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19:15 11:26の重家出家がここで効いてて、唯一の跡継ぎを失っている顕光は独力で敦明親王を支えるしかなくなっています。これがなければ重家も太政官に列して敦明親王のサポートに回っていたはずなので、道長にとって源成信は結果的に孝行息子となりましたね。(さすがに狙っていなかったとは思いますが)
重家の弟の顕忠の子孫は戦国時代に本多忠勝本多正信を輩出しました。
演じてる宮川一朗太さんワンカットだけ内村光良さんでしたってネタがあったなぁ。元子が駆落ちって時点で家族を顧みれば違った生涯(欲落しない)もあったかも。でも兼通の子だものなぁ、道長の後塵は無理か。
顕光は単なる無能ではなく、儀式儀礼を知り尽くした上であえて無視して存在感を示した策略家と評価できます。ただし、晩年は老いの影響、手詰まり感もあって、戦略的ではなくただ幼稚に存在感を主張するということも増えており、ここだけ切り取ると無知無能そのものになってしまいます。
その頭脳は子孫である本多忠勝&本多正信に受け継がれたわけですねー
面白かったです✨
宮川一朗太さんがウッチャンに似すぎて毎回笑ってしまう。
若い頃から似ていると評判だったけど、年齢を重ねてより似てきた印象
この人のことは『宇治拾遺物語』の道長の愛犬が顕光の呪詛を見破った話しか知らなかったので、勉強になりました。
顕光の子孫は武士となって本多忠勝本多正信を輩出しました
彼は前半のラッキーな面と後半のイタイ面が、併存していますね。疫病と長徳の変での生き残りは、明らかに幸運であり、彼でなくとも同じ出世を得られたでしょう。息子重家の出家が、結局その後の人生の選択を大いに狭めています。重家はなぜ、24という若さで進んで出家してしまったのでしょう?!朝廷政治に辟易でもしてしまったのでしょうか?!不思議です。重家さえ通常のように公卿でいれば、他の貴族同様息子と共に二代で皇太子を支え後ろ盾になることもでき、外祖父の可能性もあったかもしれません。しかし道長はあらゆる手を使い、それでも阻んでいたかもしれませんね。顕光が悪左府と呼ばれ恐れられたのは、道長の娘達の相次ぐ死に起因しているのですね。実際に実資を呪詛したこともあるため、彼なら呪詛しても不思議はないと思われてしまったのでしょうか?!道長におもねながらも、快く思っていない貴族勢力がある一定数存在したことの証左にも感じられます。天皇の外祖父にはなれずとも、官位では従一位で左大臣として亡くなった顕光は、最終的には満足していたのでしょうか?!私には、権力闘争に明け暮れたと本人は思っていても、他からは何だかとんちんかんな行動の多い人物と考えられていたように感じられます。
結果的には道長さんをパワーアップしてくれた人かもしれません。
三谷幸喜なら魅力的な人物に仕立て上げられるだろう。
顕光が道長政権下で表向きは従順だったのは、・一条天皇との関係では、道長が「叔父」で女院の詮子の支持もあり圧倒的に有利だった事(顕光は元子が一条天皇に入内する事で義父になるが、政治的な地位は道長有利のまま)・中関白家という共通の対立相手がいた事が大きいかなと推察します。その状況から徐々に身内の不運や道長の策略が重なり余裕が減り、顕光は「悪霊左府」と言われる様になったのだと思います。
中途半端な能力しかないくせに頑固な野心家ほど危ない人物はいない
顕光の父親の兼通と、道長の父親の兼家は、兄弟ながらまさに犬猿の仲だったうえ、顕光の方が兄筋であるし・・警戒したのも無理からぬこと。光る君が始まった時には兼通は没した後だったから登場しなかったですが、できれば段田さんの兼家とバチバチするの兼通を役者さんが演じるのをみてみたかったです。兼通役は「角野卓造」さんあたりで
悪霊左府恐ろしや
顕光は、血縁的には、父親同士(伊尹・兼通・兼家)が兄弟なので、従兄弟。伊尹→義孝→行成も親戚に当たるんですが………。 顕光ご本人より、父・兼通のほうが強烈な逸話付きなので、個人的には、「三条天皇の敦明親王の、舅さんね」の感覚ですね。 あえて知っているといえば、これ又、【一文不通の人】道綱が、末弟である道長に、「私を大臣にしてほしい。顕光を除いては、一門中もっとも年上だし、ここで一遍、大臣にならなければどうにも恥ずかしい。ならせてくれたら、一ヶ月でもいい、すぐ辞めるから」と、頼み込むようなことがありました。 そもそも、顕光がある事件のため、左大臣を辞めたい、と漏らしたのが事の発端のようです。しかし結局、顕光が、「いや、私は、やっぱり辞めない❗」と、言うことで沙汰止みになったのを知っている程度でした😅
定子が悪霊にならなかった事を考えると顕光を悪霊にして利が有る人(一族)が居たのでは?と思います
意外と野心家だった。それにしても周囲の評価が酷い(笑) こんなに酷評と嘲笑にさらされたら胃が壊れそうですが長生きしてるのは神経が太かったのかな?
顕光は身体だけは丈夫ですが、晩年の行動見るに周りからの嘲笑で精神は相当やられていたと見えます…
道長政権下で大臣を経験した人となると、この人と実資、公季位だったかな?
実資は小野宮流の礼式をスタンダードにしようと頑張っているから、伊周や顕光も自分で調べて遂行しようとする人を嘲笑するのは当然。それに権力闘争真っ只中の道長が乗っかって無能扱いしているという構図なのではないでしょうか。顕光は有能だけど、小心者で頑固な人物だと思います。他人を蹴落としたりできない好人物で、運が悪かった。
大河では元子の水出産を描く尺はないんでしょうかね。大変盛り上がりそうですが。
やってもしょんぼりした顕光がちらっと出てくるだけになりそうな予感。一条天皇が定子一筋って描き方をしてるので、元子との子作りは物語上は定子への浮気になってしまうためこのままずっと出ない気もします。
暗愚の右大臣のイメージが強いけど、中関白家と一条天皇の皇后定子に次いで、悲運の一家。 一条天皇の女御元子はともかく、三条天皇の敦明親王の妃・延子も、顕光の娘。 一家三后に導く有名な逸話があり、親子ともども悲運を物語っているので、必ず、出てきます。 しかも、三条天皇が本格的に出てくると、父・兼家とおんなじ様な事をする訳で………。顕光は三条天皇の皇子である敦明親王と、婿と舅の間柄なので、とばっちりを受ける身になりますし😅 その過程が、どのように書かれるかが、見ものです。
実資の日記は人の悪口ばかりですね
19:15 11:26の重家出家がここで効いてて、唯一の跡継ぎを失っている顕光は独力で敦明親王を支えるしかなくなっています。
これがなければ重家も太政官に列して敦明親王のサポートに回っていたはずなので、道長にとって源成信は結果的に孝行息子となりましたね。(さすがに狙っていなかったとは思いますが)
重家の弟の顕忠の子孫は戦国時代に本多忠勝本多正信を輩出しました。
演じてる宮川一朗太さん
ワンカットだけ内村光良さんでしたってネタがあったなぁ。
元子が駆落ちって時点で家族を顧みれば違った生涯(欲落しない)もあったかも。
でも兼通の子だものなぁ、道長の後塵は無理か。
顕光は単なる無能ではなく、儀式儀礼を知り尽くした上であえて無視して存在感を示した策略家と評価できます。
ただし、晩年は老いの影響、手詰まり感もあって、戦略的ではなくただ幼稚に存在感を主張するということも増えており、ここだけ切り取ると無知無能そのものになってしまいます。
その頭脳は子孫である本多忠勝&本多正信に受け継がれたわけですねー
面白かったです✨
宮川一朗太さんがウッチャンに似すぎて毎回笑ってしまう。
若い頃から似ていると評判だったけど、年齢を重ねてより似てきた印象
この人のことは『宇治拾遺物語』の道長の愛犬が顕光の呪詛を見破った話しか知らなかったので、勉強になりました。
顕光の子孫は武士となって本多忠勝本多正信を輩出しました
彼は前半のラッキーな面と後半のイタイ面が、併存していますね。疫病と長徳の変での生き残りは、明らかに幸運であり、彼でなくとも同じ出世を得られたでしょう。息子重家の出家が、結局その後の人生の選択を大いに狭めています。重家はなぜ、24という若さで進んで出家してしまったのでしょう?!朝廷政治に辟易でもしてしまったのでしょうか?!不思議です。重家さえ通常のように公卿でいれば、他の貴族同様息子と共に二代で皇太子を支え後ろ盾になることもでき、外祖父の可能性もあったかもしれません。しかし道長はあらゆる手を使い、それでも阻んでいたかもしれませんね。顕光が悪左府と呼ばれ恐れられたのは、道長の娘達の相次ぐ死に起因しているのですね。実際に実資を呪詛したこともあるため、彼なら呪詛しても不思議はないと思われてしまったのでしょうか?!道長におもねながらも、快く思っていない貴族勢力がある一定数存在したことの証左にも感じられます。天皇の外祖父にはなれずとも、官位では従一位で左大臣として亡くなった顕光は、最終的には満足していたのでしょうか?!私には、権力闘争に明け暮れたと本人は思っていても、他からは何だかとんちんかんな行動の多い人物と考えられていたように感じられます。
結果的には道長さんをパワーアップしてくれた人かもしれません。
三谷幸喜なら魅力的な人物に仕立て上げられるだろう。
顕光が道長政権下で表向きは従順だったのは、
・一条天皇との関係では、道長が「叔父」で女院の詮子の支持もあり圧倒的に有利だった事
(顕光は元子が一条天皇に入内する事で義父になるが、政治的な地位は道長有利のまま)
・中関白家という共通の対立相手がいた事が大きいかなと推察します。
その状況から徐々に身内の不運や道長の策略が重なり余裕が減り、
顕光は「悪霊左府」と言われる様になったのだと思います。
中途半端な能力しかないくせに頑固な野心家ほど危ない人物はいない
顕光の父親の兼通と、道長の父親の兼家は、兄弟ながらまさに犬猿の仲だったうえ、顕光の方が兄筋であるし・・警戒したのも無理からぬこと。光る君が始まった時には兼通は没した後だったから登場しなかったですが、できれば段田さんの兼家とバチバチするの兼通を役者さんが演じるのをみてみたかったです。兼通役は「角野卓造」さんあたりで
悪霊左府恐ろしや
顕光は、血縁的には、父親同士(伊尹・兼通・兼家)が兄弟なので、従兄弟。伊尹→義孝→行成も親戚に当たるんですが………。
顕光ご本人より、父・兼通のほうが強烈な逸話付きなので、個人的には、「三条天皇の敦明親王の、舅さんね」の感覚ですね。
あえて知っているといえば、これ又、【一文不通の人】道綱が、末弟である道長に、「私を大臣にしてほしい。顕光を除いては、一門中もっとも年上だし、ここで一遍、大臣にならなければどうにも恥ずかしい。ならせてくれたら、一ヶ月でもいい、すぐ辞めるから」と、頼み込むようなことがありました。
そもそも、顕光がある事件のため、左大臣を辞めたい、と漏らしたのが事の発端のようです。しかし結局、顕光が、「いや、私は、やっぱり辞めない❗」と、言うことで沙汰止みになったのを知っている程度でした😅
定子が悪霊にならなかった事を考えると顕光を悪霊にして利が有る人(一族)が居たのでは?と思います
意外と野心家だった。それにしても周囲の評価が酷い(笑) こんなに酷評と嘲笑にさらされたら胃が壊れそうですが長生きしてるのは神経が太かったのかな?
顕光は身体だけは丈夫ですが、晩年の行動見るに周りからの嘲笑で精神は相当やられていたと見えます…
道長政権下で大臣を経験した人となると、この人と実資、公季位だったかな?
実資は小野宮流の礼式をスタンダードにしようと頑張っているから、伊周や顕光も自分で調べて遂行しようとする人を嘲笑するのは当然。それに権力闘争真っ只中の道長が乗っかって無能扱いしているという構図なのではないでしょうか。顕光は有能だけど、小心者で頑固な人物だと思います。他人を蹴落としたりできない好人物で、運が悪かった。
大河では元子の水出産を描く尺はないんでしょうかね。大変盛り上がりそうですが。
やってもしょんぼりした顕光がちらっと出てくるだけになりそうな予感。
一条天皇が定子一筋って描き方をしてるので、元子との子作りは物語上は定子への浮気になってしまうためこのままずっと出ない気もします。
暗愚の右大臣のイメージが強いけど、中関白家と一条天皇の皇后定子に次いで、悲運の一家。
一条天皇の女御元子はともかく、三条天皇の敦明親王の妃・延子も、顕光の娘。
一家三后に導く有名な逸話があり、親子ともども悲運を物語っているので、必ず、出てきます。
しかも、三条天皇が本格的に出てくると、父・兼家とおんなじ様な事をする訳で………。顕光は三条天皇の皇子である敦明親王と、婿と舅の間柄なので、とばっちりを受ける身になりますし😅
その過程が、どのように書かれるかが、見ものです。
実資の日記は人の悪口ばかりですね