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個人的に読後イイ感じにゾクっとして気持ちいいのは雨穴さんの本や動画です。JAWSは海中のどこから襲いかかってくるのかが分からないドキドキ感からの、水中へ「何かに」引き込まれ、海には血が広がる演出が上手いと思います。結構な中盤まで鮫の姿は登場しないのに飽きさせないのが素晴らしい(B級サメ映画で同じように中盤まで鮫が出てこないものがありますが、こう上手くは言っていないのでスピルバーグ監督は神様ですね!)あと、メインキャラが夜の海に探索に出かけるのですが、見つけたボートを調べて船底のサメに噛み破られた箇所からサメの歯を見つけるのですが、その後、もう一度調べるとバンッと死体の顔面が現れるのが最高にホラーです(その拍子に歯を落としてしまい証拠がなくなってしまうための物だとは思いますが)。上記はサメという予想が出来ますが、この予想外のビックリは一番心臓にダイレクトに響きました。ビックリポイントサメだとという先入観に予想外のモノをブツけるって効果あるのかもしれません。(サメが来ちゃうかも…と、そればかりに視聴者は意識が行ってる中でのワッと驚かせる死体)思わず長文で語ってしまい失礼しました><それから、ホラーキャラの代表になる…で、漫画と言えば私は伊藤潤二先生の富江を思い浮かべました!ゲームのコラボなどでもよく使用されているイメージです!
ホラーマンガは作るのが難しそうですが、考察はとても興味深かったです私が好きなのはホラーと明言されているかは不明ですが、荒木先生のマンガのゾクッとする所が好きですね
ホラー作品も本当に細分化が進んでいて一概に言えない気もしますが、あえてホラーとは何かを私なりの捉え方として言語化してみた事を述べてみますと、「最強最大最悪の抑圧的感情」を描く事なのではないかと思っています。克服したい。だけど克服する事が難しい「抑圧」が自分にはあるのだという事を表明して、それを人に分かってもらうように描きたいという気持ちが人がホラーを描こうとする時のモチベーションの原点なのではないかと思っています。とても「排泄型」っぽいモチベーションですね。つまり、日ごろから克服が難しい抑圧が自分にはある!克服出来なくて苦しいし、排除できずにいて怖いんだ!恐ろしいんだ!という作家の強烈な訴えが原動力となって作品が生み出されてきた事がホラーの核にあるように思うのです。そんな抑圧を私はこう克服したいんだ!という心の叫びが結晶化したものがホラー小説家スティーブン・キングの作品にはあると思っています。キング原作のホラー映画を鑑賞していますと幼少期のトラウマやコンプレックスを大人になっても引きずっていてそれを物語の力で克服したいという欲求に満ちているように私には思えました。何度も繰り返し作家の中で処理できずにいる感情をモンスターやサイコパスな隣人やシリアルキラーなどの狂人と言う形に象徴化したりしているように見えるのです。そしてその怪物達から逃れたり、最後は克服できず主人公が犠牲者になってしまう場合もあります。恐怖の対象が排除されずこの後もこの惨劇は続くだろうと予感させて終わる・・・みたいな結末の場合でもそうやすやすと克服できずにいる私の気持ちを分かってくれ!これは永遠に続く心の問題なんだ!(社会的構造の問題の場合も)と訴えているからのようにも思えます。「シャイニング」では暴力を振るい家族を捨てていった父との思い出にコンプレックスやトラウマを抱えるキングが自分もそういう大人になってしまい、愛する自分の息子にも酷い事をしてしまうんじゃないかという恐怖を描いていますし、その変調として「ミスト」でも愛する息子を守り切れず最悪の形で失ってしまうのではないかという恐怖が描かれていたように思います。だいぶ前に読んだ本なので詳細を忘れてしまったのですが三宅隆太さんの著書「スクリプトドクターの脚本教室・中級編」でうろ覚えながら印象に残っている箇所がありました。主人公のキャラが掴めない人は自分の嫌いなタイプの人を設定すると良いかもしれません。と言う所です。そして、何故、その人が嫌いなのか分析してみましょう、と。すると面白い事に自分で自分の嫌いな所や自分で欠点に思っている所と重なる事が多いのです、と続きます。普通、キャラクターを設定する時、自分の好きな人間像を思い描いてしまいがちですが、そうすると自分の創造したキャラを愛するあまり追い詰めが甘くなってしまい、キャラクターの「成長」を感じさせる部分が弱くなり、物語のカタルシスも弱まってしまうというのです。(成長厨の編集さんと、萌え系の作家さんの間で生じる摩擦の要因あるあるかもしれないですね・・・完成されているからこその愛すべきキャラなのになぜ成長させなければならないのかという疑問を作家側が持ってしまう問題)で、キャラクターへの追い込みが不足しがちであるといった指摘を受け続けてきた脚本家が、嫌いな人物、もしくは自分の嫌いな所をデフォルメ化したキャラクターを主人公にしてホラー作品を書かせてみた所、良い作品が仕上がったというエピソードが紹介されていました。脚本家の嫌いな人物をモデルにしたキャラクターを恐ろしいモンスターが面白いようにストーリーの中で追い詰め始めたそうなんです。そして、もう無理、限界!とまでモンスターに追い込まれた所でキャラクターが強制的に成長を迫られて、主人公の抱える問題(脚本家が憎む嫌な所)が自ずと克服される展開となり、恐怖の対象が排除された時、同時に主人公の抱える日常的問題も克服されて成長できたと感じられるような良い脚本ができた。・・・のだそうです。恐怖は抑圧の権化と解釈すると基礎的脚本術に置き換えて書きやすく出来るかもしれないのではないでしょうか?という仮説でした。今回の相談者さんは恐怖でなく、キャラクターの主義や葛藤、内面などに興味が向かってしまい・・・と仰っていましたが、ホラーに葛藤や内面描写は不要な物ではなく、むしろとても重要な要素だと思いますので作家さん自身が興味を持つ「葛藤」を「恐怖に向き合う事への葛藤」に焦点を絞り、上手に置き換えられれば素敵なネームに昇華できそうに思いました。
ゴトウ先生の最後予期せぬオチにビビった((^。^;;
>誰がヒドイ目に遭うと嬉しいのか三島由紀夫は言いました。「この世界でもっとも美しいものは、若くて美しい少年の苦悩である」と!!(意訳。原文はもっと格調高いです)なので私は美少年すかね?美しいんですよ、これは。ホラーに限らず、恋愛ものでも、推理ものでも、ヒドイ目に遭うことが大事だと!!オチをハッピーエンドにできれば、少年漫画にだってなりますしね!!
個人的に読後イイ感じにゾクっとして気持ちいいのは雨穴さんの本や動画です。
JAWSは海中のどこから襲いかかってくるのかが分からないドキドキ感からの、水中へ「何かに」引き込まれ、海には血が広がる演出が上手いと思います。結構な中盤まで鮫の姿は登場しないのに飽きさせないのが素晴らしい(B級サメ映画で同じように中盤まで鮫が出てこないものがありますが、こう上手くは言っていないのでスピルバーグ監督は神様ですね!)
あと、メインキャラが夜の海に探索に出かけるのですが、見つけたボートを調べて船底のサメに噛み破られた箇所からサメの歯を見つけるのですが、その後、もう一度調べるとバンッと死体の顔面が現れるのが最高にホラーです(その拍子に歯を落としてしまい証拠がなくなってしまうための物だとは思いますが)。
上記はサメという予想が出来ますが、この予想外のビックリは一番心臓にダイレクトに響きました。ビックリポイントサメだとという先入観に予想外のモノをブツけるって効果あるのかもしれません。(サメが来ちゃうかも…と、そればかりに視聴者は意識が行ってる中でのワッと驚かせる死体)
思わず長文で語ってしまい失礼しました><
それから、ホラーキャラの代表になる…で、漫画と言えば私は伊藤潤二先生の富江を思い浮かべました!ゲームのコラボなどでもよく使用されているイメージです!
ホラーマンガは作るのが難しそうですが、考察はとても興味深かったです
私が好きなのはホラーと明言されているかは不明ですが、荒木先生のマンガのゾクッとする所が好きですね
ホラー作品も本当に細分化が
進んでいて一概に言えない気も
しますが、あえてホラーとは何か
を私なりの捉え方
として言語化してみた事を
述べてみますと、
「最強最大最悪の抑圧的感情」
を描く事なのではないかと
思っています。
克服したい。だけど
克服する事が難しい
「抑圧」が自分にはあるのだ
という事を表明して、
それを人に分かってもらうように
描きたいという気持ちが
人がホラーを描こうとする時の
モチベーションの原点なのでは
ないかと思っています。
とても
「排泄型」っぽい
モチベーションですね。
つまり、
日ごろから克服が
難しい抑圧が自分にはある!
克服出来なくて苦しいし、
排除できずにいて怖いんだ!
恐ろしいんだ!
という作家の強烈な訴えが
原動力となって作品が
生み出されてきた事が
ホラーの核にあるように思うのです。
そんな抑圧を私はこう克服したいんだ!
という心の叫びが結晶化したものが
ホラー小説家スティーブン・キングの
作品にはあると思っています。
キング原作のホラー映画を
鑑賞していますと
幼少期のトラウマやコンプレックスを
大人になっても引きずっていて
それを物語の力で克服したいという
欲求に満ちているように
私には思えました。
何度も繰り返し
作家の中で処理できずにいる
感情をモンスターや
サイコパスな隣人やシリアルキラー
などの狂人と言う形に象徴化
したりしているように見えるのです。
そしてその怪物達から逃れたり、
最後は克服できず
主人公が犠牲者に
なってしまう場合もあります。
恐怖の対象が排除されず
この後もこの惨劇は続くだろうと
予感させて終わる・・・
みたいな結末の場合でも
そうやすやすと克服できずにいる
私の気持ちを分かってくれ!
これは永遠に続く心の問題なんだ!
(社会的構造の問題の場合も)
と訴えているからのようにも思えます。
「シャイニング」では
暴力を振るい家族を捨てていった父との
思い出にコンプレックスや
トラウマを抱えるキングが
自分もそういう大人になってしまい、
愛する自分の息子にも
酷い事をしてしまうんじゃないか
という恐怖を描いていますし、
その変調として
「ミスト」でも
愛する息子を守り切れず最悪の形で
失ってしまうのではないかという
恐怖が描かれていたように思います。
だいぶ前に読んだ本なので
詳細を忘れてしまったのですが
三宅隆太さんの著書
「スクリプトドクターの脚本教室・中級編」
でうろ覚えながら印象に残っている
箇所がありました。
主人公のキャラが掴めない人は
自分の嫌いなタイプの人を
設定すると良いかもしれません。
と言う所です。
そして、何故、その人が嫌いなのか
分析してみましょう、と。
すると面白い事に
自分で自分の嫌いな所や
自分で欠点に思っている所と
重なる事が多いのです、と続きます。
普通、キャラクターを設定する時、
自分の好きな人間像を思い描いて
しまいがちですが、そうすると
自分の創造したキャラを愛するあまり
追い詰めが甘くなってしまい、
キャラクターの「成長」を
感じさせる部分が弱くなり、
物語のカタルシスも弱まってしまう
というのです。
(成長厨の編集さんと、
萌え系の作家さんの間で生じる
摩擦の要因あるあるかもしれないですね・・・
完成されているからこその愛すべきキャラなのに
なぜ成長させなければならないのかという
疑問を作家側が持ってしまう問題)
で、
キャラクターへの
追い込みが不足しがちである
といった指摘を
受け続けてきた脚本家が、
嫌いな人物、もしくは
自分の嫌いな所をデフォルメ化した
キャラクターを主人公にして
ホラー作品を書かせてみた所、
良い作品が仕上がったという
エピソードが紹介されていました。
脚本家の嫌いな人物をモデルに
したキャラクターを
恐ろしいモンスターが面白いように
ストーリーの中で
追い詰め始めたそうなんです。
そして、
もう無理、限界!とまで
モンスターに追い込まれた
所でキャラクターが強制的に
成長を迫られて、主人公の
抱える問題(脚本家が憎む嫌な所)が
自ずと克服される展開となり、
恐怖の対象が排除された時、
同時に主人公の抱える日常的問題も
克服されて成長できたと
感じられるような良い脚本ができた。
・・・のだそうです。
恐怖は抑圧の権化
と解釈すると基礎的脚本術に
置き換えて書きやすく出来るかも
しれないのではないでしょうか?
という仮説でした。
今回の相談者さんは
恐怖でなく、キャラクターの主義や葛藤、
内面などに興味が向かってしまい・・・
と仰っていましたが、
ホラーに葛藤や内面描写は不要な物ではなく、
むしろとても重要な要素だと思いますので
作家さん自身が興味を持つ「葛藤」を
「恐怖に向き合う事への葛藤」に焦点を
絞り、上手に置き換えられれば
素敵なネームに昇華できそうに
思いました。
ゴトウ先生の最後予期せぬオチにビビった((^。^;;
>誰がヒドイ目に遭うと嬉しいのか
三島由紀夫は言いました。
「この世界でもっとも美しいものは、若くて美しい少年の苦悩である」
と!!(意訳。原文はもっと格調高いです)
なので私は美少年すかね?美しいんですよ、これは。
ホラーに限らず、恋愛ものでも、推理ものでも、ヒドイ目に遭うことが大事だと!!
オチをハッピーエンドにできれば、少年漫画にだってなりますしね!!