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人工知能と人間の関係を考える上で大切な論点だと思います。
「人間は人間にしか興味がない」激しく同意します。僕も絵を描くことが趣味ですが、AIの描いた絵はどんなに好みの絵柄でも興味が湧きません。「自分と同じ人間が作った」という共感と尊敬がそこに生まれるからだと思います。これからのAI時代「ハメを外す、個性を出す、逸脱する」と言う提言にとてもワクワクしました!ありがとうございます
人間は完璧なものには興味を持たないという側面も関係していそうですね。
激しく同意致します。
「究極の未来は人間である」ですね。
すごーく昔ですが、私が大学生のころ、教授が「人間に興味を持たないとダメなんです、人間がいちばんおもしろいんです」とよく言っていました。AIの時代を迎えた今、その言葉の意味がますます深まっていくように思います。
茂木先生、いつもありがとうございます。久々にコメントさせていただきます。(アイコンをアップデートしました)コメント欄はどのチャンネルでも「見ざる聞かざる言わざる」を原則としておりますが、今回は例外として拝見しました。「人間にしか」の「人間」を、どこまでが人間と捉えているか、一様でないことに気づきました。たとえば、人間ではないとバレなければ興味を持つ、みたいな意見には、それは受け手が相手を人間だと思っているから興味を持つのであって、やはり人間にしか興味がないということだと思いました。AIを利用しているアーティストがそのことを隠しているのも、人間は人間にしか興味がないとわかっているからではないか、との意見も見られました。どんなに大量生産・大量消費が進んで、機械の方が安定的に高品質の商品を低価格で潤沢に供給してくれるようになっても、手づくりの価値はなくならず、むしろ希少価値が加わっていることや、「顔の見える」野菜が売れていることからも、やはり人間は人間にしか興味がない、人間は人間を求める、と思いました。暗算、算盤、筆算を電卓やエクセル等に替えても、人の手で書き写していたのを転写や印刷やコピーに替えても、心がこもっていないとか、温かみに欠けるとか、味気ないとか、まして、たまに間違えるからこそ良いとか、聞いたことがありませんので、そのような、味とか人間味とか温かみとかを要せず、ソウゾウ力もクリエイティビティも要せず、間違えたり不正確だったり抜け漏れがあったりしては困るような部分をAIに任せて、人間は人間(その人)にしかできないことに、より注力できたり楽になったりすれば良いと思いました。以前、岡田斗司夫先生が、いずれAIに慣れる、そうしたら人間が喋るよりAI音声の方が再生速度を変えても聴き取りやすい、人間はダメだ、という時代になるとおっしゃっていました。同様に、AIの描いた絵やAIの作った動画などに慣れて、AIの方が良いと言われるようになりそうな気もいたします。弟の子供たちは(化学調味料や模造食品を食べて育ったからか、おせち料理でも)高級な蒲鉾は食べない、安物を好んで食べる、と亡父が申しておりました。これは一事が万事のようですね。私はいまだにCGでさえ気持ち悪いのですが、こんな私は絶滅危惧種だろうと思います。間もなく、人工物や、コンピューターやAIの作ったものを気持ち悪いと感じる世代が絶滅し、イミテーション・ネイティブ、AIネイティブに取って代わられるのでしょう。しかし、そうなれば、別の意味で人類滅亡は近いであろうと思います。人間を産み育て健やかに保つのは人間(自然)ですから。余談ですが、この四半世紀で人類滅亡の危機が冗談抜きで迫ったとのことを拝聴し、そう思うのは、陰謀論や都市伝説や何かにカブれたアタマのイカレた人たちだけではなかった、であれば、私も後者とは限らないかもしれない、と安堵し、他方で、やはり現実であったか、と危機感が募りました。ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。ヴィンテージ・ガール優美子より日頃の感謝をこめて
茂木先生、視聴者さま、いいね!をありがとうございます。あれから思い出しました。岡田斗司夫先生は、おにぎりやお寿司を握る機械が登場したばかりの頃は、手で握ったものじゃないと、と言われていたけれど、今では、どこの誰が握ったかわからないおにぎりやお寿司は気持ち悪い、機械で握ったものの方が安心だ、などと言われている、ともおっしゃっていました。本当にそれが大多数の声だとしたら、やはり人類滅亡に近づくのではないかと思いました。なぜなら、日本人が潔癖になればなるほど病気知らずで健康になった訳ではなく、むしろ逆のようだからです。しかし、先日、スーパーの壁に社会科見学に来た小学生の寄せ書きが貼ってあり、お寿司は手で握っていると思っていたら、機械で握っていたので驚きました、という感想が複数見られました。ですから、知らない人の握ったものは気持ち悪いというのは、もしかしたらノイジーマイノリティの意見だったのかもしれない、と思いました。いずれにせよ、人間が人間を求めなくなり、機械を選ぶようになったら、人類は先細りするだろう、子孫繁栄は期待できない、と思います。
漫画やアニメに人気が出ても、結局はキャラクターから作家や声優さんに人気が移っていく。誰が、何を、なぜ、どのように、、が気になるし「真似てみたくなる欲求」を隠し続けられない。人間は「AIを真似ることはできない」という概念が出来てしまえば、その事に対する興味の大部分は無くなる。
茂木先生の立場だと勇気のいる発言なのでしょうね。私も同じような意見を持っています。AIが使われるジャンルによると思いますが。エンタメや自然言語、試合(ゲーム)も抽象化した身体コミュニケーションだと考えます。このジャンルのAIは行き着くところ万能マッサージチェアみたいなもんだと思います。近年プロ格ゲーマーを見ていて特に感じました。格闘ゲームというのは速度の速い将棋のようなもので40年くらい前に出てきた時既にAIの方が強かった。人間の反応速度を超えているので当然です。しかし15年くらい前に人間同士の試合の面白さでプロ化し今もとても人気があります。だからAI以後の将棋人気を見ても、でしょーねと。。
理系なのに饒舌だから、、、ずっと聞いてられる、、😅😅
ありがとうございます!かなりうなづけます、とともにかなりの希望が見えました☆彡
御意、御意、御意!音楽も絵画もありとあらゆる芸術も我々がそこに共感し感動を覚えるのは、そこに表された結果(例えば楽曲、パフォーマンス、造形物)そのものに対してではない。と私は確信している。例えば歌詞の行間など、その裏側にそこに至るプロセスを感じ、そのプロセスを生み出したsomethinng、何か根源的なもの(人によっては神と呼び、人によっては宇宙の真理と呼ぶようなもの)別の言い方をすれば、生きているという実感みたいなもの。それを感じたときにだと思っています。いや、演者として実感しています。それは、芸術に限ったものではなくスポーツのような競技でも同じだと最近感じています。ただ強いだけでは、そこに感動はない。蛇足:茂木さんがテイラーやブルーノのライブにいらっしゃってることに、驚きと喜びを感じました。
本当に素晴らしい内容で、いつもながら茂木さんに感謝なのですが、他にも同じことを考えている人は少なからずいそうな気がします。論文にはなっていない、ということなのでしょうか。。
真理ですね。私も茂木さんがロボットになって意識を解明したとしても懐疑的になると想像します。ご自身の髪を散髪している茂木さんも含めての人間としての茂木さんの意見に興味を持っています
人間は人間にしか興味がないわけでなく、将棋のAIのようにAIが人間の可能性を引き上げてくれる事に興味がある。本来は逆ですが、兄(AI)が弟(人間)の手を引く情景のイメージで、主体性の話だと思います。
ありがとうございました。たいへん参考になりました。
まだまだ始まったばかりのAIの評価や人間との対比等については未知の部分が大きいと思われる。AIを進歩させるのも人間でありどう使うか考えるのも人間です。将棋だけではなく囲碁もAIには勝てません 今まで人間が作ってきた機械もコンピュウターもしかりと役に立っています。どのようにこれから生成AIを人間の社会に役に立つように使うかはこれから人間が考えることであり人間の能力と比較してどちらが優れているとか、どちらがいいとか言う問題ではない。
とてもおもしろいです。クリエイティブ、アート、スポーツ、人間が体当たりで人生をかけて作り出すものと、その背景にある物語が益々注目されていくようになるのでしょうか。
確かに変態と呼べるほどに何かを極めた人って、それだけで価値が出来るものだよな
なんとなくそんな感じします
確かに「誤配」するAIはありえないし、誤配しない人間もありえない。
さすがもぎけん
ロボット vs ロボットの動画とかを面白く感じるのは、開発陣が人間で結局は人間同士の戦いだからなのかな
人間は人間にしか興味がないというが、それは人間と思えるようなものには興味や愛着が湧くということ。VTuberも偏った個性を持たせて失敗をしたりポンコツなエピソードを語ったりして誰もが中身が人間であると疑わないように調整したAIにやらせたら愛されるだろうと思う
そうだろうなぁ…AI絵師もそれを直感的に分かってるから、AI使用を隠そうと必死になるんだろうな。
進歩の激しい現代、数年後はどうなってるのか、たのしみですね
「人間は人間にしか関心・興味を持てない」茂木先生は、この講義ではじめて仰ったとされましたが、先生のネット上の発言では同様の趣旨を提言されていた気がしますが、違うでしょうか? 人間が、無意識にでも関心を向けるのは自分が人間として生存・繁栄できることであり、即ち生物である人間としての衝動(生命能動動機)による志向性だろうと思います。 産まれて当初、親を観て生存方法を学び、そのうちに他の人間を眺めて、また生存・繁栄の手法を学び取り、拡張する。このことに尽きるのではないでしょうか? ごっこ遊びをして、マネをして、徐々に脳の外側の身体とそれに繋がる環境世界を制御・管理をしていくようになるわけで、そのやり方を、身近な人間から始めて、読書などで時空を超えて人間からも学び取る。物語に没頭する、感情転移も発生する、映画を観て主役になりきる、そうした事柄もみな同じ動機による気がします。 ただ、問題は現行人間にとっての人間という存在と、ポスト・ヒューマン、トランス・ヒューマンにとっての人間では、事情が変わってくる気もします。 東大でも研究される「顔学」では、顔の作りについて評価が見慣れた顔の平均値になると報告されていました。社会に流布する観念(フランシス・ベーコンのイドラ、プラトンの洞窟の比喩等で示される)も変化します。トマス・クーンのパラダイム・シフト等も展開していくと、「人間は人間にしか興味がない」ということが「進化進歩した人間にとっては同様にそうした人間にしか興味がない」という、スケールアップした内容になるかもしれないという気がします。
これからの時代AIの進歩よりも遺伝子改造によるスーパーヒューマンが主題になっていく気がする
スーパーヒューマン、初めて知りました!調べてみたらアンドロイドとかサイボーグとかまるで超能力。結果楽しみにしてる自分がいます☺
東浩紀さんもそんなこと言っていたような。
うる覚えだけど、諸星大二郎が、怖いものを描くとき、絵として人間っぽい部分も描かないと怖くならない、と言ってた。結局そこに「共感部分」があって、それが醜くなったり怖くなったりすることで、知っているモノが恐怖に変わる瞬間がやっぱり人間が怖がるのだという。得体のしれないものがさらに得体のしれないものに変わったとて、何も感じないというか。
どこまでを人間とするか?にもよるのかなと。 一緒に住む犬の生活やカルガモの行進にも興味はもつので 人間が作るものに限っていえば、AIをつかって という文脈にすれば興味持つのかと思う。人間が つくった AIが つくった モノと😊
茂木先生のお話を聴いて、全然素人なのですが、AIは身体を持たないから(人間と同じ身体を持たないから)、人間はAIの高い能力による成果に興味が持てないのかなあ、という気がしました笑😅(一方で、AIが作った成果物自体が面白くない素晴らしいとは思えないという問題もあると思いますが…😅)
でも、実際にAIが作成したドラマ、映画を観てみたい。音楽も。人間と何が違うのか?比較出来ますからね。
人間は「望ましい対象になろうとする意志」を無意識下で持っているというのが自分の仮説同化願望みたいなのと血かいその説で言うと、AIは如何に優秀な結果を出力できても人間ではないので、AIになろうという意思は働かないそれよりも、努力している人や、ちょっと自分と似ているけど上位の存在の人へ向けて、目標の対象として、「なろうとする意志」が湧くつまり、興味が湧く、惹かれる、気になる、という意識が生まれるけど、それはAIやロボットに対して生まれないのは、別にロボットやAIを道具や下に見ている訳ではなくて、人間には「そうなれないもの」だから興味が湧かないのだろうと自分は納得している
ペットとして哺乳類の人気が高いのは人間に似た行動をとるからっていうのを思い出した
人間が作った という情報に価値を感じるのなら、人間のフリが出来るAIが完成したとき人は何を選択するのか興味深いです。
ロボットが子供を産むことはできないしねぇ~~~~ロボットの産んだロボットコドモ?みてみたいもんだねぇ~~~😂😂😂
人口生命ですね~
@@imagine-univ 育つんかい?
卓球ロボットを人間は応援しないという話についてコメントしてみる。もし日本発の卓球ラボ対アメリカ発の卓球ロボやったら、少しは見られるかもしれないでもそれは結局「人間同士(国同士)の競争」を見たいからなんだろうな卓球ロボA対卓球ロボBが戦ってるのを面白がれるのは、卓球ロボを作る研究者だけかもね。要は上手くなる過程が理解できるだけが面白がることができる普通の人間は卓球ロボAの方が強くても、その理由や仕組みが分からなすぎて興味持てないだろうなというか関係ないかもだけど、人間でも全く知らない人同士の卓球なんか見てもあまり面白いないな。千鳥がロケで卓球して2人がだんだんうまくなるのは面白かったあと、面白がれないのは、もうあらかじめ答えが決まっている感じがするからかもね。
生きてても死んだように同じ事しか話さない人もいるように感じます
亡くなった犬の代わりはいません。
AIは陳腐なものをつくるのがうまいけど、ショッキングなものはつくれないかも
完全に東浩紀の焼き直しでは
ごもっともです!
AIで人間を搾取する様な産業は早く失敗して欲しいですね。実際に失敗するまで学習しない人間も沢山居ると思うので。この様な産業は、どこか大きな企業が大失敗をやらかすまで廃れないのか?そもそも大企業がそんな産業に手を出すのか?この問題の主戦場はAIで人件費を安く済ませようと考える様な、中小企業や個人のイザコザではないのか?そんな誰も気にしない水面下の出来事に、先生の仰る様なロジックは通用するのか?外から俯瞰する視点も、内から訴える言葉も、どちらも大事だと思いますが、どの様な分野でもこの二つの擦り合わせは難しく感じますね。
どうしよ…aiが作った方に魅力を感じてしまう…むしろオリンピックとか全然興味がわかないよんママン
他にも言ってる人はいますよ。それとAIが言葉を理解し人間と同じような心を持てば人間はAIの作る者にも興味を持つと思います。
脳や心のメカニズムが完全に解明されたとしたら、それをAIが模倣することは簡単にできるのではないだろうか。人間も外部からの刺激によって反応する内部構造のパターンが無数にあるだけと考えれば、究極的には死ぬことが唯一人間にしかない価値なのでは。
機械であるAIが、心を模倣できるとしたら私たちの感情も数式で出せてしまうのか? そうではないと思いたい自分がいます。
それは違うよ。将棋にしろなんにしろ、人間を上回る高度な存在が出てきた時に、多くの人間が一旦存在意義を失っている。そこから別軸での存在意義を取り戻して、今の繁栄があるんだよ。将棋だって、棋士にはもはや最高の答えを出すことは期待されていないじゃない。一方で解説の棋士も視聴者もAIが出す評価値にメロメロでしょ。AIが興味を持たれてるじゃん。見方を変えたら将棋ってもうAIが出す評価値を楽しむゲームで、棋士はボードゲームのコマになっちゃってるかもしれないのよ。確実に棋士という立場が持つ重みは損なわれてしまった。それをどこまで人間が人間に興味を持たれてるんだって無邪気に考えられるのかね?少なくともその業界にいる人間としてはそういう弱さを受け入れて変わらないといけないのだから、AIが上回っても大丈夫みたいに語るのは相当間違ってるよ。
将棋を生み出したのは人間なんだが?
AIの強みは失敗作を大量に生み出せるところだと思ってます
現時点でのAIの実力でいえば茂木さんの意見に賛同する。しかしAI技術の指数関数的な進展を鑑みると1年後、2年後にAIが作り出す世界がよくわからないのでどうなるのだろうか。現時点でいえることは人類はAIの使用者でなければならないことで、決してその逆があってはならない。そのようなことを考えると、現在の学校教育そのものを根本的に見直さなければならないし、就職予備校としての大学はその役割を終えねばならないのではないだろうか。中卒で美容師専門学校があるように、中卒あるいは小卒で物理専門学校で学び、そこから大学の理学部を目指すとか。
AIの考え方が間違っているよ。有能な秘書みたいなものでしょう。そして、AIもまたピンからキリまで多様に進化してゆきます。さらにAI所有格差が生まれる。富裕層の持つAIは賢く、低所得層の持つAIはそこそこ賢い。AIにサポートされながら、資本主義市場で競争することになります。
普通にわかんないようにプロンプトに指示するというテクニック論だし、事、人間という意味では、例のモデルをみんなが使ってるからだし、肖像権とかの問題。
その命題は偽ですな。人間であることは、人間が興味を持つことの必要条件ではないね、十分条件。脳科学者でそんなこともわかんないの?論理判定してみなよ。PS:人間にこそ価値があることはむしろ同意ですが。必要条件みたいな言い分が情動的。
人工知能と人間の関係を考える上で大切な論点だと思います。
「人間は人間にしか興味がない」
激しく同意します。僕も絵を描くことが趣味ですが、AIの描いた絵はどんなに好みの絵柄でも興味が湧きません。
「自分と同じ人間が作った」という共感と尊敬がそこに生まれるからだと思います。
これからのAI時代「ハメを外す、個性を出す、逸脱する」と言う提言にとてもワクワクしました!ありがとうございます
人間は完璧なものには興味を持たないという側面も関係していそうですね。
激しく同意致します。
「究極の未来は人間である」ですね。
すごーく昔ですが、私が大学生のころ、教授が「人間に興味を持たないとダメなんです、人間がいちばんおもしろいんです」とよく言っていました。AIの時代を迎えた今、その言葉の意味がますます深まっていくように思います。
茂木先生、いつもありがとうございます。久々にコメントさせていただきます。(アイコンをアップデートしました)
コメント欄はどのチャンネルでも「見ざる聞かざる言わざる」を原則としておりますが、今回は例外として拝見しました。
「人間にしか」の「人間」を、どこまでが人間と捉えているか、一様でないことに気づきました。
たとえば、人間ではないとバレなければ興味を持つ、みたいな意見には、それは受け手が相手を人間だと思っているから興味を持つのであって、やはり人間にしか興味がないということだと思いました。AIを利用しているアーティストがそのことを隠しているのも、人間は人間にしか興味がないとわかっているからではないか、との意見も見られました。
どんなに大量生産・大量消費が進んで、機械の方が安定的に高品質の商品を低価格で潤沢に供給してくれるようになっても、手づくりの価値はなくならず、むしろ希少価値が加わっていることや、「顔の見える」野菜が売れていることからも、やはり人間は人間にしか興味がない、人間は人間を求める、と思いました。
暗算、算盤、筆算を電卓やエクセル等に替えても、人の手で書き写していたのを転写や印刷やコピーに替えても、心がこもっていないとか、温かみに欠けるとか、味気ないとか、まして、たまに間違えるからこそ良いとか、聞いたことがありませんので、そのような、味とか人間味とか温かみとかを要せず、ソウゾウ力もクリエイティビティも要せず、間違えたり不正確だったり抜け漏れがあったりしては困るような部分をAIに任せて、人間は人間(その人)にしかできないことに、より注力できたり楽になったりすれば良いと思いました。
以前、岡田斗司夫先生が、いずれAIに慣れる、そうしたら人間が喋るよりAI音声の方が再生速度を変えても聴き取りやすい、人間はダメだ、という時代になるとおっしゃっていました。同様に、AIの描いた絵やAIの作った動画などに慣れて、AIの方が良いと言われるようになりそうな気もいたします。
弟の子供たちは(化学調味料や模造食品を食べて育ったからか、おせち料理でも)高級な蒲鉾は食べない、安物を好んで食べる、と亡父が申しておりました。これは一事が万事のようですね。
私はいまだにCGでさえ気持ち悪いのですが、こんな私は絶滅危惧種だろうと思います。間もなく、人工物や、コンピューターやAIの作ったものを気持ち悪いと感じる世代が絶滅し、イミテーション・ネイティブ、AIネイティブに取って代わられるのでしょう。
しかし、そうなれば、別の意味で人類滅亡は近いであろうと思います。人間を産み育て健やかに保つのは人間(自然)ですから。
余談ですが、この四半世紀で人類滅亡の危機が冗談抜きで迫ったとのことを拝聴し、そう思うのは、陰謀論や都市伝説や何かにカブれたアタマのイカレた人たちだけではなかった、であれば、私も後者とは限らないかもしれない、と安堵し、他方で、やはり現実であったか、と危機感が募りました。
ありがとうございました。
これからもよろしくお願いいたします。
ヴィンテージ・ガール優美子より日頃の感謝をこめて
茂木先生、視聴者さま、いいね!をありがとうございます。
あれから思い出しました。岡田斗司夫先生は、おにぎりやお寿司を握る機械が登場したばかりの頃は、手で握ったものじゃないと、と言われていたけれど、今では、どこの誰が握ったかわからないおにぎりやお寿司は気持ち悪い、機械で握ったものの方が安心だ、などと言われている、ともおっしゃっていました。
本当にそれが大多数の声だとしたら、やはり人類滅亡に近づくのではないかと思いました。なぜなら、日本人が潔癖になればなるほど病気知らずで健康になった訳ではなく、むしろ逆のようだからです。
しかし、先日、スーパーの壁に社会科見学に来た小学生の寄せ書きが貼ってあり、お寿司は手で握っていると思っていたら、機械で握っていたので驚きました、という感想が複数見られました。
ですから、知らない人の握ったものは気持ち悪いというのは、もしかしたらノイジーマイノリティの意見だったのかもしれない、と思いました。
いずれにせよ、人間が人間を求めなくなり、機械を選ぶようになったら、人類は先細りするだろう、子孫繁栄は期待できない、と思います。
漫画やアニメに人気が出ても、結局はキャラクターから作家や声優さんに人気が移っていく。
誰が、何を、なぜ、どのように、、が気になるし「真似てみたくなる欲求」を隠し続けられない。
人間は「AIを真似ることはできない」という概念が出来てしまえば、その事に対する興味の大部分は無くなる。
茂木先生の立場だと勇気のいる発言なのでしょうね。私も同じような意見を持っています。AIが使われるジャンルによると思いますが。エンタメや自然言語、試合(ゲーム)も抽象化した身体コミュニケーションだと考えます。このジャンルのAIは行き着くところ万能マッサージチェアみたいなもんだと思います。近年プロ格ゲーマーを見ていて特に感じました。格闘ゲームというのは速度の速い将棋のようなもので40年くらい前に出てきた時既にAIの方が強かった。人間の反応速度を超えているので当然です。しかし15年くらい前に人間同士の試合の面白さでプロ化し今もとても人気があります。だからAI以後の将棋人気を見ても、でしょーねと。。
理系なのに饒舌だから、、、
ずっと聞いてられる、、😅😅
ありがとうございます!かなりうなづけます、とともにかなりの希望が見えました☆彡
御意、御意、御意!音楽も絵画もありとあらゆる芸術も我々がそこに共感し感動を覚えるのは、そこに表された結果(例えば楽曲、パフォーマンス、造形物)そのものに対してではない。と私は確信している。例えば歌詞の行間など、その裏側にそこに至るプロセスを感じ、そのプロセスを生み出したsomethinng、何か根源的なもの(人によっては神と呼び、人によっては宇宙の真理と呼ぶようなもの)別の言い方をすれば、生きているという実感みたいなもの。それを感じたときにだと思っています。いや、演者として実感しています。それは、芸術に限ったものではなくスポーツのような競技でも同じだと最近感じています。ただ強いだけでは、そこに感動はない。
蛇足:茂木さんがテイラーやブルーノのライブにいらっしゃってることに、驚きと喜びを感じました。
本当に素晴らしい内容で、いつもながら茂木さんに感謝なのですが、他にも同じことを考えている人は少なからずいそうな気がします。論文にはなっていない、ということなのでしょうか。。
真理ですね。私も茂木さんがロボットになって意識を解明したとしても懐疑的になると想像します。ご自身の髪を散髪している茂木さんも含めての人間としての茂木さんの意見に興味を持っています
人間は人間にしか興味がないわけでなく、将棋のAIのようにAIが人間の可能性を引き上げてくれる事に興味がある。本来は逆ですが、兄(AI)が弟(人間)の手を引く情景のイメージで、主体性の話だと思います。
ありがとうございました。
たいへん参考になりました。
まだまだ始まったばかりのAIの評価や人間との対比等については未知の部分が大きいと思われる。AIを進歩させるのも人間でありどう使うか考えるのも人間です。将棋だけではなく囲碁もAIには勝てません 今まで人間が作ってきた機械もコンピュウターもしかりと役に立っています。どのようにこれから生成AIを人間の社会に役に立つように使うかはこれから人間が考えることであり人間の能力と比較してどちらが優れているとか、どちらがいいとか言う問題ではない。
とてもおもしろいです。
クリエイティブ、アート、スポーツ、人間が体当たりで人生をかけて作り出すものと、その背景にある物語が益々注目されていくようになるのでしょうか。
確かに変態と呼べるほどに何かを極めた人って、それだけで価値が出来るものだよな
なんとなくそんな感じします
確かに「誤配」するAIはありえないし、誤配しない人間もありえない。
さすがもぎけん
ロボット vs ロボットの動画とかを面白く感じるのは、開発陣が人間で結局は人間同士の戦いだからなのかな
人間は人間にしか興味がないというが、それは人間と思えるようなものには興味や愛着が湧くということ。VTuberも偏った個性を持たせて失敗をしたりポンコツなエピソードを語ったりして誰もが中身が人間であると疑わないように調整したAIにやらせたら愛されるだろうと思う
そうだろうなぁ…
AI絵師もそれを直感的に分かってるから、AI使用を隠そうと必死になるんだろうな。
進歩の激しい現代、数年後はどうなってるのか、たのしみですね
「人間は人間にしか関心・興味を持てない」
茂木先生は、この講義ではじめて仰ったとされましたが、先生のネット上の発言では同様の趣旨を提言されていた気がしますが、違うでしょうか?
人間が、無意識にでも関心を向けるのは自分が人間として生存・繁栄できることであり、即ち生物である人間としての衝動(生命能動動機)による志向性だろうと思います。
産まれて当初、親を観て生存方法を学び、そのうちに他の人間を眺めて、また生存・繁栄の手法を学び取り、拡張する。このことに尽きるのではないでしょうか?
ごっこ遊びをして、マネをして、徐々に脳の外側の身体とそれに繋がる環境世界を制御・管理をしていくようになるわけで、そのやり方を、身近な人間から始めて、読書などで時空を超えて人間からも学び取る。物語に没頭する、感情転移も発生する、映画を観て主役になりきる、そうした事柄もみな同じ動機による気がします。
ただ、問題は現行人間にとっての人間という存在と、ポスト・ヒューマン、トランス・ヒューマンにとっての人間では、事情が変わってくる気もします。
東大でも研究される「顔学」では、顔の作りについて評価が見慣れた顔の平均値になると報告されていました。社会に流布する観念(フランシス・ベーコンのイドラ、プラトンの洞窟の比喩等で示される)も変化します。トマス・クーンのパラダイム・シフト等も展開していくと、「人間は人間にしか興味がない」ということが「進化進歩した人間にとっては同様にそうした人間にしか興味がない」という、スケールアップした内容になるかもしれないという気がします。
これからの時代AIの進歩よりも遺伝子改造によるスーパーヒューマンが主題になっていく気がする
スーパーヒューマン、初めて知りました!
調べてみたらアンドロイドとかサイボーグとかまるで超能力。結果楽しみにしてる自分がいます☺
東浩紀さんもそんなこと言っていたような。
うる覚えだけど、諸星大二郎が、怖いものを描くとき、絵として人間っぽい部分も描かないと怖くならない、と言ってた。
結局そこに「共感部分」があって、それが醜くなったり怖くなったりすることで、
知っているモノが恐怖に変わる瞬間がやっぱり人間が怖がるのだという。
得体のしれないものがさらに得体のしれないものに変わったとて、何も感じないというか。
どこまでを人間とするか?にもよるのかなと。 一緒に住む犬の生活やカルガモの行進にも興味はもつので
人間が作るものに限っていえば、AIをつかって という文脈にすれば興味持つのかと思う。
人間が つくった AIが つくった モノと😊
茂木先生のお話を聴いて、全然素人なのですが、AIは身体を持たないから(人間と同じ身体を持たないから)、人間はAIの高い能力による成果に興味が持てないのかなあ、という気がしました笑😅(一方で、AIが作った成果物自体が面白くない素晴らしいとは思えないという問題もあると思いますが…😅)
でも、実際にAIが作成したドラマ、映画を観てみたい。音楽も。人間と何が違うのか?比較出来ますからね。
人間は「望ましい対象になろうとする意志」を無意識下で持っているというのが自分の仮説
同化願望みたいなのと血かい
その説で言うと、AIは如何に優秀な結果を出力できても人間ではないので、AIになろうという意思は働かない
それよりも、努力している人や、ちょっと自分と似ているけど上位の存在の人へ向けて、目標の対象として、「なろうとする意志」が湧く
つまり、興味が湧く、惹かれる、気になる、という意識が生まれるけど、それはAIやロボットに対して生まれないのは、別にロボットやAIを道具や下に見ている訳ではなくて、人間には「そうなれないもの」だから興味が湧かないのだろうと自分は納得している
ペットとして哺乳類の人気が高いのは人間に似た行動をとるからっていうのを思い出した
人間が作った という情報に価値を感じるのなら、人間のフリが出来るAIが完成したとき人は何を選択するのか興味深いです。
ロボットが子供を産むことはできないしねぇ~~~~ロボットの産んだロボットコドモ?
みてみたいもんだねぇ~~~😂😂😂
人口生命ですね~
@@imagine-univ 育つんかい?
卓球ロボットを人間は応援しないという話についてコメントしてみる。
もし日本発の卓球ラボ対アメリカ発の卓球ロボやったら、少しは見られるかもしれない
でもそれは結局「人間同士(国同士)の競争」を見たいからなんだろうな
卓球ロボA対卓球ロボBが戦ってるのを面白がれるのは、卓球ロボを作る研究者だけかもね。要は上手くなる過程が理解できるだけが面白がることができる
普通の人間は卓球ロボAの方が強くても、その理由や仕組みが分からなすぎて興味持てないだろうな
というか関係ないかもだけど、人間でも全く知らない人同士の卓球なんか見てもあまり面白いないな。千鳥がロケで卓球して2人がだんだんうまくなるのは面白かった
あと、面白がれないのは、もうあらかじめ答えが決まっている感じがするからかもね。
生きてても死んだように同じ事しか話さない人もいるように感じます
亡くなった犬の代わりはいません。
AIは陳腐なものをつくるのがうまいけど、ショッキングなものはつくれないかも
完全に東浩紀の焼き直しでは
ごもっともです!
AIで人間を搾取する様な産業は早く失敗して欲しいですね。実際に失敗するまで学習しない人間も沢山居ると思うので。
この様な産業は、どこか大きな企業が大失敗をやらかすまで廃れないのか?そもそも大企業がそんな産業に手を出すのか?
この問題の主戦場はAIで人件費を安く済ませようと考える様な、中小企業や個人のイザコザではないのか?そんな誰も気にしない水面下の出来事に、先生の仰る様なロジックは通用するのか?
外から俯瞰する視点も、内から訴える言葉も、どちらも大事だと思いますが、どの様な分野でもこの二つの擦り合わせは難しく感じますね。
どうしよ…aiが作った方に魅力を感じてしまう…むしろオリンピックとか全然興味がわかないよんママン
他にも言ってる人はいますよ。それとAIが言葉を理解し人間と同じような心を持てば人間はAIの作る者にも興味を持つと思います。
脳や心のメカニズムが完全に解明されたとしたら、それをAIが模倣することは簡単にできるのではないだろうか。
人間も外部からの刺激によって反応する内部構造のパターンが無数にあるだけと考えれば、究極的には死ぬことが唯一人間にしかない価値なのでは。
機械であるAIが、心を模倣できるとしたら私たちの感情も数式で出せてしまうのか? そうではないと思いたい自分がいます。
それは違うよ。
将棋にしろなんにしろ、人間を上回る高度な存在が出てきた時に、多くの人間が一旦存在意義を失っている。
そこから別軸での存在意義を取り戻して、今の繁栄があるんだよ。
将棋だって、棋士にはもはや最高の答えを出すことは期待されていないじゃない。
一方で解説の棋士も視聴者もAIが出す評価値にメロメロでしょ。
AIが興味を持たれてるじゃん。
見方を変えたら将棋ってもうAIが出す評価値を楽しむゲームで、
棋士はボードゲームのコマになっちゃってるかもしれないのよ。
確実に棋士という立場が持つ重みは損なわれてしまった。
それをどこまで人間が人間に興味を持たれてるんだって無邪気に考えられるのかね?
少なくともその業界にいる人間としてはそういう弱さを受け入れて変わらないといけないのだから、
AIが上回っても大丈夫みたいに語るのは相当間違ってるよ。
将棋を生み出したのは人間なんだが?
AIの強みは失敗作を大量に生み出せるところだと思ってます
現時点でのAIの実力でいえば茂木さんの意見に賛同する。しかしAI技術の指数関数的な進展を鑑みると1年後、2年後にAIが作り出す世界がよくわからないのでどうなるのだろうか。現時点でいえることは人類はAIの使用者でなければならないことで、決してその逆があってはならない。そのようなことを考えると、現在の学校教育そのものを根本的に見直さなければならないし、就職予備校としての大学はその役割を終えねばならないのではないだろうか。中卒で美容師専門学校があるように、中卒あるいは小卒で物理専門学校で学び、そこから大学の理学部を目指すとか。
AIの考え方が間違っているよ。有能な秘書みたいなものでしょう。そして、AIもまたピンからキリまで多様に進化してゆきます。さらにAI所有格差が生まれる。富裕層の持つAIは賢く、低所得層の持つAIはそこそこ賢い。AIにサポートされながら、資本主義市場で競争することになります。
普通にわかんないようにプロンプトに指示するというテクニック論だし、事、人間という意味では、例のモデルをみんなが使ってるからだし、肖像権とかの問題。
その命題は偽ですな。
人間であることは、人間が興味を持つことの必要条件ではないね、十分条件。
脳科学者でそんなこともわかんないの?
論理判定してみなよ。
PS:人間にこそ価値があることはむしろ同意ですが。
必要条件みたいな言い分が情動的。