[年末までに知りたい!]あの『蛍の光』に隠された本当の意味
Вставка
- Опубліковано 26 гру 2022
- <1ヵ月100円お試し>伊勢雅臣の『〜和の学び舎〜 日本志塾』の詳細はこちらから
▶︎ in.powergame.jp/issj_tr_yt
<電子書籍>『縄文時代に学ぶ SDGs先進国 日本の復活』は100円のみですぐにお読みいただけます。
▶︎in.powergame.jp/issd_yt
<電子書籍>『日本人として知っておきたい 皇位継承問題の真実』は100円のみですぐにお読みいただけます。
▶︎in.powergame.jp/isks_yt
<電子書籍>『織田・豊臣・徳川が戦った...宣教師による「日本人奴隷化計画」』は100円のみですぐにお読みいただけます。
▶︎in.powergame.jp/iskd_yt
============================
〜歴史は最高の自己啓発〜
江戸時代から明治維新にかけて教育の一翼を担った「私塾」。
そこでの教育は歴史を学ぶ際、現代のような年号や名前を覚えるだけの、無味乾燥な歴史ではなく、
過去の先人が何を考え、どういう想いで歴史を紡いできたのかという、心で学ぶ歴史教育が「逸話」を通して教えられていたそうです。
そんな教育で育った我が国の偉人たちは、逸話を通して先人の想いを受け取ることで、祖国を愛し、社会のために貢献するといった「共同体の精神」を持っていました。
2,600年という世界で最も長い歴史を持つ日本...
我が国の先人たちは、数々の苦難に直面してきましたが、日本人としての使命を抱き、国を守るために尽力してきました。
我々は彼らの子孫であり、その志の後継者。先人たちが受け継いでくれた努力や叡智は、現代の私たちにもヒントを与えてくれるはずです。
そこで、「日本志塾・UA-cam学園」では、日本の歴史・文化伝統についての情報発信を続けてきた、伊勢雅臣氏が塾長となり、文化伝統、偉人伝、皇室の歴史など…先人が紡いできた功績を掘り起こし、日本人としての誇りを感じられるようなお話をあなたにお届けします。
昭和18年大日本帝国時代の生まれです。戦後、横浜港からアメリカへ戻る叔父叔母の船を見送ったとき、赤、緑、黄色、青のテープが切れるまで手を振って別れを惜しみましたがその時船からなのか港からなのか、ボーツという汽笛と一緒に蛍の光が静かに流れていた記憶があります。軍人が軍艦で敬礼して海へ出奔する姿とだぶります。戦後の日本人は懸命に先人の思いをつなごうとしていたように思います。形を変えて、影をひそめながら脈々と子孫へのバトンタッチをしていたように思います。
何故現代、3番4番の歌詞が歌われなくなったのかわかった気がします。この歌詞が知られる事によって都合の悪かった人達が沢山いますね。歌われていた場所、「告別行進曲」という題名の重さを知ると私も胸にズシリとくるものが有ります。教えて頂き有難うございました😊
言葉は個人の思いを伝える手段です。
同じ文字でも、時代や個人の経験により、解釈が異なります。
歌人は自分の思いを、どのように伝えるのでしょうか?
蛍の光を繰り返し読む内に、女性の歌だと感じて来ました。
特に一番は、掛詞と述部の構成が複雑に絡み合っています。
以下に勝手な解釈を記します。ご通読願えれば幸いです。
(一番)
螢の光 窓の雪 書讀む月日 重ねつつ
何時しか年も 杉の戸を 開けてぞ今朝は 別れ行く
⇒あなたが私を見染めたのは、蛍が飛び交う夏の宵でした。
窓辺に雪が積もるまでに、幾度も頂いた手紙を読みつつ、
やがて寄り添う仲になりましたが、いつしか年も過ぎ、
雨戸を開けた今朝、あなたは分かれて行ってしまいます。
(備考)「年も過ぎ(杉)」、「杉の戸(縁側の雨戸)を開け」、
「(夜が)明けてぞ今朝は」、「年(旧暦の大晦日)も・・・開けてぞ」と、
言葉が次々に絡み合っている。「蛍雪の功」と言う解釈が一般的だが、
実は「違う意味を潜ませている」ように感じられてならない。
(二番)
止まるも行くも 限りとて 互に思ふ 千萬の
心の端を 一言に 幸くと許り 歌ふなり
⇒この地に留まる私も任地に赴くあなたも、これが最期の別れと思い、
お互いに浮かぶ幾多の思いを込めて、「ご無事で」と叫ぶばかりです。
(三番)
筑紫の極み 陸奥 海山遠く 隔つとも
其の眞心は 隔て無く 壹つに盡くせ 國の爲
⇒九州の果てから東北の奥地まで、任地が海と山で遠く離れようとも
心をひとつに尽くしましょう、お国の為ですもの。
(四番)
千島の奥も 沖繩も 八洲の内の 守りなり
至らむ國に 勲しく努めよ 我が背 恙無く
⇒千島の北端から沖縄南端まで、日本の国の防衛範囲です。
赴くであろう任地で、立派に勤めてください。
病にかからないように気を付けてね、あなた。
(備考)「至らむ」は、「至る(到着する)」の推量形。
「背」は夫という意味も持つ。
以上、ご通読感謝します。
私の子供の頃に、「台湾の果ても樺太も」と歌詞を変えて歌っていたような気もしますが…確信はありませんが。
白鳥様
戦時中の統治時代によって4番の歌詞はその様に代わったと聞いた事がありますよ☺️
3番、4番の歌詞を声に出して歌うと涙が溢れました。
戦後GHQによる教育改革等により、私達戦後世代の日本人としての誇りや愛国心が奪われてしまいましたが、日本人としてのDNAは失われていないことを実感しました。葛城先生をいつも応援しています!!✨😃
歌詞の解説ありがとうございます♪
自分たちは日本人で想いはひとつ(仲間)なんだよ、という前提で書かれた歌詞なのかなと思いました。
先人の想いが伝わるいい歌詞です😌
私には 日本が どこかの属国になるのではなく 独立国として 誇りを持って生きて欲しいと願っているように聞こえる
このご婦人の声は素晴らしい、よく通ります。よく分かります。
おっしゃってる内容も素晴らしい!
以前から歌手のサヤさんが歌っておられました〜私も3番4番が好きです❤❤❤
素晴らしい!国守りの歌ですね。
蛍の光の原曲はスコットランド民謡のAuld Lang Syneです!世界ではAuld Lang Syneで知られてます!日本国の蛍の光はAuld Lang Syneを日本語の歌詞を付け編曲した曲です!🇯🇵記載日は2023年、令和5年、8月13日、日曜日、記載人は🇯🇵日本国🇯🇵JAPAN🇯🇵
涙が出ます。
軍人さん達だけでは無く、人々の為の歌でもありますね。
4番が特に今の状況ではないでしょうか🙏
3番、4番が歌われない理由は悪魔にとって都合がよくないためです!❤❤❤
別れ行く人に対する応援歌ですね。
いい歌ですね。
ただの別れだけでなく、日本の国のため、世界平和のために尽力してください、といった意味でしょうか。
心にジーンと響くものがあります
元歌であるスコットランド民謡の「オルドラングサイン」の歌も同じ思いを込めているのでしょうか。
オリジナルの日本語訳も知りたいですね。多分国を思う詩なんでしょうね。
蛍の光の原曲はスコットランド民謡のAuld Lang Syneです!世界ではAuld Lang Syneで知られてます!日本国の蛍の光はAuld Lang Syneを日本語の歌詞を付け編曲した曲です!🇯🇵記載日は2023年、令和5年、8月13日、日曜日、記載人は🇯🇵日本国🇯🇵JAPAN🇯🇵
にほんこくみんというか縄文人なのかな?圀・人を愛する民族ですよね。
実に格調高い歌詞だと思います。私達[ことに自衛官]は何のために学ぶのか?
❤
せっかくいいお話しなのに、最後の「かの国が迫っている」には違和感がある。余計な一言と思う。
蛍の光や別れのワルツは日本国の曲じゃなくイギリスのスコットランドの曲です!スコットランドの国民的な曲でスコットランドの伝統楽器バクパイプで演奏するのが有名です!蛍の光の四拍子や別れのワルツの三拍子の原曲はスコットランド民謡のAuld Lang Syne(オールド・ラング・サイン)が原曲で英語の歌詞で歌われてます!世界ではAuld Lang Syneで知られて認知されてます!日本国の蛍の光や別れのワルツはAuld Lang Syneを日本語の歌詞を付け編曲した曲です!日本国では終了や別れを惜しむの意味で別れの時や終了の時や各種式典の終了時間の直前や卒業式や公共施設や商業施設や店の閉館・閉店時間の直前に蛍の光や別れのワルツを流されます!スコットランド及び世界ではカウントダウン年越しの時に年を越した新年になった瞬間にAuld Lang Syneが歌われてます!🇯🇵記載日は2023年、令和5年、12月10日、日曜日、記載人は🇯🇵日本国🇯🇵JAPAN🇯🇵
蛍丸に通じるよ。
至らんは否定じゃなくて未来形ではないの? 至らぬなら否定だけど
国体が民主主義であれば国のためにつくすべきだと思います。
国体が資本主義(中央銀行)に乗っ取られた国であれば矛先が他国ではなく国民であれば、打倒すべきだと思います。
目的が武器を消費して武器商人が儲けるだけの戦争にみすみす加担して犬死するのは避けましょう。
戦争は、自国の利益繁栄を優先するから起きるんですよ。
こんな言葉もあります「平和とは次の戦争への準備期間、平和が長いほど次の戦争は大きい」と、、、
植民地になってしまえば戦争なんて起きませんよ。