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吉澤!若い。提供から、録画はKHB東日本放送ですね。最後の2本の番組宣伝は歴史的価値が有りますね。
80年のプロ野球の動画はとても貴重過ぎる。
このタイトルは、関西地区では全くオンエアされたことがありません。関西地区は、腸ねん転時代から一貫して「ABCスポーツニュース」テーマ音楽は「ウイーンはウイーン」でした。
吉澤一彦は、関西未オンエアのやじうまワイドのイメージが強く、スポーツニュースの進行をやってるとは思わなかった
本当だ!当方も「朝の顔」のイメージしか無い
まあ新人アナウンサーの時代だからね。
元々はモスクワ五輪独占放映権を得たテレビ朝日の実況アナウンサー要員だった。同期が古舘伊知郎と渡辺宣嗣
このテーマ曲はワールドプロレスリングにも使用されますね。
吉澤一彦さん・若い・
同年優勝の広島の映像はそこそこに、延々巨人戦の解説、その他は結果のみと、時代を感じますなあ。
ただこの年の巨人は激震の1年でしたね。先ずは優勝を3年連続逃しその責任を取らされる形で長嶋監督が更迭され藤田監督就任とさらに当時現役だった王監督の現役引退劇と暗く辛いシーズンでしたね。ただ唯一明るいニュースは藤田監督がこの年ドラフトで大注目だった原前監督を複数球団との競合の末獲得する事が出来た事が暗い影を落としていた中唯一明るいニュースだったので最もこの年は若手選手が飛躍的に伸びて来て来年は優勝出来るチームになってきた矢先の長嶋監督更迭劇だったので長嶋監督も無念で悔しかったかなと思ったと思います。
@@user-fz9xw7ws1w さん そして翌81年にはヤングジャイアンツと大沢ハムの史上初の日本シリーズ全戦後楽園決戦という、激動のドラマへとつながるのですね。
冒頭のテーマ曲は日本が辞退したモスクワ五輪に合わせて設計された。テーマ曲のアウトロはファンファーレ調。また当時朝に放送されたスポーツ情報番組では子供番組同様エレクトーンで演奏された記憶がある。
そう言えば、その当時放映されていた『ビッグスポーツ』もこのOP曲だったそうです。この『ビッグスポーツ』、内容がバレーボールや柔道、(器械)体操などといったオリンピックでおなじみの競技種目に特化?した大会の中継を基軸とした番組で、全国のあらゆる場所で中継放映されたそうです。特に体操では、朝生(朝日生命の略)体操クラブ出身の選手のめざましき活躍ぶりを示し、一時はオリンピックも期待されていたのが、日本側のボイコットによって潰されたそうです。
ビッグスポーツといえば土曜4時代に放送、またCM前に熊をモチーフにしたアイコンが出ていた。テーマ曲(スポーツ番組全般)ものちにマーチ調の勇ましいメロディに変わった。まさに昭和時代週末の夕方はスポーツ三昧だった。
@@tomohikosatoh8897 同じの番組ではね、ボウリングも扱っていなかった?
@@user-kp7mi9ux5x マジ?
@@tomohikosatoh8897 マジ。
プロポーズ大作戦の桂きん枝(現小文枝)のキューピット姿懐かしい!😆プロポーズ大作戦というと、後半のフィーリングカップル5対5がおもしろかったなぁ!😌嗚呼昭和は遠くなりにけり。
番組のオープニングテーマソングは、「キャンディーズ」が歌っていた。楽曲は、「ラッキーチャンスを逃がさないで」
後に「やじうま新聞」を経て長くテレビ朝日の朝の顔としてお馴染みでした吉澤一彦さん、まだ入社から3年の頃はスポーツニュース担当だったんですね。同期は古舘伊知郎さんに渡辺宜嗣さん、南美希子さん等看板アナウンサー揃いでした。
吉澤さんは関西とそれ以外の地域で知名度の差が大きいもんなぁABCがやじうまネットしなかったから…
@@user-ej9km6fg2e さん、朝日放送では朝は「ANNニュースセブン」の後に「おはよう朝日です」でしたね、当時は。ちなみに僕の地域の名古屋テレビ(メ~テレ)では再放送枠だったからなあ(「おはよう名古屋テレビです(「コケコッコー」や現在の「ドデスカ!」の前身)」は1987年4月にスタート)。ちなみに吉澤さんは週末の「ニュースセブン」やお昼の「ANNニュースライナー」を担当された頃に見たことありましたね。
@@user-st8bh6pi6u その"おは朝"も10月から朝5時からの3時間枠になる。
@@kzbigherottknhb さん、ちなみにメ~テレ(名古屋テレビ)で放送中の「ドデスカ!」は一貫して朝6時からの2時間枠ですよ。土曜日は朝6時半から「デルサタ!」を放送中です。
NETがモスクワ五輪の専属中継権を取ったからそれを見据えてアナウンサーを大量採用したんだよね。しかし、実際は・・
キングカズ(吉沢アナ)若い(笑)!
このテーマ曲聴くと、ケンコバの山本小鉄漫談を思い出してしまう。😅
0:14 Kazuko Yoshizawa in Ann Sports 04/05/1980
このころはまだ長野県内ではテレ朝系列はなかったしまだ民放が2局しかなかったのでおそらくこのニュース番組が放送されなかったと思います。
岩瀬健二 このころはね、九州圏内ではKBCテレビでしかしていなかったのよ。まだNCC(長崎文化放送)、KAB(熊本朝日放送)は開局以前だったからね。しかも、僕は小学校の4年生だったのよ。
岩瀬さん ただ、長野県で3番目の民放「テレビ信州」はたしか80年開局と思いましたが。その後91年に「長野朝日放送」が開局するまでは 日テレ、テレ朝 両局の系列(先の2局はそれぞれ「信越放送→TBS系」「長野放送→フジ系」にシフト)となったため、長野朝日開局までは、遅れネット、または未ネットの番組もありました。
@@user-ds7yr8zg3v確かにこの頃は長野県内は2局しかなかったですね。この年の秋に県内3局目のテレビ信州が日テレとテレ朝のクロスネット局で開局し11年後にテレ朝フルネット局の長野朝日が開局してテレビ信州は日テレフルネット局になり平成に入ってようやく長野県も4局化され現在に至りますね。
3:14柴田は当時は西武のピッチャーでしたね。
若い人のために解説大洋ホエールズ→横浜DeNAベイスターズ南海ホークス→福岡SoftBankホークス 阪急ブレーブス→オリックス・バファローズ近鉄バファローズ→オリックス・バファローズロッテ・オリオンズ→千葉ロッテマリーンズ以上です
吉澤アナ若い!
その大洋は現在、横浜DeNAベイスターズです
岡田がホームラン。星野から打ったのかな?映像あったら見たいね。未来の阪神優勝監督の対戦やね。
え、これやじうまワイドの吉沢さんと同じ人なの?
wury77 本人だよね。しかもね、東一番町のミドリヤということは、おそらくKHB(東日本放送)かもしれない。
平成新局の開局ラッシュがなかったら吉沢を知らない人が多かったかもしれない。
同一人物です。尚、同期入社は、「古舘伊知郎、渡辺宣嗣、佐々木正洋、南美希子、宮嶋泰子」
@@user-br9pb8bd5hさん途中で報道に異動した戸谷光照さん、中里雅子さんも。
昭和55年 巨人VS大洋
このころの巨人はV9の選手と若手選手との端境期で色々と大変な時期でチームは思うように勝てない低迷期で結局この年も優勝逃し3年連続で優勝出来ずこの年のオフ日本列島に激震が走り長嶋監督が責任を取る形で一旦更迭され当時の王選手も現役を引退するなど暗いニュースが続出しましたね。一方で色々批判もありましたが藤田監督が就任した年のドラフトで複数球団の競合の末当時の原選手で現監督を獲得出来た事が唯一の明るいニュースでしたね。それでも翌年は第一次長嶋政権で育てた選手や当時ルーキーだった原選手の活躍なので久しぶりにリーグ優勝と日本一を果たし復活したのである意味良かったのではないのかなと思います。
同期の古舘氏も担当したことがあるのかな?
『西部警察』の番宣!ゲンの場面はOPのNGカットでしょうか?
東一番町のミドリヤって事はKHB?この頃のパ・リーグは、山田久志・村田兆治のエース対決だろうが問答無用で「その他の試合」扱いだったんですねぇ…。
当時プロ野球は巨人戦がドル箱路線だった。パリーグの結果が簡素化しているのも上記の関係らしい。やはり巨人戦がドル箱路線ということを感じる。今はセパ両リーグとも主要試合を詳しく流している現状。
本当に、阪神の近畿地方、中日の東海地方、カープの広島地方以外の日本全国殆どの地域は、ほぼ巨人一色だったなぁ…。今はネット等でプロ野球ファンも多様化しているとは本当に対照的…。
ミドリヤ(緑屋)ですが、法人格としてはこの放送が流れた年(’80年)に西武クレジットと社名を変え、さらに’89年にクレディセゾンに社名を再変更して現在に至ります。ちなみに東一番丁にあったミドリヤの店舗は’82年に閉店したのち、翌年’83年にパチンコ店やボウリング場等が入居する"サンシャインビル"としてリニューアルされました。。。
3:56 古河はジェフ、三菱はレッズ
そのジェフは今は亡きオシムさんが監督辞任以降今や万年J2チームに低迷…。
4:06 冷蔵庫が今より高い この頃の冷蔵庫メチャ重かった 一流メーカーというとサンヨーかシャープか
ナショナル(松下電器\現パナソニック)のも高かった気が…
当時の一流白物メーカーというと、ナショナル・東芝・三菱・日立だったな。シャープ・サンヨーは少し落ちる。オーディオビジュアルだとこれにソニー・ビクターが加わる。
03:59「古河-三菱」当時の黄金カードだったんだな。今ではナビスコで見られるかどうかぐらいだがww
遠藤VS中畑 福島県出身対決
昭和55年だから原辰徳入団の前年中畑がサードで王貞治が現役時代ですね
やっぱりワールドプロレスリングサマーファイトシリーズのオープニングを思い出すあるいは、ビッグスポーツのオープニング
吉澤アナ若いなぁ
モスクワオリンピックに合わせて作られたスポーツテーマ曲ですが、朝日放送は「ウイーンはいつもウイーン」、九州朝日放送は「ナショナルエンブレム」に差し替えでしょうか❓
KBCでは、第1期、2期末期までスポーツニューステーマ曲は「ナショナル・エンブレム」でした。
1985年5月だと、ABCテレビ平日23時台からの、キー局発信・ANNスポーツニュース→ABCスポーツニュースに改題。テーマ音楽は「ウイーンはいつもウイン」でした。
とはいえ、日本は参加をボイコットしたからなぁ~(;_;)もし仮にモスクワ以外の開催都市だったらとっくに参加してたのは確かだからなぁ~(^_^;)モスクワ以外にどこがあったものか•••
聞いてみたらかつてラジオ日本"ナイター見どころ聞きどころ"(1990年代の夕方に放送)のテーマ曲にも使われた。"ジャイアンツナイター"放送前の前座番組として放送された。
ABCラジオ夜のスポーツニュース番組"スポーツパレード"もテーマ曲はそれだったがラジオでは原曲よりテンポが少し上がった感じ、提供スポンサーは阪神電車(阪神電気鉄道)であった。
東日本放送の映像だよ!!
パ・リーグはその他の扱い。幻の日本でのモスクワ五輪の切符。
中畑さんのトンネルって明石家さんまさんの形態模写の元ネタじゃない?
それ、九州ローカルCMのチロルチョコのネタ…。
吉澤さん若い!
この時期テレ朝のニュースは派手な始まりの反面単にスポンサーを並べ立てただけな終わり方がねぇ…。
祭日って戦後には存在してないのに、戦後35年たったこの時でも祭日って言葉は使われてたんだな。
今の札幌ドームみたいな人工芝だな
吉沢アナウンサー若いですね(>_
そう言えば、「1980年・モスクワ夏季五輪年」、残念ながら日本がボイコットと言う悲しい知らせに・・・。
0:15 関西では吉澤の知名度が最低。
かつて吉澤アナが徹子の部屋に出演した回は、ABCでは大山のぶ代の回の再放送に差し替えられたそうです。
吉澤アナがレギュラー出演していた"やじうまワイド"は関西地区には放送なく一貫して"おはよう朝日"(現在も放送中)。その後平成に移りCSが誕生するとやじうまがCSで時差放送され関西でもそれで見られた。今はCS局の再編により朝ワイドの時差放送が消え関西では見れなくなった。
朝日放送カンテレは捻くれだからな
「やじうまワイド」は「ニュースステーション」などと並んで平成新局の開局ラッシュのイメージもあるはず
モスクワ五輪体操女子日本代表のニュースこの頃既に日本ボイコット検討していたんでしょうねえ。。。。。独占放映権獲得したテレ朝が大損害喰らうという。
吉澤!若い。
提供から、録画はKHB東日本放送ですね。
最後の2本の番組宣伝は歴史的価値が有りますね。
80年のプロ野球の動画はとても貴重過ぎる。
このタイトルは、関西地区では全くオンエアされたことがありません。
関西地区は、腸ねん転時代から一貫して「ABCスポーツニュース」テーマ音楽は「ウイーンはウイーン」でした。
吉澤一彦は、関西未オンエアのやじうまワイドのイメージが強く、スポーツニュースの進行をやってるとは思わなかった
本当だ!当方も「朝の顔」のイメージしか無い
まあ新人アナウンサーの時代だからね。
元々はモスクワ五輪独占放映権を得たテレビ朝日の実況アナウンサー要員だった。同期が古舘伊知郎と渡辺宣嗣
このテーマ曲はワールドプロレスリングにも使用されますね。
吉澤一彦さん・若い・
同年優勝の広島の映像はそこそこに、延々巨人戦の解説、その他は結果のみと、時代を感じますなあ。
ただこの年の巨人は激震の1年でしたね。先ずは優勝を3年連続逃しその責任を取らされる形で長嶋監督が更迭され藤田監督就任とさらに当時現役だった王監督の現役引退劇と暗く辛いシーズンでしたね。ただ唯一明るいニュースは藤田監督がこの年ドラフトで大注目だった原前監督を複数球団との競合の末獲得する事が出来た事が暗い影を落としていた中唯一明るいニュースだったので最もこの年は若手選手が飛躍的に伸びて来て来年は優勝出来るチームになってきた矢先の長嶋監督更迭劇だったので長嶋監督も無念で悔しかったかなと思ったと思います。
@@user-fz9xw7ws1w さん そして翌81年にはヤングジャイアンツと大沢ハムの史上初の日本シリーズ全戦後楽園決戦という、激動のドラマへとつながるのですね。
冒頭のテーマ曲は日本が辞退したモスクワ五輪に合わせて設計された。テーマ曲のアウトロはファンファーレ調。また当時朝に放送されたスポーツ情報番組では子供番組同様エレクトーンで演奏された記憶がある。
そう言えば、その当時放映されていた『ビッグスポーツ』もこのOP曲だったそうです。
この『ビッグスポーツ』、内容がバレーボールや柔道、(器械)体操などといったオリンピックでおなじみの競技種目に特化?した大会の中継を基軸とした番組で、全国のあらゆる場所で中継放映されたそうです。
特に体操では、朝生(朝日生命の略)体操クラブ出身の選手のめざましき活躍ぶりを示し、一時はオリンピックも期待されていたのが、日本側のボイコットによって潰されたそうです。
ビッグスポーツといえば土曜4時代に放送、またCM前に熊をモチーフにしたアイコンが出ていた。テーマ曲(スポーツ番組全般)ものちにマーチ調の勇ましいメロディに変わった。まさに昭和時代週末の夕方はスポーツ三昧だった。
@@tomohikosatoh8897 同じの番組ではね、ボウリングも扱っていなかった?
@@user-kp7mi9ux5x マジ?
@@tomohikosatoh8897 マジ。
プロポーズ大作戦の桂きん枝(現小文枝)のキューピット姿懐かしい!😆プロポーズ大作戦というと、後半のフィーリングカップル5対5がおもしろかったなぁ!😌嗚呼昭和は遠くなりにけり。
番組のオープニングテーマソングは、「キャンディーズ」が歌っていた。
楽曲は、「ラッキーチャンスを逃がさないで」
後に「やじうま新聞」を経て長くテレビ朝日の朝の顔としてお馴染みでした吉澤一彦さん、まだ入社から3年の頃はスポーツニュース担当だったんですね。同期は古舘伊知郎さんに渡辺宜嗣さん、南美希子さん等看板アナウンサー揃いでした。
吉澤さんは関西とそれ以外の地域で
知名度の差が大きいもんなぁ
ABCがやじうまネットしなかったから…
@@user-ej9km6fg2e さん、朝日放送では朝は「ANNニュースセブン」の後に「おはよう朝日です」でしたね、当時は。ちなみに僕の地域の名古屋テレビ(メ~テレ)では再放送枠だったからなあ(「おはよう名古屋テレビです(「コケコッコー」や現在の「ドデスカ!」の前身)」は1987年4月にスタート)。ちなみに吉澤さんは週末の「ニュースセブン」やお昼の「ANNニュースライナー」を担当された頃に見たことありましたね。
@@user-st8bh6pi6u その"おは朝"も10月から朝5時からの3時間枠になる。
@@kzbigherottknhb さん、ちなみにメ~テレ(名古屋テレビ)で放送中の「ドデスカ!」は一貫して朝6時からの2時間枠ですよ。土曜日は朝6時半から「デルサタ!」を放送中です。
NETがモスクワ五輪の専属中継権を取ったからそれを見据えてアナウンサーを大量採用したんだよね。
しかし、実際は・・
キングカズ(吉沢アナ)若い(笑)!
このテーマ曲聴くと、ケンコバの山本小鉄漫談を思い出してしまう。😅
0:14 Kazuko Yoshizawa in Ann Sports 04/05/1980
このころはまだ長野県内ではテレ朝系列はなかったしまだ民放が2局しかなかったのでおそらくこのニュース番組が放送されなかったと思います。
岩瀬健二 このころはね、九州圏内ではKBCテレビでしかしていなかったのよ。まだNCC(長崎文化放送)、KAB(熊本朝日放送)は開局以前だったからね。しかも、僕は小学校の4年生だったのよ。
岩瀬さん ただ、長野県で3番目の民放「テレビ信州」はたしか80年開局と思いましたが。その後91年に「長野朝日放送」が開局するまでは 日テレ、テレ朝 両局の系列(先の2局はそれぞれ「信越放送→TBS系」「長野放送→フジ系」にシフト)となったため、長野朝日開局までは、遅れネット、または未ネットの番組もありました。
@@user-ds7yr8zg3v確かにこの頃は長野県内は2局しかなかったですね。この年の秋に県内3局目のテレビ信州が日テレとテレ朝のクロスネット局で開局し11年後にテレ朝フルネット局の長野朝日が開局してテレビ信州は日テレフルネット局になり平成に入ってようやく長野県も4局化され現在に至りますね。
3:14柴田は当時は西武のピッチャーでしたね。
若い人のために解説
大洋ホエールズ→横浜DeNAベイスターズ
南海ホークス→福岡SoftBankホークス
阪急ブレーブス→オリックス・バファローズ
近鉄バファローズ→オリックス・バファローズ
ロッテ・オリオンズ→千葉ロッテマリーンズ
以上です
吉澤アナ若い!
その大洋は現在、横浜DeNAベイスターズです
岡田がホームラン。星野から打ったのかな?映像あったら見たいね。未来の阪神優勝監督の対戦やね。
え、これやじうまワイドの吉沢さんと同じ人なの?
wury77 本人だよね。しかもね、東一番町のミドリヤということは、おそらくKHB(東日本放送)かもしれない。
平成新局の開局ラッシュがなかったら吉沢を知らない人が多かったかもしれない。
同一人物です。
尚、同期入社は、「古舘伊知郎、渡辺宣嗣、佐々木正洋、南美希子、宮嶋泰子」
@@user-br9pb8bd5hさん途中で報道に異動した戸谷光照さん、中里雅子さんも。
昭和55年 巨人VS大洋
このころの巨人はV9の選手と若手選手との端境期で色々と大変な時期でチームは思うように勝てない低迷期で結局この年も優勝逃し3年連続で優勝出来ずこの年のオフ日本列島に激震が走り長嶋監督が責任を取る形で一旦更迭され当時の王選手も現役を引退するなど暗いニュースが続出しましたね。一方で色々批判もありましたが藤田監督が就任した年のドラフトで複数球団の競合の末当時の原選手で現監督を獲得出来た事が唯一の明るいニュースでしたね。それでも翌年は第一次長嶋政権で育てた選手や当時ルーキーだった原選手の活躍なので久しぶりにリーグ優勝と日本一を果たし復活したのである意味良かったのではないのかなと思います。
同期の古舘氏も担当したことがあるのかな?
『西部警察』の番宣!ゲンの場面はOPのNGカットでしょうか?
東一番町のミドリヤって事はKHB?
この頃のパ・リーグは、山田久志・村田兆治のエース対決だろうが問答無用で「その他の試合」扱いだったんですねぇ…。
当時プロ野球は巨人戦がドル箱路線だった。パリーグの結果が簡素化しているのも上記の関係らしい。やはり巨人戦がドル箱路線ということを感じる。今はセパ両リーグとも主要試合を詳しく流している現状。
本当に、阪神の近畿地方、中日の東海地方、カープの広島地方以外の日本全国殆どの地域は、ほぼ巨人一色だったなぁ…。
今はネット等でプロ野球ファンも多様化しているとは本当に対照的…。
ミドリヤ(緑屋)ですが、法人格としてはこの放送が流れた年(’80年
)に西武クレジットと社名を変え、さらに’89年にクレディセゾンに社名を再変更して現在に至ります。
ちなみに東一番丁にあったミドリヤの店舗は’82年に閉店したのち、翌年’83年にパチンコ店やボウリング場等が入居する"サンシャインビル"としてリニューアルされました。。。
3:56 古河はジェフ、三菱はレッズ
そのジェフは今は亡きオシムさんが監督辞任以降今や万年J2チームに低迷…。
4:06 冷蔵庫が今より高い この頃の冷蔵庫メチャ重かった 一流メーカーというとサンヨーかシャープか
ナショナル(松下電器\現パナソニック)のも高かった気が…
当時の一流白物メーカーというと、ナショナル・東芝・三菱・日立だったな。シャープ・サンヨーは少し落ちる。オーディオビジュアルだとこれにソニー・ビクターが加わる。
03:59
「古河-三菱」
当時の黄金カードだったんだな。今ではナビスコで見られるかどうかぐらいだがww
遠藤VS中畑 福島県出身対決
昭和55年だから
原辰徳入団の前年
中畑がサードで王貞治が
現役時代ですね
やっぱりワールドプロレスリングサマーファイトシリーズのオープニングを思い出すあるいは、ビッグスポーツのオープニング
吉澤アナ若いなぁ
モスクワオリンピックに合わせて作られたスポーツテーマ曲ですが、朝日放送は「ウイーンはいつもウイーン」、九州朝日放送は「ナショナルエンブレム」に差し替えでしょうか❓
KBCでは、第1期、2期末期までスポーツニューステーマ曲は「ナショナル・エンブレム」でした。
1985年5月だと、
ABCテレビ平日23時台からの、
キー局発信・ANNスポーツニュース→ABCスポーツニュースに改題。
テーマ音楽は「ウイーンはいつもウイン」でした。
とはいえ、日本は参加をボイコットしたからなぁ~(;_;)
もし仮にモスクワ以外の開催都市だったらとっくに参加してたのは確かだからなぁ~(^_^;)
モスクワ以外にどこがあったものか•••
聞いてみたらかつてラジオ日本"ナイター見どころ聞きどころ"(1990年代の夕方に放送)のテーマ曲にも使われた。"ジャイアンツナイター"放送前の前座番組として放送された。
ABCラジオ夜のスポーツニュース番組"スポーツパレード"もテーマ曲はそれだったがラジオでは原曲よりテンポが少し上がった感じ、提供スポンサーは阪神電車(阪神電気鉄道)であった。
東日本放送の映像だよ!!
パ・リーグはその他の扱い。幻の日本でのモスクワ五輪の切符。
中畑さんのトンネルって明石家さんまさんの形態模写の元ネタじゃない?
それ、九州ローカルCMのチロルチョコのネタ…。
吉澤さん若い!
この時期テレ朝のニュースは派手な始まりの反面単にスポンサーを並べ立てただけな終わり方がねぇ…。
祭日って戦後には存在してないのに、戦後35年たったこの時でも祭日って言葉は使われてたんだな。
今の札幌ドームみたいな人工芝だな
吉沢アナウンサー若いですね(>_
そう言えば、「1980年・モスクワ夏季五輪年」、残念ながら日本がボイコットと言う悲しい知らせに・・・。
0:15 関西では吉澤の知名度が最低。
かつて吉澤アナが徹子の部屋に出演した回は、ABCでは大山のぶ代の回の再放送に差し替えられたそうです。
吉澤アナがレギュラー出演していた"やじうまワイド"は関西地区には放送なく一貫して"おはよう朝日"(現在も放送中)。その後平成に移りCSが誕生するとやじうまがCSで時差放送され関西でもそれで見られた。今はCS局の再編により朝ワイドの時差放送が消え関西では見れなくなった。
朝日放送カンテレは捻くれだからな
「やじうまワイド」は「ニュースステーション」などと並んで平成新局の開局ラッシュのイメージもあるはず
モスクワ五輪体操女子日本代表のニュース
この頃既に日本ボイコット検討していたんでしょうねえ。。。。。
独占放映権獲得したテレ朝が大損害喰らうという。
吉澤さん若い!