Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
悦子さんのお母様に茶道を習ってましたとても上品でお綺麗な方でしたよく娘さんのお話をされてました当時まだ亡くなってから10年もたってなかったと思います。お母様はとても長寿で最後まで凛とされてました。
もういちど、映画化して欲しいです。切に願います。あの時代の高野悦子さんに会いたい。
コメントありがとうございます。こんな学生さん、今、存在するのでしょうか。?
ちょうど二十歳の頃、夢中になって読みました。悲しい結末でしたが…。56歳の今でも未熟な私です…
「未熟であること独りであることそれが私の二十歳の原点」本にあったのか、映画予告のキャッチコピーだったのか、書庫の何処かにあるのですが、見つかりません。
60代私もまだまだ未熟です。
冒頭の古本屋のシーン。向こう側で本をみてるの、私です。太秦のエキストラを手配するおばあさんに電話して指示された現場がこれでした。劇場で上映された時は観ることができず初見です😅
すごいですね!その当時の映像を今見ることが出来たなんて😆
このときは現代劇だったので衣装ではなく自前でした。@@asa01053
すごい\(^-^)/
いいなぁ
冒頭部分を思わず二度見してしまいました(笑)。立ち読みしていた本を棚に戻してから「他に何か無いかな」という感じで改めて書架を見渡して‥‥‥。お芝居が細かいですね。投稿者様が何心なく抜粋された冒頭部分に、このタイミングで貴方の姿が残っているなんて、他人事ながら運命を感じます。
高校生の頃に図書室で見つけて読みました。時代は違うのだけどすごく共感してしまい、二十歳の原点・序章・ノートと文庫本ですが自分で買ってバイブルのように持ち歩いていました。苦しい気持ちになると友達に話しかけるように本を開いていた憶えがあります。もう40年も前のことです…。映画化されていたんですね。懐かしいというよりやはり苦しい気持ちになるのですが、何十年ぶりに高野悦子さんに再会出来て、何とも言えない気持ちになりました。
沢山本がありますが、そういう一冊に出会えるって幸せですよね。
自分も同じ時期に京一会館で見ました! 一乗寺にあった映画館ですよね。私は立命館ではなく同志社の学生でしたが、多分投稿者様と同じ時に京一会館で見たと思います。懐かしいです。
高野悦子の、「二十歳の原点」を、高校生のとき読んで政治に、関心をもつようになりました
コメントありがとうございます。銭湯に京一会館のチラシがあったことを覚えています。スーパー?の横の階段を上がって行った・・・と、記憶しています。
@@津波古美江 さん コメントありがとうございます。
@@chanponta5850 その通りで、スーパーの脇にあった細長い階段をあがったところにありました。5~6年位前に久しぶりに近くを通りかかったら、スーパーも京一会館も無くなっていました。確か4本立てくらいで上映していたと思います。
昭和49年の早春、新宿の映画館で観ました。大学1年の終わりでした。妙に気になり、その後紀伊国屋で本を買いました。ちょうど二十歳になった頃でした。「未熟であること、孤独であること、これが私の二十歳の原点」このフレーズで泣きました。今月70才になった私は5年早く大学に行ってればメット被ってドンパチしてました(その代表的な大学の1つでした)そして3年遅く入学してたら完全なノンポリ学生になってたでしょう。そんな中途半端な学生時代の正にバイブル。今でも私の本棚の片隅に置かれています。
僕は学校違うけど昭和44年入学でした。でもノンポリでした。機動隊の小隊長が投石で亡くなりました、同じ学校出身でした。僕が1969年入学ですから丁度高野さんが20歳の頃です、立命館大学試験受けましたが不合格でした。競争率50倍位でした、学費が安いのでね。同じ時代でしたんですね。
私ももう少し早く東京に行っていれば、そうですね5年くらいかな、ヘルメット、かぶったとずっと思っていました。
@@エリー-d3w 僕が1969年に地方大学に入学したときに機動隊の小隊長が投石で亡くなりました。その年の東大の入試が中止になりました、京都大学の合格最低点が爆上がりでした。同級生には当然活動家がいました、大阪の高校から来てた人がいましたけど、どうなったのやらね。地方大学でもほとんどが浪人生でした。
この時代に若者のバイブル的なものかななぜこんな時代にも悩まなくちゃいけないのかな
@@高杉啓一 未熟さ故なんですかね、単純に言えばバカなんですかね、認めたくないから、成熟したくないから永遠に未熟者なんですかね。命あって生き永らえればいいだけでしたのにね。
角ゆり子さん❤私のいちばん好きな映画です。ずっと見たくて・・😂抜粋でも有難いです。有難うございます😆何故、こんなに秀れた映画は滅多に見れないのでせうかと涙が溢れます。
コメントありがとうございます。
短大時代、本を読みました。2年前にまた読み返しました。映画のことは知らなかったです。
随分昔に見た、けっこう感動して3回くらい見たな池袋の文芸座だったような。最後は線路の上を走ってくるSLに向かって歩いて行くシーンでひかれる直前のSLのけたたましく鳴る警笛と顔のアップがあったように覚えてるな。
コメントありがとうございます。線路上を歩くラストシーンは他の方が投稿していますのであえて避けました。
あまりにも純粋で潔癖過ぎたから、まぁいっか!って出来なかったのかな完璧主義過ぎたのが痛々しくて悲しい
42年ほど前の18歳の頃、図書館でこの原作の本と出会い、読みました。今でも涙が出ます。当時私は心を病んでいました。この本はとても強烈でした。この動画を観ても涙が出てきます。今も泣きながらこのコメントを入力しています。私も辛かった。
私も近い年齢でこの本に出逢い....心を揺さぶられました。感慨深いです。
映画があったんですね。高野悦子さんが生きてたら75歳か。団塊の世代で戦争も経験してないし、年金もしっかりもらえて、日本人としては一番いい時代に生きた世代ですよね。
こんな映画があったんですね、知りませんでした。樺美智子、奥浩平、高野悦子らの「遺書」は僕も若かった頃夢中で読んでいました。「未熟な」若者が思い詰めるとまあこうなるよな、と今なら思えます。自分は死なずに済むくらいのいい加減な人間でよかった。
樺 美智子さんは、事故で亡くなられたんですね。 この3人の本は高校生当時読みました。樺 美智子さんの死は本当に辛かった。
懐かしいですね~。20代の頃何度も読みました。今60代ですけど、あの頃は面白い作品が沢山ありました。旅の重さは原作も映画も大好きです。一人称で書かれていると感情移入し易いのかな?久しぶりに二十歳の原点読んでみようかな
へー映画があったんですね。私は高校生の頃にその頃好きだった渡辺美里さんがラジオで紹介されていたので読みました。もう40年近くなりましたが、ここまで人って悩めるんだと思って逆に羨ましい気持ちになったことを記憶しています。
京一会館、懐かしいです。「二十歳の原点」は高校生の時に初めて読んで、今もずっと本棚にあります。でも映画化は知りませんでした。今の若い人たちが読んだらどんな感想を持つのでしょうね。
高校生の時、本を読み映画も観ました。もう一度観たいと思っていましたが残念ながらその機会はありませんでした。今回、抜粋ですが見ることができて良かったです。
大学一年生のとき、一乗寺の京一会館で観ました(1986年)。悦子さんの命日に特別にかかっていました。それから間もなく京一会館が閉館したので、幻の作品になってしまいました。アップ有難うございます。
京一会館懐かしいです。大阪に住む70過ぎのじいさんですが、土曜日の夜よく通いました。大映が斜陽の頃関根恵子や渥美マリほかの主演作5本立てを観ていました。そしてそのキャッチコピーが泣かせたんです。どなたが作られたか
「二十歳の原点ノート」が大好きです。まだ、那須の田舎町の中学生だった悦子さんの今読んでも褪せることのない感性のみずみずしさが溢れています。あの様な形で自らの人生を閉じるとは感じられない明るさとみずみずしさに溢れていいます。「二十歳の原点」は痛々しすぎて。
はい。私は二十歳の原点を最初に読んでいたのであまりのギャップに非常に驚いた記憶があります。私が読んだのが高2ぐらいで80年代中盤でした。もう40年近く経過しましたがまた三部作読んでみたいです。
懐かし♡高野悦子さんのこのシリーズ3まで高校時代読みました。大人の世界を少し覗き見した様な心境になった...
しあんくれーる探しに1991年正月に行った。見つからなかった訳だ。映画アップロード感謝しますm(__)m
コメントありがとうございます。私も行ったことはありません。(^^;)
@@chanponta5850 様🙇 こちらこそコメントありがとうございます。1991年に悦子さんの自宅にお伺いしご両親とお話させていただきました。素敵なご両親でした。
@@47931 様 ご両親にお会いなるほどの大変なファンの方でしたか。失礼致しました。
@@chanponta5850 様🙇 とんでもございません(^^)コミニケーションさせていただいて感謝です🥰
一回生の時、立命の衣笠の以学館第1ホールで、観た。大変なものを見せられたという記憶がある。高野悦子日記3部作全て買った。
「近頃の若い者は~」ってこのセリフはいつの時代も繰り返されるようだ
昭和57年頃、東京の江古田の映画館で観ました。それから42年経ちました。ほんとうに月日が経つのは早いものだ、と実感しております。
二十歳の原点半世紀前自分の聖書のようによく手にしていました。
二十歳の頃、夢中で三冊読みました。暗記するほど何度も何度も読みました。懐かしい!私が生まれた頃、映画になってたんだと今知り、観たくなりました。
生きていて欲しかったですね。
コメントありがとうございます。そうですね。
高校時代に20歳の原点に出合い、立命に入学しました。1979年でした。でも大学はもう平和でした。
あなたと同じころに私も『二十歳の原点』を読みました。(孤独であること、未熟であること、それが私の二十歳の原点である)作中のこの一節は永く忘れることはありません。ただ、映像と書物の相違を感じます。今も書棚には赤線をびっしりと引いた、『二十歳の原点』が、ひっそりとあります。 生きて欲しかったですね、
当時は、中学生か高校生だったと思います。背伸びして本を読みました。あさま山荘事件もテレビで見てました。大学生になり、ほとんど下火でしたが、学生運動にも一度だけ参加しました。そこでふと気づきました、機動隊の人達にもご両親がいて、ご家族もあるんだということを。
この映画は私の高校在学中、1973年4月から1976年3月の間、1学年か2学年かの学年末に卒業生を送る予餞会の一環で学校付近の映画館を貸切で鑑賞しました。鑑賞後たまたま教師の一人が立命館大学の卒業生で物語の同時期に立命館大学に在学中だったのでその時の状況をリアルタイムの如く語ってくれました。勿論二十の原点の書籍は購入して読み倒しました。余談主演の角ゆり子さんどうしているのかな? 一時休養してその後日活の成人映画に出演したまでは記憶に有りますが?
150以上ものコメントがついてて凄い❣️本は読みましたが、映画は見なかったので、アップしてくださってありがとうございます!❤映画、枚方公園駅前の映画館でやってたな〜映画館がいっぱいあった時代です。角ゆり子さんはすぐ辞められましたね。音楽、四人囃子なんですね‼️びっくり‼️
本も読んで映画もみたよ❗高校生の時に高野悦子さんの家に電話もしました。お母さんと話してね😢あまり商業主義にしないで下さいと涙ながらに話してね😢ほんま泣きながら❗悦子さん❗生きていたら70代かなぁ⁉️生きて欲しかったですよ😢
コメントありがとうございます。すごい経験ですね。
自分は今は無き登場するホテルに就職しました。就職した理由は伏せましたが、色々お話しを聞く事ができました。自分の中で納得出来たので、翌年退職しました。寮が府庁前だったので、しゃんくれーるも通い、烏丸の本屋にもよく行きました。今も想い出してしっかり心に残っています。
同級生の大人びた文学少女は、みんな一度は読んでいたみたい。私は背表紙を眺めるだけでした。
大学時代教授の一人に「君たちは20歳だからこの本を紹介する」と言われ読んだ次週「読んだか?」「このように生きては駄目な見本」と言われた理由として常に「自分自分自分」を逡巡しているたけで誰かの為に何かを遺そうという生産性や創造性が無いからという事だった
その教授の意見もわからないではないがなんか納得出来ない気もする
生産性や創造性と無縁であっても生きていれば人はそれで十分です。
@@seimihokawa それには同意するただ大学とはアカデミーであり本来"研究活動"が学生のしごと理系だった事や大学の立ち位置も関係したかもだが学生の能力を実社会で役に立つべく送り出そう、というのは教授の職務として間違っていない
@@user-fn1qn2nt9h 返信ありがとうございます。その教授は実社会で役に立ちそうにない生産性や創造性に乏しい人間は大学にいるべきではないとお考えだったのでしょうか。ちょっと嫌な質問かも知れないのでお返事くださらなくとも大丈夫です。今の大学、理系に興味がありまして。気分を害されたら申し訳ありません。
@@seimihokawa とんでもない 全然いいよ思想や哲学、芸術が大きく世界を動かし科学をも支配する様をたくさん見てきたまた人間は"人間性"こそが磨くべき最上位にあると信じているよ
大学一年の頃、読んで大きなショックを受けた。この年代特有の潔癖さ、人生や政治を考え過ぎること、幼い恋愛感情などなど、主人公のなくなり方が可哀想で堪らない。
二十歳の原点は若い人に読んでほしいな。
私の記憶が確かならば、映画「二十歳の原点」のレコードは四人囃子がメインでしたが、その中の1曲「夜」はコンフィデンス名義ながら、アルフィーの高見沢さんが作詞した曲じゃなかったか?まだプロになる前のアルフィーがコンフィデンスとして活動していた頃、映画会社からレコード製作のオファーがかかり、「四人囃子がメインだけど、君たちも(曲を)作って良いのがあれば採用するよ」という条件だった草。結果的には採用されなかったものの、前述の「夜」だけ、歌詞が採用されたという経緯。
若いころ「二十歳の原点」を読みました。なぜ死んだのか、分かりませんでした。今も、なぜ死んだのか分かりません。華厳の滝に「人生不可解成り」と言って死んだ人の方が、少しは分かりますが、、、、でも、あわてて死ななくても、どうせ死ぬんだから、私は、精いっぱい、死ぬまで生きたいです。
どうせ死ぬんだから、私は、精いっぱい、死ぬまで生きたいです。同じくです。いつもそう思って生きてきましたよ。生涯現役でいたいです。
何とも懐かしいような・・。でいて、何で死ぬ?と今になって腹立たしい気持ちも湧く、数年遅れて、あの時代を京都で過ごした私です。当時、今出川河原町から少し下がった所にあった立命館。向かえの通りだったかあったシアンクレールでこの本を読みました。流行ってましたから。今、この映画を見ると、やはり未熟の一言、残念です。ずいぶん時間が経ちましたが、改めてお悔やみ申し上げます。
東宝さんDVD化お願い致します
えっ!あの ハタチの原点でいう日記、映画化されていたんですか?高校生の時夢中で読みましたが、だんだんと暗い気持ちになったのを覚えています。
この話(本)の映画があるとは知らなかった。
自分もこの本は持っていました。当時は難しく途中で読むのをやめてしまいました。映像ありがとうございます。
ただの自己陶酔‥私は好きではなかったし、共感出来る所もなかった。もう40数年が経った。
13:45高野悦子1949~1969
この小説大好きでした。終わるのが惜しくてゆっくり読んでたな〜懐かしい。また、読みたくなりました!
今から四十年前 同僚から本を借りました。ご本人の写真もあり愛らしい方と思いました。外見と違い 激しい生き方に驚きました。トランプ暗殺未遂犯が20歳なんでつい高野悦子さんを思い浮かべました。ただ私は単純なのでなかなか理解できない話でもあります。
学生運動華やかなりしあの時代、奥浩平や高野悦子が出て来たのを私は後年貪る様に彼等彼女らの本を読み耽りました。何か共通する焦燥感と共に死に急いだ事に対する失望感が湧いて来ます。自分や世の中を見つめる意味で日記(又は手紙)をつける事で逆に自分を追い詰めた感が強く、周囲に仲間がいながらも孤独感が増していった…
私の場合、四人囃子⇒二十歳の原点(レコード)⇒二十歳の原点(原作)⇒京都の学生生活に憧れ⇒1981年(昭和56年)同志社大入学の流れでした! 京一会館♪行きました!行きました!オールナイト3本立て4本立て♪
コメントありがとうございます。私も同世代です。銭湯に京一会館のチラシが置いてありました。😂
なつかしいですね。 1980年頃、早稲田松竹あたりで観た記憶があります。
前半も少しお願いします。
コメントありがとうございます。ダビングしていたDVD-Rが劣化したのかラストシーンしか再生出来なくなったので、前半部分はないんです。
そうなんですか。これだけでもじゅうぶん面白かったです。わざわざご返答ありがとうございます。
この小説持ってました!タイトルだけで買いました。中身忘れましたよ。
サントラを四人囃子が担当されてますが、私のイメージはシュガーベイブの大貫妙子作 蜃気楼の街 が頭に流れて仕方なかった頃がありました あの空気感が二十歳の原点とシンクロしてました
音楽が凄まじいですな
京都の大学に通わせてもらい、一人暮らしさせて貰えるなんて、私には憧れでしかなかったから、自殺なんて勿体無いなあと思ってた。当時の私は、この人は親元を離れちゃいけないタイプの人だったのかなと思ってました。
スチール写真は橋山直己さんだったのですね。以前はお世話になりました。
黒いカバーでしたよね。持っているだけで青春でした。
ブルーです
@@ichiima8055 黒いカバーに、赤い花でした。
健全で素晴らしい時代だと思う、今はこの時代に若い頃を過ごした世代までもが洗脳されおかしくなってしまった気がする。
立命の二辰に憧れて入ったというのに。自己を失って。。。瞑目。
高校受験に落ちた後に姉が持っていた小説類のなかにあって読みました。
本、ボロボロになるまで読み、酒とタバコも飲み、大学時代を過ごし、今、71歳。悦子さんが生きてたら、今の世の中どう思うでしょうか?
なんだ?線路シーン抜くんじゃないよ😂
これはいつの上映されたのでしょうか?🤔
1973年に映画が作られていたんですね。知りませんでした。私は1977年の3月に大学受験を終えた帰路の本屋でこの単行本に出会いました。
ぼくが卒業した年です。
昔この本読みました。確か同社大学だったような、薬と酒で頭がグチャグチャに、なったのかな、男に捨てられたし。私はまだ、20歳になってなかったので、衝撃的な内容の本でした。映画になっていたんですね。知りませんでした。
同志社でなく立命館大学です広小路学舎があった頃ですよ
ぴょこぴょこと、歩く子。校舎の隣に在ったシャンクレ。(しあんくれーるとは言わなかった)「思案に暮れる」そんなダジャレでつけられた店名。旧統一教会の、大学での勧誘活動を見ていて思い出した。田舎から出て来た彼女を勧誘した、民青(民主青年同盟)共産党の青年部会。その勧誘に乗った彼女。部落研と云う、東日本の人達には見た事も聞いた事も殆ど無い事だったと思う。次第に飲み込まれて、授業にも余り出なくなる。その辺りから彼女の苦悩が始まった。生徒総会・新聞部襲撃(民青による)・学費値上げ等々の学園紛争が始まる。一度は、ワンゲルに入って普通の学生生活に戻りつつあったが、民青と対立する全共闘に傾倒する。53年経って、、、悲しいね。。
コメントありがとうございます。高野悦子さんと同世代の方でしょうか。その時代背景、高野さんの歩みがよく分かりました。m(_ _)m
@@chanponta5850 一乗寺の京一会館ですか?行った事は無いですが、あの道沿いに同級生が居ます。懐かしいな、、随分、京都には帰って無いですね。。四年前、高野さんを知っている人達と話をしました。
大学では生徒総会ではなく学生総会で、授業ではなく講義ですね。
私は良く分からないのです。こういう属性の人を、何故に世の人々は神格化するのかを。
少なくとも本を読まなければ、属性などわかりようがないでしょう。現代にそういう位置付けとなり得る本はありますか?もちろん、融合してる当時の時代背景を含めての作品価値ですから、単に本を読んだだけでは理解できないでしょうが。
文庫本持ってました。映画化されていたのですね。
高校時代、学校の図書館に学生で自殺した人の日記や遺族の手記みたいな本があったけど、自殺は美化できないって。
二十歳の原点を期に太宰を読みその他拡がって行きました。最近再び店頭に並ぶのを見ました。
20歳の時、好きな男子に聞いて紹介されて読んだ。くれーと思って。アノ当時は顔と手と足がばらばらにはさがってる写真が見れた。顔は安らかなんだけど、ばらばらになってて・・・zなにげに診断かってよーわからん。恋人もいて、わかれてみたいなかんじ?
私も大学に入学して直ぐの頃読みました。「 貴方が4年通って手にする卒業証書は大学にとっては単なる領収書でしかない」的な内容に衝撃を受けたこと、もう38年も昔の話ですが覚えています。その後、原点序章・原点ノートまで全て読みました。
【未熟であること、孤独であること、これが私の二十歳の原点】⬅️このフレーズは、この書籍の本文中に書かれているのでしょうか?いくら探しても見つかりません、又は映画のキャッチコビーとか映画の中の記述ですか?それとも本の帯とかですかね?知っている方がいらっしゃいましたら教えてください。もし、本文中ならどこに書かれているのか、映画中ならどの辺りなのか出来るだけ正確に教えて頂けると助かります。宜しくお願い致します。
新潮文庫版「二十歳の原点」13ページ、一月十五日の部分に書かれています。正確には「独りであること」「未熟であること」ですね。
chiku1478さん、ありがとうございます。実を言うと今現在その本を持っていなくて、こんな質問をしてしまいました。やっぱり本の中にこの記述があったんですね。【独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点】買って読みたいと思いました。因みに全共闘の学生運動が盛んだった当時(1960年代末)は自分は小学4年生ぐらいだったと思います。【将来大学に入ったら自分たちもゲバ棒持たなくちゃいけなくなるのかなぁ】って同級生と話したのを覚えています。小学生の自分から見てあの頃の大学生はものすごく大人に見えました。今にして思うとみんな純粋で真剣に生きていたんだなぁって思います。今更ですが、高野悦子さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
角ゆり子さん、凄い目ですね。
OMG I NEED TO SAMPLES THIS
映画化されたのは知りませんでした。ご遺族の許可があるとは思うのですが、私は映画でなく本でいいと思います。今、PLAN75で頭がいっぱいです。
今、アップしたばかりで、早速のコメントありがとうございます。映画になったのはもう50年前です。本がよかったから映画になったと思います。PLAN75は知りませんでした。(^^;;観てみたいと思います。
沖縄へ米軍基地反対闘争に行くジーンズ姿の老夫婦は革新市政の公務員の定年を二人一緒に迎えた老夫婦は、がっぽり退職金と年金貰ったんだろうな。若い時この本を読んだんだろうな。
生きてれば 75 ❓今の若い衆と正反対 の求道的 融通の効かなさ 責任感ありすぎがベースだが、原因はこの映画の最後半のように 失恋💔が全て 思想や学生運動は関係ない。 せめて立教大進学なら学風も違うし 今もご存命と思う。立命館も名門ですよ勿論。親元との距離が重要 公衆電話も料金が違う。
77歳か❓
@@清水健太郎-u2y 75歳です
姉が読んでいたかなまた読みたい知人はあまり好きではなかったみたい今読んだらどうかな映画は知らなかった観たいなあ
この映画、リアルタイムで見たが、主人公がタバコを吸うのが気に入らなかった。同時期の映画「十九歳の地図」の方が好感が持てた。👀👀👀
わぁ…中学生の時、本を読んだっけ。😢
全学連がブルジョア、機動隊員がプロレリタリアート以上結論
自筆ノートua-cam.com/video/tlrd75KcFDM/v-deo.htmlsi=f25yXEyfg4mZRkKj
昔日本映画専門チャンネルで視ました。いま主人公役の俳優さんのお顔をみるとしっくりこないですねーなんでかなと考えてたら、あの()浦瑠璃に似てるんやなあ。主人公の役柄と()浦の顔はぜんぜんフィットしない。
本に書いてあったが運転免許取得は難しい 二十歳に取得して欲しかった
こんなエエ環境で何で自殺したのだ
高野さん フォーエバー🎉
悦子さんまだ20歳なのに自殺してもったないです。
この時代、と今2024年、変わってますか⁉️。当時は身体精神を張った学生運動 vs今はネット世界、オタク無責任化。精神薬違法ドラッグは小学生中学生からはびこり。高野さんが実際にやられたレイプまがいな不同意性交、、確か高野さんの本、三部作でした、80年代大学生時代バブル期でしたが、読みました。今アラ60代ですが、思い出の作品です。
近代以降いつも同じですよ多分
あ、立命館でしたか?
角ゆり子さん日本沈没の渡老人の孫娘役
ファザコンが列車自殺したのよね。
この人キライだったなあ。何で神格化されてんのかわからない。だって自殺した人だよ?
団塊の世代はみんな同じか? 金の卵 中卒が良かった時代
本を読んだのは50年前、高校生のとき 結局、何もしなかった、できなかった。。
昭和時代はなんか貧乏臭ぇ~
大学時代、読んだけど、さっぱりわからなかった。 唯、めんどくさい女だな、と思っただけ。面倒くさいからモテなく、ゆえに時の潮流に酔って命を散らした20歳の女って感想だった。シアンクレール(思案に暮れる)って喫茶店の名前だけ、妙に覚えている。
悦子さんのお母様に茶道を習ってました
とても上品でお綺麗な方でした
よく娘さんのお話をされてました
当時まだ亡くなってから10年もたってなかったと思います。お母様はとても長寿で最後まで凛とされてました。
もういちど、映画化して欲しいです。切に願います。あの時代の高野悦子さんに会いたい。
コメントありがとうございます。こんな学生さん、今、存在するのでしょうか。?
ちょうど二十歳の頃、夢中になって読みました。悲しい結末でしたが…。56歳の今でも未熟な私です…
「未熟であること
独りであること
それが私の二十歳の原点」
本にあったのか、映画予告のキャッチコピーだったのか、書庫の何処かにあるのですが、見つかりません。
60代私もまだまだ未熟です。
冒頭の古本屋のシーン。向こう側で本をみてるの、私です。太秦のエキストラを手配するおばあさんに電話して指示された現場がこれでした。劇場で上映された時は観ることができず初見です😅
すごいですね!その当時の映像を今見ることが出来たなんて😆
このときは現代劇だったので衣装ではなく自前でした。@@asa01053
すごい\(^-^)/
いいなぁ
冒頭部分を思わず二度見してしまいました(笑)。立ち読みしていた本を棚に戻してから「他に何か無いかな」という感じで改めて書架を見渡して‥‥‥。お芝居が細かいですね。投稿者様が何心なく抜粋された冒頭部分に、このタイミングで貴方の姿が残っているなんて、他人事ながら運命を感じます。
高校生の頃に図書室で見つけて読みました。時代は違うのだけどすごく共感してしまい、二十歳の原点・序章・ノートと文庫本ですが自分で買ってバイブルのように持ち歩いていました。苦しい気持ちになると友達に話しかけるように本を開いていた憶えがあります。
もう40年も前のことです…。
映画化されていたんですね。
懐かしいというよりやはり苦しい気持ちになるのですが、何十年ぶりに高野悦子さんに再会出来て、何とも言えない気持ちになりました。
沢山本がありますが、そういう一冊に出会えるって幸せですよね。
自分も同じ時期に京一会館で見ました! 一乗寺にあった映画館ですよね。私は立命館ではなく同志社の
学生でしたが、多分投稿者様と同じ時に京一会館で見たと思います。懐かしいです。
高野悦子の、「二十歳の原点」を、高校生のとき読んで
政治に、関心をもつようになりました
コメントありがとうございます。銭湯に京一会館のチラシがあったことを覚えています。スーパー?の横の階段を上がって行った・・・と、記憶しています。
@@津波古美江 さん コメントありがとうございます。
@@chanponta5850 その通りで、スーパーの脇にあった細長い階段をあがったところにありました。5~6年位前に久しぶりに近くを通りかかったら、スーパーも京一会館も無くなっていました。確か4本立てくらいで上映していたと思います。
昭和49年の早春、新宿の映画館で観ました。大学1年の終わりでした。妙に気になり、その後紀伊国屋で本を買いました。ちょうど二十歳になった頃でした。「未熟であること、孤独であること、これが私の二十歳の原点」このフレーズで泣きました。今月70才になった私は5年早く大学に行ってればメット被ってドンパチしてました(その代表的な大学の1つでした)そして3年遅く入学してたら完全なノンポリ学生になってたでしょう。そんな中途半端な学生時代の正にバイブル。今でも私の本棚の片隅に置かれています。
僕は学校違うけど昭和44年入学でした。でもノンポリでした。機動隊の小隊長が投石で亡くなりました、同じ学校出身でした。
僕が1969年入学ですから丁度高野さんが20歳の頃です、立命館大学試験受けましたが不合格でした。競争率50倍位でした、学費が安いのでね。
同じ時代でしたんですね。
私ももう少し早く東京に行っていれば、そうですね5年くらいかな、ヘルメット、かぶったとずっと思っていました。
@@エリー-d3w 僕が1969年に地方大学に入学したときに機動隊の小隊長が投石で亡くなりました。その年の東大の入試が中止になりました、京都大学の合格最低点が爆上がりでした。同級生には当然活動家がいました、大阪の高校から来てた人がいましたけど、どうなったのやらね。地方大学でもほとんどが浪人生でした。
この時代に若者のバイブル的なものかななぜこんな時代にも悩まなくちゃいけないのかな
@@高杉啓一 未熟さ故なんですかね、単純に言えばバカなんですかね、認めたくないから、成熟したくないから永遠に未熟者なんですかね。命あって生き永らえればいいだけでしたのにね。
角ゆり子さん❤
私のいちばん好きな映画です。
ずっと見たくて・・😂
抜粋でも有難いです。
有難うございます😆
何故、こんなに秀れた映画は
滅多に見れないのでせうか
と涙が溢れます。
コメントありがとうございます。
短大時代、本を読みました。2年前にまた読み返しました。
映画のことは知らなかったです。
随分昔に見た、けっこう感動して3回くらい見たな池袋の文芸座だったような。最後は線路の上を走ってくるSLに向かって歩いて行くシーンでひかれる直前のSLのけたたましく鳴る警笛と顔のアップがあったように覚えてるな。
コメントありがとうございます。線路上を歩くラストシーンは他の方が投稿していますのであえて避けました。
あまりにも純粋で潔癖過ぎたから、まぁいっか!って出来なかったのかな
完璧主義過ぎたのが痛々しくて悲しい
コメントありがとうございます。
42年ほど前の18歳の頃、図書館でこの原作の本と出会い、読みました。今でも涙が出ます。当時私は心を病んでいました。この本はとても強烈でした。この動画を観ても涙が出てきます。今も泣きながらこのコメントを入力しています。私も辛かった。
私も近い年齢でこの本に出逢い....心を揺さぶられました。感慨深いです。
映画があったんですね。高野悦子さんが生きてたら75歳か。団塊の世代で戦争も経験してないし、年金もしっかりもらえて、日本人としては一番いい時代に生きた世代ですよね。
こんな映画があったんですね、知りませんでした。樺美智子、奥浩平、高野悦子らの「遺書」は僕も若かった頃夢中で読んでいました。「未熟な」若者が思い詰めるとまあこうなるよな、と今なら思えます。自分は死なずに済むくらいのいい加減な人間でよかった。
樺 美智子さんは、事故で亡くなられたんですね。 この3人の本は高校生当時読みました。樺 美智子さんの死は本当に辛かった。
懐かしいですね~。20代の頃何度も読みました。今60代ですけど、あの頃は面白い作品が沢山ありました。旅の重さは原作も映画も大好きです。一人称で書かれていると感情移入し易いのかな?久しぶりに二十歳の原点読んでみようかな
へー映画があったんですね。私は高校生の頃にその頃好きだった渡辺美里さんがラジオで紹介されていたので読みました。もう40年近くなりましたが、ここまで人って悩めるんだと思って逆に羨ましい気持ちになったことを記憶しています。
京一会館、懐かしいです。「二十歳の原点」は高校生の時に初めて読んで、今もずっと本棚にあります。でも映画化は知りませんでした。今の若い人たちが読んだらどんな感想を持つのでしょうね。
高校生の時、本を読み映画も観ました。もう一度観たいと思っていましたが残念ながらその機会はありませんでした。
今回、抜粋ですが見ることができて良かったです。
大学一年生のとき、一乗寺の京一会館で観ました(1986年)。悦子さんの命日に特別にかかっていました。それから間もなく京一会館が閉館したので、幻の作品になってしまいました。アップ有難うございます。
京一会館懐かしいです。大阪に住む70過ぎのじいさんですが、土曜日の夜よく通いました。大映が斜陽の頃関根恵子や渥美マリほかの主演作5本立てを観ていました。そしてそのキャッチコピーが泣かせたんです。どなたが作られたか
「二十歳の原点ノート」が大好きです。まだ、那須の田舎町の中学生だった悦子さんの今読んでも褪せることのない感性のみずみずしさが溢れています。あの様な形で自らの人生を閉じるとは感じられない明るさとみずみずしさに溢れていいます。「二十歳の原点」は痛々しすぎて。
はい。私は二十歳の原点を最初に読んでいたのであまりのギャップに非常に驚いた記憶があります。私が読んだのが高2ぐらいで80年代中盤でした。もう40年近く経過しましたがまた三部作読んでみたいです。
懐かし♡
高野悦子さんのこのシリーズ3まで高校時代読みました。
大人の世界を少し覗き見した様な心境になった...
しあんくれーる探しに1991年正月に行った。見つからなかった訳だ。映画アップロード感謝しますm(__)m
コメントありがとうございます。私も行ったことはありません。(^^;)
@@chanponta5850 様🙇 こちらこそコメントありがとうございます。1991年に悦子さんの自宅にお伺いしご両親とお話させていただきました。素敵なご両親でした。
@@47931 様 ご両親にお会いなるほどの大変なファンの方でしたか。失礼致しました。
@@chanponta5850 様🙇 とんでもございません(^^)コミニケーションさせていただいて感謝です🥰
一回生の時、立命の衣笠の以学館第1ホールで、観た。大変なものを見せられたという記憶がある。高野悦子日記3部作全て買った。
「近頃の若い者は~」ってこのセリフはいつの時代も繰り返されるようだ
昭和57年頃、東京の江古田の映画館で観ました。それから42年経ちました。
ほんとうに月日が経つのは早いものだ、と実感しております。
二十歳の原点半世紀前自分の聖書のようによく手にしていました。
二十歳の頃、夢中で三冊読みました。暗記するほど何度も何度も読みました。懐かしい!
私が生まれた頃、映画になってたんだと今知り、観たくなりました。
生きていて欲しかったですね。
コメントありがとうございます。そうですね。
高校時代に20歳の原点に出合い、立命に入学しました。1979年でした。でも大学はもう平和でした。
あなたと同じころに私も『二十歳の原点』を読みました。
(孤独であること、未熟であること、それが私の二十歳の原点である)
作中のこの一節は永く忘れることはありません。
ただ、映像と書物の相違を感じます。
今も書棚には赤線をびっしりと引いた、『二十歳の原点』が、ひっそりとあります。
生きて欲しかったですね、
当時は、中学生か高校生だったと思います。背伸びして本を読みました。あさま山荘事件もテレビで見てました。大学生になり、ほとんど下火でしたが、学生運動にも一度だけ参加しました。そこでふと気づきました、機動隊の人達にもご両親がいて、ご家族もあるんだということを。
この映画は私の高校在学中、1973年4月から1976年3月の間、1学年か2学年かの学年末に卒業生を送る予餞会の一環で学校付近の映画館を貸切で鑑賞しました。鑑賞後たまたま教師の一人が立命館大学の卒業生で物語の同時期に立命館大学に在学中だったのでその時の状況をリアルタイムの如く語ってくれました。勿論二十の原点の書籍は購入して読み倒しました。余談主演の角ゆり子さんどうしているのかな? 一時休養してその後日活の成人映画に出演したまでは記憶に有りますが?
150以上ものコメントがついてて凄い❣️
本は読みましたが、映画は見なかったので、アップしてくださってありがとうございます!❤
映画、枚方公園駅前の映画館でやってたな〜映画館がいっぱいあった時代です。
角ゆり子さんはすぐ辞められましたね。
音楽、四人囃子なんですね‼️びっくり‼️
本も読んで映画もみたよ❗高校生の時に高野悦子さんの家に電話もしました。お母さんと話してね😢あまり商業主義にしないで下さいと涙ながらに話してね😢ほんま泣きながら❗悦子さん❗生きていたら70代かなぁ⁉️生きて欲しかったですよ😢
コメントありがとうございます。すごい経験ですね。
自分は今は無き登場するホテルに就職しました。
就職した理由は伏せましたが、色々お話しを聞く事ができました。
自分の中で納得出来たので、翌年退職しました。
寮が府庁前だったので、しゃんくれーるも通い、烏丸の本屋にもよく行きました。
今も想い出してしっかり心に残っています。
同級生の大人びた文学少女は、みんな一度は読んでいたみたい。私は背表紙を眺めるだけでした。
大学時代教授の一人に
「君たちは20歳だからこの本を
紹介する」と言われ読んだ
次週「読んだか?」
「このように生きては駄目な見本」
と言われた
理由として常に「自分自分自分」を
逡巡しているたけで
誰かの為に何かを遺そうという生産性
や創造性が無いからという事だった
その教授の意見もわからないではないがなんか納得出来ない気もする
生産性や創造性と無縁であっても生きていれば人はそれで十分です。
@@seimihokawa
それには同意する
ただ大学とはアカデミーであり
本来"研究活動"が学生のしごと
理系だった事や
大学の立ち位置も関係したかもだが
学生の能力を実社会で役に立つべく
送り出そう、というのは
教授の職務として間違っていない
@@user-fn1qn2nt9h
返信ありがとうございます。
その教授は実社会で役に立ちそうにない生産性や創造性に乏しい人間は大学にいるべきではないとお考えだったのでしょうか。
ちょっと嫌な質問かも知れないのでお返事くださらなくとも大丈夫です。
今の大学、理系に興味がありまして。気分を害されたら申し訳ありません。
@@seimihokawa
とんでもない
全然いいよ
思想や哲学、芸術が大きく世界を動かし
科学をも支配する様をたくさん見てきた
また人間は"人間性"こそが
磨くべき最上位にあると信じているよ
大学一年の頃、読んで大きなショックを受けた。この年代特有の潔癖さ、人生や政治を考え過ぎること、幼い恋愛感情などなど、主人公のなくなり方が可哀想で堪らない。
二十歳の原点は若い人に読んでほしいな。
私の記憶が確かならば、映画「二十歳の原点」のレコードは四人囃子がメイン
でしたが、その中の1曲「夜」はコンフィデンス名義ながら、アルフィーの
高見沢さんが作詞した曲じゃなかったか?
まだプロになる前のアルフィーがコンフィデンスとして活動していた頃、映画
会社からレコード製作のオファーがかかり、「四人囃子がメインだけど、君たちも
(曲を)作って良いのがあれば採用するよ」という条件だった草。
結果的には採用されなかったものの、前述の「夜」だけ、歌詞が採用されたという経緯。
若いころ「二十歳の原点」を読みました。
なぜ死んだのか、分かりませんでした。
今も、なぜ死んだのか分かりません。
華厳の滝に「人生不可解成り」と言って死んだ人の方が、少しは分かりますが、、、、
でも、あわてて死ななくても、どうせ死ぬんだから、私は、精いっぱい、死ぬまで生きたいです。
どうせ死ぬんだから、私は、精いっぱい、死ぬまで生きたいです。同じくです。
いつもそう思って生きてきましたよ。生涯現役でいたいです。
何とも懐かしいような・・。でいて、何で死ぬ?と今になって腹立たしい気持ちも湧く、数年遅れて、あの時代を京都で過ごした私です。当時、今出川河原町から少し下がった所にあった立命館。向かえの通りだったかあったシアンクレールでこの本を読みました。流行ってましたから。
今、この映画を見ると、やはり未熟の一言、残念です。
ずいぶん時間が経ちましたが、改めてお悔やみ申し上げます。
東宝さんDVD化
お願い致します
えっ!あの ハタチの原点でいう日記、映画化されていたんですか?高校生の時夢中で読みましたが、だんだんと暗い気持ちになったのを覚えています。
この話(本)の映画があるとは知らなかった。
自分もこの本は持っていました。当時は難しく途中で読むのをやめてしまいました。映像ありがとうございます。
ただの自己陶酔‥私は好きではなかったし、共感出来る所もなかった。
もう40数年が経った。
13:45高野悦子1949~1969
この小説大好きでした。
終わるのが惜しくてゆっくり読んでたな〜
懐かしい。
また、読みたくなりました!
今から四十年前 同僚から本を借りました。ご本人の写真もあり愛らしい方と思いました。外見と違い 激しい生き方に驚きました。トランプ暗殺未遂犯が20歳なんでつい高野悦子さんを思い浮かべました。ただ私は単純なのでなかなか理解できない話でもあります。
学生運動華やかなりしあの時代、奥浩平や高野悦子が出て来たのを私は後年貪る様に彼等彼女らの本を読み耽りました。何か共通する焦燥感と共に死に急いだ事に対する失望感が湧いて来ます。自分や世の中を見つめる意味で日記(又は手紙)をつける事で逆に自分を追い詰めた感が強く、周囲に仲間がいながらも孤独感が増していった…
私の場合、四人囃子⇒二十歳の原点(レコード)⇒二十歳の原点(原作)⇒京都の学生生活に憧れ⇒1981年(昭和56年)同志社大入学の流れでした! 京一会館♪行きました!行きました!オールナイト3本立て4本立て♪
コメントありがとうございます。私も同世代です。銭湯に京一会館のチラシが置いてありました。😂
なつかしいですね。 1980年頃、早稲田松竹あたりで観た記憶があります。
前半も少しお願いします。
コメントありがとうございます。ダビングしていたDVD-Rが劣化したのかラストシーンしか再生出来なくなったので、前半部分はないんです。
そうなんですか。これだけでもじゅうぶん面白かったです。わざわざご返答ありがとうございます。
この小説持ってました!タイトルだけで買いました。中身忘れましたよ。
サントラを四人囃子が担当されてますが、私のイメージはシュガーベイブの大貫妙子作 蜃気楼の街 が頭に流れて仕方なかった頃がありました あの空気感が二十歳の原点とシンクロしてました
音楽が凄まじいですな
京都の大学に通わせてもらい、一人暮らしさせて貰えるなんて、私には憧れでしかなかったから、自殺なんて勿体無いなあと思ってた。当時の私は、この人は親元を離れちゃいけないタイプの人だったのかなと思ってました。
スチール写真は橋山直己さんだったのですね。以前はお世話になりました。
黒いカバーでしたよね。持っているだけで青春でした。
ブルーです
@@ichiima8055 黒いカバーに、赤い花でした。
健全で素晴らしい時代だと思う、
今はこの時代に若い頃を過ごした世代までもが
洗脳されおかしくなってしまった気がする。
立命の二辰に憧れて入ったというのに。
自己を失って。。。
瞑目。
コメントありがとうございます。
高校受験に落ちた後に姉が持っていた小説類のなかにあって読みました。
本、ボロボロになるまで読み、酒とタバコも飲み、大学時代を過ごし、今、71歳。
悦子さんが生きてたら、今の世の中どう思うでしょうか?
なんだ?線路シーン抜くんじゃないよ😂
これはいつの上映されたのでしょうか?🤔
1973年に映画が作られていたんですね。知りませんでした。
私は1977年の3月に大学受験を終えた帰路の本屋でこの単行本に出会いました。
ぼくが卒業した年です。
昔この本読みました。確か同社大学だったような、薬と酒で頭がグチャグチャに、なったのかな、男に捨てられたし。私はまだ、20歳になってなかったので、衝撃的な内容の本でした。映画になっていたんですね。知りませんでした。
同志社でなく立命館大学です
広小路学舎があった頃ですよ
ぴょこぴょこと、歩く子。
校舎の隣に在ったシャンクレ。(しあんくれーるとは言わなかった)
「思案に暮れる」そんなダジャレでつけられた店名。
旧統一教会の、大学での勧誘活動を見ていて
思い出した。
田舎から出て来た彼女を勧誘した、民青
(民主青年同盟)共産党の青年部会。
その勧誘に乗った彼女。
部落研と云う、東日本の人達には見た事も
聞いた事も殆ど無い事だったと思う。
次第に飲み込まれて、授業にも余り出なくなる。
その辺りから彼女の苦悩が始まった。
生徒総会・新聞部襲撃(民青による)・学費値上げ等々の学園紛争が始まる。
一度は、ワンゲルに入って普通の学生生活に
戻りつつあったが、民青と対立する全共闘に
傾倒する。
53年経って、、、悲しいね。。
コメントありがとうございます。高野悦子さんと同世代の方でしょうか。その時代背景、高野さんの歩みがよく分かりました。m(_ _)m
@@chanponta5850 一乗寺の京一会館ですか?行った事は無いですが、
あの道沿いに同級生が居ます。懐かしいな、、随分、京都には帰って無いですね。。四年前、高野さんを知っている人達と話をしました。
大学では生徒総会ではなく学生総会で、授業ではなく講義ですね。
私は良く分からないのです。こういう属性の人を、何故に世の人々は神格化するのかを。
少なくとも本を読まなければ、属性などわかりようがないでしょう。
現代にそういう位置付けとなり得る本はありますか?
もちろん、融合してる当時の時代背景を含めての作品価値ですから、
単に本を読んだだけでは理解できないでしょうが。
文庫本持ってました。
映画化されていたのですね。
高校時代、学校の図書館に学生で自殺した人の日記や遺族の手記みたいな本があったけど、自殺は美化できないって。
二十歳の原点を期に太宰を読みその他拡がって行きました。
最近再び店頭に並ぶのを見ました。
20歳の時、好きな男子に聞いて紹介されて読んだ。くれーと思って。アノ当時は顔と手と足がばらばらにはさがってる写真が見れた。顔は安らかなんだけど、ばらばらになってて・・・zなにげに診断かってよーわからん。恋人もいて、わかれてみたいなかんじ?
私も大学に入学して直ぐの頃読みました。
「 貴方が4年通って手にする卒業証書は大学にとっては単なる領収書でしかない」的な内容に衝撃を受けたこと、もう38年も昔の話ですが覚えています。
その後、原点序章・原点ノートまで全て読みました。
【未熟であること、孤独であること、これが私の二十歳の原点】⬅️このフレーズは、この書籍の本文中に書かれているのでしょうか?いくら探しても見つかりません、又は映画のキャッチコビーとか映画の中の記述ですか?それとも本の帯とかですかね?知っている方がいらっしゃいましたら教えてください。もし、本文中ならどこに書かれているのか、映画中ならどの辺りなのか出来るだけ正確に教えて頂けると助かります。宜しくお願い致します。
新潮文庫版「二十歳の原点」13ページ、一月十五日の部分に書かれています。正確には「独りであること」「未熟であること」ですね。
chiku1478さん、ありがとうございます。実を言うと今現在その本を持っていなくて、こんな質問をしてしまいました。やっぱり本の中にこの記述があったんですね。【独りであること、未熟であること、これが私の二十歳の原点】買って読みたいと思いました。因みに全共闘の学生運動が盛んだった当時(1960年代末)は自分は小学4年生ぐらいだったと思います。【将来大学に入ったら自分たちもゲバ棒持たなくちゃいけなくなるのかなぁ】って同級生と話したのを覚えています。小学生の自分から見てあの頃の大学生はものすごく大人に見えました。今にして思うとみんな純粋で真剣に生きていたんだなぁって思います。今更ですが、高野悦子さんのご冥福を心からお祈り申し上げます。
角ゆり子さん、凄い目ですね。
OMG I NEED TO SAMPLES THIS
映画化されたのは知りませんでした。ご遺族の許可があるとは
思うのですが、私は映画でなく本でいいと思います。今、PLAN75
で頭がいっぱいです。
今、アップしたばかりで、早速のコメントありがとうございます。映画になったのはもう50年前です。本がよかったから映画になったと思います。PLAN75は知りませんでした。(^^;;観てみたいと思います。
沖縄へ米軍基地反対闘争に行くジーンズ姿の老夫婦は革新市政の公務員の定年を二人一緒に迎えた老夫婦は、がっぽり退職金と年金貰ったんだろうな。若い時この本を読んだんだろうな。
生きてれば 75 ❓今の若い衆と正反対 の求道的 融通の効かなさ 責任感ありすぎがベース
だが、原因はこの映画の最後半のように 失恋💔が全て 思想や学生運動は関係ない。 せめて立教大進学なら
学風も違うし 今もご存命と思う。立命館も名門ですよ勿論。親元との距離が重要 公衆電話も料金が違う。
77歳か❓
@@清水健太郎-u2y 75歳です
姉が読んでいたかな
また読みたい
知人はあまり好きではなかったみたい
今読んだらどうかな
映画は知らなかった
観たいなあ
この映画、リアルタイムで見たが、主人公がタバコを吸うのが気に入らなかった。同時期の映画「十九歳の地図」の方が好感が持てた。👀👀👀
わぁ…中学生の時、本を読んだっけ。😢
全学連がブルジョア、機動隊員がプロレリタリアート
以上結論
自筆ノート
ua-cam.com/video/tlrd75KcFDM/v-deo.htmlsi=f25yXEyfg4mZRkKj
昔日本映画専門チャンネルで視ました。いま主人公役の俳優さんのお顔をみるとしっくりこないですねーなんでかなと考えてたら、あの()浦瑠璃に似てるんやなあ。主人公の役柄と()浦の顔はぜんぜんフィットしない。
本に書いてあったが運転免許取得は難しい 二十歳に取得して欲しかった
こんなエエ環境で何で自殺したのだ
高野さん フォーエバー🎉
悦子さんまだ20歳なのに自殺してもったないです。
この時代、と今2024年、変わってますか⁉️。当時は身体精神を張った学生運動 vs今はネット世界、オタク無責任化。精神薬違法ドラッグは小学生中学生からはびこり。高野さんが実際にやられたレイプまがいな不同意性交、、確か高野さんの本、三部作でした、80年代大学生時代バブル期でしたが、読みました。今アラ60代ですが、思い出の作品です。
近代以降いつも同じですよ多分
あ、立命館でしたか?
角ゆり子さん
日本沈没の渡老人の孫娘役
ファザコンが列車自殺したのよね。
この人キライだったなあ。
何で神格化されてんのかわからない。
だって自殺した人だよ?
団塊の世代はみんな同じか? 金の卵 中卒が良かった時代
本を読んだのは50年前、高校生のとき
結局、何もしなかった、できなかった。。
コメントありがとうございます。
昭和時代はなんか貧乏臭ぇ~
大学時代、読んだけど、さっぱり
わからなかった。 唯、めんどくさい女だな、と思っただけ。
面倒くさいからモテなく、ゆえに
時の潮流に酔って命を散らした20歳の女って感想だった。
シアンクレール(思案に暮れる)って
喫茶店の名前だけ、妙に覚えている。