【東日本大震災発生時】のウェザーニュース 放送の瞬間(2011.3.11)
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- Опубліковано 19 лис 2024
- 東日本大震災が発生した当時の様子です。
※当時のことを思い出してしまう方は、ご視聴をお控えください※
株式会社ウェザーニューズは、いざという時の避難行動や災害対策の一助とすることを目的として、防災・減災への意識の実態や変化を調査する「減災調査2021」を実施し、結果を発表しました。
本調査は2021年2月18日から21日にかけてウェザーニュースのアプリやウェブサイトを通じて行い、8,101人にご参加いただきました。
■減災調査まとめ
weathernews.jp....
回答を集計した結果、震災から10年が経過し、「全体の8割以上が震災の記憶の風化を感じている」ことが明らかになりました。
若い世代ほど震災の記憶があると回答した割合が少なく、この先増えていく震災を経験していない・知らない世代に対して震災の教訓をどう伝えていくかが今後の課題になってくると考えられます。
震災を経験していない・知らない世代に対し、今回のこの動画が、当時のことを知るきっかけになってくれれば幸いです。
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後ろで色々ひっくりかえったりぶっ倒れたりする音がする中ひたすら必死に情報を届けようとし続ける気象予報士さんを心の底から尊敬します
宇野沢さんアナウンサーじゃなくて気象予報士だよ
あの揺れの中冷静に情報発信されてすごいよ
最近の気象予報士はアナウンサー並みのアナウンス力を求められる。プロ中のプロ
当時東京にいたけど、それでも凄い揺れだった
あれで「5強」なんだからそれより上が3つもあるとかヤバすぎる
周りからの大きな物音で揺れの激しさがどれほどか、プロ魂を感じました。ずっと揺れに耐えて情報を伝えて、凄い。
いやいや、プロならもうちょっと落ち着いて読んでほしいわ。慌てすぎ。これからは地震速報はマジでAIに任せたほうが良い。
@@list1893それやってろくに大丈夫だろうと安心した人の方が多かったから、緊張感を与えないと
あの時は凄い揺れでこのアナウンサーさん達のお陰で私達は難を逃れました…… 実家は津波に持って行かれ 両親は逃げたのにまた家が心配で戻り津波に飲み込まれ何とか命は助かりましたが その3年後津波を飲んだ影響で亡くなりました… テレビのアナウンサーの方々には本当に感謝です。 ありがとうございました
宇野澤さんが一瞬で緊張するのが生々しい
何だろうと思って再生したら…ただただ涙が出てきて、背中ぎざわざわします。13年経っても...怖いです。1ヶ月後にまた揺れて、知人の娘さんが亡くなりました。
実況中にも地震が続く状況なんてかなり稀なんだろうな。
とはいえ、その状況下でも各地の地震を伝えているアナウンサーはさすがプロだと思った。
あれからそれなりの時間を経たのに、当時のこういう動画を見たり、振り返るとただ立ちすくみ、涙が溢れてきます。
これ揺れてるの耐えながらなんだよね
よく聞くと力入れてるのが分かるよね。
後ろでガタガタ言ってるし。
モニターも揺れてるから大変だったろうな。
この状況でパニックにならずプロ根性が素晴らしい
正に現場は地獄だな。
次々と上がっていく震度・マグニチュード、段々こわばる声、徐々に揺れてゆくスタジオ。
職業柄、数字の大きさが被害の大きさを理解してても、言葉で伝えるしかない。
修羅場の心境だったんだろう。
こちらの気象予報士さんを始め報道スタッフの皆さんの冷静な行動が視聴者に伝わっていると感じました。JR東日本常磐線三河島駅に停車中に東日本大震災に遭遇した乗車客が撮影した動画か公開されています。住まいの近隣の駅での当時の様子が分かり、よく車両が脱線転覆しなかったと感心しましたし、乗客の皆さんの冷静な行動から小学生の頃からの訓練の賜物と思いました。
宮城県在住です。
当時内陸部で体験しました。
この時点で停電、携帯の不通の為に速報や被害経過な情報が何も入らなくなりただただ不安を感じて探していました。
しかし備蓄品と周りの方達との強力でとりあえず日々過ごすことだけはできていましたが、後日、沿岸部の大惨事を知り言葉を失ってしまいました。
当時東京のオフィスで働いてましたが椅子に座っていられないほど揺れましたので、この方がアナウンス続けられているのに驚きです。
揺れ始めには余裕があった声に、増していく緊張感と使命。
自分が居た場所でも経験したことが無い強い揺れだった。
あの時を思い出して涙が出そうになる。
後ろの方でガタガタ物凄い音がしてるのが生々しくて、恐ろしいです😭😭
思い出したくないですが、忘れてはいけませんね。
誰もこの時あんな地震が起きた時
恐ろしい程の引き波からの襲いかかる津波の映像と何もかもを飲み込む恐ろしさ
予想なんてここまで出来なかったよなって今でも
いや、すぐにNHKで直近に放送された『メガクエイク』や『サイエンスゼロ』で取り上げてた貞観津波の再来と思いました。ただ今思うと当方も研究者の視点と一緒で、知的好奇心の対象であって防災には結び付いてなかったですね
3.11関連の動画を見ると、いつも鳥肌が立つ。当時、あまりに長くて大きな初期微動で大きな地震が来るって思ったけど、違ったらどうしようと地震に備えた行動ができなかった。危ないと思ったら横揺れが来る前に動かないといけないんだよね。あの地震で学びました。
2年前の動画が急におすすめにあがってきたけど、311のときを思い出して怖い
ベテランの放映中なのが、幸いしたいと。
ホントですね。あの揺れの中、よく情報を伝えてくださいましたね。
本当に辛く悲しいことだが、それでも忘れずに、心に刻んでこれからも生きようと思う。
当時小学生だったけど今でもあの全てが揺れた景色は忘れられない
栃木の芳賀という地区に居ましたが、関東で唯一震度7を記録した地域でした。
外に居たのですが、アスファルトは波打ち、車は跳ね上がり、シャッターはめくり上がり、土管から蓋が飛び上がるの揺れながら見てました。
これはヤバイと思い、周りの人に建物から離れろと叫びながら伏せて居ました。
本当に大変でした。
関東でも震度7あったんだ
関東での経験者ですが関東でも震度7あったの今まで知らなかったです。これを期に震度分布表とか見てみようかなと思います。貴重な話をありがとうございます。
当時九州の長崎に居たが、ルームメイトが『何か、おかしな地震を感じた…』と言っていた。私は『雲仙あるし、微震はいつものことだろ』と言って取り合わなかったが、彼は直ぐにパソコンで調べ始め大変な事態だと気付いていたのを思い出します…
途中で震度7が右一覧に増えるの怖い
激しい音がしている中で
アナウンサーの方がしっかり伝えている。
命がけでしたね、、、
その当時岩手県沿岸の実家に居ました。
辛い思い出ですが何年も経ってからおすすめにあがってくることで私は気持ちが引き締まります
地元の消防の放送で「大津波がきます」と流れ耳を疑いました
半信半疑で避難しましたがその後の目を疑うような光景が忘れられません
関東ではこんな感じだったんですね
関東住みですが慌ててテレビをつけたくらい普段と違う揺れ方でした。電信柱がギシギシしていて近隣の瓦も割れてたはず。
福島から嫁いできた祖母が実家の妹へ電話をかけようとするのを「今は回線が混んでるから明日にしよう」と止めたのをよく覚えています。
幸い祖母の実家は山の上にあり無事でしたが裏の畑から見える街が丸ごと無くなっていて…本当につらい目に遭われましたね。
@@109ドル色々教えてくださりありがとうございます😊
関東でも電車がほぼ止まり、帰宅困難な人がたくさん、都心から、地元の埼玉県ら辺まで列をなして歩いておられました。私は23時頃にやっと回って来たタクシーで帰宅。
@@ファイロベカルのつま そーいえば歩いて帰っている映像を後に観ました!
停電が4、5日で終わったのでテレビを付けてビックリたまげました!!それまでは目の届く範囲でしか状況がわからなかったので…
電車は次の朝には動いていたのでしょうか?
@@MozukuGames
東京は当日夜11時頃に地下鉄が復旧しました。当時自動車メーカーにいたので、社用車で自宅が近い人たちで分乗して帰宅しましたが、歩いている人と同じスピードのノロノロ運転でした。徒歩で帰る人が多すぎて、お祭りの出店を見ながら歩いている様なスピード感でした。
後部座席に乗っていた女性陣は途中で復旧した電車に乗り換えたので、よく覚えています。
15時頃会社を出て、帰宅したのは23時半でした。
揺れが大きいだけでなく、長い時間揺れていたのを思い出しました。
忘れず、災害に備えることが大事ですね。
怖すぎ。絶対に忘れてはならない。
いつ観ても涙出る
ウェザーニュースのアナウンサーだから読み上げてる時から、震度がそんなもんじゃないだろと言うのには気づいてただろうな。
このとき職場PCに緊急地震速報ソフトが入っていて警報音とともにP波とS波の二重の円が日本地図表示中拡大し続け各地の震度階級がすごくなり推定マグニチュードもガンガン上がった
ソフト導入後初の特級クラスの揺れだったため、マグニチュード表示が8くらいで上がらなくなって当時のソフトの想定表示の限界に達していて計算できなくなっていた
すぐにテレビをつけたらマグニチュードは8.8と報道されていた(後で最終的補正でモーメントマグニチュード9.0になった)週刊誌記事の速報時点記事でもまだM8.8になっていて補正は後日だった
NHKで漁港の水位を中継、水位がゆっくり上がっていき岸壁を超えたら陸の海水が急激に流れ始めた
その後仙台平野のヘリ空撮に切り替わり大津波が仙台平野を覆っていく様、を映していた
ちょっと気になったのは高所にあった車道の車列が津波と平行に動いていて車にすぐ横に迫る大津波が押し寄せる深刻さがあまり伝わってないように感じた
マグニチュードが上がったときに、「えっ?」って素が出ちゃってるのが怖い…
宇野沢さんプロフェッショナルですね。
何気なくみたけど、気づいたら号泣してた
当時6強の地域にいました。体感では5と6の間にはとてつもなく大きな差があると感じました。6強であれなら7とかもう信じられなくて。当時はニュースなんて見る余裕なかったけど、こうして後から見るといかにやばい地震だったか分かりますね…
気象予報士さん揺れに耐えて懸命に放送を繋いでおられる。
ヤバい、あの日のあの瞬間を思い出して涙出る。宮城県北地域に居ました。
緊急地震速報より前に凄い揺れ初めて、揺れが強すぎて身動き取れなくて、玄関開けてからは如何にして婆ちゃんを抱えて逃げるか、犬も落ち着かせなくちゃ、自分しか居ないと思って必死だったよ。家は地盤の強さもあって無事だった…。内陸だから津波は無かった。でも、あの恐怖は一生、忘れられない。数年前の深夜の震度6もヤバかった…😢
こういう放送を見ると、NHKの日頃の地震速報の訓練がどれだけ徹底してるかわかりますね
もう13年も経つんですね…当時住んでたアパートの頃を思い出す
後ろガタガタ言ってるのはここも揺れて物が落ちてるからか…😰
2:25 2:25
2:25 スタジオ揺れて落下音が激しい。 少しあとに山口さんも参加だが2人とも左右に体揺らしながら実況してたね。
プロの鑑や。
これ当時は何度も見ましたが、すごく緊張感が伝わってきました。
普通にスポーツ動画を見ていて、何故か3.11関連に飛んだ。
近日、南海トラフ関連の番組が放送予定なので、何か感じます。
この放送時点では犠牲者の大半は生きてたんだろうなと思うと
逆に言うとこんなに早く『海岸から離れて』と言ってるのに呑気な人が多かったということですね。東京にいた私でさえ、一緒にいた母に『この大きさだと東北は数千人は亡くなるかもね』と話すほど、命の危険を感じた揺れだったのに。
@@高橋一生-q7t呑気というかこんなに津波の影響があるという発想が無かったのだと思います。実際ここまでの津波は東日本大震災で知ったようなもので、東日本前と後では津波への対応の切迫感が違うと感じられます。
実際数千人には留まらず1万6千人弱が亡くなられている事から、お母様も勿論被災された方やその他殆どの人が発想に無かったのだと思います。
@@高橋一生-q7t 亡くなった人によう呑気なんて言いはりますわ
逃げたくても逃げられなかった人、自分を犠牲に他人を生かした人、その人らの無念を分からん野蛮人は心から軽蔑しますわ
@@高橋一生-q7t
地震発生から30分で津波が到達
浸水範囲は海岸線から5km前後だぞ
付近に高台や頑丈な建物が無い地域だってある
舗装が割れていて車両は満足に走れず
倒壊した建物の瓦礫もある中
平時で時速4km程度の歩行者が
30分で安全な場所に避難できると思うか?
君はいつどこにいる時に地震が発生しても
30分で避難が完了するのかね
でも逃げれば生きていた人も逃げずに歩いていたせいで流されたらしいけどね
だめだ、いまだに涙が出てくる
阪神・淡路大震災の時は東京で働いてたので朝のニュースで知ってたけど普通に出社
ランチに出た先で付いてたテレビで朝との差に愕然とした
その後執務室でもテレビ付けて追ってたが、見る度に被害が増えてく事に味わったことの無い不安と恐怖に襲われたのを今も覚えてる
そして東日本大震災の日
この動画のように刻一刻と被害が広がる様に阪神・淡路大震災の時の気持ちを思い出した
当日はマンションに居たのだが大きな揺れの後に停電になってしまった
不安で外にでると、同じように出て来た人が何人もいた
当時はまだガラケーワンセグ時代だったけど、ラジオもワンセグもなかなか電波を広えず皆で立ちすくむだけだった
夕方過ぎようやく電気が復活したものの、テレビの中の惨状は速度を上げて増え続けた
この時の恐怖と絶望感は、PTSDにこそならなかったけどまだ強く覚えてる
有事の際の正しい情報は非常に大切で、下手したら命に関わること
そんな中、危険を顧みずプロに徹して情報発信してくれる事には大きな経緯と感謝を伝えたい
当時次々津波に飲み込まれてく車を見て現実だと思えなかった…
翌日以降になって色んな映像がテレビでやってて 凄い高さの津波が凄まじいスピードで街中を覆っていくのを見て ますます現実と思えなかった…
あの頃大変な辛い思いした人達が どうか幸せに過ごしてて欲しいと思う
あの時、100を越える死体が海に浮かんでるという声にショックを受けていました。
現実感が無く、テレビの映像はまるで異国のニュースを流しているんじゃないかと現実逃避までして。
いまでも胸がギュッて痛くなる、九州の自分がこの地震で精神的に少しおかしくなってしまったので
おかしくなりすぎやと思う
敏感な方なんだな。気にすんなよ、何がしんどいかなんて人それぞれだ
私も九州の大学にいて卒業間近だったが、学友が気仙沼の出身でな。あの地震以降、言葉を掛けられなかった自分の弱さを悔いているよ…
ニューヨークのいわゆる911の時も、リアルタイムでニュースを見ててパニック発作起こした人がいっぱい居たらしいからなんとなくわかる。
調子が悪いときは情報から距離をおいてしばらくゆっくりして下さい。
ばっと初めに出た揺れの範囲が明らかおかしすぎるのと途中からアナウンサーさんが明らかに途切れ途切れになるのが全てを語ってる
ここのスタジオめちゃくちゃ揺れとるやないかい…
こんな中しっかり報道してくれてたプロ根性すごいよ…
アナウンサーの緊張が凄くて、ここから震度や
マグニチュード上がるなと考えながら話してるなと
感じる
マグニチュードの訂正が大きい。7.7が7.9になると力の大きさは倍になります。7.7が8に変わると2.8倍になります。
ほんの少しに思えたけどけっこうな大きさで増えていってますね。
幸いに当時は全く揺れを感じないところにいたけど、このどんどん震度が上がっていってスタジオの混乱が聞こえてくるのゾッとして涙出てくる
アナウンサーさんの声も冷静だけど必死で上ずってるし
ここにいたらこれ死ぬんかもって思うよ
冒頭から揺れてる範囲が異常なんだよな
ほんとそれ。
でも当時この放送リアルタイムで見てたら「最大震度4なのにえらい遠くまで揺れとるなぁw お、うちも揺れとるすっげぇw おもすれーww」と笑ってたかもしれん
そしてスタジオの揺れる音を聞いて洒落にならない事態だとようやく気付く
結局、中休み入れて5分間揺れてたからね。
ちなみに、揺れ始め2分の段階で千葉県九十九里は停電してたので、ラジオのみが頼りだった。
この津波の映像覚えてる。放送中の映画を観てた。津波の範囲がすごい広くて驚いたな。あんな風になるなんて思わなかった。
この状況下でも全く早口になってない
すごい
スタジオが大変なことになってるのがよくわかるわ
仙台~海浜幕張間を2分か…生々しい速さだ
直線でも300kmを2分ですか。時速9000kmとは脅威ですね。
………なわけはなく。
仙台~海浜幕張間「で」2分「差」 が妥当な表現かと。
何度見ても慣れないし慣れちゃいけないんだろう
宇野沢さんが揺れに耐えながらも
刻々と変わる状況情報を必死に伝えてくれてて
今NHKとかも必死に避難を呼びかける方針になってるけど
あの時TVが同じくらいの伝え方していたら
失われた命が少しは少なかったのかもしれない。
んなこたぁない、避難しない人は避難しなかった。戻った人も多かった。
どうしようもなかったさ。
だからこそ継がなければ。
「はえ~大変やな、まあ自分に被害はないやろ」って心理が人間にはあるからな
馬鹿なわけでも悪いわけでもない、全員持ってる脳みそのシステム
だからそういうのがあるって知るのと、どうやって安全確保するか平時に決めとくのが大事なんやね
TVを非難する人はうーんて思うわ
正常性バイアスとかあるし、避難しない人は本当に避難しないよ
というかあれだけ揺れたんだからね
あと、家の貴重品取りに帰って津波に呑まれた方もいるし
大事なのは災害時のTVを貶すことではなく【いかのおすし】を徹底させたり、自然が本気を出したら人間なんて一捻りだということを教え続けること
当時は避難を強く呼び掛けるとおそらくクレーム電話が凄かった時代だと思う。『落ち着いて冷静に、状況を見ながら避難する』が尊ばれていたんじゃないかな。
それに津波の現実的な恐怖についてぼんやりしていた当時なら、必死に避難を呼び掛けても「今回は本当に津波来そうだな!海見に行こうぜw」という人間がむしろ増えた可能性もある。実際当時も撮影に向かっていた若者達(その後の安否は不明)の話とかあるし。
3.11の映像やデータがしっかりあるにもかかわらず、能登半島地震の時にはもう『うるさい不快』『北朝鮮のアナウンサーみたい』などと揶揄嘲笑があった。
3.11前ならどれだけうるさいクレームになっていたか、推して知るべし。
さすがプロ。
報道に命掛けてるね。
神戸にいたけど目眩のような揺れがあった。マグニチュードがどんどん上がって行くのが怖い😖
初手ニュースの段階で、揺れ予想の範囲広すぎるよ…
自分は西の方の人間だけど、それでもめちゃくちゃ揺れたもんな
冷静な反応ありがとうございます。震度7の住民です。停電になってしまい、ニュースなど見れなかったので、こんな放送だったんですね。
テレビ、ラジオ聴ける場所に居なかったからな
こんな事になってたなんて知らなかった
みんな心配してくれてたんだな、いまさら泣けて来た
この地震長かったなぁ、場所によっては二回揺れたって言ってる人いるけど福島は三度ゆれてる。時間たってから当時の地震の解説本みたいなのを、落ち着いたら買おうとしたらパタっと買えなくなってた。なんか気持ち悪い。
東京で経験したけど、感じたことのない揺れ方だった。上下にガタガタっではなく、円形にかき混ぜるように揺れる気持ちの悪くなる揺れ方。数え切れないほど地震を経験したが、あんな揺れ方はこの時以外記憶にない
スタジオそれ自身も強震で揺れてる状態で凄いリアリティだ。強烈。
東京ですが、3歳にならない息子が怯えながら抱きついてきたのを覚えています。
窓から、電信柱が揺れ、大縄のように動く電線が忘れられません。
あれ以来、子どもと大縄で遊ぶのが苦手です。
絶対震度4じゃないと思いながら原稿読んでたんだろうな……
原稿なんか誰が書くの?
そんな状況じゃないでしょ。
仕事中だったから携帯電話の緊急地震速報以外に伝えるものは一切見たり聞いたりしてない状況で避難したけど、改めて見てみてだんだん日本地図に震度のグラデーションができて、しかもその範囲が広すぎて自分が体験したのに映画のワンシーンのように思ってしまう。
マグニチュードが最初7.7から7.9に上がっていますが、マグニチュードは桁が3つ上がると数値が2つ増えるという訳わからん設定になっているので、この時点で規模は2倍に修正されてます
常用対数を使っていますね。
それを使わないと、数値がとんでもなく巨大になってしまいますから。
有識者のコメントありがてえ
2倍ってすげぇや
自分が被災者だったら、これが流れてる中で、急いで荷物持って靴履いて海抜の高いところに走らないといけないわけよね。
動画ありがとうございます。
今見ても鳥肌が立った
最終的な震度は6強だった
建物が揺れる音、物が落ちる音を心が覚えてるんだろう
海なし県だから津波の被害も無かったし、住んでる地区は停電も無かった
リアルタイムでウェザーニュース見てたら生きた心地しないだろうな
今年の元日もたまたまニュース見てて能登から揺れが段々と近づいてくるのを体感して死んだと思った
宮城ですが、元日の地震で緊急地震速報の範囲がどんどん広がるのを見て、東日本大震災を思い出し、真剣に恐怖しました…
海岸から離れてとテレビで呼びかけても被災地では停電で伝わってないのよね
初報が、震度4、M7.2
実際に発生した地震は、震度7、M9
あれから13年たったとはいえ、発生後の分析でこれなんだから、
そりゃ事前予測なんぞできっこないんだよなぁ・・・
当時、学校にいた。
いきなりすごい揺れが来て、皆大騒ぎしてて、先生が焦りの見え隠れする声で机の下に隠れろと言っていた。
その後、ギャーギャー騒ぎながら、先生からは騒ぐなと怒られながら校庭に出た。
助かったのは日頃の避難訓練と、先生が我々を逃がす為に必死になってくれたお陰。
早めに帰ることが出来たんだけど、家の中はひどい状態だった。
こういうのを見ると、染んでいった人たちも地震と津波が来なければ今も普通に暮らしてたんだろうな、と。
この時にリアルタイムで見ていたけど(途中から震度5強の揺れで避難)、宇野澤さんの対応がすごすぎると心底思った
これ他の地震が誘発されて3箇所くらい発生したんだよね…。
え?揺れながら言ってる!?凄い😱
再生始めた瞬間に地震起きてビビった…
自分への戒めにたまに見に来る
非常食つまみ食いしたくなった時に…
ローリングストックだから、食べても足せばオッケーですよ👍😆
この時に勤めてた会社の親会社が福島にあって、救援物資の事で上司に乾パンや毛布、水等を買って親会社の工場に送りましょうって言ったら東京の本社からの指示を待てって言われて、一応、土日で店回ってどこが在庫これ位でってメモして歩いて、月曜日に在庫がこれ位あったのでと言ったら本社からの指示はないからほっとけと言われて、工業団地内の他の大手企業の役職持ちに愚痴ったらそのメモを貰っていいか?うちは本社とか関係なく動けるうちに動いて対応したいからと言われて渡したら人海戦術でメモしてある店を回って救援物資を東北に送って、うちの会社は水曜日に動き出して、メモを貸せと上司が言うから渡して店回っても食料品も衣料も毛布も電池もない状態で、「お前嘘のメモを渡すな」ってめっちゃ怒られた思い出を思い出した。
地震から6日経って救援物資を送ろうってのがおかしいだろって思ったけど。それで降格されて辞めたけど。
宇野沢さんが居てよかった。
宇野沢さんすげぇな・・・・・MTG揺れまくってる中での解説だもんな。
怖かっただろうな。
段々震度が上がっていく。確かに怖かった。
東日本大震災当時から比べると地震速報が進化したよなぁ
亡くなられた人達の
命の重さを感じて
これから大地震が
来たら助け合って
どんなに大変でも
笑顔を忘れず
日本人の素晴らしさを世界に示します。
西日本豪雨災害の後
福島に20日滞在し
震災後の姿をこの眼で確かめました。
こちらは関西地方だったけど、大きく揺れました。
現地は本当に大変だったと思います。
能登半島地震でも揺れました。
日本て、本当に地震大国なんだ。
阪神大震災を思い出しました😢
この第一報で全力で逃げれば助かってた人もいるんだろうな
改めて当時の情報発信を見ると、広域に渡りすぎて一番必要な震源近くの警戒情報がおそらく伝わっていなかった
というのがあるのかもと考えるようになった。
普段からAM/FMラジオが情報出していて、聴者もいれば問題無いかもしれんけど、現在の主発信者はテレビか
ネットになるからなぁ…
部外者からしたら震度7見たら終わったって思うよね、6強でも死人は出るわけで。でもこの時はあの猛烈な津波よりも原発に絶望した。日本脱出も想定していた。
この動画みてる途中で地震があって、びっくりした。
地獄の蓋が開いたような日々だったな
南海トラフ地震も同じ様に段階的に震度が上がっていくんだろうな。下手すれば東日本大震災よりも揺れの時間が長く強い余震が多いと思うとゾッとする。
あの時仙台で働いてたけど、後にも先にも(あ、俺ここで死ぬかも)と感じた事はなかった
生き残ってくれて良かった
漢、宇野沢、魂の放送。
母親に座布団被せて、食器棚とブラウン管TVを抑えていたのを思い出す。
あんな怖い思い2度と、嫌だ
職場放棄したい位ひどい