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私は「城」は読んだことがないのですが、いつもは政治・思想などに熱くなってる皆さんが真剣に文学を語っているのを見ると新鮮で、ちょっと嬉しいです。
最悪な政治の世界を見続けていると心が汚れてしまうので、こういうときは文学だとか絵だとか自然だとか、美しいものに触れることが大事ですね。
藤井先生の大ファンです
「ファン」はやめな、それはただの「宗教」だよ
@@horatii_and_curiatiiファンは「fanatic」が語源だから狂信的・宗教的って意味が含まれているのは事実だけど、その上で何がいけないの?
「アメリカが城で自民党が村、あるいは自民党が城で我々が村」そう解釈すると、そら恐ろしいものを感じます。グレードの高い座談会(読書会)を拝見して、大いに刺激を受けました。シェアありがとうございます。
長編の時代背景と現代的テーマとして、カフカが恰も既に現代の官僚社会を想定していたかの如く、「城」を取り巻く、組織と人間の存在のあり方を描いていた、と言う事は驚きです。それと同時に、我々の存在している状態をどの様にして我々が乗り切るか、と言うテーマを改めて強く突き付けられた様に思いました。追記;権力機構によるゲマインシャフトの崩壊、と言う言葉が衝撃的でした。
藤井先生の声が偉いことになってますね… 文学史の座談会 お話伺っていますと読みたくなりますね
配信ありがとうございます😊
30年前にこの対談を見たかった
鍵の穴から覗いてる感覚、あります。私は何一つ体験的に知らないのに、って思いながらインターネットやようつべのニュース見てます。騙されちゃいけないとあっちこっち見て今の社会を知ったような気になるんですよね。メガネ作り直したら読んでみようと思いました。ありがとうございます。
さすが、藤井先生、素晴らしい読解力。一番、理解できました。城を完了機構として読み解かれているだけでもすごいですが、Kと今の日本に合わせて語ってくださる事で「城」を再読したくなりました。ありがとうございます。
『城』は、物事がなかなかうまくいかない時や、理不尽に思えるルールに挑む時の気持ちを描いた作品です。上流社会では疾っくの疾うに神が死んでいることに気づいていた、神を利用し続けた・。・
15年前に読んだ際は、悪夢のような小説で、悪夢の渦に自分も引き込まれるような気がしました。先生方がおっしゃる通り、まさに今の社会は「城」の世界を生きていると理解し、改めてゾッとしました。再読させていただきます。
若い頃、見えているのにたどり着けない、降りた駅に戻れない、停めた車に戻れないとか違うバリエーションで、同じような夢をよくみましたね。城はもっとはやい時期に読んでましたけど、同じようような感じでした。
もはや官僚組織で生きていく事の変わらない普遍的な辛さを知れて逆に元気でます!
柴山先生の声が聞こえにくいのと、藤井先生と川端先生仲良すぎだろっていうのは置いておいて…面白そうの本だというのは分かりましたし、日本のディストピアを海外に描かれてしまうのは不思議な感じがしますよね…次号も楽しみになりました
フランツ・カフカと村上春樹の作風の関係考えると、次のような共通点が浮かぶ気がします。 両者とも、不条理な世界観を描き、登場人物が理解できない力やシステムに翻弄される様子を描いている。カフカは、無意味で圧倒的な官僚制や権力構造を通じて、この不条理さを強調していて、村上春樹は現実と非現実の境界が曖昧な異世界に登場人物を置くことで、不安定さや不条理を提示している。 他にも、喪失、孤独、疎外感、現実の世界から浮世離れした「異邦人」感、システムや権力に対する無力感などという面でも共通点がありそうです。まあ、村上はカフカの影響を受けていると公言しているので、共通点があるのは当然なのでしょうけれど、今日皆さんのお話しを聞いていて、どうしても村上春樹が想起されました。 カフカの作品は結末が暗く救いのない無力さが強調されているが、春樹の作品では、たとえ喪失や孤独が描かれていても、登場人物が自己の再発見や癒しに到達する可能性がかすかに提示されて終わる感じが差異だとも言えるのかなとも思いました。
昔からの愛読書を取り上げていただき嬉しいのですが、残念な総裁選に凹みました。
私はカフカの城は、何回か読んでいるのですが、ここまで解説されているのはすごいと驚きました。確か数年前に、文学界で、カフカ特集やっていたんですが、浅すぎて……(笑)、今回出された意見を汲み入れて、また読んでみたいと思います。神を信仰していた世界観への否定、近代というものへの幻想への否定、あと、現代の人間一個の幸せをベストとする思想への否定、が現代のディストピア的な世界観と重なり合って、却って、現実的な閉塞的な世界を生み出しているのかなあと。
面白いです。
起床して体がこわばって疲れ果てた悪夢を見たような小説。現実には選挙結果。いつまでも城にはたどり着けない。
「城・変身(仮面ライダーではない)・「審判」私も新潮禹文庫?で若い頃読みました。あの頃は20代だったのですが、最近例の「青空文庫」で読み直しました。カフカ先生は「予言者」です!
昔?今はもう後期高齢者になると不条理な世の中に20歳頃カフカの変身を読みました。ある朝めを覚ますと部屋いっぱいに大きくなった変な虫みたいなった。窓から、ドアからも一歩出られず!どうしよう。今の日本も!どうしよう!と言う事が同じこと用に感じてしまいましたー
活字中毒を自負しておりますが、唯一読了できなかったのが 「城」でした。いつかリベンジを、と思ってましたが、未完と聞いて更に先延ばしになりそうです…
無料で先生の講義聞いているようで嬉しいです
総裁選をテレビで見ながらネットで新色口紅を探していた自分てレジリエンス高い(?)かもと・・・。
皆さんのお話大変興味深く拝聴しました。カフカの喜劇的な所は、私も「変身」を読んで感じていました。プラハの街は、美しい城が見えているのに、迷路の様な道の作り方で、まともには着けない・・・そんな現実世界を官僚機構へのアプローチとして象徴的に描いたのかと思っていました。先日姫路城でも周りの道が迷路の様に感じました。指示に従って歩いているはずなのに目的地にたどり着かない。(正直言って大きなショッピングセンターでも陥ります) となると、「自分が薄くなって魂だけ」(私の考えでは、「自分がボケて恍惚と感じる⁉️」)というお話に同感致します。その中で日常生活を送って行くのは、安部公房「砂の女」を思い出しました。安部公房はこのカフカの「城」をヒントにしたのかもしれませんね。
カフカが好きでオイルの匂いがするプロペラ機で昔プラハまで行った事がありました。歴史はたいてい役所仕事によって創作されるのです(笑)
カフカの📕は人の弱いところをついてくる、うん 、で人は見かけによらぬものに恐怖を感じまた魅力を感じてしまうのかな〜😢
とても楽しい動画でした。大学生の頃カフカの城を創作舞踊公演で参加しました。奈良にあった創作舞踊研究所の先生の表現の意図するするところも解らず必死で踊っていました。あれから50年人生を経験して藤井先生のお話を何時も聞かせていただいて少し分かったような気がいたします
まさに胡蝶の夢の世界観。現実は現実として認識していても、果たして現実が真実と言えるのか、それとも現実とは自身にとり都合の良いだけの解釈でしかなく、真実はまた別にあるのか。今という空間や時間しか認識できない私たちにとって、別にあるのかもしれない真実を理解出来うるものなのか。この世界は常に変化し、恒常的に存在しているモノなど一切なく、常に不安定なのに、それらを現実に在るモノと都合よく解釈し、依存しているだけではないのか。社会的に当たり前の価値観。社会規範。常識。成長するに従い、それらを確固たるモノとしてコレクションしていく。そうやって形作られる人生観。または死生観。人類の社会形成に必要欠くべからずなモノ。実はそれら全てが幻に過ぎないとしたら。何が正義で何が悪かといった人として根源的な問いかけにしてみても、立ち位置に依って少なからず違いがあるのはどうしてだろう。現実とは真実ではない。それだけは明確に言えるのではなかろうか。
ええとこついてくる。シブいわ。城は挫折して変身と審判
もう40年以上前に読んだので記憶曖昧だけど…あのレオパレス的な薄い壁で、隣人の存在がどんどん妄想的に膨れ上がる部分にドキドキした思い出がある。実際都会で一人暮らしし始めた時、薄い壁のアパートで顔もみたことない隣人の声だけでその人の人生を妄想した時、コレ城やんと思ったのを覚えている笑
1984年とモチーフ似てるかもね
見えない敵(DS コロナ 金融グローバリスト)が城。
拝米的な日本の風潮こそが敵。
浜崎さんが「城」を選ぶというのは意外な感じです。20代で一度読みましたが、今ではそれほど覚えていない感じです。誰かが指摘しているように、村上春樹との共通点は自分も感じます。それが結果的に社会科学的な分析を可能にするかもしれませんが、カフカは個人の内面に潜む謎について言葉で挑んでいるだけのように思います。分析としては柴山さんが指摘している死者の視点で自分を死の追い込んだものの正体に切り込もうという初めから勝ち目のない挑戦です。そういう意味ではねじまき鳥に似ているかもしれません。
ディストピアを扱うSFっぽい舞台だけど、暴力で解決しないことで思考実験ぽくなっていて、おもしろそうやな、と。読んでみたいと思いました。
Rider on the Storm, Doors.Prisoner No.6
神は内在性の心的表意であると私は考える。そして、その内在する心的表意を法理制度や組織様態格位へと表象化する行為とは、心の象徴的表意機能を象徴的組織機能として働かせて、固別内心の擬制的機能の役割を果たすような応力的形態で作用し具象化している行為であると思う。だから、『城』で叙述されている界隈描写は、心が憑依した組織の社会性を表現したものであり、別の表現をすれば "Inner Castle" であると私は思う。 自我が思い浮かべる「外界事物的命題に関わる解題法」では紐解けない、自我に内在する視えない日常的収奪詭弁の闇が、"Castle" の根底には描かれていると私は思う。カフカ『城』は、昨今の世界情勢に通じる小説だと思う。
城で伯爵と聞くと”吸血鬼”がどうしても頭を過ぎります。あと、アメリカ神話がチラチラと頭を過ぎります。深淵を覗くとき深淵もまたあなたを・・・私はあまり文学に詳しくないので闇ばかり感じてしまいます。
城は官僚機構かファシズムでしょうか?
美影区・お伽本町・402号 ここで僕は絶望する自分を見かけた。
「城」は「ゴーメンガースト」ッぽい。
喜怒哀楽 流転世界
文学座談会は楽しく拝聴させて頂きました。思いますのは政治の話はやめて、長期的な視点で文学の話に絞られたらよいのではないでしょうか?政治の話については、消費減税に反対の高市を積極財政派といったりと、詐欺みたいな話を平気でされるので発言に信用が置けないです。
自分の問題として語ったのは藤井氏だけか。浜崎氏は別としてあとの二人は頭の中だけで文学的教養としてしか語っていない。だから退屈で空疎だった。
私は「城」は読んだことがないのですが、いつもは政治・思想などに熱くなってる皆さんが真剣に文学を語っているのを見ると新鮮で、ちょっと嬉しいです。
最悪な政治の世界を見続けていると心が汚れてしまうので、こういうときは文学だとか絵だとか自然だとか、美しいものに触れることが大事ですね。
藤井先生の大ファンです
「ファン」はやめな、それはただの「宗教」だよ
@@horatii_and_curiatiiファンは「fanatic」が語源だから狂信的・宗教的って意味が含まれているのは事実だけど、その上で何がいけないの?
「アメリカが城で自民党が村、あるいは自民党が城で我々が村」
そう解釈すると、そら恐ろしいものを感じます。
グレードの高い座談会(読書会)を拝見して、大いに刺激を受けました。
シェアありがとうございます。
長編の時代背景と現代的テーマとして、カフカが恰も既に現代の官僚社会を想定していたかの如く、「城」を取り巻く、組織と人間の存在のあり方を描いていた、と言う事は驚きです。それと同時に、我々の存在している状態をどの様にして我々が乗り切るか、と言うテーマを改めて強く突き付けられた様に思いました。追記;権力機構によるゲマインシャフトの崩壊、と言う言葉が衝撃的でした。
藤井先生の声が偉いことになってますね…
文学史の座談会 お話伺っていますと読みたくなりますね
配信ありがとうございます😊
30年前にこの対談を見たかった
鍵の穴から覗いてる感覚、あります。私は何一つ体験的に知らないのに、って思いながらインターネットやようつべのニュース見てます。騙されちゃいけないとあっちこっち見て今の社会を知ったような気になるんですよね。メガネ作り直したら読んでみようと思いました。ありがとうございます。
さすが、藤井先生、素晴らしい読解力。一番、理解できました。城を完了機構として読み解かれているだけでもすごいですが、Kと今の日本に合わせて語ってくださる事で「城」を再読したくなりました。ありがとうございます。
『城』は、物事がなかなかうまくいかない時や、理不尽に思えるルールに挑む時の気持ちを描いた作品です。
上流社会では疾っくの疾うに神が死んでいることに気づいていた、神を利用し続けた・。・
15年前に読んだ際は、悪夢のような小説で、悪夢の渦に自分も引き込まれるような気がしました。先生方がおっしゃる通り、まさに今の社会は「城」の世界を生きていると理解し、改めてゾッとしました。再読させていただきます。
若い頃、見えているのにたどり着けない、降りた駅に戻れない、停めた車に戻れないとか違うバリエーションで、同じような夢をよくみましたね。城はもっとはやい時期に読んでましたけど、同じようような感じでした。
もはや官僚組織で生きていく事の変わらない普遍的な辛さを知れて逆に元気でます!
柴山先生の声が聞こえにくいのと、藤井先生と川端先生仲良すぎだろっていうのは置いておいて…
面白そうの本だというのは分かりましたし、日本のディストピアを海外に描かれてしまうのは不思議な感じがしますよね…
次号も楽しみになりました
フランツ・カフカと村上春樹の作風の関係考えると、次のような共通点が浮かぶ気がします。
両者とも、不条理な世界観を描き、登場人物が理解できない力やシステムに翻弄される様子を描いている。カフカは、無意味で圧倒的な官僚制や権力構造を通じて、この不条理さを強調していて、村上春樹は現実と非現実の境界が曖昧な異世界に登場人物を置くことで、不安定さや不条理を提示している。
他にも、喪失、孤独、疎外感、現実の世界から浮世離れした「異邦人」感、システムや権力に対する無力感などという面でも共通点がありそうです。まあ、村上はカフカの影響を受けていると公言しているので、共通点があるのは当然なのでしょうけれど、今日皆さんのお話しを聞いていて、どうしても村上春樹が想起されました。
カフカの作品は結末が暗く救いのない無力さが強調されているが、春樹の作品では、たとえ喪失や孤独が描かれていても、登場人物が自己の再発見や癒しに到達する可能性がかすかに提示されて終わる感じが差異だとも言えるのかなとも思いました。
昔からの愛読書を取り上げていただき
嬉しいのですが、
残念な総裁選に凹みました。
私はカフカの城は、何回か読んでいるのですが、ここまで解説されているのはすごいと驚きました。確か数年前に、文学界で、カフカ特集やっていたんですが、浅すぎて……(笑)、今回出された意見を汲み入れて、また読んでみたいと思います。
神を信仰していた世界観への否定、
近代というものへの幻想への否定、あと、現代の人間一個の幸せをベストとする思想への否定、が現代のディストピア的な世界観と重なり合って、却って、現実的な閉塞的な世界を生み出しているのかなあと。
面白いです。
起床して体がこわばって疲れ果てた悪夢を見たような小説。現実には選挙結果。いつまでも城にはたどり着けない。
「城・変身(仮面ライダーではない)・「審判」私も新潮禹文庫?で若い頃読みました。あの頃は20代だったのですが、最近例の「青空文庫」で読み直しました。カフカ先生は「予言者」です!
昔?今はもう後期高齢者になると不条理な世の中に20歳頃カフカの変身を読みました。ある朝めを覚ますと部屋いっぱいに大きくなった変な虫みたいなった。窓から、ドアからも一歩出られず!どうしよう。
今の日本も!どうしよう!と言う事が同じこと用に感じてしまいましたー
活字中毒を自負しておりますが、唯一読了できなかったのが 「城」でした。
いつかリベンジを、と思ってましたが、未完と聞いて更に先延ばしになりそうです…
無料で先生の講義聞いているようで嬉しいです
総裁選をテレビで見ながらネットで新色口紅を探していた自分てレジリエンス高い(?)かもと・・・。
皆さんのお話大変興味深く拝聴しました。カフカの喜劇的な所は、私も「変身」を読んで感じていました。プラハの街は、美しい城が見えているのに、迷路の様な道の作り方で、まともには着けない・・・そんな現実世界を官僚機構へのアプローチとして象徴的に描いたのかと思っていました。先日姫路城でも周りの道が迷路の様に感じました。指示に従って歩いているはずなのに目的地にたどり着かない。(正直言って大きなショッピングセンターでも陥ります) となると、「自分が薄くなって魂だけ」(私の考えでは、「自分がボケて恍惚と感じる⁉️」)というお話に同感致します。その中で日常生活を送って行くのは、安部公房「砂の女」を思い出しました。安部公房はこのカフカの「城」をヒントにしたのかもしれませんね。
カフカが好きでオイルの匂いがするプロペラ機で昔プラハまで行った事がありました。
歴史はたいてい役所仕事によって創作されるのです(笑)
カフカの📕は人の弱いところをついてくる、うん 、
で人は見かけによらぬものに恐怖を感じまた魅力を感じてしまうのかな〜😢
とても楽しい動画でした。大学生の頃カフカの城を創作舞踊公演で参加しました。奈良にあった創作舞踊研究所の先生の表現の意図するするところも解らず必死で踊っていました。あれから50年人生を経験して藤井先生のお話を何時も聞かせていただいて少し分かったような気がいたします
まさに胡蝶の夢の世界観。現実は現実として認識していても、果たして現実が真実と言えるのか、それとも現実とは自身にとり都合の良いだけの解釈でしかなく、真実はまた別にあるのか。今という空間や時間しか認識できない私たちにとって、別にあるのかもしれない真実を理解出来うるものなのか。この世界は常に変化し、恒常的に存在しているモノなど一切なく、常に不安定なのに、それらを現実に在るモノと都合よく解釈し、依存しているだけではないのか。社会的に当たり前の価値観。社会規範。常識。成長するに従い、それらを確固たるモノとしてコレクションしていく。そうやって形作られる人生観。または死生観。人類の社会形成に必要欠くべからずなモノ。実はそれら全てが幻に過ぎないとしたら。何が正義で何が悪かといった人として根源的な問いかけにしてみても、立ち位置に依って少なからず違いがあるのはどうしてだろう。現実とは真実ではない。それだけは明確に言えるのではなかろうか。
ええとこついてくる。シブいわ。城は挫折して変身と審判
もう40年以上前に読んだので記憶曖昧だけど…あのレオパレス的な薄い壁で、隣人の存在がどんどん妄想的に膨れ上がる部分にドキドキした思い出がある。実際都会で一人暮らしし始めた時、薄い壁のアパートで顔もみたことない隣人の声だけでその人の人生を妄想した時、コレ城やんと思ったのを覚えている笑
1984年とモチーフ似てるかもね
見えない敵(DS コロナ 金融グローバリスト)が城。
拝米的な日本の風潮こそが敵。
浜崎さんが「城」を選ぶというのは意外な感じです。20代で一度読みましたが、今ではそれほど覚えていない感じです。誰かが指摘しているように、村上春樹との共通点は自分も感じます。それが結果的に社会科学的な分析を可能にするかもしれませんが、カフカは個人の内面に潜む謎について言葉で挑んでいるだけのように思います。分析としては柴山さんが指摘している死者の視点で自分を死の追い込んだものの正体に切り込もうという初めから勝ち目のない挑戦です。そういう意味ではねじまき鳥に似ているかもしれません。
ディストピアを扱うSFっぽい舞台だけど、暴力で解決しないことで思考実験ぽくなっていて、おもしろそうやな、と。読んでみたいと思いました。
Rider on the Storm, Doors.
Prisoner No.6
神は内在性の心的表意であると私は考える。
そして、その内在する心的表意を法理制度や組織様態格位へと表象化する行為とは、心の象徴的表意機能を象徴的組織機能として働かせて、固別内心の擬制的機能の役割を果たすような応力的形態で作用し具象化している行為であると思う。
だから、『城』で叙述されている界隈描写は、心が憑依した組織の社会性を表現したものであり、別の表現をすれば "Inner Castle" であると私は思う。 自我が思い浮かべる「外界事物的命題に関わる解題法」では紐解けない、自我に内在する視えない日常的収奪詭弁の闇が、"Castle" の根底には描かれていると私は思う。カフカ『城』は、昨今の世界情勢に通じる小説だと思う。
城で伯爵と聞くと”吸血鬼”がどうしても頭を過ぎります。あと、アメリカ神話がチラチラと頭を過ぎります。深淵を覗くとき深淵もまたあなたを・・・
私はあまり文学に詳しくないので闇ばかり感じてしまいます。
城は官僚機構かファシズムでしょうか?
美影区・お伽本町・402号 ここで僕は絶望する自分を見かけた。
「城」は「ゴーメンガースト」ッぽい。
喜怒哀楽 流転世界
文学座談会は楽しく拝聴させて頂きました。
思いますのは政治の話はやめて、長期的な視点で文学の話に絞られたらよいのではないでしょうか?
政治の話については、消費減税に反対の高市を積極財政派といったりと、詐欺みたいな話を平気でされるので発言に信用が置けないです。
自分の問題として語ったのは藤井氏だけか。浜崎氏は別としてあとの二人は
頭の中だけで文学的教養としてしか語っていない。だから退屈で空疎だった。