Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
2日遅れちゃったよ!やっちまったよ!!!!…大変申し訳ございませんでした。とりあえず急行「能登路」さんです。定期的に来る七尾要素です。しかし実際に逃げる予定は今んとこありません。感想等よろしければいつも通りコメント欄に書いていってくださいね。※投稿直後2分くらいはタイトルが七尾線電化の動画のものになってたんですが、慌てて直したので今は大丈夫だと思います。間違ったタイトルを見られた方は強者視聴者です()
次は富山地鉄を取り上げてくれると嬉しいな
リクエストなんですけどヤヤコシヤ号で名鉄6Rと3R赤電とか名鉄2200系列(2000.2200.2230)ってどうでしょうか
@@チハ-h2q 主(というよりデータ)がお亡くなりになりそう((
北陸鉄道の廃線後等を解説してほしいです
特急白鳥「へぇ、こんな多層建て列車がいたんだ…」直江津発1323レ「多層建てである理由ある?」さんべ•しんじ•くりこま•みちのく•陸中「…」
おまいう
無き東武快速の会津田島・新藤原・東武日光行き「意味わからんなw」
大阪発特急ひだ25号・名古屋発5号「名阪両都市から飛騨地方へ客を乗せるワイらはどうなん?あ?あと白鳥、お前も直江津で増解結してたやろ?何も言えへんやんwww」
急行「能登路」のユーザーでした。でも金沢~羽咋間の乗車でしたので、増解結や分割併合の影響は全くなかったんですが、海水浴の時期なんかはそれこそ芋洗いに異常に混んでましたし、今考えるとレアな蛸島行き、蛸島発の便はやっぱり混んでたと思います。金沢におめかししてお買い物、とか、お盆に田舎に帰省、とかそれこそ田舎の一大イベントの時には「能登路」に乗る、っていうのが定番だった人も多いんじゃないでしょうか。ここでは触れておられませんでしたけど、本数も多かったせいで、金沢発・輪島発・珠洲発・七尾発の時間設定も利便性良く作られてたんですよね。
宇出津出身の者です。ドキドキしながら急行で金沢まで行ってました。能登鉄道がなくなり寂しいかぎりです。電車ではなく、地元の方々は汽車と呼んでいたのを思い出します。取り上げていただき有り難く思います
普段忙しい + 深刻なネタ切れ = 日曜の深夜に投稿
い つ も お な じ
釣り旅行客として父に連れられ能登に何度か訪れました。能登線の「イロハ順名トンネル」蛸島~金沢までがひたすら時間的に遠いしかも金沢乗り継ぎが今ほど親切じゃなくて駅構内でザコ寝で数時間過ごすこれらが想い出に残ってます。
14:31 これ、もしかしたらキロ28を繋いではいたけど通路扱いでグリーン車として営業して無かった可能性もあると思う。山陰本線で急行丹後に使用する編成が普通列車に使用される時、たまにあった奴。
能登線の能登路停車駅の宇出津出身者です。しかも線路脇に実家があるんで毎日見てましたwのりくら延長運転の車両ですが、稀にキハ57入ってましたよ。あと何号とかはランダムですが整備の関係かキハ26なんかも。多分20号だと思いますが宇出津18:20頃の列車が金沢駅0番線Bホームに着くと、隣の0番線Aホームに金沢ひだが居たの思い出しました。あと、謎の速達普通列車ですが地元では快速って呼んでました。
日曜の深夜に見るけいさんの動画は最高だで
急行能登路が一番輝いていた時代。しかも当時では異例のヘッドマーク付きでしたね...
15:45 つばさとこまちが11号車から始まってるのは言うまでもなく東北新幹線との併結運転を考慮して11号車から始まってますね。(東北新幹線はちゃんと1~10号車となっている)
能登路、やっぱTHEカオス。名鉄とかもカオスだけど、能登路と並ぶのか…
太平洋側の名鉄日本海側の能登路(^▽^;)
0:50 しれっと名鉄ディスられてて草
これの行先が大変な事になったり、うp主さんも被災したりしてますが、頑張ってください…!
昭和55年頃だったかな・・・名古屋を23時50分過ぎだったかに出発した「のりくら9号」が岐阜・富山で進行方向を変えて金沢へ。金沢を5時40分過ぎだったかに出発し、先行する普通列車(キハユニ26・キハ20込み)を津幡だったかで追い抜き、穴水まで急行で来て、そこから普通列車!?だったかで珠洲まで来ていました。 この時珠洲を5時40分に発車した普通列車(鵜川まで快速)と顔を合わせていました。時折入って来るキハ57に驚かされました。
のりくら9号もイカれた列車で、11両で名古屋を日付変更前に発車して翌朝、金沢に到着するダイヤで運行されていました。①1~4号車が珠洲延長がある金沢行で1号車が指定、2号車がグリーン車②5~8号車が富山止めで5号車に郵便荷物車を連結していた。③9~11号車が急行むろどう号で富山地鉄直通の立山行。・・・ナニコレ?
ぜひ模型で組んでみたいですね(白目)
タイトルがフランやんけそして相変わらずのカオスっぷりてか時刻表にミスがあるのは良くも悪くも国鉄の当たり前だったのか?まぁそれで能生騒動が起きたんだけど…
編集ミスがなかったら祝い金が出るそうだが、実際には無かったとか?>時刻表編集部
能登路にもはや通常と言うものが存在しない
15:45中央本線のあずさもE257時代は3号車先頭、今のE353時代は4号車先頭だし。新幹線でもE4系Maxときで「9号車先頭」があった多層建て列車中心に号車番号がバラバラになるのはよくある話
急行『能登路』かぁ〜 懐かしいなぁ・・・・・子供の頃、家族旅行で金沢駅(当時地上駅)から能登鵜飼駅までこの能登路号に乗って行った思い出があります。この頃の能登はまたディーゼルカー全盛期でしたねぇ。穴水駅で連結と切離しが頻繁に行われていました。確かに、金沢駅〜穴水駅間では長大編成だった気がしますね。
金沢駅0Aホームと0Bホーム・・・かつては終着駅らしく両方頭端式の行き止まり。もっともゆのくにやゆのくに併結の能登路は北陸線ホーム発着。能登中島行き快速、臨時急行ゆのはなもありました。
と、いうことは見附島をご覧になられましたか?
@@qwe6667 さんはい。見附島が目の前にある宿に宿泊してましたんで・・・(笑)
475系の方がデッキ付いててかつ空気バネの台車だった関係で乗り心地の評判は良かった印象
この大震災で残された遺構すら消えてしまったのは哀しい
駅舎は残ってるの多いです。国鉄が作ったのでかなり頑丈です。
能登線・のと鉄道の蛸島・珠洲ルートが廃線されてから能登半島にもすっかり御無沙汰になってしまいましたね。かつては鉄道利用で珠洲か蛸島まで行きバスで狼煙まで行ったりもしていたのですが、さすがに能登半島大半をバス移動というのは疲れそうで。しかも北陸新幹線敦賀延伸となれば関西方面からは敦賀乗り換えが強制的にされるし。福井県が西日本に「北陸新幹線敦賀延伸後もサンダーバードとしらさぎを福井まで乗り入れ運転してくれ」と要望を出すのもわかりますわ。西日本は聞く耳持たずさっさと却下しやがりましたけど。急行能登路、ありましたね。昔々はキハ58による急行「ゆのくに」が大阪と珠洲間で1往復運転されていたという話も聞いたことありますが。まあ温泉客や能登半島巡りの観光客多忙時期の臨時列車だったのかもしれませんけどね。
1978年10月のダイヤ改正で併結してた急行「越後」が新潟雷鳥に格上げされるまで定期列車として走ってましたよ(ハイシーズンには臨時便もw)>七尾・能登線乗り入れ「ゆのくに」
かつての急行『能登路』は実にカオス過ぎて今風に表現すれば名鉄の十八番である種別変更・特別停車・特別通過・分割併合みたいな感じでしょうかね※追伸…動画は別に土曜日投稿じゃなくても大丈夫ですよ長文になり大変、失礼しました。次回の動画も楽しみにしております
ピーク時の増結の際には「締〜め〜切〜り〜」もあったなw。
能登路、懐かしいです。どちらかというと私が利用したのは、のと鉄道線内がメインでした。ただ1990年代はサンダーバードが3往復、しらさぎ、そして長岡か越後湯沢からの特急もありましたから、今では考えられないほど便利でした。
確か長岡からは特急『北越』で、越後湯沢からは北越急行開業後なら特急『はくたか』でしょうね
@@Sasurai_Kurounin さん、いつの間にかはくたかに変わっていて、記憶が曖昧でした。ありがとうございます。
@@Sasurai_Kurouninさん、 長岡からは北越じゃなくかがやきですよ。七尾線も雷鳥しらさぎの国鉄色、スーパー雷鳥、かがやきと485系でも色とりどりでした。
@@ぼびっち じゃあ逆に聞きますが、特急『北越』は長岡ではなく新潟始発かな?そこの部分が曖昧なのでハッキリしたいんですよ
@@Sasurai_Kurounin さん。まず、七尾線に乗り入れて居たのはかがやきです。北越は長岡始発と新潟始発が混在してて、各々終点は金沢です。北越急行が開業してはくたかが走り始めてから北越は新潟~金沢で統一されたと記憶してます。
4:42 今も鳴門線の朝に鳴門~池谷ノンストップの普通(案内上は快速)があったり…
急行「能登路」に勝るカオス急行は昭和50年前後の石北急行の「大雪」でしょう。始発/終着はバラバラ。解結/併合あり。種別変更あり。寝台付夜行あり。後発の普通列車に追いつかれる。列車の成り立ちがまた凄まじい。話は変わって、七尾線て早朝3時台の始発列車って無かったでしたっけ?
ありましたよ(当時の「きたぐに」接続で)>金沢3時台始発
のりくら9号が高山経由で穴水までたどり着くのにめちゃ時間かからないか?と思えば夜行便だったんですね…
増解結関係なら東北のやら紀伊のやら山陰のやら等のアクロバティックなやつで大分慣れてるけど某赤い私鉄ばりの停車パターンのおかげで大分にカオスですなあ()
懐かしい😲穴水の賑わい思い出しました😊
でた、「急行使用時以外は(禁煙)」の415系喫煙車両(笑)
名鉄「うちの鉄道をまねた国鉄急行があるとは…。うちも負けてらんねぇな。」
阪急+阪神+京阪+近鉄「そういうトコは勝負しなくええんやで?」
これに、匹敵する急行が東北にいた。その名は、「急行陸中」
あれは一回説明聞いても分からないカオスな列車としか……(;・∀・)
開始1分以内で「 石垣島に配流されろ 」は草。
急行のりくらは切り離された後神岡線とかにも入ってたからなあ(時刻表2万キロ第1章)七尾線乗り入れでも別に驚かないかな
あとカオスなのは1975年3月号とかお勧めBookWalkerに復刻版がある動画の能登路13号が末端快速なのも1975年当時は大阪発ゆのくに1号のスジだったからと推測できる
4:38 特別快速でいいじゃん(笑)
親が珠洲行きののりくらに乗った事あるって話してたなぁ…自分も乗ってみたかった
このカオスっぷり。車両管理とかどうなってたのかな?。今はコンピューターがありますけど、当時は手作業だった訳ですから、平気で検査切れの車両とか出てきそう。
カオスだなー()
どの列車も名鉄屈指の迷列車の774レ(2+2で岐阜を出て途中の鳴海で前に+4、そのあと後ろを2両ずつ解結して前4両で到着)みたいで草ps 主さん名鉄沼に突き落したら面白そう
774レは(各)岐阜を2両で急行として出発 新鵜沼で前に6両追加 名古屋からダラ落ちし 緑区4駅(呼続,桜,本笠寺,本星崎)でケツ2両締切発生(しかも非貫通だから降りれない) 鳴海で種別を急行に変えつつ岐阜から来た車両含む4両を切り離してる途中で岐阜を2分続行で出た名古屋まで普通 以降急行の豊橋行きに抜かれる列車ですよ?(なお 豊橋行きが特急待避で待ってる間に774レが新安城に着くので新安城発車は同時刻) ちなみに鳴海で切り離された4両は豊明行き普通となり 終点で回送として新安城まで行き 吉良吉田行き普通に化けます
@@マグナスリオン-v1r すんませんなんか混じってますね追加で確か運用6Rだから鉄仮面+金魚+貫通とかオール鉄仮面とかオール金魚とか極低確率でワンマン車入ったりかなり面白い列車
@@チハ-h2qソレ 772レでは?岐阜を4両で出発 犬山で新可児から来た2+2を増結 鳴海で岐阜始発を切り離し 西尾でド真ん中切り離し 最終的には新可児から来た4両の片割れだけが吉良吉田に着くちなみに2021年5月改正で6Rから3Rの運用になりましたよ
@@マグナスリオン-v1r マジかよ
@@チハ-h2qさらに言うと各務原線のワンマン化に伴って772レと774レ諸共消滅しています…
能登路懐かしい列車です。のと鉄道時代は、専用塗装もありましたね。その時の動画持ってて、今では貴重なデータです
関連はないかもしれないけど、大阪発着の急行「ゆのくに」が七尾線能登線直通がキハ58系で運転されていた際、行きは輪島行きが2両、珠洲行きがグリーン車込みの4両が、大阪行きの始発が編成が逆転する運用になっていた。急行「能登路」の運用が絡んでいたのではと、勝手に推測していた。昭和53年までであったが。「ゆのくに」と併結していた「越後」、さらに金沢止まりの475系電車の「ゆのくに」はその後、特急「雷鳥」に格上げされた。
ここまでじゃ無いけど時期によっては房総特急も変則停車と種別変更が転がってたなぁ
丹後と同じくらいカオスな列車だなぁ
サンダバの増解結と停車パターンも年度によってはカオスなはずなのでお願いしたいです。サンダーバードもあれもあれで北陸本線以外への乗り入れが狂っていた車両ですし。ただ北陸で一番やばそうなのは名鉄の列車が富山地方鉄道に乗り入れしていたやつじゃないのかなー…という気もしてるし、当時の北陸は頭が柔らかかったのかもしれませんね。
宮城県に遊びに来たら「仙台空港アクセス線」の紹介をお願いします!基本の東北本線は全部通常なんですが、この路線だけ始発から終点までワンマンです
んなカオスな列車が国鉄時代は日常だったとは…昔のダイヤって奥が深そう
あくまで予想ですが今は機械で最適なダイヤやある程度の基礎を作れるのでしょうが昔は全て人がスジを引いていたのでこんなことなってたのでしょうね
@@nh4726なるほど…解説ありがとうございます!
昭和の時代は分割は当たり前の時代だったけどなえちごひすいラインでも糸魚川発着の快速区間で富山から急行立山がありましたな2015年設定の485系快速の元祖です
1960年から1980年は穴水の全盛期だったのか…
名古屋鉄道レベルのぐっちゃぐちゃ運用を国鉄がやってたんかい
国鉄時代の東北地方にも多層建急行が存在していました
七尾線は愉快ですね!(ヤケクソ)例えばゆぅトピア和倉とかゆぅトピア和倉とかゆぅトピア和倉とか...()9:56普通列車にグリーン車?聞いた事あるような...()
能登路5号が脱線のイメージが…
「能登路8号」動画で紹介されてる53年10月改正前は大阪直通の「ゆのくに」だったりするw。
キロ28がグリーン車開放って可能性も捨てきれないかな?昔急行砂丘の間合い運用で吉備線(現桃太郎線)の朝ラッシュ時に走ってた事があったので…。😅
自分は同じ急行「砂丘」間合いの若桜線と「よねやま」送り込みの信越線でグリーン開放は堪能したが、七尾・能登線ではなかったかと?
でも、キロ28だと、運転台が無いからねぇ
七尾線・能登線は普通もとんでもないことになってることに気づいたので取り上げてほしいです()(快速列車353Dより停車駅の少ない普通列車347D、快速列車360Dと同じ停車駅の普通列車362D、急行と同じ停車駅の普通列車437D、大量の能登中島発着)
今だと信じられないけど、昔は、大阪から輪島・宇出津があったり、季節運転で夜行のりくらが珠洲に行ってたんですよね。凄いよなぁ。
車両は遜色でもカオスっぷりが名鉄比でも遜色ないwしかも過去には「ロマンスカー」なるビデオセット付き指定席車が連結されていたらしいし…
逆に普通列車に485系入れてたJR西日本(和倉温泉始発の特急の送り込みで設定 ロザまで付いてた)
4:42 普通列車とは🤔
きたー!
普通列車は普通料金で乗れる列車だから必ずしも各駅に停まる必要ないとか言う話をどっかで聞いた記憶がありますね。そうだとして25%以下は飛ばしすぎだろ
なんだろう、増解結と種別変更と通過率の高い普通列車が普通に感じてきたあとミニ新幹線は連結時はちゃんと連番になってるから違和感あんまりない訳で正直56781234の並びはおかしい気がする()
黒板の緑が強すぎる……
能登部駅が快速止まってたのと、良川駅が特急止まってた原因かな。。。地元民だと良川停車の特急ダイヤをとるか金沢で乗り換えて能登部まで鈍行か悩みでしたよ
なんで7,8号車の後ろに1,2号車繋げた状態で輪島から来るんだお前…
サムネがビデオ取り付けの「ロマンスカー」じゃないですかw>能登路。高校位までは親戚が能登線沿線に固まって住んでいるので、毎年のように行ってたな。
7:28 そもそもキロ58自体急行アルプス専用車……
どうも「アルプス」をお役御免になった後、キロ58は名古屋や美濃太田に転属し、急行「きそ」あたりに使われていたそうです。ただ構造上使いづらかったり、いろいろと異端車だったりしたせいか、1980年を迎える前に8両すべてが廃車になっているようですが…
@@tokimeki-train へ!?マジすか(貧弱な情報網のわしには知らなかった🥺)きそとかにも繋がってたことあったんすか…
昭和40〜50年代、夏休みに祖父さん婆さんの家が輪島だったのでよく利用しました。東京から1人で行くので、輪島、蛸島行きはややっこしくて本当に100回位サボを確認して、小学校高学年の頃には慣れてきて座席は混んで座れないからキハの連結部の助手席を確保、特等席でした。
いいなあw
ギリ月曜で草
これぞ、迷列車٩(๑•ㅂ•)۶急行に成ったり普通に成ったり、料金形態どないなるんやろか🤔
7:30のキロ58はどうでしょうか?キロ58はキツイ勾配の連続する中央東線の急行「アルプス」の編成を、ほぼ全車2エンジン化しグリーン車を組み込むために、日本全国でもたった8両のみ製造されたグリーン車の2エンジン車です(58系のグリーン車は通常は1エンジン車のキロ28)。非常に珍しい車両です。中央線の急行「アルプス」の165系電車化後は、高山線の美濃太田あたりにいたので、能登にはいなかった可能性が高いです。また、信越線の碓氷峠のアプト式ラックレール通過用に空気バネ台車をはいたキハ57系(これ以外の58系はすべてコイルバネ台車。)は、全部で約40両くらい造られましたが、アプト式廃止後は、小海線や高山線、紀勢線、四国などにはいました。しかし、能登にいたのかどうかはわかりません。小海線で実際に乗りましたが、乗り心地がとてもよかったのを覚えています。
動画内でも言っていますが、美濃太田所属車もどうも間合いで急行「能登路」に入っていたらしく…そのような運用ならばキロ58も入っていた可能性が否定できないとなって少し調べています。結局運用から外れていた可能性が高いとなったので、能登方面にキロ58の乗り入れはこの当時ではなかったと結論付けましたが…ちなみにキハ57は同じ理由で、本当に乗り入れがあったそうです。
@@tokimeki-train さんわざわざ調べて返信してくれたのですね。非常に良心的な方だと思いました。謹んで感謝申し上げます。私の持っている資料でも不明な部分が多く、やはり、能登方面への乗り入れはほとんどなかったような感じがします。キロ58は異端の車両であったため、その後、使用されなくなり、改造されてしまったものもありました。見た目は40系気動車に似ているキニ58はキロ58からの改造車で、常磐線ではよく見かけました。常磐線の荷物列車は、客車の荷物列車は長距離用で、短距離中距離用には交直両用荷物電車がないため気動車編成であり、こちらに2エンジン車のキニ55, 56, 58 などが使われていました。屋根上には常磐線用無線アンテナがついていました。常磐線の気動車急行編成のほとんどはキハ28などで組成されていましたが、「加速をよくするため」ということで約12連中、2~3両ほどがキハ58になっていました。荷物気動車はその必要がさらにあったため、ほとんど全車が2エンジン車でした。キロ58はそういったことでキニ58に改造後、常磐線に投入されました。ちなみに常磐線には高速運転の邪魔になる勾配やカーブ、単線はほとんどなく、常磐線の1エンジン車主体の気動車急行列車でも100㎞/h近い速度で走っていました。そしてオール2エンジン車である荷物気動車編成の走りはさらに物凄いもので、まじかで実際に見ましたが、最近の新型気動車に近い走りをあの当時からしていました。キハ58系気動車の初投入線区となった中央線の気動車急行「アルプス」には、北アルプスへの登山の時に何度か乗りましたが、常磐線の荷物気動車編成でもキロ58(実際はキニ58)に会ったというわけです。
当時まだ小学生でしたが珠洲の実家を一人で訪ねるのに使った覚えが、北陸本線も電化はされてたけど特急&急行以外は客車運行メインで、気動車だと最大でもキハ20系同士の4両編成しか見た事無かったので通常のキハ28+58以外にキハ65も併結されて6両以上も有り長い編成だなぁと感動したものです、グリーン車も繋がってたような…?自分が乗ったのは名古屋からのしらさぎ(当時まだ485系のL特急)との接続で14時ごろの乗車だった筈…今思うと長距離且つ非電化単線なんで急行車両を普通などでも柔軟に運用しないとダイヤ的に厳しいってのはあったかと。
DCゆのくに下り2号、上り3号は、能登路に影響はなかったんですか?急行越後と併設されて割と利用したことがあるんです。のりくらのことは知っていました。大社、こがね、しろがね。面白い急行がありました。
おそらくないのではないかと…まず「ゆのくに」の運用は七尾ではなく宮原持ちでしたし、「ゆのくに」充当列車が間合いで「能登路」に入っていたわけでもないと思います。
@@tokimeki-train 確か、動画内では言及されてませんでしたが、能登路1号の輪島編成は折返しで能登路8号になっていたかと。で、別コメで書いたように動画で紹介された1978年10月改正前は「ゆのくに2号」でして輪島編成側にグリーン車が付いていましたよ。
@@tokimeki-train「ゆのくに」の運用は宮原、て書いてますが、厳密には共通運用だった夜行急行「ちくま」(大阪〜長野)絡みで長野だったかと?
0:44沖縄だぁ(思考停止)
もうめちゃくちゃだwwwww
富士回遊を連結していない特急あずさと特急かいじ、特急おうめは先頭が4号車ですね...
名鉄772レ・774レ「今でも、平日朝にやってるなぁ~。」定期北アルプスと名古屋・大阪発着の臨時ひだ号の3社3階建て列車「昔やってたなぁ~。」富山ひだ号と名古屋・大阪ひだ「閑散期に5~7号車は、よく抜けてるよ。」
誤乗車が頻発しそうな複雑な運用ですね
いいね お久しぶりです
七尾関係で…1988年3月時刻表にいる「のと恋路号」でもいかがでしょうか?あと無名の急行
能登かがり火はほとんど津幡通過するみたいてすね
大阪から氷見まで行く特急も存在していた
キハ47の全塗装お願いします!!!!!
4:41 4:46
4コメ休止Twitterで見て悲しくなったけど今のうちに大量に見とこ
確認したところ残念ながら6番目ですね
中央線の特急も9両のやつは先頭4号車よな
20列車のダイヤやばすぎるw
受験勉強お疲れ様です。質問に答える時間があればなんですが、最初のBGMってなんですか?
OPのBGMでしたら、DOVA-SYNDROMEさんより「花の舞う頃」ですよ~使用BGMは基本的にすべて概要欄にまとめてあるのでよろしければご利用ください!
@@tokimeki-train 受験勉強の最中ありがとうございます。わかりました。検索してみますね。復帰まってます。頑張ってください!
コンギョの別バージョン
今だともっとカオスなのがHC85の編成ですね。
試行改造のロマンスカーも
時代…なんだろう。
91年の電車「能登路」と同じシートに広島だと料金不要で乗れたんだよなw。
でたー。蛸島w
ゆうとぴあ和倉アストルは電車特急と連結していた
やっぱキハ58系はすごいなー急行しらゆきの話が出てきたけど、アレってなんで1号車がないんすかね?運用の問題?
なんででしょうかね?私もよく分かりません…
@@tokimeki-train 今じゃ考えられないほど国鉄時代ってのは、はちゃめちゃで面白いっすね
高松と宇野気は準標準停車駅ですか?
そう呼んでもよさそうですね~
2:51 本編開始
真偽の程は定かじゃないが、475系のロングシートは富山港線のモハ72系のシートを流用したとかなんとかw。
急行形のロングシートは旧型国電からの流用ではないのでご安心ください()…A14編成たった1本だけを除いては。
2日遅れちゃったよ!やっちまったよ!!!!
…大変申し訳ございませんでした。
とりあえず急行「能登路」さんです。定期的に来る七尾要素です。しかし実際に逃げる予定は今んとこありません。
感想等よろしければいつも通りコメント欄に書いていってくださいね。
※投稿直後2分くらいはタイトルが七尾線電化の動画のものになってたんですが、慌てて直したので今は大丈夫だと思います。
間違ったタイトルを見られた方は強者視聴者です()
次は富山地鉄を取り上げてくれると嬉しいな
リクエストなんですけど
ヤヤコシヤ号で名鉄6Rと3R赤電とか
名鉄2200系列(2000.2200.2230)ってどうでしょうか
@@チハ-h2q 主(というよりデータ)がお亡くなりになりそう((
北陸鉄道の廃線後等を解説してほしいです
特急白鳥「へぇ、こんな多層建て列車がいたんだ…」
直江津発1323レ「多層建てである理由ある?」
さんべ•しんじ•くりこま•みちのく•陸中「…」
おまいう
無き東武快速の会津田島・新藤原・東武日光行き「意味わからんなw」
大阪発特急ひだ25号・名古屋発5号「名阪両都市から飛騨地方へ客を乗せるワイらはどうなん?あ?あと白鳥、お前も直江津で増解結してたやろ?何も言えへんやんwww」
急行「能登路」のユーザーでした。でも金沢~羽咋間の乗車でしたので、増解結や分割併合の影響は全くなかったんですが、海水浴の時期なんかはそれこそ芋洗いに異常に混んでましたし、今考えるとレアな蛸島行き、蛸島発の便はやっぱり混んでたと思います。金沢におめかししてお買い物、とか、お盆に田舎に帰省、とかそれこそ田舎の一大イベントの時には「能登路」に乗る、っていうのが定番だった人も多いんじゃないでしょうか。ここでは触れておられませんでしたけど、本数も多かったせいで、金沢発・輪島発・珠洲発・七尾発の時間設定も利便性良く作られてたんですよね。
宇出津出身の者です。ドキドキしながら急行で金沢まで行ってました。能登鉄道がなくなり寂しいかぎりです。電車ではなく、地元の方々は汽車と呼んでいたのを思い出します。取り上げていただき有り難く思います
普段忙しい + 深刻なネタ切れ = 日曜の深夜に投稿
い つ も お な じ
釣り旅行客として父に連れられ能登に何度か訪れました。
能登線の「イロハ順名トンネル」
蛸島~金沢までがひたすら時間的に遠い
しかも金沢乗り継ぎが今ほど親切じゃなくて駅構内でザコ寝で数時間過ごす
これらが想い出に残ってます。
14:31 これ、もしかしたらキロ28を繋いではいたけど通路扱いでグリーン車として営業して無かった可能性もあると思う。
山陰本線で急行丹後に使用する編成が普通列車に使用される時、たまにあった奴。
能登線の能登路停車駅の宇出津出身者です。しかも線路脇に実家があるんで毎日見てましたw
のりくら延長運転の車両ですが、稀にキハ57入ってましたよ。あと何号とかはランダムですが整備の関係かキハ26なんかも。
多分20号だと思いますが宇出津18:20頃の列車が金沢駅0番線Bホームに着くと、隣の0番線Aホームに金沢ひだが居たの思い出しました。
あと、謎の速達普通列車ですが地元では快速って呼んでました。
日曜の深夜に見るけいさんの動画は最高だで
急行能登路が一番輝いていた時代。しかも当時では異例のヘッドマーク付きでしたね...
15:45 つばさとこまちが11号車から始まってるのは言うまでもなく東北新幹線との併結運転を考慮して11号車から始まってますね。(東北新幹線はちゃんと1~10号車となっている)
能登路、やっぱTHEカオス。
名鉄とかもカオスだけど、能登路と並ぶのか…
太平洋側の名鉄
日本海側の能登路(^▽^;)
0:50 しれっと名鉄ディスられてて草
これの行先が大変な事になったり、うp主さんも被災したりしてますが、頑張ってください…!
昭和55年頃だったかな・・・
名古屋を23時50分過ぎだったかに出発した「のりくら9号」が岐阜・富山で進行方向を変えて金沢へ。
金沢を5時40分過ぎだったかに出発し、先行する普通列車(キハユニ26・キハ20込み)を津幡だったかで追い抜き、穴水まで急行で来て、そこから普通列車!?だったかで珠洲まで来ていました。
この時珠洲を5時40分に発車した普通列車(鵜川まで快速)と顔を合わせていました。
時折入って来るキハ57に驚かされました。
のりくら9号もイカれた列車で、11両で名古屋を日付変更前に発車して翌朝、金沢に到着するダイヤで運行されていました。
①1~4号車が珠洲延長がある金沢行で1号車が指定、2号車がグリーン車
②5~8号車が富山止めで5号車に郵便荷物車を連結していた。
③9~11号車が急行むろどう号で富山地鉄直通の立山行。
・・・ナニコレ?
ぜひ模型で組んでみたいですね(白目)
タイトルがフランやんけ
そして相変わらずのカオスっぷり
てか時刻表にミスがあるのは良くも悪くも国鉄の当たり前だったのか?
まぁそれで能生騒動が起きたんだけど…
編集ミスがなかったら祝い金が出るそうだが、実際には無かったとか?>時刻表編集部
能登路にもはや通常と言うものが存在しない
15:45
中央本線のあずさもE257時代は3号車先頭、今のE353時代は4号車先頭だし。新幹線でもE4系Maxときで「9号車先頭」があった
多層建て列車中心に号車番号がバラバラになるのはよくある話
急行『能登路』かぁ〜
懐かしいなぁ・・・・・
子供の頃、家族旅行で金沢駅(当時地上駅)から能登鵜飼駅までこの能登路号に乗って行った思い出があります。
この頃の能登はまたディーゼルカー全盛期でしたねぇ。
穴水駅で連結と切離しが頻繁に行われていました。
確かに、金沢駅〜穴水駅間では長大編成だった気がしますね。
金沢駅0Aホームと0Bホーム・・・かつては終着駅らしく両方頭端式の行き止まり。もっともゆのくにやゆのくに併結の能登路は北陸線ホーム発着。能登中島行き快速、臨時急行ゆのはなもありました。
と、いうことは見附島をご覧になられましたか?
@@qwe6667 さん
はい。
見附島が目の前にある宿に宿泊してましたんで・・・(笑)
475系の方がデッキ付いててかつ空気バネの台車だった関係で乗り心地の評判は良かった印象
この大震災で残された遺構すら消えてしまったのは哀しい
駅舎は残ってるの多いです。
国鉄が作ったのでかなり頑丈です。
能登線・のと鉄道の蛸島・珠洲ルートが廃線されてから能登半島にもすっかり御無沙汰になってしまいましたね。かつては鉄道利用で珠洲か蛸島まで行きバスで狼煙まで行ったりもしていたのですが、さすがに能登半島大半をバス移動というのは疲れそうで。しかも北陸新幹線敦賀延伸となれば関西方面からは敦賀乗り換えが強制的にされるし。福井県が西日本に「北陸新幹線敦賀延伸後もサンダーバードとしらさぎを福井まで乗り入れ運転してくれ」と要望を出すのもわかりますわ。西日本は聞く耳持たずさっさと却下しやがりましたけど。
急行能登路、ありましたね。昔々はキハ58による急行「ゆのくに」が大阪と珠洲間で1往復運転されていたという話も聞いたことありますが。まあ温泉客や能登半島巡りの観光客多忙時期の臨時列車だったのかもしれませんけどね。
1978年10月のダイヤ改正で併結してた急行「越後」が新潟雷鳥に格上げされるまで定期列車として走ってましたよ(ハイシーズンには臨時便もw)>七尾・能登線乗り入れ「ゆのくに」
かつての急行『能登路』は実にカオス過ぎて今風に表現すれば名鉄の十八番である種別変更・特別停車・特別通過・分割併合みたいな感じでしょうかね
※追伸…動画は別に土曜日投稿じゃなくても大丈夫ですよ
長文になり大変、失礼しました。次回の動画も楽しみにしております
ピーク時の増結の際には「締〜め〜切〜り〜」もあったなw。
能登路、懐かしいです。どちらかというと私が利用したのは、のと鉄道線内がメインでした。
ただ1990年代はサンダーバードが3往復、しらさぎ、そして長岡か越後湯沢からの特急もありましたから、今では考えられないほど便利でした。
確か長岡からは特急『北越』で、越後湯沢からは北越急行開業後なら特急『はくたか』でしょうね
@@Sasurai_Kurounin さん、いつの間にかはくたかに変わっていて、記憶が曖昧でした。ありがとうございます。
@@Sasurai_Kurouninさん、 長岡からは北越じゃなくかがやきですよ。七尾線も雷鳥しらさぎの国鉄色、スーパー雷鳥、かがやきと485系でも色とりどりでした。
@@ぼびっち じゃあ逆に聞きますが、特急『北越』は長岡ではなく新潟始発かな?そこの部分が曖昧なのでハッキリしたいんですよ
@@Sasurai_Kurounin さん。まず、七尾線に乗り入れて居たのはかがやきです。北越は長岡始発と新潟始発が混在してて、各々終点は金沢です。北越急行が開業してはくたかが走り始めてから北越は新潟~金沢で統一されたと記憶してます。
4:42 今も鳴門線の朝に鳴門~池谷ノンストップの普通(案内上は快速)があったり…
急行「能登路」に勝るカオス急行は昭和50年前後の石北急行の「大雪」でしょう。始発/終着はバラバラ。解結/併合あり。種別変更あり。寝台付夜行あり。後発の普通列車に追いつかれる。列車の成り立ちがまた凄まじい。
話は変わって、七尾線て早朝3時台の始発列車って無かったでしたっけ?
ありましたよ(当時の「きたぐに」接続で)>金沢3時台始発
のりくら9号が高山経由で穴水までたどり着くのにめちゃ時間かからないか?と思えば夜行便だったんですね…
増解結関係なら東北のやら
紀伊のやら山陰のやら等のアクロバティックな
やつで大分慣れてるけど
某赤い私鉄ばりの停車パターンのおかげで
大分にカオスですなあ()
懐かしい😲
穴水の賑わい思い出しました😊
でた、「急行使用時以外は(禁煙)」の415系喫煙車両(笑)
名鉄「うちの鉄道をまねた国鉄急行があるとは…。うちも負けてらんねぇな。」
阪急+阪神+京阪+近鉄「そういうトコは勝負しなくええんやで?」
これに、匹敵する急行が東北にいた。
その名は、「急行陸中」
あれは一回説明聞いても分からないカオスな列車としか……(;・∀・)
開始1分以内で「 石垣島に配流されろ 」は草。
急行のりくらは切り離された後神岡線とかにも入ってたからなあ(時刻表2万キロ第1章)
七尾線乗り入れでも別に驚かないかな
あとカオスなのは1975年3月号とかお勧めBookWalkerに復刻版がある
動画の能登路13号が末端快速なのも1975年当時は大阪発ゆのくに1号のスジだったからと推測できる
4:38 特別快速でいいじゃん(笑)
親が珠洲行きののりくらに乗った事あるって話してたなぁ…
自分も乗ってみたかった
このカオスっぷり。車両管理とかどうなってたのかな?。今はコンピューターがありますけど、当時は手作業だった訳ですから、平気で検査切れの車両とか出てきそう。
カオスだなー()
どの列車も名鉄屈指の迷列車の774レ(2+2で岐阜を出て途中の鳴海で前に+4、そのあと後ろを2両ずつ解結して前4両で到着)みたいで草
ps 主さん名鉄沼に突き落したら面白そう
774レは(各)岐阜を2両で急行として出発 新鵜沼で前に6両追加 名古屋からダラ落ちし 緑区4駅(呼続,桜,本笠寺,本星崎)でケツ2両締切発生(しかも非貫通だから降りれない) 鳴海で種別を急行に変えつつ岐阜から来た車両含む4両を切り離してる途中で岐阜を2分続行で出た名古屋まで普通 以降急行の豊橋行きに抜かれる列車ですよ?(なお 豊橋行きが特急待避で待ってる間に774レが新安城に着くので新安城発車は同時刻) ちなみに鳴海で切り離された4両は豊明行き普通となり 終点で回送として新安城まで行き 吉良吉田行き普通に化けます
@@マグナスリオン-v1r
すんませんなんか混じってますね
追加で確か運用6Rだから鉄仮面+金魚+貫通とかオール鉄仮面とかオール金魚とか極低確率でワンマン車入ったりかなり面白い列車
@@チハ-h2q
ソレ 772レでは?
岐阜を4両で出発 犬山で新可児から来た2+2を増結 鳴海で岐阜始発を切り離し 西尾でド真ん中切り離し 最終的には新可児から来た4両の片割れだけが吉良吉田に着く
ちなみに2021年5月改正で6Rから3Rの運用になりましたよ
@@マグナスリオン-v1r マジかよ
@@チハ-h2qさらに言うと各務原線のワンマン化に伴って772レと774レ諸共消滅しています…
能登路
懐かしい列車です。
のと鉄道時代は、専用塗装もありましたね。
その時の動画持ってて、今では貴重なデータです
関連はないかもしれないけど、大阪発着の急行「ゆのくに」が七尾線能登線直通がキハ58系で運転されていた際、行きは輪島行きが2両、珠洲行きがグリーン車込みの4両が、大阪行きの始発が編成が逆転する運用になっていた。急行「能登路」の運用が絡んでいたのではと、勝手に推測していた。昭和53年までであったが。「ゆのくに」と併結していた「越後」、さらに金沢止まりの475系電車の「ゆのくに」はその後、特急「雷鳥」に格上げされた。
ここまでじゃ無いけど時期によっては房総特急も変則停車と種別変更が転がってたなぁ
丹後と同じくらいカオスな列車だなぁ
サンダバの増解結と停車パターンも年度によってはカオスなはずなのでお願いしたいです。
サンダーバードもあれもあれで北陸本線以外への乗り入れが狂っていた車両ですし。
ただ北陸で一番やばそうなのは名鉄の列車が富山地方鉄道に乗り入れしていたやつじゃないのかなー…という気もしてるし、当時の北陸は頭が柔らかかったのかもしれませんね。
宮城県に遊びに来たら「仙台空港アクセス線」の紹介をお願いします!
基本の東北本線は全部通常なんですが、この路線だけ始発から終点までワンマンです
んなカオスな列車が国鉄時代は日常だったとは…
昔のダイヤって奥が深そう
あくまで予想ですが今は機械で最適なダイヤやある程度の基礎を作れるのでしょうが昔は全て人がスジを引いていたのでこんなことなってたのでしょうね
@@nh4726
なるほど…
解説ありがとうございます!
昭和の時代は分割は当たり前の時代だったけどな
えちごひすいラインでも糸魚川発着の快速区間で富山から急行立山がありましたな
2015年設定の485系快速の元祖です
1960年から1980年は穴水の全盛期だったのか…
名古屋鉄道レベルのぐっちゃぐちゃ運用を国鉄がやってたんかい
国鉄時代の東北地方にも多層建急行が存在していました
七尾線は愉快ですね!(ヤケクソ)
例えばゆぅトピア和倉とかゆぅトピア和倉とかゆぅトピア和倉とか...()
9:56普通列車にグリーン車?聞いた事あるような...()
能登路5号が脱線のイメージが…
「能登路8号」動画で紹介されてる53年10月改正前は大阪直通の「ゆのくに」だったりするw。
キロ28がグリーン車開放って可能性も捨てきれないかな?
昔急行砂丘の間合い運用で吉備線(現桃太郎線)の朝ラッシュ時に走ってた事があったので…。😅
自分は同じ急行「砂丘」間合いの若桜線と「よねやま」送り込みの信越線でグリーン開放は堪能したが、七尾・能登線ではなかったかと?
でも、キロ28だと、運転台が無いからねぇ
七尾線・能登線は普通もとんでもないことになってることに気づいたので取り上げてほしいです()(快速列車353Dより停車駅の少ない普通列車347D、快速列車360Dと同じ停車駅の普通列車362D、急行と同じ停車駅の普通列車437D、大量の能登中島発着)
今だと信じられないけど、昔は、大阪から輪島・宇出津があったり、季節運転で夜行のりくらが珠洲に行ってたんですよね。凄いよなぁ。
車両は遜色でもカオスっぷりが名鉄比でも遜色ないw
しかも過去には「ロマンスカー」なるビデオセット付き指定席車が連結されていたらしいし…
逆に普通列車に485系入れてたJR西日本(和倉温泉始発の特急の送り込みで設定 ロザまで付いてた)
4:42 普通列車とは🤔
きたー!
普通列車は普通料金で乗れる列車だから必ずしも各駅に停まる必要ないとか言う話をどっかで聞いた記憶がありますね。
そうだとして25%以下は飛ばしすぎだろ
なんだろう、増解結と種別変更と通過率の高い普通列車が普通に感じてきた
あとミニ新幹線は連結時はちゃんと連番になってるから違和感あんまりない訳で正直56781234の並びはおかしい気がする()
黒板の緑が強すぎる……
能登部駅が快速止まってたのと、良川駅が特急止まってた原因かな。。。
地元民だと良川停車の特急ダイヤをとるか金沢で乗り換えて能登部まで鈍行か悩みでしたよ
なんで7,8号車の後ろに1,2号車繋げた状態で輪島から来るんだお前…
サムネがビデオ取り付けの「ロマンスカー」じゃないですかw>能登路。
高校位までは親戚が能登線沿線に固まって住んでいるので、毎年のように行ってたな。
7:28 そもそもキロ58自体急行アルプス専用車……
どうも「アルプス」をお役御免になった後、
キロ58は名古屋や美濃太田に転属し、急行「きそ」あたりに使われていたそうです。
ただ構造上使いづらかったり、いろいろと異端車だったりしたせいか、
1980年を迎える前に8両すべてが廃車になっているようですが…
@@tokimeki-train
へ!?マジすか(貧弱な情報網のわしには知らなかった🥺)
きそとかにも繋がってたことあったんすか…
昭和40〜50年代、夏休みに祖父さん婆さんの家が輪島だったのでよく利用しました。東京から1人で行くので、輪島、蛸島行きはややっこしくて本当に100回位サボを確認して、小学校高学年の頃には慣れてきて座席は混んで座れないからキハの連結部の助手席を確保、特等席でした。
いいなあw
ギリ月曜で草
これぞ、迷列車٩(๑•ㅂ•)۶急行に成ったり普通に成ったり、料金形態どないなるんやろか🤔
7:30のキロ58はどうでしょうか?キロ58はキツイ勾配の連続する中央東線の急行「アルプス」の編成を、ほぼ全車2エンジン化しグリーン車を組み込むために、日本全国でもたった8両のみ製造されたグリーン車の2エンジン車です(58系のグリーン車は通常は1エンジン車のキロ28)。非常に珍しい車両です。
中央線の急行「アルプス」の165系電車化後は、高山線の美濃太田あたりにいたので、能登にはいなかった可能性が高いです。
また、信越線の碓氷峠のアプト式ラックレール通過用に空気バネ台車をはいたキハ57系(これ以外の58系はすべてコイルバネ台車。)は、全部で約40両くらい造られましたが、アプト式廃止後は、小海線や高山線、紀勢線、四国などにはいました。しかし、能登にいたのかどうかはわかりません。
小海線で実際に乗りましたが、乗り心地がとてもよかったのを覚えています。
動画内でも言っていますが、美濃太田所属車も
どうも間合いで急行「能登路」に入っていたらしく…
そのような運用ならばキロ58も入っていた可能性が否定できないとなって少し調べています。
結局運用から外れていた可能性が高いとなったので、
能登方面にキロ58の乗り入れはこの当時ではなかったと結論付けましたが…
ちなみにキハ57は同じ理由で、本当に乗り入れがあったそうです。
@@tokimeki-train さん
わざわざ調べて返信してくれたのですね。非常に良心的な方だと思いました。謹んで感謝申し上げます。
私の持っている資料でも不明な部分が多く、やはり、能登方面への乗り入れはほとんどなかったような感じがします。
キロ58は異端の車両であったため、その後、使用されなくなり、改造されてしまったものもありました。
見た目は40系気動車に似ているキニ58はキロ58からの改造車で、常磐線ではよく見かけました。
常磐線の荷物列車は、客車の荷物列車は長距離用で、短距離中距離用には交直両用荷物電車がないため気動車編成であり、こちらに2エンジン車のキニ55, 56, 58 などが使われていました。屋根上には常磐線用無線アンテナがついていました。
常磐線の気動車急行編成のほとんどはキハ28などで組成されていましたが、「加速をよくするため」ということで約12連中、2~3両ほどがキハ58になっていました。
荷物気動車はその必要がさらにあったため、ほとんど全車が2エンジン車でした。キロ58はそういったことでキニ58に改造後、常磐線に投入されました。
ちなみに常磐線には高速運転の邪魔になる勾配やカーブ、単線はほとんどなく、常磐線の1エンジン車主体の気動車急行列車でも100㎞/h近い速度で走っていました。
そしてオール2エンジン車である荷物気動車編成の走りはさらに物凄いもので、まじかで実際に見ましたが、最近の新型気動車に近い走りをあの当時からしていました。
キハ58系気動車の初投入線区となった中央線の気動車急行「アルプス」には、北アルプスへの登山の時に何度か乗りましたが、常磐線の荷物気動車編成でもキロ58(実際はキニ58)に会ったというわけです。
当時まだ小学生でしたが珠洲の実家を一人で訪ねるのに使った覚えが、北陸本線も電化はされてたけど特急&急行以外は客車運行メインで、
気動車だと最大でもキハ20系同士の4両編成しか見た事無かったので通常のキハ28+58以外にキハ65も併結されて6両以上も有り長い編成だなぁと感動したものです、
グリーン車も繋がってたような…?自分が乗ったのは名古屋からのしらさぎ(当時まだ485系のL特急)との接続で14時ごろの乗車だった筈…
今思うと長距離且つ非電化単線なんで急行車両を普通などでも柔軟に運用しないとダイヤ的に厳しいってのはあったかと。
DCゆのくに下り2号、上り3号は、能登路に影響はなかったんですか?急行越後と併設されて割と利用したことがあるんです。のりくらのことは知っていました。大社、こがね、しろがね。面白い急行がありました。
おそらくないのではないかと…
まず「ゆのくに」の運用は七尾ではなく宮原持ちでしたし、
「ゆのくに」充当列車が間合いで「能登路」に入っていたわけでもないと思います。
@@tokimeki-train 確か、動画内では言及されてませんでしたが、能登路1号の輪島編成は折返しで能登路8号になっていたかと。で、別コメで書いたように動画で紹介された1978年10月改正前は「ゆのくに2号」でして輪島編成側にグリーン車が付いていましたよ。
@@tokimeki-train「ゆのくに」の運用は宮原、て書いてますが、厳密には共通運用だった夜行急行「ちくま」(大阪〜長野)絡みで長野だったかと?
0:44沖縄だぁ(思考停止)
もうめちゃくちゃだwwwww
富士回遊を連結していない特急あずさと特急かいじ、特急おうめは先頭が4号車ですね...
名鉄772レ・774レ「今でも、平日朝にやってるなぁ~。」
定期北アルプスと名古屋・大阪発着の臨時ひだ号の3社3階建て列車「昔やってたなぁ~。」
富山ひだ号と名古屋・大阪ひだ「閑散期に5~7号車は、よく抜けてるよ。」
誤乗車が頻発しそうな複雑な運用ですね
いいね お久しぶりです
七尾関係で…
1988年3月時刻表にいる「のと恋路号」でもいかがでしょうか?あと無名の急行
能登かがり火はほとんど津幡通過するみたいてすね
大阪から氷見まで行く特急も存在していた
キハ47の全塗装お願いします!!!!!
4:41 4:46
4コメ
休止Twitterで見て悲しくなったけど今のうちに大量に見とこ
確認したところ残念ながら6番目ですね
中央線の特急も9両のやつは先頭4号車よな
20列車のダイヤやばすぎるw
受験勉強お疲れ様です。
質問に答える時間があればなんですが、
最初のBGMってなんですか?
OPのBGMでしたら、DOVA-SYNDROMEさんより「花の舞う頃」ですよ~
使用BGMは基本的にすべて概要欄にまとめてあるのでよろしければご利用ください!
@@tokimeki-train 受験勉強の最中ありがとうございます。
わかりました。検索してみますね。
復帰まってます。頑張ってください!
コンギョの別バージョン
今だともっとカオスなのがHC85の編成ですね。
試行改造のロマンスカーも
時代…なんだろう。
91年の電車「能登路」と同じシートに広島だと料金不要で乗れたんだよなw。
でたー。蛸島w
ゆうとぴあ和倉アストルは電車特急と連結していた
やっぱキハ58系はすごいなー
急行しらゆきの話が出てきたけど、アレってなんで1号車がないんすかね?
運用の問題?
なんででしょうかね?私もよく分かりません…
@@tokimeki-train 今じゃ考えられないほど国鉄時代ってのは、はちゃめちゃで面白いっすね
高松と宇野気は準標準停車駅ですか?
そう呼んでもよさそうですね~
2:51 本編開始
真偽の程は定かじゃないが、475系のロングシートは富山港線のモハ72系のシートを流用したとかなんとかw。
急行形のロングシートは旧型国電からの流用ではないのでご安心ください()
…A14編成たった1本だけを除いては。