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私も「青いターバンの少女」がいいなぁ。
しっくりきますよねw
【真珠の耳飾りの少女】オペラ《ヴォツェック》に、ヴォツェックの内縁の妻マリーが、浮気相手の隊長から情事の後に恐らくその報酬として貰った金のイヤリングを付けた自分の姿を鏡のかけらに映して観ながら、「私は貧しい女、鏡もかけら一つ。でも私の唇は誰よりも赤いわ」と呟いている場面があります。そこにヴォツェックが帰宅して、マリーのイヤリングを見咎める。「そんなもの、どうしたんだ?」と。「拾ったの。家の前で」と言い繕うマリーに、ヴォツェックは、「2つ同時にか?」と問い詰める。浮気を疑われて、「私が悪いことをしたっていうの?」と逆上するマリーに、「いや、いいんだ」とヴォツェック。でもこの後、隊長に抱かれて踊りながら、「もっと、もっと…… Immer zu! Immer zu!」とハァハァ言いながら隊長に抱き付くマリーを見てしまったヴォツェックは、絶望。マリーを刺し殺し、そのナイフを沼に投げ捨てたものの、見つかるのではないかと探しに沼に入って深みに嵌って死んでしまうのですけれどもね。-クレオパトラがアントニーを誘惑する場面だったと思うのですが、宝石をカットする技術が発達していなかった当時、カットせずに輝きを放つということでダイヤより貴重だった大粒の真珠のイヤリングを外し、酢に溶かして飲み干し、自らの財力を誇る場面があります。どうやら高価なイヤリングは、西洋では愛の証として、男性から愛する女性に送るプレゼントの象徴であるようです。しかも、かなり後の時代まで、真珠、特に大粒の真珠は、ダイヤモンドより貴重で、財力の象徴でもあった。今でも6月の誕生石である真珠は、富と健康の象徴とされています。-ですから、振り向いて画家を見つめる眼差しと半開きの濡れたような唇が色っぽいこの若い女性と画家との間に秘めた恋物語を想像するのであれば、彼女が身に付けている大粒の真珠の耳飾りが、画家からの愛の贈り物であるように見えてしまう。そういう秘めた物語を象徴するタイトルとしては、【真珠の耳飾りの少女】の方がふさわしい、というのが西洋人的な感性なのではないでしょうか。*****【オペラ座の仮面舞踏会】謎の脚は、毛皮の縁取りのあるピンクのハイヒールのショートブーツを履いている。明らかに若い女性の脚です。それは、仮面舞踏会が開催されているオペラ座の2階ギャラリーの柵の上から身を乗り出すようにして、階下の1階大広間に集まるシルクハットの紳士たちの頭上にニョキッと出されている。つまり、オペラ《ラ・ボエーム》でムゼッタがレストランで鉢合わせした昔の恋人にあてつけるように誘惑的な歌を歌う場面のように、彼女は紳士たちを誘惑するために、ドレスの裾をたくし上げ、バルコニーの柵の上から身を乗り出すようにして片脚を出しているということ。よく見ると、脚の周り、柵の上の方に、白い斑点が見えるでしょう? これはたくし上げたドレスの裾から見えるペチコートのレースですね。-フラゴナールの【ブランコ】でミュールを脱ぎ捨てた女性の生足がセクシーの象徴と言われるように、当時の女性は、踝まで長いドレスで足を覆い隠しており、脚を見せるというのは、男性に対する最大の誘惑に他ならなかった。そして当時のオペラ座には、紳士淑女と共に、デュマ・フィスの『椿姫』のマルグリット、或いはそのモデルとされるマルグリット・デュプレシのような高級娼婦、更にはもっと地位の低い娼婦らもたくさんいて客引きをしていた。そういう当時の常識を踏まえてこの絵を見るならば、この脚こそは、セクシーの象徴。階下に集うシルクハットの紳士たち、仮面をつけた淑女たちに対する大胆な挑発をする娼婦のスキャンダラスな行動であり、この瞬間、この場にいた人々の視線が彼女のこの生足に引き付けられ、その場が凍り付く。そういう、当時の社交界では到底受け入れがたいテーマを描いた大胆な作品ですよね。【フォリー・ベルジェールのバー】に高級娼婦メリー・ローランが描き込まれているのなら、もしかして、メリー・ローラン、ないしはその仲間の誰かがオペラ座の仮面舞踏会で実際にこの種のことをやってスキャンダルを起こした事件があったのだったりして……。 となれば、サロンで落選したのは当然でしょうね。当時のブルジョワ社会に対するあからさまな挑戦だもの。買い手はついたのでしょうか?10年後に描いた【フォリー・ベルジェールのバー】で、サーカスの空中ブランコの脚を描いたのは、「これならいいんでしょう?」というマネの皮肉かもしれませんね。(笑)*****【フォリー・ベルジェールのバー】確かにみずみずしいオレンジは、西洋文化では若い女性の性的魅力の象徴かもしれませんね。-オペラ《3つのオレンジへの恋》で、小さいオレンジ3個が、だんだん大きくなり、喉の渇きを覚えてそれを割ると、中から若い女性が飛び出してきて渇きを訴え、水がなくて死んでしまう。どういう意味なのか私はさっぱり分からなかったのですが、なるほど、オレンジが性的魅力、ないしは性的欲求の象徴なのなら意味が通ります。オレンジを弄ぶ若者たちの中で、性的欲求が膨らんでくる。それを満たそうとすると、相手の女性は自分の渇きを癒してくれるのではなく、逆に彼女の方が渇きを訴え、彼女の渇きを満たしてくれるように切望し、結局どちらの渇きも癒されず、耐え難い渇きで死んでしまうのです。-ということは、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴』でミニョンが「オレンジの花咲く国」とイタリアへの憧れを歌うのは、オレンジがまだ実らず、オレンジの花が香る、つまり性的魅力の蕾が綻びかけたような少女の魅力の象徴なのかな?
素晴らしいです!ありがとうございます。
マルコムパーク博士凄い👍👍マネ先輩凄い👍👍さすがベラスケスを網羅し研究してる〜👏👏👏ベラスケスと会話するマネ先輩👍👍鑑賞するだけで、そこまで深入りしてないですね、118年も鑑賞だけだった😅根性のマネ先輩さすがっす👏👏👏
私も、『青いターバン』派で!そう言えば全然関係無いゴッホですが(^_^;)『蟹』の絵が有りますが、ゴッホは蟹食べたのかな、テオに買ってもらったのかな❓お金無いのにぃ……あかんがな🙅🆖⤵
スカーレット・ヨハンソン主演の映画は良かったですよね作品自体はギャラリーフェイクってマンガでテーマの回があって知りました😊映画はヨハンソンがかすかな恋心を抱きながら去ってゆくエンディングが切なくて印象に残りました
フォリーベルジェールに興味を持ちました。いつか行きたいな。生き生きした描写で、本当エスプリ感じます。パリ、熟れた果実。
まさに象徴してますねwww素晴らしい作品ですよね。
画家は自分の作品を説明する記録を作ったりしない(残らない?)ようですね。現代でもそうなのかな?
マネ先輩の没年を1983と言い間違えたからといって字幕までそうしちゃうのはあかんなぁ、と
ありがとうございます😊失礼いたしました🙇
そういえばテレビで検証していたな。真珠はあの様に光らないと。
ターバンの青が色あせて見えます。元はもっと鮮やかな青だったんでは。
おそらくそうだったんだと思いますね。
この少女が着ているものの衿の形が和服みたいですね。半衿が見えてるみたいだし。こんな衿の形の民族衣装があったのですかね?
そうですね、いろいろなところで衣装の再現を試みているようです。面白いですね。
民族衣装ではなく、ナイトガウンではないでしょうか。ナイトガウンというのは、ドイツ語では Morgenmantel、男性用は Schlafrock などといわれるもので、日本語に直訳するとモーニングコート、就寝用スカートなどというわけのわからないことになるのですが、要は寝巻の上に着るガウンですね。オペラ《ばらの騎士》の冒頭で、夫の留守中にオクタヴィアンと 不倫を楽しんでいた元帥夫人が、オクタヴィアンと朝のココアを楽しんでいる場面でネグリジェの上に羽織っているのが女性用。男性用は、オペレッタ《蝙蝠》で、ロザリンデの恋人アルフレートが、ロザリンデの夫アイゼンシュタインの留守中に忍び込んで居座り、アイゼンシュタインのナイトガウンとナイトキャップを身につけて寛ぐ場面が有名。オペラや演劇など、様々な場面で登場します。湯上りに着るバスローブは、タオル地でできていますが同じ形。ナイトガウンの場合には、女性用はシルクにレースをあしらったもの、高級ホテルなどで持ち帰ってもよいように提供されているものは、コットンの立体織りなどもありますが、5センチ幅くらいの紐で結ぶようになっていることが多く、最近は Kimono とも呼ばれますが、絶対王朝時代の18世紀頃には普及していたはずです。もっとしっかりした柔らかな合繊に裏地がついたものなどで、部屋着の上に羽織って寛ぐものは、Schlafrock のほか、Hausmantel ホームガウン? などとも呼ばれます。宝塚のベルばらで、フェルゼンを諫めるためにアントワネットがウィーンから連れてきたお付きの貴族がお忍びで訪れる際に、自邸で寛いでいたフェルゼンが着ていたのもこれですね。-《真珠の耳飾りの少女》の場合には、ターバンを巻いているのて東洋風の装いをしていたとも取れますが、そもそも日本以前に中国との交易で、着物風のガウンはかなり早くから西洋社会でも知られていた。そんな関係から、以前はシルクとレースで彩り、襟もレースのショールカラーのようなもので着流していたものを、着物風に直線的に仕立て、帯のようなひもで結ぶ形が、西洋でもナイトガウンやバスローブの典型的な形として定着していったように思います。私も服飾史が専門ではないので、どの時代にどの地域でどのような形のものが定着したか、今すぐにはっきりとは言えないのですが、調べれば出てくるのではないでしょうか?-尤も、この少女が着ているものがナイトガウンなのだとしたら、家族や親密な間柄の人にしか見せない姿を晒しているわけで、尚のこと、エロチックな想像をしてしまいますね。《蝙蝠》で、アイゼンシュタインを留置場に連れて行くために訪れた刑務所長にロザリンデが「こんな時間にナイトガウンを着て自宅で寛いでいる男性は、私の夫に違いありません。それとも私の貞節をお疑いになるのですか?」と言って、アルフレートに夫の身代わりとして刑務所に入るように頼むシーンを想い出してしまいます。
私はフェルメールの画房のトルニーの為にモデルを使って描かれたと思います。そしてそのモデルとフェルメールは恋心があったのでしょう。
ローランサンを目だだせるため。
「フォリーべルージュのバー」本物を鑑賞したことがあります。この絵の前に立つと圧倒的な存在感に震えました。五郎さんの解説を聞くまでは理解できなかったのですが、後ろの鏡の角度を基準に見ると、明らかに斜めから鏡をとらえているパースに見えます。正面から捉えているなら鏡のラインは水平になるので。右下がりですもんね。それを中心に絵の各部の構成を観察すると、斜めパースが確信できます。女性の体も微妙にひねってるのがわかります。それを想起して改めて絵を見ると、「自分がそこに居る感」がいやまします。すごいなぁ…
ありがとうございます!ほんとに凄い絵ですよねw
山田さんの解説は面白い夜明かしには良い話です。
ありがとうございます。また夜更かしの際にはぜひご利用くださいませ。
フェルメールの日本で人気の絵以外を見てみると、余り個性の無い絵が多いような、五郎さんのおっしゃっていた、ホーホーと区別がつきませんでした。私、駄目だぁ(´*ω*`)💦
ただただ美しい絵ですね
ほんとですよねwww
私も「青いターバンの少女」がいいなぁ。
しっくりきますよねw
【真珠の耳飾りの少女】
オペラ《ヴォツェック》に、ヴォツェックの内縁の妻マリーが、浮気相手の隊長から情事の後に恐らくその報酬として貰った金のイヤリングを付けた自分の姿を鏡のかけらに映して観ながら、「私は貧しい女、鏡もかけら一つ。でも私の唇は誰よりも赤いわ」と呟いている場面があります。
そこにヴォツェックが帰宅して、マリーのイヤリングを見咎める。「そんなもの、どうしたんだ?」と。
「拾ったの。家の前で」と言い繕うマリーに、ヴォツェックは、「2つ同時にか?」と問い詰める。
浮気を疑われて、「私が悪いことをしたっていうの?」と逆上するマリーに、「いや、いいんだ」とヴォツェック。
でもこの後、隊長に抱かれて踊りながら、「もっと、もっと…… Immer zu! Immer zu!」とハァハァ言いながら隊長に抱き付くマリーを見てしまったヴォツェックは、絶望。
マリーを刺し殺し、そのナイフを沼に投げ捨てたものの、見つかるのではないかと探しに沼に入って深みに嵌って死んでしまうのですけれどもね。
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クレオパトラがアントニーを誘惑する場面だったと思うのですが、宝石をカットする技術が発達していなかった当時、カットせずに輝きを放つということでダイヤより貴重だった大粒の真珠のイヤリングを外し、酢に溶かして飲み干し、自らの財力を誇る場面があります。
どうやら高価なイヤリングは、西洋では愛の証として、男性から愛する女性に送るプレゼントの象徴であるようです。
しかも、かなり後の時代まで、真珠、特に大粒の真珠は、ダイヤモンドより貴重で、財力の象徴でもあった。
今でも6月の誕生石である真珠は、富と健康の象徴とされています。
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ですから、振り向いて画家を見つめる眼差しと半開きの濡れたような唇が色っぽいこの若い女性と画家との間に秘めた恋物語を想像するのであれば、彼女が身に付けている大粒の真珠の耳飾りが、画家からの愛の贈り物であるように見えてしまう。
そういう秘めた物語を象徴するタイトルとしては、【真珠の耳飾りの少女】の方がふさわしい、というのが西洋人的な感性なのではないでしょうか。
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【オペラ座の仮面舞踏会】
謎の脚は、毛皮の縁取りのあるピンクのハイヒールのショートブーツを履いている。明らかに若い女性の脚です。
それは、仮面舞踏会が開催されているオペラ座の2階ギャラリーの柵の上から身を乗り出すようにして、階下の1階大広間に集まるシルクハットの紳士たちの頭上にニョキッと出されている。
つまり、オペラ《ラ・ボエーム》でムゼッタがレストランで鉢合わせした昔の恋人にあてつけるように誘惑的な歌を歌う場面のように、彼女は紳士たちを誘惑するために、ドレスの裾をたくし上げ、バルコニーの柵の上から身を乗り出すようにして片脚を出しているということ。
よく見ると、脚の周り、柵の上の方に、白い斑点が見えるでしょう? これはたくし上げたドレスの裾から見えるペチコートのレースですね。
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フラゴナールの【ブランコ】でミュールを脱ぎ捨てた女性の生足がセクシーの象徴と言われるように、当時の女性は、踝まで長いドレスで足を覆い隠しており、脚を見せるというのは、男性に対する最大の誘惑に他ならなかった。
そして当時のオペラ座には、紳士淑女と共に、デュマ・フィスの『椿姫』のマルグリット、或いはそのモデルとされるマルグリット・デュプレシのような高級娼婦、更にはもっと地位の低い娼婦らもたくさんいて客引きをしていた。
そういう当時の常識を踏まえてこの絵を見るならば、この脚こそは、セクシーの象徴。
階下に集うシルクハットの紳士たち、仮面をつけた淑女たちに対する大胆な挑発をする娼婦のスキャンダラスな行動であり、この瞬間、この場にいた人々の視線が彼女のこの生足に引き付けられ、その場が凍り付く。
そういう、当時の社交界では到底受け入れがたいテーマを描いた大胆な作品ですよね。
【フォリー・ベルジェールのバー】に高級娼婦メリー・ローランが描き込まれているのなら、もしかして、メリー・ローラン、ないしはその仲間の誰かがオペラ座の仮面舞踏会で実際にこの種のことをやってスキャンダルを起こした事件があったのだったりして……。
となれば、サロンで落選したのは当然でしょうね。当時のブルジョワ社会に対するあからさまな挑戦だもの。買い手はついたのでしょうか?
10年後に描いた【フォリー・ベルジェールのバー】で、サーカスの空中ブランコの脚を描いたのは、「これならいいんでしょう?」というマネの皮肉かもしれませんね。(笑)
*****
【フォリー・ベルジェールのバー】
確かにみずみずしいオレンジは、西洋文化では若い女性の性的魅力の象徴かもしれませんね。
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オペラ《3つのオレンジへの恋》で、小さいオレンジ3個が、だんだん大きくなり、喉の渇きを覚えてそれを割ると、中から若い女性が飛び出してきて渇きを訴え、水がなくて死んでしまう。
どういう意味なのか私はさっぱり分からなかったのですが、なるほど、オレンジが性的魅力、ないしは性的欲求の象徴なのなら意味が通ります。
オレンジを弄ぶ若者たちの中で、性的欲求が膨らんでくる。
それを満たそうとすると、相手の女性は自分の渇きを癒してくれるのではなく、逆に彼女の方が渇きを訴え、彼女の渇きを満たしてくれるように切望し、結局どちらの渇きも癒されず、耐え難い渇きで死んでしまうのです。
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ということは、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴』でミニョンが「オレンジの花咲く国」とイタリアへの憧れを歌うのは、オレンジがまだ実らず、オレンジの花が香る、つまり性的魅力の蕾が綻びかけたような少女の魅力の象徴なのかな?
素晴らしいです!ありがとうございます。
マルコムパーク博士凄い👍👍マネ先輩凄い👍👍さすがベラスケスを網羅し研究してる〜👏👏👏ベラスケスと会話するマネ先輩👍👍
鑑賞するだけで、そこまで深入りしてないですね、118年も鑑賞だけだった😅根性のマネ先輩さすがっす👏👏👏
私も、『青いターバン』派で!そう言えば全然関係無いゴッホですが(^_^;)『蟹』の絵が有りますが、ゴッホは蟹食べたのかな、テオに買ってもらったのかな❓お金無いのにぃ……あかんがな🙅🆖⤵
スカーレット・ヨハンソン主演の映画は良かったですよね
作品自体はギャラリーフェイクってマンガでテーマの回があって知りました😊
映画はヨハンソンがかすかな恋心を抱きながら去ってゆくエンディングが
切なくて印象に残りました
フォリーベルジェールに興味を持ちました。いつか行きたいな。
生き生きした描写で、本当エスプリ感じます。
パリ、熟れた果実。
まさに象徴してますねwww
素晴らしい作品ですよね。
画家は自分の作品を説明する記録を作ったりしない(残らない?)ようですね。
現代でもそうなのかな?
マネ先輩の没年を1983と言い間違えたからといって字幕までそうしちゃうのはあかんなぁ、と
ありがとうございます😊
失礼いたしました🙇
そういえばテレビで検証していたな。真珠はあの様に光らないと。
ターバンの青が色あせて見えます。元はもっと鮮やかな青だったんでは。
おそらくそうだったんだと思いますね。
この少女が着ているものの衿の形が和服みたいですね。半衿が見えてるみたいだし。こんな衿の形の民族衣装があったのですかね?
そうですね、いろいろなところで衣装の再現を試みているようです。面白いですね。
民族衣装ではなく、ナイトガウンではないでしょうか。
ナイトガウンというのは、ドイツ語では Morgenmantel、男性用は Schlafrock などといわれるもので、日本語に直訳するとモーニングコート、就寝用スカートなどというわけのわからないことになるのですが、要は寝巻の上に着るガウンですね。
オペラ《ばらの騎士》の冒頭で、夫の留守中にオクタヴィアンと 不倫を楽しんでいた元帥夫人が、オクタヴィアンと朝のココアを楽しんでいる場面でネグリジェの上に羽織っているのが女性用。
男性用は、オペレッタ《蝙蝠》で、ロザリンデの恋人アルフレートが、ロザリンデの夫アイゼンシュタインの留守中に忍び込んで居座り、アイゼンシュタインのナイトガウンとナイトキャップを身につけて寛ぐ場面が有名。
オペラや演劇など、様々な場面で登場します。
湯上りに着るバスローブは、タオル地でできていますが同じ形。
ナイトガウンの場合には、女性用はシルクにレースをあしらったもの、高級ホテルなどで持ち帰ってもよいように提供されているものは、コットンの立体織りなどもありますが、5センチ幅くらいの紐で結ぶようになっていることが多く、最近は Kimono とも呼ばれますが、絶対王朝時代の18世紀頃には普及していたはずです。
もっとしっかりした柔らかな合繊に裏地がついたものなどで、部屋着の上に羽織って寛ぐものは、Schlafrock のほか、Hausmantel ホームガウン? などとも呼ばれます。
宝塚のベルばらで、フェルゼンを諫めるためにアントワネットがウィーンから連れてきたお付きの貴族がお忍びで訪れる際に、自邸で寛いでいたフェルゼンが着ていたのもこれですね。
-
《真珠の耳飾りの少女》の場合には、ターバンを巻いているのて東洋風の装いをしていたとも取れますが、そもそも日本以前に中国との交易で、着物風のガウンはかなり早くから西洋社会でも知られていた。
そんな関係から、以前はシルクとレースで彩り、襟もレースのショールカラーのようなもので着流していたものを、着物風に直線的に仕立て、帯のようなひもで結ぶ形が、西洋でもナイトガウンやバスローブの典型的な形として定着していったように思います。
私も服飾史が専門ではないので、どの時代にどの地域でどのような形のものが定着したか、今すぐにはっきりとは言えないのですが、調べれば出てくるのではないでしょうか?
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尤も、この少女が着ているものがナイトガウンなのだとしたら、家族や親密な間柄の人にしか見せない姿を晒しているわけで、尚のこと、エロチックな想像をしてしまいますね。
《蝙蝠》で、アイゼンシュタインを留置場に連れて行くために訪れた刑務所長にロザリンデが「こんな時間にナイトガウンを着て自宅で寛いでいる男性は、私の夫に違いありません。それとも私の貞節をお疑いになるのですか?」と言って、アルフレートに夫の身代わりとして刑務所に入るように頼むシーンを想い出してしまいます。
私はフェルメールの画房のトルニーの為にモデルを使って描かれたと思います。そしてそのモデルとフェルメールは恋心があったのでしょう。
ローランサンを目だだせるため。
「フォリーべルージュのバー」
本物を鑑賞したことがあります。
この絵の前に立つと圧倒的な存在感に震えました。
五郎さんの解説を聞くまでは理解できなかったのですが、
後ろの鏡の角度を基準に見ると、
明らかに斜めから鏡をとらえているパースに見えます。
正面から捉えているなら鏡のラインは水平になるので。
右下がりですもんね。
それを中心に絵の各部の構成を観察すると、
斜めパースが確信できます。
女性の体も微妙にひねってるのがわかります。
それを想起して改めて絵を見ると、
「自分がそこに居る感」がいやまします。
すごいなぁ…
ありがとうございます!
ほんとに凄い絵ですよねw
山田さんの解説は面白い夜明かしには良い話です。
ありがとうございます。
また夜更かしの際にはぜひご利用くださいませ。
フェルメールの日本で人気の絵以外を見てみると、余り個性の無い絵が多いような、五郎さんのおっしゃっていた、ホーホーと区別がつきませんでした。私、駄目だぁ(´*ω*`)💦
ただただ美しい絵ですね
ほんとですよねwww