「二の丸残照」を後世に 毛利秀就公誕生地 宇部市小野

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  • Опубліковано 16 жов 2024
  • 山口に残る『二の丸伝説』
    姫山から見える場所では、私のような不幸な女は生まれませんように…
    そう言い残してなくなったという二の丸様、
    その人生は壮絶で、耐え忍ぶ日々。
    それでも、3人の子に恵まれ
    長男秀就公は、宇部の小野でひっそりと出産し、
    のちの初代萩城主となる。
    10歳と幼い二の丸様(周姫かねひめ)を見初めたのは
    広島のお殿様、毛利輝元だった
    周姫は成長し、徳山で結婚生活を送っていたが
    夫を輝元に殺されてしまい
    広島城へと連れてゆかれるが
    (この時から二の丸様となる)
    正室南の方の嫉妬、いじめにあい
    身ごもった二の丸様は
    財満家にかくまわれて、宇部市小野で暮らすようになる
    『生まれてくる子が男なら殺せ』という輝元公にそむき
    財満は秀就公を二の丸様とともに隠し育てる
    この歴史上、なきものとされた史実を
    長年の調査であばき世にしらしめたのが
    宇部市小野の平山先生(元校長先生)です。
    それは、400年もの長い時間を経て
    まるで、世に明るみにしてほしいという二の丸様の
    信念のように、導かれ
    次々とゆかりある人々と出会い、証拠がでてきて
    史実としてあらわれてきたといいます。
    そのうえ、徳山市の改名 『周南市』
    南の方にしいたげられた二の丸(周姫)が
    まるで立場をひっくり返したように
    周(姫)南(の方)という不思議な市の名前がつきました!
    そう徳山は、周姫と夫が幸せに暮らしてゆくはずだった地。
    周姫(二の丸様)は臨終の際に
    「夫は私を許し今でも待ってていてくれるだろうか、
    あの世では添い遂げたい。
    この姫山が見える地に私のような不幸な女は生まれませんように」と。
    この映像作品は
    平成27年山口ケーブルビジョンにて放映したものを
    令和6年7月に再編集、再放送したものです・(約13分)
    #二の丸伝説 #宇部市 #小野 #初代萩藩主 #毛利秀就 #誕生秘話

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