人の噂も75日』
そんな事を考えてみるのも楽しくありませんか?
(*´∀`)
@@user-qx7og5sz2i 君へ。
なるほど。
君は賢い😋
最近ではそもそもその病気自体が根拠のない後世作られた創作という説も出てますね
三成が関ヶ原の戦いを行なわなければ家康が天下を取る事はなかったのでは?
内政面が強調されてるけどちゃんと戦える点も見逃せないポイント
古橋村のエピソードや柿のくだり、刑部との茶会は省きましたか
まあ詳細挙げたら長くなりますからね
あと直江状
あれがあったから家康は兵を動かしてる
その隙がなければ関ヶ原までは兵を進められてない
三条河原への護送中されてる最中の三成の干し柿の話も好き。
作り話かもやけど。
いつも楽しく見てます😊
中学受験の勉強にも役立っています。幕末の偉人の生涯も動画にしてくれたら嬉しいデス。
「お初の生涯」と「柳生十兵衛の生涯」
出来たらお願いします。
柿の毒の話が好き。
正直、三成は「真面目過ぎ」たり「文官派に偏り過ぎ」という感じは拭えないですね・・・🤔
「もしも~」は無いけど、三成が文官派と武官派の間を上手く対応していたら、歴史の流れは違っていたのでしょうか❔🤔
過去動画ですが、石田三成エピソード5選も良い動画です。
武将は軍人と同時に政治家でもある、莫迦には務まらない
しかし戦が主な役割のため勇猛でなくてもいけない
そのジレンマ悩んでいたのがまあ例によって信長様な訳だ、豊臣政権下では同じ様に悩む者も増えた
ちなみに田や上杉はそんな事で悩みはしなかった、本人が野党に毛が生えた莫迦だったからな
実際、三成は自分の領地の米が凶作だった年は、無条件で年貢を免除していた。
地元の滋賀県では三成を主役にしたCMがある。→(ua-cam.com/video/Bp_JCOWYorA/v-deo.html)
(ua-cam.com/video/yAaNoci3_FQ/v-deo.html)
岸田や麻生に聞かせたい逸話ですな
葵徳川の江守さんの石田三成が好き。
ウザさと忠義心も表れてて本当凄い。
本当たらればだけど、関ヶ原西軍が勝っていたら、日本はどうなってたのかな〜
戦国時代の再来です(;゚д゚)
家康は負けといっても中山道を進んでくる秀忠率いる徳川主力はほぼ無傷😃
関ヶ原にいる三万のうちどのくらい無事なのか分かりませんが、どの道……日本最強クラスの勢力に変わりありません
伊達政宗なんて家康が負けるとなったらさっさと裏切って上杉家と講和して矛先を関東に向ける可能性があります
島津家も長宗我部家も中央から独立💦
毛利家も三成にアタマなんか下げるつもりなんてありませんから割れてしまいます
つまり西軍は家康率いる東軍に勝った後、誰が世の中をまとめるのか?ってところがハッキリしていません💦
毛利家が総大将に祭り上げられたから擦りよってきた集団です
勝った後、互いの利害が相反してしまい空中分解……
そして戦国時代となるのです(;゚д゚)
人望が無い三成に日本をまとめることは出来ません……
「歴史は勝者によってつくられる」はチャーチルの言葉だったような気が。
テルが総大将の時点で、結果はお察し
動画ありがとうございます。
関ケ原の合戦については、当時は石田三成が主体で動いたのではなく、宇喜多秀家らが動いたというのが主流だったという話を聞いたことがあります。
で、宇喜多秀家が主体ならば、何故秀家は主体的に家康と戦おうと画策したのでしょうか?
@@gavan1735 秀家は豊臣の姓を持ついわば豊臣の一族でしたからではないでしかな。
関ケ原本戦で東軍には家康がいたのに西軍の現場の総指揮官が誰なのか不明確だったのは致命的だったなあ。
領民と女性にはモテモテだった治部殿
あの何十万もの大軍の豊臣軍の兵站の管理は相当難しいと思うんだけどそれをやってのけた三成はすごく有能だよね
文官としては優秀。
でも戦いでは他の武将の動きを
そこまでじっくり
見てなかったのかも…
蒲生氏郷もまたよろしくお願いしたいです🙇♂️
本当かどうか定かではないが武士道にある武士道とは死ぬことと見つけたりという言葉は石田三成の人生に擬えて作られたと言われているね。
石田三成は一周まわって過剰評価ってのが個人的意見です 彼がやったことは財務官僚が傭兵やテロリストを雇って自衛隊と戦うようなもんだと そしてその当時真剣に家康を〇(ころ)そうと思ってたのが彼一人だけだったという事実 この後紹介する前田利家を頭の悪い名将と石田三成を頭のいい凡将と比較してます(官僚としては評価してますが)頭がいい人ほどなんでも出来ると勘違いするしてる典型的なパターンですね
カリカリは万年筆やボールペンの音で
正解はサラサラ!
あたり?
大河ドラマで明智光秀を主人公にしたけど、それならこの武将も主人公にしていいと思う。
ぜひ三成主役の大河ドラマ化お願いしたい。家康は相当悪役に描かれるだろうな。
福島加藤ファンには申し訳ありませんが家康ではなく福島正則、加藤清正たちが朝鮮出兵を期に悪役に描かれてほしいです!ww
原哲夫の漫画版「影武者徳川家康」の石田三成、本当に良かったです。
ご一読を。
あまり知られてませんけど実は賤ヶ岳合戦で三成も普通に戦働きで活躍してるんですよね。
いつも思うのだが朝鮮出兵がなければどうなっていたんろう…
秀吉の死は寿命で揺るがない……
となると何も変わらないかもしれません
北政所の親族である秀次一族を処刑した時の奉行が三成である限り、小早川秀秋が東軍につく可能性が高いし💦
@@user-qx7og5sz2i😮
同級生に石田三成の子孫が居て
後輩に徳川君が居たから
脳内で勝手にプチ関ヶ原って思ってたの思い出した
三成の落とし種を密かに自分の子として育てていた前田慶次のエピソード好き❗
わたしゃ喉カラカラなら、大ぶりのお茶碗に冷たいお茶を2~3杯はほしいね(笑)
昔のことですが名古屋に住んでた頃に戦国武将、戦国時代の好きな友人は家康より三成の方が好きだなと言ってました
未だに石田三成が忠臣と誤解されている…………慶長5年7月21日付真田昌幸宛石田三成書状で、三成自身が挙兵の動機を「長岡(細川)忠興に対する遺恨」と書いているのを知らないのか?
しかも8月5日付同書状では「親父の幽斎は流罪にした」とか嘘を告げてるから、細川にかなり個人的怨恨を抱いていたと考えられ、豊臣のためが動機ではない
どんなドラマでも一貫してツッパリ通した最期は描かれているよな
Twitterで「イィィィエェェェェヤァァァァスゥゥゥゥゥ!」と絶叫したりハシビロコウといじられることの多い石田三成氏ですが、
事務能力に優れる生真面目な人だったんですね。劉邦の三英傑の蕭何みたいな感じだったのかな?
そんな人が前線に出て指揮を執ることになったのはさすがに可哀そうに思えてきます。
😍😍🫶🫶👍石田三成文武両道かっこいい好き❤かっこいい
やった!新しい動画だ!
石田三成かっこいいですよね!
家臣の中では二番目に好きな武将です!
一番が気になる〰️
@@user-dm8bs8jz2i 明智光秀だよ!
三成は人望ないってよく言われるけど
・大谷吉継 ・真田信幸
・直江兼続 ・佐竹義宣
・津軽為信 ・本多忠勝
・伊達政宗 ・島津義弘
らと親交が深かったですね。
あと、小西行長とも
@@kurita1201 ありがとうございます!
一番仲良い大谷吉継に「お前人望無い」と言われるくらいには無い(人望)
@@user-dt6pt2rj4b まあ結構好き嫌いが分かれるタイプだったんでしょうね・・・。
島津義弘の策を無碍にし島津勢がヘソを曲げたとかは後世の創作と言われてますもんね。
そもそも軍勢が1500ほどしかいないため島津軍にも無闇には動けませんし…
「花の慶次」では人の話を聞かず一方的で高飛車な嫌な奴に描かれ、「SAKONー戦国風雲録ー」では秀吉への忠義一徹な男として描かれている。実際の三成はどちらの側面も併せ持っていたのかもしれない。
仏教の逸話で
【群妄、象を撫す】
という話があります
なんか似ていますよね(*´∀`)
目の不自由な人が複数いてそれぞれ象を撫でたら……感想が撫でた部分で極端に皆違った
だから人間は仏教の悟りすべてを理解出来なくても一部だけなら全ての人が理解出来る
つまり全ての人間には仏性がある……
って話ですが、翻って
立場が変われば物事や人物は全て違って見えるが……もともと全て同じ人、物事だ💦
という言い方でも使われます
(*´∀`)
「花の慶次」でもただの嫌な奴ではなく原案の「一夢庵風流記」で描かれた忠義一徹な部分は再現されてますよ。
三成好きだ
最近だとまた様相が変わって来てる武将なんだよなぁ…
え。どんな感じにです?
@@UA-camr-io6gp
大谷と石田の役割が逆だった説が最近出ている。
宇喜多と毛利が企てた決起に大谷吉継がまず先に賛同。謹慎中の三成を熱心に勧誘し応じさせたって流れね。
この説が本当としても、長年の友のため無謀と悟りつつも協力したと言う事で三成の株は下がらないかなとは思う。
なんかいい人だったけど頭が良すぎる上に真面目で頑固だった人ってイメージ。
だし先輩に嫌われやすい後輩ぽい気がする
さすが、戦国時代きってのデビルマン。
言い訳もしなかったから、一手に憎まれ役、悪役を引き受ける羽目になったんだろうな😢処刑場で水を所望したが、柿を勧められ、柿は腹に悪いからと断り、すぐに死ぬ身がと嘲笑され、武人たる者、最後の最後まで用心が肝要!と言い返したエピソード、…確かに忠実で、有能だが、可愛げの無い男だったのだろう
水を所望したエピソードもそうですが、榊原康政から
「なぜ腹を切らなかったのか?」
と言われて激昂した話も同じ考え方から来ていそうです
@@user-qx7og5sz2i
榊原康政じゃなくて本多正純ですね😊
黒田官兵衛、蜂須賀家政も佐吉と朝鮮で対立しましたね。
戦での活躍だけではない 政治面や事務的な面でのサポートで秀吉に尽くしたこと
高い忠誠心を持ちながら 秀吉の誤ったやり方にも問題を感じていたこと
秀吉の死後も約束を守り、裏切るものが続出しても最期まで豊臣の為に戦ったのはカッコいいですね(´;ω;`)
関ヶ原でもし三成が勝ち 家康が負けていたら…成長した秀頼をリーダーとする西の首都が日本にできていたのでしょうか…(´;ω;`)
わかりやすく面白い漫画ですね(^_^)
あれ?前に利家やらなかった?
キンキンに冷えたお茶はださなかったんだ
氷が無いよ
前田利家くらい人望があれば違っていただろう。
徳永先生ありがとうございます。三成公はある意味不器用だったのではないでしょうか。何だか悲しくなりました。
たとえ嫌われてたとしても、大谷吉継というズッ友と島左近という忠義の家臣がいるから大丈夫!
次男の子孫が津軽藩家老、長女の子孫は津軽藩側用人、次女の子孫は現在の皇室まで繋がる、三女の子孫は津軽藩主
どう考えても敗北により処刑された人間の家族の末路に見えん
三成は頭は良いが、成り上がり者の思い上がりがあった。
大谷吉継に注意されたのもよくわかる。
最後まで秀吉のために戦い続けた
石田三成は他の人から見たら分かりませんが、自分はカッコいいと思いました。
視野が広くなかった事が三成の欠点でしたが、もしも広かったら、武断派との対立がなかったのではないかと思います。
岸田文雄程ではない。
アヤツより仕事してるぞ……。
石田三成って吉川広家からも嫌われてたの?
秀吉死後の形見分けは三成がしきったのだけど、この時1万石レベルの小さな大名や上杉家なら直江兼続のような家臣クラスにさえ何かしらのモノは贈っているのに、何故か吉川にだけはまっったく何一つ贈らなかった。
「おい、俺にはなんか無いのか?」とクレームを入れたら刀が1本だけ放り投げられて後はそれきり。
どちらかというと三成が広家を嫌っていたと言う方が実状なのかもしれない。
@@kvrg8582 だから関ヶ原の戦いの時に動かなかったんだね。
@@kvrg8582😅
家康は三成の血筋を絶やしてないし、個人的に嫌っていたわけでは無いと思う。
天下を取る野望を剥き出しにした家康対秀頼を守ろうとした三成。しかし、力ある家康に靡いた武将達。これも時代の流れかな。でも、人間的には石田三成の様な部下がいればその組織は安泰です。
人間的には三成みたいな人は、私は好きですね。家康は狡猾だから、なかなか信用出来ないかな。
そもそも嫡男重家の烏帽子親になってますしね、ゆくゆくは自身の娘を嫁がせようとしたくらい可愛がってましたね
津軽藩家老になった孫が堂々江戸に来ても幕府は何もしなかったあたり家康が存命時になんらかの指示があった可能性も
そもそも最初から
戦下手の三成が野戦の中で力をつけた家康に勝てるわけない
三成は朝鮮出兵で別に指揮は取ってませんよ。後方からの武器弾薬兵糧の輸送担当いわゆる後方支援です。それと軍目付などです。現場の指揮は各武将がやってますし。
指揮は取ってないかもしれませんが一応、碧蹄館、幸州山城の戦いでは三成も刀を抜いて戦ってますね!手傷を負うくらいには前線出てますし。
石田三成サイコー
現場で槍働きしてきたものから見たら三成はおべっかというか、「楽な」仕事ばかりしてきたイメージがあったのかもな…忍城攻めとかほら見ろって思ってた人は多そう…
同情石田三成🤝但不效法🙅♂️
上司を支える忠義も厚く、友情も大事にするけどそれ以外枠の外の人に対して対人関係が徹底的にダメな人。生前秀吉の事を考え過ぎて家康と違い、秀吉の亡き後の準備が遅かったのも致命的
三成はうざくても、豊臣政権を必死に守ろうとしたから、なんか可愛そうだなぁ
1580年からの出来事は
ぜーんぶ官兵衛のおかげ
三成と他の脳筋武将の関係は
古代中国の楚漢戦争で前線に赴く劉邦を
後方で支え続けた蕭何を思い浮かべる。
蕭何も韓信らから恨まれたけど
劉邦が彼らを公の場で諌めたんだよな
韓信は蕭何に推薦してもらいしてもらい蕭何に見切られたので、、
秀吉が登用した東大官僚の一人なんだけど、結局のところ大企業社長たち(五大老)には人脈で勝てなかったし、なんなら毛利カンパニーには利用されまくって捨てられたという可哀想な人
個人的には三成は上杉謙信や浅井長政に仕えてれば良かったと思う。
三成の不幸は真っ直ぐすぎる事なんじゃないかと思う。
主人の死後も忠義を尽くした果報者なのでしょうけれど、合理的な思考や行動ではないなぁと感じてしまう
もうちょっと器用に立ち回れたなら、徳川政権の内政の重鎮になれただろうに……
それが出来るなら三成では無いし、後世までその忠義を讃えられる事は無かっただろう。
そんな立ち回りをするということは太閤豊臣家への裏切りに他ならないから死んでもやらない事だし。
石田三成は仕える人間を間違えた徳川家康だったら本多正信次ぐ家臣になっていた
石田三成が今の時代に生きてたり、芸能人だったらどうなんだろう?
ふっと思ったのですが、なぜ東北の有名な武将達は扱わないのでしょうか?
例えば、南部晴政や安東愛季、津軽為信などそれなりにはいると思うのですが