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記録にも記憶にも残る、賛否はあれど人間としてハチャメチャだけど面白い人。
全てが豪快で、そして几帳面、これぞプロ❗
金田さんの凄まじい走り込みを中心とした練習量に裏打ちされた、下半身の踏み込みの深さと強さ。肩の可動域がとても広く腕の振りの速さ。だから400勝298敗、投球回数5600回以上、三振4490も達成した。負けも1点差2点差で負けた数は合わせて、100近くあるんじゃないかな?
選手を戦術にはめて、選手に勉強を求め、弱くても勝てる球団を作る野村克也と双極にいるのが金田。選手に自己投資の考え方を教え、選手に兎に角強くいるように求め、弱い奴は切り捨てていくのが金田正一。ただ、そのやり方はプロしては正解なので他の人は文句が言えない。実際、金田ロッテに所属してた一流選手の寿命は長かった訳でね。
ノーサインで捕る根来が居なければ金田もここまで勝ち星はなかった
「金田!チョーセンに還れや!」「じゃかあしい!黙っとれや!」は川崎球場では日常茶飯事。
子供時代、1970年代の後半位だったと思うが、平和台球場でロッテ監督時の金田へ、「コラぁ、金田ぁ!チョウセンジンは帰れぇ!!」という野次を聞いた事があります。さすがに監督だから無視していましたが、当時のクラウンライターライオンズの平和台球場は閑古鳥が鳴いていて一つ一つの野次が球場全体に響きわたっていました。
帰れって言われても本人は日本で生まれてんだけどなあ。
金やんの一期目の監督時代の朝鮮の人は張さんや力道山他日本に貢献してました^ ^その時金やんに言ってたヤジは今こそ外国人に言わなきゃいけない😃
酷い時代だ
たった1シーズン、ロッテで金田監督と野村克也捕手という監督と選手の関係になった時のエピソードがないのが残念。
24歳で200勝って・・。登板数が今とは違うといってもそれを維持できた体が凄い。投手としては化け物だね。これで人間性も大谷のようだったら、もっと人もついてきただろうに。
24歳で200勝なんて勝ったら誰だって天狗になるよ、第一国鉄なんて金田でもっていた球団だからね
良いものを食べよく寝て節制をして走り込みさえしていれば図抜けた成績を残せた天才が金田。だから監督をやると選手のコンディショニングや栄養や節制のアドバイスはできても投球術とか野球の戦術のようなものは教えられるものがなかった。
フィジカルコーチの方が向いてるかもね。
んなもん、ズバッと投げりゃ右か左かスピンして三振獲るよ?みたいな事言うから、たぶん的を得てる。力押しだけで充分やと作戦なんかいらんよね。ランボーの内容が叫びながら機関銃射つとバタバタ倒す!の二行で終わりそうなのに近いよな
金田も晩年は技巧派に転向したし、投球術もそれなりに磨いてたと思う。実際に第一次監督時代は村田を筆頭に投手育ててるし。第二次政権の頃は野球の進化に追いつけなかったって述懐してるけど
金田と王は日本の宝 完全同感 異議無し‼️
残念ながら、どっちも日本人ではない。
この時代から食に対する知識が凄い。特に驚いたのが、走る時は走るための食事をして走ったとの事。独学だったんだろうか?今より凄いんじゃないか?レジェンド中のレジェンドです。
Nandaで語ってましたね。
@@dumchin そうです。よくご存じで。リアルタイムではないですがUA-camで見て知りました。
投神カネヤンと、打神王さんの記録や功績は日本野球界の宝物!
二人共日本人ではないけどね!┐('~`;)┌
@@大嶋明弘-g8k キツイの〜、史上最恐のスラッガー喝もだの〜
@@大嶋明弘-g8k 大谷がアメリカの常識を変えたとの記事があった大谷アメリカ人じゃねーしとか言っちゃうやつアメリカにもいるだろうなちっちゃいちっちゃい
金田正一の後年の自叙伝「やったるで!」によれば、彼の奥さんに栄養学を学ばせ徹底的に野球をする身体作りを考えていたようです。その頃は身体作りとなれば肉を食べるのが相場だったのを、彼は野菜など全般的にバランスのとれた食生活をしていたようです。彼の考案した「金田スープ」は後輩の選手にもふるまったみたいです。また、彼は足の指を甲の方に向かって曲げた形で直立できる程の身体が柔らかかった。さらにそれを維持することができるように独特のストレッチ体操のようなものをおこなっていたとも書かれています。
ワタシもリアルタイムで見た世代ではありませんが、4回位で勝ちそうな投手を降ろして、中継ぎ抑えと正に八面六臂の大活躍だったそうです。監督を差し置いて「天皇」と呼ばれていたそうです。
俺もリアルタイムを見た世代じゃないけど話を聞けば聞くほど今のプロ野球の投手が金田ほど努力をしてきつい練習して体を作り上げてる投手がどれだけいるかか疑問に思う
金田さん化け物すぎる
退場の数なら他の監督の追随を許さない記録です。また、近鉄のトレーバーに蹴りを入れたり、自チームのディアズに乱闘をけしかけたりと破天荒の監督だったでしょう。
嘘を言うのはやめようそしてちゃんと調べよ。監督では、1位ブラウン、藤本さんの11回だよ金田さん次の7回だぜ。在任期間考えたら圧倒的にベースを投げるでのおなじみのブラウンの方が圧倒的に多いぞ。追随を許さないどころか上がいるんだよ。
@@unagiiinu0910 あれじゃないすか?単純な退場回数じゃなくて、退場数÷監督試合数の数値が飛びぬけてたんじゃないすか?まぁ、全く調べてないんですけど。
ボールのスピード自体は150は出てると思います。ムッシュが打てたのは身長が低いこともあります
S40年代は、私もまだジャイアンツファンでTV見てました。この方が選手やってた所は選手でしたね。その後、解説者としてデビュー。暫くして同じ球団の誰でしたかね?その方が解説者として同席してた話で、アナウンサーがあまりにも金田さんの400勝の話を何回もするもんだから「カネさんはねえ ズルイよ 若い奴を先発にして勝てそうになったらノコノコ出て行って監督にピッチャー俺俺俺!って代わってw 半分位はそれで勝ったでしょ」って言ってた。金田さんも「へっへへへ」って認めたた。まあ、当時は金田すごい!が蔓延してましたから目の覚める話で、「なんだズルかよ」って思いましたけどね。半分は言い過ぎかも知れませんけどね。
スワローズのロゴは今でも受け継いでいるんだね。それが金田さんのユニフォームにあると時代感覚が少しおかしくなる。
一時期ロゴ変わってたけど、戻した。
金田以上のピッチャーは現れないでしょう。というか、起用法が全く違いますので、400勝する投手はもう現れないでしょうね。3連投なんて普通の世界でしたからね。豪放磊落を地で行く人だったんでしょうね。当時は、k国の反日も大したことなく仲良くやっていたんですがね。私は、当時、王、金田、張本、を日本人選手と変わらず応援してました。特に王選手のファンでした。長嶋より王の世代かな?
わかりませんよ。健康寿命がどんどん延びてますからね。そのうち、60歳まで現役で投げるのが普通の時代が来るかもしれません。そうなれば400勝は通過点になってしまうかも。
@@sukesugi-kaisan それでも300勝できればいいほうじゃないてすか
素晴らしい成績を残した金田正一からサヨナラホームランを放ったり対戦成績が3割等、得意にしていた吉田義男は凄いと改めて思いました。野村克也は監督としての金田正一の姿を生で見たのが教訓になったのか野村監督時代のチームに視察に来た金田正一が「もっと走り込まないと」と言われても「野球は頭のスポーツ。自らの成功事例を選手達に押し付けるのは低迷の元」と全く相手にしなかったそうです。
20勝できたのは松坂、上原、田中とかの超一流選手のみ。それも一年だけとか。それを20年って化けもんすぎるだろ
松坂はしてないよ
@@レインメーカー-r2i 記憶違い!井川だったかな・・?
金やんの輝きはロッテ監督で相手チームに蹴りを入れていた事しか知らん俺でも、ビシビシと伝わるレジェンドオーラやね。若い頃の身体観るだけで、野球しか能の無い人間じゃない事は誰でもわかると思う。超アスリートやでな
勝たなくていい二軍監督とか、選手寮の寮長、生活指導員とかに適性があったんだろうが、それじゃ現役時代の実績に見合わないからね。もっと活かす方法はあったと思うが。
24歳から社会人出でデビューするピッチャーもいるのに、24歳の時点でもう200勝とは。佐々木朗希は20歳だが今季まだ6勝。国鉄でなければサイヤングの511勝したのか?或いは国鉄だから奔放に投げ400勝なのか。
国鉄だからで巨人で育ったら無理と具体的に指摘した説得力ある論理展開した方が居たな
レベルの高いピッチャーほどノーサインで投げられると、キャッチャーでも取るのが大変。古田氏も若手の頃、先輩投手が言う事を聞いてくれず、若手の自分にノーサインで投げてくるピッチャーがいたが、大した球を投げてくるピッチャーでないので問題なかったと言っている。凄いストレートとカーブを投げていたなら、ノーサインだと球種が少ないので今より楽だと言っても大変なハズ。野村氏が言ってるように「当時の選手としては飛び抜けて背が高いく、オーバーハンド」コレが金田の強みだと思う。当寺は180センチ以下の選手が多く、金田投手 (184センチ、185とも記載している所があるが184の方が正しい数字) で投げ下ろされる球は特別だった。実際には150キロ出ていなかったと言っている人もいる。ただ、アノ身長からオーバーハンドで投げ下ろされる球は当時のバッターの身長と選手レベルでは特別で、打つのが大変だったのだと思う。今の身長が高い投手に比べると背は低いが、金田投手の400勝と投球回数はバケモノ。ピッチャーでアレだけの投球回数投げれることが凄い。普通は、その投球回数投げる前に怪我して投げれなくなる。ピッチャーとバッターなので比べることは出来ないかもしれないが、ソレを考えると王氏よりも凄い事をやってると言ってもいい。
今の時代になっても初速のみのの球速評価するのはどうだかと。スピン量や初速ー終速迄の減速率で評価するべきじゃないのかな。 結局のところ速度が落ちることなくミットに届くいわゆるノビとかキレというものじゃないかな。 今これだけ、数値が出せる時代なのに、初速での球速のみで評価するのは時代遅れじゃないかなと。
性格悪いとは思わないな。お山の大将で自信家なだけ。イチローみたいに裏表ある性格の悪さじゃないし
小学生のころ、この人は400キロの球を投げられるのと勘違いしていた。
金田監督の退任までの流れは、野村氏のコメントやWikiでハショっていますが実際の当時の話とは少し違うように思います。指導に関してはプロとしてやってるい選手達を尊重し、自分と同じく無理矢理指示せず活かす方向で、てコーチ達にも無理矢理指示ばかりするなと言っていたと聞きます。日本人は何でも教えて貰いたい方向ですが、知りたいなら自分で盗む考えである金田はある意味で欧米的なだとも言えます。確かに日本人の指導されたがり支配されたがりの性質から言えば、管理野球の野村氏の方が指導力があることになりますよね。どうも金田は勘違いされているUA-cam動画が多いので本当に気の毒です。確かに練習は厳しくよく走らされるので選手との関係は良くなくなるのは自然ですが、本人はそれで結構だったと言います。自発性重視なんでしょうか
時代だね。選手は結果が全て。監督も結果かもしれないが、人心掌握してこそ上に立つものよ。今は少ないみたいだけど…
金田正一が獅子奮迅の働きをした最高の投手だったのは国鉄スワローズ時代だけで巨人に移籍してからは勝ちのつきそうな場面のリリーフとか消化試合とか楽なところでしか投げていないと権藤さんも言っていた。
西鉄ライオンズの主砲・豊田泰光さん。西鉄時代は鉄腕稲尾と共に活躍しトレードで国鉄スワローズに移籍し金田正一さんとも一緒にプレイした。二人の大投手を間近に見てこう述べた「国鉄に来て稲尾の凄さが改めて判ったよ。稲尾はどんな厳しい状況、誰もが投げたくないと思う場面でも一つの愚痴もこぼさず投げに行った。それに比べて金やんはチームの事を何も考えて投げていない。本当のエースが誰か良く判った」と。
高身長かつフォーム見る限り柔軟な関節を持ってるから球速は出るだろうけどせいぜい当時の平均に+10キロくらいだろう日米野球に全敗する当時のレベルならこれでも無双できる
金田「走らなきゃいかん」→野村「走れしか言わない、それでも監督か」→落合「ノムさんが考える事を教えて選手が練習しなくなった」・・・俺様だったからこそ「地球の中心」に居続けたくて頑張れたってのもあるかもね。良いか悪いかは知らんけど。
たしか50歳の時のOB戦で120kmだしてましたね
400勝目の試合は、次の記事がありますよ。でも、金田さんの業績はほんとに尊敬しています。1969年10月10日の中日戦、城之内投手が先発して4回までで3対1とリードしていたところで、金田が送り出された。優勝したあとなので、こういう登用も可能である。おそらく残り7試合、金田の先発試合も予定されていただろうが、それ以外に「誰が先発しても4回までにリードしていたら金田をマウンドに送る」ということも考えられていたのではないか。残り試合があまりにも少ない。こういう可能性にも賭けるしかない。10月10日、城之内のあと、5回からマウンドに立った金田は期待によく応え、ヒットは1本打たれただけ(ただしホームランだったので1失点)、四死球も出さず残りの15人の打者はきちんと抑え、しっかりと勝ち投手となったのである。今シーズン5勝目、そして前人未踏の400勝を達成した。
引退は1969年。本人は翌年もやるつもりやったけど石原慎太郎氏に晩節汚さんようにと諭され引退決意。
川上も「早く400勝させて引退させよう!」と企んでいた!(^-^)/
カネヤン 代打本塁打2本とは恐れ入ります。
金田さんは監督時代に世界最強だった「ビッグレッドマシン」と呼ばれたシンシナティ・レッズが一時期使った強力打線「ダブルクリーンアップ」(打順の中に2つクリーンアップを作る)でレッズが二冠王を獲得したジョニー・ベンチを8番に置いたように野村さんと入団したレオン・リーを下位に置いた強力打線で日本一を目指したらしいが、結局失敗したのは残念。
不思議なことに監督時代西本幸雄さんとはこれといってエピソードが見当たらないんですよね。気性の激しい人同士何かありそうですが。むしろ西本さんと野村さんがライバル関係でありながらお互い認め合っている素晴らしい関係だったりします。
監督としては失格と言っても村山や稲尾よりはマシじゃない❓鈴木啓示は論外だけど。鈴木康二郎がバファローズに移籍した時、「鈴木啓」と名前が表示されることに文句を言った事から、我儘ぶりも鈴木啓示の方が酷いと思うよ。
トップクラスでわなくトップだろうが。
2:02 このピッチャー誰?
超胴長短足。リーチも長い。現在ならは195センチかそれ以上のガタイの長身。桁外れに弓なりで投げるアーム投げだが体は壊れない。多分本気モードならば160キロ超えは間違いない。御本人が170や180キロで投げれたなどと訳の分からないことを言うもんだから信用されていないが、160キロ超えは間違いないだろう。そしてキレは、あれだけ弓なりになるのだから、物凄いと思われる。現役投手で例えるのであれば、大谷くんと同等の速さでありながら、キレは藤浪くんや佐々木くんよりも間違いなく上だと思われる。本気で投げられたら打てる訳がない。人は大げさに言ってしまうのではあるが、多分、金やんの体格とフォームならば、それは可能だと思われます。そしてカーブのキレも良く、アーム投げの割にはコントロールもまあまあ良いかと思います。そうでなければ打者のレベルがいくら低かろうも400勝なんて無理です。偉人でありバケモノ投手ですよ金やんは。批判されやすい言動ではあっても日本の最強投手は金やんでしょう。ちなみに美化するつもりは一切ありません。凄いものは凄いと判断しました。
やはりレジェンドまで到達する選手は練習量、努力の質が違う。当たり前なんだが、長嶋、王、落合、イチロー、大谷さん、ダルさんと例外がない。
カネやんがいまの野球で30勝はもちろん20何勝も難しいだろう。でも佐々木朗希や山本が1950年代に投げても300イニング投げられるとは思わない。1年で潰れると思う。だいたい今の投手はカネやんの練習について行けるだろうか?やはり潰れると思う。
カネヤンは凄い弱いチームにいてよく勝てたな!投手は下半身から!という考えから現役から、徹底的に走りこんだみたいね! 食事にも気を使ってたらしいね!
金田さんは初めから巨人にいたら500勝以上勝利したでしょう。
アクの強い性格だから絶対他の主力選手や監督と対立するよ。
国鉄スワローズには、カネヤン以外に良い投手がいなかったので、カネヤンの登板が凄く多かったし、カネヤンのワガママが通った。巨人には良い投手が多かったし、監督の権限が強かったので、最初から巨人だったら通算350勝だっただろうな。しかし、超一流投手だったのは間違いなし。
@@2891145 さん。カネヤンが国鉄時代、監督に面と向かって「おじいちゃん」と呼んだり、カネヤンがバッティング練習中…監督が「投手は、バッティング練習しなくていいんだ」 カネヤン激昂→監督に掴みかかる❗
@@2891145 川上監督は軍隊上がりだし、アクの強い堀内や青田昇も巨人でやっていたから結構上手く馴染んで行けたと思う
カネヤンの練習量は半端ないって言われていたけど、そんなカネヤンも「力道山が猪木の馬場に課せている練習」をやってみたら「もうあかん!!」と音を上げたと言うのだから(笑)カネヤン以上に猪木が凄いッ(笑)!?
金田は~世界一の投手です🎉なぜなら~19年しかやっていませんー🎉
金田の悪い所は監督になったこと!!なるべきではなかった!!!しかし、あの弱小チーム国鉄スワローズで13年投げた!!それを評価すべきだ。優勝したくて巨人に行ったが、それが間違いだった!!当時も今も巨人は他チームから選手を集め使い捨てする。原監督??今更だが、原は「他人の飯」を食うべきだった!!
俺は、金田は監督をやって正解、、あのジプシチームのロッテに以下にお客さんの目を集めるか、太平洋クラブライオンズとの乱闘騒ぎを起こした試合はあれは金田がわざと世間の注目を集めるために一面に乗るように仕掛けたと言うしね
二度目の監督のときは、野球が進化しすぎて浦島太郎状態だったとか何とか。外部で勉強みたいのはしてなかったらしい
川上さんも金やん引退後よくコーチにしなかったね ピッチングコーチなんかになってたらV9や堀内の200勝もなかったかも😂巨人も金やんや張さんを呼ばないってやっぱ人の器量をしっかり見てるね
イチローも同じだと思うよ。
川上は金ヤンを「助っ人」位にしか思っていなかったから!(^_^;)
本人曰く180キロは出ていたらしいけど(笑)当時の国鉄で勝ち星上をげるだけに凄い!バッターは弱小球団でも一人で成績を残せるけどピッチャーは別だからね。もし他の球団でやっていたらと思うと...それに練習以上に身体のケアーを怠らない人だったらしい。
クルーンが160キロを投げるまでは、158キロと言ってた。
選手としてはストイックにしてワンマンな性格は功を成したが、指導者としては仇になった。
メジャーリーグに行ったらどうだったのだろうか?
間違いなく通用してましたね当時大リーグの本気で金田を連れ帰ろうとしたくらいですから
@@享矢野 元ドジャースのラソーダ監督、野茂さんの最初のチームの監督は、当時コーチで現役時代の金田と王と長嶋を見てメジャーでも彼らは充分通用したと言ってたようです
ミッキーマントル相手に3連続三振奪ったからなぁ。初見としても、活躍したやろうなぁ
日米野球通算25試合ぐらい投げて1勝しかしておらず防御率は7点台。流石に厳しかったと思う。
金田正一と江川卓は似ている
確か、金田さんのロッテ監督就任は、パリーグが2リーグ制になった草創期。そのパリーグが新しくなろうとしているタイミングで、青年監督として取り上げられていたのが、南海の野村さん、太平洋(西鉄)の稲尾さん、そしてロッテの金田さんだったと記憶しています。その中で最初に勝ったのは、南海の野村さん。怪我で長嶋さんを欠く巨人に、けっこういい試合をしていたと思いますが、及びませんでしたよね。結果、野村さんは巨人のV9という偉業の影に隠れざるをえなかった。その一方で、地味な印象のパリーグの中にあって、初年度から注目を集めた金田さん。三塁コーチャーボックスに立って、派手なパフォーマンスをしてみせる金田さんのおかげで、ロッテは人気球団になっていったという気がしています。そして、巨人のV10が潰え、長嶋さんが引退した年に、巨人ファン的には憎き中日を倒したのが金田ロッテ。当時、人気のセ、実力のパという言葉がありましたが、セを金田さん、パを野村さんに置き換えても、うまく当てはまりそうに思います。その後、結果を残したのが、実力の野村さんであったことは、誰しもが認めるでしょう。でも、人気の金田さんにも、監督としての結果以外のところで、一定の意味があったような気もするのです。あの落合さんが、2年連続で三冠王をとった時のロッテの監督は、かつてもう一人の青年監督だった稲尾さんでした。落合さんの三冠王(というか首位打者)がかかった最終戦で、もういいだろうとベンチに下げた稲尾采配は、人気の金田と実力の野村の間をとって、新たなスーパースターの誕生を確定させたもののように感じます。もちろん、当人たちが、それらをどう意識していたかは、ど素人の私にわかることではないのですけれど。
史上唯一の400勝投手で名球会を立ち上げ監督としてもロッテを日本一に導く。数々の輝かしい功績がありながら国民栄誉賞にかすりもしない理由は言うまでもないだろう。成績がすごいだけじゃダメなんだよ👅という典型的な見本。
キャッチャーだった根来さんとか大袈裟じゃなく命がけで組んでたと思うけど、金田さんの口から感謝の言葉を聞いたことがないほか、チームメイトへの感謝がない時点で人として欠落してる
国鉄なんて金田の力で勝っていたようなもんだから言えるわけがない
この人、名古屋なのに、ドラゴンズには、来なかったな!
名古屋なのに関西弁だったし。
朝鮮半島関西地区やないの?
中日は地元出身金田さんを取りたくて1964年の金田さんとの直接交渉の時、当時の金で現金1億円を生で見せ交渉したほど獲得に熱意を見せました。さすがの金田さんも現金1億円には、思わずつばを飲み込んだそうです。
一番
金田さんは何故巨人の監督になれなかったの?現役とは関係ないロッテの監督じゃない?
自分の家が、名球会の本部!
アンチ巨人
わしゃ、知らん!
金田のスピードは、65年まえの日本では、150キロのスピードを打てる人はいなかったのでそういうことを言ってるだけ。当時私は子供のころ見ましたよ。
人間の能力の限界値はそんなに変わらないから、今の金田正一184センチより体格の劣る山本由伸178センチや平良海馬173センチが160キロ前後の速球を投げるなら、練習量も圧倒的彼らより多い金田正一も同じくらいの速球は投げれたでしょう
@@osamurasakiiroさんでもそこまでずば抜けて速ければ日米野球でも活躍できていると思いますが実際は25試合ぐらい投げて1勝しかしておらず防御率は7点台。同じ時代のアメリカからするとそこまでではなかったと思う。
昔の投手の球速を盛りたがる症候群は一体何なのだろう
申し訳ないが160kmは、言い過ぎ。1950~1960年代の日本のプロ野球の投手の平均球速は、せいぜい120~130kmでしょ。その中で金田のストレートは良く見積もっても、スピンの効いた140km中盤ってところだろ~。
金田の球があまりに速くてホームからマウンドの距離を測り直せというクレームが出るという話が残ってる。
データを取ってみたら159.2だってさ
その時代の平均球速の20㌔オーバーって凄いけどね。1950〜60年代の平均がせいぜい120〜130㌔って根拠あるの?1990年代には平均140㌔くらいはあったと思うけど2020年代には平均150㌔、2030年代にはどの投手も平均160㌔.最速は180㌔くらいにはなりますかね?
俺は生まれつき超弱肩なのに野球チームに入ってしまったことがあるけど、金田のように生まれつきの超強肩で才能もあるのなら、走り込みなどの基礎トレーニングを徹底してやるだけで一流選手になれるのは当たり前。俺のような大多数の才能のない選手は当然基礎トレ以外の練習もしないと。
まぁまぁ日本のプロ野球に貢献してくれた外国人有難うね
スタルヒンとどっちが凄いかな
金田は凄かった。 在日の環境で育ったのがバネとなって、何が何でも頑張らざる負えなかったとも言えますが、それにしてもどうしようもなく強かった。 当時のピッチャーはすべて先発完投型ですよ。それであのきろく、しかも常に一番下の球団で。 あ考えられますか? もし初めから強い球団で投げていたら、何勝したか分かりません。 本当にとんでもないピッチャーなのです。 昔のプロ野球のレベルですから、今とは違いますが、そんな事値引いても、おそらく今でも断トツのピッチャーだろうと思います。 私の認識では歴代ピッチャの中で1番が金田、2番が稲生、3番が江夏、ではないかと思っています。 その中でも、飛び抜けているでしょぷ。 監督の金田は評価に値しません。 こんなこと止めておけばよかったのにと思います。芽生投手の名が汚れました。 字日朝鮮人としての負い目から竿以後は巨人に移って最後を迎えましたが、スワローズで、木興靴を見せてほしかった。 矢張弱いところを持っていたのだなと思います。 少し、この人の悲哀を感じさせますね。 何が何とあれ、ピッチャー金田は絶対的なレジェンドです。 国籍、人種、すべてを超越して、すごいピッチャーなのです。 MLBで投げていても、間違いなく殿堂入りしていたでしょう。
稲生じゃなくて稲尾、
@@権田正浩-u8m 何で無理言えるわけ、大リーグで通用した可能性は否定はできない
金田が凄いのか?打者がポンコツなのか?これは、批判できないわな!
打者がポンコツなら、金田だけではなく全てのピッチャーが金田のように凄かったのか?お前がポンコツなのだ。金田が巨人に来る前、王も長島もキリキリ舞してた。実際、観てないとわからんよ。
@@龍龍-s3m ポンコツなのか?それお批判する奴も、ポンコツや!金田の現役は、見てないから、時代が違うので、そう意見しただけだ!けちつける奴もポンコツやないか!
何故か荒れてて草2名ともどうした?暑いからか?wビール飲もうぜぇ
@@tommy3431 酒は、飲まねーんだよ。薬飲んでるから、酒は、辞めたんだよ!
おー ウルソか大変やろうけど頑張りや~
記録にも記憶にも残る、賛否はあれど人間としてハチャメチャだけど面白い人。
全てが豪快で、そして几帳面、これぞプロ❗
金田さんの凄まじい走り込みを中心とした練習量に裏打ちされた、下半身の踏み込みの深さと強さ。肩の可動域がとても広く腕の振りの速さ。だから400勝298敗、投球回数5600回以上、三振4490も達成した。負けも1点差2点差で負けた数は合わせて、100近くあるんじゃないかな?
選手を戦術にはめて、選手に勉強を求め、弱くても勝てる球団を作る野村克也と双極にいるのが金田。選手に自己投資の考え方を教え、選手に兎に角強くいるように求め、弱い奴は切り捨てていくのが金田正一。ただ、そのやり方はプロしては正解なので他の人は文句が言えない。実際、金田ロッテに所属してた一流選手の寿命は長かった訳でね。
ノーサインで捕る根来が居なければ
金田もここまで勝ち星はなかった
「金田!チョーセンに還れや!」「じゃかあしい!黙っとれや!」は川崎球場では日常茶飯事。
子供時代、1970年代の後半位だったと思うが、平和台球場でロッテ監督時の金田へ、「コラぁ、金田ぁ!チョウセンジンは帰れぇ!!」という野次を聞いた事があります。
さすがに監督だから無視していましたが、当時のクラウンライターライオンズの平和台球場は閑古鳥が鳴いていて一つ一つの野次が球場全体に響きわたっていました。
帰れって言われても本人は日本で生まれてんだけどなあ。
金やんの一期目の監督時代の朝鮮の人は張さんや力道山他日本に貢献してました^ ^その時金やんに言ってたヤジは今こそ外国人に言わなきゃいけない😃
酷い時代だ
たった1シーズン、ロッテで金田監督と野村克也捕手という監督と選手の関係になった時のエピソードがないのが残念。
24歳で200勝って・・。登板数が今とは違うといってもそれを維持できた体が凄い。
投手としては化け物だね。
これで人間性も大谷のようだったら、もっと人もついてきただろうに。
24歳で200勝なんて勝ったら誰だって天狗になるよ、第一国鉄なんて金田でもっていた球団だからね
良いものを食べよく寝て節制をして走り込みさえしていれば図抜けた成績を残せた天才が金田。だから監督をやると選手のコンディショニングや栄養や節制のアドバイスはできても投球術とか野球の戦術のようなものは教えられるものがなかった。
フィジカルコーチの方が向いてるかもね。
んなもん、ズバッと投げりゃ右か左かスピンして三振獲るよ?
みたいな事言うから、たぶん的を得てる。力押しだけで充分やと作戦なんかいらんよね。
ランボーの内容が叫びながら機関銃射つとバタバタ倒す!の二行で終わりそうなのに近いよな
金田も晩年は技巧派に転向したし、投球術もそれなりに磨いてたと思う。実際に第一次監督時代は村田を筆頭に投手育ててるし。第二次政権の頃は野球の進化に追いつけなかったって述懐してるけど
金田と王は日本の宝 完全同感 異議無し‼️
残念ながら、どっちも日本人ではない。
この時代から食に対する知識が凄い。特に驚いたのが、走る時は走るための食事をして走ったとの事。独学だったんだろうか?今より凄いんじゃないか?レジェンド中のレジェンドです。
Nandaで語ってましたね。
@@dumchin そうです。よくご存じで。リアルタイムではないですがUA-camで見て知りました。
投神カネヤンと、打神王さんの記録や功績は日本野球界の宝物!
二人共日本人ではないけどね!┐('~`;)┌
@@大嶋明弘-g8k キツイの〜、史上最恐のスラッガー喝もだの〜
@@大嶋明弘-g8k
大谷がアメリカの常識を変えたとの記事があった
大谷アメリカ人じゃねーし
とか言っちゃうやつアメリカにもいるだろうな
ちっちゃいちっちゃい
金田正一の後年の自叙伝「やったるで!」によれば、彼の奥さんに栄養学を学ばせ徹底的に野球をする身体作りを考えていたようです。その頃は身体作りとなれば肉を食べるのが相場だったのを、彼は野菜など全般的にバランスのとれた食生活をしていたようです。彼の考案した「金田スープ」は後輩の選手にもふるまったみたいです。
また、彼は足の指を甲の方に向かって曲げた形で直立できる程の身体が柔らかかった。さらにそれを維持することができるように独特のストレッチ体操のようなものをおこなっていたとも書かれています。
ワタシもリアルタイムで見た世代ではありませんが、4回位で勝ちそうな投手を降ろして、中継ぎ抑えと正に八面六臂の大活躍だったそうです。監督を差し置いて「天皇」と呼ばれていたそうです。
俺もリアルタイムを見た世代じゃないけど話を聞けば聞くほど今のプロ野球の投手が金田ほど努力をしてきつい練習して体を作り上げてる投手がどれだけいるかか疑問に思う
金田さん化け物すぎる
退場の数なら他の監督の追随を許さない記録です。
また、近鉄のトレーバーに蹴りを入れたり、自チームのディアズに乱闘をけしかけたりと破天荒の監督だったでしょう。
嘘を言うのはやめようそしてちゃんと調べよ。
監督では、1位ブラウン、藤本さんの11回だよ金田さん次の7回だぜ。
在任期間考えたら圧倒的にベースを投げるでのおなじみのブラウンの方が圧倒的に多いぞ。
追随を許さないどころか上がいるんだよ。
@@unagiiinu0910 あれじゃないすか?単純な退場回数じゃなくて、退場数÷監督試合数の数値が飛びぬけてたんじゃないすか?
まぁ、全く調べてないんですけど。
ボールのスピード自体は150は出てると思います。ムッシュが打てたのは身長が低いこともあります
S40年代は、私もまだジャイアンツファンでTV見てました。この方が選手やってた所は選手でしたね。その後、解説者としてデビュー。暫くして同じ球団の誰でしたかね?その方が解説者として同席してた話で、アナウンサーがあまりにも金田さんの400勝の話を何回もするもんだから「カネさんはねえ ズルイよ 若い奴を先発にして勝てそうになったらノコノコ出て行って監督にピッチャー俺俺俺!って代わってw 半分位はそれで勝ったでしょ」って言ってた。金田さんも「へっへへへ」って認めたた。まあ、当時は金田すごい!が蔓延してましたから目の覚める話で、「なんだズルかよ」って思いましたけどね。半分は言い過ぎかも知れませんけどね。
スワローズのロゴは今でも受け継いでいるんだね。それが金田さんのユニフォームにあると時代感覚が少しおかしくなる。
一時期ロゴ変わってたけど、戻した。
金田以上のピッチャーは現れないでしょう。
というか、起用法が全く違いますので、400勝する投手はもう現れないでしょうね。3連投なんて普通の世界でしたからね。
豪放磊落を地で行く人だったんでしょうね。当時は、k国の反日も大したことなく仲良くやっていたんですがね。
私は、当時、王、金田、張本、を日本人選手と変わらず応援してました。
特に王選手のファンでした。長嶋より王の世代かな?
わかりませんよ。健康寿命がどんどん延びてますからね。そのうち、60歳まで現役で投げるのが普通の時代が来るかもしれません。
そうなれば400勝は通過点になってしまうかも。
@@sukesugi-kaisan それでも300勝できればいいほうじゃないてすか
素晴らしい成績を残した金田正一からサヨナラホームランを放ったり対戦成績が3割等、得意にしていた吉田義男は凄いと改めて思いました。
野村克也は監督としての金田正一の姿を生で見たのが教訓になったのか野村監督時代のチームに視察に来た金田正一が「もっと走り込まないと」と言われても「野球は頭のスポーツ。自らの成功事例を選手達に押し付けるのは低迷の元」と全く相手にしなかったそうです。
20勝できたのは松坂、上原、田中とかの超一流選手のみ。それも一年だけとか。それを20年って化けもんすぎるだろ
松坂はしてないよ
@@レインメーカー-r2i 記憶違い!井川だったかな・・?
金やんの輝きはロッテ監督で相手チームに蹴りを入れていた事しか知らん俺でも、ビシビシと伝わるレジェンドオーラやね。
若い頃の身体観るだけで、野球しか能の無い人間じゃない事は誰でもわかると思う。超アスリートやでな
勝たなくていい二軍監督とか、選手寮の寮長、生活指導員とかに適性があったんだろうが、それじゃ現役時代の実績に見合わないからね。
もっと活かす方法はあったと思うが。
24歳から社会人出でデビューするピッチャーもいるのに、24歳の時点でもう200勝とは。佐々木朗希は20歳だが今季まだ6勝。国鉄でなければサイヤングの511勝したのか?或いは国鉄だから奔放に投げ400勝なのか。
国鉄だからで巨人で育ったら無理と具体的に指摘した説得力ある論理展開した方が居たな
レベルの高いピッチャーほどノーサインで投げられると、キャッチャーでも取るのが大変。
古田氏も若手の頃、先輩投手が言う事を聞いてくれず、若手の自分にノーサインで投げてくるピッチャーがいたが、大した球を投げてくるピッチャーでないので問題なかったと言っている。
凄いストレートとカーブを投げていたなら、ノーサインだと球種が少ないので今より楽だと言っても大変なハズ。
野村氏が言ってるように「当時の選手としては飛び抜けて背が高いく、オーバーハンド」コレが金田の強みだと思う。
当寺は180センチ以下の選手が多く、金田投手 (184センチ、185とも記載している所があるが184の方が正しい数字) で投げ下ろされる球は特別だった。
実際には150キロ出ていなかったと言っている人もいる。
ただ、アノ身長からオーバーハンドで投げ下ろされる球は当時のバッターの身長と選手レベルでは特別で、打つのが大変だったのだと思う。
今の身長が高い投手に比べると背は低いが、金田投手の400勝と投球回数はバケモノ。
ピッチャーでアレだけの投球回数投げれることが凄い。
普通は、その投球回数投げる前に怪我して投げれなくなる。
ピッチャーとバッターなので比べることは出来ないかもしれないが、ソレを考えると王氏よりも凄い事をやってると言ってもいい。
今の時代になっても初速のみのの球速評価するのはどうだかと。スピン量や初速ー終速迄の減速率で評価するべきじゃないのかな。
結局のところ速度が落ちることなくミットに届くいわゆるノビとかキレというものじゃないかな。
今これだけ、数値が出せる時代なのに、初速での球速のみで評価するのは時代遅れじゃないかなと。
性格悪いとは思わないな。お山の大将で自信家なだけ。イチローみたいに裏表ある性格の悪さじゃないし
小学生のころ、この人は400キロの球を投げられるのと勘違いしていた。
金田監督の退任までの流れは、野村氏のコメントやWikiでハショっていますが実際の当時の話とは少し違うように思います。
指導に関してはプロとしてやってるい選手達を尊重し、自分と同じく無理矢理指示せず活かす方向で、てコーチ達にも無理矢理指示ばかりするなと言っていたと聞きます。
日本人は何でも教えて貰いたい方向ですが、知りたいなら自分で盗む考えである金田はある意味で欧米的なだとも言えます。
確かに日本人の指導されたがり支配されたがりの性質から言えば、管理野球の野村氏の方が指導力があることになりますよね。
どうも金田は勘違いされているUA-cam動画が多いので本当に気の毒です。
確かに練習は厳しくよく走らされるので選手との関係は良くなくなるのは自然ですが、本人はそれで結構だったと言います。自発性重視なんでしょうか
時代だね。選手は結果が全て。
監督も結果かもしれないが、人心掌握してこそ上に立つものよ。
今は少ないみたいだけど…
金田正一が獅子奮迅の働きをした最高の投手だったのは国鉄スワローズ時代だけで巨人に移籍してからは勝ちのつきそうな場面のリリーフとか消化試合とか楽なところでしか投げていないと権藤さんも言っていた。
西鉄ライオンズの主砲・豊田泰光さん。西鉄時代は鉄腕稲尾と共に活躍しトレードで国鉄スワローズに移籍し金田正一さんとも一緒にプレイした。二人の大投手を間近に見てこう述べた「国鉄に来て稲尾の凄さが改めて判ったよ。稲尾はどんな厳しい状況、誰もが投げたくないと思う場面でも一つの愚痴もこぼさず投げに行った。それに比べて金やんはチームの事を何も考えて投げていない。本当のエースが誰か良く判った」と。
高身長かつフォーム見る限り柔軟な関節を持ってるから球速は出るだろうけどせいぜい当時の平均に+10キロくらいだろう
日米野球に全敗する当時のレベルならこれでも無双できる
金田「走らなきゃいかん」→野村「走れしか言わない、それでも監督か」→落合「ノムさんが考える事を教えて選手が練習しなくなった」・・・
俺様だったからこそ「地球の中心」に居続けたくて頑張れたってのもあるかもね。良いか悪いかは知らんけど。
たしか50歳の時のOB戦で120kmだしてましたね
400勝目の試合は、次の記事がありますよ。
でも、金田さんの業績はほんとに尊敬しています。
1969年10月10日の中日戦、城之内投手が先発して4回までで3対1とリードしていたところで、金田が送り出された。優勝したあとなので、こういう登用も可能である。おそらく残り7試合、金田の先発試合も予定されていただろうが、それ以外に「誰が先発しても4回までにリードしていたら金田をマウンドに送る」ということも考えられていたのではないか。残り試合があまりにも少ない。こういう可能性にも賭けるしかない。
10月10日、城之内のあと、5回からマウンドに立った金田は期待によく応え、ヒットは1本打たれただけ(ただしホームランだったので1失点)、四死球も出さず残りの15人の打者はきちんと抑え、しっかりと勝ち投手となったのである。
今シーズン5勝目、そして前人未踏の400勝を達成した。
引退は1969年。本人は翌年もやるつもりやったけど石原慎太郎氏に晩節汚さんようにと諭され引退決意。
川上も「早く400勝させて引退させよう!」と企んでいた!(^-^)/
カネヤン 代打本塁打2本とは恐れ入ります。
金田さんは監督時代に世界最強だった「ビッグレッドマシン」と呼ばれたシンシナティ・レッズが一時期使った強力打線「ダブルクリーンアップ」(打順の中に2つクリーンアップを作る)でレッズが二冠王を獲得したジョニー・ベンチを8番に置いたように野村さんと入団したレオン・リーを下位に置いた強力打線で日本一を目指したらしいが、結局失敗したのは残念。
不思議なことに監督時代西本幸雄さんとはこれといってエピソードが見当たらないんですよね。気性の激しい人同士何かありそうですが。むしろ西本さんと野村さんがライバル関係でありながらお互い認め合っている素晴らしい関係だったりします。
監督としては失格と言っても村山や稲尾よりはマシじゃない❓
鈴木啓示は論外だけど。
鈴木康二郎がバファローズに移籍した時、
「鈴木啓」と名前が表示されることに文句を言った事から、
我儘ぶりも鈴木啓示の方が酷いと思うよ。
トップクラスでわなくトップだろうが。
2:02 このピッチャー誰?
超胴長短足。リーチも長い。現在ならは195センチかそれ以上のガタイの長身。桁外れに弓なりで投げるアーム投げだが体は壊れない。多分本気モードならば160キロ超えは間違いない。御本人が170や180キロで投げれたなどと訳の分からないことを言うもんだから信用されていないが、160キロ超えは間違いないだろう。そしてキレは、あれだけ弓なりになるのだから、物凄いと思われる。現役投手で例えるのであれば、大谷くんと同等の速さでありながら、キレは藤浪くんや佐々木くんよりも間違いなく上だと思われる。本気で投げられたら打てる訳がない。人は大げさに言ってしまうのではあるが、多分、金やんの体格とフォームならば、それは可能だと思われます。そしてカーブのキレも良く、アーム投げの割にはコントロールもまあまあ良いかと思います。そうでなければ打者のレベルがいくら低かろうも400勝なんて無理です。偉人でありバケモノ投手ですよ金やんは。批判されやすい言動ではあっても日本の最強投手は金やんでしょう。ちなみに美化するつもりは一切ありません。凄いものは凄いと判断しました。
やはりレジェンドまで到達する選手は練習量、努力の質が違う。当たり前なんだが、長嶋、王、落合、イチロー、大谷さん、ダルさんと例外がない。
カネやんがいまの野球で30勝はもちろん20何勝も難しいだろう。でも佐々木朗希や山本が1950年代に投げても300イニング投げられるとは思わない。1年で潰れると思う。だいたい今の投手はカネやんの練習について行けるだろうか?やはり潰れると思う。
カネヤンは凄い弱いチームにいてよく勝てたな!投手は下半身から!という考えから現役から、徹底的に走りこんだみたいね! 食事にも気を使ってたらしいね!
金田さんは初めから巨人にいたら500勝以上勝利したでしょう。
アクの強い性格だから絶対他の主力選手や監督と対立するよ。
国鉄スワローズには、カネヤン以外に良い投手がいなかったので、カネヤンの登板が凄く多かったし、カネヤンのワガママが通った。
巨人には良い投手が多かったし、監督の権限が強かったので、最初から巨人だったら通算350勝だっただろうな。
しかし、超一流投手だったのは間違いなし。
@@2891145 さん。
カネヤンが国鉄時代、監督に面と向かって「おじいちゃん」と呼んだり、カネヤンがバッティング練習中…
監督が「投手は、バッティング練習しなくていいんだ」 カネヤン激昂→監督に掴みかかる❗
@@2891145 川上監督は軍隊上がりだし、アクの強い堀内や青田昇も巨人でやっていたから結構上手く馴染んで行けたと思う
カネヤンの練習量は半端ないって言われていたけど、そんなカネヤンも「力道山が猪木の馬場に課せている練習」をやってみたら「もうあかん!!」と音を上げたと言うのだから(笑)カネヤン以上に猪木が凄いッ(笑)!?
金田は~世界一の投手です🎉なぜなら~19年しかやっていませんー🎉
金田の悪い所は監督になったこと!!なるべきではなかった!!!しかし、あの弱小チーム国鉄スワローズで13年投げた!!それを評価すべきだ。優勝したくて巨人に行ったが、それが間違いだった!!当時も今も巨人は他チームから選手を集め使い捨てする。原監督??今更だが、原は「他人の飯」を食うべきだった!!
俺は、金田は監督をやって正解、、あのジプシチームのロッテに以下にお客さんの目を集めるか、太平洋クラブライオンズとの乱闘騒ぎを起こした試合はあれは金田がわざと世間の注目を集めるために一面に乗るように仕掛けたと言うしね
二度目の監督のときは、野球が進化しすぎて浦島太郎状態だったとか何とか。外部で勉強みたいのはしてなかったらしい
川上さんも金やん引退後よくコーチにしなかったね ピッチングコーチなんかになってたらV9や堀内の200勝もなかったかも😂巨人も金やんや張さんを呼ばないってやっぱ人の器量をしっかり見てるね
イチローも同じだと思うよ。
川上は金ヤンを「助っ人」位にしか思っていなかったから!(^_^;)
本人曰く180キロは出ていたらしいけど(笑)当時の国鉄で勝ち星上をげるだけに凄い!バッターは弱小球団でも一人で成績を残せるけどピッチャーは別だからね。
もし他の球団でやっていたらと思うと...それに練習以上に身体のケアーを怠らない人だったらしい。
クルーンが160キロを投げるまでは、158キロと言ってた。
選手としてはストイックにしてワンマンな性格は功を成したが、指導者としては仇になった。
メジャーリーグに行ったらどうだったのだろうか?
間違いなく通用してましたね当時大リーグの本気で金田を連れ帰ろうとしたくらいですから
@@享矢野 元ドジャースのラソーダ監督、野茂さんの最初のチームの監督は、当時コーチで現役時代の金田と王と長嶋を見てメジャーでも彼らは充分通用したと言ってたようです
ミッキーマントル相手に3連続三振奪ったからなぁ。初見としても、活躍したやろうなぁ
日米野球通算25試合ぐらい投げて1勝しかしておらず防御率は7点台。流石に厳しかったと思う。
金田正一と江川卓は似ている
確か、金田さんのロッテ監督就任は、パリーグが2リーグ制になった草創期。
そのパリーグが新しくなろうとしているタイミングで、青年監督として取り上げられていたのが、南海の野村さん、太平洋(西鉄)の稲尾さん、そしてロッテの金田さんだったと記憶しています。
その中で最初に勝ったのは、南海の野村さん。
怪我で長嶋さんを欠く巨人に、けっこういい試合をしていたと思いますが、及びませんでしたよね。
結果、野村さんは巨人のV9という偉業の影に隠れざるをえなかった。
その一方で、地味な印象のパリーグの中にあって、初年度から注目を集めた金田さん。
三塁コーチャーボックスに立って、派手なパフォーマンスをしてみせる金田さんのおかげで、ロッテは人気球団になっていったという気がしています。
そして、巨人のV10が潰え、長嶋さんが引退した年に、巨人ファン的には憎き中日を倒したのが金田ロッテ。
当時、人気のセ、実力のパという言葉がありましたが、セを金田さん、パを野村さんに置き換えても、うまく当てはまりそうに思います。
その後、結果を残したのが、実力の野村さんであったことは、誰しもが認めるでしょう。
でも、人気の金田さんにも、監督としての結果以外のところで、一定の意味があったような気もするのです。
あの落合さんが、2年連続で三冠王をとった時のロッテの監督は、かつてもう一人の青年監督だった稲尾さんでした。
落合さんの三冠王(というか首位打者)がかかった最終戦で、もういいだろうとベンチに下げた稲尾采配は、人気の金田と実力の野村の間をとって、新たなスーパースターの誕生を確定させたもののように感じます。
もちろん、当人たちが、それらをどう意識していたかは、ど素人の私にわかることではないのですけれど。
史上唯一の400勝投手で名球会を立ち上げ監督としてもロッテを日本一に導く。
数々の輝かしい功績がありながら国民栄誉賞にかすりもしない理由は言うまでもないだろう。
成績がすごいだけじゃダメなんだよ👅
という典型的な見本。
キャッチャーだった根来さんとか大袈裟じゃなく命がけで組んでたと思うけど、金田さんの口から感謝の言葉を聞いたことがない
ほか、チームメイトへの感謝がない時点で人として欠落してる
国鉄なんて金田の力で勝っていたようなもんだから言えるわけがない
この人、名古屋なのに、ドラゴンズには、来なかったな!
名古屋なのに関西弁だったし。
朝鮮半島関西地区やないの?
中日は地元出身金田さんを取りたくて1964年の金田さんとの直接交渉の時、当時の金で現金1億円を生で見せ交渉したほど獲得に熱意を見せました。
さすがの金田さんも現金1億円には、思わずつばを飲み込んだそうです。
一番
金田さんは何故巨人の監督になれなかったの?現役とは関係ないロッテの監督じゃない?
自分の家が、名球会の本部!
アンチ巨人
わしゃ、知らん!
金田のスピードは、65年まえの日本では、150キロのスピードを打てる人はいなかったのでそういうことを言ってるだけ。当時私は子供のころ見ましたよ。
人間の能力の限界値はそんなに変わらないから、今の金田正一184センチより体格の劣る山本由伸178センチや平良海馬173センチが160キロ前後の速球を投げるなら、練習量も圧倒的彼らより多い金田正一も同じくらいの速球は投げれたでしょう
@@osamurasakiiroさん
でもそこまでずば抜けて速ければ日米野球でも活躍できていると思いますが実際は25試合ぐらい投げて1勝しかしておらず防御率は7点台。同じ時代のアメリカからするとそこまでではなかったと思う。
昔の投手の球速を盛りたがる症候群は一体何なのだろう
申し訳ないが160kmは、言い過ぎ。1950~1960年代の日本のプロ野球の投手の平均球速は、せいぜい120~130kmでしょ。その中で金田のストレートは良く見積もっても、スピンの効いた140km中盤ってところだろ~。
金田の球があまりに速くてホームからマウンドの距離を測り直せというクレームが出るという話が残ってる。
データを取ってみたら159.2だってさ
その時代の平均球速の20㌔オーバーって凄いけどね。
1950〜60年代の平均がせいぜい120〜130㌔って根拠あるの?
1990年代には平均140㌔くらいはあったと思うけど2020年代には平均150㌔、2030年代にはどの投手も平均160㌔.最速は180㌔くらいにはなりますかね?
俺は生まれつき超弱肩なのに野球チームに入ってしまったことがあるけど、金田のように生まれつきの超強肩で才能もあるのなら、
走り込みなどの基礎トレーニングを徹底してやるだけで一流選手になれるのは当たり前。
俺のような大多数の才能のない選手は当然基礎トレ以外の練習もしないと。
まぁまぁ日本のプロ野球に貢献してくれた外国人有難うね
スタルヒンとどっちが凄いかな
金田は凄かった。 在日の環境で育ったのがバネとなって、何が何でも頑張らざる負えなかったとも言えますが、それにしてもどうしようもなく強かった。 当時のピッチャーはすべて先発完投型ですよ。それであのきろく、しかも常に一番下の球団で。 あ考えられますか? もし初めから強い球団で投げていたら、何勝したか分かりません。 本当にとんでもないピッチャーなのです。 昔のプロ野球のレベルですから、今とは違いますが、そんな事値引いても、おそらく今でも断トツのピッチャーだろうと思います。 私の認識では歴代ピッチャの中で1番が金田、2番が稲生、3番が江夏、ではないかと思っています。 その中でも、飛び抜けているでしょぷ。 監督の金田は評価に値しません。 こんなこと止めておけばよかったのにと思います。
芽生投手の名が汚れました。 字日朝鮮人としての負い目から竿以後は巨人に移って最後を迎えましたが、スワローズで、木興靴を見せてほしかった。 矢張弱いところを持っていたのだなと思います。 少し、この人の悲哀を感じさせますね。 何が何とあれ、ピッチャー金田は絶対的なレジェンドです。 国籍、人種、すべてを超越して、すごいピッチャーなのです。 MLBで投げていても、間違いなく殿堂入りしていたでしょう。
稲生じゃなくて稲尾、
@@権田正浩-u8m 何で無理言えるわけ、大リーグで通用した可能性は否定はできない
金田が凄いのか?打者がポンコツなのか?これは、批判できないわな!
打者がポンコツなら、金田だけではなく全てのピッチャーが金田のように凄かったのか?
お前がポンコツなのだ。
金田が巨人に来る前、王も長島もキリキリ舞してた。
実際、観てないとわからんよ。
@@龍龍-s3m ポンコツなのか?それお批判する奴も、ポンコツや!金田の現役は、見てないから、時代が違うので、そう意見しただけだ!けちつける奴もポンコツやないか!
何故か荒れてて草
2名ともどうした?暑いからか?w
ビール飲もうぜぇ
@@tommy3431 酒は、飲まねーんだよ。薬飲んでるから、酒は、辞めたんだよ!
おー ウルソか
大変やろうけど頑張りや~