【ゆっくり解説】新撰組の中にいた人斬り!!大石鍬次郎!!

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  • Опубліковано 28 сер 2023
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    大石やばい!!
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    #ゆっくり #ゆっくり日本史 #ゆっくり解説

КОМЕНТАРІ • 17

  • @HabQpH
    @HabQpH 10 місяців тому +9

    いつも沖田総司のところで出してくる写真は別人の写真。

  • @user-bz9pn2vj7j
    @user-bz9pn2vj7j 10 місяців тому +7

    新撰組が先進武器を扱えなかったは流石にあり得ない。
    薩英戦争後、新撰組含む幕府の一部部隊は英国式軍事教練を複数回受けています。
    特に新撰組は近藤勇の方針で近代化を進めており、数年に及ぶ訓練で大砲も銃火器も全員が使用可能だったという記録があります。
    幕府公認の下、数年間訓練し続けた新撰組。
    最新銃火器に関する練度で言えば薩長より新撰組の方が上だったと思います。

  • @ms.p7957
    @ms.p7957 10 місяців тому +6

    サムネは三船敏郎さん?
    用心棒かな

  • @user-ri3yz4fc6c
    @user-ri3yz4fc6c 10 місяців тому +8

    三船としろうに よく似てる😮

  • @user-jc5lo6gx1v
    @user-jc5lo6gx1v 10 місяців тому +4

    新撰組を題材にしたゲームで初めて知った隊士です🎮
    元御陵衛士の加納は近藤局長と件の鍬次郎の捕縛に関わっているとは(人相改め的な❔)
    新撰組は当番(◯番)があったから危険手当ても含んでいて高給だったのでしょうね
    思想も無く任務(命令)で斬ってた
    岡田以蔵とも似ている印象です
    (以蔵ファンの方、すみません🙏)

  • @user-lw7ue3mv2b
    @user-lw7ue3mv2b 10 місяців тому +7

    中井庄五郎は土佐藩士ではなく十津川郷士ですよ。

  • @user-gm4qi7oo9s
    @user-gm4qi7oo9s 10 місяців тому +4

    その残忍さは類を見なかったとか

  • @user-ju5ts6fq7l
    @user-ju5ts6fq7l 2 місяці тому +1

    大石鍬次郎良かったです、新選組で表に出ないが腕の立つ隊士がいる、山崎丞の先祖は赤穂浪士だし
    その末裔が、大高忠兵衛、と池田屋であう、山崎丞は剣も使い、鍼も使う、医療の心得もある、

  • @user-ju5ts6fq7l
    @user-ju5ts6fq7l 9 місяців тому +2

    大石鍬次郎良かった、新選組と言うと近藤、土方、沖田だけど隊士に剣の達人は居る、山崎丞は赤穂浪士の子孫で針医師の倅で剣の腕も立つ、池田屋でも何人か斬り捕縛してる

    • @user-lr2cf3rv8j
      @user-lr2cf3rv8j 8 місяців тому

      山崎烝の祖先が脱落した赤穂浪士の1人だと言うのは司馬遼太郎の小説の創作です。
      水葬されたと言う話も永倉新八や島田魁の記録にはなく、創作や間違いの多い子母澤寛「新選組始末記」にのみある話で矛盾もあり、大阪で亡くなったか、ひょっとしたらその後も名や立場を変えて生きた可能性も残っています。

  • @user-lr2cf3rv8j
    @user-lr2cf3rv8j 8 місяців тому +2

    伊東は幕府若年寄の永井尚志のお気に入りでもあったので、バリバリの倒幕派ではなく、単に坂本龍馬とよく似た「大政奉還賛成派」だったのだと思います。
    大政奉還賛成派としての建白書を幕府に数度出しています。
    バリバリの倒幕派なら、池田屋事件後に新選組にわざわざ入隊する意味はありません。
    新選組を離脱したのは土佐系の陸援隊の内情を探る為で、少なくとも伊東と御陵衛士達には新選組を裏切った自覚はなかったと思います。
    だから伊東は近藤の妾宅へ夜、赴いたのです。
    また目立つ存在の斉藤が、御陵衛士のスパイを勤めたのかも怪しい話です。
    ただ新選組が伊東を感情的にどう思っていたのかはともかく、新選組と長い間強い絆があった会津藩の大半が「大政奉還絶対反対派」だったので、当時の若年寄永井尚志や、坂本龍馬に影響を受けてしまった伊東甲子太郎と御陵衛士の粛清を新選組に強く求めたので、新選組も油小路事件に踏み切った可能性が高いです。
    鳥羽伏見の戦いが起きる事が既に想定内だった慶応3年11月に、これだけの大規模な内部粛清を起こす事が大きなリスクである事は、新選組にもわかっていたものと思われます。
    新選組の背後には常に会津藩が存在したこと、会津藩とて常に清廉潔白であった訳ではなかったと言う事は念頭に置いておくべきかと思います。
    また新選組が壬生寺で、洋式調練を行っていたのも有名な話です。
    土方の義兄、佐藤彦五郎が蘭学者でもあった代官江川英龍と懇意だったので、土方を中心に、早くから洋式の軍になるべきだとの考えがあったのです。

  • @evolutiongmr7389
    @evolutiongmr7389 10 місяців тому +2

    伊東甲子太郎の暗殺は芹沢鴨と同じ手口を使ってるな。

  • @user-yd8dl3nb7j
    @user-yd8dl3nb7j 10 місяців тому

    20:21 殿😂

  • @potiqun
    @potiqun 10 місяців тому +1

    ハウス新鮮組

  • @awaw72
    @awaw72 10 місяців тому

    プロというか職人というか。この種の人物の評価は組織の評価と直結しますね。本人は職務を遂行してるだけなんでしょうが。

  • @user-lw1jn8kw7v
    @user-lw1jn8kw7v Місяць тому

    鍬次郎の墓は!?

  • @user-ju5ts6fq7l
    @user-ju5ts6fq7l 9 місяців тому +1

    新選組、一駄目なやつ、武田観柳斎、時代遅れの武田軍記、
    谷三十郎、