被災パトカーなどの震災遺産に町の歴史 富岡町の”これまで”を未来へ伝えるアーカイブ施設【福島発】 (21/07/04

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  • Опубліковано 3 лип 2021
  • <福島県富岡町>
    原発事故によって今も町の約1割の範囲が、誰も住むことが許されていない『帰還困難区域』に指定されている。町で生活する住民は震災前の約1割…復興は道半ば。
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    <とみおかアーカイブ・ミュージアム>
    東日本大震災と津波、原発事故。複合災害を経験した富岡町の今を伝えようと開館。
    富岡町歴史・文化等保存プロジェクトチーム 三瓶秀文さん:「震災遺産の中でもメインの展示物になります。2011年の3月11日の大震災の後に津波が起こって被災をしたパトカー。車両が撤去されるという事態になったときに何とかパトカーを残せないかという声が町民の方から上がりまして。町の方で県警からこの車両を譲り受けて」
    パトカーには、津波から住民を守ろうと最後まで避難を呼び掛けた2人の警察官が乗っていた。
    「富岡は負けん」…震災遺産の一つである横断幕。東日本大震災の年の夏、町の人が国道6号線の歩道橋に掲げた。
    富岡町歴史・文化等保存プロジェクトチーム 門馬健さん:「ペンキ自体もどういう風に劣化していくか分からないので、専門家に相談しながらどういう形で長く残していけるだろうと」
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    <施設に展示されているのは、震災後の富岡町を伝える資料だけではない>
    富岡町歴史・文化等保存プロジェクトチーム 門馬健さん:「富岡町の成り立ち・どういう性格の土地なんだろう。例えば向こうは自然地形。どんな大地で構成されていてどんな植物があって、そこでどういう営みを人が何千年もしてきたのかっていう積み重ねから知ることで、まず富岡の特徴が分かると思います。その積み重ねがあって震災直前の暮らしがあった訳なので」
    この場所で先人たちがどのように暮らし、歴史を紡いできたか。過去から今、そして未来と向き合う。
    富岡町に古くから伝わる『子安観音』は、歴史遺産として展示されている。
    富岡町歴史・文化等保存プロジェクトチーム 三瓶秀文さん:「子どもが生まれそうになると、お母さんとかおばあちゃんがこういう着物と枕と麻縄を用意して持って行って、子どもが無事生まれると倍にして返すという風習がありました。私の息子が生まれるときに、私の祖母に作ってもらった着物と枕です。やっぱり富岡でね子ども生まれて育っていく中で、必ず信仰の中を通して経験してきたことですので町民の方に身近に感じて頂ければいいなと」
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    <町の人の協力を得て集めた地域を知るための資料も収蔵・保存>
    富岡町歴史・文化等保存プロジェクトチーム 門馬健さん:「やはりこの地域の成り立ち・特性っていうものを、きちんと位置付けられる施設であって欲しいと思いますし、そうなれるようにみんなで努力すべきだと思います。そういったことを積み重ねていくうちに、この震災も原発災害もまだ終わってませんので、それがどう歴史として描かれる時期が来るのか。そういった施設に町民の皆さんとともに作り上げていかれればと思っています」
    施設はこれから、町の人と共に富岡町の歴史を伝えていく。

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