At that time, the north was uninhabitable because of the cold weather, so ethnic minorities wanted to become Chinese. Because China was rich in material, ethnic minorities at that time all read Chinese books and changed their names, like 刘渊 or 李雄 If you ask them if they are people from the Jin Dynasty, they will think that they are Chinese. They will think that they are the same as 曹操 and 刘备
李雄死後の成漢が崩壊していく様子を見て、もし劉備死後の蜀漢に諸葛亮がいなかったらこんな感じで滅亡したんだろうなと思いました。
蜀の滅亡後にこんな国が出来ていたんですね~
初めて聞くので色々勉強になります
李なんとかさんがたくさん出てくるけど、李特・李雄・李寿を覚えておけばOK!(ぇ
范長生は劉備にあった事もあると自称しているほど長生きしてて、劉禅からも官職貰ってるので恐らく蜀漢の家臣の最後の生き残りだろうと思われる
まさかの「五斗米道」が係わっているとは思いませんでした・・・
うぽつです。何気に五斗米道が存在感を見せていますね。
ちなみにこの范長生、息子も成漢の宰相になり、成漢滅亡後は旧臣達によって成漢亡命政府の皇帝に祭り上げられるとか。すぐに鎮圧されるんですけど、中々にこれも面白い話。
無双ゲーから入った演義しか知らない勢なのでとても楽しく拝見させて頂いております!!
良ければ個人的に好きな華雄についてリクエストさせていただきたいです!
「東晋に帰順しよう」という声が李雄の頃からあったのは、成漢の政権内に漢人が多かったことも一因かもしれない。
李雄は東晋が攻めてきた際に「おぉ!あれほど弱っていた晋が軍を興せるようになるとは!私は感激でございます!」なんて煽りながら撃退してる。流石、戦争で成り上がった男、煽りプレイもお手のもの(笑)
李雄は益州に逃げてきた劉玄(劉永の孫)を安楽公に任命して劉禅の後を継がせてるので、李寿が国号を漢としたのは劉氏の威光を借りようとしたのかも。
蜀漢の影響力がなお残ってるのが見えてワクワクする🐎
このあたりのまとまった資料を読みたいな。後は唐から宋のあたりも。
成から漢に改名したのは即位する前の李寿が漢王に封じられた事が由来しているのですが劉玄の威光を借りようとしたって解釈はロマンがあって燃えますね
いつも楽しく拝見しています^ ^
蜀漢亡き後の益州で、三国志序盤のようなワクワクする群雄割拠劇が行われていたんですね(*゚∀゚*)
あと、途中で出てきた鍵開けっぱエピソードは、昔の佐賀っぽくて思わず笑ってしまいました笑
田舎はだいたい鍵かけないイメージ(笑)
三国志の時代が終わって平和になるかと思いきや、実はここからが長い長い大乱世のはじまりというね・・
超健康な張献忠が元蜀の地で鏖殺も、清が移民させ今の四川がある。
益州というか蜀周辺の凄いところが、まぁまぁ土地が豊かだけど山を超えてまで奪いたいほど魅力的ではないところだと思います。小規模な集団が通るには問題なくとも万単位の兵隊を送るには険しい山道が持つ絶妙なバランスが蜀漢や成漢を守っていたんじゃないかと思います。この地理的有利に加えて、カリスマ性のある人物がもう一人居たり、周りの国から逆賊扱いされず程よい距離感の外交ができたら、みたいなIFを思えば100年国家になれたかもしれませんね。
でも外に向かう意識がないと、内側の安定に政治力が向くようになって、結果的に内輪揉めが起きて自壊するっていう例も結構あるから、なんというかどんな場合でもずっと頑張り続けるしか無いんだろうなぁって🤔
昔の子どもすぐ死ぬから沢山作っておかないといけない、でも沢山作ると後継者問題が起こりやすい
無理ゲーやね笑
この時代は本当後継者問題が悩みの種よね
なんだかんだで曹操は無難にまとめたなと今更
成漢についていくつか
・ 実は蜀漢(221~263)より長く(304~347)続いてるんですね
・ 李特が剣閣を越えて四川盆地に入ったときの台詞
「この平野を持ちながら面縛して人に降った蜀主劉禅は真に凡庸な君主である」
・ 出てくる名前でわかるかと思いますが、成漢は皇族の権力が非常に強いです
・ 趙廞独立の動機は彼が殺された賈南風の姻戚だったこと
・ 荊州については宗岱が死んだ後、長沙王乂が徴兵を強行したことに起因する大反乱が起きています。(張昌の乱)
・ 五胡十六国王朝全てに言えることですが、中華王朝の嫡男継承と遊牧社会の実力主義どちらをとるかの混乱は王朝の寿命を縮めますね
めちゃくちゃ的確かつ詳細な補足助かります!
民族的な価値観を前面に押出
→ハヌマーン
なるほど確かにいいことならないですね…
この時代は中原の諸勢力とか東晋にばかり目が向いていたからタスカル
知らん李氏が知らんうちに独立して気づいたら桓温に滅ぼされてるイメージだった
李なんとかさんがたくさん出てくるし、華陽国志は人名の「姓」を初出以外、省略してくるからもうほんとに整理するのが大変でした(笑)
この時期から皇帝の直系が途絶え、別の皇族が王朝を継いだら、国号を変える慣例ができたと聞いた 事がある
この動画を見ながら、成漢の頃に姜維が現れたらなんて事を考えてしまいました。
漢が国号になっている国はいくつかあり、『三国志』人気があったことも伺えますね。
華陽国志は歴代巴蜀政権(公孫述~成漢)の評価は案外低い印象がありますね
絶賛は諸葛亮、高評価は劉備、李雄くらいで後は総じて手厳しい評価
確かに、基本、人物の評価はマイナスだったな…(笑)
現代の政財界を見ても思うに
王朝は二世三世に上手く引き継げ続けられるかどうかも
難しい要素なのかもしれない
この辺は徳川家康様がいい例ですね。3代目家光まで長生きしてくれたので徳川幕府は黒船来航まで存続したわけですね。それと天皇家(日本版王朝)の扱いも一つの要因かもしれません。
一番乗り。羅尚との戦いを切り抜けたことも巴蜀における支配確立の李雄(理由)だが、李雄没後の衰退も早かった。これは成漢に限ったことではないが、何とも儚い徒花ではないか。
漢王朝の正当な子孫「山陽公」がもう少し続いていれば…
蜀の武将の子孫や孫などは、成都の土地で生活してたのかなって
Most families have perished only 诸葛诞posterity still exists like 诸葛恢 诸葛嘉会
ありがとうございます。南越を建国した趙陀の動画も作ってほしいです。
はぇ~勉強なりますわ
張献忠「劉備さん、李雄さんお疲れ様でした😢後は僕に任せて下さい😊」
頼むからやめてくれ(´;ω;`)笑
陳ゆうりょうの陳漢とかマイナーな漢も見たいですな
蜀漢と大差ない年月のはずなのにずいぶんとゴタついてますね・・・
劉備亡き後40年近く、孔明亡き後30年近く治めていた劉禅とはえらい違いだ
李特さん、なんだか劉禅の事を言ってたらしいけれど数年で戦死、交代しちゃってるし。
現代でも会社を興すより存続させる方が難しい。
この頃既に交雑し過ぎて純粋な漢民族は居なくなった説ありますね…
そもそも純粋な漢民族とはなんとや?という話ではある
DNA的な観点で言えば他所と混血せず独自性保ってるのなんてそれこそ超僻地の少数民族しかいないだろうし
まあ、そうなりますね。
純粋な漢民族みたいな思考は危険かと思います。民族というのは血統ではなく文化的な概念ですから。
At that time, the north was uninhabitable because of the cold weather, so ethnic minorities wanted to become Chinese. Because China was rich in material, ethnic minorities at that time all read Chinese books and changed their names, like 刘渊 or 李雄 If you ask them if they are people from the Jin Dynasty, they will think that they are Chinese. They will think that they are the same as 曹操 and 刘备
魏晉南北朝の漢といったら、成漢よりもっと正統性がきついのは劉淵の前漢ではないか?
一応、劉姓だし…(笑)
三国志後伝(笑)
成都の燭で成燭なのかなぁ?
姜維はクーデターに失敗したが、子孫は生き残れなかったのか?蜀五虎将軍の子孫は?
①②③
わからん!!!
略奪上等の気質に女性の強さ。
直系ではない一族に対する権力委譲のスムーズさ。
末子相続。
大元は遊牧騎馬民族系の国かな?
たしかに国家制度はやたらとそっち寄りですよね。実力主義みたいな感じが特に。
でもちゃんと漢人のことも理解してるというか、李寿なんて漢王朝オタクみたいな人だったっぽいし、不思議な国なんだよなぁ。
@@KOUMEI_NO_WANADA
北宋に対した遼のように漢人の領域を取り込んだ国には結構見られる特徴ですね。
李寿は漢人か少なくとも儒家を教師として育ったのかも?
この時代の圧倒的カリスマは、やはり苻堅。