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three kingdomsの曹操と陳宮の最期のシーンほんと泣ける
私はよく演義と正史のエピソードがゴチャゴチャになるので、正史のエピソードだけで動画作ってくれるのはありがたいです。取り上げてほしい武将は、私が正史で知って一番優秀な武将だと思った趙儼です。性格もよく統治者としても優秀で、調整役としては仲が悪かった張遼、于禁、楽進等を仲良くさせたりできて、軍師としても優秀と言う万能武将なのですが、余り知られてないのが残念なのでどうぞよろしくお願いします。
陳宮取り上げてくださってありがとうございます(*´∇`*)どうにも演義の呂布に最後まで忠節を尽くした陳宮と史実の陳宮は別人みたいで、実際のところは君主に忠誠心をあまり持たず自分の理想を実現してくれそうな人に献策する人という印象を受けました。
陳宮はただ、自分の意見を受け入れてそれを実現してくれる主君を望んでいただけなのではないかな言い方は悪いけど性能の良い操り人形みたいな人と出会えていればもっと活躍できたのかもしれないですね
自分もつい最近、陳宮の解説をしたばかりなので驚きました(笑)陳宮が曹操を裏切った理由は確かに分かりませんが、自分としては陳宮は曹操よりも、地元豪族と近しい関係にあったからじゃないかなって思ってますね。おまけに素行の悪い青州兵もいますし、曹操はめちゃくちゃ不人気だったんだと思います。官渡の戦いで、あれほど兵力差が開いたのも不人気故だからなのかなーと。陳宮はそのヘイトを背負って、豪族達を代弁する形で離反したのでしょうね。
なるほど…。陳宮云々ではなく、曹操大不人気説ですか…。大いにありますな!青州兵をどこまで扱えたのか?興味がありますなぁ。
いい眺めだ素晴らしい眺めだ
スリーキングダムの陳宮はすごくよかったなあれは演義準拠だから曹操が董卓暗殺に失敗したのを逃亡助けて一緒に行動してたら呂一家に手をかけたのに対して一緒にやってた癖に失望して去って、王允を通じて呂布と知り合って董卓への謀反まで一緒にいた流れだったけど。チントーチンケーの親子の話も出てきたでも死に際はこの動画と同じように描かれてて泣けるんだよなこれがあ、ちなみに2020年が近いですが後漢滅亡、魏建国から1800年ですよみんな!!!魏国大好きニキ達は酒盛り忘れるなよ!!
1800年近くも「死せる孔明生ける仲達を走らす」てシバイさんは言われているのかよw
@@naghoge4 走るだけで1800年も名を残す司馬懿様の英名にひれ伏せ!
司馬懿は後にクーデターを起こすから自分のダメな所を晒す芝居だった説
徐庶が劉備から離れた理由も、案外、同じような事かもしれない。。。
まぁ、徐州大虐殺で陳宮が曹操を見限ったのは確かだと思うね。しかし呂布も袁術も覇者になりうる素質がない事は理解していたと思われる。(ぶっちゃけ、陳宮は早い段階で呂布を見限っていたんじゃないかな?)曹操が一番だと気がついていたんだろうけど一度裏切ってしまったから今更、曹操の所には戻れなかったんだろう。
蒼天航路の陳宮が好きです
陳宮の「智謀は凄いが決断力に欠ける」って評価は、陳宮にまつわるエピソードでは全然そんな気配は無いのに、どのことを指してそう言ってるんだろうね? むしろ、"即断即決"に過ぎるくらいの方と思えるけどな?(;==)
ハートマーク、ありがとうございます!( ・`д・´) キリッ
ですよねぇ決断力があるから下野したり戦場に立ったりしてるんですし
陳宮殿は純粋な心持のある、呂布に何かを感じていたと思います。
呂布は生まれた年こそは不詳だが、曹操と同世代のおっさんだぞ。陳宮と一緒にいる時は45歳くらいのおっさんをイメージするといい。
漫画三国志によると曹操対陶謙の戦いで陶謙の味方をしたのは劉備って事になってましたが、史実では陶謙の味方をしたのは張邈だったんですね
やったー!散り際がカッコいい陳宮だー!ありがとうございまーす!
陳宮は正史と演義で内容がかなり違いますよね。まぁ知略は優れてるが人を見る目は劣るとは凄く真っ当な評価ですよね。次は五斗米の張魯とかもお願いします。
出来れば…出来れば趙雲子竜の解説をお願いします。
曹操は徐州討伐に50万っていうけど、そんな兵力当時はないだろ 群雄としても陶謙と同じぐらいの軍事力しかなかったんじゃ
陳宮は曹操と純粋に戦ってみたかったのかもなぁ恨みとか嫌悪は特には無くてこれ以上勢力が大きくなると小さな反乱でしかなくなるから、あの機しか無かったのかも同じく曹操と戦った事のある賈詡と対話させてみたいですね(丁度時期がすれ違ってるから三国志上では無理ですけど)
自爆しかありますまい
必要な犠牲でした
明けましておめでとうございます去年の年末辺りでこちらのチャンネルを知り、それ以来登録し楽しく拝見していますもし宜しければ今度三国志の劉備について紹介して頂けないでしょうか今更超有名人の劉備と思われるかと思いますが、三国志演義の中で圧倒的正義の主人公として扱われている英雄しかし実際の所荊州や蜀を奪取したりと、行く先々で裏切りとも取れる行動をしているので、本当はそんな正義の主人公では無かったんじゃないかと思うんですその辺りの史実を紹介して頂けたら嬉しく思います
知将の中には 地位 富 名声 が揃っていると自分の力で勝てたのか? と疑問に思い劣勢状態からどこまで行けるか試したいと思うやからいるそうな陳宮もそんな考えが頭をよぎったのでは?
考えれば考えるほどにわからなくなる人ですね、陳宮って。曹操は人材マニアなんて言われてますが、陳宮については智謀よりも日常の人柄などに魅了を感じてたのかもしれないと、今回思いました。
初期の曹操は衛茲、陳宮、鮑信、張邈兄弟とやたら兗州出身者に評価されていますね陳宮的には兗州人から荀彧ら豫州人が重用されるのが気に入らなかったのかもですね
高順とか経歴の殆どが歴史から消えてる人も側に居ますね。張邈の元配下説推し
節操無しだったか?袁術にも内通しようとしていたとは。
名士を殺せず滅びた呂布に、名士狩りをした結果滅びたのが公孫瓚
宿題に対する自分なりの回答はやはり”徐州虐殺する曹操に絶望した”、更に言えば”曹操は自分が追い求める理想の主君では無かった”って所だと推測してみたり。陳宮の一生って”理想の主君を探す”→”仕える”→”期待を裏切られ絶望する”→”主君を裏切る”の負のループだったんだろうなぁと考察、いっそ独立するには荀攸の言う通り”決断力が足りなかった”んだろうし誰かに仕え続けるには”主君の負の面にめを瞑る”事が出来なかったんだろうなぁ・・・不器用な男だなぁ~陳宮を出されるとやはり高順、そして敢えて張遼そして呂布を改めて紹介して欲しくなるなぁ~、或いは濃いキャラ達の箸休め的な意味で黒子役の忠臣である張紘や孫乾をリクエストしてみたり
なるほどなるほど!良いお考えですな!仕える➡裏切る➡失望するってのは何かしっくりきましたwそうですなぁ。紹介武将に関しては列伝や資料が短い人が多いので、まとめて紹介していきたいですな!
陳宮の解説ありがとうございます。ここぞって時の決断力がなかったんですかねぇ…
百万人の山賊、百万人の残党、川がせき止められるくらいの虐殺この時代でもものすごい人口がいたのでしょうかね?
おもしろかったです。
陛下に拝謁いたします orzみなさん言ってますが陳宮ってなんで曹操を見限ったんですかね当時有力者だった袁紹とかに寝返ったとかならまだわかりますが呂布。。。皇帝も擁しているし曹操の配下は名だたる人物が多かったし色々と気にいらないことはあったんでしょうが。。自分が見つけた英雄でもって王佐の才と呼ばれたかったんでしょうか
陳宮と呂布荀彧と曹操この差は大きすぎますね面白かったです
黄巾の乱後に済南の相→東郡太守(表向きには辞退)となった曹操、反董卓連合時点での曹操の挙兵も首謀者である橋瑁(東郡太守)や孔伷と筆頭とする兗州人士のバックアップを受けたからこその陳留での挙兵→橋瑁、孔伷、劉岱、鮑信、衛茲の相次ぐ戦死で若造に過ぎない曹操が兗州を一手に握り、かつ辺譲の殺害でヘイトを集める→さらに劉岱、鮑信の仇であるガラの悪い青州兵を曹操が配下につけただって?!あいつ何考えてんの?!→荀彧や郭嘉等豫州人士を重用することで人事再編され、陳宮達の力はどんどん弱くなる→トドメの徐州大虐殺で兗州人士の曹操に対する評価はもはや地に落ちる→そして自分の立場が危ういと感じた張邈と陳宮が周りを扇動して謀反!!!上記の流れから、荀彧達が曹操のところに来た時点で、史書には書かれていないものの兗州人士と曹操一派はもはや一触即発の状態にまで関係が悪化していた可能性が高い。現に陳宮謀反の際に兗州を守備したのは荀彧・夏候惇・程昱、いずれも曹操が最も信頼しているメンツ。だからこそ張邈・陳宮は曹操や袁紹と接した時に命の危機を感じたというのも決して史書の修飾ではなくリアルな感情だと言えるし、曹操が荀彧を「我が子房」と評したのも危機一髪だった曹操軍を豫州人士の力で立て直した救世主だったからだ。
三国志をふわっとしか知らないのでとても楽しく見ております。陳宮の目的がエン州の保全だったと考えるのはどうでしょう、虐殺で人心を失った曹操と共にエン州がつぶれるのを防ぐために地元民で曹操を倒しておきたかった。で、最も有望な呂布を選んだ。しかし結局負けて今度は他州で暴れる呂布がエン州のガンになりそうなので反乱を計画最後は自分も呂布の一味として処分される事でエン州へのヘイトを防いだ。局面は的確に読めるけど人の力が読めないって印象を受けました。決断力は、自分で決して他の道を断つ覚悟が必要だと思うので、場面での最善手が見えてしまうタイプには難しいてか陳宮にはできなかったみたいな事かなぁと思いました。
曹操の元に戻るのを断る際に「呂布は貴様程簡単には人を殺さなかったぞ」と言ったみたいな話を聞いたけどやはり徐州の件は大きいな…
曹操「わしを人でなしにするな」
陳宮は蒼天航路での描写で印象が変わった
陳宮って曹操と同じくらいの年だと思ってけどわ結構年下だったんですね。兗州の有力者と深いつながりがあったからこそ、曹操の後にすぐ呂布に寝返らす事ができたんでしょうね。ところで、張邈最期どうなったんだろう?陳宮が考えていたかどうかわかりませんが、下邳での戦いの際、いっそ呂布共々袁術の所に行っていたら面白かったかもしれませんね。一番わからないのは郝萌を使って呂布を倒せると思った事ですね。今年は良い動画に巡り会えました。来年も動画作成頑張ってください^_^
いつもありがとうございます!嬉しいですな!張邈は曹操に敗れた後、袁術に援軍を要請しに行く途中で、部下に裏切られちゃって、亡くなっちゃいました。嬉しいコメント本当にありがとうございます!更新の励みになります!
危険な鬼太郎 なるほど張邈も曹操を裏切っておいて、結局最期は自分も部下に裏切られてしまったとは•••。
陳宮か…私の部下になれば…残念だ…荀攸は言っていた。『私は陳宮には及ばないが、主君を見る目は、陳宮は、私に及ばない』と。
陳宮の紹介ありがとうございます曹燥に対する陳宮の謀叛って謎ですよね。個人的には野心もあったと思うんですが、徐州の件に対するこんなことすればいずれ身を滅ぼすという戒めのような気がします。(ただの願望ですが)
陳宮軍師ではないですか!
陥陣営 高順を是非!資料にあまり出てこないので難しいですかね。
是非とも、戦国の四君子シリーズをお願いします。
イイですな戦国四君。人によって好みが違うんですよねw
three kingdomsで呂布がなかなか陳宮の策に従わず陳宮が呆れそして徐々にジリ貧になっていく呂布軍を見ててとてもハラハラしました
陳親子があんなに侫臣だったとはね。 横山三国志から来たら、カルチャーショックですわw (;≧▽≦)
孔融一人殺しただけで散々言われた人もいるからなあ。名士はめんどい。
三國志には王双が3人いるとか。なので、同姓同名武将特集をやって欲しいですね。
劉岱2人なんて字すら同じ公台だったために演技では同一人物としてまとめられるという有様
陳宮篇、ありがとうございます。曹操の残虐性を恐れた?しかし、人材への執着が人一倍な人だし仕えているかぎり自分に刃は向かないとは思わなかった?呂布に固執していたのもよく分からんよね。とっとと逃げ出して次を探せば良かったのに。
自分の才を試す。なら決まりきった道より、自らの才で切り開く…って感じかなぁ。知能高いのに、君主を選ぶのに何かしら弱点難あり選んでいる。曹操は初め難ありだったが、徐々に無くなって行った時につまらなく感じたのかもね。
徐州虐殺に関してですけど、一説では「儒教の倫理観では親の仇を討たなければ人であらず」だから、曹操は天下人としての名声と当時上流階層である士大夫としての名声を考えて、最終的に後者を選んだ、という説もありましたね。まぁ結局大勢の人を殺したんですけど。
Robert Wang さすがに殺し過ぎたと思います。
うぷ主様に拝謁致します陳宮ですか、呂布につかなきゃ地方でそれなりにやれたのかな…?それとも彼の野心がそれを許さないか?
どうでしょうなぁ…IFの世界は楽しいですな。
蓬莱プラシーボ 曹操陣営にて地方の長官か中央官吏の幹部辺りにはなってそうですね
呂布軍のバランスww
いずれにせよ・・陳宮の判断が今の中国を作った。といっても過言ではないと思う。
陳宮が覇権主義者であることを押さえれば理解は簡単。覇道を学んだ人なら中華初の覇王を号した項羽の行跡は必ず研究していたと思われます。で、項羽には重大な過失がいくつかある。まず中途半端な仁義を慮って劉邦を暗殺刑殺しなかったこと。これは最大の愚行で、この故に項羽は天下を掌中からこぼしてしまったと言っても過言ではない。なので陳宮は、冷酷非道な人物を主君に求めていたと思います。二つ目は咸陽を捨てて彭城を居城としたこと。咸陽は当時の商業の中心地で、天然の要害でも有り王城の地であったが、項羽は郷土愛を理由としてこれを捨てた。情に流され理に徹しない幼稚な甘さが身を滅ぼす要因であったわけです。范増は項羽を豎子と呼びついに職を辞しました。道理を軽んずる甘っちょろい愚かさは、人の上に立つ器ではないことを証明しました。三つ目は殺しすぎたことです。恐怖で人民を征服できると考えたようですが、それでは秦の暴政と変わらないことを理解する頭がなく、范増のような知恵者の言葉にも耳を貸さなかった。勝敗が決しても降伏を受け入れず皆殺しにした。それによって戦う前に降伏するだろうと計算したわけだが、実際は精魂尽くして抵抗されるようになった。負ければ確実に殺されるとなれば死にものぐるいで抵抗します。まあそれでも勝つんだから大したものだが、そのせいで劉邦に関中入城で先を越されてしまった。その事が後々まで祟り、圧倒的優位も覆され、ついには負けてしまった。この上で曹操がどう見えたか。まず配下への気配りが細やかで、人情家のように見えたんでしょうね。そこが劉邦を殺さなかった項羽の甘さとダブって見えたのではないかと。陳宮は兗州を王城の地で、ここさえ押さえれば天下を取れるというのが基本戦略としてあったようです。陳宮の言うことを聞くなら、張邈でも呂布でも良かったのでしょう。呂布は負けが込んでくると陳宮を信用しなくなったようですが。張邈は平凡すぎますね。曹操は許昌や洛陽を本拠としていたので、咸陽を軽んじた項羽とダブって見えたかもしれない。徐州の殺戮は客観的に言って私怨を晴らすもので、郷土愛を捨てられなかった項羽とダブって見えたかもしれない。また無用の殺戮も項羽とダブって見えたかもしれない。これでスッキリ説明が付きます。
万岁万岁万万岁
貴方、イケメンですね。しかも男らしい。めちゃくちゃ頭良さそう。そして強そうだ。性格も良いですね。
陳宮は松永久秀をスケールダウンさせたような人物だなw
呂布に仕えた池沼!
やっぱり唐の李世民がいいかなー。どいつもこいつもサルの072みたいに、やれ三国志だのキングダムだのだからな。
今回の霊夢の挨拶なんか笑った
うP主陛下に拝謁致します。曹操が董卓暗殺失敗後逃亡中に勘違いで一家を殺害した件は演義だけの話かな??
横から失礼します。呂伯奢事件は「正史」には、三つほど説(勘違い、疑心暗鬼、襲われたので反撃した)が記載してありますが、陳宮と関連した記述は無いそうです。
某もそれを聞いた覚えがございます豚を殺す方法を話していた使用人を盗み聞きで勘違いをし殺害してしまい慌てて逃げる際に家主に出会って挨拶をし、後から追って殺害したと聞き申した。
three kingdomsの曹操と陳宮の最期のシーンほんと泣ける
私はよく演義と正史のエピソードがゴチャゴチャになるので、正史のエピソードだけで動画作ってくれるのはありがたいです。
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性格もよく統治者としても優秀で、調整役としては仲が悪かった張遼、于禁、楽進等を仲良くさせたりできて、軍師としても優秀と言う万能武将なのですが、余り知られてないのが残念なのでどうぞよろしくお願いします。
陳宮取り上げてくださってありがとうございます(*´∇`*)
どうにも演義の呂布に最後まで忠節を尽くした陳宮と史実の陳宮は別人みたいで、実際のところは君主に忠誠心をあまり持たず自分の理想を実現してくれそうな人に献策する人という印象を受けました。
陳宮はただ、自分の意見を受け入れて
それを実現してくれる主君を望んでいただけなのではないかな
言い方は悪いけど性能の良い操り人形みたいな人と出会えていれば
もっと活躍できたのかもしれないですね
自分もつい最近、陳宮の解説をしたばかりなので驚きました(笑)
陳宮が曹操を裏切った理由は確かに分かりませんが、自分としては陳宮は曹操よりも、地元豪族と近しい関係にあったからじゃないかなって思ってますね。
おまけに素行の悪い青州兵もいますし、曹操はめちゃくちゃ不人気だったんだと思います。
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陳宮はそのヘイトを背負って、豪族達を代弁する形で離反したのでしょうね。
なるほど…。陳宮云々ではなく、曹操大不人気説ですか…。大いにありますな!
青州兵をどこまで扱えたのか?興味がありますなぁ。
いい眺めだ
素晴らしい眺めだ
スリーキングダムの陳宮はすごくよかったな
あれは演義準拠だから曹操が董卓暗殺に失敗したのを逃亡助けて一緒に行動してたら呂一家に手をかけたのに対して一緒にやってた癖に失望して去って、王允を通じて呂布と知り合って董卓への謀反まで一緒にいた流れだったけど。チントーチンケーの親子の話も出てきた
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あ、ちなみに2020年が近いですが後漢滅亡、魏建国から1800年ですよみんな!!!
魏国大好きニキ達は酒盛り忘れるなよ!!
1800年近くも「死せる孔明生ける仲達を走らす」てシバイさんは言われているのかよw
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司馬懿は後にクーデターを起こすから自分のダメな所を晒す芝居だった説
徐庶が劉備から離れた理由も、案外、同じような事かもしれない。。。
まぁ、徐州大虐殺で陳宮が曹操を見限ったのは確かだと思うね。
しかし呂布も袁術も覇者になりうる素質がない事は理解していたと思われる。(ぶっちゃけ、陳宮は早い段階で呂布を見限っていたんじゃないかな?)
曹操が一番だと気がついていたんだろうけど一度裏切ってしまったから今更、曹操の所には戻れなかったんだろう。
蒼天航路の陳宮が好きです
陳宮の「智謀は凄いが決断力に欠ける」って評価は、陳宮にまつわるエピソードでは全然そんな気配は無いのに、どのことを指してそう言ってるんだろうね? むしろ、"即断即決"に過ぎるくらいの方と思えるけどな?(;==)
ハートマーク、ありがとうございます!( ・`д・´) キリッ
ですよねぇ
決断力があるから下野したり戦場に立ったりしてるんですし
陳宮殿は純粋な心持のある、呂布に何かを感じていたと思います。
呂布は生まれた年こそは不詳だが、曹操と同世代のおっさんだぞ。陳宮と一緒にいる時は45歳くらいのおっさんをイメージするといい。
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やったー!散り際がカッコいい陳宮だー!ありがとうございまーす!
陳宮は正史と演義で内容がかなり違いますよね。
まぁ知略は優れてるが人を見る目は劣るとは凄く真っ当な評価ですよね。
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出来れば…出来れば趙雲子竜の解説をお願いします。
曹操は徐州討伐に50万っていうけど、そんな兵力当時はないだろ 群雄としても陶謙と同じぐらいの軍事力しかなかったんじゃ
陳宮は曹操と純粋に戦ってみたかったのかもなぁ
恨みとか嫌悪は特には無くて
これ以上勢力が大きくなると小さな反乱でしかなくなるから、あの機しか無かったのかも
同じく曹操と戦った事のある賈詡と対話させてみたいですね(丁度時期がすれ違ってるから三国志上では無理ですけど)
自爆しかありますまい
必要な犠牲でした
明けましておめでとうございます
去年の年末辺りでこちらのチャンネルを知り、それ以来登録し楽しく拝見しています
もし宜しければ今度三国志の劉備について紹介して頂けないでしょうか
今更超有名人の劉備と思われるかと思いますが、三国志演義の中で圧倒的正義の主人公として扱われている英雄
しかし実際の所荊州や蜀を奪取したりと、行く先々で裏切りとも取れる行動をしているので、本当はそんな正義の主人公では無かったんじゃないかと思うんです
その辺りの史実を紹介して頂けたら嬉しく思います
知将の中には 地位 富 名声 が揃っていると
自分の力で勝てたのか? と疑問に思い
劣勢状態からどこまで行けるか試したいと思うやからいるそうな
陳宮もそんな考えが頭をよぎったのでは?
考えれば考えるほどにわからなくなる人ですね、陳宮って。
曹操は人材マニアなんて言われてますが、
陳宮については智謀よりも日常の人柄などに魅了を感じてたのかもしれないと、今回思いました。
初期の曹操は衛茲、陳宮、鮑信、張邈兄弟とやたら兗州出身者に評価されていますね
陳宮的には兗州人から荀彧ら豫州人が重用されるのが気に入らなかったのかもですね
高順とか経歴の殆どが歴史から消えてる人も側に居ますね。張邈の元配下説推し
節操無しだったか?袁術にも内通しようとしていたとは。
名士を殺せず滅びた呂布に、名士狩りをした結果滅びたのが公孫瓚
宿題に対する自分なりの回答はやはり”徐州虐殺する曹操に絶望した”、更に言えば”曹操は自分が追い求める理想の主君では無かった”って所だと推測してみたり。
陳宮の一生って”理想の主君を探す”→”仕える”→”期待を裏切られ絶望する”→”主君を裏切る”の負のループだったんだろうなぁと考察、いっそ独立するには荀攸の言う通り”決断力が足りなかった”んだろうし誰かに仕え続けるには”主君の負の面にめを瞑る”事が出来なかったんだろうなぁ・・・不器用な男だなぁ~
陳宮を出されるとやはり高順、そして敢えて張遼そして呂布を改めて紹介して欲しくなるなぁ~、或いは濃いキャラ達の箸休め的な意味で黒子役の忠臣である張紘や孫乾をリクエストしてみたり
なるほどなるほど!良いお考えですな!
仕える➡裏切る➡失望するってのは何かしっくりきましたw
そうですなぁ。紹介武将に関しては列伝や資料が短い人が多いので、まとめて紹介していきたいですな!
陳宮の解説ありがとうございます。
ここぞって時の決断力がなかったんですかねぇ…
百万人の山賊、百万人の残党、
川がせき止められるくらいの虐殺
この時代でもものすごい人口がいたのでしょうかね?
おもしろかったです。
陛下に拝謁いたします orz
みなさん言ってますが陳宮ってなんで曹操を見限ったんですかね
当時有力者だった袁紹とかに寝返ったとかならまだわかりますが呂布。。。
皇帝も擁しているし曹操の配下は名だたる人物が多かったし色々と気にいらないことはあったんでしょうが。。
自分が見つけた英雄でもって王佐の才と呼ばれたかったんでしょうか
陳宮と呂布
荀彧と曹操
この差は大きすぎますね
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黄巾の乱後に済南の相→東郡太守(表向きには辞退)となった曹操、反董卓連合時点での曹操の挙兵も首謀者である橋瑁(東郡太守)や孔伷と筆頭とする兗州人士のバックアップを受けたからこその陳留での挙兵→橋瑁、孔伷、劉岱、鮑信、衛茲の相次ぐ戦死で若造に過ぎない曹操が兗州を一手に握り、かつ辺譲の殺害でヘイトを集める→さらに劉岱、鮑信の仇であるガラの悪い青州兵を曹操が配下につけただって?!あいつ何考えてんの?!→荀彧や郭嘉等豫州人士を重用することで人事再編され、陳宮達の力はどんどん弱くなる→トドメの徐州大虐殺で兗州人士の曹操に対する評価はもはや地に落ちる→そして自分の立場が危ういと感じた張邈と陳宮が周りを扇動して謀反!!!
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三国志をふわっとしか知らないのでとても楽しく見ております。
陳宮の目的がエン州の保全だったと考えるのはどうでしょう、虐殺で人心を失った曹操と共にエン州がつぶれるのを防ぐために地元民で曹操を倒しておきたかった。
で、最も有望な呂布を選んだ。しかし結局負けて今度は他州で暴れる呂布がエン州のガンになりそうなので反乱を計画
最後は自分も呂布の一味として処分される事でエン州へのヘイトを防いだ。
局面は的確に読めるけど人の力が読めないって印象を受けました。
決断力は、自分で決して他の道を断つ覚悟が必要だと思うので、場面での最善手が見えてしまうタイプには難しいてか陳宮にはできなかったみたいな事かなぁと思いました。
曹操の元に戻るのを断る際に「呂布は貴様程簡単には人を殺さなかったぞ」と言ったみたいな話を聞いたけどやはり徐州の件は大きいな…
曹操「わしを人でなしにするな」
陳宮は蒼天航路での描写で印象が変わった
陳宮って曹操と同じくらいの年だと思ってけどわ結構年下だったんですね。
兗州の有力者と深いつながりがあったからこそ、曹操の後にすぐ呂布に寝返らす事ができたんでしょうね。
ところで、張邈最期どうなったんだろう?
陳宮が考えていたかどうかわかりませんが、下邳での戦いの際、いっそ呂布共々袁術の所に行っていたら面白かったかもしれませんね。
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今年は良い動画に巡り会えました。
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陳宮か…私の部下になれば…残念だ…
荀攸は言っていた。『私は陳宮には及ばないが、主君を見る目は、陳宮は、私に及ばない』と。
陳宮の紹介ありがとうございます
曹燥に対する陳宮の謀叛って謎ですよね。
個人的には野心もあったと思うんですが、徐州の件に対するこんなことすればいずれ身を滅ぼすという戒めのような気がします。(ただの願望ですが)
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なので、同姓同名武将特集をやって欲しいですね。
劉岱2人なんて字すら同じ公台だったために演技では同一人物としてまとめられるという有様
陳宮篇、ありがとうございます。
曹操の残虐性を恐れた?しかし、人材への執着が人一倍な人だし
仕えているかぎり自分に刃は向かないとは思わなかった?
呂布に固執していたのもよく分からんよね。
とっとと逃げ出して次を探せば良かったのに。
自分の才を試す。なら決まりきった道より、自らの才で切り開く…って感じかなぁ。
知能高いのに、君主を選ぶのに何かしら弱点難あり選んでいる。
曹操は初め難ありだったが、徐々に無くなって行った時につまらなく感じたのかもね。
徐州虐殺に関してですけど、一説では「儒教の倫理観では親の仇を討たなければ人であらず」だから、曹操は天下人としての名声と当時上流階層である士大夫としての名声を考えて、最終的に後者を選んだ、という説もありましたね。
まぁ結局大勢の人を殺したんですけど。
Robert Wang
さすがに殺し過ぎたと思います。
うぷ主様に拝謁致します
陳宮ですか、呂布につかなきゃ地方でそれなりにやれたのかな…?
それとも彼の野心がそれを許さないか?
どうでしょうなぁ…IFの世界は楽しいですな。
蓬莱プラシーボ
曹操陣営にて地方の長官か中央官吏の幹部辺りにはなってそうですね
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いずれにせよ・・陳宮の判断が今の中国を作った。といっても過言ではないと思う。
陳宮が覇権主義者であることを押さえれば理解は簡単。
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二つ目は咸陽を捨てて彭城を居城としたこと。咸陽は当時の商業の中心地で、天然の要害でも有り王城の地であったが、項羽は郷土愛を理由としてこれを捨てた。情に流され理に徹しない幼稚な甘さが身を滅ぼす要因であったわけです。范増は項羽を豎子と呼びついに職を辞しました。道理を軽んずる甘っちょろい愚かさは、人の上に立つ器ではないことを証明しました。
三つ目は殺しすぎたことです。恐怖で人民を征服できると考えたようですが、それでは秦の暴政と変わらないことを理解する頭がなく、范増のような知恵者の言葉にも耳を貸さなかった。勝敗が決しても降伏を受け入れず皆殺しにした。それによって戦う前に降伏するだろうと計算したわけだが、実際は精魂尽くして抵抗されるようになった。負ければ確実に殺されるとなれば死にものぐるいで抵抗します。まあそれでも勝つんだから大したものだが、そのせいで劉邦に関中入城で先を越されてしまった。その事が後々まで祟り、圧倒的優位も覆され、ついには負けてしまった。
この上で曹操がどう見えたか。まず配下への気配りが細やかで、人情家のように見えたんでしょうね。そこが劉邦を殺さなかった項羽の甘さとダブって見えたのではないかと。
陳宮は兗州を王城の地で、ここさえ押さえれば天下を取れるというのが基本戦略としてあったようです。陳宮の言うことを聞くなら、張邈でも呂布でも良かったのでしょう。呂布は負けが込んでくると陳宮を信用しなくなったようですが。張邈は平凡すぎますね。曹操は許昌や洛陽を本拠としていたので、咸陽を軽んじた項羽とダブって見えたかもしれない。
徐州の殺戮は客観的に言って私怨を晴らすもので、郷土愛を捨てられなかった項羽とダブって見えたかもしれない。
また無用の殺戮も項羽とダブって見えたかもしれない。これでスッキリ説明が付きます。
万岁万岁万万岁
貴方、イケメンですね。しかも男らしい。めちゃくちゃ頭良さそう。そして強そうだ。性格も良いですね。
陳宮は松永久秀をスケールダウンさせたような人物だなw
呂布に仕えた池沼!
やっぱり唐の李世民がいいかなー。
どいつもこいつもサルの072みたいに、やれ三国志だのキングダムだのだからな。
今回の霊夢の挨拶なんか笑った
うP主陛下に拝謁致します。曹操が董卓暗殺失敗後逃亡中に勘違いで一家を殺害した件は演義だけの話かな??
横から失礼します。
呂伯奢事件は「正史」には、三つほど説(勘違い、疑心暗鬼、襲われたので反撃した)が記載してありますが、陳宮と関連した記述は無いそうです。
某もそれを聞いた覚えがございます
豚を殺す方法を話していた使用人を盗み聞きで勘違いをし殺害してしまい慌てて逃げる際に家主に出会って挨拶をし、後から追って殺害したと聞き申した。