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尾張、美濃の街道、渡し、河川図などを拾い上げる作業は大変骨が折れた事だと思いますが、海部津島に住む身としては大変にありがたい資料です。感謝します。
地元の人にも満足いただけたなら作った甲斐がありました♪街道は最大ズームにもたえられる様に詳細に旧道跡などマッピングしてますので結構疲れますw
毎回思うけど動画一本作るのにどんだけ手間かかってんだこれ本当に頭が下がる
手間ヒマかけて動画作っても再生回数伸びないのが悩みだったりします(涙でも地図作りは趣味なので楽しんで作ってます
当時の河川図や堀の水まで記されており、作り込みに感激致しました。これからも楽しみにしております。
松よしさんスーパーサンクスありがとうございます♪地味で小規模な戦いなのであまりウケないだろうなぁと思っていたので支持いただけて嬉しいです。旧流路や街道などは頑張って作っているので感激してもらえてよかった!当時の地図をなるべく再現しないと合戦の状況は分かりにくいとの考えで解説をやってますので、今後も地図の作り込みをガンバリマス
何かとマイナーな美濃の土豪の一族ですが面白かったです。いろいろとここまで詳しく調べられ、合戦状況もさることながら当時の河川や街道までも詳細に記載されていることに驚きました。これからのお話も楽しみにしております。
本当は徳永・市橋・横井トリオの華である、長曾我部と長束を追撃した「金屋河原の戦い」までストーリーを進める予定もあったのですが、いかんせん福束城の戦いの動画が全然再生されなくて(涙)現状はお蔵入りになってます。いつか皆さんの応援で関ヶ原シリーズを再開して金屋河原もやりたいなぁと思ってます。
美濃人としては非常に楽しみです。周りに宣伝し、微力ながら応援致しております。@@Yoshifuji-Sengoku
関ケ原をちょっと超えて養老の滝に行ってきたのですが東側はどこまでも続く平地ですね。遠くの方に爪楊枝のごとき超高層ビルが見えました。西側で劣勢になったらとんでもない恐怖でしょうね。今回もマップがわかりやすかったです。地政学的に決戦の地はここ以外になく不倶戴天の決意だったんだろうなと想像しながらよしふじちゃんは今日もかわいいと思っていました。
大垣と西軍主力を行かせてしまった伊勢との連絡を絶たれたらマジで終わりだと思うんですが、養老を貫く伊勢東街道にも危機が!ってのが次回以降の高須城の戦いになる感じwカワイイよしふじちゃんがマニアック過ぎる解説の一服の清涼剤なのですが批判が多くてあまり使えないのが悲しい・・・
徳永寿昌も柴田系の武将にしては珍しく江戸大名(信長からつけられた与力はそこそこの数は大名になったのですが)にまでなれた武将なんですが、こんな渋い働きをしてたんですね あと揖斐川近辺にいる高木姓連中はのちに江戸幕府下で美濃衆として交代寄合になる家だと思うんですけど、揃いも揃って西軍だったんですね
徳永さん渋いですよね!交代寄り合い美濃衆の高木と高木盛兼たちの関係性はいまだ謎だったりします。なんかの史料で高木佐吉と高木盛兼(守之)を同一視してましたが、私も結論はだせていない感じでござる・・・
ふらっと寄った海津町のラーメン屋さんで丸毛さんのパンフ見ました😁転勤で岐阜県に来ましたが歴史好きにとっては天国ですよ😆
パンフレットなんかもいずれ手に入らなくなりますので、保管しておくと吉かもですね、せっかくなので色んな所を見に行ってみてください
木曽三川を挟んだ関東と京方の勢力争いは鎌倉時代からあり、歴史においてこの辺りを先制することの重要さがよくわかります。なかなか大河ドラマや時代劇ではやらないんですよね💦自らせっせと勉強するしかなかったのですが、動画でわかりやすく解説していただきありがとうございます😊
福束城の「ふ」の字も大河じゃ出ないだろうなぁ(涙木曽三川の攻防で西軍が遅れをとったのは歴史を知らないのか地理を知らんのかと、なんでやねんと思ってしまいまする
@@Yoshifuji-Sengoku 江戸よりも大坂の方が木曽三川に近いはずなのに💦ですね。しかし大きな城では清洲城の福島正則が関東方なのと、まさか岐阜城が1日にして陥落するとは。三成涙目😭
そもそも東軍諸将からしたら、木曽川渡河しての岐阜城攻略は、父祖父からだけでなく自分自身参加してきた信長以来の出来事でありイメージしやすい。一方、西軍は、一旦、渡河を許し拠点防衛に失敗し奪取されるとその挽回方法で揉めることになるだろう。はっきり言って木曽川を防衛ラインすると、長く、一回でも陽動に引っかかれば終わりだしかといって動かなくても終わる西軍は大軍を擁しながらも、その使い道を誤った
これまた、マイナーな戦いを取り上げて頂き感謝です。てっきり合渡の戦いに行くと思ってたので意表突かれました笑東軍の横井勢は福島正則の配下になっていたのを、徳永寿昌が福島にお願いして援兵として借りたって話を昔どっかで本で読んだ記憶があります。あと、大垣城の北方 曾根城の西尾光教も東軍でしたね。(光教は城には戻れなかったようですが)
この福束城の戦いが爆死したので合渡の戦いは作る機会を逸した感じですね曾根城は島津が攻めたのか微妙だったりして扱いに困ったりします
やっぱ、リアルに勝るドラマは無いですね。小規模な前哨戦でも細かく推考を積み重ねて行くと、その中に色々なドラマが自然と後頭部に浮かび上がって来る様に感じられます。人の動きとか細かく追う程に、その場の緊張感が伝わって来ます。大河とかも他の時代モノも何だか現実離れしてると云うかお花畑になってしまって居てシラけちまってんですよね。いっその事、面白そうな会戦を歴史考証をバリバリに深めて脚本化して、意欲の豊富な演劇陣が集まって、徹底的に拘った様なドラマを作ったりできれば、モノ凄く愉しいやつが出来るんじゃないかな~と妄想してます。
大河ドラマで合戦シーンを大々的にやるとかはもう予算的に無理なんでしょうねぇ(涙、映画「天と地と」なんかの大規模撮影とかが懐かしい
濃尾国境付近は小大名が乱立しているけど、江戸期の生き残りも大変だったよね…遺構も無くなってしまってるようだけど、それでも、塚が残ってるのはそれだけ当地に残る記憶だったんだろうね。
塚をつくって維持して来てくれた先人に感謝しかありません一次史料じゃないと軽視されがちですが地元の伝承や遺構を大事に解説していきたいと思っておりまする
勉強になります♪
マニアック過ぎて!最高の動画だよ!アハハ!アハハ!
信長の尾張平定もマニアックにやっていくよ
ありがとうございます!
ご支援ありがとうございます。どのような所が良かったか感想など頂けるとありがたいです
@@Yoshifuji-Sengoku 地図と軍配置を時系列で解説して分かりやすかったのと、他では聞くことができないようなマイナーな合戦を取り上げてくれていることがよかったです。
マイナーな合戦がんばりますw永正三河の乱とか小豆坂とか吉良大浜とかやる予定です
岐阜県が県を上げて取り組んでいる関ヶ原古戦場記念会館で上映してるものより何百倍もこちらの方がよくできてます。歴史好きが見たいのはこのようなものですよ。これからも頑張ります!
ちょっとマイナーな合戦過ぎて回らなかった(涙関ヶ原の前哨戦としてなら見てくれる人もいるかと思ったんですがねー
Y I様スパーサンクスでの応援感謝です!次もガンバリマス。
川を渡って後方に回り込むなんて予想できそうだけどな…。自分だったらどうするって考えた時に動画と同じような策考えて、そのとおりだった。舞兵庫って三成の有能家臣ってイメージだったけどイメージダウン
作る機会を逸しましたが合渡の戦いでも舞兵庫さんはやらかしますからねぇ・・・
3D機能を生かした、引いた地図から主戦場にズームするのは場所が把握しやすくていいですし、ズームしていくところは何かワクワクしてきますね。米野の戦いの動画 ( ua-cam.com/video/78ZwscPiq88/v-deo.htmlsi=to1kzvMKF5EfRmhM ) と比較しながら見ると、8月11日からの美濃の情勢が時系列で分かるようになってすごく面白いです。三成大垣入り → 福島正則と東軍清州入り → 福束城の戦い → 米野の戦い → 岐阜城の戦いという順番で起きていたんですね。この動画によって、三成が大垣を動けず岐阜城に援軍を少数しか送れなかったのもなんとなく分かる気がしてきました。福束城援軍は攻め手の勢力を見れば守るなら十分と思える数は出してるんですね。長良川の戦いでは互角の兵数ですし。勝つための援軍というより、東軍の動きを探りつつ毛利勢など主力を呼び寄せる時間稼ぎのつもりだったのではないでしょうか。まさか一晩で崩れるとは思わなかったでしょうし……。その後の福束城落城で、清州を発った福島正則が起の渡しを渡河した後に岐阜城に行くか大垣城に来るか迷ったため、三成は動くに動けず、岐阜城に援軍を送るに送れなかったんでしょう。今回も実に面白い内容でした!
今回も実験的に3D地図で拡大縮小や移動などを取り入れましたが、評価してもらえたようで安堵しております。全部やるのは厳しいのですが今後もなるべく取り入れていきたいと思います。時系列がぐちゃぐちゃで解り難いところもあるかと思いますが、最終的にはこれまでやってきた動画を合体して「関ヶ原の戦い総集編」をやりたいと思ってます。全体的に東軍は伏見や安濃津、大津、田辺城などねばり強いのに福束、岐阜城など西軍はあっさり落城しちゃってますね(汗
@@Yoshifuji-Sengoku 3D地図でいじった後に文字や記号などを入れるのは大変だと思いますが、見る側としては非常に見やすいので続けていただけるととても嬉しいです。東軍が粘り強く、西軍が脆いのは命令系統の違いじゃないかと推測しています。東軍は徳川がまずあって徳川の戦略に沿って指示を出せばよい、と分かりやすいのに対し、西軍は総大将は毛利輝元にも関わらず、毛利の名代でもない石田三成から指示が出る等、現場も混乱していたんじゃないでしょうか。また、三成自身も毛利を差し置いて率先して指示を出すわけにもいかず後手に回っていたのではないか。などと、よしふじさんの動画で考察させていただいています。
こんばんは。いいですねえ。あまり知られてない争いにスポットライト当てるのは。こういうの大好き。3町(300m以上)じゃ銃撃戦やっても届いたのかどうなのか??ホント最低島左近が率いていればねえ。左翼からの奇襲もありと気をつけただろうに。でも結果論だから今更言っても詮無きことか。こういう小さいけど足元を固める戦って大事だと改めて思うねえ。小さなことからコツコツと!!
小さい合戦をコツコツやるのは好きですw杭瀬川も並行して作業してるので、思わず島左近ならなんとかしてくれるハズとか思っちゃいましたw
終わりの始まりが終わった(((いやー、なんというかそもそも論こんな日の本巻き込んだ大戦の指揮官が石田三成ってのが無理があった気がしますねえ。せめて豊臣家の承認があればまだ・・・
三成はただの美濃方面軍司令官というのをどこかの動画でやる機会があればいいんですが
西軍側って総じて後手後手に廻る人が多い感じですが、やっぱり気がついたらその時点で隔絶した軍歴を持っている家康に付かないと決めたような人たちだからなのかなあ…などと思ってしまったり。リーダーたった一人で巨大な戦争の様相がガラッと変わるの、この時代になっても思い知らされてしまうとなおさら。
西軍は毛利からして領土拡張狙いな持久戦というかのんびりで、東軍は早すぎやねんって感じがしますw家康すら置いてけぼり
こういうのなんですよ、自分が求めていたものはw
うおん。小勢力が多くて地味地味しているチャンネルきたアアアアア
はい。地味でマニアックなチャンネルですwこんなチャンネルにも需要があるといいなぁ
関ヶ原・青野原の役は賤ヶ岳の役や小牧長久手の役と地理的にも重なり、遺構や陣場の再利用等もありそう東西両軍とも木曽三川の攻防経験者や地理をよく知る大名も兵卒も多いが、特に美濃の西軍諸将は早期に敗れている。木曽三川の攻防では放埒諧謔なエピのある市橋や徳永ら東軍方が寡兵だと思われるが短期日で西軍を破っている。いち早く大垣に拠った西軍方諸将への信頼感や手腕への評価はもともと低かったのだろう。
元々は織田信長の尾張統一で作った地図の再利用だったりしますwwいずれは小牧長久手も詳細にやってみたいですね
は~~面白すぎる(*'ω'*)
「どこの橋」とはユニークな名前ですねw
援軍が橋まで来て落城知って「どこ」行こうか迷ったらしいですw
これは地の利を得た東軍勢が、うまく戦った合戦だと思う。西軍の地元勢は丸毛安職だけで、地の利のない援軍共は驚かされて、一瞬で烏合の衆と化してしまってる😂
援軍の舞兵庫さんらは完全に武名を落としたかなーと思います
西軍はもともと伊勢→尾張のラインで決戦を起こす算段で、主力を伊勢方面から向かわせていたらしいね。だから伊勢方面はわりと順調だったりする。それに引き換え美濃方面は全部後手後手に回っているのは何でだろう?三成の個人的な能力の問題なのか、それともなんらかの戦略的な齟齬があったんだろうか?多分諸大名との連絡で目下の戦術的な動きまで目が回らなかったんだろうけど、その分野は良将に任せたほうがよかったのかもしれんなあ。三成方は人材不足か。
僕も戦国研究家をやっていますが、陽動の可能性もある以上三成は出る必要はないので左近クラスを派遣しなかった人選ミスかと思います
関ケ原の戦いは一日で終わったっていうけどなんでこの前哨戦をカウントしないの?どんな戦だって限定すれば一日で終っているでしょ。
たしかに本戦は一日で決着ですが、たっくさん前哨戦があるんですけどねぇ(涙天下分け目の大戦がわずか一日でというインパクトかな
横井時泰は逃げ上手の若君の子孫か
横井は北条早雲とも絡みがありますね
美濃地方の西軍諸将はそれぞれ奮戦したけど点であり線にならかった。これは三成の失態だろう特に福束城は兵站でも重要な拠点だった。中途半端な援軍を送るより島津の1500をそっくり福束城に入れておくべきだった。福束城のキャパを考えても手頃な人数と云えよう
長良川は美濃と伊勢の生命線なんですがちょっと軽視しちゃいましたね
木曽川を防衛ラインとした時に、大垣籠城は意味を持つがそれが突破されると大垣城では支えられないし、ましてや、関ケ原や玉城だったかそこに集結しては戦線は支えられない。一方攻める側の徳川は、これはかつて通ってきた道だ。信長が地ならしをしてきた道である。渡河を許し拠点防衛に失敗すれば、岐阜城を本城とした防衛線は維持困難である。西軍諸将に戦略眼の優れた将官は居れども、その方々はここの地理には疎いであるならば、せめて、秀次居城のあった近江八幡決戦の方が、湿地帯と巨城群により長期戦に持ち込め西軍の丹後方面軍と、大津城攻略群を遊撃部隊として東軍の背後、わき腹を突かせることが出来た。
結果論じゃないかな…?当初は尾張美濃のラインで防衛するって計画だったし、岐阜城があんなに早く陥落するなんて予想できなかっただろうし。岐阜城陥落の時点で西軍の総大将毛利輝元は敗北を確信し、勝手に家康と講話交渉してるから、毛利勢がまともに動かないならどっちみち無理だと思う。
左30日、右3日だぞ?
なんか石田三成が負ける理由が分かった気がする。
尾張、美濃の街道、渡し、河川図などを拾い上げる作業は大変骨が折れた事だと思いますが、海部津島に住む身としては大変にありがたい資料です。感謝します。
地元の人にも満足いただけたなら作った甲斐がありました♪
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マッピングしてますので結構疲れますw
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本当に頭が下がる
手間ヒマかけて動画作っても再生回数伸びないのが悩みだったりします(涙
でも地図作りは趣味なので楽しんで作ってます
当時の河川図や堀の水まで記されており、作り込みに感激致しました。これからも楽しみにしております。
松よしさんスーパーサンクスありがとうございます♪
地味で小規模な戦いなのであまりウケないだろうなぁと思っていたので
支持いただけて嬉しいです。
旧流路や街道などは頑張って作っているので感激してもらえてよかった!
当時の地図をなるべく再現しないと合戦の状況は分かりにくいとの考えで
解説をやってますので、今後も地図の作り込みをガンバリマス
何かとマイナーな美濃の土豪の一族ですが面白かったです。いろいろとここまで詳しく調べられ、合戦状況もさることながら当時の河川や街道までも詳細に記載されていることに驚きました。これからのお話も楽しみにしております。
本当は徳永・市橋・横井トリオの華である、長曾我部と長束を追撃した「金屋河原の戦い」までストーリーを進める予定もあったのですが、いかんせん福束城の戦いの動画が全然再生されなくて(涙)現状はお蔵入りになってます。いつか皆さんの応援で関ヶ原シリーズを再開して金屋河原もやりたいなぁと思ってます。
美濃人としては非常に楽しみです。周りに宣伝し、微力ながら応援致しております。@@Yoshifuji-Sengoku
関ケ原をちょっと超えて養老の滝に行ってきたのですが東側はどこまでも続く平地ですね。
遠くの方に爪楊枝のごとき超高層ビルが見えました。西側で劣勢になったらとんでもない恐怖でしょうね。
今回もマップがわかりやすかったです。
地政学的に決戦の地はここ以外になく不倶戴天の決意だったんだろうなと想像しながらよしふじちゃんは今日もかわいいと思っていました。
大垣と西軍主力を行かせてしまった伊勢との連絡を絶たれたら
マジで終わりだと思うんですが、養老を貫く伊勢東街道にも危機が!
ってのが次回以降の高須城の戦いになる感じw
カワイイよしふじちゃんがマニアック過ぎる解説の一服の清涼剤なのですが
批判が多くてあまり使えないのが悲しい・・・
徳永寿昌も柴田系の武将にしては珍しく江戸大名(信長からつけられた与力はそこそこの数は大名になったのですが)にまでなれた武将なんですが、こんな渋い働きをしてたんですね
あと揖斐川近辺にいる高木姓連中はのちに江戸幕府下で美濃衆として交代寄合になる家だと思うんですけど、揃いも揃って西軍だったんですね
徳永さん渋いですよね!
交代寄り合い美濃衆の高木と高木盛兼たちの関係性はいまだ謎だったりします。
なんかの史料で高木佐吉と高木盛兼(守之)を同一視してましたが、
私も結論はだせていない感じでござる・・・
ふらっと寄った海津町のラーメン屋さんで丸毛さんのパンフ見ました😁
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パンフレットなんかもいずれ手に入らなくなりますので、保管しておくと吉かもですね、せっかくなので色んな所を見に行ってみてください
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なかなか大河ドラマや時代劇ではやらないんですよね💦
自らせっせと勉強するしかなかったのですが、動画でわかりやすく解説していただきありがとうございます😊
福束城の「ふ」の字も大河じゃ出ないだろうなぁ(涙
木曽三川の攻防で西軍が遅れをとったのは歴史を知らないのか
地理を知らんのかと、なんでやねんと思ってしまいまする
@@Yoshifuji-Sengoku
江戸よりも大坂の方が木曽三川に近いはずなのに💦ですね。
しかし大きな城では清洲城の福島正則が関東方なのと、まさか岐阜城が1日にして陥落するとは。三成涙目😭
そもそも東軍諸将からしたら、木曽川渡河しての岐阜城攻略は、父祖父からだけでなく自分自身参加してきた
信長以来の出来事でありイメージしやすい。
一方、西軍は、一旦、渡河を許し拠点防衛に失敗し奪取されると
その挽回方法で揉めることになるだろう。
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かといって動かなくても終わる
西軍は大軍を擁しながらも、その使い道を誤った
これまた、マイナーな戦いを取り上げて頂き感謝です。
てっきり合渡の戦いに行くと思ってたので意表突かれました笑
東軍の横井勢は福島正則の配下になっていたのを、徳永寿昌が福島にお願いして援兵として
借りたって話を昔どっかで本で読んだ記憶があります。あと、大垣城の北方 曾根城の西尾光教も
東軍でしたね。(光教は城には戻れなかったようですが)
この福束城の戦いが爆死したので合渡の戦いは作る機会を逸した感じですね
曾根城は島津が攻めたのか微妙だったりして扱いに困ったりします
やっぱ、リアルに勝るドラマは無いですね。
小規模な前哨戦でも細かく推考を積み重ねて行くと、その中に色々なドラマが自然と後頭部に浮かび上がって来る様に感じられます。
人の動きとか細かく追う程に、その場の緊張感が伝わって来ます。
大河とかも他の時代モノも何だか現実離れしてると云うかお花畑になってしまって居てシラけちまってんですよね。
いっその事、面白そうな会戦を歴史考証をバリバリに深めて脚本化して、意欲の豊富な演劇陣が集まって、徹底的に拘った様なドラマを作ったりできれば、モノ凄く愉しいやつが出来るんじゃないかな~と妄想してます。
大河ドラマで合戦シーンを大々的にやるとかはもう予算的に無理なんでしょうねぇ(涙、映画「天と地と」なんかの大規模撮影とかが懐かしい
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遺構も無くなってしまってるようだけど、それでも、塚が残ってるのはそれだけ当地に残る記憶だったんだろうね。
塚をつくって維持して来てくれた先人に感謝しかありません
一次史料じゃないと軽視されがちですが地元の伝承や遺構を大事に
解説していきたいと思っておりまする
勉強になります♪
マニアック過ぎて!最高の動画だよ!アハハ!アハハ!
信長の尾張平定もマニアックにやっていくよ
ありがとうございます!
ご支援ありがとうございます。どのような所が良かったか感想など頂けるとありがたいです
@@Yoshifuji-Sengoku 地図と軍配置を時系列で解説して分かりやすかったのと、他では聞くことができないようなマイナーな合戦を取り上げてくれていることがよかったです。
マイナーな合戦がんばりますw
永正三河の乱とか小豆坂とか吉良大浜とかやる予定です
岐阜県が県を上げて取り組んでいる関ヶ原古戦場記念会館で上映してるものより何百倍もこちらの方がよくできてます。
歴史好きが見たいのはこのようなものですよ。
これからも頑張ります!
ちょっとマイナーな合戦過ぎて回らなかった(涙
関ヶ原の前哨戦としてなら見てくれる人もいるかと思ったんですがねー
ありがとうございます!
Y I様スパーサンクスでの応援感謝です!次もガンバリマス。
川を渡って後方に回り込むなんて予想できそうだけどな…。自分だったらどうするって考えた時に動画と同じような策考えて、そのとおりだった。
舞兵庫って三成の有能家臣ってイメージだったけどイメージダウン
作る機会を逸しましたが合渡の戦いでも舞兵庫さんはやらかしますからねぇ・・・
3D機能を生かした、引いた地図から主戦場にズームするのは場所が把握しやすくていいですし、ズームしていくところは何かワクワクしてきますね。
米野の戦いの動画 ( ua-cam.com/video/78ZwscPiq88/v-deo.htmlsi=to1kzvMKF5EfRmhM ) と比較しながら見ると、8月11日からの美濃の情勢が時系列で分かるようになってすごく面白いです。
三成大垣入り → 福島正則と東軍清州入り → 福束城の戦い → 米野の戦い → 岐阜城の戦い
という順番で起きていたんですね。
この動画によって、三成が大垣を動けず岐阜城に援軍を少数しか送れなかったのもなんとなく分かる気がしてきました。
福束城援軍は攻め手の勢力を見れば守るなら十分と思える数は出してるんですね。長良川の戦いでは互角の兵数ですし。勝つための援軍というより、東軍の動きを探りつつ毛利勢など主力を呼び寄せる時間稼ぎのつもりだったのではないでしょうか。
まさか一晩で崩れるとは思わなかったでしょうし……。
その後の福束城落城で、清州を発った福島正則が起の渡しを渡河した後に岐阜城に行くか大垣城に来るか迷ったため、三成は動くに動けず、岐阜城に援軍を送るに送れなかったんでしょう。
今回も実に面白い内容でした!
今回も実験的に3D地図で拡大縮小や移動などを取り入れましたが、
評価してもらえたようで安堵しております。全部やるのは厳しいのですが
今後もなるべく取り入れていきたいと思います。
時系列がぐちゃぐちゃで解り難いところもあるかと思いますが、
最終的にはこれまでやってきた動画を合体して
「関ヶ原の戦い総集編」をやりたいと思ってます。
全体的に東軍は伏見や安濃津、大津、田辺城などねばり強いのに
福束、岐阜城など西軍はあっさり落城しちゃってますね(汗
@@Yoshifuji-Sengoku 3D地図でいじった後に文字や記号などを入れるのは大変だと思いますが、見る側としては非常に見やすいので続けていただけるととても嬉しいです。
東軍が粘り強く、西軍が脆いのは命令系統の違いじゃないかと推測しています。
東軍は徳川がまずあって徳川の戦略に沿って指示を出せばよい、と分かりやすいのに対し、西軍は総大将は毛利輝元にも関わらず、毛利の名代でもない石田三成から指示が出る等、現場も混乱していたんじゃないでしょうか。
また、三成自身も毛利を差し置いて率先して指示を出すわけにもいかず後手に回っていたのではないか。
などと、よしふじさんの動画で考察させていただいています。
こんばんは。いいですねえ。あまり知られてない争いにスポットライト当てるのは。こういうの大好き。
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小さい合戦をコツコツやるのは好きですw
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いやー、なんというかそもそも論こんな日の本巻き込んだ大戦の指揮官が石田三成ってのが無理があった気がしますねえ。せめて豊臣家の承認があればまだ・・・
三成はただの美濃方面軍司令官というのをどこかの動画でやる機会があればいいんですが
西軍側って総じて後手後手に廻る人が多い感じですが、やっぱり気がついたらその時点で隔絶した軍歴を持っている家康に付かないと決めたような人たちだからなのかなあ…などと思ってしまったり。
リーダーたった一人で巨大な戦争の様相がガラッと変わるの、この時代になっても思い知らされてしまうとなおさら。
西軍は毛利からして領土拡張狙いな持久戦というかのんびりで、東軍は早すぎやねんって感じがしますw家康すら置いてけぼり
こういうのなんですよ、自分が求めていたものはw
うおん。小勢力が多くて地味地味しているチャンネルきたアアアアア
はい。地味でマニアックなチャンネルですw
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関ヶ原・青野原の役は賤ヶ岳の役や小牧長久手の役と地理的にも重なり、遺構や陣場の再利用等もありそう
東西両軍とも木曽三川の攻防経験者や地理をよく知る大名も兵卒も多いが、特に美濃の西軍諸将は早期に敗れている。
木曽三川の攻防では放埒諧謔なエピのある市橋や徳永ら東軍方が寡兵だと思われるが短期日で西軍を破っている。いち早く大垣に拠った西軍方諸将への信頼感や手腕への評価はもともと低かったのだろう。
元々は織田信長の尾張統一で作った地図の再利用だったりしますww
いずれは小牧長久手も詳細にやってみたいですね
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「どこの橋」とはユニークな名前ですねw
援軍が橋まで来て落城知って「どこ」行こうか迷ったらしいですw
これは地の利を得た東軍勢が、うまく戦った合戦だと思う。西軍の地元勢は丸毛安職だけで、地の利のない援軍共は驚かされて、一瞬で烏合の衆と化してしまってる😂
援軍の舞兵庫さんらは完全に武名を落としたかなーと思います
西軍はもともと伊勢→尾張のラインで決戦を起こす算段で、主力を伊勢方面から向かわせていたらしいね。だから伊勢方面はわりと順調だったりする。それに引き換え美濃方面は全部後手後手に回っているのは何でだろう?
三成の個人的な能力の問題なのか、それともなんらかの戦略的な齟齬があったんだろうか?
多分諸大名との連絡で目下の戦術的な動きまで目が回らなかったんだろうけど、その分野は良将に任せたほうがよかったのかもしれんなあ。三成方は人材不足か。
僕も戦国研究家をやっていますが、陽動の可能性もある以上三成は出る必要はないので左近クラスを派遣しなかった人選ミスかと思います
関ケ原の戦いは一日で終わったっていうけど
なんでこの前哨戦をカウントしないの?
どんな戦だって限定すれば一日で終っているでしょ。
たしかに本戦は一日で決着ですが、たっくさん前哨戦があるんですけどねぇ(涙
天下分け目の大戦がわずか一日でというインパクトかな
横井時泰は逃げ上手の若君の子孫か
横井は北条早雲とも絡みがありますね
美濃地方の西軍諸将はそれぞれ奮戦したけど
点であり線にならかった。
これは三成の失態だろう特に福束城は兵站でも重要な拠点だった。
中途半端な援軍を送るより島津の1500をそっくり福束城に
入れておくべきだった。
福束城のキャパを考えても手頃な人数と云えよう
長良川は美濃と伊勢の生命線なんですがちょっと軽視しちゃいましたね
木曽川を防衛ラインとした時に、大垣籠城は意味を持つが
それが突破されると大垣城では支えられないし、ましてや、関ケ原や玉城だったかそこに集結しては戦線は支えられない。
一方攻める側の徳川は、これはかつて通ってきた道だ。信長が地ならしをしてきた道である。
渡河を許し拠点防衛に失敗すれば、岐阜城を本城とした防衛線は維持困難である。
西軍諸将に戦略眼の優れた将官は居れども、その方々はここの地理には疎い
であるならば、せめて、秀次居城のあった近江八幡決戦の方が、湿地帯と巨城群により長期戦に持ち込め
西軍の丹後方面軍と、大津城攻略群を遊撃部隊として東軍の背後、わき腹を突かせることが出来た。
結果論じゃないかな…?
当初は尾張美濃のラインで防衛するって計画だったし、岐阜城があんなに早く陥落するなんて予想できなかっただろうし。岐阜城陥落の時点で西軍の総大将毛利輝元は敗北を確信し、勝手に家康と講話交渉してるから、毛利勢がまともに動かないならどっちみち無理だと思う。
左30日、右3日だぞ?
なんか石田三成が負ける理由が分かった気がする。