なぜ、スロベニア以外の旧ユーゴスラビア諸国は縮小しているのか?【ゆっくり解説】

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 8 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 21

  • @sk-ss8bi
    @sk-ss8bi 7 місяців тому +7

    スロベニアはユーゴ時代にその構成国でも1番豊かな国でしたが、
    それでも西ドイツなどの西側諸国で出稼ぎした方のが稼げると
    チトーさん存命時の1970年や80年代に、自国から出稼ぎ労働者を出し、足りない自国労働者をユーゴ貧困地域のコソボなどから雇って働かせていました。
    隣接しているイタリア、オーストリア間との国境は、
    チトーさん曰く「欧州で最も開かれた国境」とも当時呼ばれており
    西欧に向かうユーゴスラビアの出稼ぎ労働者の玄関口として機能していました。
    チトーさん時代、及び滅亡するまでのユーゴスラビアは、終ぞ構成国を繋ぎ止めるだけの産業を作れず、建国〜滅亡までほぼ赤字財政・貿易赤字に苦しめられ
    それを海外からの借款と西側からの雇用頼りにしたため
    オイルショックの不況が起因となり、内戦前には年率数千%のインフレ、数百万人の失業者、構成国同士の経済格差で民族問題に発展してしまいました。

  • @エンベロップ幌延
    @エンベロップ幌延 6 місяців тому +5

    ちなみに自転車ロードレースの世界でもスロベニア勢はめっちゃ活躍してますね

  • @かさいしょうめい
    @かさいしょうめい 7 місяців тому +7

    本当に申し訳ないんですけど、良い政治を行って国民が安心して結婚出来たり子育てを出来たりするようなクニヅクリをする以外に方法はないと思います。

  • @みなおや
    @みなおや 7 місяців тому +29

    国の紹介に時間を割きすぎてタイトルと関連する話が薄い

    • @taroukuma7125
      @taroukuma7125 7 місяців тому +5

      ここは いつもそうだ。

    • @秋田剣
      @秋田剣 7 місяців тому +3

      人口ピラミッドぐらい調べてから動画作れとは思う。

    • @TBB-bq4mg
      @TBB-bq4mg 5 місяців тому +1

      それな

  • @nekpsan
    @nekpsan 6 місяців тому +1

    各国の地理の話に時間を割くのではなく、旧ユーゴ内の言語/民族/宗教の分布にフォーカスしてもらいたかった😂
    スロベニアは民族&宗教が均一に近く、言語もクロアチア・ボスニア・セルビアの言語(実質同一言語)と異なっているため、国民国家としてのアイデンティティが築きやすく、独立してからも内紛が一切無かったのも大きいです。

  • @達端藍
    @達端藍 6 місяців тому +1

    トランプの3番目の奥さんはスロベニア人モデル出身
    「 007 ロシアから愛をこめて 」で、イスタンブールからバルカン特急に乗り、スロベニアの海岸手前で降りて、そこからボートでイタリアに抜けた。

  • @佐藤光-e6s
    @佐藤光-e6s 6 місяців тому +2

    スロベニアは旧ユーゴスラビアの中では、完全独立という悲願を達成した方だと思う。😅
    それは、スロベニアの民族構成が旧ユーゴスラビア諸国より全く異なっているからです。
    10日間の戦争を強いられたものの、結果的に完全独立という解釈が通ります。😮

    • @tsuyu_namida
      @tsuyu_namida 5 місяців тому +1

      スロベニア人はクロアチア人やセルビア人と同じ南スラブ系だけど、オーストリアや北イタリアに近くて発展してたんだよね。

  • @su-su-suru
    @su-su-suru 7 місяців тому +4

    陸続きの土地は大変、日本は島国で良かった😙

  • @きよみず氏
    @きよみず氏 7 місяців тому +9

    ポストイナ鍾乳洞はボスニア・ヘルツェゴビナではなく、スロヴェニアでは?

  • @sk-ss8bi
    @sk-ss8bi 2 місяці тому

    あとスロベニアがユーゴスラビア時代に構成国で儲けていた一因が
    チトーさん時代の経済政策にあります。
    それは工業製品の利益を国際基準より高い価格で
    ユーゴ国内で売り捌き、逆にその原材料や農作物は安い価格で売り捌いていた事です。
    WWⅡで国土荒廃したユーゴスラビアは欧州でも最貧国な有様で、ソ連とも喧嘩別れしたため
    急いで軍事品や利益率の良い工業を育成する必要に迫られたため、少しでも工業に資金がいくようにしました。
    しかし、この政策により農村では利益減少のため
    構成国の中でも農産物の生産地であった南部構成国を中心に離農者が続出(1950年代〜)。
    その離農スピードは同時期の日本以上で、これに雇用が追い付かず後にユーゴ滅亡の遠因になりました。
    工業化とその製品製造のアドバンテージにより、ユーゴ国内の富はスロベニアやクロアチアに流れる結果、経済危機で生活苦となったのも合わせて後に民族対立の引き金となりました。
    ただクロアチア、スロベニアにしても、貧困地域である南部への支援金供出をさせられ、思うように資金を自国内で使えなかったのも対立原因です。

  • @岡戸博
    @岡戸博 6 місяців тому

    山岳ばかりの自然では、いくら美しくても食糧生産が出来ないので、人口が減少しているのでは。やむを得ないですね。

  • @akki4448
    @akki4448 6 місяців тому

    そこまでして独立したいものなのかな?

  • @kussensie
    @kussensie 7 місяців тому +3

    オスマン帝国は解体しない方が良かったんじゃないかな。

  • @つばさダメニンゲン
    @つばさダメニンゲン 7 місяців тому +1

    スロベニア…アクラボヴィッチのマフラー…が有名

  • @tatatatsts
    @tatatatsts 6 місяців тому

    ドイツは統合したのに、ユーゴスラビアは別れる道を選んだんですね

    • @tsuyu_namida
      @tsuyu_namida 5 місяців тому +1

      ドイツはプロイセンが盟主となって強力な軍事力によって統一できた。
      ユーゴスラビアはセルビアが盟主となって統一しようとしたが、宿敵ブルガリアが統一から離脱して逆に統一を妨害したり、ナチスがクロアチアに加担してセルビアと戦わせたり、アルバニア人が移民として流入したり、外敵の妨害で統一できなかった。