82年の水谷実雄 その後

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  • Опубліковано 8 лют 2025
  • 82年の水谷実雄
    119試合 .303 18本 63打点 0盗塁

КОМЕНТАРІ • 5

  • @Emily-zs5yq
    @Emily-zs5yq 4 дні тому

    打撃理論や配球の読み、猛練習など後輩にそのノウハウを遺憾なく伝授したようだ。
    その指導は滅茶苦茶厳しく「逃げようとする奴は首根っこ捕まえてでもグラウンドに戻さなあかん」という鬼軍曹っぷり。

  • @木田隆志
    @木田隆志 Місяць тому +1

    DHのあるパに移って打撃に専念できたのはよかった
    逆に加藤は守備のあるセに移って今一つだった
    そのおかげで12球団から本塁打という記録を達成できたが
    1984年の阪急っていきなり開幕戦の死球禍で大砲水谷を失い、さらにエース山田の骨折離脱があっても独走V
    どんだけ強かったんだよって感じ

  • @の気持ち
    @の気持ち Місяць тому +1

    0:40 14打点で打点王って🤣

  • @加藤健-i5c
    @加藤健-i5c Місяць тому +2

    TomO Haradaさん、こんばんは😃🌃。初めまして。広島東洋カープ🎏の水谷 実雄一塁手は、確か山本 浩二中堅手の後ろを打つ五番打者もしくは、六番打者を打った選手でしたね。

  • @タッキー-f4s
    @タッキー-f4s Місяць тому +1

    阪急初年度は凄かった、パリーグの野球が水に合った感じ。惜しいのは翌年の開幕戦?ロッテ土屋から頭にデッドボールを受けて二度とその打棒が復活することはなかったこと。土屋は中日時代も巨人高田の頭にぶつけてた、肘の故障でコントロールが悪かったのかな?