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自分用 個人的な見解でテーマ別に分けました。0:00 オープニング1:42 中山道、東海道の歴史5:34 鉄道を引くのはどこにするか?というおはなし12:36 碓氷峠の完成、重要性と苦労(15:49 スーツ氏の歌唱、「信濃の國」)16:12 勾配での課題と克服(ラック式の採用)18:35 横川ー軽井沢間の電化19:20 最急勾配66.7‰について23:20 機関車の改良25:06 他路線の開業(上越本線、中央本線)27:04 複線化とEF63の登場30:32 横軽対応の車両たちとその他の形式との違いについて34:54 横軽区間廃止へ36:11 エンディング(廃止後~現在について)
ありがたい
Kanchan 06311110 すすすすつつつつつつつねた!すす
申し訳ございませんでしたm(__)m見ていた古いiPadが勝手に動いていました
@@友成経雄 好きーーーー!!
スーツ大学/suit university今回の講義内容「碓氷峠の鉄道史〜なぜJR線最勾配は生まれたのか〜」
横軽をキンカンとリモコンで説明する人は初めてなので感動しました。
感動のポイントが謎ぉ
横川駅にて釜飯のおぎのやさんの売り子さんたちがホームにずらりと並び見送られた後、窓を全開にしたE169系急行列車で碓氷峠を超えた世代です。窓から見えた重連の電気機関車の眺めは壮大でした。空気が徐々に涼しくなっていくのを感じながら車内で食べる釜飯が碓氷峠超えの楽しみでした。列車旅の風情を、目と味覚と体で感じることのできた時代の話です
「あさま」(上野〜長野)・「白山」(上野〜長野〜金沢)・「そよかぜ」(臨時列車・上野〜中軽井沢)が、信越本線ではまだ文字通りの「特別」急行と言う存在で、急行「信州」(上野〜長野)・「妙高」(上野〜長野〜直江津)が主力優等列車だった頃ですね。屋代駅から長野電鉄に乗り入れて湯田中駅へ向かう急行「志賀」(上野〜湯田中)も有りましたね。
スーツさんのおかげで群馬県がPRされてるようで嬉しいです!
66.7‰は角度に直すと約4度です。そこでなぜそれだけでキツいかというと自重1トン当たりの馬力が昔は5から10馬力で少なく、摩擦係数が鉄どうし擦れるので低く、坂なので空転しやすいということがあり、スーツさんが仰る通り、特殊レールをつけている訳です
スーツさんのホワイトボード講座も分かりやすくて好きです!何かスーツさん疲れてるように見えるけど大丈夫かな❓今日、本が届きました✨
東海道経由が先に建設されることになった経緯ですが、東京と関西を結ぶ東西幹線を作る際、当初は中山道沿いの計画でした。そのため中山道にイギリスの鉄道技師たちを派遣して測量を行っていました。しかしその技師たちが中山道経由の線路敷設予定地の測量をする際、ほとんど仕事をせず酒を飲んで遊んでいたという逸話があります。その時戻ってきた彼らは碓氷峠など中山道沿いのルートでの鉄道建設は可能であるという適当な報告をしてしまいました。その後、かの井上勝が自ら碓氷峠を含む中山道沿いのルートを測量したところ、建設は至難の業であるということを確認し、そこで初めて東西幹線が東海道沿いに作られることに変更されたというエピソードがあるようです。
お雇い外国人が汚職とは、酷い話
@@ib4950 よくある話です。今でも世界中のODAが利権や汚職のタネになってるでしょ
碓氷峠系はとても大好きなので、今回の動画はご褒美ですね。今週もお疲れ様です。
碓氷峠の話は国土の大半が山に覆われている日本の鉄道の歴史と高い技術を物語っていて好きです!今も別の場所で急勾配を走る列車に心引かれます。
日本の交通史、近代以降の技術革新を語る上で欠かせない存在ですね
めっちゃ面白かった!こういうの今後もお願いします!
安定の横から出てくるスーツ
これ久しぶり
俺の機種だと上から出てきます。
@@血も涙も どういうこと?
@@血も涙も1年前に対してだけど重力バグってて草
スッと始まる感じ😊
尊敬するスーツさんから色々な事を学びたいです。スーツさんの解りやすい素晴らしいお話とっても嬉しいです。勉強大好きでーす!
鉄オタだからそれに付随することも勉強するんだよ。
この解説がスーツの真骨頂だよなぁ
いろんな動画見せていただいていつも思うのが、本当に喋りが上手ですね若いのに何十年講義やり続けた大学教授や学校の先生のような貫禄がある
ボードを使った解説、お久しぶりですね。図も説明も分かりやすいし面白い。鉄道を紐解くと歴史は切り離せない事も、地形が大きく影響する事も改めて理解できました。この動画を観て、またスーツさんの碓氷峠動画を観ると更に理解が深まりそうです。
わかりやすい説明ありがとうございます
長野新幹線が出来たのは、長野冬季オリンピックの輸送力をスムーズにする為って言う理由もありましたね、、、信越本線!高崎から先の主要駅構内の線路が剥がされてるのは本当に悲しいです。最後の189あさまが横川発車のホイッスルは今も忘れられません。
長野オリンピック開催決定までは高崎ー軽井沢間はフル規格、軽井沢ー長野・北陸方面はミニ新幹線の予定でしたね。
小学生の時、夏休みに長野県上田市の田舎に行くのに、上野からの各駅停車に乗って行きました。その列車は当時でも珍しい客車列車で、実際には時刻表では上野発高崎行き、高崎発長野行き、(もしかしたら直江津行きかも)となっていました。高崎まではEF58が牽引し、高崎で約1時間停車、機関車がEF62に切り替えられ、スーツ君の話にもあるように横川で客車後方にEF63、2両が連結され、カーブでは客車前方にEF62、後方にEF63が2両が車窓から見ることができ、なんとも壮観でした。
いつも分かりやすい解説をありがとうございます😉身体には気を付けて下さいね😆
長野新幹線が開通する前、特急あさまに乗って長野の祖母の所に帰省していた時が懐かしい。横川駅の立ち売りの峠の釜飯を買うのが恒例行事。当時は釜飯に入っている杏子が苦手で食べられなかった。改めて碓氷峠の過酷さを学べました。
どの映像も丁寧で、おばちゃんにも分かりやすく説明しています。大変良く勉強されています。
峠の釜飯が食べたくなってきた・・・
鬼滅の刃限定釜飯、高いけど旨そうなんだよね・・
3:14 47番の関宿はこの地域の宿場町でも特に栄えており、祇園祭で担がれる山鉾が極めて豪華と有名でした。このことから「出来うる最高級」を表す諺として「関の山」と言われたのですが、後年これが「所詮その程度」と皮肉として用いられ、後者の意味が近年においては定着しています。
新線建設の際には25‰ルートや50‰ルートへの変更案もあったようですが25‰の場合は大きく遠回りとなる為に建設費用が莫大になるだけでなく所要時間がアプト式時代よりも増えてしまうこと、当時の技術では50‰区間を建設しても補助機関車が必要な状態であった事からいずれも断念され、既存の区間に沿ったルートでトンネルを増設した66.7‰ルートで纏まってしまったようですね。115系がef63なしで横軽を走行試験を行ったデータを用いて補助機関車なしで横軽を走破できる「187系」という特急列車が設計された事もありましたが北陸新幹線の建設決定によって没となり、結局横軽を完全攻略出来る車両は現れずに終わってしまいましたね…
時間的余裕があまり無かったことも遠因となっている様ですね。
端的で、経過がわかりやすい解説、まさに「概要」、ありがとうございます✨なんか賢くなった気分です
素晴らしい講義。色んなことを知ることができました。スーツさん、ありがとうございました。
毎度思うのですが、文字中々お上手ですよねぇ。ホワイトボードって書きずらいだろうけど、図などもありとても丁寧で読みやすい。さらにスーツさんお得意の口での説明も大変丁寧で分かりやすいので、まるで授業や講義受けているみたい。内容も頭に入りやすいです。勉強になります!
勉強になります!
ワシが結婚する時。嫁を連れて実家に帰る。その時。EF63に牽かれた「あさま」で碓井を越えた。あれから30余年。懐かしい…。
6:30 鉄道敷設で最初に明治政府が中山道ルートを考えた理由として、戦争時、敵艦隊の砲撃を東海道ルートだと受けてしまうからということもあるらしいです。
東北本線(現・青い森鉄道)の八戸駅付近のルートが市街地から離れた内陸側を通っているのも、同様の理由です。
子供の頃に何度か親に連れられて軽井沢や長野、妙高高原に遊びに行った時に何度も利用して釜飯を食べた記憶が強いです。ジュースの缶が床をコロコロコロ・・と転がるくらいの傾斜でした。就職して仕事で長野に行くときにはもう長野新幹線になっていてちょっと寂しかった。
ドラマがあるんですね!!ありがとうございました🙋
久々のホワイトボード解説。本がやっと届いた。
16:23 勾配での車輪の空転を説明するのに、リモコンと「(塗り薬の)キンカン」の容器で説明するのが、なんともスーツさんらしいですね。
横軽越えてみたかったなぁ自分の身内からこの区間が現役の頃に乗った話を聞いてただただ羨ましいとしか言えない
碓氷第三橋梁(めがね橋)は観光で散歩コースに良いですね。
忘れた頃にやってくる、スーツ氏による鉄道オンライン授業
19:21 ~ 21:23 本題の結論要は運行時間の短縮と建設費を安く抑えるためということですよね
碓氷峠越えの技術的な解説が、すごくわかりやすかったです。私は、以前鉄道車両の技術系の専門家だったのですが、キンカンとリモコンで粘着力の説明をするとは、思いつきませんでした。学生の頃、青春18きっぷで旅したときに、115系電車で軽井沢から横川までEF63のサポートで下ったことを思い出しました。あの車窓は、今でも思い出せます。いつか、横川と軽井沢をシャトルするだけの電車でいいから、走らないかな。。。と思いました。次の動画も楽しみにしています!
日本列島の書き方が素敵😂
講義配信が地味だけれど好きです。これから不定期でも宜しくお願いします。
久しぶりじゃんスーツくん!
久々やなこの解説系の動画
スーツさんの開設動画久し振りだ!
碓氷峠は鉄道唱歌以外に信濃の国の6番で歌われていたり唱歌もみじで作者の高野辰之が熊の平の紅葉を見て作詞するなど結構名曲が作られてるんですよね!
ちょうど今頃は横軽の紅葉が綺麗そうですね観光鉄道として復活する構想もあるみたいで今後も期待ですね。
EF62と63の三重連懐かしいね、181系とEF63の組み合わせも好きだったな。
最後にEF63をつけて横軽を通ったのは高崎発普通軽井沢行きの返却回送をした185系でしたね。
1997年9月30日の夜の事ですね。あれから、23年も経ったのですね。廃止直前のヨコカル沿線には、カメラを携えた鉄道ファンが群がり、廃止前夜には、横川・軽井沢両駅や信越本線のヨコカル沿線に、マスコミ関係者や鉄道ファンが大挙していたのが思い起こされます。
つい最近、車で碓氷峠を通ることがあり、なぜこんなところに電車を通したのか疑問でしたが、ちょいちょい出てくる字幕や画像、スーツ氏の説明もあってよくよくわかりました。 納得です。
横軽の現役時代を知らないはずのスーツさんの素晴らしい解説ありがとうございます!新幹線やリニアとは全く違った意味で日本の鉄道技術の結晶だった信越本園碓氷峠がいつまでも語り継がれますように
横川から眼鏡橋まで旧線路の跡地が遊歩道として整備され歩けるようになっています。紅葉の季節にいかがでしょう?横川(鉄道文化村)かその先の峠の湯に車をおいてのんびり散策、おすすめです。
昨日アプトの道を歩いてきました。当時、子供の頃の夏休みに特急あさまや白山に乗っていましたので感慨深かったです。江戸時代から遡ってのお話、面白く拝聴しました。
鉄道史に残る伝説の横軽をこの様にやさしく説明して頂き、ありがたく思っております。横軽に限らず、鉄道沿線の歴史は深く、面白く興味深いものばかりですね。江戸時代の名残だった事には驚きです。EF63×2を繋いで制限速度もかなり低く設定されていた横軽を、峠の釜飯を食べながら体験してみたかったのですが、私が生まれる前に開通した長野新幹線(北陸新幹線)によって廃止されてしまったのが何とも惜しいです。現在は安全で速いバス輸送がメインですが、鉄道でしか味わえない独特の旅愁も欲しいと思っております。
昔の技術ってすげぇーな今の技術も凄いけど
昔の技術は確かに凄いんですよね。鉄道に限らず。
鉄道史だけど,歴史の先生にも見て欲しい✨😭✨日本の近代化の第一歩でもありますね‼️
スーツさんの動画は鉄道を中心にして、歴史や経済や地理や物理や文化などたくさんのことが一緒に学べてお得だと思います。
貴重なお話ありがとうございます
何気にホワイトボード使うの久々じゃね?
しかしめっちゃアップですね
国鉄の格調高い由緒正しき"本線"の歴史は本当に面白い。しかし現状に目を向ければ悲しいものがある。信越本線は分断され、奥羽本線もミニ新幹線のための改軌により細切れの運用だし、根室本線も狩勝峠のあたりが廃線されかけてる。かつての鹿児島本線である肥薩線も復旧できるのかわからない。一昔前にタイムスリップしたいと思うのは鉄道ファンの性だなと思う
長野市に住んでいますが、アプト式、協調運転、新幹線すべてに乗りましたが、今回の説明はとても面白く楽しく拝見しました。鉄道マニアではありませんが、先人たちの苦労・努力が旧碓氷峠の国道を通るとよくわかります。
碓氷峠を地理の私立受験問題で出されたからスーツさんの動画見た受験生絶対得する
うちの母のいとこのお父さんが国鉄の職員で、そのいとこのお父さんが働いていたのが横川の駅だったそうです。夏休みは親戚価格で列車に乗って遊びに行ったとか。母の話ではスイッチバックがあったとのことです。
なんか今回の講座はジーンと感動してしまった
上越線開業以前は新潟までの最速ルートだったとかそういう話かと思ったら江戸時代から話が始まった
かなり難しいというか不可能かと思われますが、また碓氷峠に特急が走ったらと考えるとロマンがありますね!
189系、489系、169系以外の形式が横軽を通過するには横軽対策の改造(座屈防止のために空気バネをパンクさせる機構など)と編成の組み直し(重いM車を横川側に纏めて置く)が必要だった。アプト時代にはディーゼル特急も走っていたけどラックレールに床下の機器が当たらないようにやっぱり特定の形式しか使えなかった。
碓氷峠鉄道文化むらにEF63とキレイになった189を見に行きたいなぁ後は廃線ウォークもしたいいつか復活しないかな
本邦鉄道史の重要な局面。数年毎でも繰り返し特集して頂きたい。
ちょくちょく自身の過去動画のステマになってるし何より夏以前に撮られたであろう、スーツ氏の容姿の違和感と左上の日付。w
群馬県安中市、富岡市、長野県軽井沢市が計画して碓氷峠の廃線をレールバイク活用構想があるようです。上毛新聞で記事になっていました。
軽井沢町
長野県北佐久郡軽井沢町ですね。
@@510caffn8 そうでした
@@カメイドイチロー 間違いましたね
やっぱり解説動画より実際に旅行している動画が見たいですね。肥薩おれんじ鉄道の動画、楽しみにしています!これからも頑張ってください!
とても面白かったです ありがとうございました
中山道と東海道の江戸時代の庶民的視点から解説されているのが面白い。そんな違いがあったとは知らなかった
地元です(^^)ありがとうございます。
私自身、碓氷峠は信越本線の特急あさま、急行能登で乗りました。中でも能登は489系とまだ14系客車時代寝台で二回程乗りました。やはり、碓氷峠の横川駅でのEF63重連が連結、解結がやはり迫力があり駅での峠の釜めしを買ってあさまの車内で食べたのは良い思い出です。出来る事なら碓氷峠を復活させて欲しい。無理だろうけど。
素晴らしい動画だと思います。小中学の教材になって欲しい。お疲れの様子だとお見受け致しましたけれども、これからも後世の子供達の為にも無理をせずに、動画upをどうぞ宜しくお願い致します🙇♂️
スーツさんがイケメン過ぎて講義内容が頭に入ってきません😆8回目で ようやく理解し始めています(笑)
今鉄オタ選手権でスーツさんみてる〜
なるほどはるか昔115系で越えた碓氷峠は押されてただけだったんですね。●189 ●169 115 で碓氷峠越えがきんちょの頃の懐かしい記憶です。
いわば「死んだ電車」としての115系を押していた訳ですね。
当時、軽井沢駅→横川駅の間に、特急あさまなどの電車は、エアシャスペンションの空気を抜くんですよね。その間は6、7分かな、横川駅の名物釜飯とお茶🍵を買うにが、お約束でした。特急の、サスペンションを抜くと、ゴトゴトするのは、ハッキリ分かりました。横川駅🚉でサスペンションを入れると、普通の柔らかい乗り優しいのは本当に分かりました。その後終点上野駅に行くのが楽しみ旅行になりましたね!
岡谷、諏訪地域の生糸は中央本線ができるまでは和田峠を越えて大屋(国鉄初の請願駅(生糸を運ぶのに作らせた))から鉄道で横浜まで運ばれていました。
Twitterとかやってないから、どこに書いたら良いか分からないので。鉄オタ見ましたわー💕テレビで見るスーツ君新鮮❣️
0:25の「↑高崎・安中榛名方面」は違うような…(表記的に北に見えてしまいました)北陸新幹線のルート的に北から来るように見えて、実は高崎駅は東側(横川駅の右側)にあります。安中榛名駅は本当に謎な場所にあり、よくわからない迂回をしているのです。
北陸新幹線の高崎〜安中榛名〜軽井沢の碓氷峠区間は、信越本線(高崎〜横川〜軽井沢)のちょうど北側を通るルートになっています。北陸新幹線の碓氷峠区間は、最大勾配を30‰(それまでの新幹線の最大勾配は15‰でした)に抑える為に、信越本線のルートよりは勾配がなだらかな北側へ迂回しているのです。なので、北陸新幹線の安中榛名駅は、信越本線の安中駅や磯部駅の北方に位置しています。
高崎で「上州の朝がゆ」を買い、信越本線で横川、更に軽井沢までバスで行ったことがあります。新幹線なら早いけど、節約も兼ねてこのようにしてみました。
鉄道から読み解く歴史シリーズ好きですwww
僕の住んでいる群馬なのでありがたいです 文化村は何回も行きましたww
学校で鉄道の講義を受けている私は今鉄道の専門家目指しております、お腹が、空いてきたした、峠の釜飯食べたいよ、詳しい講義ありがとうスーツさん、
これより音に聴き至る 碓氷峠のアプト式歯車つけて降り登る 仕掛けは他に類いなし
歴史的にも詳しいですね。明治政府も大変だったと思います。欧米列強をモデルケースに富国強兵が急務だった。しかし、鉄道を敷く余裕は無い。当時の政府重鎮は薩長が中心であり、彼らの故郷を鑑みれば、鉄道ではなく船の方が都合が良いから、鉄道には無関心だったそうですしね。そんな中で英国政府に借款を認めさせ、鉄道敷設を進言した、ハリー・パークスは偉大でしたね。
鉄オタ選手権面白かったです。地下鉄も詳しいのですね。動画と関係なくてすみません。
EF63の画像が出てきた時に連結してる特急が489系の白山色で嬉しくなった
和宮の江戸入りも中山道だったかな。江戸時代日光例幣使の行路も碓氷峠経由だったし何となく中山道の方が格式は高かったかもね。但し将軍家に限っては神君縁故の三河駿府を経由する東海道は別格だろうしその意識で整備された道でもあったろうから。明治初年度でも中山道と東海道の選択肢は五分五分だったかも。
今は汽車でGO 快速SL碓氷号 でしかできない。横川-軽井沢間は6.03kmしか収録されておらず結構省略されている上に車体で前があまり見えない。
久しぶり、右から登場のスーツ氏…何だか睡眠不足のようにも見えますが・・。
当時絹糸を作っていた方々は安い賃金で根気のいる大変な労働を強いられていたのだろうと想像します本題と関係ないコメントですみません
官営のところはそこまで悪くはなかったようですが、他の民営のところなどは本当にひどい労働環境だったとか………
そうだったんですね... 民営はいつの時代も無茶をする人々がいますね...
@@心一ヤマタケ 本当にそうですね……
あぁ野麦峠の世界ですね
@@KT-vm3wk 富岡製糸工場(官営)の記録映画っぽい「紅い襷」では女工さんは教育も施され、誇りをもって仕事をしていた様子が描かれていました。
眼鏡橋ですね!この前行きました!
スーツさんが仰るように、江戸時代の東海道は大井川には橋をかけられず、力持ちの男がおんぶをして向こう岸へ渡していました。梅雨の時など長雨が続き、大井川が増水すると、数日間は向こう岸へ渡れず、大井川の手前の宿場町で何日も待たされ、宿代ばかりがかさみ、予想外の出費で支払いが大変だったから、少し道は険しいが、大きな川が少ない中山道を越えて京都や江戸に行った人も多かったと創造できます。
信越本線が、東海道本線並に重視された背景には、明治初頭において、新潟が人口最大県だったことがあると思われます。
あっ、車輪はキンカンだったんだ😁さすがに、歴史から詳しいね、解りやすい☺️高崎住なので、興味深かったですよ🐱
電動自転車での東海道、そして中山道と繋がってますね。これ見たうえで改めて東海道、中山道の旅を見るとさらなる発見があります。
そう。愛知から群馬行くのって意外と近いんよ。まさに中山道のルートで行ったよ。
自分用 個人的な見解でテーマ別に分けました。
0:00 オープニング
1:42 中山道、東海道の歴史
5:34 鉄道を引くのはどこにするか?というおはなし
12:36 碓氷峠の完成、重要性と苦労(15:49 スーツ氏の歌唱、「信濃の國」)
16:12 勾配での課題と克服(ラック式の採用)
18:35 横川ー軽井沢間の電化
19:20 最急勾配66.7‰について
23:20 機関車の改良
25:06 他路線の開業(上越本線、中央本線)
27:04 複線化とEF63の登場
30:32 横軽対応の車両たちとその他の形式との違いについて
34:54 横軽区間廃止へ
36:11 エンディング(廃止後~現在について)
ありがたい
Kanchan 06311110 すすすすつつつつつつつねた!すす
申し訳ございませんでしたm(__)m見ていた古いiPadが勝手に動いていました
@@友成経雄 好きーーーー!!
スーツ大学/suit university
今回の講義内容
「碓氷峠の鉄道史
〜なぜJR線最勾配は生まれたのか〜」
横軽をキンカンとリモコンで説明する人は初めてなので感動しました。
感動のポイントが謎ぉ
横川駅にて釜飯のおぎのやさんの売り子さんたちがホームにずらりと並び
見送られた後、窓を全開にしたE169系急行列車で碓氷峠を超えた世代です。
窓から見えた重連の電気機関車の眺めは壮大でした。空気が徐々に涼しく
なっていくのを感じながら車内で食べる釜飯が碓氷峠超えの楽しみでした。
列車旅の風情を、目と味覚と体で感じることのできた時代の話です
「あさま」(上野〜長野)・「白山」(上野〜長野〜金沢)・「そよかぜ」(臨時列車・上野〜中軽井沢)が、信越本線ではまだ文字通りの「特別」急行と言う存在で、急行「信州」(上野〜長野)・「妙高」(上野〜長野〜直江津)が主力優等列車だった頃ですね。屋代駅から長野電鉄に乗り入れて湯田中駅へ向かう急行「志賀」(上野〜湯田中)も有りましたね。
スーツさんのおかげで群馬県がPRされてるようで嬉しいです!
66.7‰は角度に直すと約4度です。
そこでなぜそれだけでキツいかというと自重1トン当たりの馬力が昔は5から10馬力で少なく、摩擦係数が鉄どうし擦れるので低く、坂なので空転しやすいということがあり、スーツさんが仰る通り、特殊レールをつけている訳です
スーツさんのホワイトボード講座も分かりやすくて好きです!
何かスーツさん疲れてるように見えるけど大丈夫かな❓
今日、本が届きました✨
東海道経由が先に建設されることになった経緯ですが、東京と関西を結ぶ東西幹線を作る際、当初は中山道沿いの計画でした。そのため中山道にイギリスの鉄道技師たちを派遣して測量を行っていました。しかしその技師たちが中山道経由の線路敷設予定地の測量をする際、ほとんど仕事をせず酒を飲んで遊んでいたという逸話があります。その時戻ってきた彼らは碓氷峠など中山道沿いのルートでの鉄道建設は可能であるという適当な報告をしてしまいました。その後、かの井上勝が自ら碓氷峠を含む中山道沿いのルートを測量したところ、建設は至難の業であるということを確認し、そこで初めて東西幹線が東海道沿いに作られることに変更されたというエピソードがあるようです。
お雇い外国人が汚職とは、酷い話
@@ib4950 よくある話です。今でも世界中のODAが利権や汚職のタネになってるでしょ
碓氷峠系はとても大好きなので、今回の動画はご褒美ですね。
今週もお疲れ様です。
碓氷峠の話は国土の大半が山に覆われている日本の鉄道の歴史と高い技術を物語っていて好きです!今も別の場所で急勾配を走る列車に心引かれます。
日本の交通史、近代以降の技術革新を語る上で欠かせない存在ですね
めっちゃ面白かった!
こういうの今後もお願いします!
安定の横から出てくるスーツ
これ久しぶり
俺の機種だと上から出てきます。
@@血も涙も どういうこと?
@@血も涙も1年前に対してだけど
重力バグってて草
スッと始まる感じ😊
尊敬するスーツさんから色々な事を学びたいです。スーツさんの解りやすい素晴らしいお話とっても嬉しいです。勉強大好きでーす!
鉄オタだからそれに付随することも勉強するんだよ。
この解説がスーツの真骨頂だよなぁ
いろんな動画見せていただいていつも思うのが、本当に喋りが上手ですね
若いのに何十年講義やり続けた大学教授や学校の先生のような貫禄がある
ボードを使った解説、お久しぶりですね。図も説明も分かりやすいし面白い。鉄道を紐解くと歴史は切り離せない事も、地形が大きく影響する事も改めて理解できました。
この動画を観て、またスーツさんの碓氷峠動画を観ると更に理解が深まりそうです。
わかりやすい説明ありがとうございます
長野新幹線が出来たのは、長野冬季オリンピックの輸送力をスムーズにする為って言う理由もありましたね、、、
信越本線!
高崎から先の主要駅構内の線路が剥がされてるのは
本当に悲しいです。
最後の189あさまが横川発車のホイッスルは今も忘れられません。
長野オリンピック開催決定までは高崎ー軽井沢間はフル規格、軽井沢ー長野・北陸方面はミニ新幹線の予定でしたね。
小学生の時、夏休みに長野県上田市の田舎に行くのに、上野からの各駅停車に乗って行きました。その列車は当時でも珍しい客車列車で、実際には時刻表では上野発高崎行き、高崎発長野行き、(もしかしたら直江津行きかも)となっていました。高崎まではEF58が牽引し、高崎で約1時間停車、機関車がEF62に切り替えられ、スーツ君の話にもあるように横川で客車後方にEF63、2両が連結され、カーブでは客車前方にEF62、後方にEF63が2両が車窓から見ることができ、なんとも壮観でした。
いつも分かりやすい解説をありがとうございます😉身体には気を付けて下さいね😆
長野新幹線が開通する前、特急あさまに乗って長野の祖母の所に帰省していた時が懐かしい。横川駅の立ち売りの峠の釜飯を買うのが恒例行事。当時は釜飯に入っている杏子が苦手で食べられなかった。
改めて碓氷峠の過酷さを学べました。
どの映像も丁寧で、おばちゃんにも分かりやすく説明しています。大変良く勉強されています。
峠の釜飯が食べたくなってきた・・・
鬼滅の刃限定釜飯、高いけど旨そうなんだよね・・
3:14 47番の関宿はこの地域の宿場町でも特に栄えており、祇園祭で担がれる山鉾が極めて豪華と有名でした。
このことから「出来うる最高級」を表す諺として「関の山」と言われたのですが、後年これが「所詮その程度」と皮肉として用いられ、後者の意味が近年においては定着しています。
新線建設の際には25‰ルートや50‰ルートへの変更案もあったようですが25‰の場合は大きく遠回りとなる為に建設費用が莫大になるだけでなく所要時間がアプト式時代よりも増えてしまうこと、当時の技術では50‰区間を建設しても補助機関車が必要な状態であった事からいずれも断念され、既存の区間に沿ったルートでトンネルを増設した66.7‰ルートで纏まってしまったようですね。115系がef63なしで横軽を走行試験を行ったデータを用いて補助機関車なしで横軽を走破できる「187系」という特急列車が設計された事もありましたが北陸新幹線の建設決定によって没となり、結局横軽を完全攻略出来る車両は現れずに終わってしまいましたね…
時間的余裕があまり無かったことも遠因となっている様ですね。
端的で、経過がわかりやすい解説、まさに「概要」、ありがとうございます✨なんか賢くなった気分です
素晴らしい講義。色んなことを知ることができました。スーツさん、ありがとうございました。
毎度思うのですが、文字中々お上手ですよねぇ。
ホワイトボードって書きずらいだろうけど、図などもありとても丁寧で読みやすい。
さらにスーツさんお得意の口での説明も大変丁寧で分かりやすいので、まるで授業や講義受けているみたい。
内容も頭に入りやすいです。
勉強になります!
勉強になります!
ワシが結婚する時。
嫁を連れて実家に帰る。
その時。EF63に牽かれた「あさま」で碓井を越えた。
あれから30余年。
懐かしい…。
6:30 鉄道敷設で最初に明治政府が中山道ルートを考えた理由として、戦争時、敵艦隊の砲撃を東海道ルートだと受けてしまうからということもあるらしいです。
東北本線(現・青い森鉄道)の八戸駅付近のルートが市街地から離れた内陸側を通っているのも、同様の理由です。
子供の頃に何度か親に連れられて軽井沢や長野、妙高高原に遊びに行った時に何度も利用して釜飯を食べた記憶が強いです。ジュースの缶が床をコロコロコロ・・と転がるくらいの傾斜でした。就職して仕事で長野に行くときにはもう長野新幹線になっていてちょっと寂しかった。
ドラマがあるんですね!!ありがとうございました🙋
久々のホワイトボード解説。本がやっと届いた。
16:23 勾配での車輪の空転を説明するのに、リモコンと「(塗り薬の)キンカン」の容器で説明するのが、なんともスーツさんらしいですね。
横軽越えてみたかったなぁ
自分の身内からこの区間が現役の頃に乗った話を聞いてただただ羨ましいとしか言えない
碓氷第三橋梁(めがね橋)は観光で散歩コースに良いですね。
忘れた頃にやってくる、スーツ氏による鉄道オンライン授業
19:21 ~ 21:23 本題の結論
要は運行時間の短縮と建設費を安く抑えるためということですよね
碓氷峠越えの技術的な解説が、すごくわかりやすかったです。
私は、以前鉄道車両の技術系の専門家だったのですが、キンカンとリモコンで粘着力の説明をするとは、思いつきませんでした。
学生の頃、青春18きっぷで旅したときに、115系電車で軽井沢から横川までEF63のサポートで下ったことを思い出しました。
あの車窓は、今でも思い出せます。
いつか、横川と軽井沢をシャトルするだけの電車でいいから、走らないかな。。。と思いました。
次の動画も楽しみにしています!
日本列島の書き方が素敵😂
講義配信が地味だけれど好きです。
これから不定期でも宜しくお願いします。
久しぶりじゃんスーツくん!
久々やなこの解説系の動画
スーツさんの開設動画久し振りだ!
碓氷峠は鉄道唱歌以外に信濃の国の6番で歌われていたり唱歌もみじで作者の高野辰之が熊の平の紅葉を見て作詞するなど結構名曲が作られてるんですよね!
ちょうど今頃は横軽の紅葉が綺麗そうですね
観光鉄道として復活する構想もあるみたいで今後も期待ですね。
EF62と63の三重連懐かしいね、181系とEF63の組み合わせも好きだったな。
最後にEF63をつけて横軽を通ったのは高崎発普通軽井沢行きの返却回送をした185系でしたね。
1997年9月30日の夜の事ですね。あれから、23年も経ったのですね。廃止直前のヨコカル沿線には、カメラを携えた鉄道ファンが群がり、廃止前夜には、横川・軽井沢両駅や信越本線のヨコカル沿線に、マスコミ関係者や鉄道ファンが大挙していたのが思い起こされます。
つい最近、車で碓氷峠を通ることがあり、なぜこんなところに電車を通したのか疑問でしたが、ちょいちょい出てくる字幕や画像、スーツ氏の説明もあってよくよくわかりました。 納得です。
横軽の現役時代を知らないはずのスーツさんの素晴らしい解説ありがとうございます!新幹線やリニアとは全く違った意味で日本の鉄道技術の結晶だった信越本園碓氷峠がいつまでも語り継がれますように
横川から眼鏡橋まで旧線路の跡地が遊歩道として整備され歩けるようになっています。
紅葉の季節にいかがでしょう?
横川(鉄道文化村)かその先の峠の湯に車をおいてのんびり散策、おすすめです。
昨日アプトの道を歩いてきました。当時、子供の頃の夏休みに特急あさまや白山に乗っていましたので感慨深かったです。江戸時代から遡ってのお話、面白く拝聴しました。
鉄道史に残る伝説の横軽をこの様にやさしく説明して頂き、ありがたく思っております。横軽に限らず、鉄道沿線の歴史は深く、面白く興味深いものばかりですね。江戸時代の名残だった事には驚きです。
EF63×2を繋いで制限速度もかなり低く設定されていた横軽を、峠の釜飯を食べながら体験してみたかったのですが、私が生まれる前に開通した長野新幹線(北陸新幹線)によって廃止されてしまったのが何とも惜しいです。
現在は安全で速いバス輸送がメインですが、鉄道でしか味わえない独特の旅愁も欲しいと思っております。
昔の技術ってすげぇーな
今の技術も凄いけど
昔の技術は確かに凄いんですよね。鉄道に限らず。
鉄道史だけど,歴史の先生にも見て欲しい✨😭✨日本の近代化の第一歩でもありますね‼️
スーツさんの動画は鉄道を中心にして、歴史や経済や地理や物理や文化などたくさんのことが一緒に学べてお得だと思います。
貴重なお話ありがとうございます
何気にホワイトボード使うの久々じゃね?
しかしめっちゃアップですね
国鉄の格調高い由緒正しき"本線"の歴史は本当に面白い。しかし現状に目を向ければ悲しいものがある。信越本線は分断され、奥羽本線もミニ新幹線のための改軌により細切れの運用だし、根室本線も狩勝峠のあたりが廃線されかけてる。かつての鹿児島本線である肥薩線も復旧できるのかわからない。一昔前にタイムスリップしたいと思うのは鉄道ファンの性だなと思う
長野市に住んでいますが、アプト式、協調運転、新幹線すべてに乗りましたが、今回の説明はとても面白く楽しく拝見しました。鉄道マニアではありませんが、先人たちの苦労・努力が旧碓氷峠の国道を通るとよくわかります。
碓氷峠を地理の私立受験問題で出されたからスーツさんの動画見た受験生絶対得する
うちの母のいとこのお父さんが国鉄の職員で、そのいとこのお父さんが働いていたのが横川の駅だったそうです。夏休みは親戚価格で列車に乗って遊びに行ったとか。母の話ではスイッチバックがあったとのことです。
なんか今回の講座はジーンと感動してしまった
上越線開業以前は新潟までの最速ルートだったとかそういう話かと思ったら江戸時代から話が始まった
かなり難しいというか不可能かと思われますが、また碓氷峠に特急が走ったらと考えるとロマンがありますね!
189系、489系、169系以外の形式が横軽を通過するには横軽対策の改造(座屈防止のために空気バネをパンクさせる機構など)と編成の組み直し(重いM車を横川側に纏めて置く)が必要だった。
アプト時代にはディーゼル特急も走っていたけどラックレールに床下の機器が当たらないようにやっぱり特定の形式しか使えなかった。
碓氷峠鉄道文化むらにEF63とキレイになった189を見に行きたいなぁ
後は廃線ウォークもしたい
いつか復活しないかな
本邦鉄道史の重要な局面。
数年毎でも繰り返し特集して頂きたい。
ちょくちょく自身の過去動画のステマになってるし
何より夏以前に撮られたであろう、スーツ氏の容姿の違和感と
左上の日付。w
群馬県安中市、富岡市、長野県軽井沢市が計画して碓氷峠の廃線をレールバイク活用構想があるようです。上毛新聞で記事になっていました。
軽井沢町
長野県北佐久郡軽井沢町ですね。
@@510caffn8 そうでした
@@カメイドイチロー 間違いましたね
やっぱり解説動画より実際に旅行している動画が見たいですね。肥薩おれんじ鉄道の動画、楽しみにしています!これからも頑張ってください!
とても面白かったです ありがとうございました
中山道と東海道の江戸時代の庶民的視点から解説されているのが面白い。そんな違いがあったとは知らなかった
地元です(^^)ありがとうございます。
私自身、碓氷峠は信越本線の特急あさま、急行能登で乗りました。中でも能登は489系とまだ14系客車時代寝台で二回程乗りました。
やはり、碓氷峠の横川駅でのEF63重連が連結、解結がやはり迫力があり駅での峠の釜めしを買ってあさまの車内で食べたのは良い思い出です。
出来る事なら碓氷峠を復活させて欲しい。無理だろうけど。
素晴らしい動画だと思います。
小中学の教材になって欲しい。
お疲れの様子だとお見受け致しましたけれども、これからも後世の子供達の為にも無理をせずに、動画upをどうぞ宜しくお願い致します🙇♂️
スーツさんがイケメン過ぎて講義内容が頭に入ってきません😆8回目で ようやく理解し始めています(笑)
今鉄オタ選手権でスーツさんみてる〜
なるほどはるか昔115系で越えた碓氷峠は押されてただけだったんですね。
●189 ●169 115 で碓氷峠越えがきんちょの頃の懐かしい記憶です。
いわば「死んだ電車」としての115系を押していた訳ですね。
当時、軽井沢駅→横川駅の間に、特急あさまなどの電車は、エアシャスペンションの空気を抜くんですよね。その間は6、7分かな、横川駅の名物釜飯とお茶🍵を買うにが、お約束でした。
特急の、サスペンションを抜くと、ゴトゴトするのは、ハッキリ分かりました。
横川駅🚉でサスペンションを入れると、普通の柔らかい乗り優しいのは本当に分かりました。その後終点上野駅に行くのが楽しみ旅行になりましたね!
岡谷、諏訪地域の生糸は中央本線ができるまでは和田峠を越えて大屋(国鉄初の請願駅(生糸を運ぶのに作らせた))から鉄道で横浜まで運ばれていました。
Twitterとかやってないから、どこに書いたら良いか分からないので。
鉄オタ見ましたわー💕
テレビで見るスーツ君新鮮❣️
0:25の「↑高崎・安中榛名方面」は違うような…(表記的に北に見えてしまいました)
北陸新幹線のルート的に北から来るように見えて、実は高崎駅は東側(横川駅の右側)にあります。安中榛名駅は本当に謎な場所にあり、よくわからない迂回をしているのです。
北陸新幹線の高崎〜安中榛名〜軽井沢の碓氷峠区間は、信越本線(高崎〜横川〜軽井沢)のちょうど北側を通るルートになっています。北陸新幹線の碓氷峠区間は、最大勾配を30‰(それまでの新幹線の最大勾配は15‰でした)に抑える為に、信越本線のルートよりは勾配がなだらかな北側へ迂回しているのです。なので、北陸新幹線の安中榛名駅は、信越本線の安中駅や磯部駅の北方に位置しています。
高崎で「上州の朝がゆ」を買い、信越本線で横川、更に軽井沢までバスで行ったことがあります。新幹線なら早いけど、節約も兼ねてこのようにしてみました。
鉄道から読み解く歴史シリーズ好きですwww
僕の住んでいる群馬なのでありがたいです 文化村は何回も行きましたww
学校で鉄道の講義を受けている私は今鉄道の専門家目指しております、お腹が、空いてきたした、峠の釜飯食べたいよ、詳しい講義ありがとうスーツさん、
これより音に聴き至る 碓氷峠のアプト式
歯車つけて降り登る 仕掛けは他に類いなし
歴史的にも詳しいですね。
明治政府も大変だったと思います。欧米列強をモデルケースに富国強兵が急務だった。
しかし、鉄道を敷く余裕は無い。当時の政府重鎮は薩長が中心であり、彼らの故郷を鑑みれば、鉄道ではなく船の方が都合が良いから、鉄道には無関心だったそうですしね。
そんな中で英国政府に借款を認めさせ、鉄道敷設を進言した、ハリー・パークスは偉大でしたね。
鉄オタ選手権面白かったです。地下鉄も詳しいのですね。
動画と関係なくてすみません。
EF63の画像が出てきた時に
連結してる特急が489系の白山色で嬉しくなった
和宮の江戸入りも中山道だったかな。江戸時代日光例幣使の行路も碓氷峠経由だったし何となく中山道の方が格式は高かったかもね。但し将軍家に限っては神君縁故の三河駿府を経由する東海道は別格だろうしその意識で整備された道でもあったろうから。明治初年度でも中山道と東海道の選択肢は五分五分だったかも。
今は汽車でGO 快速SL碓氷号 でしかできない。
横川-軽井沢間は6.03kmしか収録されておらず結構省略されている上に車体で前があまり見えない。
久しぶり、右から登場のスーツ氏…何だか睡眠不足のようにも見えますが・・。
当時絹糸を作っていた方々は安い賃金で根気のいる大変な労働を強いられていたのだろうと想像します
本題と関係ないコメントですみません
官営のところはそこまで悪くはなかったようですが、他の民営のところなどは本当にひどい労働環境だったとか………
そうだったんですね...
民営はいつの時代も無茶をする人々がいますね...
@@心一ヤマタケ 本当にそうですね……
あぁ野麦峠の世界ですね
@@KT-vm3wk 富岡製糸工場(官営)の記録映画っぽい「紅い襷」では女工さんは教育も施され、誇りをもって仕事をしていた様子が描かれていました。
眼鏡橋ですね!
この前行きました!
スーツさんが仰るように、江戸時代の東海道は大井川には橋をかけられず、力持ちの男がおんぶをして向こう岸へ渡していました。
梅雨の時など長雨が続き、大井川が増水すると、数日間は向こう岸へ渡れず、大井川の手前の宿場町で何日も待たされ、宿代ばかりがかさみ、予想外の出費で支払いが大変だったから、少し道は険しいが、大きな川が少ない中山道を越えて京都や江戸に行った人も多かったと創造できます。
信越本線が、東海道本線並に重視された背景には、明治初頭において、新潟が人口最大県だったことがあると思われます。
あっ、車輪はキンカンだったんだ😁
さすがに、歴史から詳しいね、解りやすい☺️高崎住なので、興味深かったですよ🐱
電動自転車での東海道、そして中山道と繋がってますね。これ見たうえで改めて東海道、中山道の旅を見るとさらなる発見があります。
そう。愛知から群馬行くのって意外と近いんよ。
まさに中山道のルートで行ったよ。