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大垣市民ですけど、柳ヶ瀬地区の衰退はそもそも尾張一宮の繊維業界の衰退時期から始まっており国鉄末期頃には既に空洞化しておりJR東海、名古屋駅地区の台頭は寧ろ「トドメを差した」という認識です。かつての繁栄を求める、というよりも「駅前ベッドタウン」としての優位性を徹底的に追求して他地域と差別化できるかどうかが今後の鍵でしょう。
そうですね。名古屋駅から地下鉄藤が丘駅(名古屋市東部)まで30分。名古屋駅から岐阜駅までJRで20分。駅前ベットタウンに徹した方が、人口増と思います。
そもそも、円高で繊維産業の海外移転(流出?)という産業構造の変革に、"繊維問屋"が零細のままで多数併存してたのがついていけなくて、"そのまま廃業"という形で衰退することに…問屋街等はそれぞれの店舗の元事業主が地権者だったりで、地権者の足並みが揃わず再開発計画が最近までまとまることがなかったのもある駅前再開発も柳ヶ瀬再開発も地権者が世代交代しつつあり、地権者の事情が似てきたこともあって、やっと話がまとまり再開発が進むようになったでも現状、岐阜市の市街地で何ができるかと言うと、「住居」の供給とその住民のための「商業施設(食品売場)」くらい…産業を新規誘致というけど、誘致したいのはやまやまで…濃尾平野は製造業が多く、そうなると郊外ならともかく市街地に誘致は難しいBtoBな商取引を誘致しようにも岐阜では名古屋に勝てない可能性があるのはサービス業だが岐阜ならではとなる特徴ある業種を探す必要があり、一朝一夕に募集して見つかるものではないと思う
岐阜駅南口行ってそう(笑)
岐阜市民ですけど、動画で繊維産業の衰退について触れられてなくてモヤっとしてたところちゃんとコメントで触れられてて安心中国製ファストファッションが流行り始めて価格で太刀打ちできず本巣にあった繊維工場も潰れてモレラ岐阜に変わったりと、時代の変化に翻弄されたというのが正しい
私も高校卒業の時(20数年前)まで大垣に住んでいたものです。子供のころ、物心ついたころから、既に両親からは岐阜駅前はずいぶん静かになったと聞いていました。親父はガチャマンの時代、かつての木曽川町出身ですが、大垣も同じで、繊維工業による繁栄からの転換に困っていて、駅前周辺の再開発は私が大垣を離れたころにようやく進んだイメージです。岐阜駅周辺も、そういった産業構造の変化や、自動車社会であること、名古屋圏から至近距離であることからも、転換が遅かったということなのかなと漠然と考えています。岐阜に行くにもドキドキした中学生時代でしたが、高校にもなれば岐阜をすっ飛ばして名古屋に出かけることも多かったので、その時点でもう何か手を打つべきだったというのは結果論でしょうか・・・。
「もちろん路面電車廃止が原因です。」と言いたいですが、県庁が郊外に移転したときから、もう衰退していますね。
そもそも鉄道が廃止したから街から人が減ったのではなく、人が減った(駅以外の軸にシフトした)から鉄道利用が減るだけだしな。鉄道ファンが多いここで言うのは勇気いるけど笑
@@そんなにちっちゃくない さんおっしゃる通りだと思います。
良し悪しはさておき県に先見の明はありましたね。藪田は県内アクセスがめちゃくちゃ便利なので。
岐阜市内は片側2車線しかなく、路面電車がその片側の車線を塞いで凄まじい交通支障を生み出してました。おまけに停留所も道路の真ん中にグリーンの塗装がされただけの狭小スペースしか確保されずで非常に危険で使ってる人も僅か。仮に現在も残ってても富山や宇都宮みたいな評価にはならなかったでしょう。
@@toughmiyazawa4518 さん>思い切って、岐阜駅~今小町~河原町を路面電車専用にしていたら、かなり先進的だと評価されたでしょうけど、細いながらも大動脈である道をぶっ潰すことになるので、非難轟々だったろうなぁ・・・。
40年ほど前に岐阜市内に住んでいた者です。昔も岐阜駅周辺は市内中心部ではなく、栄えていたのは柳ケ瀬商店街のほうでした。岐阜におけるドーナツ化現象は小学校の社会科で習うほど問題視されていました。路面電車は移動手段の主ではなく、路線バス(名鉄バス、岐阜バス、市営バス)が幅を利かせていました。このバス会社の動向が岐阜市内の公共交通に多大な影響を及ぼしており、ここと市当局とのまちづくりにおける連携がうまくいかなかったことが衰退の大きな原因であり、路面電車はそのスケープゴートにされたのではないかと思います。
初めて訪れたのがその頃でしたが、確かに賑わいは凄かったですね。高島屋だけでなく近鉄デパートもあって、さらには岐阜市営バスも走っていて「岐阜って結構都会なんだ!」と思いましたが、名鉄市内線の電停にホームも安全地帯もなく、道路の真ん中に描かれた白線枠に乗車客が堂々と立っている姿にカルチャーショックを覚えました。「柳ヶ瀬ブルース」の舞台がここだと知ったのはかなり後の話でした。
名古屋が強すぎる以上、岐阜の路面電車の有無に関わらず中心部の商業施設の衰退は避けられないことがよくわかる動画でした。無理に商業施設に固執して大赤字を出すよりも駅近くに人口を集めてちょっとした買い物に対応できる程度をそろえた方がいいかもしれませんね。
今や岐阜駅の周りってマンションと居酒屋と学習塾だらけだからなぁ。買い物にしても名古屋の高島屋か郊外のイオン・・・って状態だしね。逆に何をするにも何処へ行くにも(公共交通利用なら)岐阜駅に出ないと始まらない
だからこそ、市内ループバスで行けるマーサ21(中にイオンが入っているショッピングモール)は、かなりレアな存在とも。
岐阜の衰退に関しては、どちらかというと岐阜の繊維産業、特に岐阜繊維問屋街の衰退と絡めて論じられる方が多いような。
的を射ていると思います。国鉄時代の東海道線は全く使い物にならず、名鉄の特急も今よりずっと停車駅が少なかったです。一方で、名古屋の中心部は栄であり、必ず地下鉄東山線に乗換えなくてはなりませんでした。これは千種で乗換える中央線も同じです。名駅にJR高島屋が出来てから一変しましたね。JR広域の客を名駅でカネを落とさせることが出来る、これは大きかったと思います。更にJR化後に快速体系を抜本的に見直したことによって、岐阜ー名古屋は圧倒的に近くなりました。対する名鉄は、新岐阜時代の面影はもうありません。名古屋が近くなったことが大きな要因とも思っています。
JR東海の新快速はJR西ほど脚光を浴びないけど、豊橋や蒲郡から名古屋へのアクセスも国鉄時代と段違いで便利になった。
名古屋と岐阜は京都と大津の関係に似てます。どちらも歴史ある街ながら、大都市(名古屋・京都)に近すぎて、新快速(JR西・JR東海)により、県庁所在地にもかかわらずベッドタウン化、という。
奇しくも岐阜には金津園、大津には雄琴という巨大ソープ街がある点も共通してますね。
残念ながら岐阜市から名古屋市への流入は1万人程度、大津市から京都市への流入は3万人近くで大きな差があります。正直距離の差です。名古屋への流入数ランキングで岐阜市は10位で、愛知県内の各市町村が流入の中心です(もちろん)。一方、京都市への流入数ランキングの1位は大津市で、同じ京都府の宇治市よりも流入が多いです。
大津(「大きな港」の意味)は、江戸時代どころか中世の昔から琵琶湖側の京都の港ですから、鉄道ができて京都・大阪のベッドタウン化したのも確かですが、そもそもはじめから大津は京都の衛星都市だったといえます。どこに県庁所在地があっても湖の対岸からは遠回りしないといけないので、なんなら彦根とか長浜に県庁があってもよかったような気もしますが、結局は滋賀県内で京都や大阪にもっとも近いところに県庁がおかれました。
京都と大津はそんな関係じゃないですよ今は京都離れが深刻で大津市に流れてますが大津市は大阪市のベッドタウンでもあるので複雑な三都関係になっています
@@ZZZ-_-ZZZX ベッドタウンという関係を前提にした都市開発だから岐阜よりも遥かに栄えている
国鉄がやる気がない頃は岐阜から名古屋への普通列車が1時間に1~2本という時があって名鉄が地元の普通電車を1時間に1本しか運転せずに特急等の速達列車の運転に明け暮れていた時期があります。それもで名古屋への交通は便利だった。それから国鉄がやる気を出して、JR東海になってブースとした結果、JRは名古屋へ先発先着の列車が1時間に8本で所要時間はだいたい20~26分ぐらい。一部を除いて座席は豪華。運賃は名鉄より安い。名鉄は運賃がJRより高いし特急でもJR普通より遅い30分ぐらいの所要時間だけど、全列車始発だから朝ラッシュ以外は乗車券だけで乗れる一般席に座れる、万が一でも特別車両に課金という最終手段も15分に1本のチャンスがある。さすがに過剰だったのか?急行は減便しちゃったけど。名鉄には名古屋駅が冷暖房完備で待ち時間に暑かったり寒かったりしないという隠れた利点がある。そんな便利な状況で選びたい放題で名古屋に行き来できるから、そりゃ名古屋のベッドタウンになりますよ。反対方向で言うと名古屋~刈谷ぐらいの感覚で移動できます。県境なんて行政が勝手に引いた線に過ぎないので。。。更に名鉄は15分に1本のうち半分が中部国際空港発着なので空港アクセスでも30分に1本の電車が確保されています。特別車料金を払って快適に行くのもよし、両方とも始発駅だから一般車に座るのも可能なので安くいくのもよし。。。岐阜って愛知県で仕事やレジャーをするのに最適な都市です。
30年くらい前から東海道線の普通が岐阜折り返し基本になって名鉄のアドバンテージが落ちた印象です。そして600V線区廃止とJR側のバスターミナル整備でますますJRシフトが進んだかなと。
岐阜の中心地といえども同じ県内の多治見や中津川に向かうとなると名駅経由の方が便利で速い。となれば中央線沿線は県庁所在地にはほとんど向かわず名古屋に向かうだけ。車でも東海環状はあるものの名古屋に向かう方が便利。首都圏でもそうしたところはありますが、行政の境目よりも便利な方に人は動きます。
名古屋が近すぎますからねえ…特に新快速だと名古屋駅まで19分
ストロー効果ですね。
岐阜駅から柳ケ瀬の高島屋に歩いていくより名駅の高島屋に行くほうが時間かかりませんからねぇ…
ところが1970年代まではファッションブランドの路面店が岐阜にあったために名古屋から岐阜への人の流れがあった。近すぎることはやり方次第ではプラスになる。
@@u-r4639バルコですね。
@@u-r4639 さん>それがベットタウン化だと岐阜市は判断したんでしょうね。
私は岐阜市に55年間住んでいます。私の住んでいる岐阜市南部には、近くに各務原イオンやカラフルタウン(イトーヨーカドー)などのショッピングモールがあり、大きな買い物は車で行きます。柳ヶ瀬は、駐車場も少ないので、滅多に行くことはありません。私の子供時代の約50年前は大きな買い物というと柳ヶ瀬に行くことが多く、とても賑わっていました。これから、岐阜駅前から柳ヶ瀬にかけての地域を活性化させるのは、かなり難しいと思います。
地元を取り上げてくださって光栄です。県庁、岐阜大学、大学病院が街の近くにあればまだ違ったと思うのですが、みんな中心街から遠く離れた市の外れにあります。せめて路面電車沿いにそれらがあればもう少し有機的な街づくりも出来たと思うのですが。
仰るとおり、岐阜駅周辺に岐阜大学と岐阜大学病院あればよかったかも知れません…
どちらも今の市役所の場所にあったんですけどね…
他の地方出身者です自分の地元も中心街は再開発してくれなくなり、全く駅もないところにイオンができてそっちが中心になってしまいましたそして免許がない人は地元に戻れません
岐阜市が名古屋のベットタウン化って話、現地行くと分かるけど建設中の分譲マンションは大体壁面に名古屋まで何分ってデカデカと貼ってあって岐阜市は名古屋のベットタウン化してるんだなってしみじみ感じる上にその割りに大きな小売店が殆ど無い(ドンキさえ逃げ出した)現状考えるとマジで住宅地化してるんだなって感じだし、あと新たに作られるツインタワーの件も先行して今ある高層マンションが同じコンセプトなのに商業区画が閑古鳥鳴いてる現状見ると厳しいと思う。
そういえば、駅ナカ(アスティ)にあった成城石井が潰れたなぁ・・・。モスのそばにあるスーパーはまだまだ流行ってるけど、価格帯のせいなのかな。
車社会と中心市街地とはお互いに両立することはないかとというのは駐車場を大量に確保できる郊外モールに対して何の優位性もないからです
ちなみに2つ隣町の大垣は駅前にモール(アクアウォーク)があります。最近では鉄道アクセス考慮も増えているかなと。
大垣の場合は駅近くに繊維工場の跡地があったのが大きい。
名古屋が近すぎるからですね。名鉄とJRが競争しているので便数も多いですし。しかし、名古屋への通勤を考えるとむしろ名古屋市内よりも岐阜駅前や犬山駅前の方が住環境はいいです。街並みもキレイです。
×岐阜市中心部は路面電車廃止で衰退した〇岐阜市中心部は衰退したから路面電車が廃止されたもし岐阜市中心部に活気があれば、路面電車を残そうという流れになったはず。
データの通り1990年代の岐阜は衰退が始まっていましたが、議会・市民は「市内線を廃止にしないから衰退が加速している」として撤去論が再燃し2005年の廃止になりました。つまり、市内に活気を取り戻す為に路面電車を廃止しよう、という論だったのです。
岐阜市内線を、名鉄が廃止を申し入れたのは赤字だったからです。もし仮に、岐阜市内線が存続していたとしても結果は大きく変わらないでしょう。
最初は路面電車も維持できないヘタレ都市岐阜なんて怒りがこみ上げてきましたが、冷静に考えれば、すでに維持できる需要も無かったってことですね。富山以下。
いえ岐阜市内線や美濃町線など1部路線はギリギリ黒字レベルでした山間部や閑散部のえぐい赤字区間があるせいで全体が赤字なんですよあそこそして名鉄は廃止ギリギリまでモ800など最新型車両を導入して路線廃止は避けたがってましたよ廃止させたのは岐阜市です
ギリギリ黒字レベルであっても将来的に赤字に転落して維持困難と判断して廃止の表明をしたのです。維持可能と判断していれば、揖斐線や谷汲線、美濃町線等のみを廃止すればよいだけです。それをしなかったのは、市内線だけにしても将来的に維持困難と判断したからでしょう。岐阜市等が、ライトレールトランジットの考え方に十分な理解が有れば市内線やそれに接続する路線は、存続していたはずです。
@@健司高濱地元民です。自動車によく乗っていた私の父でさえ、「路面電車は怖い」と言っていました。また歩道寄りにするのも警察が反対していたそうですし・・・。バス路線も岐阜バス、名鉄バス、岐阜市営バスが岐阜バスに一本化されましたが、バス自体本数は減り、昼はスカスカです。(かつては岐阜市内線は岐阜駅前から長良北町及び忠節までで、長良北町から高富線で高富まで、忠節から揖斐線及び谷汲線、鏡島線で西鏡島まで、徹明町から美濃町線で新関、美濃まで走ってました。晩年は岐阜駅前から忠節を経て揖斐線・黒野まで、美濃町線は新岐阜及び徹明町から新関を経て長良川鉄道の関駅までです。因みに岐阜バスは名鉄グループ。)
ライトレールトランジットの考え方とは、路面電車の併用軌道の部分での軌道と自働車が通行する部分を完全に分離して路面電車の定時制を確保する。それと同時に、郊外路線を専用軌道として高速運転を行う。また、これら以外に、市街地内への自動車の進入を抑止する(パークアンドライドの推進や強制的な進入抑止等)方法を取り市街地内での自動車の通行量を減らして交通渋滞を無くすと言う考え方です。これらを岐阜市内線で行うには、路面電車が通る道路幅の拡張などが必要となりますので大局的な都市政策や交通政策が必要となります。先見性や長期的な視点が無いと出来ない政策ですので強いリーダーシップを持つ首長がいなければ実現は、困難でしょう。
ほぼ毎週岐阜に行っている人間ですが、駅前には人がいないわけではなく、むしろまぁまぁ人がいるんです。本当にいないのは、柳ヶ瀬でも旧高島屋より東側の薄暗いエリアなんですよ。所用であの辺りを歩いたんですけど、だーれもいなかったw路面電車の廃線が、かなり前から言われていたのは初耳でした。廃線止む無しになったのは、駅前から河原町に向かう道路がかなり細いからなのではないかと思われるので、その部分の交通障害を考えると・・・。ただ、静態保存されている路面電車のレールが、恨めしそうにその細い道路に向かって伸びていて、いつでも復活させれるぞと言いたげな雰囲気を持っているのが何とも。恨み節を言いたいがために、わざわざ谷汲にあったのをもらったのかと。むしろ一番の問題は、岐阜駅を一体化できなかったことなんじゃないかなと。名鉄側が蹴ったそうですけど、一体化が進めば、駅周辺の開発ももっと容易になったんじゃないかなと。バスターミナルが2つあるとかいう無駄も省けたわけですし。あと個人的に気になるのは、ホテルが郊外にあるんですよ。もっと駅前に作った方が、飲食店の活気をもっと与えられると思う。観光地の近くだから郊外にホテルがあるんだろうけど、やはり駅前にあった方が動きやすい。
駅前にもホテルはそこそこありますよ
今でこそ長良川を渡る橋や環状道路が整備されて市街の交通量も落ち着きましたが昔は渋滞が酷かったですね駅前や商店街のシャッター街は戦後復興から高度成長期は良かったと思いますが、不景気や高齢化で廃業後もそのまま住まれている方も多いので、再開発するのも大変なのだと思います名鉄の単線区間ですが、毎年行われているぎふ鉄道博物館というイベントに高架化事業の展示があり、パネルや模型を見たところJRの橋脚を挟んで複線化されるようです
他の駅前衰退動画と比べると、岐阜の場合たとえベッドタウンとしてでも駅周辺に人が集まってくる分だけマシな部類だと思います。
急激なモータリゼーションの進行による市街地の過密を緩和するべく、岐阜県庁、岐阜大学等を郊外に移転させてしまったのも一因ですね。岐阜市の中核産業であった繊維産業が衰退し、それを代替する産業を誘致出来なかったことも大きいでしょう。
岐阜って完全に車社会だからなあ。駅は名古屋へ行くためのもので駅周辺は駐車するための場所。買い物は名古屋か郊外のショッピングモール。名古屋と近すぎるのがねえ。
動画内でも指摘があるように、岐阜市はもともと路面電車廃止を打ち出していましたが、黒字だったため名鉄が廃止を拒否し、廃止するなら補償しろという立場でした岐阜は路面電車を廃止したから中心部が衰退したのではなく、中心部が衰退し路面電車が赤字になったから名鉄は廃止に方向転換したのです岐阜は何度か訪れましたが、路面電車廃止前夜には既にJR岐阜駅や名鉄新岐阜駅周辺はずいぶん衰退していた印象です路面電車を存続し延伸もした豊橋市と比較してみるとよいかもしれません豊橋は路面電車を存続し延伸もしましたが、それでも郊外のロードサイド店が増え中心市街地が衰退したことにかわりはない印象です主さん苫小牧の時も安易に大学誘致を提案していましたが、苫小牧にしろ岐阜にしろ少子化が進むのに今さら大学を誘致しても地獄だと思います
岐阜市内線については名鉄が半ば強奪したかのように買収した経緯から沿線民の評判は非常に悪く、戦前から常に廃止の話が出続ける路線でした。加えて空襲があったものの地図が焼かれずに残ったので地権のトラブルがなく、戦災復興都市計画へすぐに手を挙げられたのが却って災いし、道路の拡幅ができず電停の危険な状態が改善されることはありませんでした。こんなことになったのは旧名鉄が名古屋市内線の焼き討ちに遭い、名古屋市に市内線を買収されたことが原因です。岐阜の衰退と鉄道の関連性をあえて挙げるなら、市内線よりは美濃町線、揖斐線、谷汲線の600V区間のネットワークを廃止することで市内への人の流れを絶ったことの方が影響が大きいかと。
豊鉄みたいに美濃電をバスも含めて別会社にしていれば歴史が変わってたと思います。笠松竹鼻はともかく、北西〜北東方向に何路線もあったんだから、地元の役所と仲悪くなければ、と思います。またこれは、関市や北方や大野町などの周辺地域の岐阜市への結びつきにも大いに影響したでしょうね。
車社会なって鉄道が衰退したゆえ廃線ですからね。
電車の焼き打ち事件とは日露戦争後の講和条約反対運動の影響からですか?
市内の空襲被害後、道路拡幅がなされなかったのは皮肉な要因となったな
@@伸加藤 それではなく、大正時代の米騒動に絡む暴動かと。名古屋市街の路線の市営化につながり、市交通局発足のきっかけになりましたね。
私は岐阜の地理が大好きです。岐阜城があって木曽川と長良川が流れ、犬山城なんて最高な景色です。アメリカの大学のプレゼンで戦国時代の歴史と地理の関係を岐阜市を題材にお話ししたら外国人からの質問が殺到でした。まじで。素晴らしい街なんですよ。
岐阜駅って今はもう周りに飲み屋しかないよね…
お風呂屋さんが駅裏にいっぱいあります
それでも人を呼べるだけの集客力はあるだけマシですよ・・・。地方に行くと、それさえも無くて、飯を食うところにも困ったことが。
十六銀行と三菱UFJ銀行の西側周辺は居酒屋ぽい店がありますね。
空洞化した駅中心街に最後に残るのは飲み屋と学習塾ですね
2005年に新岐阜百貨店が閉業した時に店側が総括してるんですよね。要因の一つとして「名古屋止まり」があると。そのちょっと前に岐阜の大学に行ってましたが、名古屋の実家から通いで行けるぐらいだったので完全に「近場」の範囲内でしたね。「路電廃止が原因」派の人は見え方が間違ってるというか、確かに廃止以降も衰退はしていきましたけど、実際はその前から衰退してたので、路電廃止「から」ではないという話。
もう一つ、県庁の郊外移転というのも大きいと思いますよ。いうなれば大企業の本社が移転したようなもので、県職員がいなくなったのはかなり効いていると思います。どんな過疎県でもなんだかんだで県庁所在地はそれなりの求心力と賑わいがあるわけですし。
路線が市内で完結していれば大昔に廃止だったと思う揖斐、谷汲、美濃、関へ直通していたから市内だけを廃止にすると孤立してしまう
地元民です。車依存の街づくりで郊外に商業施設が広がっていること、遊びに行くなら名古屋というのが当たり前になったこと、エキナカ施設が充実していて駅前商店街を利用する機会がほぼないこと、が中心が寂れた大きな原因だと思ってます。良くも悪くも保守的な風土で時代に合わせた改革が出来ず、街づくりが中途半端な状態が続いたことも良くなかった。とはいえ、今から名古屋に対抗する商業圏を作るというのも現実的ではないと思いますので、ベッドタウン化により名古屋と差別化するのは妥当な路線だと思います。あと、問屋街も柳ケ瀬も昭和まんまの光景が残されていますので、レトロマニアの人にはウケるかもしれないです。
名古屋にもっと近い尾張一宮駅前ですら衰退していますから、やはり名古屋との交通の便が良すぎるのが原因ですね。
東海地方は車社会・住宅もマンションが少なく戸建が多めであることもあって、あまり主要駅周辺を核にしたまちづくりに重きが置かれていない印象ですね。駅周辺をしっかり開発して求心力を担保しようという動きが見られるのは、東海3県では豊橋ぐらいかな・・・
岐阜駅周辺の再開発、なんとなくですが中京圏版の武蔵小杉駅のようになるイメージを抱いています。名古屋のベットタウンとして発展できる可能性に期待したいところですね。
UA-camチャンネルで岐阜市内線の廃止が原因!と謳ってる動画が多いですが、浅い考察だと思いますねーデータを見ると路面電車廃止前から続くトレンドだとわかりますね
「岐阜乗合自動車の相談役が市長の資金管理団体の代表だった!鉄道は不当ににつぶされた!」みたいな意見がありますが、そもそも岐阜乗合自動車は名鉄のグループ会社ですから、名鉄本体が鉄道の廃止に反対だったら好き勝手はできないはずです。要するに名鉄が路面電車を残すつもりがなかったということ。その証拠に鉄道の復活を掲げて活動していた団体に名鉄は協力してないですし。仮にもし今まで残っていても宇都宮ライトレールのように成功することもないでしょう。宇都宮と違って需要が少ないですから。
あの団体ですね。
こんにちは。名鉄の衰退は、JRとの競合もありますが、新岐阜駅(現・名鉄岐阜駅)へ人を運んでいた市内線がクルマに負けてしまったからです。市議会も路面電車廃止決議するし、市内線廃止当時の市長の後援会は岐阜バスの偉い人だったりします。クルマ社会を止める人がいませんでした。JR岐阜駅のビルは総合駅で名鉄が乗り入れる計画でしたが、名鉄が各務原線の孤立を嫌って拒否したため、ショッピングフロアになりました。JR岐阜駅前の高層マンションのターゲットは名古屋駅周辺で働く層へ、物価、生活費の安い岐阜市へ誘導してます。岐阜駅は名古屋駅が近過ぎました。名鉄特急はJRの普通列車にすら所要時間で勝てません。
岐阜は軌道敷地内乗り入れ可にしていて電車をないがしろにした。
東京に対する横浜、千葉、さいたま市クラスの地域中核都市ではなく単に名古屋の通勤圏の都市と化してしまいましたね。
岐阜は商業都市ではなく、名古屋のベッドタウンに専念すればよいと思います。
20分程度で名古屋へアクセス出来てお得感がある、混雑もそこまでではなく災害の心配がそこまでない。ベッドタウンとしての弱点はあまりないような気がしますし舵取りを間違わなければ発展しそうな気はしますよね。
岐阜を訪れたとき、信長像を目にして違和感に襲われました。なぜ美濃人の斎藤道三ではなくて、尾張人の織田信長を祭り上げるのかと。思えば、道三が信長に国譲りをしたとき、すでに今の状況は決まっていたのかもしれないですね。
たしかに!
岐阜市街衰退してしまった理由色々ありますが、県内全体トヨタや関連会社従事者が多く可能に車に依存する社会だって部分が大きいです路面電車廃止に関しては専用軌道が大部分だった線区もあの時期軒並み消えており、名鉄として600v区間は瀬戸線のよーに昇圧して残すところと取りやめてしまうところきっぱり切り分け、邪魔扱い以前に名鉄でとっくに辞めてしまう方向性で動いていたってところでしょうせめて新幹線が岐阜駅併設されれば多少いい方に流れが変わっていたかも知れませんもうああなってしまっては名古屋従属都市化の流れは止まらないでしょう名古屋在勤者は店が閉まる前に就労先付近でものを買って帰るのが当たり前になりますタワマンなんかに住む住民層は比較的若いので郊外や逆に愛知まで買い出し行くのはあまり苦ではないでしょうが、そういう地域ほど高齢化はあっという間ですするとモロに買い物難民になってしまいます千葉市のよーにまだとことん既存商店街が居住用に蚕食(回遊性低下)されきってしまわない今のうちに下駄履きにしてでも一続きとしての商店街を条例なりで持続させる必要があります
新幹線は地理的に無理だよなあ...名古屋から京都、大阪を線で結べば岐阜県内のほとんどは最短経路から外れ通そうとすれば大回り。名古屋という都市が大都市になった時点で岐阜は植民地、ベッドタウンになる運命なのでしょうね。
@mothlla3000 さんそもそも名古屋ー京都間に駅必要だったのかなと思います無駄な駅の典型でよく岐阜羽島が上がりますが米原もはっきり言って無駄です米原を設置したのは当時北陸新幹線を開通させる前提がなかったので北陸方面へ便宜を図ったからです素直な線形という話になってくると名古屋から、というかもっと言えば笹島貨物駅からほぼ真西にルートを取り一直線に近いルートで京都駅にぶつけるような経路が理想だったと思いますし、中央リニアもほぼそういう線形で計画されています
岐阜駅周辺の衰退は路面電車廃止以前の何年も前から問題になってますね。郊外型店舗に客を取られて柳ヶ瀬も完全にシャッター通りと化してますし、あと名古屋に近すぎるのも衰退要因の一つだと思います。岐阜市民の多くが名古屋で買い物するから。
動画説明にあったように、住みやすさ(ベッドタウン)としては高評価。あとは名鉄側の決断と岐阜県民と市民の心掛け次第!因みに大垣市(岐阜市の隣)から名古屋方面や周辺に仕事で回る人達は少なくない。
すごく興味深い考察です。今後とも鐵坊主さんの動画を見させていただきます。
夏に岐阜でライブあったけど宿泊は便利な名古屋でした🥺観劇後の飲み会も遠征組の大半が名古屋宿泊だったんで名古屋で開催しました😢結果的には始まる前の昼食ぐらいしか岐阜では金使ってないな…🤔
関東の都市はほぼベットタウンだが中心駅前に全て集中して活気がある様に見えるね。岐阜も駅前を新しい中心として街づくりをしてはどうだろう。
岐阜市内線の廃止がある意味「だまし討ち」のように他人から見えるのが大きいかと思います。新車導入して 駅乗り入れを工事終わったら再開させるを反故にした+両備G等の受け入れ提案をことごとく拒否した等々。 まぁ 名古屋に近すぎて便利すぎる+本来の繁華街(柳ヶ瀬)と距離があったと言うのが大きいかと。 え?,南口の某「大人の遊び場エリア」の衰退が原因?再開発が北口に集中していることで「お察しください」
北口真正面のビルがことごとく廃墟だから、余計にそう見えるはある とはいえ、名鉄近くまで行けばモノがないことはないし、あの辺からちょっと奥に入れば飲めるし、本来の市街地はもっと奥でしょ?(40万都市のそれかと言われると微妙なところはあるかもだけど)
名古屋と岐阜は首都圏で言えば横浜と横須賀の関係に似ているような気がします。横須賀中央の駅前もかつてに比べて活気が無くなり、百貨店も縮小。駅から少し離れたモール全盛の時代です。京急は上大岡に百貨店を作り、横須賀まで商圏にしているほど。
岐阜といえば駅南側の例のエリアも廃れまくってるうえに年々店舗も減っていってて悲しくなってくる(以前愛知に住んでた時によくお世話になりました🥺)
真ん中に余り意味のない道路を建設したのが大きい。
あれって法律的に建て替え不可能(新しい営業許可が絶対に下りない)だからどうやっても衰退するしかないって聞いたことありますね
警察からは風呂から立ちんぼにしろと指導です
濃尾平野の繊維は昭和40年代後半には衰退期に入りその工場跡地には大型スーパーが出来るようになりましたね。繊維工場はプラザ合意でとどめを刺されたイメージですね。繊維問屋街も平成に入る頃から急激に衰退期に入り世紀をまたいだ頃には…でした。中途半端に岐阜市も名鉄も金があったので持ち堪えてしまった結果かもしれない。
岐阜バスのバスセンターが閉鎖されたのは驚きでした。昨年岐阜城の帰りにバスで通ったかつての繁華街は土曜の夕方なのにほとんど人を見かけず。駅前に立つタワマは令和のベッドタウンとは聞こえは良いものの、次の世代が子育てとなると別の街に出てしまう可能性も。コンパクトシティにはなれども名古屋に近いのでさらなる衰退の要素をはらんでいるのかもしれませんね。
東京の周りの人口40万程度の都市は商業施設いっぱいあんのにね
東京圏は広さも人口も規模が違いすぎる町田、柏、船橋、川越駅などから山手線のターミナル駅まで25~40分かかるが、その周りの人口も膨大で合併すれば相模原市のような政令指定都市は5つや6つ簡単に出来てしまう町田駅まで10~20分かかる人なら新宿までは50分かかる一番典型的なのが新宿まで25分の立川駅で、立川市自体は人口20万足らずだが商圏人口は190万人もいて岐阜県の人口と同じくらい例えば拝島駅から新宿までは西武直通で50分だけど立川なら10分
岐阜さみしくなりましたね〜、、
2000年時点では名鉄として全線廃止までは考えていなかったのではと思うが・・・(97年、00年に新車導入)
15年ほど岐阜駅周辺に住んでいた者です。中心街の衰退は肌で感じており、その理由もおおむね納得できるものです。動画中で挙げられていたシティータワー43や柳ケ瀬の再開発ビルは、住居区画は人気がある一方で商業区画はあまり人気がないという話をよく聞きます。動画内で述べられている通り、岐阜駅周辺は名古屋に向かう人の住宅地としての需要が大きく、それゆえ名古屋駅の商業施設と競争しなくてはならない立場だといえます。また、岐阜市の中心部を離れると大型商業施設がそれなりにあり(イオンモール各務原・マーサ21・カラフルタウン岐阜等)、郊外から駅周辺への買い物需要に頼るのも難しい状況です。ただ、岐阜県の周辺都市から岐阜駅周辺に向かう流れは確かにあるので、ツインタワーや名鉄岐阜駅再開発で求心力が上がることに期待したいです。
悲観的になる必要は無いです。利便性が良く人口が増える要素がいくつか有ります。名古屋市のベッドタウンとして再開発して更なる発展を目指せば良いのです。
関東でいえば浦和のような立ち位置でしょうか無理に商業地域として再開発しないで名古屋のベットタウンとして割り切った開発でいいのでは
さいたま市は東京のベッドタウンであるだけでなく国の出先機関が移転してきたうえ、地元産業も発展している。岐阜と同じレベルでは論じられないのでは?
@@TSUYOS185 さいたま市というより旧浦和地区かとたしかに大宮や与野地区は国の出先機関もあったり商業・交通の要衝でもあるので岐阜市と同じレベルでないのはご指摘のとおりです
よそ者ですが、モータリゼーションが全国でもトップクラスに進んでいる中京圏で「路面電車の廃止で衰退」は理由としておかしいと思います。現代では車でイオンなどのショッピングモールに出掛けるか、ちょっと遊びに行くのなら名古屋まで出てしまう人が多いのではないでしょうか?商業施設の振興もいいですが、名古屋への通勤の利便性を考えればきっぱりと住宅地としてマンションなどの用地にした方が良さそうですね。
廃止前の岐阜市内線は市街地の交通機関ではなく、揖斐線のフィーダーとして機能していました。廃止は揖斐線沿線には壊滅的影響がありましたが、岐阜市中心部への影響は限定的でした。以前は百貨店もあって本巣郡の中心地であった北方町の衰退なんかは凄まじいものがあります。
この手のハナシになると岐阜市内の話題しか出ないが、周辺地域が県都岐阜によりつかなくなったというのがいかに重大だったかは、関市や北方や大野町に行って地元民と会話すると分かるんですよね。
大野町出身の友人が嘆いた話、北方町の高校へ通学した感覚で岐阜市内へ出かけようとした際、あの時は名鉄電車で待合せの時間が読めたけど、今やバスで大垣駅か穂積駅へ向かって…JRで岐阜駅へ出るしか😭…帰省しても不便になったと言ってました😅たまに丸窓電車の話には泣いて喜んでくれます〜。
@@noriosenochan9825 その穂積駅なら、そのまま岐阜駅発車しても10数分座ってれば名駅ですからね。谷汲村役場の人のハナシだと、157号が改良されて谷汲山大橋が開通したら、名古屋方面へは穂積駅P&Rになったそうですから。名鉄の線路では太刀打ちできないとはいえ、確かに岐阜市に人は寄り付きませんね。
北方町なんか本巣の中心地であった為か衰退が進んでいた為平成の合併の際にも近隣市町村に合併してもらえず、さらに衰退がひどくなってるよ😢
誰かが言っていた、岐阜が名古屋市の植民地とかのジョークが悲しいですね 東海道線移動時によく感じるのは確かに国鉄時代にない岐阜〜名古屋間の驚愕的な近さですから ストロー現象?
各務原も岐阜も大垣も全部名古屋の植民地感はわかりますw
もっと言えば、岐阜県は飛騨地方だけという言い方もできなくはない。美濃地方は、ほとんど名古屋の植民地と化してしまっているとも。
関東や近畿に比べ、名古屋を取り巻く地域は、通勤には鉄道を利用するが、普段使いはしないという生活スタイルが一般的ですが、それを少しでも変えていく必要があると思います。そこが良くなれば、自然と岐阜駅も再び成長へ向かうでしょう。エネルギー問題もありますが、安全運転ができない高齢者ドライバーが増えているのが特に切実な問題です。ところが、岐阜県は各自治体がすべて名古屋とのつながりで成り立っており、横の交流が少ない。このため自然な発展に任せてもよくならないので、県や各自治体が意識的に連携し、公共交通を強化する取り組みを進めて欲しいですね。それには、岐阜駅だけでなく、周辺のロードサイド店舗や巨大ショッピングモールへのアクセスにも注目した方がいいかもしれません。これは他の岐阜県内の駅にも言えることです。また現在、観光産業は好調なので、観光に利用される交通機関を地元民にもちゃんと使ってもらうという流れを作っていくのも必要だと思います。
名鉄とJR岐阜駅が合併出来なかった事が、大きい。そして繊維街を移転出来なかった事も大きい、岐阜市の将来を考えて働く市議会議員がいない事だと思う。
「鵜飼大橋」の完成により、従来は岐阜市中心部を通るようにして北部から南部に抜けていた車がまさに「迂回」することで中心市街地の交通量も減ったのも関係あるよ。
名古屋のベッドタウンという方向性が見えて、今後数年かけて北口を再開発していくのだから現在はその過渡期の「底」と考えればそう悲観したものでもなさそう。
岐阜は広い高山も恵那も関ヶ原も岐阜だから岐阜市が中心とは思えない家康が清洲から名古屋に城を移した時に現在の形が決まりました
おっしゃるとおり、名古屋とくに名駅の発展が岐阜の衰退につながっているように思いますベッドタウンへの転身も決してマイナスに捉える必要はないかもしれませんまた、繊維問屋街の衰退は繊維産業の衰退が大きな要因に思われます(繊維産業の事業者数、売上、岐阜県の国内シェアも下がっているというデータがあります)
令和のベッドタウンというのは聞こえは良いものの次世代が名古屋市内への回帰が進みそうな気がします。そうなれば坂を転げ落ちるような人口減少となり得る可能性も。
@@TSUYOS185 おそらく急激な人口減少は起こらないと思います。岐阜市から名古屋へ通勤する人は10%以下と高い数字ではないからです。これは東海地方全体で製造業が強く、名古屋市に通勤しなくても地元で就職できるためであり、人口減少はトヨタが安泰な限り考えにくいですね
地元民です。約25年前名古屋駅にセントラルタワーズが完成した際に、東海道線の名古屋方面は現在まで続く毎時快速4本、普通4本のパターンダイヤが出来て、快速系統に乗れば名古屋まで20分で行く事が出来ます。この頃から岐阜市周辺は名古屋の「植民地」になっていったと思います。
岐阜の路面電車復活とかはさすがに無理だよな…それやっても名古屋に近い岐阜じゃ難しいか(地方の富山や宇都宮ならともかく)
一度廃止した路線を再度復活させるのは厳しいですし、街がシャッター通りと化していては採算ベースにとても乗らないでしょう。それに比べると豊橋の路面電車が走っているのは凄いですね。
名古屋人です。少し前に岐阜県人に「1度も行っていないので、あの(有名な)柳ヶ瀬に行きたい」と言ったら「来なくていいよ、なんもないから」って言われてショックでした。そしてこの動画で察してしまいました。
最近岐阜に移住してきたんだけど、暇つぶしに行ってみた感じ少なくともなんもないとは感じなかった繊維問屋と違ってシャッター街とまでは行っていないし、イベントやってたからかもしれないけど人は結構いたなにより人が生きた歴史をそこかしこに感じて、このタイミングで行けて本当に良かったと個人的には思ったこれからは難しいのかもしれないけれども
僕の母親は中学卒業と同時に岐阜市の親戚に行って、裁縫等を習っていたそうです。当時は中学卒業後に高校へ進学する人は少ない時代でした。その縁で母親に連れられて僕と弟はちょくちょく岐阜に行きました。当時の国鉄岐阜駅前の問屋街や名鉄新岐阜駅前は賑やかで、現在のシャッター通りとは全く違いました。柳ケ瀬も賑わっていました。岐阜市内の現状分析等については鐡坊主さんのコメントにお任せしますが、今の岐阜市内は国道22号線(岐大バイパス)付近の方が賑わっている印象があります。
再開発にありがちな中途半端な商業&住居の複合ビルを建てるよりも駅前にイオンモールやららぽーとを誘致してくれた方が住民としてはありがたい
大垣や木曽川、稲沢が駅に近くて競合しやすいんですよね。各務原もバスが出ています。
まさにそれ。南船橋や豊洲のららぽーとがそうですし、イオンなんかは新京成電鉄・新津田沼、東葉高速鉄道・八千代緑が丘、東武鉄道アーバンパークライン・新船橋各駅直結、新船橋は線路の反対側にはイオンタウンまであり、維持費のかかる車がなくても生きていけるから、沿線人口爆増中。これからタワマン建てるなんて、震災時にエレベーターが使えなくなる時のリスクをも考えない、大手デベロッパーが良い思いをするだけの愚策。
各務原大垣木曽川に加えて、マーサ21、カラフルタウンに関マーゴ、北方にはモレラ。羽島に行けばコストコだってあるわけで。ありがたいのはそうだけど競合が多すぎて非現実的かなぁと。
岐阜に住んでる方を複数知ってますが皆さん岐阜が好きで住んでます人混みがなく環境がよく広い家でゆったりと過ごせるからだそうです鮎やジビエと言った食文化も定着していますタワマンと駅の傘なし直結は必須としてスーパーと普段使いの買い物と医療機関とお子さんの教育関連などの入った施設ができてさらにデパ地下的な高級お惣菜や食料品売り場が充実すれば眺望のよいお広いご自宅でのんびりと宅飲みと言う(住居におカネがかからない分)優雅な暮らしのできる街として発展するのではないかと思っております
岐阜駅、地上駅舎時代は駅前が賑わっていた記憶があります。普通でも30分以内は、これはもはや県内の郊外都市ですね。最近の大津市と傾向が似ています。
岐阜は市街地開発が歴史的に複雑かつグランドデザインがないというのは明治以来嘆かれているところです。もともとは織田信長の城下町(!)としての岐阜町と、徳川家康が作った加納城下町があって、その2つの歴史的市街地の間に岐阜駅・新岐阜駅があり、更に柳ヶ瀬などの近代の繁華街がある。それぞれがそれぞれで連携も集約もないのは昔からで、たとえば新潟県上越市のようなバラバラの開発都市の元祖のようなところがあります。人口が増えている時代には間が埋まって気にならなかったのですが人口減少時代だと実に不便でもったいないことになる。市電はこれらの間をつなぐ唯一の紐帯だったとも言え(岐阜バスでは無理)、その意味ではシンボル的に市電廃止は結構重大な問題だったようにも思えます。
路面電車の廃止は無関係と思います。富山の路面電車と比較しても末期の岐阜の路面電車は相手されていない感を感じました、市内線でも15分に1本でした。衰退の理由は下手な愛知県の場所よりも距離が近い、電車が便利すぎるのが大きいと思います。新幹線に乗るにも岐阜羽島駅に行くより名古屋駅に行く方が便利です。のぞみなど全列車停車しますからね。言ってしまえば「愛知県岐阜市」として岐阜駅前は商業施設よりマンションを建てたほうがにぎわうと思います。
近場に名古屋、乗り換えなしで東京も大阪も敦賀も、セントレア空港にも行ける。ものすごく恵まれてるなあと思うんだけど、なんで衰退するんだろ
岐阜からでは東京は結局は名古屋乗り換え。自然環境は豊かではあるものの名古屋周辺の衛星都市の一つとなりつつあるものと思います。
岐阜駅に新幹線が来ていれば状況は変わったでしょうか?
岐阜駅周辺にタワマンが既に建っていますが、徒歩圏に主だった商業施設がないので、タワマン住民でも車の所有は必須なのかも
学生時代を東海地方で過ごしたので、岐阜駅周辺の事は当時から知っていますが、特に岐阜駅北側が寂れたのは、明らかに主要産業である繊維産業が衰退したからですね。繊維産業の衰退に伴い、歓楽街の柳ヶ瀬も共に衰退しました。一方で、国鉄が分割民営化された頃からJR東海が名古屋近郊輸送に力を入れた関係で、岐阜市自体の名古屋のベッドタウン化が進行したとも言えます。岐阜県庁が主要国道沿いに移転してからは、ロードサイド店舗の商業施設は便利になりましたが、元々の中心市街地の空洞化が進行するきっかけにもなりました。はっきり言うと、現在の岐阜駅周辺は名古屋方面に通勤する方の為の住宅地です。岐阜県の県庁所在地としての「顔」となる商業施設も、働き口となる主要産業も、事実上、名古屋に依存する形なので、岐阜駅周辺の商業施設も主要産業も、かつての賑わいを取り戻す事は無いでしょう。今回の動画でも取り上げられた名鉄岐阜市内線の事ですが、主要国道沿いのロードサイド店舗に行く為のクルマ社会になったので、道路事情最優先で廃止に至ったモノと言う認識です。岐阜市の方にとっては、名古屋方面に行くJRと名鉄、郊外の主要国道沿いのロードサイド店舗に行く為のマイカーがあれば、名鉄岐阜市内線は大して必要無かったのだろうと思います。せめて、主要産業である繊維産業が衰退する事が無ければ、幾らか状況は異なっていたかも知れませんが、事実上、名古屋のベッドタウンという位置付けに落ち着いたと思われる岐阜市中心部が、路面電車の有無に関わらず、単独で復活する事は無いと思います。
路面電車を残すには、あまりにも危険過ぎる乗り場
路面電車に乗った世代ですが、凄く危険でした。
ちゃんとした電停を作ると車が通れ無くなってしまう。それならバスか電車かと言われれば…
岐阜県民は大体18か19で免許取ると、車に慣れきってしまい、歩いて1分程度のコンビニやスーパー、ドラッグストアにも車で行くようになってしまうだから駐車代もかかる市内中心部はどうしても敬遠される岐阜の街中なんて送別会とかで玉宮行くときくらいかなあとは子供をドリームシアターとかツナグテに連れてく時とか…
駅前のタワマンから名駅周辺へ通勤できるというのは魅力でしょうねぇ。とはいえ、ふだんの生活は車で郊外へ行くのが東海圏スタンダードだから中心街が活性化するかというと、、、、。
30年ぐらい前、はじめて岐阜駅を訪れたが、駅前に繊維問屋街があるということで、休日は人っ子一人すらいない感じのところだった。また、岐阜駅から1㎞ぐらい離れたところにある柳ヶ瀬も、高島屋(2024年閉店)があり、かつ、休日にもかかわらず、人通りが少なかった。かろうじて、当時は新岐阜界隈は賑わっていたが、新岐阜百貨店(2005年閉店。後継のイクトも2024年に閉店)は岐阜市民にとって欠かせない、という規模のところではなかった。名鉄市内線の廃止がなかなかできなかったのは、名鉄自身の鉄道路線と連絡していたから。ところが、これが、岐阜市街地の衰退を一層加速させる原因になったように感じる。前述したとおり、岐阜市の中心部には中心となる商業施設が存在しない。これは、県庁所在地のある都市では珍しいケース。これにより、岐阜駅は、名古屋へ向かう通勤・通学はもとより、買い物客にとっての「ベッドタウン」色が極めて濃い駅となった。確かに、他県についても県庁所在地の中心駅の空洞化は進んでいるとはいえ、岐阜駅のようなケースはほとんど見られまい。これをユニークと好意的に捉えるならば、岐阜駅周辺は面白い街、ということになるが、いちいち名古屋まで出ないと「何もできない街」ということに、岐阜市側が「甘えている」とするならば大問題。しかし、岐阜市内は、方々に宅地化が進んでいて、大規模な再開発が望めない。ならば、今後も名古屋のベッドタウン、ということに甘えつつも、限られた開発スペースを活用して、サテライトオフィス、キャンパスなどの誘致が期待される。それに付随する形で、商業施設も誕生させていく。というか、それぐらいしか、岐阜駅を中心とする岐阜市中心部の活性化は望めないのが現状。
岐阜市の近隣市町村の者です。シティタワー43ができた時は遠目に「(岐阜県民の需要だけで)埋まるのだろうか」と心配しましたが愛知県某社の社宅として大量に買われて即日完売だったと噂を聞きました。ちょうど名駅のミッドランドスクエアが開業してトヨタ自動車名古屋本社が栄から名駅に移転したタイミングで大きく通勤経路が変わり、これまで地下鉄中心だった通勤がJR経由の岐阜駅も通勤圏内に入ったと当時思いました(すべて屋根がある通勤経路で雨天時も楽)。名古屋市の中心が商業(セントラルタワーズ)だけではなくビジネスでも栄から名駅に大きく移ったのがこのときだったのでしょうか。
岐阜市には戦後以来、都市計画というものがなく、1964年に政治的な理由でまったく利便性のない田園地帯に新幹線岐阜駅が開業、1966年はどの駅からも遠く市内からも不便な郊外の田んぼを埋めて岐阜県庁を移転し、岐阜大学はもともと郊外だったが、更に奥地のド田舎に移転してしまい、それとともに市内中心部にあった大学病院も岐阜大学のそのまた更に奥に飛ばしてしまった。つけてくわえて岐阜市民会館という市内の音楽・美術文化の中心があったが、これも古くなったということで新しいコンサートホールを岐阜市と大垣市の中間地点という変な場所(岐阜県庁の近く・近くに駅なし)に建てた。それらの結果、岐阜という戦国以来の歴史ある街は個性のない割安な名古屋のベットタウンというだけの場所になってしまった。市内電車ということでいえば、中心部の徹明町から岐阜の誇る長良川の清流に架かる長良橋をわたる路線が先に廃止されてしまいったことが象徴的な意味で岐阜という街の顔を亡くしてしまったように思う。せめてJR岐阜駅から観光資源のある長良川・河原町・岐阜公園あたりまでは残しておいて欲しかった。
?岐阜市民会館の代替は長良川国債会議場ですよ県民ふれあい会館(サラマンカホール)はクラシック音楽専用ホール新幹線の駅は国(国鉄)の管轄岐阜大学も国の管轄県庁(県庁舎)は県の管轄県民ふれあい会館も県の管轄場所の決定権は岐阜市にはありません
路面電車がある街の三ケ所に住んでた事がある体感としては路面電車があると駅間も近いし街中の色んな所で乗り降りできて便利だし気軽に動けるからやっぱ街の方に行こうかなぁって思いますそれがなくなり街の方に行く事を考えたらちょっと歩くにしては遠いなって感じる距離を移動するのに車で移動するのはめんどだし、だったら郊外に車で行き離れた場所同士でも車で回った方が良いかなって思いますただの体感で岐阜とは状況も違うし数字的なデータなんかもない本当にただのそこでの体感でしかないですが
12:28 これ凄いな…ここまで打撃があったとは。乗降客が高度成長以前の数字を下回ってる。ただでさえ車社会なのに、JRにまで客持って行かれたらキツいよなぁ。
それでも都市雇用圏では岐阜は単独都市圏を形成しているからまだ頑張れていると思う。
路面電車が廃止されたのは安全面からです。岐阜市旧市街地は道路が狭いために軌道内の自動車の走行が認められていました。また、乗降のための安全地帯は道路に黄ペンキで線を引いただけのもので人身事故が発生していたことから警察、岐阜市は路面電車を邪魔者扱いしていました。このような中で名鉄は新型車を導入するなどよくやっていたと思います。岐阜県人の気質は保守的で社会変化への対応が遅い(自民党王国であることがその査証)、尾張人は利に敏くて社会変化に合わせて自分も変わっていく、この違いにより開いてしまった格差が現状だと思います。岐阜大に通っていたので柳ヶ瀬の現状が悲しい、再開発で復活してほしい。
何事も中庸を取りますよね。名古屋の職場で、例えば揉め事が発生したときに仲裁役をしてくれるのは、岐阜から通勤してる人だった、なんて噂も。
名古屋市への人口流入は是正され難い東京の一極集中に似通うなと私は思いましたね。岐阜市のドーナツ化現象はモータリゼーションの弊害と言えましょうか。
もともと繊維産業が岐阜の主要産業だったがそこが廃れたのが衰退の始まりでそこから車社会の発展も相まって柳ケ瀬も客が減りその過程で市内線も邪魔になりって流れだったはず。片側2車線の道幅に線路が複線で敷かれて軌道敷内通行可となってたから電車も遅れる、車もすんなり走れない、といいこと無しだった記憶。もともと市内中心部を問屋街と位置付ける人は少ないと思うのとあまり岐阜駅前と市内線は関連付けて考えないのが自然かと。新幹線アクセスの件も岐阜羽島を利用する岐阜市民は80歳代(もっと上かも)が車で羽島まで行くぐらいで基本はJRで名古屋乗り換えだし。鉄道ありきで考察するというのはちょっと難しいかな、と思った元岐阜市民です。
岐阜の路面電車の廃止が遅れたという話については、正式な計画ではなかったとは思いますが、地下鉄を作る話も出ていたようですので、地下鉄が開通するタイミングで路面電車を廃止する、と言う事を検討していたとしても不思議ではなく、この影響もあってスムーズな廃止に至らなかったのではないかと思います。ただ、地下鉄に関しては、今に至っても作られていないわけですが、その理由として聞いているのは、地下水位が高く少し掘っただけで水が大量に出て来るから、と言う事です。おそらく、地下水位が高くても地下鉄を作る事は可能と思われますが、工事費も維持費も高くなると思いますので、費用面で諦めたのかなと思います。そして、この地下鉄の準備工事と思われる遺構が県道沿いに残っており、一般的な地下鉄駅の間隔ごとに地下道が設置されているため、地下鉄が開通する際の駅出入口に転用する事も可能になっています。また、この地下道の遺構は岐阜羽島駅の近くまで続いているため、岐阜で地下鉄が実現していた場合は、路面電車の代わりとなるだけでなく、岐阜羽島駅まで延伸していた可能性もあったのかなと思います。
地下鉄ではなくモノレールです。昭和60年前後には構想図も描かれるくらいで、ぎふ中部未来博と絡める向きもありましたが、結局沙汰止みになりました。地下を掘れない理由は、おっしゃる通りで長良川の伏流水が強すぎるからです。
@@nobitetsu156 地下鉄の話は、モノレールとは別にあった話ですよ。県道に地下道として遺構が残っているので、実際に作る事を考えていたのは確実ですね。ただ、実際の計画は聞いたことがないので、県道を作る際に準備はしていたものの、計画すらできなかった、と言う事なのかなと思います。あと、地下鉄の話は詳細が分からないので何とも言えませんが、モノレールの計画と関連している可能性はあるかもしれません。地下が無理だから高架で作る、と言う話になり、最終的にモノレールの計画になった、と言う事でも違和感はないですし。
@@ty707070 羽島市に向かうあの県道沿いにある地下道ですか。地下鉄、聞いたことあるようなないような。そのあたりに住む鉄仲間がいますから、朝になったら聞いてみます。
@@ty707070さん>確か鷺山か北税務署(市内ループ線の走っている道路)のあたりに地下歩道があったと思うんですが、あれのことですかね?
@@alexeycalvanov どこの地下道を指しているかは分かりませんが、おそらく地下道がある所なら該当する可能性はあるかと思いますよ。
名古屋ー岐阜間の時間的距離が短くなることで名古屋の「吸引力」が上がったことが要因の一つであるという考察には同意しますが、もう一つ岐阜には「働く場所としての求心力」が欠けているという点も(名古屋と至近であればこそ)あると考えます。東京に対する横浜や川崎など、交通機関の発展進化に伴って地方/地域の中心都市(山手線沿線)との時間的距離が短くなっても、就労/就学場所として高い中間人口比率を保っている衛星都市もあります。「通う街」から「帰る街」になってしまっているのは、時間的距離の短縮化の結果、オフィスの機能を名古屋に集約した企業が多かったためではないでしょうか。ツインタワー計画は野村不動産などのデベロッパー主導で動いているようですが、彼らの論理は「借主はどこでもいいからテナントが埋まりさえすればよい」です。民間に任せるのではなく、自治体が主体的積極的に、現在名古屋に本社や中京地区の本拠地を置く大企業に『TCOの高い名古屋から引っ越して来ませんか?』であったり、海外の資本に対して『中京圏、あるいは日本進出のベースを岐阜にしませんか』というアプローチを行うことが必要なのではないでしょうか。この先リニアが整備されれば、首都圏との時間的距離も圧倒的に縮まります。岐阜市自身が「なぜ敢えて岐阜にオフィスを構えるのか」という問いに対する明確かつ合理的な回答を用意できないのであれば、かつて東海道53次の宿場町として繁栄した、数々の住宅街と同じ命運を辿ると考えます。
戦後の復興期から高度成長前半にかけて、愛知県一宮市・尾西市周辺の繊維製造は日本の一大産業の一つであり、日米貿易摩擦も繊維製品輸出が引き金でした。岐阜駅前は繊維卸問屋の集積地だったのですが、繊維製造は1970年代に入ると人件費の高騰や為替状況の変化もあって海外移転が進行、急激に衰退してしまいます。また、小規模卸問屋が集積していた分、権利も細分化していると思われ、一体的な再開発も困難だった感があります。また、かつて名古屋市内の繁華街は栄地区が圧倒的に上だったものの、1999年のJR高島屋の開業で一変、郊外からの鉄道アクセスは飛躍的に便利になりました。これは岐阜だけでなく、四日市や岡崎などと言った他の中規模都市も大きな影響を受けてしまった形です。
JR岐阜駅の名鉄側と逆サイド。お風呂屋さんが多くて、イメージわるい。下呂や平湯とちがって水道水温めただけの湯が流れるお風呂.,
お世話になりました😂
解説ありがとうございます。箱ものばかり建てた、某知事の岐阜市に対する計画のなさもあったと思います。
一度市内線に乗ったことがありますが、道路の混雑で市内ではなかなか進まなかったのを覚えています。そこからしますと、残っていてもどうだったかとは思います。ただ、新岐阜駅に乗り入れていた路線は残しておいても良かったのはとは思います。実際岐阜市内線があった時代、実はほとんどの電車が新岐阜駅前発で岐阜駅前発はほとんどない状況でしたから。現在の状況を考えると、岐阜駅前に生活に必要な品が買える店がどれだけできるかということが重要ではと思いますし、また郊外へ出る交通がいかに便利なのかも重要になってくるように思います。バスもそうですが、例えば駐車場をどれだけ整備できるかという点も重要だと思います。企業や大学の誘致も必要ですが、タワマンも増えていることを考えると単に企業や大学を誘致するだけでは片手落ちになる気がします。
路面電車と同じルートを、更に郊外から直通しているバスが、歩道に横付け出来て安全で、路面電車より頻発していたので、誰が乗るの?って感じでした。狭い長良橋通りではなく、金華橋通りを通っていたら、もう少し施設の改善がされて、多少乗客も残っていたかも知れませんが。
岐阜中心地って車で行くのすごい不便なんだよなぁ、ビジホ泊まる場合は岐阜じゃなくて岐阜羽島のほうが便利だし、かといって値段も高いし、高速のインターもイマイチどこで降りればいいのか分からない(多分岐阜各務原が1番良いと思うんだけど微妙に遠い)
名古屋高速・名岐道路で一気に一宮まで行って、そこから22号をひた走っていくのがわかりやすいのかな。名岐道路は将来的には岐南まで伸びるそうですが。
名鉄は、特急停車駅の再編して、高速化したほうが良いのでは?あと、運賃も
ベットタウンなら住民税も入るし、子供達の声も聞こえる街になるだろうし、他の地方都市より恵まれていると思います。
毎年、大阪から大須大道町人祭を見に行っていて去年、名古屋から岐阜駅が近いのを知り祭りの翌日に訪ねました。まだ高島屋が営業していた柳ケ瀬商店街に入るとその寂れっぷりに感動しました。今年も感動したくて今週行きましたが高島屋が閉店し寂れっぷりが増していました。感動を求めまた来年も行きます。岐阜市は名古屋市に近すぎて県またぎの衛星都市ですね。私が住んでいる堺市は人口80万人超えなんですが同じように大阪市に吸い取られています。これは仕方がないことでしょうね。
岐阜市は、路面電車存続に積極姿勢ではありませんでした、利用者に対し安全地帯も無く、路上に白線が引かれているだけででした。道路が狭いのも一因ではあるとは思いますが、軌道敷に車両乗入が許されており軌道線の定時運行に支障があったのも事実です。JR岐阜駅前~名鉄新岐阜駅前間は、遅延すれば運行取りやめで、新岐阜駅前から折返し運行がされていました。新岐阜駅からは、美濃町線、JR岐阜駅前、名鉄新岐阜駅前からは、黒野、谷汲、揖斐方面へのアクセスが確保されていました。赤字路線であったのも事実ですが、全廃は、路面電車を邪魔者扱いした当時の市政の成せる技です。良長北町駅に至る長良線も、博覧会?開催で邪魔だからと廃止されました、今の経営環境からすれば良かったかもですね。バス交通も、市バス・岐阜バス・名鉄バスと3本立てと・・・その後は岐阜バスと一部名鉄バスに統一されたようですが。
玉宮は立派なグルメ街になりましたね! 土日だと昼間でも店が結構やってて、歩くだけでも楽しい通りですよ😁
JRへの徒歩移動が便利ゆえに名鉄周辺から客足がシフトしたからです。
大垣市民ですけど、柳ヶ瀬地区の衰退はそもそも尾張一宮の繊維業界の衰退時期から始まっており国鉄末期頃には既に空洞化しておりJR東海、名古屋駅地区の台頭は寧ろ「トドメを差した」という認識です。
かつての繁栄を求める、というよりも「駅前ベッドタウン」としての優位性を徹底的に追求して他地域と差別化できるかどうかが今後の鍵でしょう。
そうですね。
名古屋駅から地下鉄藤が丘駅(名古屋市東部)まで30分。名古屋駅から岐阜駅までJRで20分。
駅前ベットタウンに徹した方が、人口増と思います。
そもそも、円高で繊維産業の海外移転(流出?)という産業構造の変革に、"繊維問屋"が零細のままで多数併存してたのがついていけなくて、"そのまま廃業"という形で衰退することに…
問屋街等はそれぞれの店舗の元事業主が地権者だったりで、地権者の足並みが揃わず再開発計画が最近までまとまることがなかったのもある
駅前再開発も柳ヶ瀬再開発も地権者が世代交代しつつあり、地権者の事情が似てきたこともあって、やっと話がまとまり再開発が進むようになった
でも現状、岐阜市の市街地で何ができるかと言うと、「住居」の供給とその住民のための「商業施設(食品売場)」くらい…
産業を新規誘致というけど、誘致したいのはやまやまで…
濃尾平野は製造業が多く、そうなると郊外ならともかく市街地に誘致は難しい
BtoBな商取引を誘致しようにも岐阜では名古屋に勝てない
可能性があるのはサービス業だが岐阜ならではとなる特徴ある業種を探す必要があり、一朝一夕に募集して見つかるものではないと思う
岐阜駅南口行ってそう(笑)
岐阜市民ですけど、動画で繊維産業の衰退について触れられてなくてモヤっとしてたところ
ちゃんとコメントで触れられてて安心
中国製ファストファッションが流行り始めて価格で太刀打ちできず
本巣にあった繊維工場も潰れてモレラ岐阜に変わったりと、時代の変化に翻弄されたというのが正しい
私も高校卒業の時(20数年前)まで大垣に住んでいたものです。子供のころ、物心ついたころから、既に両親からは岐阜駅前はずいぶん静かになったと聞いていました。親父はガチャマンの時代、かつての木曽川町出身ですが、大垣も同じで、繊維工業による繁栄からの転換に困っていて、駅前周辺の再開発は私が大垣を離れたころにようやく進んだイメージです。岐阜駅周辺も、そういった産業構造の変化や、自動車社会であること、名古屋圏から至近距離であることからも、転換が遅かったということなのかなと漠然と考えています。岐阜に行くにもドキドキした中学生時代でしたが、高校にもなれば岐阜をすっ飛ばして名古屋に出かけることも多かったので、その時点でもう何か手を打つべきだったというのは結果論でしょうか・・・。
「もちろん路面電車廃止が原因です。」と言いたいですが、県庁が郊外に移転したときから、もう衰退していますね。
そもそも鉄道が廃止したから街から人が減ったのではなく、人が減った(駅以外の軸にシフトした)から鉄道利用が減るだけだしな。
鉄道ファンが多いここで言うのは勇気いるけど笑
@@そんなにちっちゃくない さん
おっしゃる通りだと思います。
良し悪しはさておき県に先見の明はありましたね。
藪田は県内アクセスがめちゃくちゃ便利なので。
岐阜市内は片側2車線しかなく、路面電車がその片側の車線を塞いで凄まじい交通支障を生み出してました。
おまけに停留所も道路の真ん中にグリーンの塗装がされただけの狭小スペースしか確保されずで非常に危険で使ってる人も僅か。
仮に現在も残ってても富山や宇都宮みたいな評価にはならなかったでしょう。
@@toughmiyazawa4518 さん>思い切って、岐阜駅~今小町~河原町を路面電車専用にしていたら、かなり先進的だと評価されたでしょうけど、細いながらも大動脈である道をぶっ潰すことになるので、非難轟々だったろうなぁ・・・。
40年ほど前に岐阜市内に住んでいた者です。
昔も岐阜駅周辺は市内中心部ではなく、栄えていたのは柳ケ瀬商店街のほうでした。
岐阜におけるドーナツ化現象は小学校の社会科で習うほど問題視されていました。
路面電車は移動手段の主ではなく、路線バス(名鉄バス、岐阜バス、市営バス)が幅を利かせていました。このバス会社の動向が岐阜市内の公共交通に多大な影響を及ぼしており、ここと市当局とのまちづくりにおける連携がうまくいかなかったことが衰退の大きな原因であり、路面電車はそのスケープゴートにされたのではないかと思います。
初めて訪れたのがその頃でしたが、確かに賑わいは凄かったですね。高島屋だけでなく近鉄デパートもあって、さらには岐阜市営バスも走っていて「岐阜って結構都会なんだ!」と思いましたが、名鉄市内線の電停にホームも安全地帯もなく、道路の真ん中に描かれた白線枠に乗車客が堂々と立っている姿にカルチャーショックを覚えました。「柳ヶ瀬ブルース」の舞台がここだと知ったのはかなり後の話でした。
名古屋が強すぎる以上、岐阜の路面電車の有無に関わらず中心部の商業施設の衰退は避けられないことがよくわかる動画でした。無理に商業施設に固執して大赤字を出すよりも駅近くに人口を集めてちょっとした買い物に対応できる程度をそろえた方がいいかもしれませんね。
今や岐阜駅の周りってマンションと居酒屋と学習塾だらけだからなぁ。
買い物にしても名古屋の高島屋か郊外のイオン・・・って状態だしね。
逆に何をするにも何処へ行くにも(公共交通利用なら)岐阜駅に出ないと始まらない
だからこそ、市内ループバスで行けるマーサ21(中にイオンが入っているショッピングモール)は、かなりレアな存在とも。
岐阜の衰退に関しては、どちらかというと岐阜の繊維産業、特に岐阜繊維問屋街の衰退と絡めて論じられる方が多いような。
的を射ていると思います。国鉄時代の東海道線は全く使い物にならず、名鉄の特急も今よりずっと停車駅が少なかったです。一方で、名古屋の中心部は栄であり、必ず地下鉄東山線に乗換えなくてはなりませんでした。これは千種で乗換える中央線も同じです。
名駅にJR高島屋が出来てから一変しましたね。JR広域の客を名駅でカネを落とさせることが出来る、これは大きかったと思います。更にJR化後に快速体系を抜本的に見直したことによって、岐阜ー名古屋は圧倒的に近くなりました。対する名鉄は、新岐阜時代の面影はもうありません。
名古屋が近くなったことが大きな要因とも思っています。
JR東海の新快速はJR西ほど脚光を浴びないけど、豊橋や蒲郡から名古屋へのアクセスも国鉄時代と段違いで便利になった。
名古屋と岐阜は京都と大津の関係に似てます。
どちらも歴史ある街ながら、大都市(名古屋・京都)に近すぎて、新快速(JR西・JR東海)により、県庁所在地にもかかわらずベッドタウン化、という。
奇しくも岐阜には金津園、大津には雄琴という巨大ソープ街がある点も共通してますね。
残念ながら岐阜市から名古屋市への流入は1万人程度、大津市から京都市への流入は3万人近くで大きな差があります。正直距離の差です。名古屋への流入数ランキングで
岐阜市は10位で、愛知県内の各市町村が流入の中心です(もちろん)。一方、京都市への流入数ランキングの1位は大津市で、同じ京都府の宇治市よりも流入が多いです。
大津(「大きな港」の意味)は、江戸時代どころか中世の昔から琵琶湖側の京都の港ですから、鉄道ができて京都・大阪のベッドタウン化したのも確かですが、そもそもはじめから大津は京都の衛星都市だったといえます。
どこに県庁所在地があっても湖の対岸からは遠回りしないといけないので、なんなら彦根とか長浜に県庁があってもよかったような気もしますが、結局は滋賀県内で京都や大阪にもっとも近いところに県庁がおかれました。
京都と大津はそんな関係じゃないですよ
今は京都離れが深刻で大津市に流れてますが大津市は大阪市のベッドタウンでもあるので複雑な三都関係になっています
@@ZZZ-_-ZZZX ベッドタウンという関係を前提にした都市開発だから岐阜よりも遥かに栄えている
国鉄がやる気がない頃は
岐阜から名古屋への普通列車が1時間に1~2本という時があって
名鉄が地元の普通電車を1時間に1本しか運転せずに
特急等の速達列車の運転に明け暮れていた時期があります。
それもで名古屋への交通は便利だった。
それから国鉄がやる気を出して、JR東海になって
ブースとした結果、JRは名古屋へ先発先着の列車が
1時間に8本で所要時間はだいたい20~26分ぐらい。
一部を除いて座席は豪華。運賃は名鉄より安い。
名鉄は運賃がJRより高いし特急でもJR普通より遅い
30分ぐらいの所要時間だけど、全列車始発だから朝ラッシュ以外は
乗車券だけで乗れる一般席に座れる、万が一でも特別車両に課金という
最終手段も15分に1本のチャンスがある。さすがに過剰だったのか?急行は減便しちゃったけど。
名鉄には名古屋駅が冷暖房完備で待ち時間に暑かったり寒かったりしないという隠れた利点がある。
そんな便利な状況で選びたい放題で名古屋に行き来できるから、そりゃ名古屋のベッドタウンになりますよ。
反対方向で言うと名古屋~刈谷ぐらいの感覚で移動できます。
県境なんて行政が勝手に引いた線に過ぎないので。。。
更に名鉄は15分に1本のうち半分が中部国際空港発着なので
空港アクセスでも30分に1本の電車が確保されています。
特別車料金を払って快適に行くのもよし、両方とも始発駅だから
一般車に座るのも可能なので安くいくのもよし。。。
岐阜って愛知県で仕事やレジャーをするのに最適な都市です。
30年くらい前から東海道線の普通が岐阜折り返し基本になって名鉄のアドバンテージが落ちた印象です。
そして600V線区廃止とJR側のバスターミナル整備でますますJRシフトが進んだかなと。
岐阜の中心地といえども同じ県内の多治見や中津川に向かうとなると名駅経由の方が便利で速い。となれば中央線沿線は県庁所在地にはほとんど向かわず名古屋に向かうだけ。車でも東海環状はあるものの名古屋に向かう方が便利。
首都圏でもそうしたところはありますが、行政の境目よりも便利な方に人は動きます。
名古屋が近すぎますからねえ…
特に新快速だと名古屋駅まで19分
ストロー効果ですね。
岐阜駅から柳ケ瀬の高島屋に歩いていくより名駅の高島屋に行くほうが時間かかりませんからねぇ…
ところが1970年代まではファッションブランドの路面店が岐阜にあったために名古屋から岐阜への人の流れがあった。
近すぎることはやり方次第ではプラスになる。
@@u-r4639バルコですね。
@@u-r4639 さん>それがベットタウン化だと岐阜市は判断したんでしょうね。
私は岐阜市に55年間住んでいます。私の住んでいる岐阜市南部には、近くに各務原イオンやカラフルタウン(イトーヨーカドー)などのショッピングモールがあり、大きな買い物は車で行きます。柳ヶ瀬は、駐車場も少ないので、滅多に行くことはありません。私の子供時代の約50年前は大きな買い物というと柳ヶ瀬に行くことが多く、とても賑わっていました。これから、岐阜駅前から柳ヶ瀬にかけての地域を活性化させるのは、かなり難しいと思います。
地元を取り上げてくださって光栄です。県庁、岐阜大学、大学病院が街の近くにあればまだ違ったと思うのですが、
みんな中心街から遠く離れた市の外れにあります。
せめて路面電車沿いにそれらがあればもう少し有機的な街づくりも出来たと思うのですが。
仰るとおり、岐阜駅周辺に岐阜大学と岐阜大学病院あればよかったかも知れません…
どちらも今の市役所の場所にあったんですけどね…
他の地方出身者です
自分の地元も中心街は再開発してくれなくなり、全く駅もないところにイオンができてそっちが中心になってしまいました
そして免許がない人は地元に戻れません
岐阜市が名古屋のベットタウン化って話、現地行くと分かるけど建設中の分譲マンションは大体壁面に名古屋まで何分ってデカデカと貼ってあって岐阜市は名古屋のベットタウン化してるんだなってしみじみ感じる上にその割りに大きな小売店が殆ど無い(ドンキさえ逃げ出した)現状考えるとマジで住宅地化してるんだなって感じだし、あと新たに作られるツインタワーの件も先行して今ある高層マンションが同じコンセプトなのに商業区画が閑古鳥鳴いてる現状見ると厳しいと思う。
そういえば、駅ナカ(アスティ)にあった成城石井が潰れたなぁ・・・。モスのそばにあるスーパーはまだまだ流行ってるけど、価格帯のせいなのかな。
車社会と中心市街地とはお互いに両立することはないかと
というのは駐車場を大量に確保できる郊外モールに対して何の優位性もないからです
ちなみに2つ隣町の大垣は駅前にモール(アクアウォーク)があります。
最近では鉄道アクセス考慮も増えているかなと。
大垣の場合は駅近くに繊維工場の跡地があったのが大きい。
名古屋が近すぎるからですね。名鉄とJRが競争しているので便数も多いですし。
しかし、名古屋への通勤を考えるとむしろ名古屋市内よりも岐阜駅前や犬山駅前の方が住環境はいいです。街並みもキレイです。
×岐阜市中心部は路面電車廃止で衰退した
〇岐阜市中心部は衰退したから路面電車が廃止された
もし岐阜市中心部に活気があれば、路面電車を残そうという流れになったはず。
データの通り1990年代の岐阜は衰退が始まっていましたが、議会・市民は「市内線を廃止にしないから衰退が加速している」として撤去論が再燃し2005年の廃止になりました。
つまり、市内に活気を取り戻す為に路面電車を廃止しよう、という論だったのです。
岐阜市内線を、名鉄が廃止を申し入れたのは赤字だったからです。
もし仮に、岐阜市内線が存続していたとしても結果は大きく変わらないでしょう。
最初は路面電車も維持できないヘタレ都市岐阜なんて怒りがこみ上げてきましたが、
冷静に考えれば、すでに維持できる需要も無かったってことですね。
富山以下。
いえ岐阜市内線や美濃町線など1部路線はギリギリ黒字レベルでした
山間部や閑散部のえぐい赤字区間があるせいで全体が赤字なんですよあそこ
そして名鉄は廃止ギリギリまでモ800など最新型車両を導入して路線廃止は避けたがってましたよ
廃止させたのは岐阜市です
ギリギリ黒字レベルであっても将来的に赤字に転落して維持困難と判断して廃止の表明をしたのです。
維持可能と判断していれば、揖斐線や谷汲線、美濃町線等のみを廃止すればよいだけです。
それをしなかったのは、市内線だけにしても将来的に維持困難と判断したからでしょう。
岐阜市等が、ライトレールトランジットの考え方に十分な理解が有れば市内線やそれに接続する路線は、存続していたはずです。
@@健司高濱
地元民です。
自動車によく乗っていた私の父でさえ、「路面電車は怖い」と言っていました。
また歩道寄りにするのも警察が反対していたそうですし・・・。
バス路線も岐阜バス、名鉄バス、岐阜市営バスが岐阜バスに一本化されましたが、バス自体本数は減り、昼はスカスカです。
(かつては岐阜市内線は岐阜駅前から長良北町及び忠節までで、長良北町から高富線で高富まで、忠節から揖斐線及び谷汲線、鏡島線で西鏡島まで、徹明町から美濃町線で新関、美濃まで走ってました。晩年は岐阜駅前から忠節を経て揖斐線・黒野まで、美濃町線は新岐阜及び徹明町から新関を経て長良川鉄道の関駅までです。因みに岐阜バスは名鉄グループ。)
ライトレールトランジットの考え方とは、路面電車の併用軌道の部分での軌道と自働車が通行する部分を完全に分離して路面電車の定時制を確保する。
それと同時に、郊外路線を専用軌道として高速運転を行う。
また、これら以外に、市街地内への自動車の進入を抑止する(パークアンドライドの推進や強制的な進入抑止等)方法を取り市街地内での自動車の通行量を減らして交通渋滞を無くすと言う考え方です。
これらを岐阜市内線で行うには、路面電車が通る道路幅の拡張などが必要となりますので大局的な都市政策や交通政策が必要となります。
先見性や長期的な視点が無いと出来ない政策ですので強いリーダーシップを持つ首長がいなければ実現は、困難でしょう。
ほぼ毎週岐阜に行っている人間ですが、駅前には人がいないわけではなく、むしろまぁまぁ人がいるんです。本当にいないのは、柳ヶ瀬でも旧高島屋より東側の薄暗いエリアなんですよ。所用であの辺りを歩いたんですけど、だーれもいなかったw
路面電車の廃線が、かなり前から言われていたのは初耳でした。廃線止む無しになったのは、駅前から河原町に向かう道路がかなり細いからなのではないかと思われるので、その部分の交通障害を考えると・・・。ただ、静態保存されている路面電車のレールが、恨めしそうにその細い道路に向かって伸びていて、いつでも復活させれるぞと言いたげな雰囲気を持っているのが何とも。恨み節を言いたいがために、わざわざ谷汲にあったのをもらったのかと。
むしろ一番の問題は、岐阜駅を一体化できなかったことなんじゃないかなと。名鉄側が蹴ったそうですけど、一体化が進めば、駅周辺の開発ももっと容易になったんじゃないかなと。バスターミナルが2つあるとかいう無駄も省けたわけですし。
あと個人的に気になるのは、ホテルが郊外にあるんですよ。もっと駅前に作った方が、飲食店の活気をもっと与えられると思う。観光地の近くだから郊外にホテルがあるんだろうけど、やはり駅前にあった方が動きやすい。
駅前にもホテルはそこそこありますよ
今でこそ長良川を渡る橋や環状道路が整備されて市街の交通量も落ち着きましたが昔は渋滞が酷かったですね
駅前や商店街のシャッター街は戦後復興から高度成長期は良かったと思いますが、不景気や高齢化で廃業後もそのまま住まれている方も多いので、再開発するのも大変なのだと思います
名鉄の単線区間ですが、毎年行われているぎふ鉄道博物館というイベントに高架化事業の展示があり、パネルや模型を見たところJRの橋脚を挟んで複線化されるようです
他の駅前衰退動画と比べると、岐阜の場合たとえベッドタウンとしてでも駅周辺に人が集まってくる分だけマシな部類だと思います。
急激なモータリゼーションの進行による市街地の過密を緩和するべく、岐阜県庁、岐阜大学等を郊外に移転させてしまったのも一因ですね。
岐阜市の中核産業であった繊維産業が衰退し、それを代替する産業を誘致出来なかったことも大きいでしょう。
岐阜って完全に車社会だからなあ。駅は名古屋へ行くためのもので駅周辺は駐車するための場所。買い物は名古屋か郊外のショッピングモール。名古屋と近すぎるのがねえ。
動画内でも指摘があるように、岐阜市はもともと路面電車廃止を打ち出していましたが、黒字だったため名鉄が廃止を拒否し、廃止するなら補償しろという立場でした
岐阜は路面電車を廃止したから中心部が衰退したのではなく、中心部が衰退し路面電車が赤字になったから名鉄は廃止に方向転換したのです
岐阜は何度か訪れましたが、路面電車廃止前夜には既にJR岐阜駅や名鉄新岐阜駅周辺はずいぶん衰退していた印象です
路面電車を存続し延伸もした豊橋市と比較してみるとよいかもしれません
豊橋は路面電車を存続し延伸もしましたが、それでも郊外のロードサイド店が増え中心市街地が衰退したことにかわりはない印象です
主さん苫小牧の時も安易に大学誘致を提案していましたが、苫小牧にしろ岐阜にしろ少子化が進むのに今さら大学を誘致しても地獄だと思います
岐阜市内線については名鉄が半ば強奪したかのように買収した経緯から沿線民の評判は非常に悪く、戦前から常に廃止の話が出続ける路線でした。
加えて空襲があったものの地図が焼かれずに残ったので地権のトラブルがなく、戦災復興都市計画へすぐに手を挙げられたのが却って災いし、道路の拡幅ができず電停の危険な状態が改善されることはありませんでした。
こんなことになったのは旧名鉄が名古屋市内線の焼き討ちに遭い、名古屋市に市内線を買収されたことが原因です。
岐阜の衰退と鉄道の関連性をあえて挙げるなら、市内線よりは美濃町線、揖斐線、谷汲線の600V区間のネットワークを廃止することで市内への人の流れを絶ったことの方が影響が大きいかと。
豊鉄みたいに美濃電をバスも含めて別会社にしていれば歴史が変わってたと思います。笠松竹鼻はともかく、北西〜北東方向に何路線もあったんだから、地元の役所と仲悪くなければ、と思います。またこれは、関市や北方や大野町などの周辺地域の岐阜市への結びつきにも大いに影響したでしょうね。
車社会なって鉄道が衰退したゆえ廃線ですからね。
電車の焼き打ち事件とは
日露戦争後の講和条約反対運動の影響からですか?
市内の空襲被害後、道路拡幅がなされなかったのは皮肉な要因となったな
@@伸加藤 それではなく、大正時代の米騒動に絡む暴動かと。名古屋市街の路線の市営化につながり、市交通局発足のきっかけになりましたね。
私は岐阜の地理が大好きです。岐阜城があって木曽川と長良川が流れ、犬山城なんて最高な景色です。
アメリカの大学のプレゼンで戦国時代の歴史と地理の関係を岐阜市を題材にお話ししたら外国人からの質問が殺到でした。まじで。素晴らしい街なんですよ。
岐阜駅って今はもう周りに飲み屋しかないよね…
お風呂屋さんが駅裏にいっぱいあります
それでも人を呼べるだけの集客力はあるだけマシですよ・・・。
地方に行くと、それさえも無くて、飯を食うところにも困ったことが。
十六銀行と三菱UFJ銀行の西側周辺は居酒屋ぽい店がありますね。
空洞化した駅中心街に最後に残るのは飲み屋と学習塾ですね
2005年に新岐阜百貨店が閉業した時に店側が総括してるんですよね。要因の一つとして「名古屋止まり」があると。
そのちょっと前に岐阜の大学に行ってましたが、名古屋の実家から通いで行けるぐらいだったので完全に「近場」の範囲内でしたね。
「路電廃止が原因」派の人は見え方が間違ってるというか、確かに廃止以降も衰退はしていきましたけど、実際はその前から衰退してたので、路電廃止「から」ではないという話。
もう一つ、県庁の郊外移転というのも大きいと思いますよ。
いうなれば大企業の本社が移転したようなもので、県職員がいなくなったのはかなり効いていると思います。どんな過疎県でもなんだかんだで県庁所在地はそれなりの求心力と賑わいがあるわけですし。
路線が市内で完結していれば大昔に廃止だったと思う
揖斐、谷汲、美濃、関へ直通していたから市内だけを廃止にすると孤立してしまう
地元民です。
車依存の街づくりで郊外に商業施設が広がっていること、遊びに行くなら名古屋というのが当たり前になったこと、エキナカ施設が充実していて駅前商店街を利用する機会がほぼないこと、が中心が寂れた大きな原因だと思ってます。良くも悪くも保守的な風土で時代に合わせた改革が出来ず、街づくりが中途半端な状態が続いたことも良くなかった。とはいえ、今から名古屋に対抗する商業圏を作るというのも現実的ではないと思いますので、ベッドタウン化により名古屋と差別化するのは妥当な路線だと思います。
あと、問屋街も柳ケ瀬も昭和まんまの光景が残されていますので、レトロマニアの人にはウケるかもしれないです。
名古屋にもっと近い尾張一宮駅前ですら衰退していますから、やはり名古屋との交通の便が良すぎるのが原因ですね。
東海地方は車社会・住宅もマンションが少なく戸建が多めであることもあって、あまり主要駅周辺を核にしたまちづくりに重きが置かれていない印象ですね。
駅周辺をしっかり開発して求心力を担保しようという動きが見られるのは、東海3県では豊橋ぐらいかな・・・
岐阜駅周辺の再開発、なんとなくですが中京圏版の武蔵小杉駅のようになるイメージを抱いています。
名古屋のベットタウンとして発展できる可能性に期待したいところですね。
UA-camチャンネルで岐阜市内線の廃止が原因!と謳ってる動画が多いですが、浅い考察だと思いますねー
データを見ると路面電車廃止前から続くトレンドだとわかりますね
「岐阜乗合自動車の相談役が市長の資金管理団体の代表だった!鉄道は不当ににつぶされた!」みたいな意見がありますが、そもそも岐阜乗合自動車は名鉄のグループ会社ですから、名鉄本体が鉄道の廃止に反対だったら好き勝手はできないはずです。
要するに名鉄が路面電車を残すつもりがなかったということ。その証拠に鉄道の復活を掲げて活動していた団体に名鉄は協力してないですし。
仮にもし今まで残っていても宇都宮ライトレールのように成功することもないでしょう。宇都宮と違って需要が少ないですから。
あの団体ですね。
こんにちは。
名鉄の衰退は、JRとの競合もありますが、新岐阜駅(現・名鉄岐阜駅)へ人を運んでいた市内線がクルマに負けてしまったからです。市議会も路面電車廃止決議するし、市内線廃止当時の市長の後援会は岐阜バスの偉い人だったりします。クルマ社会を止める人がいませんでした。
JR岐阜駅のビルは総合駅で名鉄が乗り入れる計画でしたが、名鉄が各務原線の孤立を嫌って拒否したため、ショッピングフロアになりました。
JR岐阜駅前の高層マンションのターゲットは名古屋駅周辺で働く層へ、物価、生活費の安い岐阜市へ誘導してます。
岐阜駅は名古屋駅が近過ぎました。名鉄特急はJRの普通列車にすら所要時間で勝てません。
岐阜は軌道敷地内乗り入れ可にしていて電車をないがしろにした。
東京に対する横浜、千葉、さいたま市クラスの地域中核都市ではなく単に名古屋の通勤圏の都市と化してしまいましたね。
岐阜は商業都市ではなく、名古屋のベッドタウンに専念すればよいと思います。
20分程度で名古屋へアクセス出来てお得感がある、混雑もそこまでではなく災害の心配がそこまでない。ベッドタウンとしての弱点はあまりないような気がしますし舵取りを間違わなければ発展しそうな気はしますよね。
岐阜を訪れたとき、信長像を目にして違和感に襲われました。
なぜ美濃人の斎藤道三ではなくて、尾張人の織田信長を祭り上げるのかと。
思えば、道三が信長に国譲りをしたとき、すでに今の状況は決まっていたのかもしれないですね。
たしかに!
岐阜市街衰退してしまった理由色々ありますが、県内全体トヨタや関連会社従事者が多く可能に車に依存する社会だって部分が大きいです
路面電車廃止に関しては専用軌道が大部分だった線区もあの時期軒並み消えており、名鉄として600v区間は瀬戸線のよーに昇圧して残すところと取りやめてしまうところきっぱり切り分け、邪魔扱い以前に名鉄でとっくに辞めてしまう方向性で動いていたってところでしょう
せめて新幹線が岐阜駅併設されれば多少いい方に流れが変わっていたかも知れません
もうああなってしまっては名古屋従属都市化の流れは止まらないでしょう
名古屋在勤者は店が閉まる前に就労先付近でものを買って帰るのが当たり前になります
タワマンなんかに住む住民層は比較的若いので郊外や逆に愛知まで買い出し行くのはあまり苦ではないでしょうが、そういう地域ほど高齢化はあっという間です
するとモロに買い物難民になってしまいます
千葉市のよーにまだとことん既存商店街が居住用に蚕食(回遊性低下)されきってしまわない今のうちに下駄履きにしてでも一続きとしての商店街を条例なりで持続させる必要があります
新幹線は地理的に無理だよなあ...
名古屋から京都、大阪を線で結べば岐阜県内のほとんどは最短経路から外れ通そうとすれば大回り。
名古屋という都市が大都市になった時点で岐阜は植民地、ベッドタウンになる運命なのでしょうね。
@mothlla3000 さん
そもそも名古屋ー京都間に駅必要だったのかなと思います
無駄な駅の典型でよく岐阜羽島が上がりますが米原もはっきり言って無駄です
米原を設置したのは当時北陸新幹線を開通させる前提がなかったので北陸方面へ便宜を図ったからです
素直な線形という話になってくると名古屋から、というかもっと言えば笹島貨物駅からほぼ真西にルートを取り一直線に近いルートで京都駅にぶつけるような経路が理想だったと思いますし、中央リニアもほぼそういう線形で計画されています
岐阜駅周辺の衰退は路面電車廃止以前の何年も前から問題になってますね。
郊外型店舗に客を取られて柳ヶ瀬も完全にシャッター通りと化してますし、
あと名古屋に近すぎるのも衰退要因の一つだと思います。岐阜市民の多くが名古屋で買い物するから。
動画説明にあったように、住みやすさ(ベッドタウン)としては高評価。
あとは名鉄側の決断と岐阜県民と市民の心掛け次第!
因みに大垣市(岐阜市の隣)から名古屋方面や周辺に仕事で回る人達は少なくない。
すごく興味深い考察です。
今後とも鐵坊主さんの動画を見させていただきます。
夏に岐阜でライブあったけど宿泊は便利な名古屋でした🥺観劇後の飲み会も遠征組の大半が名古屋宿泊だったんで名古屋で開催しました😢結果的には始まる前の昼食ぐらいしか岐阜では金使ってないな…🤔
関東の都市はほぼベットタウンだが中心駅前に全て集中して活気がある様に見えるね。岐阜も駅前を新しい中心として街づくりをしてはどうだろう。
岐阜市内線の廃止がある意味「だまし討ち」のように他人から見えるのが大きいかと思います。新車導入して 駅乗り入れを工事終わったら再開させるを反故にした+両備G等の受け入れ提案をことごとく拒否した等々。 まぁ 名古屋に近すぎて便利すぎる+本来の繁華街(柳ヶ瀬)と距離があったと言うのが大きいかと。 え?,南口の某「大人の遊び場エリア」の衰退が原因?再開発が北口に集中していることで「お察しください」
北口真正面のビルがことごとく廃墟だから、余計にそう見えるはある とはいえ、名鉄近くまで行けばモノがないことはないし、あの辺からちょっと奥に入れば飲めるし、本来の市街地はもっと奥でしょ?(40万都市のそれかと言われると微妙なところはあるかもだけど)
名古屋と岐阜は首都圏で言えば横浜と横須賀の関係に似ているような気がします。
横須賀中央の駅前もかつてに比べて活気が無くなり、百貨店も縮小。駅から少し離れたモール全盛の時代です。
京急は上大岡に百貨店を作り、横須賀まで商圏にしているほど。
岐阜といえば駅南側の例のエリアも廃れまくってるうえに年々店舗も減っていってて悲しくなってくる(以前愛知に住んでた時によくお世話になりました🥺)
真ん中に余り意味のない道路を建設したのが大きい。
あれって法律的に建て替え不可能(新しい営業許可が絶対に下りない)だからどうやっても衰退するしかないって聞いたことありますね
警察からは風呂から立ちんぼにしろと指導です
濃尾平野の繊維は昭和40年代後半には衰退期に入りその工場跡地には大型スーパーが出来るようになりましたね。繊維工場はプラザ合意でとどめを刺されたイメージですね。繊維問屋街も平成に入る頃から急激に衰退期に入り世紀をまたいだ頃には…でした。
中途半端に岐阜市も名鉄も金があったので持ち堪えてしまった結果かもしれない。
岐阜バスのバスセンターが閉鎖されたのは驚きでした。
昨年岐阜城の帰りにバスで通ったかつての繁華街は土曜の夕方なのにほとんど人を見かけず。
駅前に立つタワマは令和のベッドタウンとは聞こえは良いものの、次の世代が子育てとなると別の街に出てしまう可能性も。
コンパクトシティにはなれども名古屋に近いのでさらなる衰退の要素をはらんでいるのかもしれませんね。
東京の周りの人口40万程度の都市は商業施設いっぱいあんのにね
東京圏は広さも人口も規模が違いすぎる
町田、柏、船橋、川越駅などから山手線のターミナル駅まで25~40分かかるが、その周りの人口も膨大で合併すれば相模原市のような政令指定都市は5つや6つ簡単に出来てしまう
町田駅まで10~20分かかる人なら新宿までは50分かかる
一番典型的なのが新宿まで25分の立川駅で、立川市自体は人口20万足らずだが商圏人口は190万人もいて岐阜県の人口と同じくらい
例えば拝島駅から新宿までは西武直通で50分だけど立川なら10分
岐阜さみしくなりましたね〜、、
2000年時点では名鉄として全線廃止までは考えていなかったのではと思うが・・・(97年、00年に新車導入)
15年ほど岐阜駅周辺に住んでいた者です。中心街の衰退は肌で感じており、その理由もおおむね納得できるものです。
動画中で挙げられていたシティータワー43や柳ケ瀬の再開発ビルは、住居区画は人気がある一方で商業区画はあまり人気がないという話をよく聞きます。動画内で述べられている通り、岐阜駅周辺は名古屋に向かう人の住宅地としての需要が大きく、それゆえ名古屋駅の商業施設と競争しなくてはならない立場だといえます。また、岐阜市の中心部を離れると大型商業施設がそれなりにあり(イオンモール各務原・マーサ21・カラフルタウン岐阜等)、郊外から駅周辺への買い物需要に頼るのも難しい状況です。
ただ、岐阜県の周辺都市から岐阜駅周辺に向かう流れは確かにあるので、ツインタワーや名鉄岐阜駅再開発で求心力が上がることに期待したいです。
悲観的になる必要は無いです。利便性が良く人口が増える要素がいくつか有ります。名古屋市のベッドタウンとして再開発して更なる発展を目指せば良いのです。
関東でいえば浦和のような立ち位置でしょうか
無理に商業地域として再開発しないで名古屋のベットタウンとして割り切った開発でいいのでは
さいたま市は東京のベッドタウンであるだけでなく国の出先機関が移転してきたうえ、地元産業も発展している。岐阜と同じレベルでは論じられないのでは?
@@TSUYOS185 さいたま市というより旧浦和地区かと
たしかに大宮や与野地区は国の出先機関もあったり商業・交通の要衝でもあるので
岐阜市と同じレベルでないのはご指摘のとおりです
よそ者ですが、モータリゼーションが全国でもトップクラスに進んでいる中京圏で「路面電車の廃止で衰退」は理由としておかしいと思います。現代では車でイオンなどのショッピングモールに出掛けるか、ちょっと遊びに行くのなら名古屋まで出てしまう人が多いのではないでしょうか?商業施設の振興もいいですが、名古屋への通勤の利便性を考えればきっぱりと住宅地としてマンションなどの用地にした方が良さそうですね。
廃止前の岐阜市内線は市街地の交通機関ではなく、揖斐線のフィーダーとして機能していました。廃止は揖斐線沿線には壊滅的影響がありましたが、岐阜市中心部への影響は限定的でした。以前は百貨店もあって本巣郡の中心地であった北方町の衰退なんかは凄まじいものがあります。
この手のハナシになると岐阜市内の話題しか出ないが、周辺地域が県都岐阜によりつかなくなったというのがいかに重大だったかは、関市や北方や大野町に行って地元民と会話すると分かるんですよね。
大野町出身の友人が嘆いた話、北方町の高校へ通学した感覚で岐阜市内へ出かけようとした際、あの時は名鉄電車で待合せの時間が読めたけど、今やバスで大垣駅か穂積駅へ向かって…JRで岐阜駅へ出るしか😭…帰省しても不便になったと言ってました😅たまに丸窓電車の話には泣いて喜んでくれます〜。
@@noriosenochan9825 その穂積駅なら、そのまま岐阜駅発車しても10数分座ってれば名駅ですからね。谷汲村役場の人のハナシだと、157号が改良されて谷汲山大橋が開通したら、名古屋方面へは穂積駅P&Rになったそうですから。名鉄の線路では太刀打ちできないとはいえ、確かに岐阜市に人は寄り付きませんね。
北方町なんか本巣の中心地であった為か衰退が進んでいた為平成の合併の際にも近隣市町村に合併してもらえず、さらに衰退がひどくなってるよ😢
誰かが言っていた、岐阜が名古屋市の植民地とかのジョークが悲しいですね 東海道線移動時によく感じるのは確かに国鉄時代にない岐阜〜名古屋間の驚愕的な近さですから ストロー現象?
各務原も岐阜も大垣も全部名古屋の植民地感はわかりますw
もっと言えば、岐阜県は飛騨地方だけという言い方もできなくはない。美濃地方は、ほとんど名古屋の植民地と化してしまっているとも。
関東や近畿に比べ、名古屋を取り巻く地域は、通勤には鉄道を利用するが、普段使いはしないという生活スタイルが一般的ですが、それを少しでも変えていく必要があると思います。そこが良くなれば、自然と岐阜駅も再び成長へ向かうでしょう。
エネルギー問題もありますが、安全運転ができない高齢者ドライバーが増えているのが特に切実な問題です。
ところが、岐阜県は各自治体がすべて名古屋とのつながりで成り立っており、横の交流が少ない。このため自然な発展に任せてもよくならないので、県や各自治体が意識的に連携し、公共交通を強化する取り組みを進めて欲しいですね。
それには、岐阜駅だけでなく、周辺のロードサイド店舗や巨大ショッピングモールへのアクセスにも注目した方がいいかもしれません。これは他の岐阜県内の駅にも言えることです。
また現在、観光産業は好調なので、観光に利用される交通機関を地元民にもちゃんと使ってもらうという流れを作っていくのも必要だと思います。
名鉄とJR岐阜駅が合併出来なかった事が、大きい。そして繊維街を移転出来なかった事も大きい、岐阜市の将来を考えて働く市議会議員がいない事だと思う。
「鵜飼大橋」の完成により、従来は岐阜市中心部を通るようにして北部から南部に抜けていた車がまさに「迂回」することで中心市街地の交通量も減ったのも関係あるよ。
名古屋のベッドタウンという方向性が見えて、今後数年かけて北口を再開発していくのだから
現在はその過渡期の「底」と考えればそう悲観したものでもなさそう。
岐阜は広い
高山も恵那も関ヶ原も岐阜だから岐阜市が中心とは思えない
家康が清洲から名古屋に城を移した時に現在の形が決まりました
おっしゃるとおり、名古屋とくに名駅の発展が岐阜の衰退につながっているように思います
ベッドタウンへの転身も決してマイナスに捉える必要はないかもしれません
また、繊維問屋街の衰退は繊維産業の衰退が大きな要因に思われます
(繊維産業の事業者数、売上、岐阜県の国内シェアも下がっているというデータがあります)
令和のベッドタウンというのは聞こえは良いものの次世代が名古屋市内への回帰が進みそうな気がします。
そうなれば坂を転げ落ちるような人口減少となり得る可能性も。
@@TSUYOS185 おそらく急激な人口減少は起こらないと思います。岐阜市から名古屋へ通勤する人は10%以下と高い数字ではないからです。これは東海地方全体で製造業が強く、名古屋市に通勤しなくても地元で就職できるためであり、人口減少はトヨタが安泰な限り考えにくいですね
地元民です。約25年前名古屋駅にセントラルタワーズが完成した際に、東海道線の名古屋方面は現在まで続く毎時快速4本、普通4本のパターンダイヤが出来て、快速系統に乗れば名古屋まで20分で行く事が出来ます。この頃から岐阜市周辺は名古屋の「植民地」になっていったと思います。
岐阜の路面電車復活とかはさすがに無理だよな…
それやっても名古屋に近い岐阜じゃ難しいか(地方の富山や宇都宮ならともかく)
一度廃止した路線を再度復活させるのは厳しいですし、街がシャッター通りと化していては採算ベースにとても乗らないでしょう。
それに比べると豊橋の路面電車が走っているのは凄いですね。
名古屋人です。少し前に岐阜県人に「1度も行っていないので、あの(有名な)柳ヶ瀬に行きたい」と言ったら「来なくていいよ、なんもないから」って言われてショックでした。そしてこの動画で察してしまいました。
最近岐阜に移住してきたんだけど、暇つぶしに行ってみた感じ少なくともなんもないとは感じなかった
繊維問屋と違ってシャッター街とまでは行っていないし、イベントやってたからかもしれないけど人は結構いた
なにより人が生きた歴史をそこかしこに感じて、このタイミングで行けて本当に良かったと個人的には思った
これからは難しいのかもしれないけれども
僕の母親は中学卒業と同時に岐阜市の親戚に行って、裁縫等を習っていたそうです。当時は中学卒業後に高校へ進学する人は少ない時代でした。その縁で母親に連れられて僕と弟はちょくちょく岐阜に行きました。
当時の国鉄岐阜駅前の問屋街や名鉄新岐阜駅前は賑やかで、現在のシャッター通りとは全く違いました。柳ケ瀬も賑わっていました。
岐阜市内の現状分析等については鐡坊主さんのコメントにお任せしますが、今の岐阜市内は国道22号線(岐大バイパス)付近の方が賑わっている印象があります。
再開発にありがちな中途半端な商業&住居の複合ビルを建てるよりも
駅前にイオンモールやららぽーとを誘致してくれた方が住民としてはありがたい
大垣や木曽川、稲沢が駅に近くて競合しやすいんですよね。各務原もバスが出ています。
まさにそれ。
南船橋や豊洲のららぽーとがそうですし、
イオンなんかは新京成電鉄・新津田沼、東葉高速鉄道・八千代緑が丘、東武鉄道アーバンパークライン・新船橋各駅直結、新船橋は線路の反対側にはイオンタウンまであり、維持費のかかる車がなくても生きていけるから、沿線人口爆増中。
これからタワマン建てるなんて、震災時にエレベーターが使えなくなる時のリスクをも考えない、大手デベロッパーが良い思いをするだけの愚策。
各務原大垣木曽川に加えて、マーサ21、カラフルタウンに関マーゴ、北方にはモレラ。羽島に行けばコストコだってあるわけで。
ありがたいのはそうだけど競合が多すぎて非現実的かなぁと。
岐阜に住んでる方を複数知ってますが皆さん岐阜が好きで住んでます
人混みがなく環境がよく広い家でゆったりと過ごせるからだそうです
鮎やジビエと言った食文化も定着しています
タワマンと駅の傘なし直結は必須としてスーパーと普段使いの買い物と医療機関とお子さんの教育関連などの入った施設ができてさらにデパ地下的な高級お惣菜や食料品売り場が充実すれば眺望のよいお広いご自宅でのんびりと宅飲みと言う(住居におカネがかからない分)優雅な暮らしのできる街として発展するのではないかと思っております
岐阜駅、地上駅舎時代は駅前が賑わっていた記憶があります。
普通でも30分以内は、これはもはや県内の郊外都市ですね。最近の大津市と傾向が似ています。
岐阜は市街地開発が歴史的に複雑かつグランドデザインがないというのは明治以来嘆かれているところです。もともとは織田信長の城下町(!)としての岐阜町と、徳川家康が作った加納城下町があって、その2つの歴史的市街地の間に岐阜駅・新岐阜駅があり、更に柳ヶ瀬などの近代の繁華街がある。それぞれがそれぞれで連携も集約もないのは昔からで、たとえば新潟県上越市のようなバラバラの開発都市の元祖のようなところがあります。人口が増えている時代には間が埋まって気にならなかったのですが人口減少時代だと実に不便でもったいないことになる。市電はこれらの間をつなぐ唯一の紐帯だったとも言え(岐阜バスでは無理)、その意味ではシンボル的に市電廃止は結構重大な問題だったようにも思えます。
路面電車の廃止は無関係と思います。富山の路面電車と比較しても
末期の岐阜の路面電車は相手されていない感を感じました、市内線でも15分に1本でした。
衰退の理由は下手な愛知県の場所よりも
距離が近い、電車が便利すぎるのが大きいと思います。
新幹線に乗るにも岐阜羽島駅に行くより名古屋駅に行く方が便利です。
のぞみなど全列車停車しますからね。
言ってしまえば「愛知県岐阜市」として岐阜駅前は商業施設よりマンションを建てたほうが
にぎわうと思います。
近場に名古屋、乗り換えなしで東京も大阪も敦賀も、セントレア空港にも行ける。
ものすごく恵まれてるなあと思うんだけど、なんで衰退するんだろ
岐阜からでは東京は結局は名古屋乗り換え。自然環境は豊かではあるものの名古屋周辺の衛星都市の一つとなりつつあるものと思います。
岐阜駅に新幹線が来ていれば状況は変わったでしょうか?
岐阜駅周辺にタワマンが既に建っていますが、徒歩圏に主だった商業施設がないので、タワマン住民でも車の所有は必須なのかも
学生時代を東海地方で過ごしたので、岐阜駅周辺の事は当時から知っていますが、特に岐阜駅北側が寂れたのは、明らかに主要産業である繊維産業が衰退したからですね。
繊維産業の衰退に伴い、歓楽街の柳ヶ瀬も共に衰退しました。
一方で、国鉄が分割民営化された頃からJR東海が名古屋近郊輸送に力を入れた関係で、岐阜市自体の名古屋のベッドタウン化が進行したとも言えます。
岐阜県庁が主要国道沿いに移転してからは、ロードサイド店舗の商業施設は便利になりましたが、元々の中心市街地の空洞化が進行するきっかけにもなりました。
はっきり言うと、現在の岐阜駅周辺は名古屋方面に通勤する方の為の住宅地です。
岐阜県の県庁所在地としての「顔」となる商業施設も、働き口となる主要産業も、事実上、名古屋に依存する形なので、岐阜駅周辺の商業施設も主要産業も、かつての賑わいを取り戻す事は無いでしょう。
今回の動画でも取り上げられた名鉄岐阜市内線の事ですが、主要国道沿いのロードサイド店舗に行く為のクルマ社会になったので、道路事情最優先で廃止に至ったモノと言う認識です。
岐阜市の方にとっては、名古屋方面に行くJRと名鉄、郊外の主要国道沿いのロードサイド店舗に行く為のマイカーがあれば、名鉄岐阜市内線は大して必要無かったのだろうと思います。
せめて、主要産業である繊維産業が衰退する事が無ければ、幾らか状況は異なっていたかも知れませんが、事実上、名古屋のベッドタウンという位置付けに落ち着いたと思われる岐阜市中心部が、路面電車の有無に関わらず、単独で復活する事は無いと思います。
路面電車を残すには、あまりにも危険過ぎる乗り場
路面電車に乗った世代ですが、凄く危険でした。
ちゃんとした電停を作ると車が通れ無くなってしまう。それならバスか電車かと言われれば…
岐阜県民は大体18か19で免許取ると、車に慣れきってしまい、歩いて1分程度のコンビニやスーパー、ドラッグストアにも車で行くようになってしまう
だから駐車代もかかる市内中心部はどうしても敬遠される
岐阜の街中なんて送別会とかで玉宮行くときくらいかな
あとは子供をドリームシアターとかツナグテに連れてく時とか…
駅前のタワマンから名駅周辺へ通勤できるというのは魅力でしょうねぇ。
とはいえ、ふだんの生活は車で郊外へ行くのが東海圏スタンダードだから中心街が活性化するかというと、、、、。
30年ぐらい前、はじめて岐阜駅を訪れたが、駅前に繊維問屋街があるということで、休日は人っ子一人すらいない感じのところだった。また、岐阜駅から1㎞ぐらい離れたところにある柳ヶ瀬も、高島屋(2024年閉店)があり、かつ、休日にもかかわらず、人通りが少なかった。かろうじて、当時は新岐阜界隈は賑わっていたが、新岐阜百貨店(2005年閉店。後継のイクトも2024年に閉店)は岐阜市民にとって欠かせない、という規模のところではなかった。名鉄市内線の廃止がなかなかできなかったのは、名鉄自身の鉄道路線と連絡していたから。ところが、これが、岐阜市街地の衰退を一層加速させる原因になったように感じる。前述したとおり、岐阜市の中心部には中心となる商業施設が存在しない。これは、県庁所在地のある都市では珍しいケース。これにより、岐阜駅は、名古屋へ向かう通勤・通学はもとより、買い物客にとっての「ベッドタウン」色が極めて濃い駅となった。確かに、他県についても県庁所在地の中心駅の空洞化は進んでいるとはいえ、岐阜駅のようなケースはほとんど見られまい。これをユニークと好意的に捉えるならば、岐阜駅周辺は面白い街、ということになるが、いちいち名古屋まで出ないと「何もできない街」ということに、岐阜市側が「甘えている」とするならば大問題。しかし、岐阜市内は、方々に宅地化が進んでいて、大規模な再開発が望めない。ならば、今後も名古屋のベッドタウン、ということに甘えつつも、限られた開発スペースを活用して、サテライトオフィス、キャンパスなどの誘致が期待される。それに付随する形で、商業施設も誕生させていく。というか、それぐらいしか、岐阜駅を中心とする岐阜市中心部の活性化は望めないのが現状。
岐阜市の近隣市町村の者です。シティタワー43ができた時は遠目に「(岐阜県民の需要だけで)埋まるのだろうか」と心配しましたが愛知県某社の社宅として大量に買われて即日完売だったと噂を聞きました。ちょうど名駅のミッドランドスクエアが開業してトヨタ自動車名古屋本社が栄から名駅に移転したタイミングで大きく通勤経路が変わり、これまで地下鉄中心だった通勤がJR経由の岐阜駅も通勤圏内に入ったと当時思いました(すべて屋根がある通勤経路で雨天時も楽)。名古屋市の中心が商業(セントラルタワーズ)だけではなくビジネスでも栄から名駅に大きく移ったのがこのときだったのでしょうか。
岐阜市には戦後以来、都市計画というものがなく、1964年に政治的な理由でまったく利便性のない田園地帯に新幹線岐阜駅が開業、1966年はどの駅からも遠く市内からも不便な郊外の田んぼを埋めて岐阜県庁を移転し、岐阜大学はもともと郊外だったが、更に奥地のド田舎に移転してしまい、それとともに市内中心部にあった大学病院も岐阜大学のそのまた更に奥に飛ばしてしまった。つけてくわえて岐阜市民会館という市内の音楽・美術文化の中心があったが、これも古くなったということで新しいコンサートホールを岐阜市と大垣市の中間地点という変な場所(岐阜県庁の近く・近くに駅なし)に建てた。それらの結果、岐阜という戦国以来の歴史ある街は個性のない割安な名古屋のベットタウンというだけの場所になってしまった。市内電車ということでいえば、中心部の徹明町から岐阜の誇る長良川の清流に架かる長良橋をわたる路線が先に廃止されてしまいったことが象徴的な意味で岐阜という街の顔を亡くしてしまったように思う。せめてJR岐阜駅から観光資源のある長良川・河原町・岐阜公園あたりまでは残しておいて欲しかった。
?
岐阜市民会館の代替は長良川国債会議場ですよ
県民ふれあい会館(サラマンカホール)はクラシック音楽専用ホール
新幹線の駅は国(国鉄)の管轄
岐阜大学も国の管轄
県庁(県庁舎)は県の管轄
県民ふれあい会館も県の管轄
場所の決定権は岐阜市にはありません
路面電車がある街の三ケ所に住んでた事がある体感としては路面電車があると駅間も近いし街中の色んな所で乗り降りできて便利だし気軽に動けるからやっぱ街の方に行こうかなぁって思います
それがなくなり街の方に行く事を考えたらちょっと歩くにしては遠いなって感じる距離を移動するのに車で移動するのはめんどだし、だったら郊外に車で行き離れた場所同士でも車で回った方が良いかなって思います
ただの体感で岐阜とは状況も違うし数字的なデータなんかもない本当にただのそこでの体感でしかないですが
12:28 これ凄いな…ここまで打撃があったとは。乗降客が高度成長以前の数字を下回ってる。
ただでさえ車社会なのに、JRにまで客持って行かれたらキツいよなぁ。
それでも都市雇用圏では岐阜は単独都市圏を形成しているからまだ頑張れていると思う。
路面電車が廃止されたのは安全面からです。岐阜市旧市街地は道路が狭いために軌道内の自動車の走行が認められていました。また、乗降のための安全地帯は道路に黄ペンキで線を引いただけのもので人身事故が発生していたことから警察、岐阜市は路面電車を邪魔者扱いしていました。このような中で名鉄は新型車を導入するなどよくやっていたと思います。岐阜県人の気質は保守的で社会変化への対応が遅い(自民党王国であることがその査証)、尾張人は利に敏くて社会変化に合わせて自分も変わっていく、この違いにより開いてしまった格差が現状だと思います。岐阜大に通っていたので柳ヶ瀬の現状が悲しい、再開発で復活してほしい。
何事も中庸を取りますよね。名古屋の職場で、例えば揉め事が発生したときに仲裁役をしてくれるのは、岐阜から通勤してる人だった、なんて噂も。
名古屋市への人口流入は是正され難い東京の一極集中に似通うなと私は思いましたね。岐阜市のドーナツ化現象はモータリゼーションの弊害と言えましょうか。
もともと繊維産業が岐阜の主要産業だったがそこが廃れたのが衰退の始まりでそこから車社会の発展も相まって柳ケ瀬も客が減りその過程で市内線も邪魔になりって流れだったはず。
片側2車線の道幅に線路が複線で敷かれて軌道敷内通行可となってたから電車も遅れる、車もすんなり走れない、といいこと無しだった記憶。
もともと市内中心部を問屋街と位置付ける人は少ないと思うのとあまり岐阜駅前と市内線は関連付けて考えないのが自然かと。
新幹線アクセスの件も岐阜羽島を利用する岐阜市民は80歳代(もっと上かも)が車で羽島まで行くぐらいで基本はJRで名古屋乗り換えだし。
鉄道ありきで考察するというのは
ちょっと難しいかな、と思った
元岐阜市民です。
岐阜の路面電車の廃止が遅れたという話については、正式な計画ではなかったとは思いますが、地下鉄を作る話も出ていたようですので、地下鉄が開通するタイミングで路面電車を廃止する、と言う事を検討していたとしても不思議ではなく、この影響もあってスムーズな廃止に至らなかったのではないかと思います。
ただ、地下鉄に関しては、今に至っても作られていないわけですが、その理由として聞いているのは、地下水位が高く少し掘っただけで水が大量に出て来るから、と言う事です。
おそらく、地下水位が高くても地下鉄を作る事は可能と思われますが、工事費も維持費も高くなると思いますので、費用面で諦めたのかなと思います。
そして、この地下鉄の準備工事と思われる遺構が県道沿いに残っており、一般的な地下鉄駅の間隔ごとに地下道が設置されているため、地下鉄が開通する際の駅出入口に転用する事も可能になっています。
また、この地下道の遺構は岐阜羽島駅の近くまで続いているため、岐阜で地下鉄が実現していた場合は、路面電車の代わりとなるだけでなく、岐阜羽島駅まで延伸していた可能性もあったのかなと思います。
地下鉄ではなくモノレールです。昭和60年前後には構想図も描かれるくらいで、ぎふ中部未来博と絡める向きもありましたが、結局沙汰止みになりました。地下を掘れない理由は、おっしゃる通りで長良川の伏流水が強すぎるからです。
@@nobitetsu156
地下鉄の話は、モノレールとは別にあった話ですよ。
県道に地下道として遺構が残っているので、実際に作る事を考えていたのは確実ですね。ただ、実際の計画は聞いたことがないので、県道を作る際に準備はしていたものの、計画すらできなかった、と言う事なのかなと思います。
あと、地下鉄の話は詳細が分からないので何とも言えませんが、モノレールの計画と関連している可能性はあるかもしれません。
地下が無理だから高架で作る、と言う話になり、最終的にモノレールの計画になった、と言う事でも違和感はないですし。
@@ty707070 羽島市に向かうあの県道沿いにある地下道ですか。地下鉄、聞いたことあるようなないような。そのあたりに住む鉄仲間がいますから、朝になったら聞いてみます。
@@ty707070さん>確か鷺山か北税務署(市内ループ線の走っている道路)のあたりに地下歩道があったと思うんですが、あれのことですかね?
@@alexeycalvanov
どこの地下道を指しているかは分かりませんが、おそらく地下道がある所なら該当する可能性はあるかと思いますよ。
名古屋ー岐阜間の時間的距離が短くなることで名古屋の「吸引力」が上がったことが要因の一つであるという考察には同意しますが、もう一つ岐阜には「働く場所としての求心力」が欠けているという点も(名古屋と至近であればこそ)あると考えます。東京に対する横浜や川崎など、交通機関の発展進化に伴って地方/地域の中心都市(山手線沿線)との時間的距離が短くなっても、就労/就学場所として高い中間人口比率を保っている衛星都市もあります。「通う街」から「帰る街」になってしまっているのは、時間的距離の短縮化の結果、オフィスの機能を名古屋に集約した企業が多かったためではないでしょうか。ツインタワー計画は野村不動産などのデベロッパー主導で動いているようですが、彼らの論理は「借主はどこでもいいからテナントが埋まりさえすればよい」です。民間に任せるのではなく、自治体が主体的積極的に、現在名古屋に本社や中京地区の本拠地を置く大企業に『TCOの高い名古屋から引っ越して来ませんか?』であったり、海外の資本に対して『中京圏、あるいは日本進出のベースを岐阜にしませんか』というアプローチを行うことが必要なのではないでしょうか。
この先リニアが整備されれば、首都圏との時間的距離も圧倒的に縮まります。岐阜市自身が「なぜ敢えて岐阜にオフィスを構えるのか」という問いに対する明確かつ合理的な回答を用意できないのであれば、かつて東海道53次の宿場町として繁栄した、数々の住宅街と同じ命運を辿ると考えます。
戦後の復興期から高度成長前半にかけて、愛知県一宮市・尾西市周辺の繊維製造は日本の一大産業の一つであり、日米貿易摩擦も繊維製品輸出が引き金でした。
岐阜駅前は繊維卸問屋の集積地だったのですが、繊維製造は1970年代に入ると人件費の高騰や為替状況の変化もあって海外移転が進行、急激に衰退してしまいます。
また、小規模卸問屋が集積していた分、権利も細分化していると思われ、一体的な再開発も困難だった感があります。
また、かつて名古屋市内の繁華街は栄地区が圧倒的に上だったものの、1999年のJR高島屋の開業で一変、郊外からの鉄道アクセスは飛躍的に便利になりました。
これは岐阜だけでなく、四日市や岡崎などと言った他の中規模都市も大きな影響を受けてしまった形です。
JR岐阜駅の名鉄側と逆サイド。お風呂屋さんが多くて、イメージわるい。
下呂や平湯とちがって水道水温めただけの湯が流れるお風呂.,
お世話になりました😂
解説ありがとうございます。箱ものばかり建てた、某知事の岐阜市に対する計画のなさもあったと思います。
一度市内線に乗ったことがありますが、道路の混雑で市内ではなかなか進まなかったのを覚えています。そこからしますと、残っていてもどうだったかとは思います。ただ、新岐阜駅に乗り入れていた路線は残しておいても良かったのはとは思います。実際岐阜市内線があった時代、実はほとんどの電車が新岐阜駅前発で岐阜駅前発はほとんどない状況でしたから。
現在の状況を考えると、岐阜駅前に生活に必要な品が買える店がどれだけできるかということが重要ではと思いますし、また郊外へ出る交通がいかに便利なのかも重要になってくるように思います。バスもそうですが、例えば駐車場をどれだけ整備できるかという点も重要だと思います。企業や大学の誘致も必要ですが、タワマンも増えていることを考えると単に企業や大学を誘致するだけでは片手落ちになる気がします。
路面電車と同じルートを、更に郊外から直通しているバスが、歩道に横付け出来て安全で、路面電車より頻発していたので、誰が乗るの?って感じでした。
狭い長良橋通りではなく、金華橋通りを通っていたら、もう少し施設の改善がされて、多少乗客も残っていたかも知れませんが。
岐阜中心地って車で行くのすごい不便なんだよなぁ、ビジホ泊まる場合は岐阜じゃなくて岐阜羽島のほうが便利だし、かといって値段も高いし、高速のインターもイマイチどこで降りればいいのか分からない(多分岐阜各務原が1番良いと思うんだけど微妙に遠い)
名古屋高速・名岐道路で一気に一宮まで行って、そこから22号をひた走っていくのがわかりやすいのかな。名岐道路は将来的には岐南まで伸びるそうですが。
名鉄は、特急停車駅の再編して、高速化したほうが良いのでは?あと、運賃も
ベットタウンなら住民税も入るし、子供達の声も聞こえる街になるだろうし、他の地方都市より恵まれていると思います。
毎年、大阪から大須大道町人祭を見に行っていて去年、名古屋から岐阜駅が近いのを知り祭りの翌日に訪ねました。まだ高島屋が営業していた柳ケ瀬商店街に入るとその寂れっぷりに感動しました。今年も感動したくて今週行きましたが高島屋が閉店し寂れっぷりが増していました。感動を求めまた来年も行きます。岐阜市は名古屋市に近すぎて県またぎの衛星都市ですね。私が住んでいる堺市は人口80万人超えなんですが同じように大阪市に吸い取られています。これは仕方がないことでしょうね。
岐阜市は、路面電車存続に積極姿勢ではありませんでした、
利用者に対し安全地帯も無く、路上に白線が引かれているだけででした。
道路が狭いのも一因ではあるとは思いますが、軌道敷に車両乗入が許されており
軌道線の定時運行に支障があったのも事実です。
JR岐阜駅前~名鉄新岐阜駅前間は、遅延すれば運行取りやめで、新岐阜駅前から折返し運行がされていました。
新岐阜駅からは、美濃町線、JR岐阜駅前、名鉄新岐阜駅前からは、黒野、谷汲、揖斐方面へのアクセスが確保されていました。
赤字路線であったのも事実ですが、全廃は、路面電車を邪魔者扱いした当時の市政の成せる技です。
良長北町駅に至る長良線も、博覧会?開催で邪魔だからと廃止されました、今の経営環境からすれば良かったかもですね。
バス交通も、市バス・岐阜バス・名鉄バスと3本立てと・・・その後は岐阜バスと一部名鉄バスに統一されたようですが。
玉宮は立派なグルメ街になりましたね! 土日だと昼間でも店が結構やってて、歩くだけでも楽しい通りですよ😁
JRへの徒歩移動が便利ゆえに名鉄周辺から客足がシフトしたからです。