アドラー無理だと思い視聴しました。そもそも他人に期待してない、期待されたく無い、お一人様は他人の幸せより自分優先。感情の起伏せずに、他人は他人であり期待もせず、何かに関連も付けず。ひとり気楽に自由に生きている人も多いかと。。。また進化論の本で説明される様な集団で生きる必要も無い人も多い。コロナ後の人々に取り巻く生活、仕事もリモートと環境が変わり、他人との接点が少ない現代では、本の言及に納得できない人も多いかと。。。ぶっちゃけ動画が少し浅い見解かと思いました。プラトンのAllegory of the cave(洞窟の比喩)を読んでください。環境や境遇、現状、認識によっても、自己の取り巻く世界感や他人の分類は常に変わる
【目次】
①限 嫌われる勇気の要約 0:55~
②限 嫌われる勇気vs進化論 6:48~
【あらすじ】
「嫌われる勇気」を持つことは進化論的に無理である。
この動画は、「嫌われる勇気」で紹介されているアドラー心理学を読んで感動し、
嫌われる勇気を身につけようとしてみたものの上手くいかず、
多少なりとも自己嫌悪に陥ってしまったあなたへ向けて作った動画だ。
250万部以上売れている嫌われる勇気だが、
「いったいその250万人のうちどれだけの人が、
嫌われる勇気を日常の生活の中で持てているのだろうか?」
私はそんな疑問を読んだ直後から持った。
というもの、「進化論」を多少なりともかじったことがあるからだ。
この動画の前半パートでは、「嫌われる勇気」の内容を世界一分かりやすく要約し、
皆さんに提示する。
そして後半のパートでは、進化論を基にして「嫌われる勇気」の実現可能性を検証する。
後半パートに関しては、進化論という根拠を基にしているものの、拙い私の意見がそもそも間違っていたり、エビデンスベーストの「そんなわけねーだろ」という反論もあるかもしれない。そんな時は自分の頭の悪さを猛省し、喜んで認識を修正したい。
もしも私が
「承認欲求が我々の脳にプログラムされている」
という冷酷な自然法則を知らなかったならば、この物語に心底魅了され、
この物語の実現可能性を心から願った読者の一人であったに違いない。
私も「嫌われる勇気」の愛読者の一人であり、できることなら強く、
聡く生きるための今生のバイブルとして、本書を私の人生の礎に添えたかった。
だから私の懐疑的な意見が間違っていることを、どこかで祈っていたりする。
そして
あらゆる主張に根拠を求めて止まない不器用な私も、「嫌われる勇気」を読んでいる時は、我を忘れて熱狂し、もたらされる圧倒的な吸引力のままに、
その世界観にへばりつき、夜更かしをしてしまった
ということを最後に付け加えておきたい。
動画&編集 Produced by タケミ
アドラー心理学の解説をありがとうございます。嫌われる勇気が、よく売れているので、どんな本か興味を持ち動画を見ました。本を読んでも実践しなかったり、外国人の治療例が日本人にも当てはまるかといった点でも、すぐうのみにしない事も考慮したいと思います。でも自分の問題と他人の問題を混同しないという例えのとうり自分の責任を果たせばいい事も学びました。
アドラーは嫌われる勇気の中で承認欲求とは他人に認められたいと言う感情(受動的欲求)を指しているのであって他者に貢献したいと言う感情(主体的欲求)を否定している訳ではないので全く矛盾していないと思います。
わかります
横から失礼します。
間違ってたらご指摘ください。
受動的欲求を満たすために、主体的慾求を満たすのではないでしょうか?
であれば、進化論的には承認欲求を捨てることはできないのではないでしょうか?
@@kaddo407「承認」をどう捉えるかですね。この本では「承認」を「評価」と捉えているように感じます。「承認」を「存在の承認」=「つながり」と捉えるならば、ヒトが希求するものでしょう。しかし、この本で繰り返し説明されていることですが、他者の行為の責任は他者にあり、我々にはありません。だから、いずれの意味にしろ特定の対象に「承認」を求め続ければ、それは他者の奴隷となる人生を選ぶようなもの、としてアドラーは否定しているわけです。
だからこそ、愛という能動的なはたらきによって、自らのはたらきかけを広く(この本では宇宙とまで言われますが)社会へ広げていく行動の選択が大切なのだと思います。
「他人に認められたい欲求」というより「他人に否定されたくない(=変なやつと思われたくない)欲求」を捨てることだと思います。そもそも多くの一般人は別に他人に認めれてもいないし否定されてもいないので。
嫌われる勇気で否定しているのは、承認欲求が動機の他者貢献であり、推奨しているのは、自己動機による他者貢献の所属意識を持つことです。
利己的な行動を推奨しているわけではないし、承認欲求=他者貢献という解釈。
学問の違いによる見地を、科学に対する妄信で進化論は正しいという一方的な判断。
非常に違和感を感じる内容でした。
貴重な意見ありがとうございます!勉強になります。
他者から認められる(褒められる)のではなく、感謝される様にすればいい
と言ってるので、嫌われる勇気は間違ってないと思います。
原因論ではなく、目的論です。
承認がほしいから他者貢献するというのではなく、自分がしたいから他者貢献するのが「嫌われる勇気」です
アドラー、この本が出た頃から実践しています。子育てへに適用は困難ですが、自分にはビタビタに来ます。これを受け入れられるかどうかが、自立できるかどうか、この時代を生き抜けるかどうかに関わっているようにも思います。そして、いいと思っても、近親者には非常に伝えづらい、自分で気づくしかない考えであると思います。
以前より、短時間になったので見ようと思いました。『嫌われる勇気』なんて無理とわかって、楽になりました。
嫌われる勇気って、最終的には「自分の人生をどう生きるか、どういう人間でありたいか」を考えることにつながると思います。その過程で課題の分離が必要だということです。
仰る通りです。
昔であれば承認欲求がないと死に直結したので必要なことだったのかもしれませんが、現代は承認欲求が強いとかえって生きづらい時代になっていきているということをアドラーは言いたかったのではないかと個人的には解釈しています。
現代でも社会において生きていく居場所を確保するためには承認される事が必要なのでは?
@@bchop5751 承認欲求自体は変わらず、なくならず普遍的なものだとして、でも強すぎるのはあまり良くないんじゃない?ってことなのかなと個人的に思ったということです、、
なんとなくで感じたことを書いただけだったのでわかりづらくてすみません(__ )
@@sekizo9995 確かに強すぎるのは良くないですね。だけど逆に昔でもそうだとは思います。要はバランスの問題ですね。
本能に植え付けられているレベルの承認欲求は現代では不要というのがアドラーの主張なのかもしれないですね
それならもう少し本能という強い欲求に抗う方法を教えて欲しいなとは思いますが
まさしく「嫌われる勇気」を実践した自分に起こった事を書いていく。
まずリーダー役を務めているときにはこれは役立った。女性からもモテてた。
まぁ所々「そういう発想にはならんやろ」と思ってたし元々は自己肯定感も高かったが。
しかしそうでない時には。「お前は人を怒らせる天才」とも言われ。
公務員になってからは「理想は大事だが現実は」とばかり言われ、悉く芽を潰され。
そして別に期待しろとも言ってないのに無駄に期待されてから勝手に幻滅され。
気力と魅力をどんどん失った自分は女性恐怖症にも戻り更に対人恐怖症に陥り。
パワハラを受けるようになり鬱病に陥った。辞職に追い込まれた。
そもそも自分は理想型であれども価値を感じない事の為に頑張りたいわけではない。金銭も本質じゃないから最低限あればいい。
あとそもそもが「他人の気持ちなんて分かるわけないだろ」とも思ってる。そこを人に理解してもらえなかった。
特に同調圧力が強く、そして「強い男を生み出すことは治安悪化になる」と考えている人が滅茶苦茶多いこの国では。
営業やナンパなどの一部を除いて嫌われる勇気を持つ事は潰されるリスクが大きすぎる。
ひとことでいうと、0.100思考がお強いかなあと,思いました。この本には、利他心という概念もあったかと思います。人間の関係についても円満な方がよいわけで、しかしながら、妥協できるところは、もちろん妥協するし、できないところはしない。その線引きを自らで判断し、他人軸ではなく自分軸で関係性をつくっていくことだと思います。つまり、前向きに生きるために,主体的になるべきであって、そのためには、嫌われる勇気も、も、ですよ。が必要なんだと思います😊ゲシュタルトの祈りなども,わたしはすきなので😊いろいろ失礼しました😊
承認欲求は捨てて欲しいと思います。褒めてもらいたがる人って、あからさまにわかるし、言い方悪いですがうざったく思います。
では何が必要なのかと、僕が思うのは共同体感覚です。共同体の中で、一部として機能していくために、誰かのためではなく、自分のためではなく、私たちのためにどう行動するのか考える思考的感覚を身につけたいと思います。
「承認欲求をゼロにする」「承認欲求に溺れる」、両極端に考えると難しいし大変ですよね。
個人的に『課題の分離』という日本語訳は堅くて微妙だと思うけれど、自分のすべき事や出来る事に集中して、自分がコントロール出来ない「他人の感情」などには注意を向けすぎないように心がけるだけで随分と社会生活は楽になると感じます😌
進化論は否定できないけど、現代人はそれを上手くコントロールする必要があるのだなと思いました。
真理は中庸にあり
承認欲求など適切にコントロールすれば良いのであって「承認欲求は悪だ、無くせ」と主張する人には些か自分で考える癖が付いてないように感じますね
本当に承認欲求が原因なのか?それを捨てた時のメリットのみならずデメリットに向き合っているか?
思考停止で何でもかんでも主張する事も、承認欲求に溺れてる証じゃないでしょうかね
面白い考察ですね!
読んだ時は「承認欲求NO!我が道を行く!」みたいな気持ちになりますが現実的には100%否定は難しいですから0か100かの二元論では見ないようにしてます。
やっぱり人から認められると嬉しいし、それがモチベーションにもなりますからね。
だから落ち目になった時に自分が生きやすいように調整する為の心理ツールだと思って扱っています。
利己的な遺伝子に書いてあったと思うのですが人の血縁度は50%なので群れとしての性質と個人としての性質を持っているからこそ時より承認欲求に対して疑問が生じるのだと思います。
脳機能的にも大脳が考える正解と小脳の考える正解に相違があって、そのどちらも葛藤として抱えているからこそ様々な局面に順応して今日まで生き残れたのだと思います。
外国のカルチャーやコンテンツも日本に持ち込まれると日本風にアレンジされないと流行りにくいですから人種による特性の差異も確かにありますよね。
ただ、この本が今の時代において流行ったという事が人類全体の進化上都合が良かったのかもしれません。
皆が承認欲求に偏りすぎてると多様性が無くなって絶滅に繋がる可能性もある、だからこそアンチテーゼとして復刻されたのではないかと思います。
また、公の場には承認欲求が強い人が活躍していて、それを見た承認欲求の弱い人が「自分はおかしいのでは?このままでいいのか?」といった一種の焦りや自己欺瞞に陥っている人が「そういう方向に考えてもいいんだ」と気がつけるという意味では必要な概念だと思いました。
往々にして「学」や「論」と付くものは1か100かの極論を述べているケースが多いです。そうしないと何が言いたいのか曖昧になるからです。よってこれを実践しようとすると他の要因に影響を受け結果うまくいかないことになります。タバコの例えがありましたが止めて欲しいという側にも結果として相手に健康でいて欲しい、病気になったら困るという感情が発動されます。これを全く無視して課題の分離を徹底すると結局人間関係が上手くいかなくなることになります。極論で上手くいけば大成するケースは稀でほとんどの読者は頭では理解できても実践は難しいことになります。学問は実践に結び付きにくいということを象徴しています。よって何事もそういう情報を参考にしつつ現在おかれている環境に順応し1か100ではなく臨機応変に生きていくことになるのでしょう。
他者貢献について語られていないので、もう一度本書を読まれたら自身のためになると思いますよ
なるほど!やってみます(^^)/
バリバリ語られてる
進化論!そうですね〜
承認欲求を捨てると
無気力になってしまいますよね~
日本の方々は、気を使いすぎますが、
思いやりとおもてなし、工夫する長所が
あると思います.。
お互い良い所は認め合う事が必要ですね~!
嫌われる勇気を持てということは、決して嫌われろと言っているわけではなく、承認欲求を捨てろというのは、決して人から承認されるなというわけではないと思います。
私の経験上、嫌われる勇気を持っている人ほど逆に人から尊敬されており、承認欲求の少ない人ほど逆に多くの人から認められています。
見ている世界が違うからです。
筆者が言っている本当の意味は、そうなりなさいということではないでしょうか。
問題は、そう考えたからといって実際にそれが出来るかということで?
確かに
本書でも、理解して生き方が変わるまでは「生きてきた年数の半分」かかるって言われてるくらいですから難しい事なんですね😳
ただ、難しいから違う方向に考えるか、
道に迷ってもブレても良いから実践してみるかは
自分次第って事なんですかね。
@@bchop5751 言わずと知れたことですが、できる人もいればできない人もいますよ。できている人を私は何人も知っています。
@@_ayamoo_4694 この本に書いてある様な事を何十年も試みていましたが意味はありませんでした。別のアプローチの方が効果がありましたよ。
@@knightmirror2472 そうです。できる人にはできます。そして、できる人にはこの本は必要なく、できない人はこの本を読んでもできません。
極端やな
承認欲求が強い人が不幸になるから、嫌われる勇気を持って薄めれば幸せってことやろ
その薄め方としての思考法を提示してくれていると思えばいい
アドラー心理学は以前本を読んだり最近では動画を観て色んな人がどう解釈しているかを観察していました。私個人の意見としては人に誉められたい欲求はみんなあり、でも私個人では誉められるのを待って善意のある行動をするよりも、勿論、親切や優しさを持って人に接しますが、誉めるのは他人が決める事なので、それに対して期待はせず私から人を誉めるよう努めてます。人の才能を誉めるようにしています。人の良い所を誉めると自分自身も嬉しい気持ちになるからです。でもアドラー心理学だと誉めてはならないとありますね。それが私にとっては ?
なのです。この動画、なるほどなと思って面白かったです。感謝してます☺️
承認欲求は程々にあるのが良いように思います。
何事も極端は良くないですね。
課題の分離については賛成です。
ありがとうございました。 感謝‼
コメント欄の反論見てさらにアドラーへの理解が深まりました。
動画をあげていただきありがとうございます。
腑に落ちる考察です。
人間も動物であり、精神(せねばならぬ)と心(こうありたい)は別物。
とても説得力があります。
全くその通りだと思いました。
人間が「種」として存在することを考えると。
ただ、病気はそのままにしてはおけない。
心身共に苦痛を和らげたい。
人類全体としては、「進化論」で正解だと思うのですが、やはり、個人としてはそれだけでは厳しい。
生物としての不自然さこそ、ある意味人間らしさであり、哲学、思想、宗教が非科学的であったとしても、必要な理由なのかも知れませんね。
褒められるのが子供の頃からとても嫌だったので、アドラーを支持します。
ちなみに現在、社会的には一応適応した地位におります。
褒められたら嬉しく思うのはいいことだと思いますよ。モチベーションにも繋がりますし。
ただ、褒められることを目的にする(承認欲求)のは過剰だと思いますね。
そんな人生つまんないって思っちゃいます。
承認欲求があってこそ、頑張れる人も中にもいるし、実際出世している人も一定数いると思います。
でも、私は自分で書くのもなんなんですが、承認欲求は他人よりかなり弱いと思います。
「承認欲求をすてろ」はいささか乱暴な言葉ですが、私は承認欲求が弱いおかげで人間関係に悩むことがだいぶ少なくなりましたね。でも、承認欲求は完全には捨てれないし、むしろ成長過程では必要だと思います。
私は若い時は承認欲求は強かったですが、年取るとどんどん弱くなっていき、いわゆる「丸くなった、角がとれた」状態になってます。
根拠がある発達心理学にも関係しているのではないでしょうか。
アドラーは、共同体感覚を高めることもいっておりますが、承認欲求を捨てた人よりも捨てない人の方がその感覚が高いと思ってしまいます
目的論vs原因論 というテーマにも繋がるかと思いますが、
夢があるのは目的論でしょうね。
原因論の究極が進化論だったり遺伝子で全て決まってしまうというものだったりするわけですが、
正解は無いと思うので、
私はアドラー派ですね。
すごく長くなりますがコメントさせていただきます。
論点は2点
①遺伝子について
②大人の発達心理学について
です。
①遺伝子
遺伝子には設計図はあるが、ソフトウェアに該当する情報は刻まれているのでしょうか?
遺伝子は目的を持っているですか?(自然に目的があるのか?ということです)私は無いと思います。
また、母性本能は愛情ホルモンと言われる"オキシトシン"の脳内物質のシステムが担っています。
(母性本能というソフトウェアは、遺伝子に刻まれていなかった)
もし、承認欲求が克服できない感情、ハード的な(遺伝子で決められる)感情であるなら、それに相当する脳内物質があるはずです。そのような脳内物質はないと思います。承認欲求は、オキシトシンなどによる原始的(?)な感情と人間の知識が絡み合った感情だと思います。社会に溶け込んだ方が有利なのは、誰が考えても正しいので、承認欲求を克服できても、社会に溶け込んだ行動はします。
また、オキシトシン等による感情から、人と行動を共にすることはあり得ます。承認欲求が社会活動の理由とは言えません。
②大人の発達心理学
成人後も人間の知性は発達することがわかっています。
次の三つの段階になります。
一、環境順応型知性
一言でいうと、「みんなに従う」です。
二、自己主導型知性
一言でいうと「自分に従う」です。情報選別のフィルターが存在します。そのフィルターと自己が一体化している。でも、間違っている可能性はあります。
三、自己変容型知性
一言でいうと「目的、結果に従う」です。自分のフィルターを持っているが、それと自己が一体化しておらず、状況によって変更することができる。
発達段階の三の段階であれば、承認欲求は克服しています。二の段階の多くの人も克服していると思われます。
一から三の段階に上がるに従って、成人人口に占める割合は減ります。三の段階は10%程度しかいません。また、この発達段階は、IQや知識、学歴とは、強い相関はありません。
若い人で三の段階の人は、本当に少ないと思います。なので、大多数の人を見て、承認欲求が克服できないとは言い切れないと思います。長くなりましたが以上です。
2の大人の発達心理学というのは、確かキーガンの発達段階理論でしたっけ。僕が見た本では、三の段階の方は成人の1%未満とありましたが、非常に少ないのは確かなようですね。
嫌われていても気にせず、最低限必要なやり取りと、挨拶だけをして、もめることもなく仕事をしていたのですが
どんどん嫌われて、
あたしへの、影での悪口がエスカレートしてます。あることないことです。
きっと、あたしが、少しでも、相手を承認してあげることが出来れば良いのでしょうが
承認は出来そうに無いです。
これ以上最悪の事態が起こる前に、この群れから去る事にしようと思います。
承認し合える群れを探します。
退職を決めたら、スッキリしました。
よって、進化論に一票です。
スッキリした!!
アドラー心理学で苦しみからすくわれる部分がある!
と、思ってたけど、これ見て夢から覚めた気分!
こちらの考え方の方が自己肯定感上がる💓
これを読んで実践したところ本当に嫌われて無職になりました。。
10人の集団の中で、理想の人間関係は友人が一人、ただの知り合いが7人、敵が1人」が私の理想である。
9人全ての人から「嫌われている人」は信用できないし、9人全てから「好かれている人」も正直不気味に思う。
そう思った時、「嫌われる勇気」というものになんら抵抗感がなくなりました。
そして、「承認欲求」を追求する時に、そこに「自分の意思」「自分の正義」があるか?なければただの日和見で、たとえ承認されたとしても、皆が見ているのは自分ではない何かである。
10:00 多くの人が「自由」には「自分勝手」も含まれると考えているようですね。これは権力を握れば自由が手に入る、みたいな考え方のようです。
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自由とは
【自由の誤った認識】権力=自由
権力を握れば自由が手に入る。これは自由に対する誤った認識である。
【自由の正しい認識】権力vs自由
自由とは、権威に従ったり、与えられた考え方や慣習に従ったりするのをやめ、一から自分で考え、悩み、葛藤しながら、自分で道を切り開いていくこと。《=お釈迦さまが説いた"自灯明"》
===
『自由からの逃走』の著者エーリッヒ・フロムは言う。
「人は制約を取り払って自由になろうとしたとき、
目の前の世界と対峙することになり、
耐えがたい孤独感に襲われる」
そしてここで2つの道がある、とフロムは言う。
★1つは、積極的自由へと進む道。《お釈迦様が説いた道→犀の角のようにただ独り歩め》
この生き方には、大変勇気がいる。
自分で考え、自分で選択し、
そして自分の選択に対して責任を引き受ける、
その覚悟が必要。
★もう1つの道は、自由をあきらめる道。
自分の外側の、権威ある何か(組織、慣習、制度、
社会通念、国家、権力など)に寄りかかり、
その中に自分を没入させる道。
多くの人が安易に後者の道を選ぶ。
フロムは次のように語る。
「多くの人は、外側の力や制度に寄りかかっていて、
本当にしたいことをしようとしない。
外側の力の、現実的な、あるいは確実と考えられる
秩序に服従しようとする」
「多くの人は自己自身を屈服させ、
自己の持つ力や誇りを投げ捨て、
個人としての統一性を失い、自由を打ち捨てる。
そうすることで人は、
『決断する』ということから解放される。
『自分の運命に責任を持つ』ということから、
『どのような決定をなすべきかという葛藤』から、
解放される」
さらにフロムはこれを、
マゾヒズム的傾向と言っている。
大きな力に自らを服従させ、
自分自身を小さく弱くしようとし、
無力感や劣等感を味わうように自らしむけている、
とフロムは言う。
自分で何かに寄りかかっておきながら、その中で、
「面白くないないな~、つまんないな~」 とか、
「今日も○○をしなければならない。自由がない」
といった愚痴を言い、
自ら無力感や劣等感を創り出し、味わっている、
というである。
人は、
自由にともなう責任や孤独感、不安から逃れるために、
何かの権威に依存したくなるわけで、
どんな権威に依存するかというと、
たとえば、
組織や慣習、制度だったりする場合もあれば、
人である場合もある。
人である場合は、
“カリスマ的なリーダー”だったり、
“天才的な戦略家”だったり、
“超常的な能力を持つ人”だったり、
“カルト宗教の教祖”だったり……
何かの“すごい”権威を持っている人から、
「このように生きればよい」という
答えを与えてもらいたくなるケースもある。
答えを与えてもらうことで、
根本的な葛藤から逃れることができ、
思考停止状態に安住できるわけである。
フロムはこんなことも言っている。
「マゾヒズム的傾向とサディズム的傾向は、
表裏一体である」
つまり、マゾヒズム的傾向のある人は、
サディズム的傾向をも持っている。
たとえば、
マゾヒズム的傾向のある人は、
権威ある何かに自ら寄りかかっておいて、
「管理されるって嫌だなー。もっと自由が欲しいなー」 とマゾ的な無力感を味わうのだが、
逆に、 自分が親とか教師とか組織のリーダーなどになると、
やたらと権威を振りかざして管理したがる。
つまり「ああしなさい、こうしなさい」と干渉する。
そんなサディズム的傾向が出てくるというわけである。
===
自由に生きようとするなら、自分の自由を尊重するのと同様、他者の自由も尊重すべき。すなわち自分勝手なことはしない。自分勝手とは他者の自由を侵害する行為。
承認欲求は進化の過程で生まれものでしょうが、進化の結果幸福なのかというアンチテーゼだと思います。
幸せになる勇気を読んでみたらどうでしょうか?
嫌われる勇気を持て→嫌われることを気にしない→それを実行する為に課題の分離をする。
課題の分離を取り入れるだけで、嫌われることを気にしないに随分近づけると思いますが。
おかしい話かも知れないですが、承認欲求があまり無い方は協力的で従順、承認欲求が高い方が我が儘なイメージがありますね。
我が儘は悪い表現ですが、生命感があり物事の中心として引っ張って行く面もあります。
ワロタです笑
「あなたがいくらイヤだと言っても」、富田氏の名言も出てきて大満足😂✨✨
参考になります。
なるほどおー。って思いました。
ただじゃあ承認欲求にまみれて来た自分は、なぜ今うまくいってないんだ?とも思いました苦笑
うまくいってない、と思う内容の解釈によっても変わりますよね。
とにかく、もっぺん自分を振り返ろう、と思う大きなキッカケを頂きました😊
「承認欲求があることは力を合わせて営む社会を作れる」という部分に激しく同意です。スッキリしました。ありがとうございます❣️
どういかすかが大事。
アドラー心理学を別の動画で見て、独りよがりな感じがして、こちらの動画でやはりそうなりますよね!って納得したんです。職場で生きて行く上で嫌われてたら、やっていけないですよね‥適当に承認されないとスピンアウトされると思います。
貢献しようと思えば良いわけですね!他の方のコメントを読んで
分かりました。
悩みの元は欲にあるから欲を捨てろというのは仏教と同じ構造 アドラー心理学は科学ではなく宗教
「欲を捨てろ」という強い言葉を「欲をコントロールしろ」という風に緩めれば受け入れられるかもね
lavissa lavissa 嫌われる勇気の中での定義ですが、宗教とは物語を用いて説明するものなのでアドラー心理学は宗教ではなく、哲学であると同時に心理学だと言っています。
少し気になったのでコメントさせていただきました。
嫌われるのを嫌う本能より、違う本能が勝てば嫌われる可能性が高くても行動できるかもしれませんね。
飯を食わない死んじゃうなら店主に嫌われても飯を盗んだりするでしょうしね。
他人に嫌われたとしても身内に好かれるなら行うってのも後者の本能の方が強いですね。
周りの人の顔色に振り回されるなんて我慢できないって本能が強ければ行動できそうですね。
進化論マーケティングを参照してます。
4:00タバコの健康被害の損を受けるのは奥さんもになりますね。
でも奥さんは説明を端折ってるのでちゃんと説明が必要かもしれません。
タバコで旦那に健康被害が出て、早死にしてしまうと、私はとても悲しいから、悲しくさせないように、タバコをやめてもらえないか?と依頼しても良いし、タバコを止めるのとやめないで別れるのの交渉をしてもいいですね。
嫌われる勇気が、なぜこんなに売れたんだろう。…それは、進化論から本来そなわっている承認欲求を、社会であおられ疲れはてた日本人が多くいるってことなのかも。
進化論から見ると面白い考え方でした。
いつもは目玉焼きにしょう油かけてたんだけど、たまにはソースかけてみない?そしたらもっと美味しく食べられるかもね。って言ってるのかなと思いました
コメントありがとうございます😊
もう嫌われてる場合は?
考え方で心は変えられませんね。自らの意識によって自分を変えられると思うと嬉しいので、こういう理論が流行りますが結局は脳や心に直接働きかける事が必要です。マインドフルネス的なものや栄養を見直す方が効果がありますね。西洋の学問は意思や思考に偏り過ぎと感じます。
面白いですね、昔は性欲を悪として抑圧していた時代もあったんですよね、欲求というのは必要性があって備わっている、それを理解した上で上手くコントロールして付き合っていく、という態度が理性なのではないかと思いました
もし、『いなくなれ、群青』から始まる階段島シリーズをお読みになった方がいれば質問させてください。
感覚的にであって理論的なことは述べられないのですが、、、
階段島にいる真辺由宇は、嫌われる勇気をしっかり実践できていると思いませんか?
生きたい自分を想像して、人の生き様にいちいち干渉せず、話あいの中で納得できた方々だけで群れをなせばいいだけ。今を真剣にいきたいと思う私は他人に迷惑かけなければ、基本関わり合う方々にいわせない力の追求しているだけです、。
嫌われる勇気を
出したら
四面楚歌
すごく面白いアプローチでした!
嫌われる勇気は、ストーリー形式なので、人によって解釈に大きな差異が生まれやすくてアドラー心理学の本質を学ぶには少し向いてないのかもしれませんね💦
ありがとうございます!
おっしゃる通りだと思います。
解釈の差は避けられませんよね(*_*;
登場する主人公もとてもキャラの濃い人物ですし(笑)
喫煙の副流煙が自分に来るので別れます😢
アドラーの言ってることはわからんけど理想論やって思う。
そこまでうまくいかん。
むしろ、自分の思いに従って承認欲求も活かした方がいい気がする。
恋人のタバコの話は他人の課題といいますが、それによって受動喫煙で自分の健康を害するなら、その自分の健康は「自分の課題」そのものです。
でも、恋人が好きだから、二人で居られるわけで、それだけで嫌われるには「自分の課題」としてもよくはありません。
世の中でこんなジレンマは当たり前です。
どうしたら、この問題を解決するんでしょうか?
この本がベストセラーなのに、私に刺さらなかった理由が、この動画で分かりました!
やっぱり信じられるのは根拠のある化学のみ
進化論に対する考察も、抽象的ではありますが、本文に書かれていると思いました。
承認欲求ではなく、共同体感覚を持ち、他者の存在に感謝しなさいと。
無理だとか、でも、だってを多用する前に、相手の気持ちを鏡のように自分自身にコピーして投影させなさいと。それが、わたし達に必要な「共感能力」だと書かれています。
それらの言葉を多用すると、必ず返ってくるのは鏡に反射して返ってくる、相手からの無理、でも、だって、になります。
他者からの反撃を受ける前に、先に相手の考えや、存在を丸ごと受け入れる「勇気」を持ちなさい。
そうすれば、無理、でも、だってを言われないし、言わなくてもいい世界になる。
結果的に「幸せになる勇気」に繋がって行く。
そういう事だと思います。
恋人がタバコ吸ってたら、そのタバコの問題は2人の課題だと思うけどw 吸ってないその恋人も一緒にいる時にセカンドハンドスモーカーになっちゃって害を受ける訳だからw 例えが間違ってる
承認欲求自体を捨てるのは、本能を捨てろって言ってるのと同じだから無理だと思う、ただ、今この時代だからこそアドラーの考え方が現代人に役に立つようにも思う。なぜなら、ネット社会でSNS疲れなんて現象も起きてるわけだから、少なからず、自分と他者との分離は、ある程度はしておいた方が、私は良いと思う。
どんな良書も3つくらい学べればいいと思う。100%正しい事はないのだから。自分の心の琴線に触れて、行動を変えられるならその本を読んだ意味があると思う。
細かいことは気にしない、ワカチコワカチコ☻
はじめまして(*^^*) ワタシも嫌われる勇気の要約UA-camは何本か観ましたが、承認欲求を否定している動画は初めて観ました。大変興味深く拝聴させて頂きました。
承認欲求について、ワタシの個人的な感想を言わせて頂くと、マズローの欲求の段階説の信者なもので、マズローの言う「承認欲求には、他者承認欲求と自己承認欲求があり、他者承認欲求がある程度満たされると、(人間性の成長により)自己承認欲求に移行する」という説派です。
ワタシ自身そうでしたので…しかし、他者承認欲求がゼロには今の所なりませんでした。貴殿の仰る通り、人間という種にとって必要不可欠な欲求なのかもしれませんね。
嫌われる勇気を出してくれた少しも自分を優先したら介護施設のスタッフから嫌われて四面楚歌
私の個人的な意見ですが、自分の評価は他者が決める。と考えています
そして他者が自分を評価してくれている、と感じている事もあり、承認欲求に全く執着も興味もないのです(遺伝子は関係なくないかな?)
もし、他者の評価が低くても、それは自分の実力と判断するタイプです
結論は根底に【自信】があるか無いかではないかと思う
自分に自信があれば、全く他者からの承認が気にならないですよ
その自信というモノは、どうやったら持てるんでしょうかね?
@@bchop5751 さん
行いは俺のもの 批判は人のもの……俺の知った事ではない(勝海舟)
私の座右の銘です
自信というより【覚悟
】という方が適切かと思います
失敗したらそれは実力なので
挫けたり自信を無くしたり、という人は自分を高く見積もり過ぎです
質問に返信いただき有難うございます。
勝海舟は(あるいは貴方も?)その境地に達していたのかもしれませんが、多くの人にとって本当の「覚悟」あるいは「自信」も持とうと思えば持てるほど簡単なものではないのです。頭では、理屈ではわかっても心がついていかないと言うことが往々にして有り、迷い悩むのです。私が問うているのはその「覚悟」を本当に持てる「心」とは如何にすれば出来るのかであり、その辺をどう考えておられるか?なのです。
また、「他人に認められないなら、それは自分の実力」と言うのはわかるのですが、ならば実力は無いのに自信は有るというのは矛盾するようにも思うのですが、そこはどうお考えでしょうか?
@@sinjyu なるほど。おっしゃる事、同感します。本心を教えて下さり有難うございます。しかし、あまりその方向に行き過ぎると心が荒み闇堕ちしてしまう様な気がしてしまうのです。貴方も闇堕ちはしないように気を付けて頂きたいと思います。
私自身は闇堕ちせずに、貴方が「小馬鹿にしている」という様な人達に負けない心を養いたいと、常に思っております。そういう人達も一人一人は良い奴だったりしますし。
@@bchop5751 ありのままの自分を受け入れることだと著者は言っていました。
それは、できないことも含めて。
自己肯定感は幼少期の育ちに大きく影響を受けるそうです。
なので、仮にあなたの自己肯定感が現状低いのだとすればどうしようもないことだと思います。
だから、その現状に対し、どうするか、どうしたいかだと思います。
私は、家族や同僚にたくさん、ありがとうを言うようにしようと思いました。
要は
「開き直り」
の心理学なんだよね
嫌われる勇気まとめ
- [x] 我々の悩みの全ては対人関係からくる
- [x] この悩みを解決するために承認欲求を捨てなさい
- [x] 人間は社会的動物なので、この悩みはどこに行っても避けて通れない
- [x] 誰かに認められなければ、自分に価値がないと思ってしまう
- [x] 承認欲求に従って生きる=他人の人生を生きる
- [x] 他人の評価に怯え、本当の自分を抑えこむ
- [x] よって、承認欲求を捨てなさい
- [x] 承認欲求を捨てるには課題の分離を行う
- [x] 誰の課題なのかを見分ける必要がある
- [x] 見分け方は、その選択によってもたらさられる結末を最終的に引き受けるのは誰かを考える
- [x] 他者と自分の間に課題に境界線をひき、他者の課題には踏み込まない
- [x] 人生で悩んだとき、まずは、これは誰の課題なのか?と問おてみるとよい。
- [x] 課題の分離ができれば、承認欲求を捨てられ、嫌われる勇気が持て、対人関係の悩みがなくなり、自由が手に入る
進化論vsアドラー心理学
- [x] 生きる目的は、自分の遺伝子を残すため
- [x] 愛や嫉妬や承認欲求は遺伝子を残すためには必要な感情
- [x] 嫉妬
血の繋がらない子供を育てるとゆう、遺伝上の被害を防ぎ、自分の子孫を残すため
メスが自分以外のオスとの間にできた子供は、自分の遺伝子が受け継がれていないため子供を育てても意味がない
我々の感情は長い年月をかけ進化してきたもので、それを無くすことは難しい
- [x] 人は1人で生きていけない。昔も今も
- [x] 承認欲求があるから、人のために頑張るし、役にたちたいとの感情がうまれる
- [x] 承認欲求がなければ、自分勝手で、集団にとってマイナス
- [x] 承認欲求があれば、集団になじみ、生き延び、子孫を残せる
このての本は昔からありますね。今の時代に合ってブームになっているけど実行するのは難しい。でも読んだ人1000人に1人でも楽になれば上出来ですね。正直世の中の人間関係は千差万別だから本を読んだだけで人間は変わらないと思う。
自分なりに、アドラー心理学をかみ砕くと。
問題なのは実際に嫌われることよりも「嫌われるから~しない。」っていう信念に縛られてることなんだって気づくこと。
つまり、アドラーが言いたいのは。「他者が承認してくれないって言ってるけどさ。『承認してくれないなら動かない』って言ってるのは誰?自分じゃないの?それを認める勇気をもとうよ。逆にそれを持てないならどれだけ承認されてもあなたは奴隷のままですよ。承認じゃなくて自分の手ごたえで貢献してごらんよ、それが俺の提案する本当の幸せ。」
遺伝子とか科学が示せる正しさと、成功哲学とか幸福論の正しさって物差しの軸がリットルとセンチくらい違うと思う。
承認欲求は、日本人には捨てられない。ってことを動画の方は言いたいのかな?「現代の大半の」日本人がという表現なら共感します。幕末、明治、高度成長期の日本人は?となると疑問。 承認欲求が強い集団は、なあなあで同質化し、平均的な思考しか持てないような気がします。 まぁ、ビジネス上で尊敬できる人たちを見ると対人の承認欲求は少なく、意見をぶつけ、結果、他者や世の中に役に立っていると思います。これが他者貢献
個人の意見と前置きはしていますが、無理という表現はどうなのかな?と感じました。ジョブズも日本では凄い人。ですがアメリカじゃ、1度追い出される程の嫌なスピーカー。でしたよね。何か事を成し遂げたい人には良い思考(本)だと思います。 政治家には特に実践してほしい・・と個人的意見
本の「要約」チャンネルなので、私的感想、感情は要らないと思いました。
褒めレビューが多い中であえて反対して再生数を稼ぎたいのでしょうけど、あくまでも要約に徹して欲しいですね。
承認欲求は賞罰教育で取り付けられたドライバーだから承認欲求を取り外す事は自己肯定感の低い今の日本人に行動を起こさせる必要な考えだと思います。
承認欲求が取り付けられたのではなく、自己肯定感を取り上げられてるのでは?
嫌われる勇気=米麦
なんでも適量。。
要約するだけでなく、しっかり考察もするスタイル良いですね。そもそもアドラーの主張は「心理」を否定して意思や考え方で解決しろと言ってる様なもので心理学と言えません。気休め程度のインチキ自己啓発くらいのモンじゃないですかね。
自分の言動に責任もてる人は結果嫌われても気にしないよな。承認欲求強い人は後悔してジタバタしてる。
承認欲求の問題は仏教でも言われています。
我を持つことで人は不幸になると。
無明により人は不幸になると。
アドラーは根拠ないけど、進化論は根拠があるという事ですが、それはひろゆき論法、それってあなたの意見ですよね と同じです。アドラー心理学が根拠ないという証拠もまたないです。それを言ってしまうとフロイトもユングも同じ事になってしまいます。
進化論とは面白いですね!
私も『嫌われる勇気』のアプローチには違和感を覚えていました。
アドラーってみんなが好き勝手に人助けをすればハッピーって考えだけど
それが嫌だって人はどうしろってんだろ、俺にかまうなそれがストレスだってときさ
受動喫煙…
本をよく読んでるはずなのに、誤解されていると感じました。
もちろん、頭が悪い訳でも知識が足りないわけでもないでしょう…
むしろ、なまじ知識が多くて誤解されていたのではないでしょうか?
3年経った今、再度読まれて動画を再投稿することをおすすめします。
あなたの課題か自分の課題かは定義によります。
タバコを吸うことで、タバコの健康的被害を受けるのは、自分以外のところで吸っているので有れば最終的には彼女さんです。
が、タバコを吸うことで、お金、時間、彼女の息の臭さ、副流煙による自分の病気のかかりやすさ、これからを考えた自分のためともいえますね。
課題の分離の定義を変えたほうがいいと思います。
誰の課題なのか、ではなく、全て自分に裁量権があるかで考えた方が正確な判断ができていいと思います。
彼女のタバコなら、自分に全て裁量権はありませんので、やめた方がいいけどやめなくてもいいと思う、ぐらいの主張で終わります
スポーツで勝ちたい。これも全て自分に裁量権はありません。相手の実力によって決まりますね。
習慣を作りたい、これは自分に裁量権がありますね。作ってください
勉強したい。これも自分にあります
自分をかえたい。これもできます
テストで90点以上取る。これは全て自分の裁量権ではありません。自分が作ったテストではないですからね
テストでいい点を取るのではなく、別のことを目的にした方がいいです。勉強時間や量など。
彼女のタバコをやめさせると言う目標を掲げた場合、それは自分の裁量権ではないですから、自分ができることを目標として行動した方がいいです。
課題の分離で目標を決定してしまうと、自分が立てたい目標を立てられなくなってしまいますし
恋人を作りたいとか。友達100人作りたい、とか。
目標は大きくつくって、あとは自分に裁量があることを頑張ることがモチベも続きますし、うまくいく確率も高いです。
まぁ、どっちでも大体自分の問題に取り掛かるのは変わらないので、大まかにはどちらでもいいと思います。
😶それって あなた個人的の考えでは、嫌われる勇気の方が 正しい と思うけどな 。
自分の動画を他人に 評価される其れも、ひとつの 用給言う輪ざるおえない。
大戦や恐慌もあった約百年前に「全ての悩みは対人関係」と言っちゃうなんて、アドラーは凄く恵まれた境遇で生きていたんでしょうね。
@35 18c0 その考え方だと「全ての悩み」以前に「全ての出来事」は対人関係となっちゃうのでは?
あと、戦争や不況そのものだけでなく、それによる身の危険や餓えなどの恐怖も悩みの種ではと思っております。
@35 18c0 私は言葉の定義を間違ってたんですかね?でもあなたは考え過ぎでしょう。哲学的になり過ぎて深みにはまってませんか?悩む人は悩みたくて悩んでるなんて、今悩みの中にいる人にとったら暴力みたいな言葉ですよ。人間なんて前向きとか言ったってなれない時もあるんですよ。結局は脳、感情の問題でしょう。
他人に期待してる場合だけを悩みと言うなら私の思っている「悩み」は違いましたね。自分で何とかしようと考えてるうちに煮詰まってしまうのも悩みだと思ってたので。
@35 18c0 追記:今できる事を一生懸命したところでジリ貧の先が見えてしまった時で、状況を打開するにはどうすれば良いかわからなくなった時は悩みになるのでは?あなたは一生懸命頑張れば上手くいくものだと思い込んでいらっしゃるのでしょうか?能天気じゃないですかね。そして結局は自分の心を強くする事を考えるしかないのでは?
@35 18c0 そういう話では無いけど。でも一人しかいなけりゃ、それはそれで悩みは有るんじゃない?
@35 18c0 補足…、
なにしろ何でも一人で全部やらなきゃいけないんだからね。
人間関係だけが悩みだなんてアドラーは恵まれてたのかなと思ったけど、逆に他の事が見えなくなるくらい人間関係に苦しんでたって事かな?
進化論は結果的にそういう性質を持つものが生き残っていると考えることでは?
〜ためにその能力が生み出されたという、目的論的説明は誤解を生むと思います。
おれ、承認欲求なかったら、ニートになると思うわ
アドラー氏の理論がただしければ、輪廻転生や斉藤一人さんが言われていたこと、俳優のトムクルーズ氏が信仰している哲学も意味をなさなくなります。
だったら、この世の中、進化しすぎやろー感情的になる姿ほど、滑稽で、情けないよ。
進化論は私的に無しです
難しくてわかんなかった
アドラー無理だと思い視聴しました。そもそも他人に期待してない、期待されたく無い、お一人様は他人の幸せより自分優先。感情の起伏せずに、他人は他人であり期待もせず、何かに関連も付けず。ひとり気楽に自由に生きている人も多いかと。。。また進化論の本で説明される様な集団で生きる必要も無い人も多い。コロナ後の人々に取り巻く生活、仕事もリモートと環境が変わり、他人との接点が少ない現代では、本の言及に納得できない人も多いかと。。。ぶっちゃけ動画が少し浅い見解かと思いました。プラトンのAllegory of the cave(洞窟の比喩)を読んでください。環境や境遇、現状、認識によっても、自己の取り巻く世界感や他人の分類は常に変わる
う~ん、共同体感覚の章まで読まないとこの本の価値はわからないんだけどな。
解釈は人それぞれですが、ちょっとアドラー心理学の本筋から反れているように思います。
アドラーは、承認の有無(他者からの反応)ではなく、自分の目的で主体的に行動することを説いています。
決して集団の利益を無視した自分本意な心理学ではありませんよ。
承認欲求のくだりは反論も根拠無しでしょ。それを進化論にすり替えてまとめないでください。
国の無い人の課題
違うなぁ
進化論も根拠ない論文が出てきてますよ。人間は人間のままだし、猿は猿のままらしいです。