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きりゅう先生の話術が楽しくてなんでもかんでも頭にすんなり入ってきます
毎回思うのですが、ラットさんの質問にリアルタイムですぐ答えてるのは凄いですね。
と
楽しい解説ありがとうございます。毎回見てるうち歴史の知識が豊富になっていきます☺️静御前と後白河法王との繋がりが分かり、納得しました。
なるほど、静御前ってそんなにすごい白拍子だったあ!
石原さとみの静御前、鶴岡八幡宮での奉納舞は綺麗だたなぁ。
さとちゃん、都に来るで、、、どないすんねん、、、とお節介おばちゃんは義経をどつきたくなりました(笑)ああ、さとちゃん、、、
ほんと、どないする気ぃなんでしょ?
今日もありがとうございます。チョメチョメ懐かしいです^_^
かしまし先生が高校時代の日本史の先生だったら、絶対に日本史にのめりこんで文学部を志望していたな。
今回の大河のやんちゃ過ぎる義経は建礼門院徳子様にも一目惚れしちゃいそう💦
静御前って…ものすごい雨女やったんですね🤣
雨女www
4月30日放映の「ドラえもん」が「どらどら源平合戦」だったのですが、静ちゃん(とのび太)が雨ごいの変な踊りをしている間にドラえもんが「お天気ボックス」で雨を降らせたシーンがありました。それは義経記のこのエピソードがもとになっていたのですね。
そんなシーンがあったんですねwww
鶴岡八幡宮では、現地ロケして欲しいなぁ~😍
見たいです💖
静御前を頼朝の前で舞わせるエピソードですよね。しずやしず、しずのおだまき繰り返し昔を今になすよしもがな。
実は、初代の鶴岡八幡宮と現在の鶴岡八幡宮とは、本殿が違うのですよ。初代は、伝統的な八幡造(宇佐神宮や岩清水八幡宮と同じ)。ですが、いくたの戦乱で社殿はなんども焼け落ち、現存している鶴岡八幡宮は、江戸時代(徳川家斉の治世)に「権現造(日光東照宮と同じ様式)」で再建されています。だから時代考証的には再現されないでしょうね。
静御前は、今で云うタカラジェンヌ!
お疲れ様です。あの挑発するようなシーンは、今風の演出なんでしょうか。昔なら、目配せで義経を惹きつけるところじゃないかな、と。でも良かったです。義経は静御前に何を見たのかなぁ、と思っていたら、婆様の言葉を思い出しました。「お前はの、観音様の生き写しのオナゴしか好きにならんじゃろうて」
霊験あらたかな日本一の舞い手 静御前縁の地 お墓が広範囲に多数あるのはそう言うことでしたか。
アメノウズメノミコトも天岩戸の前で面白おかしく踊って天照大神のお出ましを誘いましたね。
芸能の神様💖
静御前を演じるのは、石橋凌と原田美枝子の娘さんで石橋静河(いしばししずか)です。名前が同じなのもキャスティングの狙いなのかな?しかし、頼朝と義経の確執後に、頼朝が静御前にすることは、また頼朝の悪行として話題になるだろうと思います。
そして政子の株があがるwww
@@kashimashi_rekishi_ch まあ、吾妻鑑は基本的に政子オフィシャルですけどね。
白拍子、歌って踊れる高級○○○ガール
舞がご褒美だったんですね。あー。舞ね。舞。静御前がご褒美だと思い込んでました。舞のステージがショボかったので余計にそう感じてしまいました。義経もそんな顔してたし・・・
義経がぽーっとなってた時なんで犬が吠えてたんでしょうね?
確かドラえもんのしずかちゃんはみなもとしずかだったような…昔関東軍の将校が蒙古人に「源義経」と紙に書いて見せたら「ジンギスカン」て言ったんでびっくりしたという話があるなあ実際には「源義経」の読みの蒙古発音が「ジン ギ カン」みたいに聞こえたって話だったらしい日本にも蒙古人の大学の先生がいたと思うけど本当にそんな風に発音するのか聞いてみたい
実際、生きて添えなかった二人を思って源静と名付けたそうですよ。
アイドルのタキシード、これは美空ひばりをおいて他はないかと.話題は一転、「武」の奉納、上総介がしたためた書状の「鎌倉殿のために流鏑馬(やぶさめ)を奉納…」を思い出しました.
流鏑馬は軍事訓練と神事を兼ねたもので、基本的な形を整えたのは頼朝だと言われています。
@@kashimashi_rekishi_ch さんへご返信ありがとうございます.そうなんですね🙂
@@kashimashi_rekishi_ch 今では、流鏑馬も芸能も、お祭りの一部として行われてますね✨日本のお祭りは、神事ですからね⛩️(決して、焼き鳥や焼きとうもろこしで一杯飲む為の行事ではありません😅)
静さんは後白河法皇と磯野禅尼さんとの嬢だから 上手だわな
天鈿女命が舞を踊って楽しく騒いで洞窟に御隠れになった天照大御神を外におびき出されたのが。。所謂芸能の始まりでしょうかえっ😲。。今日の静御前のプチ知識をなんかの折に 皆に教えてマウント取りたいと思います。。先生ありがとう🙇♀️🙏
アメノウズメが舞ったのはストリップだったという説も……www
大河では、ご褒美の舞で出逢ってますけれど、実際は何処で二人は出逢ってるのでしょうか?自分なりに、あちこち調べ倒しても(笑)、見付けられませんでした😅静は母親も白拍子とのことですけど、当時は親がそうだと、子も同じ道を進むものだったのかなぁ…🤔恐らくは母子揃って舞の名手なんでしょうね🤗当時の人が羨ましいです。可能ならば、私も静御前の舞、拝見したかったもの😁
『義経記』では、大阪の住吉大社で義経が見初めた、とありますね。
@@kashimashi_rekishi_ch お忙しい中、お教え下さり、有難うございます!😊
月刊マガジンで連載していた「遮那王義経」では、遮那王(牛若丸にそっくりな少年…影武者として連れてこられたが、後に義経となる)の幼なじみで、京で知り合った白拍子に弟子入り(養女になる)し、数年後京で再開…となっていました。
目と目で通じ合う〜
巫女舞いによく似ているなあと思ったんですが、ここから巫女舞いに発展していったんですかね。元祖巫女舞い?
芸能は元々、神々に奉納するものか・・・・三波春夫先生が「お客様は神様です」って言った理由の一つなのかな?とも想像できます。
神泉苑って今は凄くちんまりとしてますよね。昔は敷地が二条大路から三条大路まであって、広大な池が広がっていたようですけれど…一回行った事がありますが、赤い太鼓橋が可愛いお庭ですよね。コロナが流行してからは、疫病調伏、天下泰平を祈願して巫女舞が奉納されたとか…伝統が続いているようで嬉しくなりますね。
現代人が混じってたら何人舞っても雨は降らないでしょうね笑
気の強そうな静御前だな~と思いましたが、「あの義経」が惹かれるんだから そんじょそこらの「静御前」じゃあ 釣り合いませんよね😝
ロケが貧弱なのは、予算以外に「三密」回避の人数制限、東京近郊にロケに適した場所が無いという理由もあるのではないかい?
白拍子は芸能の人であるとともに遊女であったので、あながちご褒美は間違いないのではないでしょうかねー。しかし、ラットさんいいとこ突きますよね!
昔の大河で見た宮沢りえの白拍子は美しかったですねえ✨✨
@@ワーバリアン 太平記でしたよね高氏がハニートラップにかかるという(笑)
しずかちゃんの名前は静御前が元になっていると聞いたことがあるにですが本当なんですかねえ?
戦いのシーンは、本当に予算ケチっているように感じます。いよいよ壇ノ浦の戦いですが、これには予算をたっぷりつぎ込んで下さいね。ところで、屋島の戦いも気になります。果たして放映するのか、ナレーションだけで終わるのか。那須与一は、出てくるのでしょうか?
海の中にも都がございます。竜宮城には美しい乙姫様もおります、なんて言われたら、私がドボンしちゃうかも、(笑)
もし、こんな若い美女を、ご褒美じゃと賜ったら、どんなにうれしいことか。
聖なるものと、俗なるものが、混じりあった時代ですからね。鎌倉での、頼朝や後家人達の前での、義経を想う静御前の舞いは、女性の意地か…。
ちなみに、この人から名前を付けられたのはドラえもんの静香ちゃん。フルネームは源静香。実は源氏の一族だったりして(  ̄▽ ̄)←そこは適当。
藤子先生が義経を好きだった、ともいわれてますよね。
それは初耳です。ありがとうございます。
義経と生き別れになり、囚われて鎌倉に連行されて、鎌倉殿やコワモテな男どもを前に、いわばお尋ね者である義経を恋い慕う歌を歌い踊るとは、すごいメンタルの強さ!それだけ義経への愛が強かったのでしょう。美人で踊りも歌もうまくて、おまけに度胸があって男前なハンサムウーマン。現在で言うなら、私は天海祐希さん以外思い浮かびません。
上皇のお気に入りに手を付けちゃったのは問題無いのかな?それとも夜の相手をするのも褒美のうち?
でも静御前は置いてきぼりなんだよなぁ。
アイドルの男装…私の子供の頃学生服のCMを山口百恵ちゃん、桜田淳子ちゃん、がやってました。
ハート💖ズッキュンでしたか?ww
@@kashimashi_rekishi_ch そうですね。子供心にもトキメキました。
静御前ってのは、水神の巫女なんですかね?😅水神と言うと龍を思い出し、その龍の巫女と言うと、月刊マガジンで連載されてた「龍狼伝」で、未来からタイムスリップしてきた少年と少女が、龍の軍師と龍の巫女になる話を思い出しました❗️ただ…個人的主観ですが…やはり義経主役じゃないからでしょうか?静御前が、ちょっと馬鹿っぽくてあまり美人の女優さんが演じてなかったことが残念でした😅相変わらず長文で申し訳ないのですが、静御前と政子のエピソードを一つ…義経が(鎌倉より)追われる身となり、平泉に行った後、頼朝に捕らえられた静御前が、頼朝の前で舞を舞って見せたところ「これは九郎のことを歌った舞ではないか❗️」と激怒して静を処断しようとした頼朝を、政子が「かつて私も、貴方様の身を案じて祈っていた時期があります。静御前の気持ちが痛いほどわかります。」と言って頼朝をなだめ、静御前を逃がしてやった…と、昔読んだ政子の歴史漫画に描いてありました☺️✨どこかに、そういう記述があったのでしょうか?自分は好きなエピソードです❤️
こちらに。ua-cam.com/video/K0BpC8PDJlw/v-deo.html
北条義時の黒いヌエの一面ですね。若い頃は、泰時くん同様、ウグイス色の直垂であったが、やがて色が濃くなり、遂にはヌエのような、漆黒となってしまった。色の変化は、心の変化をあらわしているようだ。宇都宮頼綱は熊谷直実から、阿弥陀如来の本願を伝えられたといいます。頼綱は、わが子 頼重に親鸞聖人にしたがって、阿弥陀の本願を求めよと教えられたといいます。親鸞聖人が関東にやって来たときには、すでに熊谷直実は亡くなっていましたが、頼重は自分の領地 現在の笠間市に迎え、草庵を結ばれます。宇都宮親子は、信心深かったのですね。
2#########
吉野以前の静御前のことをよく知らなかったので神泉苑の雨乞いを聞いて、巴御前と二人合わせて神功皇后のように思えてわくわくしました。二人には幸せになってほしい。天皇家の方だというのに後白河法皇さまに絡むと幸せが遠ざかる気がするのは・・・
上段のニューハーフの人名前も知らん何も知らんのに何故出てる勉強しろよ
きりゅう先生の話術が楽しくてなんでもかんでも頭にすんなり入ってきます
毎回思うのですが、ラットさんの質問にリアルタイムですぐ答えてるのは凄いですね。
と
楽しい解説ありがとうございます。毎回見てるうち歴史の知識が豊富になっていきます☺️静御前と後白河法王との繋がりが分かり、納得しました。
なるほど、静御前ってそんなにすごい白拍子だったあ!
石原さとみの静御前、鶴岡八幡宮での奉納舞は綺麗だたなぁ。
さとちゃん、都に来るで、、、
どないすんねん、、、
とお節介おばちゃんは義経をどつきたくなりました(笑)
ああ、さとちゃん、、、
ほんと、どないする気ぃなんでしょ?
今日もありがとうございます。チョメチョメ懐かしいです^_^
かしまし先生が高校時代の日本史の先生だったら、絶対に日本史にのめりこんで文学部を志望していたな。
今回の大河のやんちゃ過ぎる義経は建礼門院徳子様にも一目惚れしちゃいそう💦
静御前って…ものすごい雨女やったんですね🤣
雨女www
4月30日放映の「ドラえもん」が「どらどら源平合戦」だったのですが、静ちゃん(とのび太)が雨ごいの変な踊りをしている間にドラえもんが「お天気ボックス」で雨を降らせたシーンがありました。それは義経記のこのエピソードがもとになっていたのですね。
そんなシーンがあったんですねwww
鶴岡八幡宮では、現地ロケして欲しいなぁ~😍
見たいです💖
静御前を頼朝の前で舞わせるエピソードですよね。
しずやしず、しずのおだまき繰り返し昔を今になすよしもがな。
実は、初代の鶴岡八幡宮と現在の鶴岡八幡宮とは、本殿が違うのですよ。
初代は、伝統的な八幡造(宇佐神宮や岩清水八幡宮と同じ)。ですが、いくたの戦乱で社殿はなんども焼け落ち、現存している鶴岡八幡宮は、江戸時代(徳川家斉の治世)に「権現造(日光東照宮と同じ様式)」で再建されています。だから時代考証的には再現されないでしょうね。
静御前は、今で云うタカラジェンヌ!
お疲れ様です。あの挑発するようなシーンは、今風の演出なんでしょうか。
昔なら、目配せで義経を惹きつけるところじゃないかな、と。でも良かったです。
義経は静御前に何を見たのかなぁ、と思っていたら、婆様の言葉を思い出しました。
「お前はの、観音様の生き写しのオナゴしか好きにならんじゃろうて」
霊験あらたかな日本一の舞い手 静御前縁の地 お墓が広範囲に多数あるのはそう言うことでしたか。
アメノウズメノミコトも天岩戸の前で面白おかしく踊って天照大神のお出ましを誘いましたね。
芸能の神様💖
静御前を演じるのは、石橋凌と原田美枝子の娘さんで石橋静河(いしばししずか)です。名前が同じなのもキャスティングの狙いなのかな?
しかし、頼朝と義経の確執後に、頼朝が静御前にすることは、また頼朝の悪行として話題になるだろうと思います。
そして政子の株があがるwww
@@kashimashi_rekishi_ch
まあ、吾妻鑑は基本的に政子オフィシャルですけどね。
白拍子、歌って踊れる高級○○○ガール
舞がご褒美だったんですね。
あー。舞ね。舞。
静御前がご褒美だと思い込んでました。舞のステージがショボかったので余計にそう感じてしまいました。
義経もそんな顔してたし・・・
義経がぽーっとなってた時なんで犬が吠えてたんでしょうね?
確かドラえもんのしずかちゃんはみなもとしずかだったような…
昔関東軍の将校が蒙古人に「源義経」と紙に書いて見せたら「ジンギスカン」て言ったんでびっくりしたという話があるなあ
実際には「源義経」の読みの蒙古発音が「ジン ギ カン」みたいに聞こえたって話だったらしい
日本にも蒙古人の大学の先生がいたと思うけど本当にそんな風に発音するのか聞いてみたい
実際、生きて添えなかった二人を思って源静と名付けたそうですよ。
アイドルのタキシード、これは美空ひばりをおいて他はないかと.
話題は一転、
「武」の奉納、上総介がしたためた書状の「鎌倉殿のために流鏑馬(やぶさめ)を奉納…」を思い出しました.
流鏑馬は軍事訓練と神事を兼ねたもので、基本的な形を整えたのは頼朝だと言われています。
@@kashimashi_rekishi_ch さんへ
ご返信ありがとうございます.
そうなんですね🙂
@@kashimashi_rekishi_ch
今では、流鏑馬も芸能も、お祭りの一部として行われてますね✨
日本のお祭りは、神事ですからね⛩️(決して、焼き鳥や焼きとうもろこしで一杯飲む為の行事ではありません😅)
静さんは後白河法皇と磯野禅尼さんとの嬢だから 上手だわな
天鈿女命が舞を踊って楽しく騒いで
洞窟に御隠れになった天照大御神を外におびき出されたのが。。所謂芸能の始まりでしょうかえっ😲
。。今日の静御前のプチ知識をなんかの折に 皆に教えてマウント取りたいと思います。。先生ありがとう🙇♀️🙏
アメノウズメが舞ったのはストリップだったという説も……www
大河では、ご褒美の舞で出逢ってますけれど、実際は何処で二人は出逢ってるのでしょうか?
自分なりに、あちこち調べ倒しても(笑)、見付けられませんでした😅
静は母親も白拍子とのことですけど、当時は親がそうだと、子も同じ道を進むものだったのかなぁ…🤔恐らくは母子揃って舞の名手なんでしょうね🤗当時の人が羨ましいです。可能ならば、私も静御前の舞、拝見したかったもの😁
『義経記』では、大阪の住吉大社で義経が見初めた、とありますね。
@@kashimashi_rekishi_ch
お忙しい中、お教え下さり、有難うございます!😊
月刊マガジンで連載していた「遮那王義経」では、遮那王(牛若丸にそっくりな少年…影武者として連れてこられたが、後に義経となる)の幼なじみで、京で知り合った白拍子に弟子入り(養女になる)し、数年後京で再開…となっていました。
目と目で通じ合う〜
巫女舞いによく似ているなあと思ったんですが、ここから巫女舞いに発展していったんですかね。元祖巫女舞い?
芸能は元々、神々に奉納するものか・・・・三波春夫先生が「お客様は神様です」って言った理由の一つなのかな?とも想像できます。
神泉苑って今は凄くちんまりとしてますよね。
昔は敷地が二条大路から三条大路まであって、広大な池が広がっていたようですけれど…
一回行った事がありますが、赤い太鼓橋が可愛いお庭ですよね。
コロナが流行してからは、疫病調伏、天下泰平を祈願して巫女舞が奉納されたとか…
伝統が続いているようで嬉しくなりますね。
現代人が混じってたら何人舞っても雨は降らないでしょうね笑
気の強そうな静御前だな~と思いましたが、「あの義経」が惹かれるんだから そんじょそこらの「静御前」じゃあ 釣り合いませんよね😝
ロケが貧弱なのは、予算以外に「三密」回避の人数制限、東京近郊にロケに適した場所が無いという理由もあるのではないかい?
白拍子は芸能の人であるとともに遊女であったので、あながちご褒美は間違いないのではないでしょうかねー。しかし、ラットさんいいとこ突きますよね!
昔の大河で見た宮沢りえの白拍子は美しかったですねえ✨✨
@@ワーバリアン 太平記でしたよね
高氏がハニートラップにかかるという(笑)
しずかちゃんの名前は静御前が元になっていると聞いたことがあるにですが本当なんですかねえ?
戦いのシーンは、本当に予算ケチっているように感じます。いよいよ壇ノ浦の戦いですが、これには予算をたっぷりつぎ込んで下さいね。
ところで、屋島の戦いも気になります。果たして放映するのか、ナレーションだけで終わるのか。那須与一は、出てくるのでしょうか?
海の中にも都がございます。竜宮城には美しい乙姫様もおります、なんて言われたら、私がドボンしちゃうかも、(笑)
もし、こんな若い美女を、ご褒美じゃと賜ったら、どんなにうれしいことか。
聖なるものと、俗なるものが、混じりあった時代ですからね。
鎌倉での、頼朝や後家人達の前での、義経を想う静御前の舞いは、女性の意地か…。
ちなみに、この人から名前を付けられたのはドラえもんの静香ちゃん。
フルネームは源静香。実は源氏の一族だったりして(  ̄▽ ̄)←そこは適当。
藤子先生が義経を好きだった、ともいわれてますよね。
それは初耳です。ありがとうございます。
義経と生き別れになり、囚われて鎌倉に連行されて、鎌倉殿やコワモテな男どもを前に、いわばお尋ね者である義経を恋い慕う歌を歌い踊るとは、すごいメンタルの強さ!それだけ義経への愛が強かったのでしょう。
美人で踊りも歌もうまくて、おまけに度胸があって男前なハンサムウーマン。現在で言うなら、私は天海祐希さん以外思い浮かびません。
上皇のお気に入りに手を付けちゃったのは問題無いのかな?
それとも夜の相手をするのも褒美のうち?
でも静御前は置いてきぼりなんだよなぁ。
アイドルの男装…私の子供の頃学生服のCMを山口百恵ちゃん、桜田淳子ちゃん、がやってました。
ハート💖ズッキュンでしたか?ww
@@kashimashi_rekishi_ch そうですね。子供心にもトキメキました。
静御前ってのは、水神の巫女なんですかね?😅
水神と言うと龍を思い出し、その龍の巫女と言うと、月刊マガジンで連載されてた「龍狼伝」で、未来からタイムスリップしてきた少年と少女が、龍の軍師と龍の巫女になる話を思い出しました❗️
ただ…個人的主観ですが…やはり義経主役じゃないからでしょうか?
静御前が、ちょっと馬鹿っぽくてあまり美人の女優さんが演じてなかったことが残念でした😅
相変わらず長文で申し訳ないのですが、静御前と政子のエピソードを一つ…
義経が(鎌倉より)追われる身となり、平泉に行った後、頼朝に捕らえられた静御前が、頼朝の前で舞を舞って見せたところ
「これは九郎のことを歌った舞ではないか❗️」
と激怒して静を処断しようとした頼朝を、政子が
「かつて私も、貴方様の身を案じて祈っていた時期があります。静御前の気持ちが痛いほどわかります。」
と言って頼朝をなだめ、静御前を逃がしてやった…と、昔読んだ政子の歴史漫画に描いてありました☺️✨
どこかに、そういう記述があったのでしょうか?自分は好きなエピソードです❤️
こちらに。ua-cam.com/video/K0BpC8PDJlw/v-deo.html
北条義時の黒いヌエの一面ですね。
若い頃は、泰時くん同様、ウグイス色の直垂であったが、やがて色が濃くなり、遂にはヌエのような、漆黒となってしまった。
色の変化は、心の変化をあらわしているようだ。
宇都宮頼綱は熊谷直実から、阿弥陀如来の本願を伝えられたといいます。
頼綱は、わが子 頼重に
親鸞聖人にしたがって、阿弥陀の本願を求めよ
と教えられたといいます。
親鸞聖人が関東にやって来たときには、すでに熊谷直実は亡くなっていましたが、頼重は自分の領地 現在の笠間市に迎え、草庵を結ばれます。
宇都宮親子は、信心深かったのですね。
2#########
吉野以前の静御前のことをよく知らなかったので神泉苑の雨乞いを聞いて、巴御前と二人合わせて神功皇后のように思えてわくわくしました。二人には幸せになってほしい。
天皇家の方だというのに後白河法皇さまに絡むと幸せが遠ざかる気がするのは・・・
上段のニューハーフの人名前も知らん何も知らんのに何故出てる勉強しろよ