藤原顕光の生涯 決して無能ではない、道長に何度も挑戦し敗れた大臣【光る君へ】

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  • Опубліковано 7 жов 2024
  • 藤原顕光は無能と評されることが多いですが、「無知」だったわけではなく、娘を天皇家に送り込み、道長に取って代わろうとする野心家ゆえ、存在感を発揮すべく独自の儀礼を強行していただけです。
    ですが、道長の前に野望は次々と打ち砕かれ、表面上は従順だったことから長年大臣を務められたものの、裏では警戒され、反撃されないよう徹底的に封じ込められていました。
    それゆえ、顕光は恨みを溜めていき、呪詛に手を染め道長から面会を拒絶されたり、道長が一家三后を成し遂げて望月の歌を詠む日にわざと儀式でミスをして大激怒されるなど、後世の無能の評価につながるような抵抗を続け、ついには悪霊と恐れられるに至ります。
    今回は、無能の一言で終わらせることはできない、道長政権下で30年近くに渡って大臣を務めながらも、虎視眈々と権力者の座を狙い続け、道長にも警戒された藤原顕光の生涯について紹介します!
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    参考文献
    繁田信一『呪いの都 平安京: 呪詛・呪術・陰陽師 (読みなおす日本史)』
    amzn.to/3zoyPJK
    角田文衞『承香殿の女御: 復原された源氏物語の世界 (中公新書 25)』
    amzn.to/45m15Z6
    告井幸男『摂関期の有職故実--御堂流の検討から』
    (日本史研究会『日本史研究』469 2001)
    服藤早苗『紫式部を創った王朝人たち――家族、主・同僚、ライバル』
    amzn.to/4ehGQzW
    倉本一宏『藤原道長の権力と欲望 「御堂関白記」を読む (文春新書 915) 』
    amzn.to/4b5FiqJ
    倉本一宏『三条天皇―心にもあらでうき世に長らへば (ミネルヴァ日本評伝選) 』
    amzn.to/3zoz0Vq
    相馬弓子『『栄花物語』における人物考察:藤原元子・堀河一家記述の方法と意図について』
    cir.nii.ac.jp/...
    -----------------------------------
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    【画像引用】
    大河ドラマ光る君へ公式サイト
    www.nhk.jp/p/h...
    【目次】
    01:34 藤原顕光の出自
    06:19 道長政権下の藤原顕光
    13:48 藤原顕光の晩年
    #光る君へ #藤原顕光 #元子  #大河ドラマ

КОМЕНТАРІ • 29

  • @rekishock
    @rekishock  3 місяці тому +10

    19:15 11:26の重家出家がここで効いてて、唯一の跡継ぎを失っている顕光は独力で敦明親王を支えるしかなくなっています。
    これがなければ重家も太政官に列して敦明親王のサポートに回っていたはずなので、道長にとって源成信は結果的に孝行息子となりましたね。(さすがに狙っていなかったとは思いますが)

    • @stofyuki3875
      @stofyuki3875 3 місяці тому

      重家の弟の顕忠の子孫は戦国時代に本多忠勝本多正信を輩出しました。

  • @vianeplus
    @vianeplus 3 місяці тому +10

    演じてる宮川一朗太さん
    ワンカットだけ内村光良さんでしたってネタがあったなぁ。
    元子が駆落ちって時点で家族を顧みれば違った生涯(欲落しない)もあったかも。
    でも兼通の子だものなぁ、道長の後塵は無理か。

  • @rekishock
    @rekishock  3 місяці тому +9

    顕光は単なる無能ではなく、儀式儀礼を知り尽くした上であえて無視して存在感を示した策略家と評価できます。
    ただし、晩年は老いの影響、手詰まり感もあって、戦略的ではなくただ幼稚に存在感を主張するということも増えており、ここだけ切り取ると無知無能そのものになってしまいます。

    • @stofyuki3875
      @stofyuki3875 2 дні тому

      その頭脳は子孫である本多忠勝&本多正信に受け継がれたわけですねー

  • @MrHitman1316
    @MrHitman1316 3 місяці тому +5

    宮川一朗太さんがウッチャンに似すぎて毎回笑ってしまう。

    • @user-さわ
      @user-さわ 3 місяці тому +1

      若い頃から似ていると評判だったけど、年齢を重ねてより似てきた印象

  • @薫松崎-s9j
    @薫松崎-s9j 3 місяці тому

    面白かったです✨

  • @stofyuki3875
    @stofyuki3875 3 місяці тому +12

    顕光の子孫は武士となって本多忠勝本多正信を輩出しました

  • @木元西
    @木元西 3 місяці тому

    この人のことは『宇治拾遺物語』の道長の愛犬が顕光の呪詛を見破った話しか知らなかったので、勉強になりました。

  • @将来の天皇は敬宮愛子内
    @将来の天皇は敬宮愛子内 3 місяці тому +4

    中途半端な能力しかないくせに頑固な野心家ほど危ない人物はいない

  • @cancan5892
    @cancan5892 3 місяці тому +3

    彼は前半のラッキーな面と後半のイタイ面が、併存していますね。疫病と長徳の変での生き残りは、明らかに幸運であり、彼でなくとも同じ出世を得られたでしょう。息子重家の出家が、結局その後の人生の選択を大いに狭めています。重家はなぜ、24という若さで進んで出家してしまったのでしょう?!朝廷政治に辟易でもしてしまったのでしょうか?!不思議です。重家さえ通常のように公卿でいれば、他の貴族同様息子と共に二代で皇太子を支え後ろ盾になることもでき、外祖父の可能性もあったかもしれません。しかし道長はあらゆる手を使い、それでも阻んでいたかもしれませんね。顕光が悪左府と呼ばれ恐れられたのは、道長の娘達の相次ぐ死に起因しているのですね。実際に実資を呪詛したこともあるため、彼なら呪詛しても不思議はないと思われてしまったのでしょうか?!道長におもねながらも、快く思っていない貴族勢力がある一定数存在したことの証左にも感じられます。天皇の外祖父にはなれずとも、官位では従一位で左大臣として亡くなった顕光は、最終的には満足していたのでしょうか?!私には、権力闘争に明け暮れたと本人は思っていても、他からは何だかとんちんかんな行動の多い人物と考えられていたように感じられます。

  • @laughingswordfish3665
    @laughingswordfish3665 3 місяці тому +2

    結果的には道長さんをパワーアップしてくれた人かもしれません。

  • @chi-ki0
    @chi-ki0 3 місяці тому

    顕光が道長政権下で表向きは従順だったのは、
    ・一条天皇との関係では、道長が「叔父」で女院の詮子の支持もあり圧倒的に有利だった事
    (顕光は元子が一条天皇に入内する事で義父になるが、政治的な地位は道長有利のまま)
    ・中関白家という共通の対立相手がいた事が大きいかなと推察します。
    その状況から徐々に身内の不運や道長の策略が重なり余裕が減り、
    顕光は「悪霊左府」と言われる様になったのだと思います。

  • @4561895
    @4561895 Місяць тому

    顕光の父親の兼通と、道長の父親の兼家は、兄弟ながらまさに犬猿の仲だったうえ、顕光の方が兄筋であるし・・警戒したのも無理からぬこと。光る君が始まった時には兼通は没した後だったから登場しなかったですが、できれば段田さんの兼家とバチバチするの兼通を役者さんが演じるのをみてみたかったです。兼通役は「角野卓造」さんあたりで

  • @高木-d7c
    @高木-d7c 3 місяці тому +2

    悪霊左府恐ろしや

  • @かんすいどう
    @かんすいどう 3 місяці тому +3

    意外と野心家だった。それにしても周囲の評価が酷い(笑) こんなに酷評と嘲笑にさらされたら胃が壊れそうですが長生きしてるのは神経が太かったのかな?

    • @rekishock
      @rekishock  3 місяці тому +3

      顕光は身体だけは丈夫ですが、晩年の行動見るに周りからの嘲笑で精神は相当やられていたと見えます…

  • @谷山-q2t
    @谷山-q2t 2 місяці тому

    三谷幸喜なら魅力的な人物に仕立て上げられるだろう。

  • @ae3779
    @ae3779 3 місяці тому

    顕光は、血縁的には、父親同士(伊尹・兼通・兼家)が兄弟なので、従兄弟。伊尹→義孝→行成も親戚に当たるんですが………。
     顕光ご本人より、父・兼通のほうが強烈な逸話付きなので、個人的には、「三条天皇の敦明親王の、舅さんね」の感覚ですね。
     あえて知っているといえば、これ又、【一文不通の人】道綱が、末弟である道長に、「私を大臣にしてほしい。顕光を除いては、一門中もっとも年上だし、ここで一遍、大臣にならなければどうにも恥ずかしい。ならせてくれたら、一ヶ月でもいい、すぐ辞めるから」と、頼み込むようなことがありました。
     そもそも、顕光がある事件のため、左大臣を辞めたい、と漏らしたのが事の発端のようです。しかし結局、顕光が、「いや、私は、やっぱり辞めない❗」と、言うことで沙汰止みになったのを知っている程度でした😅

  • @たかはしくん-l7k
    @たかはしくん-l7k 3 місяці тому

    定子が悪霊にならなかった事を考えると顕光を悪霊にして利が有る人(一族)が居たのでは?と思います

  • @パン大好き-s4i
    @パン大好き-s4i 3 місяці тому +1

    大河では元子の水出産を描く尺はないんでしょうかね。大変盛り上がりそうですが。

    • @rekishock
      @rekishock  3 місяці тому +6

      やってもしょんぼりした顕光がちらっと出てくるだけになりそうな予感。
      一条天皇が定子一筋って描き方をしてるので、元子との子作りは物語上は定子への浮気になってしまうためこのままずっと出ない気もします。

    • @ae3779
      @ae3779 3 місяці тому

      暗愚の右大臣のイメージが強いけど、中関白家と一条天皇の皇后定子に次いで、悲運の一家。
       一条天皇の女御元子はともかく、三条天皇の敦明親王の妃・延子も、顕光の娘。 
       一家三后に導く有名な逸話があり、親子ともども悲運を物語っているので、必ず、出てきます。
       しかも、三条天皇が本格的に出てくると、父・兼家とおんなじ様な事をする訳で………。顕光は三条天皇の皇子である敦明親王と、婿と舅の間柄なので、とばっちりを受ける身になりますし😅
       その過程が、どのように書かれるかが、見ものです。

  • @伊藤宏憲-f6t
    @伊藤宏憲-f6t 3 місяці тому

    道長政権下で大臣を経験した人となると、この人と実資、公季位だったかな?

  • @kaoru-i8e
    @kaoru-i8e 3 місяці тому

    実資は小野宮流の礼式をスタンダードにしようと頑張っているから、伊周や顕光も自分で調べて遂行しようとする人を嘲笑するのは当然。それに権力闘争真っ只中の道長が乗っかって無能扱いしているという構図なのではないでしょうか。顕光は有能だけど、小心者で頑固な人物だと思います。他人を蹴落としたりできない好人物で、運が悪かった。

  • @アームホイップ
    @アームホイップ 3 місяці тому

    実資の日記は人の悪口ばかりですね